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今週の一枚(2016/11/14)



Essay 799:「普通」であることの罰

〜アメリカ大統領選と中産階級の没落

 写真は、ハーバーブリッジの北詰。Milson's Pt駅前の一角。
 日本とはやや異なり、どこ行ってもフリーなベンチスペース、さらに机が置かれてたりします。事務所移転計画において、別に相談するだけだったら、何がなんでも自前のスペースでやる必要もないんだよなー、これだけ一般インフラが充実してたら使わない手はないよなーと思ったりもしています。

 また、こちらに留学その他で来られている方、勉強はなにも図書館とか自室とかでやらなアカン義理はないのですよ。それに人間の記憶のメカニズムからいって、毎回場所を替えているくらいの方が、記憶効率は遥かに向上しますからね(一つの記憶にリンクする付帯情報は、それが数多く、よりユニークである方が良い〜ちょうどこれを覚えているときに外を焼き芋屋が通っていって食べたいなーと思った、、、とかいうリンク記憶にすると忘れにくい)。

設問自体失当

 病み上がりなので簡単に。
 先週のアメリカの大統領選、「まさか」(人によっては「当然」)のトランプになったわけですが、個人的には「へえ?」であり、そして「やっぱ、相当たまってんな〜」というのが素朴な感想です。なにが「たまってる」のかといえば「没落していく中産階級の恨み」です。あるいは「どうにもならない閉塞感」といってもいい。

 ただ、これ簡単に絵解きできるほど単純な構図ではないですよね。色々な要素が複雑に入り組んでいるにも関わらず、シンプルな二択問題にしてしまっているから滅茶苦茶になっている。これが入試問題だったら「設問が間違っている」ということでボツ問にしてもいいくらいだと思います。

 いくつかの要素というをランダムに並べてみると、

要素1:資本主義の過剰性と限界性

(1)資本主義という金儲けシステムが過剰に発展しすぎている弊害
 これには、
(1a)とにかく儲かりゃいいということで、人件費や材料費を徹底的に圧縮するから賃金は下がり、労働市場はブラック化し、下請けは虐められ、工場は国外に出ていく傾向
(1b)同じく儲かりゃいいの論理で、できるだけ法人税を払わないで済むように芸術的なまでの租税回避技術を先鋭化させていくこと(+パナマ問題のように限りなくいかがわしいタックスヘイブンなど)
(1c)頑張って優秀な製品を開発し、より安価に売ってもうけるというスタンダードな商売の王道から逸脱して、バクチ(投資/投機)の方がその数万倍も楽に儲かるのでそっちに走る。実体経済なんか丸無視して金融経済が暴走し、リーマンショック以降国家の屋台骨を浸食していること(本来皆のための蓄えであった医療、教育、福祉、年金資金が溶けて無くなってる)
(1d)詐欺のようなニーズでっちあげ。マッチポンプのような政治、プロパガンダやマスメディアによる洗脳で強引にニーズを作り出すという邪道な商法(無理やり国際紛争をでっち上げて軍需産業で儲けたり、インサイダー市場取引で儲けたり)

 いずれも資本主義の本来の原理(利益極大化ゲーム)からしたら当然予想されるのだけど、テクノロジーや環境変化によってブレーキが馬鹿になっており、且つそれらが極端化している。結果としてその弊害(貧富格差の極大化)はかつてないくらい増幅し、その傾向が矯正される見込みはその制度そのものには無いこと。

 これは別にアメリカだけの問題ではなく、日本もそうだし、世界中どこでもそうだといっていいでしょう。資本主義と現国家体制というルールがおかしいのでしょうね。それが、より大きな構図としての(2)です。

要素2:大きな構図

(2)大きな構図として、これまでの発展維持システムは通用しないという背景
 資本主義の劇薬性は、昔っから認識されており、それなりに「処方注意」であれこれの制約がありました(労働法、独禁法など政治によるカウンター修正)。今もあるんだけど、もうブレーキがきかなくなっている。

 ブレーキがきかない理由は多々あるのだけど、一つは取り締まる側と取り締まられる側が談合して骨抜きになるという、昔ながらの財官民癒着や既得権化の強化です。全体にパイが減少しているから、どこもなりふり構わず生き残るのに必死で、大嘘は言うわ、データーは改竄するわ、ありえないような法律は作るわ、マスメディアは取り込むわ、それでも告発警鐘する人はこっそり殺しちゃうわ、メディアによる痴呆化洗脳で批判者たる国民を感情的で盲目的な存在に導くわ、なんでもアリです。こなってしまえば、もうブレーキなんかかける気がないです。

 なんでそこまで行っちゃうの?とさらに背景事情を考えるに、一つにはテクノロジーが進化しすぎちゃって、本来の想定を超えてしまっている点があるでしょう。例えばグローバリズムの進展。昔のように海運オンリーで嵐や台風でときどき沈没してるくらいの状況だったら、人件費の安い国に発注して〜ということが出来なかったわけです。確かに賃金は安いだろうが、そこまで仕事(材料や工場)を運んでいる間に難破したり、時間かかったり、現地で戦争が起きてってコストかかりすぎる。でも今は自動航行で船員も極端に減って海運コストも安くなってるし、競争激化で造船価格も安い。LCCで安い飛行機便も出てる。第三世界の内戦も減ってきてるから発注先の新興国の選択肢もかなり増えてきている。

 あるいはデジタル化という点もあります。それまでのようにアナログで作って、えっちらおっちら運んでたものが、デジタルデーターでネットでシュッ!だったら、東京から九州に発注するのもパキスタンに発注するのも同じ。そしてデジタル技術や記述の向上によって、いろんな仕事がデジタル記述できるようなった。初期におけるカーボン紙はさんで手書きでシコシコやってたのが最初にひとつデーター入力してデーターにしてしまえば使い回しがきく。同じように設計図広げてやってたのがCADデーターに済む。細かな写植職人芸がDTPで失業し、さらに工場現場の旋盤芸などが3Dプリンターで要らなくなる。要はデーターがあればいい。さらには、保険医療のレセプト処理だろうが、アニメの原図だろうが、なんでもデジタルデーターとして分離し、地球のどこへでも瞬時に外注できるようになった。地味だけど大きな変化。

 また発展途上国の産業進展が画期的に楽になったという点もあるでしょう。昔は「産業を興す」というはドエライ話で、まず港湾作って石炭運びいれて、鉄道を延々つくって輸送インフラを作り、発電所を作って電気をおこし、ジャングルのなかに送電線を張り巡らして電力ネットワークを作り、さらに人材育成のために津々浦々に小学校から作って、教師人員を養成して、、、って、膨大な手間暇かかった。だから新興国が先進国に追いつくのに30年とか半世紀かかったし、先進国絶対有利だった。でも、今のコンピューターのデジタル処理仕事であるなら発電所なんか要らない。PCだけなら太陽電池で即OKである。30年もかけなくても今日からでもできる。またその技術の習得も、ネットで基礎を学べば基礎作業くらいはすぐに出来るようになる。

 第二に、先進国が創業者&先行者利益を得るためには、これまでとは全く次元が違う画期的な新製品を開発し続ける必要がある。ちょっとやそっとでは真似出来ないエリアをどんどん開拓すること。これまではこれが出来た。飛行機が飛んだとなったらもう戦闘機や旅客機を作り、家電製品が出来たらどんどん広がり、巨大コンピューターを作ったら、すぐにパーソナル化し、ネットワークし、携帯電話が出来、、と。だけどもう頭打ち。ここ20年くらい巨大な飛躍はない。iPhoneくらいだけど、携帯電話そのものは20年以上前からあったし、ゼロから何かが生まれたわけではない。そしてiPhoneに匹敵するくらいのものすら出てきてない。多分あるとしたらAIだろうけど、これがまた人類の職業を脅かす劇薬だったりして。

 これらを考えると、どうみたって先進国は没落するしかないです。叡智を結集してより優秀な商品をより安価にという「正攻法」が頭打ちになってる以上、後は日に日に追い上げられるしかない。だからこそ、(1)のa-dでみたような、正々堂々の発展よりもセコい邪道に走ってるのでしょう。王道がダメだから邪道でいくしないと。逆にまだ正攻法でいける業界エリア(例えば日々研究開発が進んでいる地味だけど発展性のある高度素材産業とか)は、そこまでひどくなってないとは思います。

 私見によれば、だからこそ、とっとと次の段階に進むしかないです。経済的発展・成功と人々の暮らしや幸福とのリンクを叩き切っていく(or 薄めていく)方向性です。経済的、商業的に成功してないけど、でも日々の暮らしや幸福感はそれとは別にちゃんと得られるという方向性であり、360度システム的にそれを可能ならしめるような条件(マインドも含む)整備ですわね。まあ常に言ってることではあるが。実際そういう流れになってるとは思うのだが、メインステージではまだまだでしょう(特に感度の鈍いマスメディアは)。


要素3:個々人の価値観や立場

(3)主義、価値観、立場など
(3a) これまでの価値観や生き方に従っていた真面目な中産階級
(3b) 保守本流にあぐらをかいて、あんまり努力してないから落ちこぼれてしまった階層(いわゆるWhite Trashといわれるダメ白人)
(3c) 社会的マイノリティ〜人種、宗教、性別、性的嗜好、新参者(移民)
(3d) 経済的潮流にうまいこと乗れているいわゆるエリートや勝ち組だが明日はどうなるか分からない層
(3e) なんらかの意味で既得権構造の一角を占め、あるいはその種のシステムを作り、支配する層
(3f) 経済的立場はどうあれ、人道主義や理想的な価値観を重んじる人達
(3g) おなじく貧富に関わりなく、自己愛や自己中心的な価値観に偏っている人達(いわゆるレッドネックの粗野な差別主義者や、あるいはなにかに凝り固まった原理主義者)
(3h) 時計の針を昔に戻すレトロスペクティブな人々。保護主義、鎖国主義、懐古趣味になる。
(3i) 時計の針を逆にどんどん進めるべしというプロスペクティブな人々、これらは過渡期の苦しみであるからとっとと早めて次の展開に進めていったほうがいいという人達

マトリクスのバトルロワイヤル

 ざっとこれらの要素が、順列組み合わせのマトリクスになって、それぞれの意見なり立場を作っていくのだと思います。
 例えば、まっとーに勉強して、努力して、働いて、家族と社会を愛していた善良な市民(3a)だったのだが、善良なるがゆえに労働ブラック化のあおりを食らってリストラ、失業、再就職も無理。もともと幸せな中産階級であったから、政治的にも(3f)的に博愛的・理想的な中道であった。しかし自分が追い込まれていくと徐々に(3g)の方向に進む。リストラ前のそこそこ裕福だった頃には物分かりの良い紳士だったのが、食うや食わずに追い込まれてしまえば「ばかやろー」というスサんだ気分にもなるし、「こんなに頑張ってる自分は悪くない」「どっかに悪者が居るはずだ」という正当化や理由付けのために「悪者」を作ろうという心理になったりして、それがグローバリズムや、勝ち組や、ワシントンの高級エリートやウォール街の連中だったり、自分らの職を奪った(と思ってる)移民の連中だったりする。

 逆に社会的にマイノリティで差別で苦しんできたからこそ、人一番頑張って、今ではエリート的な立場にたち、さらに未来志向に進んでいく人達もいます。例えば、移民の一世二世はそういう人達が多い。彼らがよってたつ価値観は、社会のマジョリティには立ち得ないがゆえに、土着ローカルな保守本流な価値観よりも、より人間に普遍的な原理に立つ傾向があり、それゆえ理想主義的になる場合が多いような気がする。

 もっともこの立場だからこう、、というものじゃないです。家庭や知人環境など、生来的な性格などによって、最終的な意見や立場は変わっていくでしょう。

 んでも、こんなにバリエーションがあるなかで、クリントンかトランプかという二者択は、ほんと「質問自体失当」って気もしますな。これで選べと言われても、、という。

 いわゆる政治家としてプロの力量で言えば問答無用でクリントンの方が高いでしょうけど、それがプロフェッショナルで有能で見えれば見えるほど、要するに「従来どおり」「何も変わらない」という守旧派の代表みたいに見えてしまう。じゃあトランプがいいのかというと、これがまた中産階級を蹴落としてきた張本人みたいな金持ち階層だし、言ってることも飲み屋で吠えてるオヤジというか床屋政談を超えるものではない。ただし、だからこそ(無能だからこそ)良いという。ものすごい価値倒錯が生じるのですわね。彼のポイントは破天荒で滅茶苦茶だというダイナマイト機能でしょう。従来のエリート達の話が通じないから、なにか新しい風穴を明けてくれるかもしれないという期待です。いつぞやの橋下知事みたいに、よくよく考えれば矛盾だらけというか、嘘ばっかなんだけど、でもダイナマイト機能が期待されるという。

いくつかの私見

中産階級は救われるか

 トランプが何をするか、どうなるかというのは全然わかりません。でも、ま、最長でも8年だし、長い世界史でいえばほんの一コマに過ぎないでしょう。あの猿みたいなブッシュだって8年やってたわけだし(それで泥沼になったわけだが)。また、この「わからない」というのが最大の特徴になるでしょう。ジョーカーというかワイルドカード性ですね。予測可能性が無い。だいたい、本人だって何をどうすればいいのかよく分かってないだろうし、人々の不満をアジって燃えがらせればいいだけだったら簡単なんだけど、自分が全権責任を負ったら、それが全部自分に返ってくるので、大変だろうなー。


 で、肝心な中産階級は救われるか?というと、僕は、いやー、ダメちゃう?という冷淡な予想をしてます。

 だって構造的に無理でしょ。製造業の復活とかいうけど、掛け声一つで復活するならこんな簡単な話はない。本国内の製造業が衰退したのは、それ相応の合理性あっての話であり、それを上回る「合理」を創造しないとそりゃ無理でっせ。例えば、iPhoneは数多くの部品を世界中の選び抜かれた製造メーカーに発注して組み立ててるからあの値段であの品質なのでしょう(それでもクソ高いと思うが)。そこを何が何でもアメリカの工場で作れとか言われたら端的に技術的に不可能でしょうし、無理に作ったら性能の悪い粗悪品を数倍の値段で買わされることになる。あるいは外から輸入するときに関税を山ほどかけるならば、小売価格は数倍になってしまって、そうなれば単に誰も買わなくなるだけでしょ。いまどき通販もあるし、海外に行ったときに買えばいいし、その昔日本で流行った平行輸入すればいいし。

 製造業が衰退したのは、一つにはコスト的に引き合わないからであり、工場を海外に移転させるなり、海外から輸入した方が同じ品質で安くできるからでしょう。だから国内の人々は、安価で優秀な製品を買えている。Daisoの百均なんかも基本海外生産が多いでしょう。それを何が何でも国内で作れといったら、結果として皆は高くてしょーもないモノを買うハメになる。逆にいえば、製造業が衰退したのは辛いことだけど、衰退した恩恵は今も受けているわけですわね。仕事だけ増やして、安くて良質なものを買うのはそのままで〜なんて「いいとこどり」は出来ないでしょ。

 ま、そんな簡単なものではないのだけど、原理はそう。無理やり皆のために仕事を作り上げたとして、その限りで失業率は下がったり暮らしは楽になったりするかしらんけど、そのしわ寄せは絶対どっかに出てくる。トータルでは変わらんだろ。てか、そうやって自国の保護貿易やってたら、自分が売り込みにいくときには相手の保護主義を批判はできんわね。そもそも先進国は自国市場が飽和状態だから、これから伸びていく新興国市場で頑張るしかない。だから保護主義やると損するのはむしろ自分らでもある。そこを自分のところに輸入はダメよ、でも自分が輸出するのはOKよ、みたいなずっこいやり方が受け入れられるハズがない。そんな無茶苦茶を受け入れてくれるのは、この期に及んで意味なくTPP可決に走ってる日本くらいなもんじゃなかろか?あの中国やロシアが「そうですか」で収まるわけがないわね。で、日本の市場なんかこれから縮小する一方だから大した旨味もないし。

 個別の政策をあれこれ言う能力もスペースもないのですけど、トランプさんが「いい人」で、本気で中産階級のためのなんかしようと思ったら、結局サンダースのような社会的な富の再配分くらいしかないと思います。それを「移民を排斥しろ」的な感情まかせのことやってたら、「結局なにをやってもダメじゃん」という「絶望のダメ押し効果」が最後に残るような気がする。そして、それは当の中産階級にとってかなり深刻なダメージになるかもしれないです。

移民の立場からすれば

 これ、真面目で善良な中産階級の可哀想な物語という捉え方もできるのですが、別の捉え方もできます。冷たい言い方だけど「自業自得じゃ」という。

 僕ら自身がオーストラリアの移民なので、その立場でも物が見えるのですが、「移民に仕事を奪われる」んだとしたら、奪われる方が悪いと思いますよー。だって、他人の国に行って、働くためのビザを取るのがどれだけ大変か、そして母国語以外の言語を勉強するためにどれだけの努力がいるか、そして実際に職を得て、そのなかでのし上がっていくためにどんだけ血ヘド吐くような思いをしなきゃいけないか。嘘だと思うなら、やってみ?ですわ。それだけやっても、土着のネィティブは総合力で桁違いに強力。彼らからみたら、いくら努力しようがしょせんは外国人の移民なぞヒヨワな草食動物みたいなもんです。そんなもんに仕事を奪われるって、よっぽどだろ?と思いますよ。

 ずーっと前にたまたま道で出会ったユダヤ人のおばちゃんと会話してたら、戦後に移民してきたという彼女が憤懣やる方なしってな調子で力説してました。オージーは怠け者だからどうしょうもない、この国を成り立たせているのは私達が頑張ってるからだと。かなり鬱屈してるようで、道端の会話にしては熱のこもった弁論だったわけですが、「へえ、そう思うんだ」と新鮮でした。でも、大なり小なり移民系は似たような感情を持ってるんじゃないかな。例えば、イタリア系移民にすれば、ワインにせよ、エスプレッソにせよ、ピザその他にせよ、この国の食文化を底上げしてやっているんは俺達だという強烈な自負があるでしょう。移民というのは本国ではエリートだった奴らが多いし、人一倍頑張り屋さんだし、そう思うだけの実質(やるべきことはやってきた)もありますから。

 つまり、正々堂々勝負して、、どころか何倍ものハンデを背負いながらそれでも善戦している人からすれば、「移民に仕事が〜」とか言ってる連中に対しては、「甘ったれんじゃねえ」「もうちょっと真面目にやれ」ってな感じだと思いますよ。だからアメリカでも、グローバリズムや移民にとか弱音吐いてるダメ白人に対して、黒人、アジア人、ヒスパニック、その他の連中は結構冷ややかな視線を浴びせてるんじゃないかなー。

 一方、オーストラリアの場合、そうはいいつつも移民はオージーが好きだと思います。それは来た当初に本当に親切に接してくれたり、あれこれ面倒みてくれたり、広い度量で受け入れてくれたという恩義を忘れてないからでしょう。また人間的にも本当に愛すべき人達ですからね。だから「あーもー、こいつら」とか思いながらも愛してるんだとは思う。自分らだったらここまであけっぴろげには受け入れられなかっただろうなーという意味では尊敬すらしている。だから、自分らが仕事を奪って、それで困ったりしてたら、何とかしなきゃって思う。多少税金高めに払っても、ボランティアしてでも助けなきゃって思う人が多いんじゃないかな。「自己責任」とか冷たく切り捨てる声が、日本に比べてこちらは格段に小さいのも、そのあたりもあるでしょう。また、そもそも経済的成功など人間の価値のほんの一部でしかないという、建国以来のオージー的な価値観(まあ流刑囚の吹き溜まりから始まってるから「成功」もクソもないわね)が浸透していることもあるでしょう。

 で、アメリカの場合、そのダメ白人の言うとおり政権取らせてみて、お手並み拝見になるわけだけど、まあ多分何をやっても閉塞状態は抜けられないし、それを誤魔化すためにもっと滅茶苦茶になったりするかもですが、そうなるに連れて、それまで彼らに対してどっかしら「可哀想だ」「なんとか助けてあげないと」という同情的だった部分が引いて、逆に「こいつら本当につかえねーな」「こいつらこそ元凶だ」みたいに冷たい視線が一層冷たくなるとか?

見えてない 

 下馬評ではクリントン圧倒的に有利だったわけですが、蓋を開けたら全然違った。ここでアメリカのメディアがちょっと偉いなーと思うのは、即座にちゃんと反省してることです。「我々の目は節穴だった」とザンゲしている。まあ、個々人のレベルでは、「俺もそう思ってたよ」と後出しジャンケン的な見苦しいこと言う人もけっこういるんだろうけどさ(笑)。

 でも、ほんと節穴だったってことですよね。僕個人は、さっぱ分からんなーてな感じでしたし、ヤケクソレベルの変革意欲が強いか、それでもさすがにあのオヤジはねーだろという良識的なところが強いか、微妙なところだろうなーと。ただね、前にも何度か書いたけど、「アメリカ経済は堅調に〜」とかいう経済記事の胡散臭さはあります。FRBの利上げ観測が〜とか、雇用統計が〜という市場の動きの空虚感というか。いつだっけな1年くらい前に、アメリカのフードスタンプ受給者が5000万人という数字をみつけてビックリしたことを書きました。5000万人ですよ?配給食料をうけるという難民一歩手前みたいな人達が5000万人。まあ困窮状態は人それぞれだろうけど、それでも困ってないのに配給は受けんでしょ。3億の人口で5000万人というのは6人に一人です。絶対数でいえば、日本人の約半分、関ヶ原か箱根の関を境にしてあっち半分が全員ホームレス一歩手前だってことで、これって途方もないことじゃないの?と。にも関わらず、「米経済は一貫して力強く復調し」とか書いてるわけで、「あれ?」とは思ったです。そんな筈ねーだろ?数千万人もの自国民に配給食料くばってながら、復調もクソもないだろう?という素朴な疑問です。

 つまり、そのあたりの普通の人達の実情が、大手メディアのエリート記者さんには全然見えてなかったってことだし、経済を反映するといわれる各種金融市場が、実は全然「反映」してなかったということでもあります。

 もうちょっとわかりやすくいえば、大手メディアの書く世界は、現実の世界とは全然ちがう幻想物語のようなイリュージョンであって、信じたらあかんよ、ということです。と同時に、株価があがったから景気が〜とかいうのも、同じくらいスカタンだということです。株とか金利とかそのあたりの数字は実体景気となんの関係もなく、その関係の無さは、競馬でどの馬が一番人気かとか、大相撲で誰が優勝するかということと、世間の景気がなんの関係もないってくらいに関係ないってことじゃないかと。

 ちなみに「6人に一人」というのは、日本の貧困児童と同じ割合です。その比率を過小評価していたメインストリームが節穴で今回ドンデン返しを食らってるということは、日本でも同じことが言えると思います。このくらいの比率になってきたら、もう天地が逆さになるようなドンデン返しが来ても不思議ではないよと。

普通の罪と罰

 時代が変遷すれば、それまでの体制にどっぷり浸かっていた層が没落します。古今東西、常にそう。明治維新があれば、新しい環境でチャンスを見出し、日本全国の津々浦々の寒村の水飲み百姓の三男坊とかいう限りなく存在価値がなかった人達が澎湃として湧き上がり、上京し、ありえないくらいの刻苦勉励をして立身出世し、近代日本を助けた。初期の大学(東京大学がまだ開成学校とかいったり、さらにその前進とか)は、初日の講義からいきなりドイツ語でやるとか無茶苦茶なんだけど、それでも食らいついていった。

 が、武士階級というだけであぐらをかいてた大多数は、士族身分の撤廃で一時金をもらっても、士族の商法でスッテンテンで乞食化したり、不平士族の反乱とかやっても結局は本流になれなかったり、屯田兵に駆り出されてえらい目にあったり、満州あたりの大陸浪人を気取って、現地の人はおろか同胞日本人からも忌み嫌われた。

 要するに使えねー奴は、とことん使えねーなという、身も蓋もない話なんだと思う。キツイ言い方を敢えてしているわけですが、でも、ここは誤魔化しちゃダメだと思います。同じ状況でも、時勢を見抜いてちゃんと積み上げる努力をしていった人も沢山いるわけですからね。時代の犠牲者のようなルサンチマンはわかりますし、同情もしますけど、だけど負けるべくして負けているというメカニカルな構造もあるわけですよ。彼らのルサンチマンに同情したり、集票やら売名にに利用したりすることはあっても、彼らの言うとおりにやってたら、まあドツボにはまると。そのあたりが無能だからこそ負けてるわけだもんね。

 ただ、これらの変化を、ごく普通の一般市民、それも善良な市民の人生観からすれば、本当に裏切られたような気分になるでしょう。これまで親や上の人の言われるまま、世間の言うままに、ちゃんと真面目にやってきたのに、それが全否定されてしまうわけですから、やってらんないでしょう。一方、最初から社会のマイノリティで被差別的な立場にいた人達からすれば、そもそもの出発点が敵対環境だったわけで、世間が望むように、言われるまま「普通」にやってたら貧乏くじ引かされ続けるしかない。だから必死に考える。本流市民が路頭に迷って困るところを、彼らは生まれながらにして路頭だったからタフさが違うし、世の中が乱れて、亀裂クラックが走れば走るほど、生き延びるチャンスが増えると見るからWelcomeでもある。その差はあるでしょう。

 時代のパラダイムが変わるというのは、たぶんそういうことなのだろう。
 安定期においては、マジョリティ=正義みたいな世界で、「普通」であることが美徳であり、普通美徳を実践してきた人にはそれ相応のご褒美も用意された。ところが変遷期になると、「普通」であることは必ずしも正義ではなくなる。むしろ時代遅れとして冷や飯を食わされるハメになる。そして彼らが報われることは、歴史のあれこれを見ていても、およそ無い。

 もっともだからといって、世間の望むとおりに普通であることが、非正義になったり、犯罪や悪になったりするわけではないと僕個人は思いますよ。それが「罪」として指弾されることもないとは思う。ただし、悪でも罪でもないにも関わらず、しかし「罰」だけはあるという。それが変遷期における(変遷期でありながらも)「普通である罰」なのだろうと。時代が変わって、中産階級が変質していくということは、そういうことなのだろうなーと。

 そんな時代の新しい処世術は、「皆と同じようにやっとけ」ではなく、「皆と同じだったらヤバい!と思え」でしょう。マジョリティがそっくりそのまま地盤沈下していく時代の、それが処世術だと。これって慣れてないと難しいです。そ、そうかと思って、本屋いって買い漁ったり、ネット調べたり、雑誌の特集読んだり、、って行動は全て「アウト」です。だって他人の真似しようとしてるんだもん(皆と同じようにしようとしている)、その時点で死んでいる。

 日本の大きな変革期、明治維新と戦後、そして3つ目だと言われてますが(バブル崩壊時期から25年以上言われているが)、明治は武士というプロ政治から全員参加型になったところが画期的だった。戦後は、GHQなど国民以外の力によって財閥解体や農地解放が行われた点が違った。ただ、いずれも「これからこのルールでやりまーす」という「上からの指示」はあった。第三の今回の画期的な点は、「指示なし」である点だと思います。待ってても誰もなんにも指示してくれないよと、待ってるだけなら落ちていくだけ。だから待たず、他人に期待もせず、自分で価値観や世界観を再構成し、自分でルールを作って、自分でリスク背負って動けるかどうか。誰にでもできることではないのだが、それが出来る人は世の中にちゃんといるし(実は結構いる)、そういった人達が生き残っていくんだろうなーと思います。

 でも、これ、難しいようだけど、実は簡単だぞ。自分でアートやったり、漫画描いたり、バンドやってる人らにとっては当たり前の行動だもん。起業もそうかな。技術水準としては他人の真似をするし、学びもするけど、でも最終的にはオリジナリティを出さないとダメじゃん。人と同じじゃ存在価値がないわけですからねー。いくら綺麗に模倣しても「なに、これ、まんまパクリじゃん」って馬鹿にされて終わりですから。自分でお店やったり、あるいはブログ作ったりにせよ、他人と同じようにやってたらダメなわけで、そうではなく他人から一発で認知してもらえるだけの強烈な個性(質の伴った)が必要だと。それと同じことなんだから、こんなん簡単じゃん。中学生の文化祭バンドでも出来るぜと、僕は思うのでした。





 これはBalmainの公園。このベンチで地元のおっちゃんとおばちゃんが、何やら真面目な「商談」をしてました。こういうところで商談というのがいいよね。


 同じくBalmainの公園。ランチ食ったら旨そうな。




 文責:田村




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