オーストラリア人の肖像
"Reinventing Australiaより
Are We All New Australian?/「新オーストラリア人」?
もう移民は要らない
The Story of George/ジョージの場合
★今でも、私の妻が、初めてディナーをスパゲティ一皿だけで済ませてしまおうとした日のことをよく覚えてる。最初は、何かの冗談じゃないかと思ったほどだ。「ディナー」というものは、まず肉料理があって、それと2〜3品の野菜が盛り合わせてあってはじめてディナーなのだ..あ、そうそう、それとガーリックも忘れてはいけない。
私がまだ少年だったころ、学校には沢山のギリシャ人やイタリア人の子供達がいた。私の父は、彼らのことを「reffos」(※大戦後大量に渡ってきた南欧系移民に対する侮蔑スラング−レフュージー(難民)が変形したもの)と呼んでいたけど、別に誰もそんなにイヤなことだとは思ってなかった。私たちは、彼らのことを「新しいオーストラリア人」と呼ぶことにしていた。言葉の響きはちょっと人工的だったけど、特に違和感もないまま馴染んでいった。
でも、最近は、全てが変わってしまった。今では、オーストラリアの学校の子供たちのことを「skips」と呼ぶ−これは多分TV番組のSkippyからとったものだと思うが。「wogs」とか「skips」とか「slopes」とか、知らない間にいろいろな呼び方が出てきてしまった。だいたい、フットボールの選手の名前をみたらいい−どんどんアメリカみたいになっていく−つまり、選手の半分はイタリア系かどこかの外国の馴染みのない名前で埋めつくされていくということだ。私たちは、戦争のあと、もっと人口を増やす必要があったし、それは移民の奨励によるしかなかった。そして、新しい移民達は私たちの生活に大きな影響を与えていった。料理なんかもそのうちの一つだ。
それにしても、どこかで線は引かないといけないんじゃないのか。
大体どこの国でも、どのような移民を受け入れるかという事については、オーストラリアよりもずっとうるさい基準を設けたり議論したりしている。そりゃあ確かに、世界に沢山いる難民やボート・ピープルの人々を引き受けるのは当然の勤めであることは良く分かっているけど、なんだかトルコ人や旧ユーゴスラビア人を見てると不安も出てきてしまうのだ。連中は、時として、彼らの内部の揉め事をそのまま持ち込んでくる−サッカーなんか見ててもそう思うだろう?彼らがオーストラリアに入ってくるなら、そういった揉め事を起こさせるべきじゃないし、彼らももう少しオーストラリア社会に溶け込んで欲しいんだ。行き着くところが、オーストラリアがレバノンみたいになってしまったらシャレにもならない。
どこの国だって、多民族国家を作ってゆく過程で、緊張やイザコザがついて廻るものなんだ。もし、このまま「アジア化されたオーストラリア」に向かっていくならば、もっと大きな問題が出てくるだろう。
だけど、この大きな流れは止めようもない。カブラマッタみたいにベトナム人の町では、生粋のオーストラリアが入っていくと、何となく白い目で見られているように感じるし、そういった地域は増えていくだろう。一方では、香港からやってきた裕福なチャイニーズ達が、不動産を買いあさり、オーストラリアの昔ながらの家を取り壊して、バカでかいマンションを建てている。市の当局もこういった流れに対してなんの手も打とうとしない。
オーストラリア社会が段々とこういった連中の本国のような国になっていって、そして彼らと同じようなことを私たちもするようになったら..と想像してみたらいい。私たちが、そんな社会についていけるわけないだろう。言いたいのは、そういうことなんだ。私たちはちょっと「イージー・ゴーイング」過ぎるんじゃないのか?
時計の流れを逆にすることは出来ないことは重々知っているが、もう少し我々は、どの程度の移民を受け入れるのか、どの国からの移民を受け入れるべきなのかということを、慎重に考えた方がいい。その程度の事はしたって許されるんじゃないのか。でも、わかってるさ。そうなんだ、そんな事を口走ろうものなら、たちまち「人種差別主義者」というレッテルを張られかねないんだからな。だけど、皆の本音はそうなんだと思う。
おそらく、私は、自分の住んでる近所のことから、この問題にちょっと神経質になりすぎてるのかもしれない。ここも昔は、典型的なオーストラリアのストリートだったんだ。ところが、今は、この通りに住んでるオーストラリア人家族はたったの3家族。あとはみーんなアジア人が住んでる。隣に住んでる連中ときたら、一つの家に20人も住んでて、13台の車と2台のトラックを共有してるんだ。昔ながらのこの通りの雰囲気もメチャクチャさ。でも、黙ってなりゆきに任せていくしかないんだ。
この国は一体誰の国なのか、自問自答してみたらいい。今日まで、この国は基本的にはヨーロッパ系の人々の国だった−勿論アボリジニーの人々は別だけど。
最近では、どこでも、どうやって我々がアジア社会に溶け込んでいくかという議論が盛んだけど、私に言わせれば、それは本当にとんでもない飛躍だし、大きなバクチだと思う。仮にいつの日か、私達が自分のことを「アジア人」だと思う日が来るにしても、それにはかなり長い長い時間が必要だろう。別に私たちがアジア人にならなければ、彼らと貿易したり付き合ったり出来ないものでもないだろうと思うのだが。
共和制移行の問題とも係わるけど、イギリスにkow−tow(ペコペコするの意味で、日本語の「叩頭」と同義だが−「叩頭外交」というフレーズが日本語にある−、語源は中国語でそれが英語や日本語に取り入れられたのだと思う)するのを止めたからといって、今度はアジアにkow−towしなければいけないものなのだろうか。
新しい移民達もすべて英語が話せるように学ばせるべきだと思うし、外国語で店の看板を掲げるのは止めさせるべきだ。結局、ここは私たちの血のしみ込んだ故郷なのだ。その故郷で、メルボルン市街の店の半分の看板が、ワケのわからない外国語で埋めつくされたくはないだろう?
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