今週の一枚(2017/10/17)
Essay 847:地域フリマ会議室と婚活フォーラム
APLaC"界隈"のこれからの展望
写真は、まるで絵画のような夕焼け空。いや、単純にすげーな、きれいだなーと。
今週はAPLAC「界隈」の話をします。また新しいこと考えたんで。
このAPLaCは、もともとは現地情報に関する趣味のサイトです。生まれて初めて海外で暮らしたりすると「おお、そうだったのかあ!」と思うことが多々あり、そうなると人にも「ねえねえ、知ってる?」って言いたくなるという、きわめて素朴な初期衝動一発で始まってます。それは今でもそう。
そのうち様々なメールをいただくようになり、質問に応じて、現地のカスタマイズ観光(多分考えうるなかで最高にコスパが良くて充実感のあるものを考えて提供する)とか、中高生留学なんかもやってました。やがて、語学学校のニーズに集中していったのでエージェントとして稼働するようになりました。やってるうちに、だんだん単に学校紹介してそれだけだったら意味ないかも、学校だけでブレイクスルーするのは、今の時代に普通の人にはかなり難しいなってことに気づいて、じゃあ、出来るようにしようよってことで付加していったのが一括パックと呼ばれるものです。付加した分だけ報酬が得られるわけでもないので経営的には無意味なんですけど。もともとが趣味から始まってるから、あんま深く考えず。てか、やっぱりやり甲斐はありますし、単純に楽しい。だって来たばっかの頃のヒヨワなカイワレ大根みたいだったのが、やがて見上げるような樹木に育っていくんですから楽しいですよ。
さらに、学校紹介後のアフターケアがだんだん充実していって、よく遊びに来てくれたり、語り合ったりしてて、いつ頃から、卒業生同士って結構波長が合うんだなあって漠然と気づくようになりました。年度が違ったり、かなり離れていても、それでも馬が合う率が高い。それは多分、僕自身にクセがあって、それを営業的に隠そうとしてないから、僕のサイトがリトマス試験紙みたいになって類友現象が起きているのだと思います。A=B、B=Cならば、A=Cみたいな感じ。10年くらい様子見てましたけど、やっぱそうです。オフなんかでも、どっチラけて終わったってことは一度も無いんじゃないかな(すべてを見たわけではないけど)。
じゃあ、もう一歩進んで卒業生同士知り合うキッカケをつくればいいじゃんってことで、とりあえず掲示場CGIをネットで拾ってきて自分で設置してみました。
最初は、卒業生同士の情報交換掲示板があります。これは今でもありますけど、今ではもっぱらFB PAGEで代替されています。が、過去発言は結構情報の宝庫というか、卒業生には全員パスワード教えてますので(聞いてないならメールください)、おひまがあれば。
次に、共通属性を持った者同士の起業の橋渡しとしてA僑という概念をぶち上げてページも作りました。また、もっと詰めた起業的なことをするためのA僑ほか実働系別館も作りましたし、実際にあれこれ議論や実働もありました。これもオフ掲示板とFB PAGEに代替されてますね。
その頃、伊勢で最初の「オフ」があって、僕も帰国してたから参加して、なかなか感動的に面白かったんですけど、そこからオフというのが始まりました。最初は、卒業生同士の同窓会的なものだったんだけど、徐々にひろがっていって、要は共通属性があれば話が合うし楽しいしってことで枠はひろがりました。広がってよかったですよね。広がらなかったら出会えなかった人達が沢山いますしオフは僕が呼びかけなくてもあっちゃこっちゃで自主的に行われ、今に至ります。
一方掲示板も広げていって、とにかく自分の部屋(スレッド)を持ってなんか世間によびかけてみようという個人ブログの集合マンションとして「語ルシス」掲示板を作りつつ、有料(月千円だけど)のクローズドなホライズン掲示板も作りました。これは日記と一般ブログの中間みたいなもので、誰にでも見せたくはないが、一人で閉じてしまうのもなーという、お金払ってまで真剣に書きたいって人だったら見てもらってもいいやって範囲の掲示板です。写経みたいな感じ、精神と時の部屋とか呼んでますけど、内容はさすがにディープなものが多いです。一方、被爆関連で気になる情報を集めている被爆板もあって、これは菊川さんという方が担当してくださっていたのですが、相当程度情報が蓄積下地点でいま一休みです。マスコミにはひっそり出てるんだけど、全然注目されてないようなスクラップとして情報価値あります。
波長の合う人、馬の合う人というのは人生の宝物だと思います。本当の意味では、百人に一人いるかいないかくらいだと思いますよ。偶然か必然か、その得難いものが比較的得やすい情況があるならば、これは活用しなければ嘘だというのが原点です。
コンスタントに今使われているのは、「語ルシス」掲示板とオフ掲示板ですけど、これにさらに加えて(まだやるのか)、さらに進もうかと思ってます。なんでそんなに「先」を考えるのか?といえば、言うまでもなく外部環境が急激に変わっていってるからです。
が、そうはいっても皆も旧体制でメシ食ってるわけで、そこでいい思いをしている人(=通常権力も影響力も強い人)が、それをすんなり認めるわけもないから、頑張る。直近10年だけでも太陽光発電コストが革命的に激減し、火力よりも安くなるようになって世界はそっちの方向に進んでいるわけだけど、まだ原発で頑張りたい人もいると。世の中、機関車とか自動車が出てきているんだけど、まだ徒歩で参勤交代をやっていたいという。ほんとそのくらい遅れているんですけど。これも海外にいたほうがよく見えますよ。
一応例証を出しておくと、下記はBroomberg(世界的な株その他の経済誌)に載ってた記事です。太陽光発電がコスト低下で躍進へ、将来最安の選択肢にもという今年7月の記事です。
2009年ころから自由落下のようにコストが安くなっている。方針というのは将来30年、100年を見て決めるべきなんだから、2011年に東北地震や原発事故が起きていなかったとしても、もうその時点で新しい巨大なビジネスチャンスが生まれたぞと政財界やマスコミは色めき立っていなければいけない。このグラフでも原発なんか比較の対象にすらなっていない。「コスト」といっても用地買収費用から廃炉、廃棄物保存費用、事故賠償費用、全部含んでのコスト計算であるべきで、デキるビジネスマンはそこまで考える、つか考えなかったらビジネス語る資格ないでしょ。
今年になってから、まるで将棋倒しのようにバタバタと、欧米、そして中国ですら電気自動車方面に大きく針路転換をしたのは背景にコレがあるからでしょう。たぶん「見通しが立った」んだと思うよ。石油とか核とかやたら政治まみれで面倒臭いことやらなくてもいいもん。石油の価値が下がれば中東なんかただの砂漠だし、鉱山ロビーが強いオーストラリア経済も変わるし。この時点でまだ再稼働がとかいうのは、主義思想なんて高尚なレベルを越えて、参勤交代というか、京都の祇園祭というか、ほんとそんなレベル。ギャグで言ってるのか?って感じ。そういや最近裁判所で東電のみならず国に賠償を認めた判決が出たけど、あの化石みたいな裁判所ですらそこまで言うというのは、どっかで「(原発)切ってよし」って内諾が出たのかもしらんすよ。
ま、そんなコップの中の利権争奪戦はともかく、一年ごとに世界がガンガン変わってますよね。突如何かが出現したのではなく、過疎化にせよ先進国凋落にせよ財政崩壊にせよ、前々から言われていたことがいよいよ現実味を帯びてきた。夏休みの宿題のように、それまで必死に目を背けてきたものが、いよいよ8月29日くらいになって真剣にやらんと、、とお尻に火が着いてきた。赤道上の台風がだんだん北上してきて、なにげに風も強くなってきたという感じでしょうか。
3年前にケニアのm-Pesaシステムを紹介したけど、21世紀の発展の仕方はコレですよね。道路もろくすっぽ整備されてないようなところでも携帯電話だけは普及してて、携帯があれば送金できるから銀行もいらないという。19世紀的に重厚長大の国策産業から徐々に発展するのではなく、いきなり出来てしまう。賢いやつならネットだけで結構学べてしまうし、スマホのアプリ作成の外注をネットで受ければ山奥でも収入が得られる。これは逆にいえば、将来の日本で、無人化して荒廃した過疎村でもやり方一つでなんとかなるという一つの希望でもあるでしょ。
その昔、今くらいの時代になったら、人々は週に3日も働いたらあとは遊んで暮らせるという予測も出てたらしいのですが、客観的には当たってると思いますよ。極端な話、ロボット化とAI化で完全代替できたら、全部遊んで暮らしていけるわけですよ。でも、それは失業率100%で全員餓死するということでもある。おかしくないか?本来働く必要がないくらい人類が進化していながら、全員餓死するって何よ?すごいギャグだな、おい?って。何があかんの?といえば、資本主義と貨幣経済や国家体制でしょう。これまではこれがあったから上手く廻っていたんだけど、ここまで来てしまったら逆に阻害要因になっている。
ま、そのへんの話はいつもしてるのでこのくらいにして、そこで、全然違う発想でもっとゆとりがあり、たのしげな生活って出来るんじゃないの?これだけの世の中進んだら?ってことで、セーフハウス構想とか書いたりもしました。理論的にはいけんじゃないの?実践的にも、そんなに不可能ってことはないだろうって思いましたし、今でも思ってます。というか、実現可能性は日に日に高まっているよね。
これは何も主義主張とか、アンチテーゼとかじゃなくて、これまでの方法論(効率や合理性を重んじる)をそのまま素直に延長してけばそうなるといってるだけで、これこそ保守でしょ。
僕の考えでいえば、今でもできるようなことがあれば、どんどんやっていって、その結果や手ごたえを感じつつ広げていき、高めていく方がいい。感じとしては、なにか具体的な構築物を作るというよりも、生命の原型のなったといわれるコアセルベートの濃度を高めていく、ただの空気をエーテルみたいにしていく方がいいかなーと。
そうすると何が良いのか?というと、皆のベネフィットが高まると思うのです。
単に話の合う友人が出来るだけでも人生楽しくなりますし、休みの日に一緒に遊べる人々がいるだけでも生きがいにはなります。
それを越えて、現実的なヘルプも出来るでしょう。人生いろんなことあるし、いきなりリストラ食らって、またそんなときに限って間が悪いことに子供が交通事故になったり、親がいきなりボケてきたり。子供の世話で手が足りないとか、そんなときに素直に言える人がいたらだいぶ違います。また、お金についても、今年とある件で呼びかけて1週間で400万くらい申込があって助かったという実例もあります。大体、僕らが生きてて出くわすトラブルというのは、「知恵(情報)」・「お金」・「人手」の3つで殆どは解決可能でしょう。これらのうち、知恵と人手はわりと簡単にシェアしうる。ただシェアする道筋がなかった。無ければ作ればいい。
さらに、今後自分でなんか起業でもなんでもやりたい、それで食っていくのは無理かもしれないけど、ほそぼそとでもいいから活動したい、それを皆に知ってほしい、出来ればちゃんと理解力のある人、現実的に結実しうるサムシングを持ってる人につながりたいという欲求があるでしょう。これ、今、誰に聞いてもあると思いますし、そういう話をすると全く興味がないって人はマレでしょう。ただ、出来るとは思えないからあまり考えないというのは多いだろうけど、それって、チャンスと実現可能性があれば話はまた別だということでしょ?じゃあチャンスを増やせばいいじゃん。
そのときにぼややーんとそういうことを言える空間があると良い。ネットのような茫漠として濃度が薄い空間ではなく、もうちょいなんかになりそうなくらいエーテル濃度が高い場所があるといい。てか、そういうのが無いとなかなかどこに誰がいて、どうつながればいいのかも良く分からない。LinkedInなんかもそれを目指しているんでしょうけど、まだまだ濃度薄すぎて現実にはなりにくいし、堅苦しいんだよね、あそこは。だから人数は少なくてもいいから、またかっちりした商談でなくてもいいから、ある程度人物保証できている人との、水以上に濃い場があればいいだろう。
それは、これまでのオフ活動なんかもそういう機能があったし、FB PAGEで人物やらイベント紹介をしていくものそうです。でも、もう一歩先に進んでもいい頃かなーと。
実際、1−2年前に比べてみたら情況は成熟しつつあります。敢えて実名を出してしまいますが、例えば翼さんは京都で自分のゲストハウスを今年開業するところまでこぎ着けているし、また、渡辺くんはA僑やオフ人脈の流れで三重県で自分の学習塾を開業しました。ねえ、立派になっちゃって、まあ、昔はカイワレ大根だったのに(笑)。ほかにも沢山たくさんいます。またオーストラリア国内や世界各地に散らばって、皆、それぞれの人生を前進させているし、ビザやら、結婚やら、子育てやらでも戦線を進めている。
起業とかシェアとかいうのは、なんか商品みたいにカッチリ固まってから、おもむろに物色し、吟味し、コンタクトを取るってものではないですよー。そういうのは大企業とかある程度これまでの実績やら組織やらで決まってる場合であって、個人レベルでもう少し人生を楽しくしたいくらいのレベルだったら、海のものとも山のものとも分からない段階から一緒に企画していくくらいがいいんです。いわゆる商品化というのは、相手がやる場合もあるけど、こっちの方から提案する場合も多い。「それ、使えるんじゃない?」っって。本人は意外と盲点で気づいてない場合も多いですからね。
また、そこで最終的に金銭ゲットが目的ってもんでもなくて、なんらかの実のあるやりとりをしていく中で、より親しくなるとか、理解が深まるというのが大事だと思います。それが後々の布石になっていくと。だから、なんかやろうよって話になって、アィデア出しをして、動いても、なにかが致命的に足りないからモノにならんな、ここまでだなって場合は多いです。てか殆どがそうだと思う。それでも良いのですわ。そこでそういう話をして、相手は何が出来て何が出来ないのもわかるし、大体の趣味嗜好や意向もわかるし、それがあとで生きてくる。
実際のビジネスだってさ、用具部品の調達くらいだったらともかく、ある程度一緒にやっていくんだったら、カタログやプレゼンだけで、はい取引成立ってのはマレで、まずは人間性を見ますよ。だから「一席設けて」「胸襟を開いて」相互理解を深めて、泣いたり一肌脱いだり貸し借り作って、実績作って、育てていくものでしょ。接待だって、別に儀式としてやってるわけじゃなくて、ビジネス的合理性があるからやってるわけでさ。そこがダメならビジネスできない、B to Bは難しい。だからやってることはオフとそんなに変わらんのよね。下敷きになるフォーマットが違うだけで。
特にセーフハウス的なことをやろうと思ったら、相互理解や信頼は不可欠ですし、それっていろんな機会に話をしたり、なにかを一緒にやってみたりってことで深まっていくでしょう。オフだって、あれも一種のイベント企画実行という起業ですし、いい練習にはなるのですね。
さて、そんな中でもう一歩進むために、2つほどプランがあります。
「作ろうか」なんて眠たいこと言ってんじゃねーよで、これを書いてる途中で、もう作っちゃいました。地域フリマ会議室です。
これは「ココに私がいます!」「今ココでこんなことやってます、興味があったらお声がけを〜」という発信掲示板です。
それは単に居場所を示すだけでもいいし、自分のやってる(やりたい)サムシングの広報でもいいし、その日々のあれこれブログ的なものでもいいです。自分のやってるブログやHP、FaceBookの広報でもいいです。チャネルは多いほうがいいでしょ。単純に被リンクが多くなればSEO的にもいいし。
個人(ないし複数人で)1スレッドで店を出すという意味では「語ルシス」に近いけど、漠然とした個人会議室ではなく、より積極的に「なんかやる(やりたい/やってます」というDOの部分に着目したものです。
参加資格は、「APLaC界隈」です。
一括パック受講生=卒業生だったらOKですし、そうでなくても、オフに出たり僕と実際にお話したりした方だったら誰でもいいです。
まあ、ここまで来てこんなエッセイ読んだり、掲示板覗いたりしてるんだったら、基本資格アリだと思いますが、なんとなくわかるであろう共通属性があればいいです。共通属性があれば、ほぼ信頼関係は築けることは、これまでの実践でだいぶ証明されてきたと思いますから。
その共通属性をこの地域フリマ掲示板的にわかりやすく表現すれば、
このまま大人しく死んでいくようなタマかよ、俺(私)が?
って心情かな(笑)。
これで人生あがり、終わり、よく頑張りましたー、あとは死ぬまで同じことの繰り返し、劣化しながら高度を下げていって着水〜、、、って、マジかよ、いやいやこれで終わりはないだろう、一生コレかよ?って気持ちがあれば。
なんだかんだ言って、皆、日本の自分の現状を叩き壊して、ろくすっぽ成算もないまま海外くんだりまでやってきて、孤軍奮闘してきた連中ですから、我が強いのなんの。また、そういうことをしなくても、似たようなことはやってたり、やろうとしてたり、あるいはそういう連中、社会適応力があるんだか無いんだかわからんような連中の場におっても楽しく感じるような人だったら、話は通じるし、馬は合うと思います。
使い方は、
★参加希望者は自分の部屋としてスレッドを立ててください。タイトルには、場所(日本・○県○市とか)と名前や商号などを。あとで変更できますが、そのためには書き込み時に暗証番号を自分で決めて打ち込んでおいてください。でないとあとで修正できません。
自分のスレッド内での記載は自由です。
★参加希望者でgmailをお持ちの方は、言ってください。地図作成の権限をあげられるんじゃないかと思うので(Google Mapの仕様上、招待すれば編集できると書いてあった)、自分の位置を自分で地図上に示し、コメントや写真を載せてください。やり方がわからなかったら僕が代わりにやりますので言ってください。
基本それだけです。
A僑のページに近いのですけど、あの頃よりは場も成熟してきているし、もっと動いている感じになるかと思います。
ま、単に居場所をマッピングしてそんで終わりになるかもしれないけど、皆で同じ地図を見るということは、次のステップへの布石にはなるだろうということです。
もともとはですね、某語学学校のカウンセラーの方、広報目的もあるからお名前出してもいいよな、カズミさんという方がおられて、旦那さんがチリ系のオージーで、先般転勤でNSW州のド田舎(失礼ながらそう表現した方がわかりやすかと)のガナダー(Gunnedarh)、こんどクーナバラブラン(Coonabarabran)に引っ越されるそうで、そこで「なんか」出来ないかって話になって。
場所は引っ込んでるから、二回目ワーホリのファーム探しの拠点として利用してもらってもいいし、あるいはシニア層にとって本当に本物のオーストラリア生活をちょっと体験してもらうのもいいし。クーナバラブランは、オーストラリアで一番星がきれいにみえて、天体観測に最適らしく(天文台もある)、全国の天文少年少女達に冒険ツアー(片道バス5時間乗って星を見に来いツアー)の案内を出してもいいよねとか色々話してました。
そのなかでカズミさん、婚活経験ありというキャリアが。「ある」なんてもんじゃなくて、かなりプロ級な。といっても、聞いたところ、就職以上に真剣にやっておられた。もともとワーホリで1年やって、帰国してからも英語を使う仕事をってことで7年ESS(英語教室)で働いたり、日本の留学エージェント、そしてこちらでもエージェントや学校スタッフとして働いてこられたわけです。真面目すぎるほど真面目で、だからオーストラリアに住みたいなって思ったときに選択肢の一つとして配偶者ビザも当然あった。だけど、真面目だからしっかりやるわけですよ。再渡豪してから5年がかりで、せっせと会合に顔出して、第一印象とか偶然の要素をできるだけ差し引くとか、デートの前には相手の話題にある程度ついていけるようにちゃんと予習をするとか。それもこれも、単にビザとかいうのではなく、一生の伴侶を選ぶにあたってはしっかりやりたいってことなのでしょう。
だもんで、チャラチャラ遊び歩いて〜、着飾って〜、イケメン探して〜、そして〜という、英語で"Happy Go Lucky"っていうんですけど、そういう頭の悪い方法論ではないのですな。これは他の人にとっても十分学ぶだけのコンテンツはあるよなって思った。
と同時に、相手探しで終わるほど浅いプロジェクトではないのですよ。人生かかってるんだから遊びでやってるヤツなんかいないよ。実践レベルだって、遊び半分の相手につきあってる余裕はないから、バサバサ切っていかんと。
そこから結婚(デファクトでも)まで漕ぎ着けるまで紆余曲折はあるだろうし、そこで男女関係における文化の違いはある。それはオーストラリアと日本の違いもあるいし、日本と海外の違いもあるし、さらにオーストラリア人とかいっても中国系とかイギリス系とかユダヤ系とかいろいろあるわけで、そういった文化の差もある。そのあたり学ぶべきはきちんと学ばないとおぼつかないです。
さらに両方の親にいつどうやって紹介するかです。まあ、オージーは気楽に親に紹介するんだけど、それは日本ほどの大きな意味を持たない、小学生のお誕生パーティ的なノリで紹介するから期待してはいけないとか。でも日本の実家の親の場合は、けっこうシリアスな局面もあるしね、そのあたり。
次にビザのノウハウはあります。このあたりは一般に流布されているんだろうけど、どうしても噂話やら、都市伝説、女子会トークで終わってしまう話もあるし、結構そのあたりの真偽不明(つか明確に誤り)レベルで意思決定してる人もいるのが実情なので、正確な知識は正確に伝えたほうがいいよね。また1年前の話だったらもう違うってこともあるし、ビザなんか風向き一つでけっこう変わるんで。
それと日本での入籍やら手続きやら。
さらにさらに続きますよ。オージーの生活設計やライフスタイルの差やら。そして子供が出来たら出産やら、その後の医療問題、子育て、やがて日本語を教えるかどうか、日本国籍をどうするかとか。まあ、後になればなるほど在住日本人会のヘルプもありますし、そこにある程度の集合知はあります。プレイグループもあるし、ママ友もある。
ただ、このフォーラムの基本コンセプトは、「ママ」とか「妻」というアイデンティティではない点だろう。まずは「自分」、なんの色もついてない、自分色しかない状態が原点。その自分が配偶者やってます、ママやってますというレイヤー構造になってる点です。
そしてそれは、たった一人でオーストラリアにやってきた原点まで遡る。共通属性としては「荒野の素浪人」なのですよ。そこが違う。だから他のA僑的なこととも違和感なく融合できるし、ひろがってもいける。くだらないステイタス意識(相手が白人だとエラくて、アジア人だとエラくないというモロ劣等感の裏返しの差別・選民感情)やら、競争意識(子供の服がブランドだからどうのとかいう、くーだらないアレ)からも自由になれるでしょ。てか、そこがクソだったら僕もなんか言うよ。なにそれ?って。
ま、そういう感じで、カズミさんの他、リアルタイムで国際結婚している、これからする人達も交えて、なんか出来ないか?って。ほかの人だって、婚活っぽいことはやってないかもしれないけど、でも医療関係のプロ(看護師や薬剤師)だったり、日系企業に勤めているとかそっち方面のアドバイスもできるだろうし。
この婚活部分で婚活セミナーでお金とって(リーズナブルな)やってもいいし、個人的にカウンセリングしてもいいし、そこは彼女らに任せたいです。名前も決めてねって。
これも布石に過ぎないと思ってます。これでバンバン儲かるなんてことはまず無いよな。ただ起業のいい練習にもなるし、ここにこういう結節点を設けておけば、そこから用水路のように自分のサイトやブログに引っ張っていけるわけですしね。ま、ただの定期的な女子会でも別にいいとは思いますけど、それだけでも面白いだろうし。でも先があった方がもっと面白いやん。
このメディアは今後のツールとして活用できるかなーと。
オインラインでオフができるもんね。そこで上の地図と連動してくるんだけど、「世界会議」が出来ますからね。無料で。
で、さらに続くのは、そうやってオンライン上でビジネスらしきものが出来る、しょぼくてもいいから現金収入が得られるような方法に今のうちから習熟しておけば、将来的に居場所に拘束されないノマド的、セーフハウス的な動きもできるし、過疎エリア(でも自然はすごい)での生計ビジョンにもなるでしょ?
そんなこんなで、そっから先は考えても無駄なんで、とりあえずやってみるべと。
この作品は現在19巻ですし、人気テレビドラマになってるそうなのでご存知の方も多いでしょう。
ドラマは見てないですけど、マンガとしても良いですよ。
医療系のマンガは沢山あります。その昔は「ブラック・ジャックにトドメをさす」という風潮もなきしにもあらずだったけど、エリアも、切り口も全然違う作品が沢山出てます。時代劇や刑事物と一緒ですね。「医龍」は、医学もそうだけど大学病院内の権力闘争やポリティカルな駆け引きが面白かったし、「フラジャイル」は病理医の医学アカデミックな部分や、経営コンサルティングや製薬会社とのあれこれが面白いです。
コウノドリは産科の話です。周産期医療がメインですが、それにとどまらず周辺にまで話を広げてます。
この作品の一番素晴らしい点は、どの立場も平等公平に描写されている点です。正義の主人公がおって、憎ったらしい悪役がおって、というわかりやすい対立構造にしていない。だれもがそれぞれの立場で主人公だし、立場や見方が違えばこう見えるって部分を丁寧に描いていて、そこが凄いなーと思います。
医学的に知らない知識を沢山得られるので、それはそれで「ふーん、そうなんだ」的に面白いのだけど(覚えきれなかったけど)、それ以上に、誰に対しても優しい眼差しで見ている点が良い。産前の不安で精神状態がおかしくなるお母さんも、おろおろして距離感がつかめずに空回りするお父さんも、医療側も、産科医だけではなく、助産師、看護師、救命、新生児医、婦人科医、麻酔医、さらに地域の産科医、養護施設などなど、それぞれの立場でベストを尽くしてる様子が描かれてます。また、ネットの功罪(しょーもない断片を針小棒大にいうとか)も。
と同時に、産まれてくること自体が奇跡って言われるけど、ほんとにそうだなーって。これだけ複雑精妙なメカニズムでなされるのだから、なにか一つ歯車が違っただけでもうダメになるという恐さ。あるいはそれでも治していく現代医療の先端技術。ただ、確率の問題って要素も多い。なぜそうなるか未だにわからないことも多い。どんなに万全を尽くしていても流産したり、死産したり、母体も死んでしまったり。そのあたりハッピーエンドに終わらせてないこともあります。そこがリアル。そして、理不尽にしか感じられない、信じられないような事実をつきつけられた家族の心の受け入れ、その後の話。死産した赤ちゃんに両手を合わせて弔い、火葬にする。双生児として受胎したけど、途中で片方だけ死んでしまう。でも死んでしまった赤ちゃんの方にも名前をつけて忘れないようにしようという家族。技術の問題もそうですが、心の問題にもページが割かれていて、そこがいいです。
思ったのは、プロと素人の波打ち際の葛藤ですね。
素人がそう思うのは無理もないんだけど、専門家の視点で見ると、それは愚かな行動だったりもするわけです。そこをどう指摘するかです。鴻鳥医師と四宮医師がコンビで出てくるのですが、それが対照的で、どちらもアリだろうなーと思わされます。主人公の鴻鳥医師は、お母さんの立場に親身に耳を傾けて共感する方向で話を進めていくのだけど、それだけに医学的にはリスキーな方向にいかざるえない。四宮医師は、対極的にお母さんの気持なんか斟酌せずに、客観的に最適な方法をズバリという。そうなったのは、過去に同じように引きずられて、リスキーな方向にいって、結果として赤ちゃんを脳性麻痺にさせてしまって、罪滅ぼしのように毎日その子の部屋に行っているという。だから何をどう憎まれようが客観的にベストな方法をやるのが一番いいんだって哲学にもなる。
これはほんとそうで、専門家はどこまで素人に共感すべきか?共感のみならず方針でもどこまで追従するか。悩ましいですよね。ましてや、人の生命、特に物言わぬ赤ちゃんの命がかかってるとなったら、共感とばかりも言ってられないだろうし、永遠の課題だよなーと思ったのでした。
以下、トップ写真の続き
文責:田村APLAC「界隈」の軌跡
おさらいしておきます。このAPLaCは、もともとは現地情報に関する趣味のサイトです。生まれて初めて海外で暮らしたりすると「おお、そうだったのかあ!」と思うことが多々あり、そうなると人にも「ねえねえ、知ってる?」って言いたくなるという、きわめて素朴な初期衝動一発で始まってます。それは今でもそう。
そのうち様々なメールをいただくようになり、質問に応じて、現地のカスタマイズ観光(多分考えうるなかで最高にコスパが良くて充実感のあるものを考えて提供する)とか、中高生留学なんかもやってました。やがて、語学学校のニーズに集中していったのでエージェントとして稼働するようになりました。やってるうちに、だんだん単に学校紹介してそれだけだったら意味ないかも、学校だけでブレイクスルーするのは、今の時代に普通の人にはかなり難しいなってことに気づいて、じゃあ、出来るようにしようよってことで付加していったのが一括パックと呼ばれるものです。付加した分だけ報酬が得られるわけでもないので経営的には無意味なんですけど。もともとが趣味から始まってるから、あんま深く考えず。てか、やっぱりやり甲斐はありますし、単純に楽しい。だって来たばっかの頃のヒヨワなカイワレ大根みたいだったのが、やがて見上げるような樹木に育っていくんですから楽しいですよ。
さらに、学校紹介後のアフターケアがだんだん充実していって、よく遊びに来てくれたり、語り合ったりしてて、いつ頃から、卒業生同士って結構波長が合うんだなあって漠然と気づくようになりました。年度が違ったり、かなり離れていても、それでも馬が合う率が高い。それは多分、僕自身にクセがあって、それを営業的に隠そうとしてないから、僕のサイトがリトマス試験紙みたいになって類友現象が起きているのだと思います。A=B、B=Cならば、A=Cみたいな感じ。10年くらい様子見てましたけど、やっぱそうです。オフなんかでも、どっチラけて終わったってことは一度も無いんじゃないかな(すべてを見たわけではないけど)。
じゃあ、もう一歩進んで卒業生同士知り合うキッカケをつくればいいじゃんってことで、とりあえず掲示場CGIをネットで拾ってきて自分で設置してみました。
最初は、卒業生同士の情報交換掲示板があります。これは今でもありますけど、今ではもっぱらFB PAGEで代替されています。が、過去発言は結構情報の宝庫というか、卒業生には全員パスワード教えてますので(聞いてないならメールください)、おひまがあれば。
次に、共通属性を持った者同士の起業の橋渡しとしてA僑という概念をぶち上げてページも作りました。また、もっと詰めた起業的なことをするためのA僑ほか実働系別館も作りましたし、実際にあれこれ議論や実働もありました。これもオフ掲示板とFB PAGEに代替されてますね。
その頃、伊勢で最初の「オフ」があって、僕も帰国してたから参加して、なかなか感動的に面白かったんですけど、そこからオフというのが始まりました。最初は、卒業生同士の同窓会的なものだったんだけど、徐々にひろがっていって、要は共通属性があれば話が合うし楽しいしってことで枠はひろがりました。広がってよかったですよね。広がらなかったら出会えなかった人達が沢山いますしオフは僕が呼びかけなくてもあっちゃこっちゃで自主的に行われ、今に至ります。
一方掲示板も広げていって、とにかく自分の部屋(スレッド)を持ってなんか世間によびかけてみようという個人ブログの集合マンションとして「語ルシス」掲示板を作りつつ、有料(月千円だけど)のクローズドなホライズン掲示板も作りました。これは日記と一般ブログの中間みたいなもので、誰にでも見せたくはないが、一人で閉じてしまうのもなーという、お金払ってまで真剣に書きたいって人だったら見てもらってもいいやって範囲の掲示板です。写経みたいな感じ、精神と時の部屋とか呼んでますけど、内容はさすがにディープなものが多いです。一方、被爆関連で気になる情報を集めている被爆板もあって、これは菊川さんという方が担当してくださっていたのですが、相当程度情報が蓄積下地点でいま一休みです。マスコミにはひっそり出てるんだけど、全然注目されてないようなスクラップとして情報価値あります。
波長の合う人、馬の合う人というのは人生の宝物だと思います。本当の意味では、百人に一人いるかいないかくらいだと思いますよ。偶然か必然か、その得難いものが比較的得やすい情況があるならば、これは活用しなければ嘘だというのが原点です。
コンスタントに今使われているのは、「語ルシス」掲示板とオフ掲示板ですけど、これにさらに加えて(まだやるのか)、さらに進もうかと思ってます。なんでそんなに「先」を考えるのか?といえば、言うまでもなく外部環境が急激に変わっていってるからです。
外部環境の変化と意味の深化
外部条件の変化
数年前からそれ以上のことも考えるようになりました。世界の先進国が頭打ち状態でヤバイな、日本なんかかなり典型的にヤバイな、少子高齢化とか累積債務と財政破綻とかいう以上に、これまでの社会原理みたいだった資本主義とか貨幣経済そのものも制度疲労を起こしてて、とっとと次のステージにいった方がいいというのは日に日に実感するようになりました。これは海外で他の国の人と話をするとわかるのですが、似たような発想を抱いている人が多いです。ノーモア・キャピタリズム的な。が、そうはいっても皆も旧体制でメシ食ってるわけで、そこでいい思いをしている人(=通常権力も影響力も強い人)が、それをすんなり認めるわけもないから、頑張る。直近10年だけでも太陽光発電コストが革命的に激減し、火力よりも安くなるようになって世界はそっちの方向に進んでいるわけだけど、まだ原発で頑張りたい人もいると。世の中、機関車とか自動車が出てきているんだけど、まだ徒歩で参勤交代をやっていたいという。ほんとそのくらい遅れているんですけど。これも海外にいたほうがよく見えますよ。
一応例証を出しておくと、下記はBroomberg(世界的な株その他の経済誌)に載ってた記事です。太陽光発電がコスト低下で躍進へ、将来最安の選択肢にもという今年7月の記事です。
2009年ころから自由落下のようにコストが安くなっている。方針というのは将来30年、100年を見て決めるべきなんだから、2011年に東北地震や原発事故が起きていなかったとしても、もうその時点で新しい巨大なビジネスチャンスが生まれたぞと政財界やマスコミは色めき立っていなければいけない。このグラフでも原発なんか比較の対象にすらなっていない。「コスト」といっても用地買収費用から廃炉、廃棄物保存費用、事故賠償費用、全部含んでのコスト計算であるべきで、デキるビジネスマンはそこまで考える、つか考えなかったらビジネス語る資格ないでしょ。
今年になってから、まるで将棋倒しのようにバタバタと、欧米、そして中国ですら電気自動車方面に大きく針路転換をしたのは背景にコレがあるからでしょう。たぶん「見通しが立った」んだと思うよ。石油とか核とかやたら政治まみれで面倒臭いことやらなくてもいいもん。石油の価値が下がれば中東なんかただの砂漠だし、鉱山ロビーが強いオーストラリア経済も変わるし。この時点でまだ再稼働がとかいうのは、主義思想なんて高尚なレベルを越えて、参勤交代というか、京都の祇園祭というか、ほんとそんなレベル。ギャグで言ってるのか?って感じ。そういや最近裁判所で東電のみならず国に賠償を認めた判決が出たけど、あの化石みたいな裁判所ですらそこまで言うというのは、どっかで「(原発)切ってよし」って内諾が出たのかもしらんすよ。
ま、そんなコップの中の利権争奪戦はともかく、一年ごとに世界がガンガン変わってますよね。突如何かが出現したのではなく、過疎化にせよ先進国凋落にせよ財政崩壊にせよ、前々から言われていたことがいよいよ現実味を帯びてきた。夏休みの宿題のように、それまで必死に目を背けてきたものが、いよいよ8月29日くらいになって真剣にやらんと、、とお尻に火が着いてきた。赤道上の台風がだんだん北上してきて、なにげに風も強くなってきたという感じでしょうか。
個人レベルにおいては
そんな中でマトモに暮らしていけるのか?老後とかどうなるのか?年金やばいでしょとか、そこらへんの不安があるわけです。でも、科学技術の進展や生産力そのものは遥かに向上しているわけですよ。太陽光発電が安くなるのは個人レベルでは結構なことですよ。どんどんコストダウンして無料同然で電気が手に入れば居住エリアの選択肢も増えるもんね。だって、中東まで商社の皆さんが命かけて交渉して、社運傾けてプラント作って、マラッカ海峡超えて延々運んで、沿岸にコンビナート作って、どっかに発電所まで道路整備して、山奥に送電線はりめぐらせて、都会に一等地に変電所作って、あんなクソ重いトランス乗っけたコンクリ電柱を膨大な数林立させてようやく電気というのが手に入ったんだけど、自宅で発電できる。3年前にケニアのm-Pesaシステムを紹介したけど、21世紀の発展の仕方はコレですよね。道路もろくすっぽ整備されてないようなところでも携帯電話だけは普及してて、携帯があれば送金できるから銀行もいらないという。19世紀的に重厚長大の国策産業から徐々に発展するのではなく、いきなり出来てしまう。賢いやつならネットだけで結構学べてしまうし、スマホのアプリ作成の外注をネットで受ければ山奥でも収入が得られる。これは逆にいえば、将来の日本で、無人化して荒廃した過疎村でもやり方一つでなんとかなるという一つの希望でもあるでしょ。
その昔、今くらいの時代になったら、人々は週に3日も働いたらあとは遊んで暮らせるという予測も出てたらしいのですが、客観的には当たってると思いますよ。極端な話、ロボット化とAI化で完全代替できたら、全部遊んで暮らしていけるわけですよ。でも、それは失業率100%で全員餓死するということでもある。おかしくないか?本来働く必要がないくらい人類が進化していながら、全員餓死するって何よ?すごいギャグだな、おい?って。何があかんの?といえば、資本主義と貨幣経済や国家体制でしょう。これまではこれがあったから上手く廻っていたんだけど、ここまで来てしまったら逆に阻害要因になっている。
ま、そのへんの話はいつもしてるのでこのくらいにして、そこで、全然違う発想でもっとゆとりがあり、たのしげな生活って出来るんじゃないの?これだけの世の中進んだら?ってことで、セーフハウス構想とか書いたりもしました。理論的にはいけんじゃないの?実践的にも、そんなに不可能ってことはないだろうって思いましたし、今でも思ってます。というか、実現可能性は日に日に高まっているよね。
これは何も主義主張とか、アンチテーゼとかじゃなくて、これまでの方法論(効率や合理性を重んじる)をそのまま素直に延長してけばそうなるといってるだけで、これこそ保守でしょ。
エーテルのような方法論
ただ実行過程において、いきなり今の仕事をやめて、家も引き払ってってのは現実問題無理があるでしょうね。だから中間段階に何ステップもカマしていかなきゃいけないし、こういう形って決め打ちするのも良くないし、また誰かが率先して引っ張っていくっていうのも限界あると思ってます。僕の考えでいえば、今でもできるようなことがあれば、どんどんやっていって、その結果や手ごたえを感じつつ広げていき、高めていく方がいい。感じとしては、なにか具体的な構築物を作るというよりも、生命の原型のなったといわれるコアセルベートの濃度を高めていく、ただの空気をエーテルみたいにしていく方がいいかなーと。
そうすると何が良いのか?というと、皆のベネフィットが高まると思うのです。
単に話の合う友人が出来るだけでも人生楽しくなりますし、休みの日に一緒に遊べる人々がいるだけでも生きがいにはなります。
それを越えて、現実的なヘルプも出来るでしょう。人生いろんなことあるし、いきなりリストラ食らって、またそんなときに限って間が悪いことに子供が交通事故になったり、親がいきなりボケてきたり。子供の世話で手が足りないとか、そんなときに素直に言える人がいたらだいぶ違います。また、お金についても、今年とある件で呼びかけて1週間で400万くらい申込があって助かったという実例もあります。大体、僕らが生きてて出くわすトラブルというのは、「知恵(情報)」・「お金」・「人手」の3つで殆どは解決可能でしょう。これらのうち、知恵と人手はわりと簡単にシェアしうる。ただシェアする道筋がなかった。無ければ作ればいい。
さらに、今後自分でなんか起業でもなんでもやりたい、それで食っていくのは無理かもしれないけど、ほそぼそとでもいいから活動したい、それを皆に知ってほしい、出来ればちゃんと理解力のある人、現実的に結実しうるサムシングを持ってる人につながりたいという欲求があるでしょう。これ、今、誰に聞いてもあると思いますし、そういう話をすると全く興味がないって人はマレでしょう。ただ、出来るとは思えないからあまり考えないというのは多いだろうけど、それって、チャンスと実現可能性があれば話はまた別だということでしょ?じゃあチャンスを増やせばいいじゃん。
そのときにぼややーんとそういうことを言える空間があると良い。ネットのような茫漠として濃度が薄い空間ではなく、もうちょいなんかになりそうなくらいエーテル濃度が高い場所があるといい。てか、そういうのが無いとなかなかどこに誰がいて、どうつながればいいのかも良く分からない。LinkedInなんかもそれを目指しているんでしょうけど、まだまだ濃度薄すぎて現実にはなりにくいし、堅苦しいんだよね、あそこは。だから人数は少なくてもいいから、またかっちりした商談でなくてもいいから、ある程度人物保証できている人との、水以上に濃い場があればいいだろう。
それは、これまでのオフ活動なんかもそういう機能があったし、FB PAGEで人物やらイベント紹介をしていくものそうです。でも、もう一歩先に進んでもいい頃かなーと。
実際、1−2年前に比べてみたら情況は成熟しつつあります。敢えて実名を出してしまいますが、例えば翼さんは京都で自分のゲストハウスを今年開業するところまでこぎ着けているし、また、渡辺くんはA僑やオフ人脈の流れで三重県で自分の学習塾を開業しました。ねえ、立派になっちゃって、まあ、昔はカイワレ大根だったのに(笑)。ほかにも沢山たくさんいます。またオーストラリア国内や世界各地に散らばって、皆、それぞれの人生を前進させているし、ビザやら、結婚やら、子育てやらでも戦線を進めている。
起業とかシェアとかいうのは、なんか商品みたいにカッチリ固まってから、おもむろに物色し、吟味し、コンタクトを取るってものではないですよー。そういうのは大企業とかある程度これまでの実績やら組織やらで決まってる場合であって、個人レベルでもう少し人生を楽しくしたいくらいのレベルだったら、海のものとも山のものとも分からない段階から一緒に企画していくくらいがいいんです。いわゆる商品化というのは、相手がやる場合もあるけど、こっちの方から提案する場合も多い。「それ、使えるんじゃない?」っって。本人は意外と盲点で気づいてない場合も多いですからね。
また、そこで最終的に金銭ゲットが目的ってもんでもなくて、なんらかの実のあるやりとりをしていく中で、より親しくなるとか、理解が深まるというのが大事だと思います。それが後々の布石になっていくと。だから、なんかやろうよって話になって、アィデア出しをして、動いても、なにかが致命的に足りないからモノにならんな、ここまでだなって場合は多いです。てか殆どがそうだと思う。それでも良いのですわ。そこでそういう話をして、相手は何が出来て何が出来ないのもわかるし、大体の趣味嗜好や意向もわかるし、それがあとで生きてくる。
実際のビジネスだってさ、用具部品の調達くらいだったらともかく、ある程度一緒にやっていくんだったら、カタログやプレゼンだけで、はい取引成立ってのはマレで、まずは人間性を見ますよ。だから「一席設けて」「胸襟を開いて」相互理解を深めて、泣いたり一肌脱いだり貸し借り作って、実績作って、育てていくものでしょ。接待だって、別に儀式としてやってるわけじゃなくて、ビジネス的合理性があるからやってるわけでさ。そこがダメならビジネスできない、B to Bは難しい。だからやってることはオフとそんなに変わらんのよね。下敷きになるフォーマットが違うだけで。
特にセーフハウス的なことをやろうと思ったら、相互理解や信頼は不可欠ですし、それっていろんな機会に話をしたり、なにかを一緒にやってみたりってことで深まっていくでしょう。オフだって、あれも一種のイベント企画実行という起業ですし、いい練習にはなるのですね。
さて、そんな中でもう一歩進むために、2つほどプランがあります。
地域フリマ会議室
ロケーション主体の掲示板を作ろうかと。「作ろうか」なんて眠たいこと言ってんじゃねーよで、これを書いてる途中で、もう作っちゃいました。地域フリマ会議室です。
これは「ココに私がいます!」「今ココでこんなことやってます、興味があったらお声がけを〜」という発信掲示板です。
それは単に居場所を示すだけでもいいし、自分のやってる(やりたい)サムシングの広報でもいいし、その日々のあれこれブログ的なものでもいいです。自分のやってるブログやHP、FaceBookの広報でもいいです。チャネルは多いほうがいいでしょ。単純に被リンクが多くなればSEO的にもいいし。
個人(ないし複数人で)1スレッドで店を出すという意味では「語ルシス」に近いけど、漠然とした個人会議室ではなく、より積極的に「なんかやる(やりたい/やってます」というDOの部分に着目したものです。
参加資格は、「APLaC界隈」です。
一括パック受講生=卒業生だったらOKですし、そうでなくても、オフに出たり僕と実際にお話したりした方だったら誰でもいいです。
まあ、ここまで来てこんなエッセイ読んだり、掲示板覗いたりしてるんだったら、基本資格アリだと思いますが、なんとなくわかるであろう共通属性があればいいです。共通属性があれば、ほぼ信頼関係は築けることは、これまでの実践でだいぶ証明されてきたと思いますから。
その共通属性をこの地域フリマ掲示板的にわかりやすく表現すれば、
このまま大人しく死んでいくようなタマかよ、俺(私)が?
って心情かな(笑)。
これで人生あがり、終わり、よく頑張りましたー、あとは死ぬまで同じことの繰り返し、劣化しながら高度を下げていって着水〜、、、って、マジかよ、いやいやこれで終わりはないだろう、一生コレかよ?って気持ちがあれば。
なんだかんだ言って、皆、日本の自分の現状を叩き壊して、ろくすっぽ成算もないまま海外くんだりまでやってきて、孤軍奮闘してきた連中ですから、我が強いのなんの。また、そういうことをしなくても、似たようなことはやってたり、やろうとしてたり、あるいはそういう連中、社会適応力があるんだか無いんだかわからんような連中の場におっても楽しく感じるような人だったら、話は通じるし、馬は合うと思います。
使い方は、
★参加希望者は自分の部屋としてスレッドを立ててください。タイトルには、場所(日本・○県○市とか)と名前や商号などを。あとで変更できますが、そのためには書き込み時に暗証番号を自分で決めて打ち込んでおいてください。でないとあとで修正できません。
自分のスレッド内での記載は自由です。
★参加希望者でgmailをお持ちの方は、言ってください。地図作成の権限をあげられるんじゃないかと思うので(Google Mapの仕様上、招待すれば編集できると書いてあった)、自分の位置を自分で地図上に示し、コメントや写真を載せてください。やり方がわからなかったら僕が代わりにやりますので言ってください。
基本それだけです。
A僑のページに近いのですけど、あの頃よりは場も成熟してきているし、もっと動いている感じになるかと思います。
ま、単に居場所をマッピングしてそんで終わりになるかもしれないけど、皆で同じ地図を見るということは、次のステップへの布石にはなるだろうということです。
婚活/国際結婚フォーラム
こないだ第一回の顔合わせがありました。次回は27日金曜日です。もともとはですね、某語学学校のカウンセラーの方、広報目的もあるからお名前出してもいいよな、カズミさんという方がおられて、旦那さんがチリ系のオージーで、先般転勤でNSW州のド田舎(失礼ながらそう表現した方がわかりやすかと)のガナダー(Gunnedarh)、こんどクーナバラブラン(Coonabarabran)に引っ越されるそうで、そこで「なんか」出来ないかって話になって。
場所は引っ込んでるから、二回目ワーホリのファーム探しの拠点として利用してもらってもいいし、あるいはシニア層にとって本当に本物のオーストラリア生活をちょっと体験してもらうのもいいし。クーナバラブランは、オーストラリアで一番星がきれいにみえて、天体観測に最適らしく(天文台もある)、全国の天文少年少女達に冒険ツアー(片道バス5時間乗って星を見に来いツアー)の案内を出してもいいよねとか色々話してました。
そのなかでカズミさん、婚活経験ありというキャリアが。「ある」なんてもんじゃなくて、かなりプロ級な。といっても、聞いたところ、就職以上に真剣にやっておられた。もともとワーホリで1年やって、帰国してからも英語を使う仕事をってことで7年ESS(英語教室)で働いたり、日本の留学エージェント、そしてこちらでもエージェントや学校スタッフとして働いてこられたわけです。真面目すぎるほど真面目で、だからオーストラリアに住みたいなって思ったときに選択肢の一つとして配偶者ビザも当然あった。だけど、真面目だからしっかりやるわけですよ。再渡豪してから5年がかりで、せっせと会合に顔出して、第一印象とか偶然の要素をできるだけ差し引くとか、デートの前には相手の話題にある程度ついていけるようにちゃんと予習をするとか。それもこれも、単にビザとかいうのではなく、一生の伴侶を選ぶにあたってはしっかりやりたいってことなのでしょう。
だもんで、チャラチャラ遊び歩いて〜、着飾って〜、イケメン探して〜、そして〜という、英語で"Happy Go Lucky"っていうんですけど、そういう頭の悪い方法論ではないのですな。これは他の人にとっても十分学ぶだけのコンテンツはあるよなって思った。
と同時に、相手探しで終わるほど浅いプロジェクトではないのですよ。人生かかってるんだから遊びでやってるヤツなんかいないよ。実践レベルだって、遊び半分の相手につきあってる余裕はないから、バサバサ切っていかんと。
そこから結婚(デファクトでも)まで漕ぎ着けるまで紆余曲折はあるだろうし、そこで男女関係における文化の違いはある。それはオーストラリアと日本の違いもあるいし、日本と海外の違いもあるし、さらにオーストラリア人とかいっても中国系とかイギリス系とかユダヤ系とかいろいろあるわけで、そういった文化の差もある。そのあたり学ぶべきはきちんと学ばないとおぼつかないです。
さらに両方の親にいつどうやって紹介するかです。まあ、オージーは気楽に親に紹介するんだけど、それは日本ほどの大きな意味を持たない、小学生のお誕生パーティ的なノリで紹介するから期待してはいけないとか。でも日本の実家の親の場合は、けっこうシリアスな局面もあるしね、そのあたり。
次にビザのノウハウはあります。このあたりは一般に流布されているんだろうけど、どうしても噂話やら、都市伝説、女子会トークで終わってしまう話もあるし、結構そのあたりの真偽不明(つか明確に誤り)レベルで意思決定してる人もいるのが実情なので、正確な知識は正確に伝えたほうがいいよね。また1年前の話だったらもう違うってこともあるし、ビザなんか風向き一つでけっこう変わるんで。
それと日本での入籍やら手続きやら。
さらにさらに続きますよ。オージーの生活設計やライフスタイルの差やら。そして子供が出来たら出産やら、その後の医療問題、子育て、やがて日本語を教えるかどうか、日本国籍をどうするかとか。まあ、後になればなるほど在住日本人会のヘルプもありますし、そこにある程度の集合知はあります。プレイグループもあるし、ママ友もある。
ただ、このフォーラムの基本コンセプトは、「ママ」とか「妻」というアイデンティティではない点だろう。まずは「自分」、なんの色もついてない、自分色しかない状態が原点。その自分が配偶者やってます、ママやってますというレイヤー構造になってる点です。
そしてそれは、たった一人でオーストラリアにやってきた原点まで遡る。共通属性としては「荒野の素浪人」なのですよ。そこが違う。だから他のA僑的なこととも違和感なく融合できるし、ひろがってもいける。くだらないステイタス意識(相手が白人だとエラくて、アジア人だとエラくないというモロ劣等感の裏返しの差別・選民感情)やら、競争意識(子供の服がブランドだからどうのとかいう、くーだらないアレ)からも自由になれるでしょ。てか、そこがクソだったら僕もなんか言うよ。なにそれ?って。
ま、そういう感じで、カズミさんの他、リアルタイムで国際結婚している、これからする人達も交えて、なんか出来ないか?って。ほかの人だって、婚活っぽいことはやってないかもしれないけど、でも医療関係のプロ(看護師や薬剤師)だったり、日系企業に勤めているとかそっち方面のアドバイスもできるだろうし。
この婚活部分で婚活セミナーでお金とって(リーズナブルな)やってもいいし、個人的にカウンセリングしてもいいし、そこは彼女らに任せたいです。名前も決めてねって。
これも布石に過ぎないと思ってます。これでバンバン儲かるなんてことはまず無いよな。ただ起業のいい練習にもなるし、ここにこういう結節点を設けておけば、そこから用水路のように自分のサイトやブログに引っ張っていけるわけですしね。ま、ただの定期的な女子会でも別にいいとは思いますけど、それだけでも面白いだろうし。でも先があった方がもっと面白いやん。
ZOOM〜オンラインでのオフ
あとですね、カズミさんが離れていることもあってZOOMというアプリの使い方を前回説明しました。説明っつって僕も良う知らんのだけど、これ便利ですよ。スカイプよりも便利。共同会議ができるんだけど、スカイプはせーので入らないといけないけど、これは遅れて参加、早く退出ができるし、手持ちのパソコンの画面を他の人と共有できたり、なにかと便利。それもスケジュールを設定して、それを参加希望者にURL送っておけば、あとはメールからクリックすればスマホでも出来る。このメディアは今後のツールとして活用できるかなーと。
オインラインでオフができるもんね。そこで上の地図と連動してくるんだけど、「世界会議」が出来ますからね。無料で。
で、さらに続くのは、そうやってオンライン上でビジネスらしきものが出来る、しょぼくてもいいから現金収入が得られるような方法に今のうちから習熟しておけば、将来的に居場所に拘束されないノマド的、セーフハウス的な動きもできるし、過疎エリア(でも自然はすごい)での生計ビジョンにもなるでしょ?
そんなこんなで、そっから先は考えても無駄なんで、とりあえずやってみるべと。
漫画紹介
[鈴ノ木ユウ] コウノドリ
この作品は現在19巻ですし、人気テレビドラマになってるそうなのでご存知の方も多いでしょう。
ドラマは見てないですけど、マンガとしても良いですよ。
医療系のマンガは沢山あります。その昔は「ブラック・ジャックにトドメをさす」という風潮もなきしにもあらずだったけど、エリアも、切り口も全然違う作品が沢山出てます。時代劇や刑事物と一緒ですね。「医龍」は、医学もそうだけど大学病院内の権力闘争やポリティカルな駆け引きが面白かったし、「フラジャイル」は病理医の医学アカデミックな部分や、経営コンサルティングや製薬会社とのあれこれが面白いです。
コウノドリは産科の話です。周産期医療がメインですが、それにとどまらず周辺にまで話を広げてます。
この作品の一番素晴らしい点は、どの立場も平等公平に描写されている点です。正義の主人公がおって、憎ったらしい悪役がおって、というわかりやすい対立構造にしていない。だれもがそれぞれの立場で主人公だし、立場や見方が違えばこう見えるって部分を丁寧に描いていて、そこが凄いなーと思います。
医学的に知らない知識を沢山得られるので、それはそれで「ふーん、そうなんだ」的に面白いのだけど(覚えきれなかったけど)、それ以上に、誰に対しても優しい眼差しで見ている点が良い。産前の不安で精神状態がおかしくなるお母さんも、おろおろして距離感がつかめずに空回りするお父さんも、医療側も、産科医だけではなく、助産師、看護師、救命、新生児医、婦人科医、麻酔医、さらに地域の産科医、養護施設などなど、それぞれの立場でベストを尽くしてる様子が描かれてます。また、ネットの功罪(しょーもない断片を針小棒大にいうとか)も。
と同時に、産まれてくること自体が奇跡って言われるけど、ほんとにそうだなーって。これだけ複雑精妙なメカニズムでなされるのだから、なにか一つ歯車が違っただけでもうダメになるという恐さ。あるいはそれでも治していく現代医療の先端技術。ただ、確率の問題って要素も多い。なぜそうなるか未だにわからないことも多い。どんなに万全を尽くしていても流産したり、死産したり、母体も死んでしまったり。そのあたりハッピーエンドに終わらせてないこともあります。そこがリアル。そして、理不尽にしか感じられない、信じられないような事実をつきつけられた家族の心の受け入れ、その後の話。死産した赤ちゃんに両手を合わせて弔い、火葬にする。双生児として受胎したけど、途中で片方だけ死んでしまう。でも死んでしまった赤ちゃんの方にも名前をつけて忘れないようにしようという家族。技術の問題もそうですが、心の問題にもページが割かれていて、そこがいいです。
思ったのは、プロと素人の波打ち際の葛藤ですね。
素人がそう思うのは無理もないんだけど、専門家の視点で見ると、それは愚かな行動だったりもするわけです。そこをどう指摘するかです。鴻鳥医師と四宮医師がコンビで出てくるのですが、それが対照的で、どちらもアリだろうなーと思わされます。主人公の鴻鳥医師は、お母さんの立場に親身に耳を傾けて共感する方向で話を進めていくのだけど、それだけに医学的にはリスキーな方向にいかざるえない。四宮医師は、対極的にお母さんの気持なんか斟酌せずに、客観的に最適な方法をズバリという。そうなったのは、過去に同じように引きずられて、リスキーな方向にいって、結果として赤ちゃんを脳性麻痺にさせてしまって、罪滅ぼしのように毎日その子の部屋に行っているという。だから何をどう憎まれようが客観的にベストな方法をやるのが一番いいんだって哲学にもなる。
これはほんとそうで、専門家はどこまで素人に共感すべきか?共感のみならず方針でもどこまで追従するか。悩ましいですよね。ましてや、人の生命、特に物言わぬ赤ちゃんの命がかかってるとなったら、共感とばかりも言ってられないだろうし、永遠の課題だよなーと思ったのでした。
以下、トップ写真の続き