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今週の一枚(2016/12/05)



Essay 802:弱い国家と弱い市民の弱者連合

セーフハウスの話(その3)

 写真は、つい昨日訪れたPaddington。
 「オシャレな街、パディントン」で観光ガイドにも載ってて、ブティックや画廊も多いのですが、古い町並みがディープで面白いですよ。

新しい潮流

2つの流れ

 前々回前回の続きを。同じネタで引っ張るのもナンなのですが、すいません、思いついちゃったもんで。

 最近、潮の流れが変わったかな?あるいは新しい流れが見えてきたかな?って思うことがあります。
 一つは皆さんご存知のトランプ現象ですが、トランプ氏個人のキャラがどうあれ、彼を支持している地下マグマのような膨大な力の流れこそがポイントだと思います。一言でいえば既成システムへの異議申し立てでしょう。もう今のシステムを続けていってもダメじゃないの?という懐疑・抗議の意思です。

 思いついたまま口走りますが、世界には2つの潮流があるのでしょう。まあ、そんなものはいつの時代にもあるんですけど(開国派と鎖国派とか)、問題は今は何と何がせめぎあっているか?です。もちろん、右翼とか左翼とかいうカビの生えた概念ではないです。

 ドンピシャの言葉ではいいにくいのですが、国家のあり方や位置づけというか、国家機能の再定義というか、
(1)国家が力強く社会全体を仕切って、且つ上手にマネージメントをして、そのご利益を民が享受するという昔の「ゆりかごから墓場まで」の国家システム主導の人生・幸福主義と、
(2)日々の生活や人生を構築するのはあくまで個々の人々であって、まず民が走り、作りあげ、国家はその手助けと全体のバランス調整をすれば良いのだという民間主導主義、
 この2つがせめぎあってるんだろうなーと。

 この対立軸自体は珍しいものではなく、いっそ「古典的」といって良いくらいです。「大きな政府」が良いか「小さな政府」が良いかとか。共産主義のように何もかも国家の計画経済でやっていくか→北欧のように高税率だけど社会保障を厚くするか→税金もそこそこ安いが福祉もそこそこ薄いのがいいか→可能な限り自由市場で決めて国家は最低限の治安維持くらいやってれば良いとするか、、、濃淡グラデーションでいろいろあります。

 ただ、今回僕が思ったのは、そのどれでもなく、「新しい形」での民間主義です。それもそれが正しいからではなく、しょうがないから、背に腹は代えられないからそうするみたいな感じ。

 なぜかと言えば、(1)にも(2)にも幻滅しているからです。(1)の国家主導に関しては、国は皆のために最高のマネージをするんだという建前すらも放棄しつつあり、いわば「国家システムの利権化」とでも呼ぶべき現象がどんどん顕著になっている。国に任せておいても一部の人間が甘い汁を吸うだけじゃないかと。一方(2)の民間主導についても幻滅してて、「民間」といっても主要なプレーヤーは強大な企業や資本家という「強い民」だけであって、彼らが弱い民を搾取して好き勝手やってるだけじゃんと。それに文句を言うと、努力が足りない、自己責任という「呪い」をかけられて黙らされる。

 共通するのは強い(ズルい)者は何をやってもよく、弱いものは泣き寝入りせよということで、何の事はない原始時代から何も変わってないじゃないかと。つまりは1も2もダメだと。特に直近20年くらいは加速度的に1と2が野合して強者のためのいいとこ取りみたいな話になっている。

 例えば「リベラル」「自由」という言葉もそうです。ここを議論しだすとリベラル派とリバタリズムとリベラリズムとネオ・リベラリズム(政治的それと経済的それがある)とかワケ分かんなくなるのですが、要は1と2のレシピーのバリエーションです。が、今の日本で(特にネットB層世界で)「リベラル」というと、「国のやることに何でも反対するサヨクで、世間知らずでお花畑の理想主義者」みたいなニュアンスがありますが、そんな用語例でやってるからB層などと残念な扱いをされるわけでしょ。今の国家権力を動かしているのは古い既得権村と新自由主義の超エリートたちだとするならば、新自由(リベラル)主義って筋金入りの「リベラル」でしょう?国民の経済活動の自由を重視する意味でいえば規制緩和なんかまさにリベラルな発想です。ただし、これも既得権やシロアリ利権の牙城を崩すという意味で使われる場合よりも、派遣労働の規制の緩和など国民貧困化に拍車をかけるという方向でも使われる場合が多かったりします。そうなると新自由経済的なリベラルとは、要するに弱者切り捨てであり、自己責任論=勝手に死ね論に受け取られやすい。一方、共謀罪など国家による国民統制・弾圧を排除する=自由を守るという文脈で使われる「リベラル」もあり、この意味でリベラルを使う人達は、しかし福祉医療など国家の役割に大きく期待する傾向にもある。つまり「リベラル」を唱える人があらゆる陣営にいて、それぞれの意味で使っている。自由=なんの拘束もない(市民的自由)とも言えるし、自由=自由競争=結果は保証しないよ(弱肉強食の肯定)でもある。

 何が言いたいかというと、そういう古いフォーマットでものを見ててもよう分からんだろ?ということです。もっと違う切り口で見たほうがわかりやすくないか、と。

 じゃあどういう切り口なのか?といえば、これまでは1(国家)の強者と2(民間)の強者が連立していた強者連合だったのだが、僕がなんとなく思うに、1と2の弱い部分(弱い国家と弱い市民)が、(手を結ぶという意識はないんだけど)結果的に同じ方向を向いているんじゃないかって部分です。いわば弱者連合みたいな感じで、ここが新しいなーと。

 ここで注意すべきは、わかりやすい政治的な「対立」にはなってないことです。そういったことを強く主張するどっかの政治勢力や政党があるわけでもない。そもそもネーミングすらまだなされていない。それは、普通の市井の現象として現れ、徐々に増えてきている。上流の岩清水がチョロチョロ流れていたのが、だんだん山を下っていくうちに合流して、やがて川になり、大河になるような感じ。だから「対立」という感じでもないです。巨人・阪神戦でいえば、巨人でも阪神でもなく、途中で雨が降ってきたのでドローゲームになるその「雨」みたいな存在だと。

これまでの流れ〜システムの極限利用と利権化

 あ、ここで「国家利権化の流れ」といってもピンとこない人がいるかもしれないので軽く書いておきますと(もう知ってるよって人はスキップしてね)、例えばアメリカでの湾岸戦争やら、911以降の対テロの流れなどですね。要するに石油利権で儲けるため、軍需産業で儲けるため、それに基づく相場操縦で儲けるため、つまりは一部の強者が私腹を肥やすために、大義名分を掲げて戦争でもなんでもやるという。

 これは既存システムを極限まで利用しまくって儲けましょうという方法論で、まあ昔からありますけど。例えていえば、プロレスの反則で、カウント5まではやっても良いというルールがあったりしますよね。で、パンツからフォークを取り出してガンガン突き刺して、レフリーがカウントを取り出して、5になる直前にやめる。でもってまた新しいフォークを取り出して、5になる直前で、、という。これ、いちおう「合法」なんですけど、なんかねー、それを20年間ずーっとやってるのを延々見させられてる気がして、皆も「ええ加減にせんかい!」という気分になってる。

 政治においては、くっだらない戦争は中東で延々やってるし、思いついたように「テロ」があったりして厳粛な顔で「誓いを新たに」とかやってる。既存システムの徹底利用という意味では、経済(資本主義)も同じで、労働者をとことん追い詰めて食えなくしてやれば、どんな悪条件でも奴隷のように働くからお得ですよー、それで儲かった分はマネロンでも租税回避でも幾らでもやり方はあるもんねーという。リーマンショックで潰れたはずの金融相場は各国家財政を破産寸前に追い込みつつも、また羽振り良さげにやってるし、貧富の格差は広がるばかり。アメリカなんか死ぬほど奨学金借りて大学出ても就職できないから卒業即破産みたいな人達もいるし、フードスタンプとボランティアで食いつなぐような社会主義的な状況も出てきてるわ。でも巨大企業は租税回避に余念がないし、富裕層はパナマってるし、これだって「カウント5までは合法」ですからねー。

 そこまでなりふり構わず好き勝手やってれば、当然大多数から抗議の声が上がる。だからそれを抑止するために、不自然なまでのマスコミ誘導はやるわ、ネット工作員の洗脳工作はやるわ、アメリカではファシズムみたいな愛国者法が出来るわ、町の警察が軍隊並みの超武装をして抗議市民に対峙するわなどの国家的統制が強くなります。そうなると統制をキツくするための「言い訳」が必要で、だからそれが◯◯脅威論の国際緊張であり、テロであり、プロレスの悪役シリーズみたいな演出をするという。

 日本もまんまカーボンコピーで、石原君が電話一本でアメリカに呼びつけられて、帰ってきたと思ったら尖閣を東京都が買うとかブチあげて、ケ小平以来の「(尖閣は)無いことにしようね」という「大人の解決」をぶち壊しにして挑発して、「緊張」を高めるとか。でもって、「文句は言わせない」「文句の証拠になりそうな資料は渡さない」という秘密保護法を通すという。あのときにも潮の流れが変わったなーと書きましたけど、ここまで露骨にやるか?と。あのときから日本は法治国家であることをやめたと思うし(その理論的根拠=アカウンタビリティの重要性=が必要なら幾らでも書くけど)、それまで政治にそんなに興味のなかった人達までも「あれ?」と思うようになった。疑問に思う人が増えてくるから、より一層に露骨なマスコミ操作が進んで凄いことになってます。直近でも大マスコミが安倍内閣支持率60%とかぶち上げた同時期、フェイスブックで自由投票でやった支持率では3-5%でしかない(不支持率90%以上)という笑える状況になっている。

 ま、そのあたりの既存システムの有効利用というか、カウント5までの延々反則みたいな傾向、もう国家の意味が変わって、皆の生活を最適化するシステムとしての国家というよりも、利権・私益を極大化する競技場としての国家、いわば「国家・資本主義という既存システムでどこまで私腹を肥やせるかゲーム」に成り果てている。

 それらに対する、「ええ加減にせんかい!」的な声がトランプ支持の底流にあるんだろうなーと思います。はっきり言ってトランプ個人はどうでもいいんでしょう。どんな人だろうが、このクソゲーを壊してくれるならば、その一点だけで利用価値があるって感じじゃないすか。そしてそれはアメリカだけの話ではない。

 ただ、これも最近大統領選について書いたように、大きな潮流が政治的に「対立」してるわけでもないと思います。野球チーム VS 雨という次元の違う話でしょう。それを強引に政治の場で対立的に「表現」したらああなった、というだけの話だと思います。本質はもっと別にある。

 つまり、国家や社会に任せておけば上手くやってくれるよって幻想はもう醒めたということであり、だったら生活防衛とか人生再構築を自分らの手でやらんとならんよねって流れです。意識が徐々に変わっていくし、それを実践している人々もどんどん増えてきている。

 そして、それを国家自身も追認しているようにも思います。別に「国家」さんという単一人格の人間がいるわけじゃないですからね。システム利権化を苦々しく思っている人達も内部には沢山いるでしょうし、また利権化している人達でさえ、そんなになんでもかんでも国家に依存されても困りますからね。正味の話、老後も、介護も、福祉も、経済も、国民でなんとかやってほしい、国家の負担を軽くして欲しいって思ってるでしょう。普通に考えればマジに破綻確定ですから。

 それはいい意味でも悪い意味でも同じことで、真剣に国家システム(の良い部分)を延命させようと思えば負担を軽くするしかない。でも、自己責任の念仏一つで放置プレイなんて頭の悪い方法ではさすがに無理だから、結果的にはまともな政策に回帰せざるをえない。つまり、貧富格差の是正であり、所得の再配分で、資産保有者に対する厳しい追求です。もう一つは、国民個々人が、就職以外の方法で稼いで食っていける方法を見つけて欲しい、失業→生活保護のワンパターンでは破綻しますから、いろいろな自立の援助です。

 そのあたりが変わってきたかなっていうのが、最直近の印象です。つまり破綻確定で国民を救済するパワーの衰えたヘロヘロな「弱い国家」と、国や企業に期待しても無駄だわって幻滅して、諦めて、覚悟を決めた「弱い市民」が、意図せずに同じ方向を向き、気がついたら手を握るともなく握っているという新しい状況です。

 以下、その具体例らしきものを幾つか挙げておきます。

弱者連合(1)〜格差是正〜富裕層狙い撃ち政策

海外5年ルール

 これは財政的に死に体同然の国家が、あれこれ国民からお金をかき集めるという一環であり、その意味では悪政なのかもしれないけど、結果的には格差是正につながっているという。善意でやってるのか悪意でやってるのか、そこは評価者の視点ですけど、意図はどうあれ結果としてはそうだと。

 最近、海外への資産逃避の制限がキツくなってます。国際送金については、僕らのようなド庶民でもうるさいですからねー。マイナンバーがないとダメとか、なんだかんだ。僕は20年以上シティバンク(今は三井住友信託銀行)の顧客ですので、まだそこまでうるさくはないのですが。これだけあれこれうるさく言われたら、大きなお金を持ち出すのはかなり厳しいだろうな。

 で、最近話題になっているのは、相続税の5年特例の撤廃です。ついに政府が「税逃れ富裕層」を狙い撃ち!(16年11月10日)超富裕層ピンチ? 究極の節税術「5年ルール」が廃止かなど報道されてます。

 これは相続の場合、相続税に対象になる資産の線引についての規定で、一般には国内資産だろうが海外資産だろうが相続税の対象になります。が、相続人、被相続人など関係者のすべてが海外に住んでて、しかも相続開始前に5年以上住んでたら、相続税は国内資産のみになります。日本の相続税は上限55%です。いくら控除があるとはいえ、一定以上持ってたらごそっと持って行かれます。ほんと数億、数十億税金でもっていかれる。惜しいですよね、悔しいですよね(笑)、なんとかならんもんかで使われているのがこの特例です。親子共々、シンガポールなどの高級コンドミニアムに5年住むと。馴染めないよ〜、日本食恋しいよ〜、こっちにもあるけどもっと美味しいもの食べたいよ(富裕層だしね)〜、温泉入りたいよ〜、狭い日本人社会で人間関係面倒くさいよ〜というのにもメゲず、頑張って5年。島流し5年。懲役5年。お勤めはたして帰ったら金バッチだ!の世界です(いや、詳しくは知らんけどさ)。

 それがアウチ!になるという、富裕層にしてみれば「これまでの努力はなんだったんだ」という法案が検討されています。この5年ルールだって、もともとはもっとゆるく、子供が海外にいれば海外資産に関しては非課税だったんですよね。それが5年になった。さらに、2015年には国外転出時課税(いわゆる出国税)が出来ました。これは株など有価証券時価総額(買い取り時の値段でないのがきつい)が1億以上の人は、国外転出の際にすべて売却したものとみなされ、そこで売却益に課税がなされる。これって、創業者一族とか株持ってる富裕層にはキツいですよ。創業時に適当に分配した株なんて、当時5円とかそんなんだし、それが数十万株、時価総額数億円って場合もある。それが国外にでた時点で売却したものとみなされるんだから、ほとんど売却価格全部に税金がかかる。どーんと持っていかれる。だからもう出国できないという、江戸幕府の入鉄砲出女みたいな富裕層足止め政策。

 今回は5年を10年にしようという案なのですが、まあ、そうなったところで富裕層は頑張るでしょう。だって、数億、数十億円が取られるかどうかの瀬戸際ですからね。幾ら頑張っても時給換算にしたら時給数百万円くらいは儲かるんだからやめるわけがないっす。またコンサルティング料1億円払ってもお釣りが来るし。もしかしたら、このイタチごっこに業を煮やして、今度は租税回避コンサルタントに各国政府の矢が放たれるような気もしますねー。妙を知恵を授けた奴は死刑みたいな(笑)。

空き家課税

 前にも何度か書いてますが「空家対策特別措置法」が平成27年(2015年)5月から施行されています。空き家だったらすべて対象になるのではなく、自治体が「これ!」と特定して認定した「特定空き家」になると、土地の固定資産税が最大で6倍になるという決まりです。てか、これ、もともと6分の1に減額されていたのですね。戦後のすごい地価上昇で、持ち家庶民が大変だったので、それを緩和する措置です。いろいろな段階でやられてきて、最終的には最大6分の1まで優遇しようと。だから、地価が落ち着いて(てか下がって)いるなら、もう優遇措置はいらんでしょってことで、そんなに悲惨な政策ではないです。そのあたりの経過は固定資産税優遇と空き家課税〜固定資産税額「6倍」は不正確という福島大学住居研究室の論稿が参考になります。

 んでも、何をどう慰められようとも、税金があがるのはきついですよね。直ちに特定空き家(放置しておくことが社会的に好ましくない状況)に指定されるものではないし、6倍といっても最大でですし、また元が安いから絶対額としては大したことはないかもしれない。少なくとも、親の実家を一軒相続しただけとか、もう一軒実は田舎にあったらしいくらいだったら、そう大きなことはない。が、そのエリアの大地主さんで、不動産登記簿を積み上げるだけで30センチにもなるような場合、ちりも積もればですから、結構キツイでしょう。また、そういうのって売るに売れないし、取り壊しには100〜200万かかるし、古い家財道具を業者に頼んで処理してもらうだけでも同じくらいかかるでしょ。そんなのが数十軒もあったら、これはきついだろうなーという気がします。

 他にもいろんな政策が論議されているのでしょうが、これらを善玉悪玉二元論だけでみたらあかんと思います。豺狼のような国家がさらに激しく国民を収奪して〜という文脈で言うことも可能だろうし、逆に、富裕層の遊休資産を没収して国民の福祉財源に当てるという所得再配分にかなうGJだということもできます。ここでも善意か悪意かはどうでもよく、客観的、結果的にどうなるか?だと思います。確かにその限りでは、富裕層の資産は減少し、その財源を有効に活用すれば良いことでしょう。まあ、多少空き家があるとかその程度を富裕層と呼ぶかどうかは議論あるでしょうけどね。でも、ここでも上と同じで、本当の富裕層は、あの手この手奥の手孫の手なんでもつかって節税するでしょうから、それだけの労力、知識、ブレーンを持ってる人と、そうではない層とで分離するでしょう。結果的に、富裕層の下のほうがどんどん中流化・貧困化して、なんのことはない貧富の格差は一層鮮烈な形になっていくともいえます。富裕層バトルロイヤルによってより少数の者だけが生き残るわけですので。

 だから現象そのものして見てたら、よくも言えるし、悪く捉えることもできる。どっちとも言える。だからその善悪評価なんかどうでもいいんだわ。世の中には、なんでも善悪論にしたがる方がおられますけど、天候や気象に善悪がないのと同じように、人間集団のベクトルの合成というのはある意味では自然現象に似ていると思います。雨が降れば、それによって土砂崩れが起きる反面、水不足を解消したり、農業に実りをもたらしたり、大きく生態系の維持に役立ってるとも言える。

弱者連合(2)〜民間自助努力の推奨

シェアリングエコノミーのメインストリーム化

 このエッセイでシェアリングエコノミーを紹介したのは、Essay684:シェアリング経済とミクロ起業家の時代(1)(2)で、2014年8月の話です。まだその頃は世界の先端経済の話だったんですけど、あれから2年ちょい、今は自治体あげてのシェアリングエコノミー祭りをやってるかのような状態になってます。変われば変わるもんだ。

 もう「自治体、シェアリングエコノミー」でググってみたら山ほど出てきますし、あのNHKでも自治体に広がるシェアリングエコノミー(11月25日)とか記事出してるし。トピックになったのは、秋田県湯沢市、千葉県千葉市、静岡県浜松市、佐賀県多久市、それに、長崎県島原市の全国5つの自治体が都内で「シェアリングシティ宣言」をしたというイベントですが、大事なのはその背景ですよね。単に「言ってみただけ」だったら意味ないし。この記事で内容的にあがっているのは「公助から共助へ」ということで、「子育てのシェアリング事業」です。これは湯沢市でなんと10年前から行われていると。

 この本質は、今書いてるセーフハウスと同じことです。いちいちお金を媒介とした既存システムでやってると効率が悪いし、そもそも利用できなくなるけど、皆で助け合えばもっと有効に実現できるんじゃないかってことですよね。

 ではなんで自治体が旗振っているのか?ですが、詳しく調べもしないで(すまん、時間がない)僕がぼそっと思うのは、一つは村おこしとか町おこしの一環でしょう。村おこしも、昔は原発みたいに企業誘致一辺倒で、それがバブルでリゾートになったり、イベント誘致になったり、そして外国人観光客誘致になり、ここ10年ほどは「国内移民」誘致です。田舎暮らしとか、被爆を避けてとかその種の流れですけど、その流れでシェアリングなんだろうなと。これまでのような「(村)外貨獲得」ではなく、エリア内経済をもっとしっくり噛み合うようにしていくという動きだと思います。カネカネでやってると、補助金減らされたり、工費があがったり、結局利用できない人が多かったり、あかんだろうと。もっとこうすればいいじゃんってのは、範囲が狭くて、顔なじみも多い小さな自治体だからこそアイデアも出るし、実行も容易なんだと思います。

 と同時に、今日本で一番貧困なのは誰?といえばダントツに国家政府であり、二位に地方自治体ですわね。とにかく税収も少ないし、人口も減るし、先細りだし、行政サービスが廻っていかない。ならばということで、カネカネシステムではない方策を編み出さないとならない、そういう必要性あってのシェアリング方向だと思います。

 このあたりの本当の日本の最先端って東京にいたらわからんす。ウチにくる方々で、地方の、そもかなり鄙びたエリアの出身の話を生で聴くほうがわかる。「東京や大阪からけっこう来てますよ〜」と。そりゃそうですよ。大群衆の中から少し人数が減ったとしても誰も気づきはしないが、もともと人数が少ない集落に見慣れないよそ者がやってきたらすぐ分かるでしょ。同じように、時々日本はどうなってるの?と見るときには、大メディアの大情報ではなく、地方新聞とか自治体のHPです。そっちの方がよっぽどよくわかる。今回のシェアリングが自治体で受けているというのも、たまたま静岡新聞のサイトを読んでて他の記事で知ったくらいです。ちなみになんで静岡新聞?というと、さきの行われた沼津市長選挙で自民・公明・民進という既成政党全部が支持してた現職が負けて、無所属の新人が「圧勝」したというニュースを見るためでした。全然全国ニュースになってないけど、小さなトランプみたいな(人格的にではなく、既成システムへの拒否という意味で)。

 流れがそうなると、「そうなると思っていた」「これからは〜」という尻馬乗りの経済評論が山ほど出てくるだろうけど、嘘はあかんぜよ。僕が2年以上前に書いた時の日本語文献なんか、ほんと数えるほどしかなかったぞ。かなり検索して探したけど、え、世界でこんなに進んでいるのに、なんで日本では語られてないの?って不思議な感じがしたもん。

民泊解禁

 同じ流れで理解すべきかと思いますが、ネガキャンが激しかったAirbnbなどの民泊ですが、ここにきて追い風になってます。それも政府がせっせと追い風を吹いてる。「民泊解禁」で検索すればいくらでも出てきます。経済特区みたいな「民泊特区」なんかも出てきたりして。

 まあ、実体は旅館業法の改正・緩和であり、緩和したところでハードルはあります。許可制だしね。でも、厳しい規制を設けて、皆がガン無視、取り締まる人手もないから事実上放置よりは、多少なりとも現実的な規制をしましょうって意味はわかります。

 が、これは昔ながらの通り一遍の解釈で、背景に流れている思惑はあると思います。まず、民泊反対系は既存の旅館系の人達で、業界的にはパイが減るから、それはそれで理解できます。良いとか悪いとかじゃなくて、そりゃそうだろうねって思うもん。

 じゃあ推進派は誰なのよ?というと、個々の民泊関係者にそこまでの政治的パワーは無かろうから、他の誰か強力な援軍がいて、そいつが国を動かしているんだろう。じゃあ誰よ?というと、一つは不動産業界です。次に過疎化する地方です。これらに空き家問題がここでも絡んでくるんだと思います。そしてそれらをマネージしなきゃいけない国家、自治体だと思います。

 例えば、民泊新法への要望を提出・全国賃貸住宅経営者政治連盟という記事がありました。要望の内容は、「空き室や空き家の民泊転用を促進するための助成制度の新設(設備や工事に関わる費用を助成)」であり、「旅館業の許可を取得しやすくするため、既存の簡易宿所とは別の枠組みを新設」「条例で上乗せ要件が課せられないよう旅館業法を改正し、賃貸物件の簡易宿所転用を促進させる」と。要するに民泊をガンガン増やすための法令の整備をしろ、さらに改築費用も援助しろと。

 なんで全国大家さん連合がそこまで民泊を熱望するのか?ですが、今、日本の家主さんは大変ですからねー。人口減なのに増えるアパート、空室率3割超−低金利でにわか大家とか話題になってますし、経営キビシーでしょう。これもさらに裏があって、空き家が増えてる昨今なのに、今大家さんが激増しているという不思議な現象があるそうです。その理由は相続税対策で、お金で持ってるよりはアパート・マンションを建てて現物にしたほうが相続税の評価は下がるし賃料収入もあがるからってことらしいけど、まあ、必死に商売ネタを探しているゼネコンや銀行に乗せられてるだけって気もしなくはない(でもってボケが始まったかどうかって高齢者が乗り気になって、相続をアテにしてる家族が「それは銀行に騙されてるんだ」って激しく説得しても、本人は「私はまだボケてないわよ、なによ皆でよってたかって」と益々意固地になって、、ってミクロな話もまたよく聞きます)。そんなこんなで賃貸物件やにわか大家は増えるけど、人口も、可処分所得も減ってる昨今、そうは客がつかないってことです。

 旧来の大家さんだって大変だと思いますし、なんとか賃貸物件を有効利用したいでしょうから、そうだ民泊だって考えになっても不思議ではないです。また、相続した空き家だって、放置してたら面倒くさそうだから、なんとか有効利用できないか、それでお金が稼げないかと、そりゃあ考えるでしょう。そのあたりの遊休不動産を持ってる人達が援軍の一部にいるのだと思われます。


 他方では、過疎対策とか、村おこしとか、古民家再生とかそういった流れもあります。古民家生かして街おこし、政府が支援へ 菅長官が表明という記事がありました。スガさんといえば、記者会見で「全く問題はない」と木で鼻を括ったような熱意のない回答で一部では嫌われてますな。「火事なんですけど」「燃えてるだけだから全く問題はない」みたいな(笑)。それはさておき官房長官という重責のある人が、故郷(秋田)でも選挙区(神奈川)でもない丹波篠山までわざわざ足を運んでいるのは、それなりに重要な政治的課題があるのでしょう。過疎対策ですね。限界集落の救済などですが、今更企業誘致なんか無理に決まってるし、インフラ整備も金がかかるし、空き家もどんどん増えるし、そこで外国人観光客のために古民家を再生してなんとかならないかという話だと思います。

 これを上に述べた図式でいえば、過疎地域を救済する財政パワーのない「弱い国家」と、衰退していく過疎地域「弱い市民」がなんとか自力で経済再生したいという自助努力が結びついていると言えると思います。


 他にも類例は多々あると思います。そしてセーフハウスの話で言えば、大きな時代の流れとして、前提条件は勝手に整っていってくれてるなー、やりやすくなっていくなーってことです。

 前回、やることやらない国はクビだよ、明日から来なくていいよって書きましたけど、やることやってくれる国は大歓迎ですし、国家システム=既得権のカタマリと一元的に理解してはいけないと思います。確かに5秒反則を激しくやってる反面、既得権でガチガチでやられて一番困るのは、他ならぬ国家システムでもあるわけですわね。そしてセーフハウスのように、一人ひとりが、「こりゃ自分らで何とかせんとあかんなー」と思って動き出すことを、国が敵視して潰しにかかるかといえば、むしろ望んでいる部分もある(負担軽くなるしね)。

 またそれは、近未来の日本の現実的な落とし所としても理に適う。どっかーんのハードランディングを避けて、ソフトランディングさせていこうとするなら、そのあたりがリアルな着陸地点になるんじゃないかなと思います。もう皆さん自分で頑張ってください、出来る限りのサポートはしますからって感じですか。


 テラスハウスが有名ですが、要は古い長屋で、東京下町の長屋であったり、京都の町家みたいなもんですが、それぞれに改築を重ねてて個性あります。


 裏通りにもオシャレっぽい店があったりします。


 が、昔ながらの町工場のような、手作り系の作業場もあったりして。


 当然、こういう面白い店もあったり。



 いい感じのカフェも。



 文責:田村




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