今週の1枚(06.02.06)
ESSAY 245/『時代が変わった』 〜物財幸福主義は1970年代に既に終わっていた
写真は、前回に引き続き、さる4月26日のオーストラリアデイでの風景。6機編隊でオペラハウスの周囲をアクロバット飛行してくれました。けっこう長いこと、手を変え品を変え、バリエーション豊かにやってました。やっぱりライブで見ると迫力でしたね。
堺屋太一氏の「時代が変わった」という本を読みました。2001年12月発行ですから5年前の本です。この種のビジネス系の本で5年も前の本になるともう致命的に時代遅れになっちゃったりするのですが、この人の本の場合はあんまりそういうことがない。視点が思いっきりロングレンジだからです。将来を予測するのだけど、「人類はこうして発展した」という数千年スパンから説き起こすので、5年や10年くらいだったらそう大きくズレないのですね。また、日本に留まらず世界史的視野で論ずるので、世界史のおさらいというか、「ほう、そうだったのか」という頭の整理にも役に立つので面白いです。このように世界史的スパンで論じるのは海外の著作に比較的多く、日本の書物では少ないように思いますので、読んで損はないでしょう。
この本も、テーマは著者年来の主張である「世の中は知価社会になる」というもので、過去の著作から比べてそれほど目新しいことを言っているわけではないです。でも、「なぜそこでルネサンスは起きたのか?」という論点を資源エネルギー問題にリンクさせて解き明かすなど、結構新鮮な視点が書かれていて面白いです。
この本で僕が一番面白いなと思ったのは、一つには「産業革命以降のパラダイムである物財幸福主義は実は1970年代に終わっていた」という視点、あとは人類の歴史を革命期によっていくつかに分けて論じている点です。ちょっとご紹介しましょう。
先に人類史ですが、第二章「文明の流れ」、第三章「人・モノ・組織の変化」あたりに書かれています。人類の歩みを、始代→古代→中世→近世→近代と分類するのはオーソドックスなものですが、ポイントは「なんでそうなったの?」です。
始代は人類が農業を始めた頃、1万年くらい前に中国とかメソポタミアで土地を耕して食べられる植物を自分たちで植えるという行為が広まった頃です。農業が起きたら、いきなり人類は豊かになったかというとそんなことはなく、洪水や旱魃など気候天候に激しく左右され、その都度人々は増えたり、餓死したりしていた。こういったシンプルな時代には、巨大な帝国も階級も出来ません。そんなことやってるヒマがないからです。朝から晩まで必死で働いても、それでも餓死したりしてたわけですから。しかし、この時期、それでも集落はあり、政治もあった。外敵(多くは鳥獣)から仲間を守ったり、種籾を食べちゃわないように厳重に保管したり、ルールを破った奴に制裁を加えるという、警察、司法機能はあった。また、あまりにも天候に左右されるため、天候=神様ということで、神様に仕える巫女(シャーマン)が権力を担った。
ここで面白い指摘がなされているのですが、この時期、芸術は抽象的になるそうです。農業以前の狩猟社会では、動物をよーく観察し、その動向や法則性を正しく認識しないと獲物が取れないから、必然的に科学的な視点になり、描写も写実的になる。洞窟画などが非常にデッサン的に優れていて写実的だったりするのがいい例です。しかし、「神様だのみ」の時代になると、あんまり写実的ではなくなる。極端に象徴化され、デフォルメされたデザインになる。土偶なんかもそうですね。物財を正確に観察する必要がなくなり、ひとつの抽象的な理論(神様にお願いして豊作をもたらす)に帰依するから、デザインも抽象的になる、、、とのことで、「ほう、なるほどね」と思いました。
次に古代になります。今から4000年くらい前、「農業革命」が起きます。一つは利水や治水。川から灌漑用水を引っ張って水を導入したり、大雨が降っても氾濫しないように堤防を築くようになります。除草や深耕効果も発見されます。これによって生産力は飛躍的に上昇しました。たくさん作物がとれるようになった。するとどうなるか?人々の発想も変わるわけです。
革命的な事実は、「頑張れば物財が増える」という発見です。それまでは、頑張っても頑張っても一雨きたらそれで終わりでしたから、物財なんか豊かになるわけがないと皆が思ってた。だから神様頼み。しかし、「技術」というものによって、やりかたによって生産量は増える、物が豊かになるということを知ったわけで、こうなる皆さんガゼンやる気が出てきます。「幸福=物財の豊かさ」という考え方が登場する。「技術」の凄さを知った人類は、技術を発展させようとします。天文を観測し、土地を測量し、植物や動物を熱心に観察します。それまでは単なる虫だったのが、これは害虫、これは益虫と緻密に分析分類しようとします。物事を冷静に観察し、仕組みを理解し、工夫を凝らすという「科学する心」が生じ、表現は再び写実的になる。
このように頑張れば頑張るほど豊かになる社会になると、「働かなくてもいい人々」が登場します。全員総出で働いても生きるか死ぬかだった頃に比べ、一部の人間が働けばそれで全員食っていけるようになれば、働かない人が生まれる。つまり階級が生まれる。搾取被搾取の構造が生まれる。そして、始代においては広い土地を所有しても誰も耕せっこないから意味がなかったけど、今度はいつか耕して収穫が増えるかもしれないと思うから、領土拡張欲求というのが出てくる。かくして国家はどんどん巨大化し、古代王朝が出来る。奴隷階級をコキ使って収穫高を上げると、今度はこれらの余剰生産物を他所にいって交換しようという話になる。商業が起き、交易、貿易が起きる。そうなるとインフラを整備しましょうということなるから、「全ての道はローマに通じる」という幹線道路の整備をする。国家間の戦争も普通に生じるから、いろんな戦略が生まれ、中国の春秋戦国時代には孫子の兵法なんかも生まれる。巨大になった国家を支えるためにルールも精密になる。人類太古の成文法ハムラビ法典なんてのも出来る。この時期、「神頼み」の心理は薄らぎます。ローマ帝国勃興時には、別に宗教の力も、神様の権威もそんなに必要なかった。むしろ暴君ネロのようにキリスト教徒を迫害した。
紀元前において、既に今とそんなに変わらないような世の中の仕組みになっていて、順調に科学技術が発展して、これがそのまま現代につながっていってもおかしくないのに、そこから1000年以上足踏みするのは何故か?です。なぜ古代は終わったのか?なぜ中世になるのか?。
その理由は、この本によると二つ、一つはエネルギー問題、もう一つは成熟社会の内部自壊です。エネルギー問題というのは、森林消滅です。この時代、石炭石油の化石燃料はまだ発見されてませんから、薪炭=木材しかない。森林を切り倒し木材を確保するしかない。切り拓いた森林のあとを頑健な顎を持つ羊が放牧されて根っこまで食い尽くすから、森林再生がストップする。そのため、古代の先進地域は、森林の消滅と土地の乾燥化が進む。ギリシャの山々も禿山の荒野となり、フェニキア人が造船用材にしたレバノン杉も、ハンニバルの象を育てたチェニジアの森も、全て消滅し、今尚再生されていない。今、世界の四大文明地を見ると、「なんでこんな砂漠みたいなところで?」と思うけど、昔からそうだったわけではない。環境破壊のなれの果てなわけです。かくして古代文明は、大規模な環境破壊とエネルギー枯渇問題によって、その発展を封印されてしまったわけです。ますます現代に似てますな。
且つ、成熟した社会において、特に貴族階層、貴族化した市民階層は、「家族=労働力、一人でも多い方がいい」とは思わず、稼ぎが一定であるサラリーマンだからむしろ家族は少ない方が生活は楽になる。ゆえに古代においても、ローか帝国後期、後漢・三国時代には産児制限が唱えられ、少子化が進み、家族は希薄になり、性道徳は退廃した。これも現代と似てますな。紀元後のローマ帝国は離婚結婚を繰り返し、そのくせ子供はおらず、歴代皇帝は優秀な臣下が養子になり皇位を承継した。そのため五賢帝時代が生まれた。庶民においても、性風俗の乱れは蔓延し、三国志の劉備などの義兄弟達も、本当の兄弟がいるのかどうかすらわからない。こうなると、巨大帝国の軍事力や生産力は、外部からの強制移民や奴隷に頼るしかない。そうなると単なる権威だけの支配階級になり、いわば張子の虎のような存在になるから、強大で精強な外部民族がドドドとやってくると、腑抜けになった帝國は滅亡する。ヨーロッパのゲルマン民族大移動、中国の五胡十六国の乱など。これが4−5世紀あたりの世界史です。西ローマ帝国の滅亡(476年)、西晋の滅亡(316年)。
これからヨーロッパでは16世紀まで1000年以上、中国では10世紀に宋王朝が成立するまでの600年ほど、古代王朝ほどしっかりした骨組みをもった国家は存在しなかった。アーサー王と円卓の騎士のように、各地に豪族が割拠して住む部族社会になっていた。中世と呼ばれるこの時代には、資源不足で生産量は増えず、再び「頑張っても生活はそんなに良くならない」的なパラダイムになる。そうなると再び物財から精神的なものに関心が移行し、写実技法は廃れ、東ローマ(ビザンチン)のような異様にゴテゴテしたデザインが好まれるようになる(キリストも十二使徒も12等身で描かなければならないとか)。この時期、最も発展し、勢力を増強させたのが「宗教」です。なんせ生産量は伸びないから、内向きに、精神的にならざるをえず、そうなると神様が復活するわけです。宗教が広がり、精密で難解な教義体系を構築するのもこの時期。
最初にこの中世を抜け出したのが中国の宋王朝であり、それを支えたのは、第一に石炭という新エネルギーの発見です。他にも、羅針盤、火薬、印刷という世界三大発明もこの時期出てきます。960年におきた宋王朝の時代に既に石炭を使っていたというのは、世界史的にもメチャクチャ先進的です。石炭というエネルギー源が出来ると世の中どう変わるというと、停滞していた生産性が再び上昇します。それにともなって分業化、規格化、工業化が進みます。石炭の強い火力で焼いた宋時代の時期は、今でも世界的に珍重されていますが、誰が作ったのかは分かっていません。磁州や景徳鎮などの産地では、工程別の大量生産が行われていたからだそうです。
また石炭が普及すると、鉄器が量産できます。鉄製品は文明には欠かせないものですが、めちゃくちゃ火力を使う。だから製鉄職人集団が山に住んで大量の薪炭でタタラを踏んで製鉄をしてたのですが(宮崎映画の「もののけ姫」に出てくるように)、森林を破壊するから続かない。韓国の場合禿山になってそこで終わってしまったものが、日本の場合、温帯湿潤な気候で森林再生能力がズバ抜けているから続いた(特に古くから鉄工の盛んな山陰地方)とどこかで読んだ記憶があります。ともあれ石炭の発見によって森林を破壊せずに製鉄が出来るようになり、鉄器が量産できるようなった。鉄器が量産できると、スキやクワの先端に鉄を潤沢に使えるので、優秀な農機具が増え、開墾が飛躍的に進み、食糧生産量が上がる。また、精銅も楽になるから銅製の調理器具が広がり料理技術が発展する。銅貨も増えるから貨幣経済が安定する。かくして中国では、整備された官僚機構を備えた近世的な新しい国家社会が出現します。ただし、産業革命にまでは至ってません。産業革命をなしとげるには、熱エネルギーを力エネルギーに変換するという、エネルギー変換技術(蒸気機関など)が必要なのですが、そこまでにはいってないわけですね。
さて、この宋文化は、宋を倒したモンゴル帝国(元)の手によって西方に伝わります。が、その頃のヨーロッパは、中国からしたら野蛮な後進国であり、中世貴族がバトルロイヤルをやってるだけだった。精神的には相変わらず信仰と思い込みの世界で、物財や科学技術への興味もなかった。それが15世紀以降変わっていきます。理由は二つ。一つは、人口の減少。15世紀のヨーロッパは気候の寒冷化とペストの蔓延で人口が激減したといわれています。例にあげられているイタリアでは1340年に930万人だった人口が160年間に550万人と40%も人口が減ります。物凄い減り方ですな。気候不順と労働人口の減少によって農村は廃れ、人々はより収入の良いエリアに集まった。人々が少なくなったエリアの貴族は地代収入と兵力を失って没落。かわりにヴェニスやフィレンツェなど人気のあるエリアでは手工業が盛んになり、技術と経済が発展。現在のイタリアンブランドの発祥になるのでしょう。またミケランジェロなど芸術家が出て活躍します。
第二の原因はイスラム圏を通じて東方の技術知識が流入してきたこと。現代の感覚からすれば、ヨーロッパというのは終始一貫先進エリアのような錯覚に陥るけど、実はそんなことはなく、ローマ帝国を除けば、ルネサンスまでは後進エリアであり、イスラム圏の方がずっと進んでいた。だから東方文明が伝来するわけですね。で、伝来するにしても、羅針盤の発明によって航海技術が進化してるから、絹と胡椒の地中海貿易がガンガン盛んになり、これによって商業というものが確立していきます。また、宋によって開発された精密な官僚機構がやっとこさヨーロッパに伝わり、16世紀の専制君主時代につながっていく。
このように中世から近世への変革を、堺屋氏は「主知革命」と名付けています。人間の関心が神様から再び物材に変化し、芸風はまた写実的になり、科学する心が復活する。かくしてレオナルド・ダ・ビンチのような人物が登場し、各学問は再び盛んになった。古代と同じなのだけど、今度は羅針盤と操船技術によって、交易範囲が広がり、より大規模な経済商業が発展した。
この主知革命によって戦争も一変した。それまでは各地の豪族が領内の農民を率いて合体し、大軍を構成したのだが、火薬や金属加工技術の進化はついに鉄砲を発明させ、傭兵に持たせて数百挺並べて一斉射撃をさせ、大艦隊を動かして撃破するという物量的方法論に変わった。これで独裁的な王国を築いたのが、ロシアのイワン雷帝、スペインのフィリペ二世、イギリスのエリザベス一世である。ちなみに、日本の織田信長もこの系統に入るでしょう。つまりは科学技術の進展を、天才的な発想で軍事的に利用したということですな。
これによって強大な皇帝が出現し、軍備の強化、領土拡大、財宝の蓄積を目指す重商主義の世の中になる。中国とヨーロッパの違いは、中国の場合は圧倒的に強大な王朝が全土を支配するのに対し、ヨーロッパではローマ帝国を除けば強大なヨーロッパ帝国というものは出現しなかった。そのため、群雄割拠状態が延々(現在に至るまで)続き、そこで対等な国家間の交渉や約束という「国際社会」が生まれた。1648年のウェストファリア条約などがその嚆矢になると言われています。各国の大王達は、壮麗な宮殿を作り(ベルサイユ宮殿など)、文芸を振興した。ただ、芸術的にはそれほどぱっとせず、その代わり、ニュートン、ライプニッツなどの近代科学の生みの親のような人々が出てきます。
このような近世が「近代」になるのは、二つの革命によります。一つはフランス発の「市民革命」、もう一つはイギリス発の「産業革命」です。市民革命(フランス大革命、それにアメリカ独立戦争)は、旧来の権威(王や貴族、僧侶)に対して、技術や知識の進展→物財の生産力上昇という、社会変化のメインエネルギーを担っていた勢力(新興ブルジョワジーってやつですな)が、守旧勢力を暴力的にぶっ潰す革命といえるでしょう。なお、お題目としては「自由・平等・博愛」といっていたけど、実際にはそれほど真剣に理念を現実化しておらず、そのため三世代後にもう一回革命を経験します(アメリカの南北戦争やフランスの第三共和制)。
市民革命は、中世的な「権威」を叩き潰し、より知性的な理念(人権や憲法)に置き換えたという政治権力や思想面での革命でした。でも産業革命は、ある意味もっと巨大な変化だった。最初は単なる蒸気機関の発明だったのだけど、徐々に機械は複雑化、大型化します。それによって「労働と生産手段の分離」が起きたことが人類史的にエポックメインキングなのですね。農民が土地と農具(生産手段)をもっているように、職人が仕事場と道具を持ってるように、それまでは多少規模が巨大になったところで、しょせん生産手段は「裕福な個人の所有物」だった。しかし、産業革命/機械革命によって、バケモノみたいに巨大化した機械群は、到底個人で所有できるようなものではなくなった。機械が複雑化するにしたがって膨大な数の専門家がいないと機械が作動しなくなる。つまり、巨大な機械群を統御できるのは、同じく巨大な組織だけになる(つまり法人や国家)。この時点で生産手段は個々の人類の手を離れます。一方、生産手段を持たなくても、身一つの労働力で給料をゲットできるという、「自由なる労働者」が出現します。
この機械化革命で生産量は爆発的に増え、物財は豊かになります。そして、人々の間における物財への関心は、物財が豊かなことはイイコトだという価値観になっていきます。その時代その時代のパラダイムというのは、その時代の普通の人々が普通にどう考えているかによって決まる。みな、モノが豊かなことはイイコトだと普通に思いはじめた。そのため産業革命に反対する守旧派の反撃、地主貴族の企てや、職人集団の「機械打ちこわし運動」もおきますが、結局は支持されず、立ち消えになります。近代は、勤勉なモノ作りと貯蓄(資本形成)が美徳とされた時代だと言えるでしょう。
ちなみに、これも万古普遍な価値ではなく、宗教によっては安息日に働くのは罪悪であり、中国の発想ではモノづくりや労働は士大夫のすべきことではないとされてます。産業革命前、17世のヨーロッパでは、やっぱり勤勉であることは罪悪であるとする発想も根強かったといいます。そのため、清貧、勤勉をモットーとするピューリタンが、自然の破壊と経済のマクロバランスを損なうものとして非難され、ヨーロッパから追放されてしまいます。そして彼らは勤勉にやってもやっても追いつかないくらい広大な新大陸(アメリカ大陸)でやっと安息の地を見つけます。アメリカの支配層をWASPというけど、最後のPはピューリタン。アメリカに日本人は働きすぎといわれるけど、もとはといえばアメリカ人の先祖も「働きすぎ」とヨーロッパで非難されていたというのがなにやらおかしいですね。
しかし、産業革命後は、勤勉は美徳になり、生産は善になります。とにかく物財を増やそう増やそうと頑張ってきたのが近代なわけです。以下、1970年代に至るまで、この種の発想で人類は突き進んでいったわけですね。大きいことはイイコトで、沢山あることはイイコトだった。
いかん、歴史部分をかいつまんで書いてるだけで予定の頁数に達しそうです。これでは歴史の教科書と同じで、あんまり面白くないぞ。以下、一気に進みますが、ここまでのマトメは、要するに人類の歩みや、その時代のパラダイムや人々の価値観というのは、そのときの資源などの環境により、また科学技術の進展度合によってコロコロ変わるということです。逆にいえば、時代が変わるときは、必ずやそうなるべき環境的、技術的必然性というものがあったと。だから、将来の時代予測をするにしても、この環境や技術から切り離して見ることは出来ないってことです。
さて、産業革命後、物財豊富が至上命題になった国家社会は、極限までこのシステムを押し進めます。一定の労働力や資源で最大の物財の豊かさを得ようと思ったら、もう規格大量生産しかないです。そうすればコストも激減するし、小売価格も激減し、モノが広く社会に行き渡ります。日本の場合、堺屋氏の表現によれば、さらに押し進めた「最適化工業化社会」になります。最も生産ロスを少なくするためには、同じ規格品を大量に作り、皆が同じ規格品を大量に消費すればいい。このプロセスにおいて、これに反するようなノイズや反乱は最小限に押さえようとする。人々は何の迷いもなく会社生活に没入すればいいし(終身雇用)、官僚は護送船団方式などで産業界の足並みをそろえようとする。教育においても、逆らわず疑問ももたず我慢強い人材を作り出そうとする。さらに巧妙なのは、全国各地のライフスタイルを揃えるように(消費パターンを均一化するように)、TV局もキー局システムを作り東京に一極集中化し、地方からの文化発信を事実上制約し、官僚統制で地方の開発も足並みをそろえさせる。その結果、日本人全員が東京発の情報を受け、一つの雛型によってコピーされた駅前再開発と多目的ホールが乱立し、どこもかしこもミニ東京になり、人々は準東京人になる。規格大量生産をするには、素材は均一であってくれた方が都合がいい。さらに、消費者も均一であってくれた方がアレコレ余計なものを作らないでいいから都合がいいってことですね。
「人類史上、もっとも成功した共産主義国」と揶揄される現代の日本社会がこうして出来上がります。もう人々の発想や人生観にいたるまで、何から何まで、工業化社会に最適なように突き進んでいったわけです。ちなみに、自由経済思想にせよ、共産社会主義思想にせよ、物財が多いことはイイコトだという原点は同じで、あとはそれを競争によって実現するのか、官僚統制によって実現するのかという手段の差でしかない。物財幸福主義という意味では、両者は同じことだし、これを極限まで突き進めていった日本社会が共産主義まがいの統制国家になるのも、また当然ともいえます。
しかし、世界がそんなことをやっていたのも1970年代までだと、堺屋氏は言います。80年代に入ると、人類は「物財が豊かなことはイイコト」とは段々思わなくなっていった。これが氏の真骨頂である「知価革命」なのですが、要するにやたらモノが沢山あればイイってものじゃないだろうと思うようになったってことです。それは単なる「量から質へ」という文化や経済の成長に留まるものではなく、過去何度か人類史のターニングポイントになった農業革命や産業革命と同じくらい巨大なパラダイムの転換だというわけです。ここが凄く分かりにくいことなのだけど、これを理解するためには人類が農業を始めて〜〜という延々続く人類史の視点を持つ必要があり、だから延々とこの著作も世界史のおさらいをしているわけです。
僕が読んでて、「あ、そうかもね」「そういえばそうだな」と思ったのは、確かに80年代以降、物財の量的拡大という指向性が減少してきていることです。例えば、飛行機。リンドバーグが大西洋を横断してから最初の人工衛星スプートニクが打ち上げられるまでわずか30年しかたってません。逆にいえば30年あれば、人類というのはとんでもない量的向上を成し遂げる科学力を持っているわけです。しかし、同じ30年、つまり1970年以降現在に至るまで旅客機のスピードは上がってません。フランスのコンコルドが就航したのが1976年だそうです。試作はその5年前だから1971年。それから30年以上経過しているのに、未だに70年代の飛行機であるコンコルドが世界最速の旅客機のままです。「なんでそこで止まってるの?」と。
コンピューターもどんどん大型化して、未来にはビル一個分くらいのスーパーコンピューターが出来るかと思いきや(昔のマンガや映画などで描かれる未来のコンピューターは例外なく超巨大だった)、逆にパソコン+ネットワークという形で小型化していった。1970年代の予測では、世界人口は増加の一途を辿り、21世紀になるともう100億人とか200億人とかいう人口で地球が埋め尽くされるはずだった。多くのSF小説はそういう設定で描かれた。しかし、現実の世界人口はそれほど増えていない。60億人まで達したあと、先進国は少子化で人口減少に転じ、発展途上国でもここのところ出生率が落ちてきている。
また、これはこの本には書いてませんでしたが、宇宙開発なんかもそうです。人類が月にいって大騒ぎしていた頃は、次は火星だ、木星だ、太陽系脱出だと語られたものですし、また多くのSFはそのベースで書かれてました。しかし、その後、急に潮が引くように宇宙熱は醒めてます。無人探査機は飛ばしてますが、本気で次は人類は火星に行くんだってイキオイはないでしょ。このままいったって、いつの日か人類が外宇宙に進出していきそうな感じではないですよね。衛星軌道でスペースシャトルが行ったり来たりしてるだけです。
同じようにビルがどんどん高くなっていた時期がありました。霞ヶ関ビルだ、新宿副都心だ、サンシャイン60だ、このままいけば21世紀には日本にも100階建てとか200階建ての超高層建築物が登場するだろうと言われてました。でも、そんな気配はないですね。新幹線が開通してしばらくたったら、今度はリニアモーターカーだと言われてました。あれって大阪万博の頃から言ってなかったっけ?でも、一向に実現しそうな気配はないですね。
総じて言えば、往年のイケイケドンドンの量的拡大というものの熱が醒めてます。それがそんなに素晴らしいことだとはあんまり皆さん思わなくなった。それがワクワクするような未来であるとも以前ほど思わなくなった。それが、いわゆる「時代が変わった」ということであり、パラダイムが変わったということなのでしょう。パラダイムというのはゲームのルールみたいなもので、それまで本将棋をやってたものが挟み将棋になるようなものです。
このように世界のパラダイムや時代が大きく移行しようという過渡期にあるわけですが、ある環境に過剰適応した生物は環境変化に弱く、恐竜のように絶滅してしまうリスクを負う。明治維新から敗戦までの富国強兵路線、戦後の規格工業社会に完璧に対応してきた日本社会は、80年代をそのまま突き進み、90年代にバブルというピークを迎えます。そしてバブルがはじけて、「失われた10年」が訪れる。なんで10年も失われたかというと、それまであまりにも過剰適応してきた体制を一気に変換することが出来ないからです。国民ひとりひとりの美意識や人生観すら制御してきた体制がちょっとやそっとで変わるわけもない。また、「変わったな」という事を頭で理解できても、「じゃあどうすんの?」という新しい方向性を模索するのは骨が折れる作業です。アメリカの場合、80年代、その製造業は瀕死の状態になり、地獄を見ます。しかし、その後、レーガンの破壊的な規制緩和による徹底的なシェイプアップと、その後のクリントン政権での情報ハイウェイ構想によるインターネットなどのインフラの拡充、情報や知的所有権戦略などに方針転換してます。
なぜ、こんなパラダイム変換が起きたのか?そして今後どうやっていけばいいのか?さすがに頁数が尽きました。「今年からエッセイ短め」ですからね(^_^)。次回に書きます。もっとも、肝心のこれらの部分になると、堺屋氏の書物でも、これまでの歴史の説明のように明快ではないです。まあ、明快に分かるくらいだったら苦労はいらないわけですが。
文責:田村
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