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今週の一枚(2014/02/03)




Essay 656:「今、このあたり」の歴史GPS感覚

   
 写真は、空港近くのMascotあたり。
 地味〜なサバーブだけど、それだけに昔の風情が残ってて面白いです。

 しかし、バス停前のこのお店、何なの?
 清涼飲料水のクーラーと、アイスクリームのボックスがあるのは分かるんだけど、垂れ下がっているのは「国際送金」。なに、これ銀行なの?送金業者さんなの?

 おそらくはマネーグラム社の送金サービスを請け負っているのでしょう。なにそれ?で調べてみると、創業1940年というからパールハーバーよりも昔のアメリカの老舗の会社。日本ではあんまり展開してないけど、世界200カ国、23万拠点のネットワークを持ち、世界のどこでもわずか10分程度で国際送金が出来て、手続きも簡単、しかも安いという。

 オーストラリア支社のHPはここです。
 見てみたら、なるほど、こっちのセブンイレブンとも提携しているのか。エージェントになるとコミッションも稼げるのか。ふむ、いずれ世界相手に小商いをするには使えるかも。ただし、日本ではSBIレミットしかやってないのがネックですね。

 おお、学んでしまったではないか。しかし、多分、副業でこの店もやってるんだろうけど、自宅にこんなに大きな垂れ幕を掲げないといけないとしたら、ちょっとヤだなとか思ったりして。まあ義務ではないだろうけど。



 注!今回は通常の2倍くらい長いです。通常でも普通の人のブログの10倍くらいあるから、20倍?ごめん。

 いきなり面白くなった都知事選を一週間後に控え、ちょっと備忘録かたがた書いてみます。

 いや、直接都知事選には関係ないんだけど、大きなチャート(海図)を復習方々ひろげてみて、「今、このへんにいます」という時代的なGPS感覚を再確認したいので。

前史〜大きな流れ


 大きな流れは、、えと、どっから話し始めたらいいかな、、過去回にちょこちょこ書いてますが、直近数十年の流れでいえば、まず70年代に世界史の転換点が来てたと思います。東西冷戦真っ盛りですが、それは同時に喧嘩をしてもラチが開かないという時代(喧嘩の強弱でカタがつくという時代の終わり)であり、ベトナムでドンパチやればアメリカが傷つき、アフガンに関わればソ連がブッ潰れるという「喧嘩したもん負け」の時代。

 経済的には、「大きなことはイイコトだ」という物財が豊かだと幸福だというイケイケ成長原理の退潮です。ESSAY 245/『時代が変わった』 〜物財幸福主義は1970年代に既に終わっていることで書いたように、70年代以降飛行機の速さはそんなに変わってないし、それほど画期的な発明もない。オイルショックや環境問題が出てきて、イケイケでは出来ない、自然環境には限界があるという壁につきあたった。かつて優秀な自然科学や哲学で栄えたギリシャ文明が、なんでその後1000年もの暗黒の中世になったかといえば、一つの大きな原因が資源エネルギー問題だと言われています。森林を伐採して、燃やして、タタラを踏んで鉄器を作るということが、森林破壊によってできなくなった。ギリシャの神殿はハゲ山のままだし、国旗に杉が書かれ、古代フェニキア人の造船資材になったくらい有名なレバノン杉も、ハンニバルのチェニジアの森も、みんな砂漠みたいな荒野になっちゃった。エネルギーが乏しくなってくると、人類は内向きになって、オカルティックな中世風の好みになると。それは化石燃料の発見という新しいエネルギーのパラダイムになるまで続いた。

 実際、僕らが子供の頃は、魅惑の21世紀になれば「ハネムーンは月旅行!」という話をごく自然なこととして受け止めていました。アポロが月に行けば、まあそう思いますよ。でも、そこで終わってしまった。「無限に広がる人類の未来」というものが脳天気に信じられなくなった。日本では二回のオイルショックやら(凄かったよ〜)、悲惨な公害被害やらで、「消費は美徳」(←本当にそんなこと言ってたのだ)から「節約は美徳」に変わった(これも本当に言っていた)。何をやろうにもエネルギーがなくちゃね、という。以後、日本のみならず世界的に(先進国)では気分的に内向きになり、人々の中世化、ひきこもり化が徐々に始まる。現在の百花繚乱のスピリチャル系の進展は、まあさもありなん、です。

夏休みの宿題はギリギリになるまでやらない〜慣性の法則

 東西冷戦が事実上キューバ危機で頂点を迎え、「ここから先は無い」とわかった時点で歴史的な転換点に差し掛かったのだけど、でも、慣性の法則があるので、実際に転換するまでざっと20年以上かかる。まあ、それでメシ食ってる人達(産軍官)が沢山いますからね〜。「意味ないんちゃう?」と賢明にも気づいてベトナム戦争をやめようとしたケネディはあっさり暗殺されちゃうわ、ソ連ではフルシチョフが失脚しちゃうわ。あとはジョンソンとかブレジネフとかパッとしない人達が、軍官財の既得権益集団の操り人形のように君臨して、ダラダラと惰性のように旧来の演技をやるんだけど、展望がないままジリ貧。結果的に最後にババ(アフガン)をひかされたソ連がポシャる。で、89年にベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦終了。遅い!って感じだけど。

 はっきりいって70年代と80年代は人類史的には無駄で、キューバ危機やら資源環境問題が出てきた時点でまじめにやっておけばいいのに、そうしたら温暖化にせよ何にせよずっと簡単に済んだのに。でも、「夏休みの宿題は8月31日にやる法則」みたいに、先延ばしにできることは先延ばしにしたいのが人間。ズルズルとやってしまうのですねえ。

 さて冷戦では一応勝った形になったアメリカは、レーガノミックスのおかげだとか「強いアメリカ」だとか鼻高々で、これで世界史は完結した、アメリカ的民主経済主義が人類の最終形態だとという「歴史の終わりに」なんていう、今から思えばお花畑みたいな論稿がベストセラーになった。しかし喜んだのも束の間、東西冷戦で疲弊しまくっていた両国を尻目に、シコシコ受験勉強をやっていた日本が学年一位を取りましたみたいに、アメリカの自動車産業を崖っぷちに追い詰めるから、あちこちの街角で日本車がハンマーで叩き壊されたり、アメリカのプライドのような有名なビルや映画会社を次々に買収する。ジャパンマネー最強&最凶。日本列島の全資産で、アメリカ本土をまるまる買えるくらいにまで成長した。アメリカ乙ですな。必死こいて冷戦に勝ったと思ったら、経済的に日本に足を救われるという。で、ムカつくからオレンジ買えとか牛肉買えとか構造協議とかギャンギャン言っていたのがバブルの頃。

 でもってバブル、弾けました。世界同時に弾けたんだけど、腰の重さと慣性の強さ(方向転換出来ない鈍臭さともいう)では世界一番の日本が、やっぱり一番後始末できなかった。今でも出来てないし。ちなみにこの頃ですね、僕が日本脱出を考えたのは。

二つの潮流

 思うにこの時点で世界史を流れる二つの新しい潮流が見えてきたのだと思います。
 便宜上AとBでいえば、Aは帝国主義や国家独占資本主義に端的に示されていた「国家・社会の成長と個人の人生の幸福とをシンクロさせる方法論・世界観の終焉」であり、中世的な精神価値を重んじる方法論、「個人が個人として幸福になる方法論」みたいな路線です。「個」と「精神性」をキーワードとした新個人主義、新精神主義みたいな方向性ですね。

 もう一つのBは、国家や軍隊という頼もしくも鬱陶しいクビキから離れた、人類社会の鬼っ子ともいえる資本主義の先祖返りです。強欲なご主人様(国家)が弱体化したので、首輪をスルリと抜けて野に放たれたドーベルマンの群れみたいなもので、それらがデーモンのように合体して巨象になってズシンズシンと走りはじめる。「新自由主義」などと一口に言われてますが、これも二つあって、B1は実体経済ではアマゾンやマクドナルドのような超グローバル企業の寡占。僕がよくいう世界のファミレス化と、仕事のマックジョブ化、もっといえば正社員やフルタイム職の消滅。簡単に言えば「仕事が詰まらなくなる、キツくなる、給料が減る、そして無くなる」という流れ。

 B2は、金融資本主義の暴走。台風やハリケーンのような世界規模で猛威を振るう金融資本。97年にアジア通貨危機を巻き起こし、リーマンショックで先進国を借金まみれにし、そしていままたフラジャル・ファイブで新興国を潰そうとしている。日本のバブルも、そして去年からの作られた円安株価と今年からの崩壊も、その一環でしょう。

 B系統は、いかにも企業人が鬼畜のようですが、別にそんなことはなく、ビジネス活動において最高水準に合理化を進め、利益の極大化を図れば、そんなに人件費は要らない(給料安い国に頼めばいい)、そもそも人手は要らない(OA化とロボット技術とか)というドライでクールな事実によるのでしょう。

 その進展によって、さらなる特徴B3が顕在化してきている僕は思うのですね。国家と経済の分離です。巨大企業は、最高レベルの国際節税対策をとるからどこの国にも税金払わない、払っても微小。だから国はどんどん貧乏になる。また、国家は自分の国の経済すらコントロール出来なくなっている。国内の所得の再配分くらいだったらできるけど、全体の経済成長は海外資本の動向という「お天気次第」です。いくら金利や株価を操作しようが、一国の数倍以上の資金量を擁する国際投資・投機ビジネスの敵ではない、いいように利用されてしまう。というか、国だって自分のところの資金(年金事業団や郵貯やら)を国際投資に振り向けているのだから同じことしているわけです。かくして具体的な風景としては、村おこしのために企業誘致や資金導入をはかっても、流れが変わったら一斉に飛んでいってしまい、あとに残るのは放置された建築現場と失業者の群れと莫大な借金。現地では「ばっきゃろー!」という叫びが虚しくこだまする。アジア経済危機でマハティール首相の呪詛の言葉、破綻自治体になってしまった夕張市の経過などは過去回にちょこちょこ紹介しました。あれが世界各地の普通の風景になっていくだろうと。

 つまり20世紀末くらいからの人類のトレンドは、Aの個人&精神系と、Bの巨象だかハゲタカだかの資本主義という、ぜーんぜん違うカレント(潮流)があるんじゃなかろかってことです。そしてBが強ければ強いほど、人々はAに赴く。正社員にもなれない、なったところで職場鬱になるのが関の山だったら、「やってられっか」です。でも政府に対策を求めても、経済的には政府が一番ヤバくて、集中治療室で意識不明の重体みたいなものだからどうしようもない。だから、ますます救いをAに求める。世が乱れると宗教が流行る、欣求浄土になる。客観がしょぼくなると、主観に走る。客観的に彼女が出来なかったりお金や自尊心に苦労すると、脳内妄想に走る。別にそれが悪いとかいってるんじゃなくて、まあ、そうなるだろうなあって理の流れです。

 このあたりの話、B2くらいまでだったら、別に最近の発見ではなく大昔に思ってたことです。このエッセイの前身であるシドニー雑記帳時代の「僕の心を取り戻すため(10)なにかとやりにくくなりそうな地球のこと」で書きました。今を遡ること、えーと15年前、まだ20世紀の頃に書いてます。まあ15年前でも、この程度のことはアホな僕でも普通に分かったということで、珍しい話でもないでしょう。

 で、あれから15年、どうなったかというと、どうもなってません。相変わらずですねえ。なんせ「夏休みの宿題は〜法則」ですから、それに腰が死ぬほど重い日本ですから、金融資本に翻弄され、グローバリズムと大競争時代で従来のぬくぬくした仕事は着実に減りつつあります。だったら対策を打てばいいんだけど、そういう声は山ほどあったし、官僚や政治家や財界の皆さんもそれなりに努力されていたとは思いますが、いかんせん、思いきったことが出来ないまま、いたずらに時ばかり失っていく。むろんタダで時間が買えるはずもなく、その場しのぎに借金してますから、もう首も回らないくらいに国の借金も増えてしまった。

失われた20年の日本

最初の15年

 バブル崩壊後、細川さんの日本新党が出来て、自民党を割って出た小沢一郎氏と合流し、さらに田中秀征氏や鳩山、武村氏のさきがけなど諸勢力を糾合し、自民党の長期支配体制をひっくり返しました。このときのテーマは政治改革であり、具体的に内容は選挙改革で中選挙区制を、小選挙区制と比例代表に変えた。1993年の頃ですね。あの頃の日本は一瞬面白かったですね。が、それも束の間、再び四分五裂し、自民党が不倶戴天の敵であった社会党とまさかの連携、村山首相を戴いて再度自民党政治になります。また詰まらなくなっちゃったんだけど、このときの小選挙区制が、のちの政権交代の布石になります。変わるときは一気に変わるという「仕込み」が埋められた。

 とかなんとか言ってるうちに、個人年表では僕がオーストラリアの永住権を取る頃に(1995年)は、阪神大震災が起こり、サリン事件が起きて、政治どころではなくなっていった。歴代政権もあれこれやるんだけど、なかなかうまく行かない。村山トンちゃんの次は橋本内閣で、振り返ってみればこの人もなかなか魅力的な人でした。いっときは龍ちゃんプリクラが設置されるくらい人気者だったし、総裁選でも小泉氏に圧勝してるし、クリントンと話し合って普天間基地返還の道筋をつけるなどやることはやってますが、いかんせん間が悪い。長年のツケである借金問題(財政再建)に手を付けると皆死ぬというわけで、財政再建や金融ビッグバンを掲げた頃に景気が悪化して北海道の拓銀は潰れるわ、山一ショックは襲うわ、慌てて減税や景気対策をやりつつ、しかも決めたのは村山内閣時だった消費税率5%へのUPをやったもんだから迷走して衆院選挙惨敗、退陣。死ぬまで財務官僚に騙されたと悔いていたらしいです。

 まあ、騙すも何も、国庫を預かる財務省は、火の車の家計をあずかるおカミさんみたいなもので、マジに考えればこんな借金漬け体制で国がやっていけるわけもない。体重200キロの超メタボ体質で成人病にならないわけがない、だからダイエットだ、緊縮財政だ、増税だって言うのは、ある意味役職に忠実でもあるでしょう。でも、日本そのものが借金体質になってるから、それを改めようとすると選挙で負けるという。結果的にも景気が悪くなって取得税や法人税収が減るから結局損になる。ダイエットをすると貧血で倒れるみたいな。このあたりが日本の体内に仕組まれた宿痾であって、本当に再生するためには一回死なないとならない、そんなん無理!でも手をこまねいていると事態はどんどん悪化する。で、悪化した。

 次に「平成」の元号発表で有名になった、”平成おじさん”"冷えたピザ"の小渕内閣になります。発足当時から低支持率だったんだけど、いきなり電話をかけるブッチホンやどこにでも出て行って気さくに話しかける農村朴訥的な人柄でバッシングをかわしつつ、実はしたたかに国旗・国歌法、通信傍受法、国民総背番号制など今の右傾化に繋がる基礎も築いてます。公明党との連立で政権安定をはかるわ、「日本一の借金王」と自分でいうくらい42兆円の古典的バラマキ行政をし、小泉氏が主犯のようにいわれる派遣労働者の拡大ももとはといえば小渕さん労働者派遣法改正に遡るんだけど、だから結構エグいこともやってるんだけど、敵を作らない人柄と、パフォーマンスと、そして実際にも沖縄に手厚く援助したり、中韓とも話をつけて前向きな方向に仕切りなおしたり、硬軟&功罪とりあわせるところが絶妙で、前にも秘密保護法のところで書いたけど、この頃の自民党はまだ政治が上手だったといえます。しかも予期せぬ事とはいいながらも在職中に病没。これでもう悪く言う人は居なくなってしまったという。

 ただ、橋本内閣がデフレの扉を開き、小渕内閣が今の借金ドツボ体質を決定的にしたとは言えるのですね。でも、それらの結果を、当時の当事者たちに全面的に帰責させるのもフェアでないとは思います。「どうしようもなく金が無い」というのは、かなり致命的な状況で、誰がやっても程度の差こそあれ似たりよったりでしょう。すなわち、再建方向に舵を切ると景気は失速したり、財界や国民がキーキーいう、かといってバラマキを続けたらますます病状は悪化するという。

 次に1年ポッキリの森首相になります。今は五輪委員長であれこれ言われてますが、当時はもっとヒドイこと言われていた。サメの脳味噌とか。もともと小渕氏が病床で後継指名したとか五人組疑惑とか言われてたけど、脇が甘くて失言が多い反面、マスコミも批判のための批判(てかただの悪口)も多かったと思う。"me too"捏造報道とか。思えばあの頃、マスコミと政権の仲が悪く、スキャンダラスなイエローペーパーに堕しつつあったのだけど、それがなんで今日のベッタリ大本営になっていくのか、興味あるので後で書きます。

 森さんの後継者が小泉さんです。このあたりになってくると記憶もまだ新しいでしょう。賞味期限1年が通例化した日本の歴代首相としては5年5ヶ月の長期政権になった小泉さんですが、派閥的には意外に森派、福田赳夫の弟子ですけど、基本的には一匹狼で、しがらみや周囲の空気によってではなく、自分の主張で動く。郵政民営化のために総選挙に打って出る暴挙(やる前は皆そう思ってた)を思いとどまらせようとした森元首相に「殺されてもいい」と言い放ったのは有名。彼は、今の派遣労動者やワープアの生みの親で、新自由主義の悪魔で、アホブッシュと仲が良かったとか、ワンフレーズとか劇場とかあれこれ言われてますが、それでも人気がある。

 小泉氏の真骨頂は、空気を読む必要はない(なにげに命張ってるから恐いもんなし、みたいな感じ)どころか、空気を自分で作り出せるという稀有な能力でしょう。あの迫力にやられちゃうんだわ。血液型はA型なんだけど性格的にはBで、Bは田中角栄とか長嶋茂雄、イチローとか、矢沢永吉とか、西郷隆盛とか、織田信長とか伊達政宗、源義経で、さもありなんって感じなんだけど、でも小泉さんはA。Bといっても不思議ではないけど実はAという意味では忌野清志郎と同じ。個性が強いというよりも個性を曲げない。日本社会ではこういう非日本人的な人が逆に人気ありますよね。政権も5年あったら色々できるので、構造改革をお題目にせずに道路公団などを解体民営化し(郵便局だけではないのだ)、10年来のガンだった不良債権処理に道筋をつけ、財政再建も12兆の公共投資を8兆まで減らし、医療や年金で国民に負担を押し付ける反面、既得権益にもそれなりにメスを入れた。最も大きいのは郵政民営化で、津々浦々に広がる自民党の集票組織であった特定郵便局を潰し、自民党の存立DNAを破壊した点でしょう。江戸時代的な封建社会政党から世論の風でふらふら動く根無し草政党に変えた(これは勿論良いことだが)。

 昨今(てかいつもだけど)話題になっている靖国参拝も、総裁選前から断固参拝すると公約し、実際にも参拝している。当然中韓から嵐のような罵倒を浴びるのだけど、訪中した際に盧溝橋の抗日記念館を訪れ献花した初の首相でもあり、南京大虐殺を否定する見解は支持しないと明言し、国際会議でわざわざ温家宝首相からペンを借りて署名して関係改善の意欲を示し、列席の首相たちから拍手を受けたり、国際舞台でのパフォーマンスも上手。

 要するに小泉氏というのはレッテルが貼りにくい。安倍ぴょんみたいに2ちゃん的ウヨという分かりやすい価値世界ではなく、小泉は小泉としかいいようがない。ワンフレーズや劇場、ポピュリズムという批判も、それはマスコミこそがそうだったからと言えなくもないです。空気を読む必要性を感じない(殺されてもいいんだからさ)=自己保身本能が人よりも少ないから、それだけ視界が歪む(希望的に甘い観測をする)ことも少ないのかもしれません。ゆえに逆に誰よりも空気が読めるのかも。


 で、後継者になったのが安倍総理で第一次内閣。今から思うと意外なんだけど、小泉時代に冷えてた中韓関係を改善するために動き、中国からも賢者として賞賛されている。今昔の感がありますな。ま、政治なんかそんなもんだけど。でも1年で終わり。前が小泉さんだったので気の毒な面もあるんだけど、やっぱ至るところに弱さと甘さが感じられます。人は悪く無いと思うし、調整型の典型的な日本人だったら普通なんだけど。よせばいいのに慰安婦問題でアメリカを怒らせるわ、よせばいいのい年金問題は早期解決とか大見得を切って出来ないし、中曽根氏にロッキード事件の佐藤氏を押し付けられて評判を落とし、一番良くないのは郵政造反議員を「おかえりなさい」とか迎えてしまう。閣僚にも恵まれず(てか自分で選んでるんだけど)、短期間に疑惑スキャンダルで3名、うち一人(松岡農水大臣)は自殺。だから人間的には軟弱なくらい優しいんでしょうね。波風立てるのがメンタル的に耐えられないから、必然的にオトモダチ人事になり、能力よりも親しさや義理で選ぶから、彼らが問題を引き起こして炎上する。今も同じですねえ、変わってませんね。また「負けるわけ」がないと甘い読みをしていた選挙でも負ける。で、お腹が痛くなってリタイア。それも「職責を全うする!」とブチあげた所信表明演説の2日後という間の悪さで、「えっ嘘でしょ?」と亀井静香氏に言われてしまった。

 以後、福田、麻生、鳩山、菅氏と賞味期限1年内閣が続くのだけど、細かくやってるとキリがないし、このあたりは直近なので覚えているでしょうから割愛。

直近5年

 2009年に民主党が政権交代を果たしましたが、これは戦後55年体制の打破という画期的なものでした。今となっては想像しにくい人も多かったけど、戦後60年延々と一党だけが政権を担うという風通しの悪さは相当なものでした。少なくとも僕にはそう感じられた。戦後一回も政権交代がなかった国は北朝鮮と日本だけというのも恥ずかしい話で(中国でも国共対立があり、文革・四人組など政権交代はあった)。自民党がいいとか悪いとかいう以前に、選挙によって政権を失わせるという基本的なメカが死んでいるという部分ですね。それがひっくり返ったので、大いなる一歩前進です。

 しかし、ご存知のように民主党はだんだん失速していきます。初代の鳩山首相は、今や鳩ぽっぽとかルーピーとか揶揄されていますが、沖縄の米軍基地を移転させようとしてダメだったとか、小沢一郎氏の秘書の逮捕とか、ボロボロになって退陣。その後菅首相になるのですが、この時点で小沢と反小沢に分裂し、金権まみれのイメージの小沢派は劣勢、当時の世論では菅氏の支持は小沢氏の4倍以上。でも、東北地震やら原発やらが起き、混乱になり、さらに内輪もめになって、なんだか分からないうちに野田首相になり、消費税を上げて失墜。そして総選挙で自民が圧勝して返り咲き、今日に至るわけです。

 政権交代当時、ああ、これで(いい意味で)日本が日本でなくなっていく一歩だなと思ったものの、既得権益ガチガチの日本構造にメスなんかそんなに簡単に入るわけないから、「出来れば4年、せめて2年」持ってくれれば良いと思ってました(ESSAY428:政権交代)。なぜならそのくらい経てば、「政権というのは交代するもの」という健全な認識が定着すると思ったからです。1年未満じゃダメちゃうかと。その意味では大成功でしょう。一応の形になるまで最低でも10年はかかると思うし、魔法の杖の一振りで世の中変わるほど楽ではない。それまで辛抱強く皆が待つとも思わないから遅かれ早かれ挫折はするだろう、ただ2年以上は持ってほしいなと。そもそも国民自身がぬくぬくした現状を手放したくないと思ってるだろうし(今でも)、「変わりたいけど変わりたくない」と当時のオーストラリアの新聞報道を紹介しましたが、そんな感じ。

 で、当然のことながら反動がある。オーストラリアの選挙英語でいえば「スィング」。なんでもそうだけど、一点突破して成功すると、次にはとりあえず反動がくる。でもそれも短期で、またもとの流れになる。フランス革命におけるアンシャン・レジームの一時的復権(王政復古)、幕末期における井伊直弼の安政の大獄ですね(ちゃんと当時に安政の大地震もカップリングされていた)。そのあたりの話はEssay 601:仕組まれた天下泰平で書きました。

 で、あまりにも反動的強圧的になると、またそのバックラッシュの再反動が来て、桜田門外の変で井伊大老が暗殺されてから、一気に流れは明治に向かった。今はその安政の大獄の末期くらいじゃないかな、秘密保護法のあたりで決定的に潮の流れが変わったと思います。このあたりは最後にまとめて書きます。

 今は殆ど死に体の民主党ですが、今の時点で死体解剖のように振り返ってみると、なかなか興味深いのですね。既得権層や日本のエスタブリッシュメントはどうやって権力を維持簒奪するか、誰がどうやってやるのか、国民に対する世論誘導はどのようになるのか、それを受けて僕らの側は何を感じ、何を学ぶのか、そしてどう変質していくのか?

情報操作と世論誘導

 この間に明らかになりつつあり、皆の共通認識になりつつあるのは、情報操作と世論誘導だと思います。これが一番大きいんじゃないかな。

 これはマスコミの盛衰に関係すると思います。大手マスコミのスポーツ新聞化であり、劣化が第一波として来たのでしょう。森内閣以降の罵倒まがいの記事は、クオリティペーパーとしての一線を超えるもので、自らをスキャンダラスで低俗なレベルに貶めていると思います。小泉さんのときは、逆に純ちゃんフィーバーで盛り上げ、その後の安倍、麻生、、、に至るまで、持ち上げては叩き落とすの繰り返し。リアルタイムで見ててちょっと呆れたし、どこの小学校のクラスにも一人はいる、大阪弁でいうイチビリみたいに、先生がちょっとドモったり間違えたりしたら鬼の首でも取ったかように囃し立てる、あんまり頭の良くない子供みたいになっていきました。もともと僕も日本のメディアはあんまり見てなかったのですが(専門的にまとめた書物で立場が違うもの十数冊一気に乱読した方が分かりやすい)、21世紀になってからは殆ど真面目に読んでないです。

 このあたりから「マスゴミ」という蔑称が出てきます。問題はなぜか?です。個人的にマスメディアにいる人を何人か知ってますが、別に悪い人じゃないし、馬鹿でもないです。てかむしろ優秀だし、いい人も多い。それがなんでこんなイチビリまがいの作業をやるのか?といえば、やっぱ食えないんだろうな〜、台所事情がきついんだろうな〜と。これ、大体インターネットが離陸していくのと軌を一にしているから、どんどん追いつめられている感はあるのでしょう。発行数こそ「押し紙」で誤魔化しているけど、それでもクッキリ右肩下がり。テレビに至ってはもっと顕著で、そういえば先日の大晦日に、一瞬ではあるけどフジテレビが視聴率ゼロ%台という凄い記録を叩きだして、話題になりました。

 ご存知の方も多いかと思いますが、半年ほど前に、アマゾンの創立者のベゾスが、アメリカのワシントン・ポストを買収しました。世界レベルのクォリティペーパーをオンライン販社が買うというというのは、なかなかに衝撃的で、メディアのあり方や売り方が抜本的に変ってくることでもあります。オーストラリアでもSMHを出しているフェアファックス社の大株主に鉱山富豪が乗り出してきて話題になったことが数年前にあります(あれ、どうなったのかな〜、調べてる時間ないのでまた)。世界では、今、そして将来、「そもそもメディアとは何か?」という根本レベルであれこれ物事が起きるのかもしれません。アマゾンで商品を買わせるための「撒き餌」くらいしかビジネス価値は無い、とかね。

 ま、ここでは、日本のマスコミさんも「お金に困っている」という背景事情だけを押さえておきます。いや、ほんと、まだ潰れてないのが不思議というか。だから、売るためには刺激的で、扇情的な見出しをつけなければならず、事実を正確にというよりは、「読んでいて面白く、感情的で分かりやすいもの」というものになる。橋下ポピュリズムと賞味期限切れのポイ捨て劇とか。大体ですね、政治の話なんか滅茶苦茶地味でつまらないと思いますよ〜。純粋に「事実の報道」をやるなら、「官報」がそうであるように、将棋の棋譜みたいなもので、専門知識がないとよう分からない。今年の予算案ですとペラ一の紙を渡されて、ざっと目を通して「ははあ」となるくらい、霞ヶ関の人事異動のお知らせを読んで「なるほどね」とニヤリと笑うくらいでないと。だから、解説がいるし、そこに主観が入るし、売るためには面白く書きますよね。それが現象面では劣化になっているという。

 民主党政権になっている間に、マスコミもまた自らを既得権益者として再定義したかのように思われます。まあ、お金が苦しくて、広告収入がメインだったら、財界、その代理人窓口である電通に逆らえないでしょう。でもって、財界のトップ(日本の中枢の一角)は、ガチガチの国家基幹産業である電力会社であり、財閥系の重電や重工業であり、その威力は政界や官界をも動かせるし、持ちつ持たれつでやっている。いくらメディアが一流企業としてのプライドを持っていても、本家中枢からすれば「しょせんブン屋風情が〜」でしかないのでしょう。彼らに本気で牙を剥かれたらひとたまりもない。逆に仲間に入れて貰えば、安定収入もあるかもしれないし、消費税の軽減税率特例にしてもらえるかもしれないし(焼け石に水だと思うけど)、そんなこんなでこの年始もメディアのトップ連中は安倍ちゃんと一緒にゴハン食べてたらしいですな。

 かくして大手メディアほど、既得権仲間に入れてもらえるから大本営化していく。仲間に入れてもらえない弱小メディア誌は、その分だけ政府批判も自由にできる。

 例えば鳩山おろしのときも、米軍基地を「少なくとも県外」で移転させようとしたわけだけど、結果的に難しくて挫折したとしてもトライするだけマシだという評価も可能なんだけど、現実離れした理想主義者と嘲笑まじりに言われた。真面目にやっている人を馬鹿にするという悪い風潮に乗じたというだけでも、メディがどうこという以前に、倫理的にどうかと思う。その普天間→辺野古問題も、先日の名護市長選での住民側勝利で喝采を浴びているわけで、やってる方向性は鳩山氏と同じ。でもあっちは罵倒された。なぜか?です。そう仕向けたのでしょう。

 烏合の衆集団の民主党の一番弱いところをついて、内部分裂させる手法。その手法として、日本の政官財の裏を知り尽くして一番手強い小沢一郎を追い落とし、市民運動家あがりでそのあたりには疎い菅氏を立たせるために、国策捜査で秘書を逮捕し、小沢氏も立件しようとした。メディアは金権まみれ、汚職政治家として書き立てた。常套手段ですな。でも、検察審査会まで持ちだしても結局は無罪だった。まあ、普通の日本の政治家が100%清廉潔白だなんて信じている、それこそ「理想主義者」は今の日本には一人もいないと思いますし、実際になんかあっても不思議ではないのですが、あれだけシャカリキになって(今の検察庁は捏造すらするんだから)、それでも無罪ということは、あの件に関しては無罪だったんでしょう。それが確定しても、かといってメディアは謝罪するわけでもなく、名誉回復になにかするわけでもなく、それきり。さきの選挙でも、橋下石原あたりを第三極として持ち上げて集中報道した。

 で、小沢氏を追い落として民主党のうるさいのを排除したあとは、原発廃止とかわめいている菅氏に対して、無能だと連呼して引きずり落とす。あれだけ官僚が情報を隠して有能無能もないもんだと思うけど、そういう視点はナシ。あとはもう財務官僚の言いなりのような野田さんに消費税をあげさせて、はい民主党はお役御免、おつかれさまでした〜って筋書きじゃないのかな。

 安倍第二次内閣になってから、もう大本営ですよね。アベノミクスにしても、橋本さん以降、歴代首相が苦悩してきた、あちらを立てればこちらが立たず、財政再建しないと死ぬけど、再建したら景気がヤバくなって死ぬという苦しみで、少しづつバラ蒔きをやめよう、借金を減らすのは無理でも増やさないようにしようってやっていた。それなのに、これまで最悪の禁じ手であったバラ撒きと世界相手に勝てるわけがない株価と円安操作をする。阿呆かと思ったけど、メディアはそうは言わない。確かに着火剤としては一部の理はあるけど、問題の構造自体が世界レベルにあるのに(大企業が儲かっても国や市民は潤わないという基本構造、トリクルダウンなんかねーよという冷酷な現実)、そんなことしても借金が増えて苦しくなるだけだし、株価操作をしても世界のファンドに食い逃げされるだけで、導火線だけ燃えてそれで終わりになる。だからシャブ打って一時的に鎮痛作用があるだけなのは見え見えなのに、「景気回復の兆し」と言う。実感なしという国民が80%以上でも、景気回復。

 なんかもうミッドウェイーで負けようが、ガダルカナルで玉砕しようが、我軍大勝利の大本営そのものですわね。先陣を切るのがナベツネ率いるフジ・サンケイで、都知事選でもネガキャンばっかやるし(まあ視聴率ゼロだもんな、必死だよな)、自分にきついことをいう人は嫌いな心優しいメンヘラ気味の安倍ちゃんの悪い癖のオトモダチNHK人事で、またぞろ第一次の頃と似たような話になってますな。慰安婦でコケたのは学習済のはずなんだけどな。しかし、ナベツネさんも、個人資産80兆円強(って、本当かよ)とか言われてるんだから私財投げ打って晩節には「いい人」になればいいのに。

 ここまで来るともうお笑いレベルで、「すげえもんだな」と逆に感動してしまうくらいです。
 というわけで、幻覚剤打ってラリっていたような2013年の日本ですが、年末くらいからクスリが切れてきたみたいで、さすがに秘密保護法で(そのとき書いたけど)、一般市民との距離感を見誤って、踏んではいけない虎の尾を踏んだという感じですね。


 問題は、これの世論操作に国民が乗ってしまうかどうかです。「国民」という名前の一個人はいないから、結局は人それぞれなんけど、昔ほど、ホイホイ乗ってくれなくなっているように思います。勿論情報感度の高い低いで、人それぞれだろうけど、徐々に学びつつあるし、僕個人も学びつつあります。

 というか否応なく学んでしまうというか、もうちょっと上手に騙してくれたら騙されてあげるけど、下手すぎ。それに虎の尾を踏んだ秘密保護法あたりから、ネットでも草の根レベルで広がってきている。2ちゃんはともかく、ヤフコメあたりを占拠しているネット工作員も、感度のいい人達にはもはや常識だし、玉石混交のネット、まさに「思想の自由市場」において、何が石でなにが玉なのかを選別する目も徐々に磨かれていくでしょう。全然磨かれない人、磨こうという意思も問題意識もない人も沢山いるけど、こういうのって数%で世の中変わりますから。1%以下だったら始皇帝の焚書坑儒みたいに弾圧できるけど、数%なってくるといちいち弾圧できないし。幕末でいえば、佐久間象山くらいの時代だったら、ごく一握りの先覚者だけだから社会に影響は与えにくいけど、勝海舟や坂本龍馬まで知るようになってきたら、世の中変わると。

 その意味で今回の都知事選は格好の「教材」だと思います。もとはといえば政府やメディア報道は、原発被害の隠蔽あたりでかなり信用を失っていますが、失えば失うほどやりかたが露骨になり、そして露骨になればなるほど一層嘘くさくなるという悪循環にはまりつつあるな〜と。そろそろかなり分かりやすいレベルにまで落ちてきているんじゃないかと。しっかし、ゲッペルス閣下が草葉の陰で(ドイツ人もそうするのかわからんが)見ていたら、さぞかしお嘆きでしょう。このヘタクソ!ってイライラしてると思うぞ。

 都知事選でも、最初っから舛添さん有利、圧勝という押し付けがましい報道が多いらしいのだけど、本当かね?という。街頭演説の人気とか、言ってることの内容とか聞くと、そうも思えないし、そもそも世論調査とやらが怪しい。これは昔っから(昭和の頃から)嘘くせえなって思ってたけど、ここまで実態と乖離してきたのはここ1年くらいだと思います。

 ま、それはいいとして、例えば、期日前投票の出口調査で舛添優勢って記事がありましたけど(さすがフジサンケイ)、投票日までの人気調査の公表は、投票に影響を与える恐れがあるとして、公職選挙法上禁止されてると思うのです(第百三十八条の三  何人も、選挙に関し、公職に就くべき者(衆議院比例代表選出議員の選挙にあつては政党その他の政治団体に係る公職に就くべき者又はその数、参議院比例代表選出議員の選挙にあつては政党その他の政治団体に係る公職に就くべき者又はその数若しくは公職に就くべき順位)を予想する人気投票の経過又は結果を公表してはならない。)。だから本来、世論調査の公表なんかもいけないはずですし、より確定的な出口調査(既に投票してしまった人の確定的な結果)は尚更罪が重そうなんだけど、そのあたりメディアで自制はないのか?いや、このくらいはいいんだって意見すらあんまり見かけない。なんで?

 それに期日前投票というは、大体が組織票が多いと言われます。だからどんな選挙でも期日前投票の出口調査をやれば、公明党と共産党のワンツーフィニッシュになるとか。本当かどうか分からんけど、でもありうるよなって。そのあたり数値に対する吟味もない。もともと世論調査というのも、家の固定電話に昼間にかけたりするから、どうしてもバイアスがかかる。ネット調査も、それがどこにあるかによって、決定的なバイアスがかかる。

 投票予想というのは選対本部に詰めているプロ中のプロが、リアルタイムの情報と、数値にならない感覚(手応えみたいな)を総合し、さらに組織票で大体のところが分かる場合には有用です。しかし、都知事選のように半数近くが「まだ決めてない」という浮草状態で、どれだけのことが分かるのか疑問なんだけど、そういう話もない。あるのは、ネットのなかで真面目に突っ込んで考えている人達のサイトで、これがいろいろな意見があるだけに面白いし、いい教材になってます。

 また今はYouTUBEでもなんでも演説がビシバシ載っているので、いくら舛添優勢とメディアが書き立てても、それ自体が嘘臭く思われる。「わかってんのかなあ?」って疑問なんだけど、安倍ぴょん周囲も、マスコミも、一般国民の知能指数を20くらい低く見積もってない?エリートさんにありがちな誤解だけど。ちなみに僕が日本で「うわ、この人、頭いい!」って心底感嘆したのは、司法試験首席と言われていたクラスメートでもなく、京大首席だった人でもなく、大阪拘置所でガラス越しに面会した覚せい剤前科二犯の風俗のおねーちゃんでした。あの子は滅茶苦茶頭よかった。少なくとも僕の何倍も良かった。そういう経験を、もしかしてしてないの?という。僕の感覚では、学歴キャリアなんか血液型よりも当たらない、雑誌の(一般的な)占星術記事よりは当たるかな?という程度です。

 そういえばネットで舛添可視化プロジェクトというのがFacebookにあって、笑いました。圧勝といわれる舛添さんだけど、本当の人気はどうなの?という、演説の様子を写真や動画で上げているものです。しまいには舛添陣営が撮影禁止とか言い出して、それもまたネットに流れて炎上しているという。ちょっと舛添さん可哀想なんだけど。

 ここで言いたいのは、全部が全部ではないし、ごくごく一部ではあるけど、「マスコミ報道?嘘だろ?検証しようぜ、ほらな」というノリが普通に広まっているということです。ちょっと検索しただけで見つかるんだから。もう、メディアのいうことは嘘だと決めてかかっているというか(^^)。それでも世界レベルでは日本人はメディアのいうことを鵜呑みにする方で、だいぶグローバルスタンダードに近づいてきたので、喜ぶべきか嘆くべきか。

いわゆる靖国問題について

なぜ問題なのか〜手打ち破りだから

 ここでちょっとトピックを変えます。
 靖国参拝がよく話題になりますが、なんでこんなことが世界的に騒ぎになるのか、なんでアメリカが怒るのか?ですが、意外と解説がないです。メディアもあんまり言わないというか、批判する立場でも分かりやすく書いてないんじゃないか。

 あれ、靖国神社の問題ではないです。そこにA級戦犯が合祀されているところが問題です。だから、首相は千鳥ヶ淵の戦没者慰霊塔にいっても、長崎の原爆ドームで黙祷しても、沖縄のひめゆりの塔にいっても文句は言われない。それどころか海外の要人も一緒になって黙祷してたりもする。中韓でも言ってないと思いますよ。でも、唯一靖国だけ言われる。なぜか?です。

 A級戦犯の合祀は、昔からではないです。1978年に靖国神社が秘密裏に行ったものです。もちろんその背景には種々の勢力があったと言われますが、問題になり始めたのはそこからです。それまでは首相が参拝しても誰も文句は言われなかったし、BC級戦犯が合祀されても問題にはなっていない。

 そこで問題は「A級戦犯」という象徴的な意味になります。これ、具体的に誰がどれだけ「悪い」とかそういう問題ではなく、戦後の「手打ち破り」になるからだと思います。第二次大戦後の世界秩序は、敗戦国日本と連合国との総決算であるサンフランシスコ講和条約に関わります。あそこで正式な手打ちが行われた。細かい内容は省略しますが、あれだけの大喧嘩をやって負けておきながら、かなり寛大な内容だったと思います。ドイツのように分割統治されても文句は言えなかったし、100年立ち直れないくらいの賠償金を求められても「無条件降伏」した国に文句は言えない。でも、ほぼ元の領土は保全されたし、連合国側の賠償金請求はなんと全額チャラ免除にしてくれた。

 そのときのレトリックとして、今の日本国民は、当時の狂気の軍事政権の犠牲者だという「おはなし」にしたのでしょう。そーゆーことしておくと。だから君らは悪くないから仲間に入れてあげるよと。A級戦犯の誰がどうというのはこの際どうでもよく、象徴性こそが大事だったのだと思います。そういう約束にしたと。

 だからA級戦犯を再評価するようなことをすると、「おはなし」破りの、手打ち破りに見えるという。何が諸外国、特にアメリカから(オーストラリアからでも)見て腹が立つのかといえば、一回「YES」と言いながら、あとになってブチブチ文句を言うという、自分の言葉に責任を持てないという姿勢がムカつくんだと思います。お前、全然反省してねーだろという。いや、実際全然反省してない人達がやってるんだろうけど、そんな内心はどうでもよく、カタチだけでもそういうことしておけ、そうしている限りもう蒸し返さないからというルールですね。それを破ったという。

 意外と語られず、一般に知られていないのは、それまで天皇陛下も参拝に行っていたけど、A級戦犯が合祀された以降は、ピタリと行かなくなって、現在に至るも行っていないという事実です。

 なぜ天皇陛下は靖国に参拝しなくなったのか?
 その心のうちは忖度の限りではないし、公式に説明されたという話もきかない。だから個々人で推測するしかないのだけど、昭和天皇においては、あの戦争の幕引きをやった当事者としての、今上天皇は先代の意思とともに皇家としての「スジ」を通したかったのかもしれません。

「負ける」という意味〜喧嘩の覚悟

 私見によれば、僕もあとでブチブチ文句を言うというは嫌いです。てか、押し付け憲法だ軍事裁判は一方的だとかいう意見そのものが、既に平和ボケだと思います。喧嘩で負けるということは、皆殺しにされてもしょうがないのだ。喧嘩する以上、自分も死ぬという覚悟なくしてやるな、です。押し付けられて当然ですわ、負けたんだから。殺されなかっただけでもありがたく思え、「負ける」というのはそれほどの事だったのだという認識が乏しいのではないかと。大体、ボロ負けしておきながら、敗戦を「終戦」とか言い換える、ツライ現実からは目をそむけようという、クソひ弱なメンタルが嫌い。

 負けるのが嫌なら、その屈辱を味わいたくなかったら、何がなんでも勝つしない。勝つためにありとあらゆる努力をすべきであったし、勝てない喧嘩はするべきではない。あれはやるべきではない喧嘩をやったし、あらゆる努力をしていない(一般国民ではなく日本の中枢が)。

 にもかかわらず、戦後の日本はラッキーすぎました。本来なら北半分はソ連か中国、南はアメリカあたりに統治されてても不思議ではない。国家解体され、日本語も日本名も禁止されても不思議ではない。そういう敗戦国は世界史上いくらでもある。エスニック・クレンジング(民族浄化)で根絶やしに虐殺されたユーゴ内戦の例も直近にはある。にもかかわらず、許された、それは米ソ冷戦のスィートスポットにたまたま居たという地政学的な幸運以外の何物でもない。さらに朝鮮戦争とベトナム特需で戦後復興すらした。

 そのへんをご都合主義ですっ飛ばしているところが嫌いです。これが国ではなく個人だったらあなただって嫌いだと思うぞ。さんざん喧嘩して負けて、命乞いして、今度ばかりは許してやるよと寛大な処置をしてもらってながら、ほとぼりが醒めてから被害者意識満載で「俺が悪いんじゃないよ」「ひどいめにあった」とかブツクサ文句ばっかり言ってる奴って、サイテーじゃん。怒られるべきところを許されて、過保護になった子供みたいに、「このくらいは許されるだろ?」という甘ったれた世界観がある。しかし、あんなラッキー、この先1000年生きてもあるかどうかです。二度目はない。

 大体、生きて虜囚の辱めを受けずとかいってたんだから、敗戦になったら全員自殺しなきゃ嘘でしょう。少なくともそういって偉そうに訓示垂れてた人はそうでしょう。勿論そんなことしないし、する必要もないわけだけど、だからトータルでいえば何もかも嘘だったんでしょ?ってことです。その嘘を今更復活させてどうする?どんな展望があるというのか。

 だからこの「口先ばっか」というのが一番ムカつくし、もっと切ないのは、言ってる奴は口先でも、その口先で本当に沢山の人々が戦場に送られ、あるいは空襲その他で悲惨な思いをして死んでしまったという事実です。

 A級戦犯の人達だって、「俺らが全部悪かったことして、それで済むなら」って部分もあっただろうし、個人的には彼等にそれほど悪感情を持ってないですし、すんませんね、犠牲は忘れませんよ、くらいに思ってます。むしろ米軍の一部とうまいこと話をつけて延命していった連中の方がタチが悪いくらいには思ってます。

 本当の戦後決算は自分らの手でやるべきなんでしょう。まだ全然やってないけど、あれは誰が悪かったのか?と。一億総懺悔なんて結局だれもが無責任なんてクソぬるいことやってないで、暴走した関東軍、アホな計画を立てた軍の参謀、甘い汁を吸った財閥、満州でも市民を取り残して自分らだけ帰国した連中、憲兵や特高で市民を必要以上にいたぶった連中、軍国教育をおしつけた教師、大本営発表ばっかり垂れ流したメディア、全員戦犯でしょう。そんなこといってたら、日本人の3人に一人くらいは自分らの手で処刑しないとならないいけない計算になるけど、本気でやるならそのくらいやるべきでしょう。もう皆死んじゃってるけど。

 僕はもう半分外国人的に荒っぽく考えるのかもしれないけど、地球レベルでは、そーんなにありえない話でもないでしょう。3人に一人が滅茶苦茶だというだろうけど、カンボジアのクメール・ルージュはそのくらい自分らで自国民を殺しているし(それが良いとは決して言わないが、事実の問題として起こりうると)。今でも、中央アフリカなんか、かなりムチャクチャですよね。

 この種の戦争だのなんだの荒っぽい話をするなら、それが無茶だと思う時点でもうボケているんじゃないかということです。別にボケてて悪いとは言ってません。こんな殺伐とした話なんか、知らないで一生を終えられたらそれに越したことないです。愉快な話でもないですしね。でも、喧嘩=殺し合いと、単なる口喧嘩や火遊びとの区別がついてないのは良くないです。弁護士のときも、「許せない!」とか息巻くのは本物の喧嘩がわかってない人で、一旦始めたら退けないよ、食うか食われるしか無いよ、泣いて頼んでも許してくれないよ、下手すりゃ全財産取られるよ、それでも喧嘩する?って聞きますが、そこで「おう!」と言う人だけ依頼者にします。そのくらいでないと喧嘩なんか出来ないです。で、あなたは違うかもしれないけど、そういう人は結構います。日本の和の社会では、やっぱハンパな根性で裁判なんか出来ないし、やってる人はハンパな気持ちではないです。

 が、それもこれも過ぎた話だし、70年も昔の話を今更ほじくり返して、あーだこーだ言ったり、他人に言わせるような不注意なことは避けるべきでしょ。もう一回殺し合いをやりたいなら、例えばもう一回アメリカとリターンマッチをやって勝つだけの客観的保証があるなら話は別だけど、それでも俺はイヤです、一抜けたです。意味ないもん。

 そんなことよりも、もっともっと明るくて豊かなことを創造したいもん。グジグジと浦見魔太郎みたいに上目遣いに世界を見て、他人を羨み他人を憎むことで一度しか無い人生を過ごすなら、愉快な仲間と酒飲んで腹抱えて大笑いして生きて、死んでいきたいもん。無念で死んでいった人々への、それが一番の供養だと、僕は思います。おかげさまで楽しくやらせていただいています、ありがとうございました、皆さんのおかげですと。意地でもハッピーにならなきゃいけない、それだけのでっかい義理を受けちゃったんだって。でないと、あの世とやらに行ったら、ご先祖さんにはっ倒されますからね。

 だから、ちょいデカい話になるけど、日本に限らず、中韓でも、世界のどこでも、ちょっとムカついたから○○人をぶっ殺せ的なアクティビティにかまけている人達、もっと他にやることがあるでしょう。20世紀前半に地球上であれだけの人々が苦しんで、それでもなんとかかんとか平和に漕ぎ着けてくれて、その上にアグラをかいているのが僕らなんだから。自分自身が幸福になるという「でっかい仕事」があると思うのですね。「あっちの世界」とやらに行ってですね、出迎えてくれたじーちゃん、ばーちゃんに、「(人生は)どうだった?」と聞かれて、「うん!すげー楽しかったよ!」と答えること。そして「そうかい」「良かったねえ」ってニコニコしながらウンウン頷いてもらうことが、この時代の俺らの使命みたいなもんじゃないかと。何の使命か分からんけど、人類の一員として。死者に対する生者の礼節として。

本当に好景気なのか

 一転してソリッドな事実の話をしましょう。

GDP成長の実質は公共投資でしかないこと
"実質GDP"成長率が年率1.9%増(7〜9月期)、四半期連続プラス-
 という景気の良さそうな記事(2013年11月14日)があります。
 しかし、内実を見ると、個人消費は実質0.1%増(前期0.6%増から減少↓)、輸出は実質0.6%減(前期2.9%増↓)、企業設備投資は実質0.2%増(同1.1%増↓)というわけで、全然パッとない、というか前期に比べて軒並み落ち込んでいる。円安で伸びる筈の輸出はどうかというと、これも実は減っている=実質0.6%減(前期2.9%増↓)、輸入は2.2%増(同1.7%増↑)。

 では、何が上がっているかというと、消費税前の駆け込み需要の民間住宅(住宅投資)が実質2.7%増(前期0.4%増↑)。しかし一番大きいのは政府の公共投資で実質6.5%増(同4.8%増)です。

 何のことはない、GDPが伸びましたといっても、政府が税金や国債使ってドカドカ公共投資をやってるだけのことです。もちろん公共投資が景気刺激に一定の有用性を持つのは否定しませんけど(でもハッキリと息切れしてきているけど)、それまで勘定に入れて、それで数字を押し上げて「四半期連続プラス」と一見景気よさげなことを言ってるだけって気もしますね。ちゃんと読めばわかるんだけど、見出しだけ見てると真逆の印象を受けます。これ、正確に見出しをつけるなら「アベノミクス効果乏しい」ってハッキリ言っても良さそうなんだけど、そうは言わない。


株式相場は外人市場
誰もが知ってるとは思いますが、一応。
2013年の日本の株価はかなり上がりましたが、日銀の異次元緩和などの「材料」によって海外投資筋が買っているだけの話で、景気が良いから上がっているわけではない。まあ、株価が上がると景気が良くなったかのように錯覚するので、その心理効果もあるでしょうし、塩漬けになっていた株を売却して小金を稼いだ富裕層や企業が多少財布の紐をゆるめたという部分もあるでしょう。しかし、この上げ相場で外国人が突っ込んできた投資額は15兆円。

なんでそんなに外人が買うのか?といえば、僕の粗い理解では、要するにリーマン・ショックがまだ終わってないのでしょう。先進国はどこもへろへろで、とにかく緊急輸血のようにお金を注ぎこむしかない。量的緩和(QE)1、2、3と、これをやめたらポシャりそうで怖くてやめられない。市場にはべらぼうなお金が出回ります。そうなると投資するしかないわけで、世界中の有望(に見える)ところに投資し、日本ではアベノミクスがあるということで、そこにも投資しましょうってことでしょう。お金が余ってどうしようもないのだから。

 日本だけではなく世界中にお金を注ぎ込んで、もう無理矢理にでもバブルっぽくしている。新興国は上昇するという思惑だけでどんどんつっこむ。この種のバクチ性投資(投機)は、材料があったら針小棒大にし立てて相場を作りますから。でも、実際の経済はそんなに進まない。ビデオの早送りのように思惑だけが先行してやってるから、いつかは現実との亀裂が走る。そんなに生産したって、先進国はビンボーになってるから買う人いないし、新興国市場はまだまだ青いし、どうしても過剰生産になってポシャる。そうなると一斉に手をひく。新興国は伸びざかりの最中に血液を抜かれてコケる。97年のアジア通貨危機と同じで、「大事に育てていく」という発想がない(あるわけがない)。

 2013年いっぱいはなんとか持っていたけど、そろそろかなという潮時感はきている。日本株も1月は完全に下げ相場だったし。そうなればなったで、今度は下げ相場の信用売買で儲けるのが彼らの手口で、僕の素人考えではふらふらしながら徐々に下げてくると思います。いきなりドカンじゃ彼らも死ぬし、できれば高値で売り抜けたい。だから分かりやすく一気に落とさないで、「お、まだ上がるぞ」とカモ(一般投資家)に思わせるようにして高値で掴ませて、下げていくんじゃなかろか。しかし、こんなの世界に数百数千という単位である投資機関の思惑だから、彼等だって「あれ、こんなはずでは」とパニックになって投げ売りするかもしれない。そうなるとドカンです。もう非常に心臓に悪いというか。

 最近ではBRICSの代わりに言われるようになったFragile Five(壊れやすい五カ国)がハラハラ情勢だったりします。ブラジルレアル、インドルピー、インドネシアルピア、トルコリラ、南アフリカランドの5通貨ですね。トルコリラは通貨防衛のためにいきなり金利を2-3倍にするなど凄いことをしてますし。先週、アルゼンチン・ショックが走るし、ピリピリしてますね〜。高齢者の方、虎の子の老後資金を海外投資してたりするのかもしれないけど(ブラジル債とか、結構広告が出ててびっくりした)、注意されたほうがいいかも。

 ちなみに安倍ぴょんが頑張って原発を売りつけようとしている、トルコ、ベトナム、インドは、それぞれ自国の経済がやばくなってきて、原発どころではないのではないか。ベトナムには2020年まで延期してねと言われちゃうし。2000億円の手土産持っていったインドはどうなるか分からないけど、核廃棄物は日本で処理しますとかいう凄い条件つけてるという噂だから破談になったほうが国益に沿うような気がしますが。

 以下、数十の経済記事をピックアップして、いちいち他の記事も検索して検証して、裏付けとってとやっていたら、異様な分量になるし、疑問も出てきて終わりません。今回はやめます。

 ポイントだけいうと、

賃金系
・日本人の実質賃金は、17ヶ月連続で下がっていること。これは過去最長の連続減少。

・非正規雇用は過去最高の1964万人。2000万人まであとちょっと。全労働者の37.2%。雇用者数そのものは安倍政権になって106万人増えたが、実質は非正規が111万増えて、正規は26万人減っている。つまり雇用者が増えたというよりは、正社員から非正規へのシフトが急ピッチで進んでいるといえる。

・そもそも日本企業は、465万人の余剰人員を抱えている。社内ニート化してるので、早く減らしたい。

・実際減らしており、企業の利益は3.5兆から14.6兆に、リーマンショック前まで回復しているが、ほとんどがリストラの成果。売上そのものは、まだ回復まで50-60兆円足りない。一方、社員の社会保険料の企業負担は2012年に29.1兆だったのが、自然増で25年には41.1兆円になる見込み。こんなのマトモに払ってたら利益食いつぶしてしまうから、もう社員を抱えきれそうもないし、減らさないと生き残れない。

リストラ話題
・苦境に立つ日本の家電メーカーは、猛烈にリストラをして再建している。

・三洋電機は、かつて2万6000人いた社員は、いまは1750人へ。携帯部門を京セラに売り2000人削減、以下パナソニックの子会社になってから半導体部門をアメリカに売り6500人削減、白物家電を中国に売り3100人削減、去年の時点で残ったのは2000人。今年さらに250人削減。

・本体のパナソニックも、半導体3工場をイスラエルに売却、この分野の社員7000人削減で半分に、またシステム開発部門も3分の2(1000人)を削減。

・先日、フィッチにつづいてムーディーズにもジャンク債格付けにするかも、と言われてしまったソニーの場合、約1万人リストラしつつも、商品が売れないから尚も苦しく、さらに追加リストラする予定。

・このソニーとパナソニックがタッグを組んで有機ELテレビ開発提携をやってたんだけど、とても無理だということで事実上撤退。しかし、日本家電を食ったサムソンも今は青息吐息で、台湾メーカーや新興中国メーカーに取って代わられようとしてます。

 ・「電子立国・日本」の立役者だった半導体技術者ですが、ここも大変。三菱、日立、NECの分社化という毛並みの良いルネサス。国(産業革新機構)やトヨタの下請けのようなカタチになり、最盛期には4万8000人だった従業員も、半分の2万人以下になり、さらに5000人解雇予定。同じく国から支援を受けていたエルピーダは2012年に経営破綻。
 で、なまじそれまでエリートだっただけに転職先がなかなか見つからないとも言われてます。なんせ世界の競争に放り出されるので、年収5分の1(200万程度)で幾らでも優秀なアジアの技術者が育ってきている。3Dプリンターなど技術開発で、逆に熟練技術者の居場所がなくなるという皮肉な結果もあると。

・頼みの綱のトヨタも、人員削減こそしないものの海外移転を加速。円安で輸出が楽になっていても、国内販売がダメなので、田原工場の1ラインを閉鎖(40万台分)、宮田工場の5万台分のレクサスをアメリカのケンタッキー工場に移転。
 ところで、なんだか知らないけど、トヨタが日本国債を5兆円近く保有しており、うち一兆円は直近半年で買ったものらしいけど、いいのか?海外に軸足を移すのはリスク管理としては正解だろうけど、国債5兆も持ってたら、いざ日本経済の底が抜けたら共倒れじゃないかという疑問が、、、。どうなんでしょ。


外食・食品産業の苦境  より僕らの日常に直結する飲食ビジネスですが、ここも大変。
 マクドナルドがコケそうだというのは既に有名なニュースですが、ほかも大変。円安で原料代が高騰するわりには、街角ではすでに不況風が吹くので、売上が伸びないのでどこも苦しいようです。

 例えば、かっぱ寿司(42億万円の赤字、50店舗閉鎖)、吉野家(赤字2億7600万円)、ハウス食G(経常益15%減)、はごろもフーズ(26.30億円の赤字見通し)、食肉加工業「米久」(1億6000万円の赤字)、中華レストラン「東天紅」(2億円の赤字)、「石井食品」(2億2500万円の赤字)。

 もっとも日清食HD(純利益30%増)という明るいニュースもありますし、ファーストフードや居酒屋系はキツイけど、ファミレスは結構好調だという話もあります。

 え〜、あと数十記事が残ってるのですけど、もうやめます。長すぎ。時間もないし。

今このあたり〜アンシャン・レジームと七月革命

傲然と嘯け、ツァイトガイスト

 さて気分が沈みそうな記事を敢えてずらずら並べたけど(ほんの一部に過ぎないけど)、「それが?しょせんゼニカネだろ?」と、傲然と嘯(うそぶ)くというのが、最初の方で述べたAの潮流(個人と精神的価値の潮流)だと思うわけです。

 それが最新のツァイトガイスト=時代精神ってもんだろう、と。

 総じて言えば、なかなか厳しい時代になっているわけだけど、でも20世紀前半の戦争時代に比べたら屁みたいなもんでしょ?さらにそれ以前の、厳しい封建社会とか植民地時代とかに比べたら言うまでもない。今くらい楽な時代はないわけですよ。

 ただ、いくら楽と言ってもそれなりにハードルはあるし、凸凹もある。やたら強欲な奴もいるし、洗脳しかけてくる奴もいるし、バランス崩してやたら恨みがましくなってる奴もいるし、皆がみんなハッピーってのは、そりゃあ難しいですよ。でもやんなきゃいけないわけで、だったら強く賢く学んでいくっきゃない。

 昨年末から今年にかけての動きというのは、その「賢く学ぶ」ということに関してはなかなかいい感じになってるよな〜と思うわけです。これだけグチャグチャに候補者が入り乱れて、同じ日本人でありながら、言ってることが180度違ったり、何が本当なのかわからなくなっているという。そんな中で、セコいトリックも段々バレてもいくだろう。また、どっかに「正解」があるんじゃないかって幻想も醒めてくるだろう。どこかにある正解を探し出すのではなく、まず自分はどうなりたいのか、どういうのがいいのか、どうあるべきかって所から始めて、そこから考え、そこから動くということ。それがどれだけ浸透していくかです。

「今このあたり」その1

 で、それが都知事選とどう関係するかというとか、大きく全部関係します。
 でも、冒頭に述べたような「今このあたり」という歴史感覚みたいなものが一番関係するような気がします。

 さきにフランス革命や安政の大獄を紹介しましたが、特にフランス革命の蛇行的進展は、なんかダブリますね。フランス革命というのは瞬発的にドカンと起きたかのようなイメージがあるけど、1789年7月14日のバスティーユ牢襲撃のフランス革命記念日の第一次革命から、1830年の第二次革命=七月革命(ややこしいけどこれも7月で、7月27日からの「栄光の三日間」)、さらに1848年の第三次・二月革命になります。

 こういうときに過去の自分の勉強ノートが役に立つのですが、 ESSAY 350:フランス革命ESSAY 352:ナポレオンESSAY 356:歴史の踊り場 ウィーン体制ESSAY 357:7月革命、2月革命あたりを読み直してみると、なかなかこれが符合する。

 最初のフランス革命のあとに内ゲバになってジャコバン(庶民・急進)派とジロンド(富裕・穏健)派の対立になり、このときたまたま議会の座席の位置で、ジャコバンが左翼、ジロンドが右翼と呼ばれ、以後世界中でこのスラングが使われるようになります。ウヨというのは本来は財界、新興ブルジョワジーの勝ち組派なんですけどね。このときはジャコバン派のロベスピエールが天下を取ったのですが、この人、あまりにも清廉潔白であまりにも優秀すぎたので、曲がってるのが生理的に嫌いなのでしょう。逆に恐怖政治になってしまいます。やりすぎて、逮捕、翌日処刑のテルミドールの反動がある。穏健派が天下を取るんだけど、穏健派だからこの修羅場は全然仕切れない。もっとグチャグチャになる。

 今度は外敵がやってくる。なんせ王様一家(ルイ16世とマリーアントワネット)まで処刑しちゃったから、周辺諸国(の王政体制)が黙っていない。自分の国まで革命が飛び火したらえらいことだからです。四方八方からフランスに攻めてくる。そこに出てきたのがナポレオンで、どこの派閥にも属してなかった盲点のような軍隊出身だから新鮮味があってまとめやすかった。それに内ゲバよりは外ゲバの方がはるかに簡単の法則で、旧来の封建勢力と喧嘩することと祖国防衛がピッタリ一致するから、めちゃくちゃ皆も燃える。ナポレオン連戦連勝。そりゃそうです。周辺諸国の軍隊に駆り出されている(もとはお百姓さんである)兵士にしてみれば、ナポレオンに勝ってもらって自分も解放されたいから、喧嘩にならないです。でも、ナポレオンも征服した国では解放者というよりは支配者として振る舞ったから人心が離反し、没落。イギリス海軍にトラファルガーの海戦で負け、ロシアに遠征してボロボロになり、最後にワーテルローで大敗北。

 ナポレオン没落の権力の空白を占めたのが、旧来の王族貴族による支配(アンシャン・レジーム、王政復古)です。諸国でその後の貴族による世界秩序を話し合ったのが「会議は踊る」で有名なウィーン会議。既得権集団の山分けの相談ですな。そこで八面六臂に活躍したのが、金髪の貴公子で、外交の神様と呼ばれるメッテルニヒ。なんかこの人、幕末の土方歳三を彷彿とさせるのですよね。立場的には幕府側、コテコテの旧体制側で権力の犬と蔑まれても仕方ないんだけど、人間的には恬淡としてて、やってることがあまりにも無私で、且つ凄腕。ワガママばっかり言う各国の王族貴族間で絶妙なパワーバランスを取っていくその手法が神業じみていて、あのキッシンジャーもメッテルニヒの心酔者だったそうです。そういう人多いらしいです。

 でも、しょせんは旧来既得権がワガママぶっこいてるだけというウィーン体制の本質は変わらず、フランスでもルイ18世が返り咲き、亡命貴族が戻ってくる。でもってワガママ放題をやる。このあたりが、「今このあたり」っぽいんですよね。

 時代の流れにそぐわず退場を命じられた者達が、権力の反動作用で再び王位についても、さしあたって画期的な政策も理念もないわけです。時代が全然読めてないわけだから、イギリスのエリザベス女王のように「知的所有権」という概念を世界で初めて認めて産業振興に務めるという開明性などまるで無い。ひたすら昔のようにやりたがる。特に亡命貴族は「王よりも王みたい」と当のルイ18世が愚痴るくらいのワガママぶりで、しまいには白色テロ(改革派を暗殺する)までやって、貴族が過激派になっていく。過保護に育ってるからやってることが子供じみていて、逆らう奴は殺しちゃえって感じ。そしてシャルル10世になってから、最終的に虎の尾を踏んでしまいます。不法選挙と言論統制です。選挙結果が自分に不利だから、「今のなし」「もういっかいね」といって一回も招集されていない議会を解散してまた総選挙をやろうとするわ、言論出版をビシバシ統制するという。

 まあここまで露骨にボケられたら、ツッコミいれなしゃーないわなあってなわけで、民衆蜂起。たった3日で革命成就です。なんせ過去にやってるから、今度は民衆も強いのですよ。一回目はおっかなびっくりだけど、二回目は「俺達なら出来る」という自信があるんでしょうね。大ボケ勅令の翌々日には、いきなり喧嘩腰で市街戦。もう手慣れたものです。

 このあとが面白くて共和制にならないで、まだ王政が続くのですね。ルイ・フィリップという自由主義者、要するに「話のわかるお殿様」ですわ。それを担いで七月王政が18年も続きます。そして第三次に2月革命になるのだけど、こんどは王族は完全に場外で、市民サイドでのブルジョワジー対労動者の図式になります。

 いくつかの点ですごい符合するのですが、そもそも最初の第一次革命はなんで起きたのかといえば、今の日本と同じく国家財政破綻です。贅沢三昧のルイ14世の負の遺産で、金が無い。皆も生活に困りまくっていたというのが原点。で、第一次革命が民主党の政権奪取に相当し、ジャコバンVSジロンドの革命政府内部の内ゲバが菅VS小沢に相当し、内部的に自壊していく。ここで「周辺諸国との戦争とナポレオン」という部分は、状況的に合わないのでワープして、ナポレオン退場後のウィーン体制=アンシャンレジーム、旧来の既得権貴族がやりたい放題なのが自民党圧勝返り咲き〜現在地点くらいかなと(東電とか財界のブラック化とか)。

 幕末の安政の大獄も同じなんですけど、この種の復古派には共通点であって、まず時代が読めていない。ひたすら「昔のまんま」にやろうとする。だけど何もかもが時代遅れだから、当然のことながら何をやってもダメってか、自分たちにだけ都合のいいことをやろうとする。ただただ高圧的、強権的であろうとする。井伊直弼も勝手にアメリカと通商条約を結んでしまい(今でいうTPPみたいなもん)、かつ吉田松陰をはじめとして志士たちを処刑し、幕府の中でも開明的な幕臣を排除。頭の中には「幕府のご威光を取り戻す」という復古オンリー価値観だけ。

 展望がないから、またひっくり返されちゃう。そして二回目の政権交代は、一回目と違って民衆側にも「俺達が選ぶ」「それが出来る」という自信がある。だから安政の大獄も1年くらいしか続いてないです。そのあとは倒幕派もイケイケになり、桜田門外の変のあとには、まぎらわしくて受験によく出る「坂下門外の変」がすぐに起きる。もう「手慣れたもんだよ」って感じ。

 以上が、時代的に「このあたり」的な感覚です。でも、もう一つある。

「今このあたり」その2

 これが、何度も書いてるAの時代精神です。
 経済イケイケだけだったら限界あるぞ、てかイケイケでやればやるほど地獄をみるぞ、もうメカニズム的にそうなるしかないぞ、だったら、違う価値観で世界を組み直していくしかないんじゃないの?という世界的な流れです。

 「1%が99%を支配する」という表現は、今や世界的な常識になりつつあると思います。行き過ぎた自由競争原理、新自由主義の問題ですね。ただし、これに対抗するには、自宅にひきもって布団被って見ないふり、なかったふり、というオストリッチ症候群的なやりかたでは意味がない。そんなひ弱メンタルで怖がっていたって、いずれは家ごと津波にもっていかれるだけです。

 だから正社員の首切りを難しくして、派遣社員を正社員にしてなんてやり方はもう無理でしょ。時代の流れに即しない。そんな温情をかけていたら企業そのものが潰れるし、もうどんどん潰れている。正社員を基軸にしてどうこうということ自体が、一種のアンシャンレジームなのでしょう。幕末の頃に、頑張って幕府に仕官するようなものです。だとしたら、正規非正規の別け隔てなく、それなりの保障をし、格差を是正する。当然のことながら、正社員の待遇は大幅に落ちて生活破綻になるのだけど、そうならないようなセーフティネットの拡充しか無いでしょう。

 年収200万のマックジョブでも、十分に暮らせる、老後や将来の不安からも解放されるという社会にしていく。そもそもいずれなくなる下駄の雪のような正社員概念をベースにして全ての社会設計がなされているから、年収が少ないと極端に生活が大変になるわけでしょ。年収200万がキツイといっても、オーストラリアのワーホリできて、バイトの年収2万ドルあったら、かーなり楽でしょ?(>こっちに来ている皆)。週384ドル入ってくるなら、住居費を始め、なにもかもが日本の二倍の物価のシドニーですら、楽勝に生きていけるでしょ?そんな難しいことではないのだ。だって現にできているんだもん、この国では。

 簡単な事で、年収300万以下だったら全ての公租公課を免除してやったらいいです。所得税も保険料も年金もNHKの受信料も。そうすれば月に3-5万は増える。また、逆に年金も所得300万以上の人には出さないという具合にすればいい。オーストラリアにはアセット(資産)テストがあって、その人の状況によってかなり細かく調整します。老人ホームの入居条件も費用も所得に応じて相当細かくオプションがある。

 全国一律のハードルを設定し、それにつかまれたらOKだけど、そうでなかったら自己責任よというやり方は、全体に上り調子のときはアリでしょう。でも、毎日毎日鉄棒の高さが上がっていき、しかも手を離したら、あーって奈落の底に落ちるかもしれないってなやり方だったら心を病むよ。だったら、手を離してもやっていけるように根本的にデザインを変えていくしか無いじゃんってことです。トリクルダウンとか、企業を儲けさせて皆の給料があがって、それで、、なんてカビの生えたチーズみたいな発想はやめたほうがいいと思います。むしろ派遣社員こそが「正社員」なのだという発想の転換をして、彼らが天国で「すげー楽しかったよ!」って言えるようにもっていくべきだろうと。

 経済成長すれば全ては解決するさ、金が儲かればそれでOK、競争に勝てばいいのさという旧来の方法論、「成長して解決」という発想そのものが時代遅れになってきている。そんなこといつまでやってても展望はないし、ジリ貧になるだけ。だから、お金とか経済というものと、個々人の人生や幸福というものとの適正な距離を測りなおし、仕切りなおしていくしかない。お金はそんなに無くても、その分より深く仕合わせになるやり方を模索すべきである、、、という人類史的なパラダイム転換ですね。

都知事選について

 細川さんの最初の演説をYouTubeで聞いた時は、かなりぶっ飛びました。彼はこのことを言ってるわけでしょ。「腹八分目」ではなく「腹"七"分目」というのは、従来の感覚からいえばちょっと足りないかなってくらいで止めておけってことだし、それでいいのだ。その分、精神的な自由さと豊かさを育むような世の中にしていくべきだと。

 めちゃくちゃ高尚な事を言っているのですが、個人的にはめっちゃ正論だと思う。でも、驚いたのはそのことではなく、そんなめっちゃ高尚なことを手加減せずに、媚びもせずに、選挙で言えちゃうということです。ああ、この人、国民を愚民だと思ってないなと。どうせこんな高尚なことを言ってもこいつらにはわからないんだから、アメでもしゃぶらせておけばいいんだよって発想はない。「日本人は馬鹿じゃないから分かるはずだ」という信念みたいなものがベースにあるなと。信念というか願望というか、「自分らの同胞は馬鹿だ」という前提で話を組んでいくことはしたくないのでしょう。そこがすげーなと。

 脱原発が争点だというけど、本当の大きな争点は幸福とはなにか、社会とはなにかというパラダイム転換であって、原発はその一例にすぎない。戦争と原発くらいシステマティックに特権集団が儲かる構造はなく、それは中世荘園システムが貴族階級の経済ベースになったのに相当すると思います。原発利権そのものがアンシャンレジームの象徴であり実体でもあるということでしょ。アンシャンレジーム打破は当然のこととしても、問題はその次で、どういう理念とDNAで社会を作っていくか論だと思います。

 原発は国政問題だから都政ではないとかいう意見もあるけど、これってマジにそう思ってる人っているのでしょうか?ちょっと馬鹿馬鹿しくて反論する気にもならないくらい幼稚な立論だけど、それを言うなら、石原都知事が尖閣問題に手を突っ込んで寄付金億単位で集めたというのはどうなるのか。あのときそんな議論になったのか。現実に福島電気を使い、空気、食材、水、、、要するに生活環境全てに関連する原発、さらに東電の大株主(その株式資産は東京都民の資産)である東京都がこれに関して考え、意見をもつことと、数千キロ離れた行政区画でいえば沖縄県石垣市の管轄になる離島について東京都が関与するのと、どっちがどうよ?です。

 が。そんな低レベルなことよりも、より本質的には「こういう原理で社会を作りたい」という意見・理念の表明以上に何が選挙と政治にふさわしいのか?と思います。

 既に通常に二倍書いてるので、このへんでやめます。

 というわけで、今度の都知事選は、いろいろな意味で面白く、学びの場だなあって思うのですよ。結果がどうあれ、このステップを踏んだというのは、後から振り返ったら、「ああ、あのときに」と思うような歴史の転換点の一つになるだろうなと思います。

 以上。


文責:田村



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