オーストラリア人の肖像
"Reinventing Australiaより
Whither the Work Ethic?/何処へいく、「勤労の美徳」?
リストラの嵐の中で
The Story of Leon/レオの場合
★ いったい”仕事”というものが、どれだけ人生の重要な部分を占めるものなのか、私にはよくわからない。確かに、私がやってきた仕事は全てそれなりに価値はあったのだが、かつてそうであったほどに今もなお重要なものであるかどうかは疑問だ。私は今も職場に行き、仕事をしている。でも、以前ほど仕事が好きでなくなったような気がするし、それほど人生を充実させるものではなくなってきたようにも思う。
最近仕事のストレスをよく感じる。
原因のひとつには、果てしなく続くリストラの嵐であまりにも多くの人々がクビになっていったということもあるのだろう。残った我々は絶えず抜けた人の穴を埋める為に仕事の分担の再調整をし、前よりも確実に少ない人数で同じ仕事量を廻していかないとならなくなっている。沢山の同僚達が職場を去っていった。そのことを思うと胸がつまる。同僚のうちの何人かの場合は、彼の後任は単なる機械だったりする。彼らがどんな気持ちでいるか?これまで彼らが職場で一生懸命頑張ってきたことは、所詮機械で代替出来るものでしかなかったのだということを嫌というほど見せつけられることでもあるのだ。
時として、私は、自分が早期退職プログラムを受けることを密かに望んでいるようにも思う。いや、はっきりとは分からないのだけど。早期退職の道を選んだけどその後の生計の目処が立たなくなったらどうしたらいい?あるいは、早期退職を蹴ったとしても、後になって結局のところ強制退職させられるかもしれないのだ。
妻はこれまで働いたことがない。ボランティアで、週に1〜2回ほど病院にいってお茶を配ったりなどしていた程度だ。もし我々がこれまで共働きでやってきたならば、お互いの神経に障らないように配慮する術を心得ていただろう。しかし、これまでのところ、特に妻が働き出る必要もなかったのだ。妻が外に働きにでること−そのことを私が快く受け入れられるかどうか、そのときになってみないと自分でも分からない。
ところが、娘は全く違う考えを身につけている。彼女は二十代の後半で、ガンガン働いている。仕事に打ち込むことは、娘の人生の全てであるかのようにさえ映る。娘はよく職場の同僚の鼻を明かしてたりするのだが、同僚達がどう慌てたかを娘が得々と話しているのを聞いていると、私は妙な違和感に襲われるのだ。彼女は、失うものなど何もなく、可能な限り上に登って行こうとしている。結婚なんかするつもりはサラサラないようだし、したところでこの仕事第一の姿勢が揺らぐこともなさそうだ。
しかし、息子の場合は、それほど順風満帆というわけでもない。これまで息子は”きちんと仕事”に就いたことはなく、ちょこちょこパートタイムやアルバイトをしている程度だ。一応一本立ちしてマンションを友人達とシェアして住んでることになるのだが、お金が尽きてくるとまた実家に舞い戻ってくるのだ。息子が家に帰ってくると、ちょっとばかり気の滅入る日々が続くことになる。日長一日ベッドに寝そべって、ぶらぶらしているのだ。それが又私の妻の気分を暗くさせる。息子が家にいるとき、何か家を留守にする用事があるとホッとすると妻は言う。でも一体、息子になんてアドバイスしてやればいいと言うのだ。
息子は、なにか手に職をつけようと思っていたらしいが、TAFE(職業訓練学校)を今年もしくじってしまった。まあ、いずれにせよ、「手に職」と言っても、かつてのような具合にはいかなくなっているのだけど。
職を失った者を見れば、仕事というものが、いかに人生において多くの物をもたらすかが分かるだろう。
ある知人は、工場勤務で私と同じような収入を得ているのだが、もし彼が退職すると同時に全ての福祉受給を得たならば、その収入は、現在の収入よりもわずかに週43ドル少なくなるだけなのだ。彼は自分の家も、車だって持っている。それでも彼は現在も働きに出ている。彼にとっては仕事は金銭以上のものなのだ。きっと一日中ずっとぼ〜っとしていたら気でも狂ってしまうと思っているのだろう。
だけど、最近の若い連中は、失業保険や諸手当てを貰って、それで何とか生活していけるなら、何もわざわざ働くこともないと思っているようだ。もう考え方が違うのだ。そしてそういう考え方が、徐々に息子の頭の中にも忍び寄っているような気がする。息子は今のところ失業保険を貰うことを拒んでいるが、このまま事態が何ら改善されなかったら、いずれそうも言ってられなくなるだろう。
ひとつひっかっかっていることがある。
それは、職場の他の誰よりも、私が一番仕事というものに真面目に向き合っているのではないかということだ。どうも他の連中は、私よりもっといい加減に考えているような気がする。というか、皆かつてほど仕事に対してシリアスに向わなくなったような気がする。あなたは、失業率が高くなればそれだけ人々は仕事に熱心になるんじゃないか?と疑問に思うかもしれないけど、もうそういったレベルの話ではなくなっているんだ。いかに職を得るのが難しくなってきているか、私自身びっくりするくらいなんだ。
時折、妻は、私が仕事について思い詰め過ぎていると言う。しかし、私にとって仕事は人生そのものでもあったし、これまで失業することなく仕事を続けてこられてラッキーだったと思っている。でも、実を言えば、これまで、こんなこと考えたこともなかった。誰だってそれなりに仕事を持ってたもんだ。「失業したらどうしよう?」なんて話は、本当にここ最近になって出てきた話なんだ。
世間の状況は確実に変わってきている。
そのことを考えれば考えるほど、早期退職プログラムを突きつけられることがないように、より強く望んでしまう。まだまだ私はいまの職場にいたいのだ。
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