オーストラリア人の肖像
"Reinventing Australiaより
In-Laws & Out-Laws/(法律上の家族と事実上の家族)
曖昧になる「家族」の肖像
The Story of Gwen and Bill/グェンとビルの場合
★私達夫婦の親戚の中で離婚をした者は一人もいなかった。だから、私たちの次女が数年前にやって来て、夫と別れたと言ったときには、本当に驚いたものだ。
娘夫婦は、結婚してかなり経ってから子供が出来た。それは小さな可愛い二人の子供で、私たちにとっては唯一の孫達だった。その頃は全てがうまくいっていた。
娘が職場に復帰した頃、相当に疲れているように見受けられたので、私達はしばしば娘夫婦の家に出向いて、子供の世話をした。時々、娘を説得して、子供達を私達の家に泊まりに来させたりしたが、そんなときは大概、翌朝早く娘はやってきて子供を連れ帰ってしまうのが常だった。私達が子供の世話をすることに、娘は本心から同意していたわけでもなかったのだろう。
−−−そう、正直にいって、私達は娘の母親としての振る舞い方をあまり良いものだとは思ってなかった。まだ子供が小さいうちは勤めにいくことをやめたらどうかと言ったりもした。娘が離婚したことを告げたとき、私達が最初に心配したのは子供達のことだった。しかし、娘は、子供は託児所に預けるから大丈夫と考えていた。
しかし、それほど物事はうまく進まず、結局、子供達は、週に3日は学校が終わったあと私達のところに来るようになった。誤解して欲しくないのだが、私達は何も子供達の世話が鬱陶しいと不満を言ってるわけではない。彼らは本当に可愛く、私たち夫婦の人生の一部になっている。しかし、また昔に戻って完全な親としての勤めを果たせというには、私達はもう歳を取りすぎ、昔のように若くはないということなのだ。また、どうして私達がそんなことをしなければならないのか、少しばかり理解に苦しむ部分もある。どうして私たちが、離婚の後始末に奔走しなければならないのだろうか?
娘は別れた夫について何も話さないので、私たちは彼とは縁が切れたままだ。私たちは彼が好きだったし、良き父親だと思っていたので、寂しい思いでいる。今では、彼は、毎週末と誕生日など特別なときでなければ子供たちと会えないでいる。それは子供達にとって辛いことだと思う。子供達は、まだ父親のことを慕っているし、会いたいときに会えないのが何故なのか理解出来ていない。
最もびっくりしたことは、離婚してからというもの、娘には複数の恋人がいるということだ。そのうちの一人は、いっとき、彼女の家に引っ越してきた。そのことは子供たちをとても困惑させたようだ。子供達は我慢できないと私たちに訴え、またその男が自分たちの母親と同じベッドで寝ることがイヤだと言った。この騒ぎは数カ月で収まり、娘はまた新しい恋人が出来た。
今度の恋人は1年ほど長続きしているようだ。
ところが、この新しい恋人というのも離婚していて、彼には、私たちの孫達よりも年長の子供たちが2〜3人いるのだ。先日のクリスマスに、娘は、彼と彼の子供もウチのディナーに参加させるべきだと主張し、そういうことになったのだが、それはそれは異様に緊張した場になってしまった。
私たちは一生懸命にこの状況に合わせようとしたが、事態は既に私たちの理解の範囲を越えていた。その新しい恋人は、自分の子供たちに私達を紹介するとき、私達のファーストネームで呼び(「祖父母」ではないので、他に呼び方がないのだ)、それがその子達が私達を呼ぶときの言い方になっている。−−ビルとグェン。13〜4歳の子供達から、ファーストネームで呼ばれるという体験に、私たちは少なからず困惑している。
娘は少し無理をし過ぎているのかもしれない。娘は、なんとかして「普通のちゃんとした家庭」ということに収めてやっていこうとするのだが、どう考えても、これは普通の家族ではないのだ。
その場には長女も同席していた。長女は長女で、長い間つきあっている恋人がいるのだが、未だに結婚していない。長女も、勿論、その恋人を私たちの所に連れてくるのだが、それもまた奇妙なものである。なにしろ、私達はその二人がどういう関係なのか分からないのだ。彼女はただ「友達」としか言わない。でも、その表現は弱すぎるのではないかと思うのだが。
二人の娘達がそれぞれ結婚するのかどうか分からない。長女の方は、結婚についてはもっと慎重のようだ。なぜなら、彼女は、自分のキャリアをとても大切にしているからだ。
多分、最後には全てはおさまるところに納まるだろう。しかし、たった二人の娘をもったことで、私たちはちゃんとした「義理の息子」を持つことを願う羽目になっている。唯一の「義理の息子」であった、次女の夫は、既に離婚して視界から去り、あとの二人(娘達の現在の恋人らしき男達)は何だか良く分からない中途半端なままでいる。それでも孫達の存在は、大きな喜びではある。私たちがそうであるように、孫たちにも十分な時間を与えてやるべきなのだろう。そうでないと、本当に混乱してしまうだろうから。
こんな状況は、何も私たちだけ特別なのではない。多くの友達も、似たような状況の子供たちを持っている。全てが大きく変わっていく。誰もこんなことが自分の家族の中で起きるとは想像してなかった。私は、あの「60年代」に対して文句を言ってやりたい。それは、娘がいっとき麻薬を吸ってたことではない。そんなことではない。それは、自分たちのなすべきことは全て正しく幸福に導くのだという考えを、子供たちに与えたということで文句を言いたい。自分自身のことを考えよ、という考えは、こと結婚や家族に関しては良い基礎にはならない。私達は、自分が育てられたときの価値観を自分の娘達に教えたつもりだったけど、世の中はあまりに大きく変わり、娘達とは完全に波長が異なってしまった。
娘達が最終的には一人の男性のもとに結婚して落ちつくことを望むのではあるが、勿論、そのことを私は娘たちに言ったりはしないだろう。
世界は大きく変わってしまった。そのことで、子供たちの純粋さと親の安定は損なわれているように思う。それでも、あの子達はこの時代を生きていけなければならないし、またやっていくだろう。
時々、私達は、自分たちこそ最後の「本当のオーストラリア人」だと感じる。私は、娘たちのような生き方をしなくても良かったことにホッとしている。人生は、私達の頃よりも遙かに複雑に、全く違う価値観で動いている。
いずれにせよ、物事が早くちゃんと納まることを望む。海外旅行を計画していたのだけど、この家庭内のイザコザの為に延期しなくてはならないようだ。孫達にこんなにも手が掛かるような状況では家を留守にもできやしない。また、孫が成長したとしても、尚面倒を見なければならない事は多かろう。
一つだけ確実なのは、あなたもいずれ親になるということだけだ。
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