***◇◇◇琉球の風下◇◇◇***

−−八重山列島の自然と人間/のぞきみ記−−





512/525 GEG00343 福島麻紀子 ◇琉球の風下***のぞきみ記◇
(13)93/03/07 23:58



    16〜18世紀に隆盛を極めた琉球王国。
    薩摩藩と中国、両国の影響を受けつつ、南国の風土を生かした独自の文化を育んだ国。その風下で、過酷で厳粛な自然と闘いながらも、人間らしい暮らしを営んでいた人々がいた。その末裔が今も八重山の島々で、力強く生きている...。

    −−−風土病。

    マラリアは高熱を伴う強力な伝染病で、一人の命ばかりでなく、村もろとも呑み込んでいった。マラリアによる廃村に次ぐ廃村。わずか数世帯で起こした村もあっというまに廃墟と化す。島で一番伝統ある小学校も、こうして何度も廃校を繰り返した。

    西表島から1キロほどしか離れていない海抜1メートルの島、由布島には、不思議なことに風土病がなかった。マラリアに悩む人々は、この周囲2キロばかりの小さな島に移り住み、農耕を始めた。珊瑚のかけらで出来た小さな島は、土地が十分に肥えていないため、大した農作物は出来なかったが、それでも米、さとうきび、パイナップルなどをせっせと作っては、風土病のない平穏な村を育んでいった。

    風土病を絶ち、農作の悪条件を克服し、飲み水を工面し、学校を建てたところで、自然はまだ村民を苦しめることに満足していなかった。

    −−−台風。

    台風銀座と呼ばれるこの地域には、毎年多くの巨大台風が通過し、風速70メートルなどと新記録を残しては風速計をも破壊してしまう。ある年、巨大台風通過の際、海抜1メートルの由布島は遂に完水。田畑も、家屋も、学校も、村はまるごと壊滅。これを機に、由布島の人々は、島の対岸に新しい部落を形成する。

    −−−過疎。

    西表島。
    港の近くに、島でたったひとつの信号機がある。交通量から考えればさしたる必要のない信号機は、『子供の教育』目的に設置されたそうだ。島で最も古い、古見小学校の現在の全校生徒数は、5人。先生は7人。都会の人はすぐ「うらやましい」というが、生徒にしてみれば授業中によそ見も出来ないわ、運動会には全種目参加しなきゃならないわ、同級生には恋心すら抱けないわ、で「うらやましいことがあるもんか!」というのも、頷ける。人ごとだと思って、いい加減に「うらやましい」とか言って欲しくないもんだ。

    島には小学校中学校までしかないので、それ以上の高等教育を受けるためには、石垣島や沖縄本島の高校で寮生活、下宿生活をすることになる。まだ思春期の不安定な息子を手放さねばならない母親は、葛藤にさいなまれる。

    「こんなことなら余計な学問など身につけさせず、学校出るなり家業を手伝わせればよかったのかもしれない」
    「息子には出来る限りの教養は得て、もっともっと伸びて欲しい」
    「息子はもう永遠にここには帰って来ないかもしれない」

    −−−野生生物。

    西表島にはたくさんの野生の動物が生息している。
    カンムリワシ、ヤンバルクイナ、リュウキュウキンバト、そして有名なイリオモテヤマネコ。自然の生態系の中で生きている野生のネコ。普通の家ネコよりもひとまわり大きく、昔から島民に森の中で光る目を目撃されていたが、最近では夜行性とも言えず昼間も活動していることがわかってきたという。
    ネズミなどの哺乳類から昆虫、爬虫類、鳥類など、なんでも食し、西表島の食物連鎖の頂点にあたる。が、年々頭数が激減し、最近ではその数わずか百頭弱とも言われ、絶滅の危機に瀕している。

    イリオモテヤマネコの交通事故を防ぐため、島の何箇所かに『イリオモテヤマネコ飛び出し注意』の看板がたてられている。島に住む生物としての優しさと誇りが感じられる看板だった。

    島の西側と東側を流れる2本の川の両脇には、マングローブ林が広がる。
    ジャングル。
    密林の中を船が上流に向かう。マングローブ林に生い茂るのは、ヒルギの木々。オヒルギ、メヒルギ、ヤエマヒルギ。根の部分が幾重にも広がって、海水と淡水の混じり合った川の水を吸い取る。そして、根を腐らせないように呼吸根がツンツンと顔を出す。

    力強い生命力に怖くなる。自然は怖い。雄大すぎて、偉大すぎて、強力すぎて、負けそうになる。人間は弱い。いつの間にか貧弱になってしまった。自然に対応する力を失ってしまった。毎日パソコンをいじりながら、生活している現状が、どこか間違っている気がしてならない。

    −−−長寿の里。

    竹富島。
    石垣島から船で10分程西へ向かうと、人口250人ほどの小さな島に辿り着く。250人中、84人が80歳以上のお年寄り。でも寝たきり、ボケ老人は一人もいないのがこの島の自慢だ。

    昔から養蚕を産業としてきたこの島は、素朴な絹織物をプレゼンする。静かな温かい匂いのするこの島にも、見た目からは予想もつかない、過酷な自然との格闘の歴史があることを忘れてはいけない。

    −−−珊瑚礁の功罪。

    珊瑚礁の海は美しい。グアムもセブもタヒチも、この珊瑚礁にはかなわないだろう。こんな自然の宝石に囲まれて生活していたら、気持ちも充実することだろう。

    島の民家には必ず石垣がある。台風の疾風から家を守るためでもあるが、それだけでこんな石垣を作ったのではない。この島は珊瑚礁が隆起して出来た島なので、島中に珊瑚の石がゴロゴロころがっていて、荒れ果てていた。その石を整理するために積んで作ったのが、この石垣だという。ニーズとシーズが合致して出来た産物だったというわけだ。美しい珊瑚礁も素敵な夢ばかりを運んでくれるわけではない。生活には常に厳しい『現実』が待ち受けている。

    −−−タテ型社会。

    観光客を乗せる大型バスが走れるほどの広い道はどこにもなく、幅3メートルほどの狭い埃道を、気のいいおじさんが運転するマイクロバスで行く。たった9人しか乗れないマイクロバスでの観光案内は悪効率だから、おじさんは1グループが施設を観光している間に、次の客を連れに1つ手前の観光ポイントに戻っては2倍の客を輸送する。

    『この島には250人ほどの人々が仲良く暮らしています』

    おじさんのアナウンス通り、ここの人たちの仲の良さは、ちょっと歩いただけでも「なるほど!」と納得してしまう。社交辞令だらけの近所付き合いではない、うざったくない、さらっとした関係が自然に出来上がっている。それは厳しい自然の中で、先祖代々長い間共に生きてきた生物同志だからこそ、初めて得られる関係なんだろう。

    沖縄全般に言えることらしいが、島を見ていて驚くことのひとつに『墓』がある。異様にデカくて、形も派手で、やたら目立つ。これは火葬しない埋葬習慣によるためと、家族を大切にするタテ型社会であることから、一族全員がひとつの墓に入るためだという。

    海人(うみんちゅ)という仕事がある。
    要するに漁師なのだが、いわゆる『海の男』というやつで、これがカッコいいらしい。海を相手に生きていくのだから、生半可ではない。経験が大切だから、自然『タテ型』社会になる。

    目上の人間を非常に敬い、夫婦単位よりも親子単位が優先される。海人はみな情が深く、決して裏切らない。自然を相手にしていると、心が大きくなるのだろう。




    人間が『生物』として自然と対峙しながら、生きている島々。
    自然の恩恵を受けつつ、自然の厳しさと闘いつつ、自然の一部となって『共生』している。
    人間本来の姿を垣間見させてもらったような気がした。



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初出:93年3月7日(福島)

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