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Essay 932:抗体検査と無症状感染者〜世界を揺るがす鬼子(ワイルドカード)
〜抗体検査と感染検査の意味の違い
〜エンバラシングで扱いが難しい
2020年04月27日
写真は、うちの近所(Glebe)。931と同じ時に撮ったもの。
長いのを無理やり一本にして週イチにこだわるくらいならば、短いのをテーマごとに不定期に書いてしまおうということで、前回(931)からそうしています。前回は、今後のコロナの展開を考える前提として、最近の世界ビジネスの潮流、そして原子力や医薬など専門領域で利権構造が生じるメカニズムなどを書きました。
今回は検査と数値の意味する問題を書きます。
New Yorkでの抗体検査(antibody test)の結果は日本でも紹介されているのでご存知だと思います。asymptomatic(無症状)の感染者が、当初の予想よりもショッキングなくらい多かった(10倍)ということでしたよね。
もっとも、最初の中国の推定では、だいたい8割くらいが無症状ないし軽い風邪程度であると言われてました。WHOも似たようなことを言ってるらしく(もっとも完全無症状は非常に少ない旨の指摘もあり、そこらへんは僕の中でも曖昧)。だから「8割が無症状」といっても、無症状感染者の多さそのものは、今更そんなに驚くこともないとは言えます。ただ、その数が思った以上に膨大だったのでそれが世界を困惑させている。
この抗体検査と無症状感染者の二点が今後の動向のキーポイントになってくると思われるのですが、意外とややこしいので注意していないと混乱します。以下、自分の思考整理のために記しておきます。
世界のランダム(or限定全数)検査と無症状感染者
NY州の検査
まず世界を驚かせたNY州のテストですが、ランダムに3000人テストした結果、13.9%が抗体をもっていた(過去のどっかor現在もコロナ感染)で、これはそれまでの感染者統計の総数の10倍であり、単純に13.9%とい比率をNY州全人口にかけあわせると270万人が既に感染していた計算になります。ちなみにNY州ではなく、人口密集しているNY Cityの場合は、もっと高くて21.2%。In New York City, 1 in 7 Expectant Mothers Test Positive for Coronavirus
同じようなランダムテストは世界各地から続々とあがってきていて、
NY分娩室の全数検査
同じくNYでは、3月22日〜4月2日に病院の分娩室にはいった215人の妊婦さん全員にユニバーサル(無差別全員)テストをした結果、33人(15%)が感染者であり、そのうち29人(14%)が無症状であった。これは抗体検査ではなく普通の感染検査であり、対象者が病院内の妊婦さんに限られているので直ちに一般化できないにせよ、すでに3末時点で15%感染していた事実、それ以上に感染者33人のうち29人(87%)が無症状であったという点で注目されます。
Surprising number of pregnant women at NYC hospitals test positive for COVID-19
オーストリアのランダム検査
オーストリア(ラリアではない)で4月の上旬に行われた1500人対象のランダム検査から推定すると、感染者はオーストリア全人口の0.33%であり、そのうちの50%が無症状であった。これはオーストリアが既に峠を越えていた時期に実施されたもので、抗体検査ではなく普通の感染検査です。結果としてまだ1%も感染してないから集団免疫は無理だという文脈で報じられてますが、抗体検査をやってないのでそこはクリアではない。むしろ普通の感染検査においてすら、50%が無症状であったという点が注目されます。Less than 1% of Austrians infected with coronavirus, study shows
アイスランドの検査
アイスランドの場合、ここも人口が少ないので精力的に検査をやり、無症状であっても検査をやっているところ、大体50%が無症状感染者であったという点で、オーストリアに通じます。ただしこれも抗体検査ではないっぽいですね。Coronavirus Iceland: Research suggests half COVID-19 cases have no symptoms
ちなみに、エッセイ929の冒頭で書きましたが、アイスランドは人口比あたりの検査数では世界のぶっちぎりの先頭を走っており、またそれだけに展開も早いです。先日はついに新規感染者ゼロを記録しIceland records no new cases of coronavirus for the first time 、さらに人口の多い他の国では真似できそうもない驚異の全人口検査に着手したそうですIceland's Crazy Plan to Stop the Coronavirus: Test Everyone。
アイスランドは意外と厳しい禁止措置を取っておらず、集会禁止も20人までならOKだし、学校は5月4日には解禁するようです。なんせ観光で食っている国であり、既に深刻な影響がでているので、1日も早く観光再開をしないとまずいという理由もあるのでしょう。もっともそれはどこでも同じだと思うのだが、アイスランドは何もかも早いので、既に国を開ける手前まで来ており、そのための全員検査でもあるのでしょう。
カリフォルニア州サンタクレラとロスアンゼルスのランダム検査
カリフォルニア州サンタクララ群(シリコンバレーの大半がある)とロスアンゼルスで行われた検査(これは抗体検査)大体人口の2.5%から4.2%が既に感染していると推定され、この数値はそれまでの推定値のおおよそ50〜85倍、ロスアンゼルスでも28〜55倍になります。もっともこれは査読前の資料であり、ボランティアで検査者を募ったので検査手法によるバイアスがあるかもという批判もありますAntibody study suggests Covid-19 could be far more prevalent in the Bay Area than official numbers suggest
How many people have had coronavirus with no symptoms?
Coronavirus antibody testing shows LA County outbreak is up to 55 times bigger than reported cases
その他、刑務所内や軍事施設内で次々に検査が行われ、高い感染率と高い無症状率が報告されてますが、いちいち書くのは疲れたので、検索してください。
Mass virus testing in state prisons reveals hidden asymptomatic infections; feds join effort
Two-thirds of Covid-19 cases may be undiagnosed: modelling estimate based on real-world data
細かいケースや数値は、まあ、どうでもいいです。
大事だと思われるのは以下の諸点です。
感染検査と抗体検査はしっかり区別して理解すること
PCRなどの一般に行われている感染検査は、その人が現在ウィルスをもってるかどうかをチェックするものです。
抗体検査は、(かつて感染し、その結果として)体内に抗体を持っているかどうかを検査するものです。
(他にもantigen(抗原)検査という言い方をしているものも見かけます。ウィルスのとある部分が体内の抗体反応を招くわけで、その部分(抗原)があるかどうかをチェックするものなのか?普通の感染検査と違うの?そのあたりはまだ不勉強です。が、まあ、今回はそのへんはどうでもいいです)。
感染検査と抗体検査は全然違います。
これを混同すると何がなんだかわからなくなります。
感染(ウィルス)検査は、今リアルタイムにウィルスを持っているか(感染してるか)を調べるもの。抗体検査は、過去に感染した結果としての抗体を持ってるかどうかで、今現在感染してるかどうかは関係ない。前者は「今の感染」を調べ、後者はもっぱら「過去の感染」をみる。
比喩的に感染=大学に置き換えれば、感染検査は現役の大学生(○大学在学中)、抗体検査はは卒業生(○大卒)を調べるものです。
APLaC的に留学の比喩でいえば、感染検査は今現在留学している人、抗体検査はかつて留学したことがある人です。
ちなみに、抗体とウィルスが同時存在する場合=両者が偶然ダブることはありえるでしょう。
感染しました→抗体出来ました→抗体使ってウィルスやっつけてます→でもまだ完全制覇にいたってないので体内にウィルスは残存してます(が、時間の問題です)という状況が考えられます。あるいは抗体は出来たものの、時すでに遅しで既に大量のウィルスに本丸を落とされて死んでしまいましたというケースも理論的にはありうる(のかしら?)。いずれにせよ非常に限定的な時期の問題であり、全体における比率はそれほど多くはないでしょう。
無症状感染者の潜在的な問題性
次に無症状感染です。感染したんだけど全くなんの症状も出ない場合、あるいは普通の軽い風邪気味程度である場合があります。これの何が問題か?ですが、いや、実はめっちゃくちゃ問題だと思いますよ。それも医学的にというよりは、政治経済社会学的に。
なぜかというと無症状感染や、知らない間に抗体が出来てました〜、いつのまにか感染してたみたい全然気づかなかったけどってケースがどれだけあるかは、このウィルスの危険性を規定するし、今までの対応や仮定を全部ひっくり返すだけの潜在力があるからです。
分母をなににするか
危険性(重篤になる比率や致死率)というのは2つあって、絶対母集団(国民の総人口)を分母にする場合
感染した人総数を分母にする場合
です。
これまで致死率が1%だの6%だのいっていたのは、感染者数を母集団にしていました。
全人口を分母にするなら
もし全国民数を分母にするなら、日本の場合現在350人くらいの死者ですので、人口1.25億(125000000)で割れば0.00028%です。なんかケタが凄すぎちゃって検算しにくいくらいですが、えっと125万人死んで1%だから、12.5万で0.1、1.25万で0.01、1250人で0.001、125人で0.0001だから、350は0.00028であってますかね。別の言い方をすれば35万7142人に一人ですか。あるいは10万人のうち0.28人。これだけ見れば、今の日本でコロナで死ぬのは宝くじ並の確率です。最初に感じたのは、この絶対数の少なさとそれに反比例するかのような大騒ぎの違和感です。な〜んか腑に落ちなかったんですよね。百万人死んでも確率でいえば百人に一人ですからね。「3人に一人はガンで死ぬ」とか言われると身近に感じるけど、百人に一人だったらあんまりピンとこない。それが何十万人に一人だったらもの凄い偶然による超難病みたいなイメージがある。正直に言ってしまえば、こんな数値の危険性なんか、限りなくゼロに感じるんですよねー。ちなみに比較のために調べてみると、筋ジストロフィー症は10万人で17-20人程度だと言われてます。ギラン・バレー症候群でも日本の年間発症者は3000人、10万人当たり1〜2人程度です。これらは発病率であって死亡率ではないのですが、単純に珍しさを比較する意味で、国で数百とか数千人とか、数十万人に一人というのはそのくらいのレベルの話だってことです。
しかし、全人口を母数にするという立論は、今の所そんなに語られてません。それはそれで不思議な話なんだけど、ともあれ感染者数を母数にして語るのが大勢です。
感染者数のいい加減さ
だけど、930回のエッセイで書いたように、感染者数がいくらか?というのは検査のやり方によって容易に変わってきます。単純に検査数を減らせば感染者数も減るし、検査数を増やせば感染者数も増えます。イタリアのように重篤者近辺を集中的に検査すれば、感染者に対する死亡者の数は上がるし、症状の軽い人や大丈夫そうな人も積極的に検査していけば感染者数は増えるけど死亡者の相対比率は下がるから危険度も下がる。やり方次第。このように感染者数が検査のやり方という恣意的なものによって決まるなら、母集団の数も恣意的に変わることになり、それを分母にして危険性を算出して論じても意味がないでしょ?
本気で危険性を正確に見極めるなら、可能な限り感染している人の総数を把握すべきであり、理想をいえば全数検査(全員検査すること)しないと本当のことはわからないだろう。
無症状感染者というワイルドカード
しかし普通何らかの病気に罹患すれば、だいたい誰でもその症状が出てくるのであり、ゆえに発症者数を調べれば全体の罹患者数もおおよそ分かる。ところがこのCOVID-19という新型が面倒臭いのは、感染しても無症状って人がけっこういるってことです。 これは本当に病気、特に指定感染病になるくらいの重病については「反則」というか「ワイルドカード」(トランプのジョーカーのように、何にでもなれる最強の一枚であり、この一枚によって全体の意味がガラリと変わるもの)といっていいくらいの破壊力をもつと思います。
もっとも、確認のために調べてみたら、実はインフルエンザでもノロウィルスでも感染しても無症状の人というのは結構な割合でいるらしいです。だけど、あんまり問題になってません。問題になってないこと自体が既に問題な気もするんだけど、とりあえず他の感染症ではコロナのようには議論されてない感じです。
で、まったく症状がでないでそのまま直っているってケースが「結構ある」なら、その「結構」っていったいどの程度か?を調べるべきなんだけど、でもこれは調べようがないんですよね。なんせ症状がないんだから検査しようにもとっかかりがない。
これまでは症状がある人、あるいは海外から入ってきた人という切り口で検査をしていました。日本なんか特に顕著だけど、相当に重篤にならないと検査しないとか、しまいには検査しないうちに死んでしまったとかいう本末転倒の話もあるけど、他の国でもとりあえず重体になって疑いが濃厚なものから検査をし、そこを起点に関連者を調べるというやり方でした。落ち着くにつれて、範囲を徐々に広げてますけど、いずれにせよ何らかの症状のある人を前提にしてるケースが多いです。
そういった特定の切り口ではなく、フラットに全体を調べようとすれば、全数検査が理想だけど、それは手間暇的に不可能に近い(人口が多い国ほどそう)。ならば、ある程度の規模で無作為抽出のサンプル検査をやり、それを全体に掛け算していく方法になります。テレビの視聴率みたいな感じですね。全員検査が無理なら、それをやるしかない。
さらに、無作為に感染検査をやる場合もあるし、抗体検査をやる場合もある。特に抗体検査は、最近になってやり始められたもので、比較的検査も安価で簡便だから大規模にできる。そして抗体検査の方がずっと大きな数値(感染者数、正確には感染経験者=抗体保持者)が出てくる。それは当然の話で、抗体検査は「過去に感染した人(抗体持ってる人)全部」が出てくるわけで、その時点でウィルスを持ってる人を見つける感染検査とは原理が違いますから。
逆に言えば、抗体検査をやらないと、実際これまでにどの程度感染が広がっていたのか?というのがわからない。それがNY検査などですが、開けてびっくり(というか予想通りというか)、これまで思われていた感染者数の10倍くらいになるという。カルフォルニア州の検査に至ってはマックス50倍とか80倍とかいう途方も無い数になってます。
危険性の劇的な減少
これは何を意味するのか?単純に言えば、分母が10倍なり50倍に増えたらなら、致死率や危険性は10分の1なり50分の1に減る道理です。わかりますよね?これまで症状の出てる人中心に検査をやって千人が感染してて10人が死んでいた場合、致死率は1%ってことになりますが、これが実は10倍感染してました、本当は1万人でしたってことになると、致死率は百分の1ではなく、千分の1になるから、0.1%になる。10倍危険度が下がるということです。0.1だったらインフルと変わらんです。
930回で書いたのは、コロナはインフルと違って格段に恐いとかいう論者はこの致死率の高さが一つの論拠になってたわけですけど、実際の母集団の感染者数がわからない段階で危険だとか論じてもあんまり意味がないんじゃないか?ってことでした。無症状という厄介な層があることがわかったきた段階で、まずもってやることは、その大体のスケールがどれほどかを調べることだと思います。だから今やっていて、それらの速報レベルだけど、やっぱり思ってた数よりも10倍とかそのくらい違うじゃないかとなってきている。
もちろんまだサンプル検査の端緒についたところだし、やり方などいろいろ工夫することも多いでしょうし、地方によっても違うでしょう。これから先の知の集積を待つしかないです。
抗体検査と感染検査の差異
ここで、無作為抽出のサンプルで普通の感染検査(PCRなど)をやるという流れもあります。実際にやられてますしね。それでも無症状感染者はわかりますけど、ただ抗体検査と決定的に意味が違うのでこれは峻別すべきです。オーストリアやアイスランドの検査は感染検査であって抗体検査ではないです。前述したように、感染検査はあくまで現在進行系で、今現在ウィルスを持っている人しかチェックできません。過去に感染した人はわからない。だから全体でどのくらい累積で感染が進行してきたのかというスケールや規模は感染検査ではわからないです。月日が経過すればするほど感染検査と抗体検査の結果の差は広がるはずです。
これはどの議論に結びつくかと言えば、集団免疫がいけそうかどうかです。あれは全体でどのくらい抗体保持者がいるかという累積を意味しますから、感染検査をもとに論じても殆ど意味ないです。だって抗体を持ってる人=過去に感染してもう治ってる人=今現在は感染してない人ですからね(※抗体ができたばかりでまだウィルスが残存している人も一時的にはいるだろうけど)。
だけど、オーストリアの検査では、感染検査をやってるのに「1%未満の感染率だから集団免疫まではまだ遠い」という、ちょっと信じられないようなアホな文脈で記事が書かれているものがあったりして、話がこんがらがるんですけど。これ意図的に話を混乱させているのかしら(後述)。
無症状感染者の意味が違う
また無症状事例の扱いでも、感染検査と抗体検査は全く意味が違います。感染検査で無症状の場合は、「ウィルスはいるけど無症状」という意味で、このまま無症状のまま快癒してしまうのか、それともこれから重篤化して死んでしまうか、どっちか分からんです。だもんで、感染検査で無症状の人がいたとかいっても、あんまり論じる意味ないと思います。
まあ、NYの分別室の検査のように、感染者の89%が無症状だったというのは衝撃的ですけどね。でも、これは院内感染したばっかというケースもあろうから一概には言えません。アイスランドなどでの無症状50%というのもこれから発展して症状が出てくるのか、そのまま終わるのかの追跡調査をしないと意味がわからんでしょ。
議論の混乱と詐欺的レトリック
無症状感染者と他への感染力の問題
で、無症状感染者は他に感染させることができるのか?という、また全然別のレベルの命題があります。これは「無症状だからといって他人に感染させる危険がないわけではない(無症状者でも他人に感染させられる)」意味で有用です。今のところ、概ね、無症状のうち「あとで症状が出てくるタイプ(まだ感染初期の潜伏期)」の場合、発症する24-48時間前になると感染力を持つらしいです。930回で書いたオーストラリアの「15分、24時間以上」条件でも24時間でしたし、そうなのでしょう。
でもわからないのは、無症状のまま何の症状もでないで終わってしまう人の場合です。この場合、他人に感染させる場合はあるのか?ですが、今の所これといった所見は見つかりませんでした。
なんとなくの素人考えでいえば、無症状のまま終わる人というのは、感染そのものが浅かった(そんなに大量にウィルスを摂取してない)か、その人の免疫力が強く、何らかの症状(ウィルスがどっか増殖を始めて本来の身体の機能に障害をもたらす)段階に至る前にウィルスを皆殺しに出来た場合なんだろうなって思うので、感染力もそれほど無いような気もしますけど。症状がでる24-48時間前というのは、ウィルスが体内免疫系の攻撃をしのいで、203高地攻略まであとわずかくらいになってくると、ウィルスの勢いがまして(でもまだ体内支障は生じてない)余ったウィルスが外に出るとかいう話なんかなーって気もします。ま、でも、これは素人考えなんで、無視してもらっていいです。
いずれにせよ、これは現在ウィルスを保有している人の話です。抗体持ってるかどうかという話とは、全然レベルが違います。一応、抗体持ってる人だったら、自前でウィルスを全滅させられるから、他人に感染させるようなことはないとは思うけど、先に書いたようにまだ全滅させるに至ってない段階では、もしかしたら感染させるかもしれないです。でもその人がなんの症状も示してなく、また直近過去にも示したことがないなら、かなり余裕でウィルス殲滅をやってる感じがするので、確率は低いような気もしますけど。
そういえば、「抗体を持っていないからといって感染してないとは限らない」という当たり前のことを得々とどっかの教授が言ってたけど、これもアホか?です。当たり前やん。感染しないと抗体は持たないけど、抗体が無いからといって感染してないとは限らない。逆必ずしも真ならず。なぜなら感染はしてるけどまだ抗体を作るには至ってないという段階があるからです。そもそも抗体ってどのくらいの時間で出来るの?というのを調べようとしてまだ良くわからないけど、まあそんな10分かそこらで出来るわけもなく、数日スパンはかかるでしょうから、その限度で、感染してるけど抗体はないってことはありうる。また先に書いたように抗体を作ったけど、時既に遅しって場合もある。このあたり、こんがらがるんですけど、そもそも抗体の有無と現在の感染の話とは別の話であって、それをリンクさせて論じるのが間違ってるんだと思います。無駄に話をややこしくさせるだけ。
なんかねー、このへん、意図的なのか話を混乱させようとしているかのように思われたりもします。なんでそんな無駄にやややこしいことを言うのかしら。
危険性のレトリック
もう一点、危険性を強調しようとする善意のあまり空回りしたのか、妙なレトリックをみかけたので、書いておきます。「危険度0.1%でも十分に恐ろしい」ということを言うために、0.1%というのは千回に一回の割合で、毎日のことに換算すれば千日に一回、3年に一回以上である。3年に一回以上の確率で交通事故で死ぬような車に乗りたいですか?だから0.1%でも十分に危険なんですよ、みたいなレトリックです。
なるほどねって思うんだけど、これ違うと思いますよ。1000分の1を3年に一回と置き換えるのは僕もよくやりますけど、その場合「単位」というものがあります。これを揃えないと意味がないです。
コロナで死ぬ確率が0.1%ってことですけど、この「単位」は、「いちパンデミックあたり」でしょう?今回のパンデミックが1年以内に収束するのか数年かかるかわかりませんけど、それ全体で一回ですよね。さきほどの日本の死者350人というのもこれまでの累積でそうなのであって、毎日350人づつ新たに死んでるわけではない。
運良く年内に収束するとして、1パンデミック=1年です。それで「千回に一回」でいうなら、千パンデミックに一回、千年に一回の割合って置き換えるのが正しいのでは。車の例でいえば千年乗り回したら一回くらいは事故で死ぬということでしょ。それをいきなり「1日」単位にすり替えて「3年に1回」ってしてるところがおかしい。
これだって年中行事のように毎年律儀にパンデミックが起きるという前提での計算です。今みたいに10年に一度くらいの頻度だったら、さらに10倍だから「一万年に一回」です。そんなに生きられないじゃんね。正しくは、鶴や亀のように千(万)年くらい生きたらどっかで死ぬかもってくらいの感じでしょ?
さらにいえば、この0.1%は感染してからの数値です。まだ感染してない段階では冒頭で述べたように0.0028%、35万に一回の割合であって、今現在、未感染(だと思ってる)人を対象に語るなら、それをベースにして語るべきでしょう。
この種の「単位すり替えレトリック」は、よくあるテクニックなので、覚えておくといいすよ(自衛的な意味でだよ)。
政治的衝撃
抗体検査や無症状感染はここがデカいと思います。抗体検査や無症状感染数をディスるわけ
抗体検査を積極的にやろうとしてる国は意外と少ないし、またその結果(無症状感染者が当初の予想よりも桁違いに多い)についてもわりと否定的な論調であり、ひいては抗体検査の正確性に疑問をもつ記事や見解が多いです。WHOに至っては、抗体そのものに難癖をつけて抗体があるからといって再感染しないとは限らないとか言ってるらしい(それならワクチン作る意味もないってことになるよね)。まあ、善意に解釈すれば、そんなに結論を急がずにしっかりチェックしましょうくらいの意味かもしれないけど。WHO says no evidence shows that having coronavirus prevents a second infection
なんで抗体検査や無症状感染がそんな鬼っ子扱いされるのかなー?という、これは分かる気がします。
なぜなら、抗体検査をやって本当の感染者数の規模が明らかになっていくといろいろ混乱と問題が出てくるからです。鬼子とかワイルドカードと僕が言うのは、この一枚で全体の意味がガラリと変わってしまいかねかいからです。
NY検査の「これまでの想定の10倍」という数字がどれだけ信憑性があるのかはわかりませんが、50-80倍という速報レポートもあるわけなんで、二桁くらい(10倍以上)違ってくる可能性が高い、と仮定しましょう。
そうなると、妙な話になってくるのですよね。
まず mixed blessというか、朗報と悲報が同時にあって、喜んでいいのか悲しんでいいのか分からない点です。
これまでの認定の10倍以上も実は感染が進んでいた(悲報)
しかし、それらは全員無症ないし軽症で実害は増えていないのだから、全体としてはこの疾患のイメージが軽くなる(朗報)
この2つが同時存在しているので、どう反応していいのかわからんという。葬式と結婚式を同時開催してるようなもので、笑っていいやら泣いていいやら。
よくわからないまま、とりあえず漠然と感じるのは、感染者数が1万人の大台になりましたとか、ここのところ感染者増加率が減りましたとか、今日何人発見されましたとか大真面目にやってきたことが、なんだか馬鹿みたいに見えるという点です。”What the hell!"って誰かが書いてたけど、「なんてこったい!我々は一体いままで何をやっていたんだ?」って感覚。
これは単にイメージの問題で、それまで手に汗握るように感染数が増えては深刻な顔になり、減っては喜びとかやって、緻密に政策を実行してきて皆もこれに呼応して守ってきたんだけど、実はその周囲にぐるりと10倍以上の感染者が居たのでした、つまりは氷山の一角できゃーきゃー一喜一憂してただけでしたってことになると、なんかカッコ悪いですよね。もっともらしく数字を解説していた専門家の皆さんも、政治家やら評論家も、お前ら何を言ってたんだって感じにはなります。別にそれはしょうがないし、間違ったことをしてきたわけでもないんだから胸を張ってればいいと僕は思うんだけど、まあ、ちょいエンバラッシング(恥ずかしい)わね。
やや繰り返しになりますが、このことを、もう少し実務的な話に置き換えてみましょう。
(1)あんなに頑張ってロックダウンだとかやってたんだけど、実は10倍もすり抜けて感染してたのか?という意識
→これまで成功した〜とか言ってたんだけど、実は全然成功してなかったじゃないか?って印象に繋がる。そしてもっともっと厳しいロックダウンをやるべきだという指摘になるんだけど、これ以上出来るのか?どうあっても限界あるんじゃないの?という点が一つ。つまり政策の有効性に疑問をもたせる。
(2)そんな大騒ぎするほどのことかよ?という認識
→ほんとの感染者数が10倍になろうが100倍になろうが、実害(重篤者と死者)そのものは何も変わってない。そして分母が増えることによって危険性が10分の1に減るのであるなら、経済と皆の生活を犠牲にする必要性も10分の1に減る(ような気がする)し、そこまでしてやる意味あるのか?というバランス感覚につながる。これは政策の正当性や妥当性に疑問を抱かせる。
それが各国の当局にとって非常に厄介な話になるのは推測に難くないです。
また、前回述べた世界のビッグビジネス(製薬会社など)は、既に大金を投資して開発を始めてますから、皆の危機感が薄れ、対策の必要性が萎まれてしまっては困るという事情もあるでしょう。
まさに「鬼っ子」で、この扱い方を間違えると、これまでやってきたことの正当性が崩壊しかねない。別にそれでも最善は尽くしてると思うから、僕は批判する気はないし、そう思う人も多いでしょう。でも全員がそういうわけではない。特に規制対策によって失業してホームレスになったり、既に自殺してしまったりした人の遺族にとってみたら、これらはすべて人災であって、許しがたく感じるかもしれない。
既にアメリカではロックダウンに反対する人たちがデモをしています。もうレギュラー化している。それは各国に飛び火して、ドイツでもやってるし、オーストラリアでも始まりました。アメリカの大メディアは、エリート・エスタブリッシュメントに偏ってて反トランプ傾向が強く(だから前回の選挙でもトランプが当選することは100%無いと予想して大恥をかいている)、抗議をしているはネオナチとか極右系か、5Gがコロナを生んでいるというトンデモカルト系の「変な人達」ですよって印象付けようとしてるけど、実際みてたら、失業して困ってるから早く再開してくれって普通の人達もかなり混じってるように思います。だいたい人々の自己主張が激しく、それが美徳とも思われているあのアメリカで、2600万人も失業したら抗議の一つも出ないほうがおかしいと思いますよ。
Hundreds of Germans protest against lockdown laws
Dozens attend anti-coronavirus lockdown protest in regional Victoria
そうでなくても、皆もう飽き飽きしてるし、そのあたりの舵取りはこの先難しくなっていくような気がしますねー。
それもあって、主要メディアや政府や学者、評論家は、これらにそんなに注目してほしくないし、意識的にプレイダウン(過小に扱う)してるような気がします。基本スルーしてる感じ。
また、そのせいなのか何なのか、あれこれ難癖をつける記事もあります。曰く抗体検査はまだ確立した技術ではない(ならばこれから先の新しいワクチンや薬剤開発はすべてダメなのか)、ミスが多いので信用できない(PCRだって30%ミスるんだけど)、無症状感染の範囲がまだわからない(だからやるんじゃん)、抗体があったからといって再感染しないという証拠はない。特に最後の「再感染しないエビデンス」というのは、ある意味「無いことの証明」という悪魔の証明であって、それを言う方が馬鹿だし、またそれを言うなら抗体を作ることを最終目的とするすべてのワクチン製造が無意味だというに等しい。
そのあたりの言い方が、なんか僕からみてると、けっこう「強弁」「しどろもどろ」「支離滅裂」に感じられるのですよね。
ここから先は今後の展開予想に書くべきなので、このくらいにします。日本とオーストラリアで展開図式は全く違うだろうし。
今回は、これからのホットなトピックになりうる(それかもみ消される)抗体検査と、それによって判明した驚異の無症状感染者の広がり、について書きました。
日本について、ちょっとだけ書いておくと、中国人観光客の全国行脚とクルーズ下船者の全国種まきと十分な時間がありますから、かなり無症状感染者が増えてることが予想されます。もしかしたら集団免疫まであと半分くらいのところまでいってるか、もう部分的には集団免疫でカットされてるところもあるんじゃないかなーって気もしますね。
集団免疫って分かってるようで分かってなくて、60%とかいうけど、50という人もいれば80という人もいる。「数理的に算出」っていうけど、じゃなんでこんなに違うのか?です。また仮に60として、59だったら効果ゼロなのかといえば、そんなことはないわけでしょ。完全防御はできなくても、それに応じてそれなりに効果はあるはずです。それに抗体保持者の人口密度が全国一律に同じであるはずがない。地方にいけばゼロに近いところもあろうし、都会の特に若い人の集団界隈では部分的に優に60を越えているところもあるでしょう。
あとですね、日本の場合(他の国でも似たようなものだと思うが)、かなり症状がきつくなっても我慢するんじゃないかって気がします。だって感染者になったら、犯罪者と同義みたいで、知らん人(保健所の人とか)に自宅に踏み込まれて消毒されて、交友関係を逐一尋問されて裏を取られて、プライバシーもヘチマもないみたいな感じ。そのうえ村八分になりそうだし、家に落書きとか投石とかされそうだもん。必死に家に籠もって、我慢できるうちは我慢して治してしまうと思いますよ。僕も日本にいるならそうするけどね。名乗り出たところで治療してくれるかどうかもわからないなら尚更です。だから、無症状ではなく、めちゃくちゃ有症状なんだけどカウントされていない感染者(そして抗体保持者になる)というのは、実際にはかなりいるような気もします。
いずれにせよ、日本の場合は早く抗体検査をやったほうが事態の収集には好都合だと思いますけど。誰にとっても。
文責:田村
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