What's Next
前回、数年前からアメリカその他の先進国で静かにひろがっているシェアリング経済やマイクロ・アントレプレナーについて簡単に紹介しました。今週はそれに対する私見によるコメントです。
まずこの動きが先進国の一部の連中、それも感度のいい連中に広がって、一つの流れとして理解されているのはなぜか?です。シェアリング経済って、言ってみれば「売ります/買います」掲示板が洗練されてるだけで、やってることは古臭いことじゃないかって見方もあるのだけど、そうではなく非常に未来的な試みであるという理解もある。
まあ、このあたりは、その人のものの見方一つなんだと思います。どのようにでも見えるでしょう。でも、僕からは非常に未来的なベクトルに見えるし、やってる側の意識や主張としてもそうです。それは例えば前回翻訳して紹介した
The Rise Of The Micro-Entrepreneurship Economyに端的に記載されています。
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"Certainly the move away from the 9 to 5 and toward self-employment invokes a host of ideological, political, and social enthusiasm that have helped give rise to a movement. The Occupy Movement and a growing mistrust in government further swells the fervor around a new economy, amplifying the message that change is imminent and necessary. But the reason micro-entrepreneurship platforms are growing in size and variation is because it’s an economic imperative."
9時〜5時仕事→自営業への人々の流れは、理想や政治や社会的な熱意をも生み出すし、それがまたムーブメントをより盛んにする。オキュパイムーブメントや政府への不信感は、新しい経済の波を励起し、改革が必要であり差し迫っているというメッセージを増幅させる。ミクロ起業家の規模や種類の著しい増大傾向は、この経済の必要性によって生じている」。
個人的なシンクロ
しかし、まあ、話がデカすぎて、日頃からこういうことを考えてないと分かりにくいでしょう。僕にとっては身につまされるくらい分かる気がするのは、多分に個人の人生とリアルにシンクロしてるからだと思います。
話は1999年という15年前に戻るのだけど、このエッセイの前身になった「シドニー雑記帳」のなかで、
「なにかとやりにくくなりそうな地球のこと」という拙文を書いてます。当時、僕は39歳で人生の折り返し地点を過ぎた感があり、且つ徒手空拳で外国にやってきて起業してとりあえずメシが食えそうって所まで来た地点です。人生のヤマは登っちゃった感、それも弁護士と海外起業とで二山も登って、もう山登りは飽きたよ、3つ目を設定しても燃えないぞ、「この先どうしよう?」「What's next?」感がありました。と同時に、気づいてみれば、世界人類の歴史も資本主義が行く着くところまでいってて「この先どうするの?」という見えない感じがあり、それがすごーくシンクロして見えたのです。
個人レベルでは、「なにかスゴイことをやって自己実現」という中核原理から、「何にもしなくても自己実現」という具合に中核原理を組み替えるという作業をしました。それをあれこれ考えていた時期が上の「僕の心」10回シリーズです。世界もまた同じように完全にゼロから中核原理を組み替えるくらいでないと乗り越えられないだろうなって。
以下、現在の人類社会の煮詰まりについて簡単にまとめます。似たようなことばっか書いてるので読んでて飽きるかもしれないから、タックしておきます。お時間のあるときに開いて読んでください。
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資本主義って言うならば「お金主義」でしょう?お金持ってる奴が絶対強いという主義。それはゴールの地点でどれだけ持ってるかを競うという意味ではなく、お金を持っているほど競争が有利になるという意味です。ゲームのルールとしてそうだと。野球のルールでいえば、所得が低いと1球空振りしただけでアウトになり、金持ってると100回空振りしてもまだ打席に立てるようなものです。極論なんだけど、本質はそうじゃないかな。
そして貧富の二極化を促す。副作用としてそうなるのではなく、本作用としてそう。だって、時給1000円の仕事があるとして、実際にはその労働によって1200円儲かるからこそ人を雇う意味があるわけですよ。わざわざ損するために人を雇う馬鹿はいないわけで、「経済的合理性」でいえば「搾取」できる(儲かる)からこそ人を雇うわけで、雇用というのは本質的に搾取的契機をはらむ。いや、リアルには「月給泥棒」的な場合も多々あるし、給料分働いていない人もいっぱいいるだろうけど、でも本質はそう。だから頑張って働けば働くほど、従業員が100万収入があれば、雇用主(会社)は120万儲かる。これを長期間やれば、そして世界規模でやっていけば、どんどん貧富の格差が生じてくると。もうどうしようもなくそういうゲームなのだと。
それはもう19世紀の頃からわかっていて、だから社会主義と修正資本主義の二つの流れになってきていて、とりあえずは修正資本主義(労働法やら独禁法やらで資本主義を解毒する)が主流。ほんでも科学技術の進展によってグローバリズムが本格的になってきたら、もう国家レベルで解毒・調整することが難しくなった。そして金融経済。80年台後半のバブル以前くらいから世界で動いているお金のうち実体経済によるもの(商品決済とか)は数%に過ぎず、圧倒的大多数は金融経済、つまり投資投機のための資金移動です。世間に100万円の金が出回っていて、まっとーな取引(大根一本で100円玉が動くような)にもとづくのは1万円かそこらで、あとの99万円はバクチの賭け金があっちゃこっちゃいってるだけ。実態から金融が遊離してきて、バブル崩壊、また性懲りもなくリーマン・ショック、そして今も結構やばくなってる。で、コケたら国民の血税をドバドバ注ぎ込んでバクチ打ちを救うという。なにやってんだか?です。
でもって、さらに「利潤の極大化」という絶対強欲ドグマがあり、こうすれば儲かるという方法を極端に洗練させていけば、お金を儲けるために国家や社会を動かすという話にもなっていきます。兵器を売るためにわざと因縁つけて喧嘩させてみるとか、オリンピックとか大イベントを仕掛けるとか、またその決定をする世界機関もまたお金によって転ぶから、結局は利潤極大化って流れにドドドと押し流されてしまい、国家や社会によってその毒性を除去するというカウンター機能どころか、国家が金儲けの道具として使われている本末転倒な状況にもなりがちであると。
でもって、アメリカさんも911の煽りにのってイラクに出兵すれば泥沼で、笑ってるのは軍需と石油。そりゃそうだよね、他人の家に入って喧嘩吹っかければ武器は売れるし、それで石油が高騰すれば一粒で二度美味しい。それとあり余った資金を回転させて「金が金を生む」金融業界。あとは貧困化が進む。普通の企業にしたって次から次へと新興国が離陸して安価な製品をだしてくるから死に物狂いで頑張るし、コストカッティングのためにアウトソーシングはするわ、デジタル・オートメ化はするわで同胞国民をリストラしまくる。でもって租税回避措置を取るために本社をアイルランドにもっていったりするから、母国に税金も払わない。かくして自動的に先進国民はどんどん窮乏するしかない。
その中で個人が生き抜こうと思ったら、もう滅茶苦茶勉強して超エリートになって、「あちら側」に行くしか無い。しかしあちら側の席もどんどん減ってくる。1%の勝ち組が0.1%の勝ち組になって、、って感じで、そこにいくまでに膨大な奨学金負担を背負い、ほとんど住宅ローンののように奨学金返済のために働き、それですらリストラ食らって破産という、なにやってんだかって状態になる。
いわゆるシェア経済のベースになっているのは、こういう時代認識があるわけですね。これらは僕個人が日本を出る前から20年以上感じていることであり、程度の差はあれ世界の誰もが感じているものだと思います。
社会革命
「オキュパイムーブメント」というのは、ご存知の1%の勝ち組と99%の負け組という社会のありかたへの一般市民の異議申立てであったOccupy Wall Street運動のことです。このときは、ただゾロゾロと集まっただけで、これといった発展性もないまま終息していったと伝えられてますが、そうではないと思います。「What's next」が目に見える形では分からないから形にならなかったというだけのことで、問題意識はそのまま持続しているし、現場では「人類はどうしたらいいのか?」ということで相当議論が重ねられたでしょう。
その答の一つが、このシェアリング経済と名付けられた一連のムーブメントだと思うわけですし、実際上の文章ではそう言っている。だからこれは単なるビジネストレンドの話ではなく、社会革命の話であり、政治でもあるのでしょう。このような文脈で語られるときは(そのほとんどが英語文献だが)、「collaborative(共生)」「Peer to Peer」という用語が使われ、さらに端的に「movement(運動)」「revolution(革命)」という言葉すら頻用されています。もっとも「革命」といっても、フランス革命とか、全学連の「我々は〜」ってノリでは全然ないです。なんでもそうだろうけど、新時代のものというのは旧時代の概念からは理解できないもんでしょう。
この流れは新自由資本主義の負け組がやっているというよりは、僕の直感だけど、むしろ勝ち組がやってるような気がしますね。つまり「勝った気がしない」んだろう。「こんなクソゲーで勝ってもなあ」って。実際、奨学金借りて必死に勉強してエリートになったところで、例えば死の商人まがいの国際謀略の使いっ走りやってるだけか、どっかの金持ちの金を増やすためにあれこれやってるだけという。中東のオイルダラーの大富豪っつったって、たまたまその血筋に生まれて、たまたま自分の庭から石油が出ただけの石油成金にすぎず、既に100回生きても使い切れないくらい金持ってて、その総資産の0.1%増やしてやるために、夜も昼もプライベートも全て犠牲にして働いて働いて働いて、、アホらしくなってくるんだろうなあ。だもんで「人類ってこんなに馬鹿なの?」って深刻な疑問も出てきて不思議はないですよ。もともと頭がいいし、プライドもあるだろうから、こんなことするために俺は生まれてきたのか的な感慨も抱くでしょう。
実際、これら新しい波のサイトを見て思ったのは、最初に作ってきた連中ってバケモノみたいに頭がいいなと。IQ180くらいありそうなくらい。だって、複雑なビジネス環境あれこれを、割り切るところはバシッと割りきってE=MC2みたいなシンプルな最適解を導き出しているもん。それに肝っ玉も座ってる(飛び抜けて頭がいい奴って大体そう)。2年とか5年レベルでは変わらないけど、20年スパンになると今の世の中ひっくり返すかもしれないし、彼らは明確にひっくり返す気でいると思う。言葉の端々にそれが窺われるし。
何をどうひっくり返すかといえば、これは色々な表現の仕方があると思うのですが、僕のいつも使う好みの言い方でいえば、
「人間ひとりが幸せになるのに、そんなに大げさな仕掛けは要らない」ってことでしょう。国家って何のためにあるの?てか今の時代、要るの?そもそも社会って何のためにあるの?どういう人の群れ方とつながり方がいいの?現状から未来のテクノロジーと資源・自然・政治環境を前提にして、人類社会の最適解は何になるの?ってことでしょう。そして今のシステムでは対応できない。じゃあどういうシステムにするか?というと、人が幸せになるための必要資源(お金、時間、人)を、それぞれ最小限の努力で最大限獲得するになるようにすれば良い。そしてそれらが全部ミックスされた現実において抱く生理的な感覚が気持良いものでなければならない。幸福感を醸しだすようなものでなければならない。それはなにか?です。
つまり、旧来の国家があって、社会があって、お金というものがあって、、、という根本律からひっくり返す気でいると思う。また客観的にひっくり返せるし。そして遠投みたいに当て推量で思うに、おそらくこれと平行して立ち上がっていくのが通貨革命じゃなかろうか。ビットコインの第二、第三、より精巧で、よりしたたかで、より使いやすい最適解を世界の誰かが開発していくだろう。そして静かに浸透するかも。それが現在の国家の終焉と脱皮になるかもです。なんでかって?国家権力の根本である通貨高権を奪い、お金の流れが見えなくなるからです。端的にいえば税金入ってこないからただの破産財団になっていくしかない。
もちろんそんなことを既存の体制が許すわけないから猛烈に反撃に出るでしょう。リアルタイムには、第二ステージのバトルが始まりつつあるってところですかね。前回、Airbnbなど新興ムーブメントを紹介しましたが、あの企業数って爆発的に増えてきて、
This Cool Honeycomb Beautifully Breaks Down the Sharing Economyで紹介されている図(わかりやすいです)を作成するために参考にしたのが
9000社+αのリストです。それも
Meshにリストアップされているものだけで、実数は優に万単位になっているでしょう。そのくらい爆発的に増えている。これが第一ステージだとしたら、ここまで影響力が強くなったら、旧体制も真剣に対応するようになるし、いろいろな批判や検討も加えられるようになっている。ま、現状はこんなところでしょうか。
How does it work?
ちょっと走りすぎたので、これがなんでこんなに受けているのかという根本からやりなおしましょう。
これらシェア経済・コラボ経済のやってること自体は古臭いことです。全然新しくない。宿シェアのAirbnbだって、要するにペンションや民宿やシェアだし、TaskRabbitだって"handyman(家の修繕なんでも屋さんで英語でそういう)"やベビーシッタの仲介だし、カーシェアだってレンタカーとか個人タクシーですわ。教育関係でいえば家庭教師であり、料理でいえばケイタリングサービスです。全然目新しくない。
C to C
これらは一種の紹介業ビジネス、マッチングビジネスって呼ばれるものだけど、だけど本質が違う。何が違うかといえば、旧来のものはどこまでいっても紹介業という B to C だったのだけど、これらは C to C である点。顧客と顧客が直接取引をする。中間者は排除です。その意味でいえば掲示板の「売ります/買います」に原理は一番近い。しかし、掲示板だと品質保証が出来ないのですね。また取引のルールもその都度当事者が自由に決めるから悪徳業者が入り込む可能性もある。だから、個人取引は掘り出し物に当たる可能性もあるけど、基本的に恐いものである。それを共通のフォーマットで均して、誰でも参加できるように可視化している。あらゆる取引を想定し、骨格になるエッセンス部分を抽出してシンプルな形にしている。これ、口でいうほど簡単な話ではないです。相当頭いいな〜って感心したのは、幾何の証明のように複雑なものがシンプルに美しくなっていく部分です。
例えば、
Lfytのように「どこでもタクシー」みたいなサービスの場合、とんでもないドライバーに当たって恐い思いをしたり、事故るかもしれない。だから参加登録するためには、ドライバー個人の運転歴と無犯罪歴、さらに車両検査、保険などのハードルをかます。それだけではなく、レイティングシステムがあり、乗客と運転手それぞれが相手を評価する。5段階評価で3以下にした相手とはもう二度とマッチングしないようにする。運転手にいたっては、5段階で平均点が4.6以下になった時点で運転手登録からは外される。言わば相互監視をかけることでクォリティを下げないようにしている。そして、iPhoneのアプリで近くの運転手を探すわけですけど、そのときに誰であるとか、車両とか、レイティングはいくらかというのが表示される。
実はIT産業でもある
このシステムの中核にあるのは最新のテクノロジーであり、Lyftの場合は専用のアプリでしょう。料金も完全キャッシュレスで、客のクレジットカードから会社が手数料をとり、残りは運転手に支払われる。だから運転手にしてみれば客のアイデンティティも料金の取りっぱぐれもない。運用においてはGPSシステムがものをいうのでしょう。利用者の現在地と周辺のレディになってる運転手の位置情報の表示、コンタクト、そして両者のGPS信号をトレースしていけば、どこからどこまで何分乗ったのかはデーターで全部あがるから料金もしっかりわかる。いかにそのアプリを組み上げるかが企業活動の中核にあるんだろうな。また、本部に刻々と寄せられる膨大なデーターを処理する必要もある。3点以下はマッチングさせないというのも、それ相応のアルゴリズムを組み上げているはずで、これ仕組的には自動車とか運輸産業というよりも、データー処理産業=IT産業といってもいいくらいでしょう。
ビジネス水準
また経営方針ですがこれも骨太ですね。スマホがなかったら成立しないし、スマホを持ってない(使いこなせい)人は最初っから対象にしていない。そこはもうパンと割り切ってる。またFAQを見てると、ありとあらゆる場合が想定されており、それでもトラブルは生じるだろうから、そこは保険でカバーし、さらに漏れたものについては、もうひっかぶる覚悟でいるんだと思う。例えばデーター的には問題なくても、車中で口論になり、殺人事件が起きてしまいましたって場合だってないわけじゃない。そのときの会社のリスク管理として顧問弁護士やリスクマネジメント専門会社にも頼んでいるでしょう。メディア対策も当然。総じて言えば、現時点での世界のビジネスの最高水準くらいのワザはひと通り使えているのだろうし、使えないと成立しない。多分勝ち組がやってるだろうなって思ったのは、そのあたりに精通してるっぽいからです。思いつきを形にもっていくだけの十分なビジネス知識と経験があるだろう。
利便性とプチ起業的な面白さ
そして最も大事なのは、何のためにこれをやってるの?といえば、おそらくはお金儲けだけではなく、ある種の革命意識や使命感があるのだろう。だってこれだけ出来たら、普通にエリートして年収数千万稼ぐのはワケないでしょうからね。主目的は別にあり、それがシェア社会やコラボ経済。
これって、とりあえず利用者にとっても便利です。どんな運転手のどんな車に頼むのか、やってくるまで5分かかるとか10分かかるとかも表示されるから安心。それに料金設定も他の手段(タクシーなど)よりも競争力のある安めに設定されているだろう(これもアルゴリズムを組み上げるんだろうな)。それにより何より、およそタクシーがありえないような場所や時間であっても、可能性を探せるってこともポイントでしょう。
しかし運転手にとっては尚のことメリットが大きいし、こっちがむしろ主眼でしょう。自分の空いてる時間と、空いてる資産(車)と空いてる技術(運転や地理)を有効に活用することが出来るからです。仕事から帰って寂しくテレビを見てるときとか、ヒマもてあましている休日とか、アプリでドライブモードにしておけば、いつ何時小遣い稼ぎが出来るかもしれないからです。失業中で頭を抱えているようなとき、臨時収入はうれしいでしょう。それに頑張ってナイスに接すれば、レイティングは上がるから、そこはホステスと同じでご指名がかかりやすいから、プチ起業的な面白さもある。
あるいは日本のかなり地方にいったら、タクシーが流しで走ってことはマレで、普通は電話で呼ぶものですし、今でもハイヤーだけって世界もある。さらに辺鄙すぎて客がいないと(運転手さん一人がコンスタントに食べていけるだけのボリュームがないと)、そもそも移動手段がないってところもある。でもそのエリアの人は皆クルマ持ってるし(無いと自分が動けないし)、また年がら年中乗ってるわけでもないし、ヒマしてる場合もある。だとしたら、Lyft的なサービスがあれば、利用者は助かるし、運転手(地元の人)も臨時収入が入る。そういうエリアって世界レベルでは結構あるかもしれない。組織立ったビジネスが参入するには最低限のコスト分も稼げない。損益分岐点を下回り、やればやるだけ赤字になって過疎のローカル線が廃止になるようにその種のサービスも消滅する。でもこのシェア経済システムだったら、初期投資は限りなくゼロだから、そこに人とクルマとヒマがあったらGOになる。従来のビジネス不毛地にビジネスが生じさせられる。つまりは過疎対策にもなりうる、、、などなど、いろんなメリットがあります。
コミュニティ感覚
でもって、コミュニティ感覚があります。これ、オーストラリアでもそうですけど、こっちの人ってコミュニティを凄い大事にする。組織でも行政でもないコミュニティという集団概念があって、それが強い。日本にはドンピシャの対応概念がないから分かりにくいとは思うのだけど、これがあるからボランティアなんかも盛んだし、スムースに行く。何はともあれ、知らない人と出会ったり話したりするのは「いいこと」なんですね。シャイじゃない。そして人と人とが仲良くすることは、すごーく価値があることだと思ってる。だからパーティが好きだし、全員知らない人のパーティでも気後れ無く「ハーイ!」っつって参加できる。ソーシャル(社交的)であり、ソーシャルであるレベルが高い。ここがわからないとこのサービスの本質の一角はわからんでしょう。これは、彼らにとってみたら、単なる新サービスではなく、「コミュニティの仲間同士の助け合い」って文脈があるのだと思う。実際WEBでもそのあたり言及しているし。そしてまた、それが良い出会いを育むことにもなる。広い意味でいえば出会い系の一種でもあるわけですし、そこに訴求力がある。
基礎哲学=シェア=助け合い
そして、それを掘り下げていけば、我慢して9時5時仕事をしてストレスと小銭を貯めなくても、てかそれすら怪しくなってきてマックジョブ3つも掛け持ちして月10万が精一杯なんて人生を送らなくたって、仲間同士で助け合えばいいじゃんってことです。生活に必要なことは、大抵は半径10キロの誰かが普通に出来るよ、だもんでお互い融通きかしてやっていけば(シェアしていけば)、リビングコストはだいぶ安く済むはずだし、毎日新しい仲間に出会えるし、人生楽しくなるんじゃないの?ってことでしょう。
これが進むと、何も国や大企業の頼らなくても大抵のことは自分らでやっていけるんじゃない?デカいところに頼むと、ピンはねされるわ、ぼったくられるわ、騙されるわでろくなもんじゃないよ。その挙句、わずか0.1%が益々リッチになるために奴隷のようにこき使われるだけじゃん。そういうクソみたいな社会を、身近なところから変えていこうよって思想につながっていくのでしょう。だから革命だと。
でもって、最初に爆発的に流行ったのは、初期の参加者の資質もあると思います。黎明期にその存在を知る情報感度の良さ、なんでもやってみる好奇心と行動力。そしてこれらの発想の全てをスッと理解できるような連中です。最初からそういう問題意識をもっていて、常日頃考えていて、自分でもあれこれやっているような人達が多かったからだと思います。似たもの同士だから話がツーカーで通じるし、波長も合うのだろうな。
当て推量だけど、そういった連中って、そこそこ高学歴のアッパーミドルが多いんじゃなかろか。あんなに頑張って勉強したのにクソつかまされたって気分、資格も学歴ももう昔ほど「霊験あらたか」じゃないんじゃないの?ってのが自分の経験としてわかるし、その立ち位置と視界からは荒涼とした将来像もまたクッキリと見えるだろうから危機意識もひときわ強いのでしょう。それが「Whta's Next」を待ち望む気分を増幅させるのでしょうね、多分。
問題点と既成勢力とのバトル
これら新ビジネスが急成長するに伴って種々の問題も当然生じます。
まず、これらは「勢力」と呼んでも良いレベルにまで達してきています。先ほどあげた
Meshでは、シェア経済系の会社のポータルになっていて、参加企業はさっきみたら9116社、もっぱらアメリカメインだけど世界130カ国に広がります。カテゴリーも25分野に及び、およそ考えつくようなものは全て展開されているといっていです(もっとも更新も停まってるみたいで、既に次のステージにいってるのかもしれない)。
そうなると旧来のシステムとぶつかってきますよね。その接触は、ケースバイケース。場合によってはガチに衝突し、場合によってはゆるやかに溶解していき、場合によっては共棲していくでしょう。これはあらゆる局面でそうなっていくし、予断は許さないです。
法規制と既得権益
一つはこれまでの法規制とぶつかることです。コミュニティ内部のささいな助け合いレベルだったらまだいいけど、成長して、既存のビジネスを脅かすようになると、あるいは既存のビジネス勢力も参入してくるとなると、話は違ってきます。Airbnbはホテル業法と衝突するし、本社のあるサンフランシスコではホテル税14%を徴収すべきかどうかという議論が出てくる。今はどこでも当局は金がないから何が何でも課税したい。しかし寄って立つ理念やシステムが違うので同一に論じられるかって問題もある。また、Lyftはタクシー業界や規制とぶつかる。
一番簡単なリアクションは法律で明確に禁止することであり、第二にはどかっと課税することです。まあ「いつものパターン」ですね。しかし最終決定権を持っているのは消費者であるべきで、また実際にもそうです。例えばタクシー事業者を守るために全面禁止にしたとして、消費者は納得するかと。タクシーには種々の規制があって消費者を守るためにあれこれやってるんだって建前論になるけど、本当かよ?って疑念は消費者側にもある。乗車拒否されたり、ぼったくられたり。どのタクシーに頼むか、どんな人がくるのか、現在のタクシーシステムではわからない。不愉快な思いをした乗客がコンプレインしても聞き流されるだけで一向に反映されない。だったら、予め運転手がわかり、コンプレインが多いと自動的にドライバーが失格になるLyftシステムの方がいいじゃないかって人もいるでしょう。
そもそもですね、ちょっと世間を知ってる人だったら、各業界の品質を守る諸法制が100%マトモに機能しているなんて思ってないでしょう。妙に規制法案を作れば官僚の許認可権が無駄に強くなり、天下りの温床になるのが関の山って話もある。しかし、一方ではガチガチの法規制やら高い免許料を馬鹿馬鹿しくても守って働いているタクシーの運転手さんの利益は、単に既得権益の一言で済ませるわけにもいかないって現実もあるでしょう。LyftやUberが世界に広がるにつれ、世界各地でこの種の衝突が起こるでしょうし、現に起きている。政治家も難しいところで、あからさまに旧体制ばかりに与していると、先見性のない前世紀の遺物だって評判になって次の選挙に落ちるかもしれない。
また、既存のビジネスでも、学ぶべきは学んで自分でやり方を変えていくこともあるでしょう。タクシー会社に搾取されている感があるタクシーの運転手だったら、この種のビジネスを自分でやっちゃった方が結局実入りがいいって話になるかもしれない。不動産投資をしている人でもAirbnbで活用した方がリターン率が高いってことになるかもしれない(てか、実際なってるらしい)。
話はちょっと逸れるのですが、既存のビジネス同士でもすでのこのシェアの流れはあって、例えば、レンタカー会社同士が空いてる車をお互いに融通しあってるという事例もあります。それをいえば製造業のOEMもそうだし、ライバル会社で一緒に部品を作ったりなんかもあるし、航空会社のコードシェア便なんかもまさにそうでしょう。発想はもとからあるし、馴染みやすいんですね。
また、ちゃんとした法律が逆に作用する場合もある。
Is Australia prepared for a freelance revolution?はオーストラリアの事情ですけど、オーストラリアは労働法が強いので、雇用の脱法としての請負契約(コンラトクト)についてはかなり規制してます。が、これが逆にアダになって、シェア経済的な営みが脱法的になってしまうという問題があるという指摘です。
うまくいかなくて当たり前
思うに、グチャグチャになるのは当たり前の話で、これまでとは基本原理が全く違うアクティビティが出てきているのだから、すんなりいくわけがないのですね。ニュータイプのビジネスが出てくるときは常にそうです。ましてや今回は革命レベルだもんで、やってる連中もそのあたりは最初の段階である程度のバトルは織り込み済みでしょう。
そのあたりのちょろっとネットをみてて面白そうな記事をあげておくと、
Sharing economy, the new communism?、
All Hail the "Sharing Economy!" A Mushy Phrase Gives Liberals Cover to Join the Fight Against Big Government、
The Politics of the Sharing Economyあたりでしょうか。他にも世界中で山ほどニュースや論考が出されています。
普通の大企業化と企業間競争
一方では、シェア経済として始めたものが大きくなりすぎると、普通のビジネスパターンになっていってしまうという溶解ケースもあるでしょう。TaskRabbitも、つい先月(2014年07月)ハウスクリーニングなどの4つのカテゴリーに特化していくようになった。これはボリュームが増えてくると、そういうカテゴリ処理、集団処理をしたほうが合理的なんだろうけど、しかし、そういう「規模の経済」ベースにいってしまうと、既存の人材紹介業との差は乏しくなっていく。
これはある意味しょうがない話で、ここまで大きくなると普通の企業っぽくなっていってしまう。UberもUberTaxiというあからさまにタクシージャンルに進出し、タクシー業界の価格破壊や流通革命的なもの、いわばありふれた話になりつつもある。また、なにかとライバル視されるUberとLyftも前者がハイグレードな黒塗り系で、後者はフレンドリーな相乗り系という区分けはあっても、互いに競争状態になり、醜い争いも起きたりもします。つまりあんまり「シェア」してないのですね。
このUber VS Lyftは、普通の企業物語としても面白いです。もっとも面白いのは、ユーザーもドライバーも掛け持ちアリってことですね。ユーザーは要するに二つのアプリをインストールして、より早くより安いとかその時点でのニーズに合わせて選べば良い。それはまだ普通なんだけど、ドライバーでも両社に登録することは可能って点がこれまでと違うところです。なんせ自分の車と自分の時間ですから、そのあたりは自由なんですよね。そしてこの点がこのシェア経済系の企業の急速な膨張を裏打ちする点で、膨大な資金調達をしているんだけど、それでもこの規模で世界展開することを考えたら少ない。少なくても良いんですよね、会社で車を買う必要はないんだから。設備投資が少なくて済む。
さて、この両社が火花散らしている間に、さらにニッチを縫って新興が出てくる。SideCarというサービスは、同じ方向に向かう乗客同士が相乗りシェア&割り勘にして料金を安く出来るというもの。そうなるとUberもLyftも似たような相乗り割引を始めるという。これ、まだ今月(2014年08月)のホットなニュースです。
新陳代謝
さて、新興のシェア経済の旗手になっていた企業が普通化していくと、今度はその間隙を埋めるべく新興の企業がすぐ出てくる。
Australia's AirTasker Looks To Adopt Disgruntled Rabbits from TaskRabbit、
Aussie start-up in $1.5m funding win just two months after launchは、オーストラリアにおけるそれで、AirTaskerという、AirbnbとTaskRabbitを足して二で割ったような人を喰った名前なんですけど、これをやってるのは、そのへんの大学のアジア系留学生風のお兄ちゃん二人です。既に13万人の参加者と年商6億円ビジネスに育ててます。
それよりも注目すべきは創立者のfung君が言ってることで、これらの仕事は一見誰でもいいような仕事なんだけど、誰でもいいってわけではないんだ、"personal touch"が重要なんだ。だからエージェンシーモデル(人材紹介業)的なものにしちゃうとそこが死ぬんだと。”the big opportunity lies in quirky jobs that have been difficult to monetize before ”(最も大きなチャンスは、これまではビジネス化しようもなかった「ヘンな仕事」にこそある)と。それは例えば、パーティ用のコスチュームを作るという文化祭の準備みたいな仕事とか、コンサートチケットを買うために何時間も行列に並んでもらうことだったり。同時に、規模もまた追えるといってます。この会社はTripAdvisorと提携してリサーチをやったりもしているそうです。
ただ中核にあるのは、ビジネスの内容をその仲介企業が決めないで、顧客に決めさせる、そのフレキシビリティこそが命だという点でしょう。それは助けあいのコミュニティ社会おいて、つまり僕らのカジュアルな仲間達の会話のように、「今、手、空いてる?」「ちょっと悪いんだけどさ、頼まれてくれない?」と気軽に頼むようなことです。それを頼むのも、アプリにリストアップされている「あ、このチャーリーさんに頼もう」とか選べることです。僕らもカジュアルでは人を選んでますからね。誰でも出来る仕事なんだけど誰でもいいわけではないっていう。
もともと原点になる精神や発想は変わってないのでしょう。でも、最初はそれを標榜してやっていても活動規模が大きくなると普通の企業化していくという流れもある。しかし、元の発想はそのまま在野に生きているので、それを受け継ぐ者が出てくるってことでしょう。
いくつかの補足
あ〜、もう一回ポッキリでは書ききれないのですが、強引に押し込みます。
要は発想
冒頭に述べたようにこれらの動きは、論者によってさまざまな解釈が出来ると思うし、多くの記事はビジネスのニューウェイブ的なものに留まっていたりします。それはそれで当然でしょう。そこからは先は個々人の憶測や未来展望、理想に関わってくる主観的な意見の要素が強くなるのですから。
僕も主観的な解釈で言えば、これも先ほど述べたように、人が幸福になるのにそんなに大掛かりなシステムは要らないだろ?ってことに、世界の人々が徐々に気付き始めたんだろうと。別の言い方をすると、大掛かりなシステムの必要性が乏しくなるくらいテクノロジーが進歩したとも言える。コンピューターでも昔はIBMの天下で、それこそ大掛かりなメインフレームを数億円出して発注しているという、殆どビルを建てるくらいの話だったのが、安い普通のPCをネットワークでつないでタスクを分散してしまえば遥かに簡単に安く出来るという具合に変わっていったのに似てます。
具体的にはネットとスマホ等の連動であり、それらが持つ情報の即時提示機能、GPS機能、そしてクレジットなどの決済機能があるんだから、その与えられた諸条件をフルに駆使すれば、それまで考えてもいなかったことが出来るようになる。要するに人も資材(車とか家とか)も十分にある。ただそれをコネクトする方法が無かったから、役所や企業がそれらを募集し、さらに広報してという手間のかかることをやっていた。一回どっかで中央集権的に一元管理していた。しかし、同時性をもつ無数の情報がリアルタイムに処理出来るのだったら、別にそんな大きな組織はいらんだろ、プロトコル=合理的で明瞭なルールを設定しておけば、あとはそのメンテだけで足りるだろうと。
核心になるのは「発想」なんだと思います。個々の新興企業とかビジネスパワーではない。だから厄介なんでしょう。発想というのは、コロンブスの卵みたいなもので、一回そこがブレイクして扉が開かれてしまえば、「なあんだ」ってことになり、次から次へと新しいサービス方法が考えだされる。そして、それは少しづつ化学変化のようにこの社会のあり方を変容させていく。その意味では静かな革命ともいえる。新旧の社会の根本OSが変更されつつあるのであれば、そうはさせじという旧来のシステムの反撃もあろう。しかし仮に力や法律で個別具体的な新興企業を潰したとしても、そういう「発想」そのものは人々の頭にインプットされてしまったから、もう絶対に消せない。だから形を変えてまた出てくるでしょう。
それが世界各地で起きつつあるという意味では、ちょっと前に書いた第三次世界大戦の一つの局面とすら言えるかもしれない。だって、これ、Meshの25カテゴリー&9000社をみてると、およそ現在の産業構造のほとんどが塗り替えられるかもしれないですから。原発がどうのという以前に(今の形での)電力会社という存在そのものが不要のものになるかもしれない。あるいは学校という存在すらも、資格と学歴の意味性の変化によって変容を被るかもしれない。すぐには変わらなくても、20年くらいのスパンでは結構変わっていくかもって気がします。
例えばですね、LyftやUberのGPS+情報の即時性のパターンを応用すれば、「出会い系」なんかもっと効率よく出来る。予め個人のプロフィールや趣味を細かく会員登録しておいて(氏名は住所は伏せる)、「今渋谷にいて、ちょいヒマしてるんで一緒にゴハン食べる人いませんか、鍋なんかいいんですけど、予算一人2000円くらいで」というリクエストを自分のプロフとともスマホで発信し、たまたま周囲に居た会員がその情報を得て、「いいすね、ご一緒しますよ」というレスがあり、幾つかある中で何人かで一緒に行くという。会員になるのにある程度ハードルを高く設定しておいて安心材料を増やしておくとか、ロマンス系ではなく同性友達に限るとか、単に夜の一人歩きは不安だから同じ方向の人いませんかとか、タクシー相乗りしませんかとか、今大安売りやってるんだけど一人で買うのは多すぎるので誰か一緒にシェアしませんかとか、ダメ元で発信して、「いいすね」って人がいたら、もうすぐその場で会えて、「や、ども」と用をたすという。後腐れがあると恐いという人のために万全のセキュリティと問題があった場合の措置も提供するとか。
別にがこれが素晴らしいって言いたいんじゃなくて、「それが出来るなら、コレも出来るんじゃない?」という発想はいくらでもひろがっていくだろうと。その可能性に人々が気づいていくってところが一番のポイントではないかってことです。
シェア経済は一面に過ぎない点
つらつら考えてくると、結局シェア経済といい新しい生き方 or 社会のあり方といい、煎じ詰めれば、
@、現在の技術的な到達地点
A、生活や幸福の構成要件
に「気づくこと」なのではないか?と思われます。
新たに「開発」とか「発明」するのではなく、「あ、俺らってここまで出来るじゃないか」ということに今更ながら気づくということ、そして「よく考えてみれば、○○と〇〇があれば基本OKじゃないか」というシンプルで実際的な人生の気持ち良さを再発見する、すなわち気づく。
シェア経済というのは、それらの変化の一つのありように過ぎないのではないか。
これまで何度か書いてますが、高度なギリシャ文明がなんで1000年の暗黒中世になったのかといえば製鉄のために周囲がハゲ山になって発展可能性が閉ざされたことが人々の精神に影響を与えたとか、日本史の平安時代の貴族荘園構造がなぜ成立し、なぜ崩壊して武家社会になったのかといえば、これも製鉄の独占→技術向上による一般開放(農機具の普及→開墾地主→武家の原型)だと言われます。つまり、その時点での人類の生存環境・技術がベースにあり、その基本定数みたいな初期設定が変わるとあとは因果の流れで全てがバタバタと変わっていく。
それは人類の特性というよりも大自然や宇宙の因果律みたいなものなんかもしれません。話が巨大になって恐縮ですが、客観的にココまでいけるってギリギリのところまでいく傾向がある。それが生物界では進化になる。気持よく魚やってりゃいいものを、浅瀬で暮らし、水中ではなく空気中でも生きていけるかも、水中に比べれば陸地の巨大重力でも踏ん張れる強靭な肢を揃えればいけるかもと、エラ呼吸が肺呼吸メカになり、ヒレが肢になり、ムツゴロウの祖先みたいなのが出てきて、動物界は水中から陸地に展開していった。そこに岬があればギリギリ先端までいってみる、そこに崖があればギリギリ断崖までいってみる、なんか自然の摂理としてそういうのがあるみたいです。
したがって、その基本さえ踏まえておけば、その応用形はそれこそ無限にあるのでしょう。
日本でもこの種のシェア経済的な流れはあります。Uberは既に去年あたりから日本で静かに開業し、この8月(今月)からUberTaxiも開業してます。もっともUberJapanの戦略は、既存のタクシー業界とガチに喧嘩することではなく共存すること、空きタクシーの有効利用という配車サービスに特化しているみたいですけど。既得権益や規制の強い国ではそういう浸透の仕方になっていくのかもしれませんが、日本のUberだけ見てるとUberの本質を見落とすかもしれない。
このあたり日本語で解説してあるものはまだ少なく、シェアリングといえば「ワークシェアリング」とかそんな話が多いのですが、幾つか。
ココ、
ココ、
ココ、
ココ、
ココとか。
でもね、「シェアリング経済は日本で普及するか」なんて評論家になってても意味が無いと思うのですよ。いやプロの評論家の方はそれがお仕事なんだから当然なんだけど、評論しても別に金が入ってくるわけでもない僕らフツーの人達にすれば、いかにその発想のネタを学ぶか、応用するか、そして自分が動くかでしょう。評論してるだけなら、人生1ミリも前に進まないもんね。それってグルメの薀蓄を垂れているうちに餓死するようなもんで。
ほんでもって、シェア経済はUberやAirbnbの専売特許ではなく(考えうる全てに及ぶ)、例えばTT(トランジション・タウン)の発想(2006年頃にイギリス発、
Wiki(英語)、
TT日本のWEB)、そしてそれを日本風に置き換えた里山長屋なんてのもあります。最近のAERA(2014年08月11日号)でも紹介してましたね(
「アポなしで人が来る」昭和の香りの「里山長屋」とは。←要旨ダイジェストなので、僕が自炊したのをあげておきます。
1頁目、
2頁目、
3頁目、
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)。この方が、Uberなんかよりも、より端的にシェアリング社会、コラボレーティブ経済を体現していると思われます。要は発想の本質はなにかでしょう。
考えてみればこんなの昔っからあるんだよね。お向かいの奥さんがやってきて、「ごめんなさいね、ちょっとお味噌切らしちゃって」「ちょっとこれ作りすぎちゃったから、おすそ分けで」とかやってたじゃん。子守とか年寄りの面倒とかも何となくの持ち回りでやってきた。「村八分」の語源も、共同体での互助(シェア)が10個あって、そのうち2(葬式と火事)だけはシェアで助けるけど、あとの8つ(出産とか新築とか)はハブるってことで、ベースにあるのは全部シェア経済でしょう。今は全部「自己責任(資金)」のスカスカ&ギスギス社会だから村八分どころか、相互に”村十分”、完全断交社会だったりするわけで、今の方が変じゃないのか?と。だから無駄に金がかかってしようがなくなって、ラットレースのように金に追いまくられているだけじゃないのか、とかね。
先ほどチラと通貨革命とか筆を伸ばしましたが、お金の本質って個々人レベルでいえば「世間に対する貸し借り」だと思うわけですね。1万円持ってたら1万円分だけ世間にワガママが言える。1万円稼ごうと思ったら世間のワガママを聞いてポイント貯めないとならない。それだけのことだろと。実体経済というのはそういうもので、基本バーターエコノミー(交換経済)ですわね。てことは、その貸し借りが何となく「ま、そんなもんでしょ」と相互に納得感いく感じで記録されればそれでいいわけですね。ビジネスでも政治でも、ある程度から先のリアルな世界になると金銭よりもこのナマの貸し借りの方が力を持ちますし。でもって、シェア経済の代金決済をクレジット引き落としではなく、単に計数上のポイントにしたらどうか、そしてMeshの9000社以上が連携してポイントの相互乗り入れを認めたらどうか?今のところそんな流れはないけど、仮にそうしたらどうか?ま、ソフマップのポイントがヨドバシでも使える、もうイオンでもJR東海でも使えるってなってきたらどうか?です。
面白いんですよね、こういうこと考えだすと。単なる空想や思考実験とか言われるかもしれないけど、そんなことないよん。今は、お金がなくて吸血鬼と化している各国政府と資産防衛に走る富裕層とが、これまた第三次世界大戦みたいな感じで世界のあちこちでバトルやってるわけでしょ。日本だって、相続税から、今度は海外資金移動を完全監視するとかいってるし、もう火だるま政府にしたら、金持ちに逃げられたらアウトなんでしょ。今は国家は福の神ではなく貧乏神ですから、ストーカーされたり取り憑かれたら大変。それはロシアでも中国でもそうでしょう。ここでも水面下で熾烈な駆け引きがあり、そこにこの「見えないお金」が入ってきたらどうか?です。考えようによっては数兆以上のビジネスチャンスでもあるでしょう。
ま、そこまで広げなくてもですね、この種の近所の味噌の貸し借りみたいなシェア経済が進むと税務署の所得補足は異様に難しくなるでしょうね。こと税金でいえば、給与所得者くらい馬鹿馬鹿しいことはなく、源泉で全部もっていかれる。今、仮に日本のサラリーマン全員が自営業者になったら、それだけで所得税収は半減するんじゃないかな。そのくらい自営の所得補足は難しい。トーゴーサンピンっていうくらい。消費税があがって小売店や零細ビジネスは大変な苦境にとかいうのは、半分は本当だろうけど、半分は嘘でしょ。むしろ消費税分キャッシュフローが増えるから資金繰りは楽になる筈だし、あとで消費税分を国に収める段階ではいろんな経費控除テクを使えるから、実質的には実入りは増えると思います。もちろん業種により人によりですけど。こんなの自営やってる人だったら一発でわかるんだけど、サラリーマンが多いとそのあたりが分からんでしょう。ほんでもって、それがさらにシェア経済のなんだか分からない仲間内でのポイントみたいな貸し借り勘定になったらもっと分からんでしょ?
話はどんどん際限なく膨らんでって面白くってたまらないのですけど、もう止めます。
要は、基礎前提が変わったら何もかも変わるということですね。それを変わらないようにやってるとしんどいんだろうな〜と。例えば、寒い寒い夜がありました。寒いからストーブガンガン焚きました。室温上がって皆ハッピーです。でもやがて日が昇って気温も上がってきました。でもまだストーブガンガン焚いている。暑くなってきました。もう皆うだってきました、もう暑くてしんどい、死にそうです。だったらストーブ弱くしたり、窓明けたりすればいいんだけど、なぜかそうしない。そういうエリアや人々がいたりする。ストーブを焚くことで儲かってる人がいて、その人が権力なんぞをもってたらさあ大変。もう皆汗ダラダラの脱水状態になってもまだ焚いてる。ここでストーブを止めたら皆凍死しますよ、どれだけ凍死が悲惨で辛いかというプロパガンダを展開する。素直な人達はそれを鵜呑みにする。そういう状態だから将来を悲観して自殺する人が後を絶ちませんでした、、、てのはアホでしょ?って。いい加減気づけよ、と。
思うのですが、なんか不愉快だな、なんかしんどいな、と感じたら、それは絶対なにか原因があるはず。そこに原因があれば、必ずやなにか対処法がある筈。そして多くの場合は前提が変わってるのに、慣性だか惰性だかで今までどおりストーブを焚いてるような間抜けなことをしている場合が多いんじゃないのかな?ってことです。
で、冒頭に戻ると、個人的な折り返し地点感と、世界人類的な折り返し地点感覚が奇妙に符合シンクロしているように感じられた15年前だったのでした。僕がそう感じるなら、世界でも同じように感じてる連中が1億くらいはいるだろうなと漠然と感じてて、それがどの方向に向かうかが興味津々で、多分こんな感じ(=幸福コスパを良くする)じゃないかなって思い、自分でもそうやってきたつもりだけど、ここにきて段々見えてきたって感じで、そこが面白いです。
文責:田村