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今週の一枚(2014/07/14)



Essay 679:「貨幣」いらないかも論 〜 ケニアのm-Pesaシステム

 写真は、典型的なオーストラリアの週末の朝の風景。
 カフェでくつろいで、知らない人同士でおしゃべりして、犬が寝そべって、子供が犬とお話して、「平和な〜」って。
 場所はManlyですけど、こんなの何処に行ってもそう。



 地元の新聞読んでたら面白い記事があったので、例によって自分でテキトーな訳をつけて紹介します。

 Why cash is on borrowed timeという記事です。

 能書きスキップ。まずはご一読を。


Peter Martinr
  Sydney Morinig Herald (July 12, 2014)

Australia Post was always going to wind back mail deliveries. Think about the absurdity of it - thousands of trucks and bikes traversing the country to move something slowly that can be delivered quickly and cheaply by computer.
オーストラリアン・ポスト(郵便局)は常に郵便の配達という原点に戻ろうとしていた。その馬鹿馬鹿しさを考えてみるといい=オンラインでより早く、安くデリバリーできるものを、わざわざ何千台ものトラックやバイクをつかってより遅くやろうとしているわけなのだから。

It’s the same for the newspaper you’re reading right now. Printing and delivering it by trucks is enormously expensive compared to sending the text by computer.
そのことは、いまあなたが読んでいる新聞でも同じことだ。コンピューターでテキストを送ることに比べたら、印刷してからトラックで運ぶという手間はとてつもなくコストがかかる。

And it’s the same for video, music and book shops. Why set up a network of trucks and warehouses to deliver something slowly that can be delivered instantly and almost costlessly?
そして、それはビデオ、音楽、書籍にもいえる。瞬時に、そしてほとんど無料で届けられるものを、何故わざわざトラックや倉庫のネットワークを組み上げてより遅く配達しなければならないのか?

The only reason we’ve set up these hideously expensive systems in the past is that we didn’t have computers to do it for us.
このぞっとするほどお金がかかるシステムを何故我々は過去において作り上げたのか?についての答は一つである。その頃にはコンピューターというものが存在しなかったからだ。

But they are not the only dated technologies facing obliteration at the hands of computers. The next big one is so obvious it’s hard to see. It’s under your nose, or in our pockets. It’s money, represented by cash.
コンピューターによって消滅に瀕している時代遅れのテクノロジーは、実はそれらに尽きるものではない。次に消滅すべき巨大なもの、それはあまりにも巨大すぎてかえって気づきにくい。それはすぐ目の前にある、いやあなたのポケットの中にある。それはキャッシュ(現金)によって代表されるお金そのものである。

If you think cash is costless you haven’t thought about it. It goes to bank branches and ATMs via trucks, warehouses and guards with guns. You might not notice you’re paying for it because banks bury the costs in fees and retailers bury them in their prices. One of the reasons it’s rare to see a discount for cash is that cash itself is expensive, even compared to credit card fees which are exorbitant.
もしお金にコストなんかかってないと思うのなら、そういう視点でものを考えたことがないからだ。お金というものは、銀行支店やATMに、倉庫とトラックと銃を携帯した警備員によって運ばれているのだ。あなたが貨幣に関するコストを払わされていることに気づかないかもしれないが、それはそれらの費用は銀行の手数料や物品の価格に埋め込まれているからだ。お金のディスカウントということが滅多にないのは、お金それ自体が非常に高価だからであり、それは過大なクレジットカード費用に比べてもなお高い。

We ought to be able to do to cash what we are in the midst of doing to printed newspapers and record shops.
いま新聞やレコード店で経験しているのと同じことが、貨幣に対しても出来るべきだろう。

But we mightn’t be able to rely on the banks themselves to do it. In the early days of the internet Telstra resisted embracing DSL technology because it wanted to keep making money by renting out extra dial-up phone lines. It and the other phone companies are continuing to overcharge us for text messages when anyone who has ever used a smartphone knows that the real cost of sending a short message through the air is close to zero.
しかし、銀行がそれをやってくれるのを期待することは無理だろう。インターネットの黎明期、ネット用の回線を余計に貸して儲けたいがために、テレストラはデジタル回線化するのを拒んでいたのだ。今もなおテレストラも他の電話会社も携帯のSMSに過大な料金をかけつづけている、スマホを使った人ならわかると思うが、テキストの送受信などほとんど無料同然でできるのに。

The solution might have come from outside. As unlikely as it seems, it might come from Africa.
解決は外からやってくるだろう。ありえそうもないように見えるかもしれないが、それはアフリカからやってくるかもしれない。

Kenya has leapfrogged much of the so-called developed world because it never got too bogged down in banking. With only six bank branches for 100,000 adults (Australia has 32) cash is hard to come by in Kenya. It can involves travelling long distances and often getting mugged.
銀行システムという泥沼に足を取られなかったがゆえに、ケニアは今、多くのいわゆる先進国を追い抜かしている。ケニアには人口(大人)10万人あたりたった6つしか銀行の支店がない(オーストラリアは32もある)ことから、彼の地では現金というのはなかなか難物である。貨幣を使おうとするなら長旅をしなくてはならないし、しばしば道中襲われたりもする。

So Vodafone set up m-Pesa. The M stands for mobile, and “pesa” means “money” in Swahili. Villagers pay real money to agents at shops, have their mobile phones topped up and then use it hundreds of kilometres away to buy and sell produce with neighbours who also have m-Pesa on their phones. About half of Kenya’s population are said to have used it.
そこでヴォダフォーンは「m-Pesa」というシステムを立ち上げた。「M」は携帯電話(mobile)を、"pesa"はスワヒリ語で「お金」を意味する。村人は、村のお店のエージェント(代理店)に現金を出し、彼らの携帯電話にトップアップしてもらい(限度枠を上げてもらい)、数百キロ離れた周囲の村々のm-Pesa携帯を持ってる人々と売り買いをする。ケニアの人口のおおむね半数の人が、利用したことがあるという。

It has since spread to Tanzania, South Africa, the Democratic Republic of the Congo, Mozambique, Lesotho and beyond Africa to India, Fiji, Egypt and Romania.
It's anonymous, requiring no bank account, no identity documents and no permanent address.
We’ve already made our big transactions cashless, unless we’ve something to hide.
この画期的なシステムはタンザニア、南アフリカ、コンゴ民主共和国、モザンビーク、レソトに広がり、さらにアフリカを超えてインド、フィジー、エジプト、さらにはルーマニアにも広がっている。
このシステムは匿名的であり、銀行口座も必要なければ、身分証明書も住所も要らないのだ。
我々は、既に巨額の取引を貨幣なしに行っているのだ、もしなにか隠しているのでなければ。

I confess to being not particularly squeamish about the privacy concerns of the Australians who use briefcases full of high-denomination notes to buy houses and cars. And there must be a lot of them. An astounding 92 per cent of all the cash on issue is in the form of $50 and $100 notes. They are not often used for transactions by people I know and I have a feeling I am paying more tax than I should because the people use them are paying less.
私は、高額紙幣を詰めこんだブリーフケースを運んで家や車を買っているオーストラリア人のプライバシー懸念について、特段の嫌悪感を持ちあわせてはいない。そういう人達は沢山いるだろう。現在発行されている貨幣のうち、なんと92%が50ドル札と100ドル札なのだ。それらの貨幣は私が知ってる人々の日常の取引に使われてることはマレである。私はいつも本来よりも税金を払わされているんじゃないかという気分に陥る。なぜなら、こういうキャッシュ取引をしている人々が本来よりも税金を払ってないからである。

In a submission to the financial system inquiry former Reserve Bank official Peter Mair suggests doing away with high-denomination notes altogether. They would be given a use-by date. Anyone who didn’t hand them in within, say, five years would get nothing in return.
金融システムの調査会において、元中央銀行の官僚であった Peter Mair氏は高額紙幣の廃止論を提唱している。例えば高額紙幣に使用期限を付するのである。誰であれ、その紙幣を持ちながら一定期間、仮に5年とすれば、5年経過したらその貨幣の交換価値はゼロになるようにするという。

After that it would pretty easy to abolish small change. Many of us already top up parking meters or buy drinks from vending machines with a wave of our phones. It’s where privacy does matter. I’m not keen on the bank or the police knowing where I’ve been minute by minute. But there’s no reason they should. Kenya has shown us how to keep mobile transactions anonymous.
高額紙幣を駆逐してしまえば、あとの小銭を廃止するのは簡単である。我々の多くは、パーキングメーターを延長したり自動販売機で購入する際に携帯電話の電波を使っている。しかし、それではプライバシーの問題が残る。私は、銀行や警察に毎分ごとに精密に私が何処にいたのかを把握してもらうことに、それほど執着しているわけではない。また彼らがそれを知らねばならない理由も無いのだ。ケニアは、携帯での支払いをいかに匿名的に行うかについて、一つの答を示してくれている。

Axing cash ain’t radical. A leading United States conservative economist Kenneth Rogoff has argued Currency and another entitled Paper Money is Unfit for a World of High Crime and Low Inflation.
貨幣廃止論は、それほどラディカルなことではない。アメリカの著名であり且つ保守的な経済学者Kenneth Rogoff氏は、直近数ヶ月に、「紙幣廃止に伴う経費と利益」「犯罪率が高くインフレ率が低い世界において紙幣は不適切である」という二つの論文を発表しているのである。

Peter Martin is economics editor of The Age.

コメント

 このケニアのm-Pesaですが、うえの本文中にさらにリンクが張ってあって、The Invisible Bank: How Kenya Has Beaten the World in Mobile Moneyというナショナル・ジオグラフィックの論稿につながっています。これがまた面白いです。これまで訳をつけてたら長くなりすぎるので割愛しますが、要はこういう新しいシステムは、インフラ整備が遅れている発展途上国だからこそ出来たのだという逆転の発想です。

おサイフ携帯とは根本的に違うこと

 あ、先にこのm-Pesaの先進性を考えた方がいいかも。
 「携帯で支払い」といえば、ガラケーの「おサイフ携帯」を思い起こされる方も多いでしょうし、「ケニアでもおサイフ携帯が流行ってるんだって」という要約で理解されるかもしれません。が、全然違います。

 確かに携帯で決済できるという末端の現象は同じなんだけど、背景になるシステムがガラリと違う。移動する乗り物に「ドアを開けて中に入って椅子に座る」という形は同じでも、それが自動車なのか駅馬車なのかってくらい違うと思います。何が違うって「銀行が要らない」ということです。

 クレジットであれ、オンラインバンキングであれ、おサイフ携帯であれ、全て銀行システムあっての話です。銀行口座上のお金のやりとりの「端末機器」としてカードとか携帯があるに過ぎない。つまりは銀行取引が簡易になったというだけのことです。でも、ケニアシステムは、そもそも銀行が要らない。だから銀行口座なんか持ってなくても良いし、身分証明書も住所も要らない。しかも銀行決済と連動しないから、おサイフ携帯特約店とかクレジット加盟店とか商業主体である必要はない。そこらへんの太郎と花子の個人間でも移動できる。つまり「決済手段」というよりは、限りなく「お金」そのもの近いわけです。

遅れているからこそ飛躍できるという逆説

 次になんでこんなシステムが開発され、定着したかですが、「不便だったから」「遅れているから」という逆説です。上にも書かれているように、銀行システムが未整備で、しかも治安その他に難があり、大金抱えて長い距離を進めば山賊に襲われるかも、というどうしようもない後進性がそこにはある。これまでは先進国モデルというか、まず安定政権を樹立し、治安維持を進め、道路や流通のインフラを整備し、銀行など金融システムを整えていくという道のりでものを考えてました。そういう視点でいえばアフリカ諸国はまだ絶望的に距離がある。しかし、だからこそ先進的なテクノロジー、てかリアルタイムの技術と現状をダイレクトに結びつけることが出来て、それがゆえに先進国以上の先進性を獲得できるという点です。

 「いわゆる先進国=so-called developed countries」と「いわゆる(so-called)」と皮肉交じりに書かれているのは、先進国といっても過去の技術や社会体制を前提にした先進性であり、その前提が変わったらもう先進的であるという保障はない。それどころか、賞味期限の切れかかった前世紀の遺物のようなシステムが妙に力をもって既得権益化しているから、逆にそれが進歩の足を引っ張っているという皮肉です。アフリカはそこまでいってないからこそ、身軽に「じゃあ、こうすればいいじゃん」という素朴なアイディアをそのまま実現できる。

 決済システムの簡易化を図ろうとして、ケニアで出来るならオーストラリアでも日本でも出来るはずです。これ、本気でやったら爆発的に流行るかもしれません。だって、プライバシーが守られるんだもん。今の銀行連動システムだったらどこで何を使っているかがモロバレです。便利になればなるほど微に入り細に入り個人情報を持っていかれる。でもこれだったらプリペイド携帯をそのまま買えば、身分証明も住所も要らないから匿名性は保たれる。

 が、それをやろうとすると反対勢力が出てくるでしょう。銀行などの金融機関と国家です。そんなのが流行ってくれたら困るからです。銀行としては銀行決済を経由しない取引システムが普及したら商売上がったりでしょう。下でも述べましたが、あちらこちらで手数料収入稼いでいるわけですからね。Visaあたりのクレジット会社も高い手数料収入がある(加盟店が払わされている)。また、国家としてもこうなると個人所得を捕捉できなくなるので反対でしょう。今は「先進国」はどこも火の車だから、あの手この手で国民から金をふんだくろうとしているし。これも後述します。

 だもんで、日本でこれをやろうとしたらなんだかんだ理由をつけて導入させないでしょうね。多分、犯罪防止とか犯罪捜査のためとかいう「いつもの大義名分」が出てくるでしょう。また、とにかく安心第一の善良な国民の皆さまがその煽りを真に受けてしまうでしょう。悲しいくらいに善良な。だから携帯端末をゲットする時点で匿名では買えないというシステムを維持するでしょう。ほんでもね〜、本当に悪い奴らに対してはそんなもん無力ですわ。戸籍だって裏ルートで売買されているくらいなんだし、マネーロンダリングの秘奥義レベルからすればごくごく初歩の技でごまかすことは十分可能だから、実はあんまり役に立ってない。どっちかといえば、国民の所得補足であり、公安的な行動監視であり、企業のマーケティング用個人情報であり、そして銀行はじめとした金融システムの維持保全(決済機能の独占性)こそが本来の利益でしょう。でもそれを言うよりは治安とか犯罪防止とか言っておくと話が通りやすい、ありていにいえば騙しやすい。秘密保護法と同じパターンですね。あんな法律で行動が制約されるような無能なスパイはおらんでしょうし、仮にそんな無能だったら泳がせておいても危害はないし、だからそれを口実にして、ってことでしょうね。

貨幣システムの問題と修正

 話を携帯マネーに戻しますが、これは単に銀行が要らない(少なくとも独占ではない)というだけではなく、貨幣システムそのものが無用の長物化していくというスパンのでかい話につながっていき、上の論稿はその点にこそ焦点を当てています。今の時代に「貨幣って本当に要るの?」という。

 ここで、ちょっと分かりにくいけど、上の短い文章には2つのことが書かれているわけですね。小銭部門と大金部門とで話は違うぞと。低額(小銭)に関しては今の携帯システムだったら銀行口座をカマすからプライバシー問題がネックになっていた、でもこのm-Pesaシステムだったらそれもクリアされるじゃないかと。実際全ての小銭(数万円以下の売買)が記録されたらたまったもんじゃないでしょう。どこでいつコンドームを買ったとか、ラブリーなホテルを利用したとかいうことが、その気になったら全部第三者にバレるというのはエンバラシング(迷惑でカッコ悪い)でしょう。

 一方で高額部門ですが、これは逆に銀行や国家による捕捉があった方が良いという視点です。たとえば数億円の取引を全部キャッシュでやるというのは、結構裏取引っぽいです。身代金の受け渡しなんか典型的だけど(^^)、表に出したくない取引、記録が残ってほしくない取引です。マネーロンダリングもそうだし、バブルの頃に盛んにやられた「ビーカン(B勘定)」なんかもそうです。地上げで立退き料が1億円で話がついたとしても、3000万で買って1億で売ったらキャイタルゲイン課税が7000万円分にかかってくる、そのくらいになってくると税率は軽く5割をこえたりするから3500万円税金でもっていかれる。超バカバカしい。だから表向きは3400万円くらいの数字で契約ができたことにして(A勘定)、実際にはキャッシュで差額の6600万円の札束が動くという。上にも書かれてましたが流通量の92%も高額紙幣が占めるのだとするなら、裏取引や脱税を円滑に進めるために国家がせっせと高いコスト(税金)払って貨幣を発行していることになり、意味ないんじゃない?ってことです。だから大きな取引は全部表にでてくるようにシステム的にしてしまえばいいと。

 そして最後にアメリカの保守系経済学者ですら「お金、いらないんじゃない?」と言い出しているという話です。ま、貨幣経済やお金という概念やシステムは残るでしょうけど、貨幣(紙幣や硬貨)はこんなに要らないんじゃないかと。コスト&ベネフィット的にどうよ?と。

 で、論稿の前段に戻るのですが、お金というのは実はかなりのコストがかかっているのだと。確かに、造幣局で印刷技術の粋を尽くして印刷し、現金輸送車で運び、さらに全国に何万あるんだかわからないATMを設置し、現金の補充をし、メンテをし、各商店にレジが置かれて現金授受をし、、というトータルのコストは相当なものでしょう。そのコストは全部、税金なり、銀行の費用なり、商品の値段になっているわけですから、一掃されたら(それがちゃんと還元されたら)ちょっとは皆の生活も楽になるんじゃないの?という話ですね。お店に現金置いてなかったら強盗もないし。

先進国の傲慢さと後進性

 というわけで、なかなか興味深い論稿でした。これって、夢物語や思考の実験として「興味深い」くらいの感覚で捉えてしまうわけですが、実際には既に現実にケニアに定着し(実施されてからもう9年になるそうです)、アフリカ諸国に広がり、さらにインドやルーマニアにまで広がっているという。これを聞いて夢物語的に思ってしまうあたりが、先進国が既に先進ではなく後進国にずり落ちている証拠なのかもしれません。世界はもっともっと、思わぬところから進展している。この「思わぬところ」ってあたりが視野狭窄の証拠なんだろうし、アフリカあたりから「おまえら、遅れてんな」と言われちゃいそうだと。

 リンクを貼ったナショナル・ジオグラフィックの記事でも書かれてましたが、先進国の傲慢さというか、現時点で最高のシステムは自分たちのシステムで、遅れている地域の連中は、自分らのパターンをなぞって這い上がってきなさいという思い込み、思い上がりがあるのではないかと。今となってはそれは滑稽なくらいな視野の狭さであり、それだけ時代に遅れてきている。だから先進国はどこも財政金融危機や失業などのトラブル続きなんじゃないの?という、文明論的な話にもなっていくわけでしょう。

 ところで、ここで思い出すのは、先日のエッセイの写真です。Essay656の写真に、街角のスナップにマネーグラム社の送金サービスの広告があって調べたのを覚えています。その回の解説文をコピペすると「なにそれ?で調べてみると、創業1940年というからパールハーバーよりも昔のアメリカの老舗の会社。日本ではあんまり展開してないけど、世界200カ国、23万拠点のネットワークを持ち、世界のどこでもわずか10分程度で国際送金が出来て、手続きも簡単、しかも安いという。オーストラリア支社のHPはここです。  見てみたら、なるほど、こっちのセブンイレブンとも提携しているのか。エージェントになるとコミッションも稼げるのか。ふむ、いずれ世界相手に小商いをするには使えるかも。ただし、日本ではSBIレミットしかやってないのがネックですね。」ということです。ま、でも、これは送金方法に過ぎず、お金に代替しうるほどのポテンシャルはないです。

 でも、m-Pesaの「エージェント」と発想は同じですね。「アイスクリームを売ってるような、そこらへんの商店が銀行の代わりをする」という。「新時代の決済サービスの特約代理業者」とかいうと高層ビルのピカピカのオフィスを連想される方もいるかもしれないけど、リアルには、昭和の日本にそこかしこにあった「タバコ屋のおばちゃん」的な存在です。ナショナル・ジオグラフィックの記事にもケニアの写真が出てますが、下手に写真もってきて貼ってると文句言われそうだからココを見て欲しいのですが、もうタバコ屋どころか、建設現場の臨時トイレみたいな、海水浴場の近くの空き地に夏だけやってる臨時駐車場の物置というか、そんなしょぼい建物です。こんなのが銀行の代わりになってしまうという凄さですね。ま、実際、オンライン回線と多少の現金交換が出来ればいいだけなんだからこれで十分なんでしょうけど。スモールビジネスの小銭稼ぎに良いという。

 さらにリンクをたどって調べると、Out of thin airというThe Economistの本家英語版の紙面の記事によると、小銭稼ぎどころかいいビジネスになっているらしい。例に挙げられていたのは、グアデンシャ(と読むのかな)という西ケニアのおばちゃんで、バスで30分ほどのエリアに3軒の店を持ち、行ったり来たりしている。そのエリアの平均的な賃金は日給5ドル!だけど、グラデンシャおばちゃんは、このエージェントビジネスのコミッションだけで月額1,000ドル稼いでいるそうです。日給5ドルだから月給125ドル、1万2500円くらい?それで1000ドル稼いでるってことは8倍か?日本に換算すれば、おおざっぱに20倍するとして、月給25万平均くらいのエリアで、月収200万円稼いでいるってことかい?すごいな。

 まあ、これは稀有な成功例なのかもしれないけど、この種の日銭商売って結構儲かりますからね〜。仕入れ代金とか面倒なケアが要らないし、おばちゃん一人で出来るし。しかしそれで日本換算月給200万近いというのは凄い。

銀行・金融のぼったくりシステム

 逆に言えば、それだけ払ってもm-Pesa社、ヴォダフォーン社は儲ってるってことでしょう。
 もっと言えば、銀行とか金融とかってそれだけ利幅の大きい手数料商売だってことなんでしょう。だってさ、預金金利が0.01%とかいってるときに、平気でクレジットのリボ払い14.8%とか取ってるもんね。考えてみたら超ぼったくりじゃん。0.01%と15%ですよ、桁を揃えたら1対1500ですよ。払うのは1円、貰うのは1500円。いくら悪徳商人でも1500倍は吹っかけないでしょうよ。それに、国際送金なんかオンラインで簡単に出来るのに送金手数料で数千円取ってるもんね。あんなのコンビニのレジ打ち一回分の方が、or みどりの窓口の予約と発券業務の方が、ずっと手間暇かかるんじゃないの?それで5000円貰えるんだからボロいよね。その上、国からジャンジャン湯水のように税金を注ぎ込んで助けてもらえる。邦銀ってバブル崩壊後にあれだけ兆単位の税金もらっておきながら年収1000万とか2000万取ってるし、ウォール・ストリートだってリーマンショックであれだけ世界の国家財政をボコボコにしておきながら未だに高給取りだもんね。国から一兆円貰うのは経済システム維持のためといって正当化され、国からわずか数万円の生活保護をもらうとナマポだとなんだと非難されるという。一人殺したら殺人犯だけど1万人殺したら英雄って論理ですか。

 つまり銀行や金融の決済独占体制が崩れて、m-Pesoみたいなのが流行ってきたら、唸りを上げているような彼らの富がこっちに廻ってくるかもってことです。もっと言っちゃえば、今の先進国(だと自分達だけが思ってる)システムは、いかに富の偏在を生じさせるかってことでもあるのかな。だもんで、この「貨幣いらないかも論」というのは、実はかーなりディープインパクトをもつかもしれないなって部分で、興味を惹いたのでした。


おまけ  時事短観

 気がついたニュースですけど、一本にするほどのことないのを箇条書きで。

サラ金金利をまたあげようという法案

 消費者金融の規制緩和=「認可業者」に上限金利29.2%−自民党が貸金業法改正案(時事通信 2014/06/29)
 ネットでは既に話題になってますから、ほとんどの人が知ってると思いますが、これもすごいですね。「よくそんなこと思いつくな」というか、それ以上に何がしたいの?と。

 かねてからサラ金の金利と利息制限法の上限がズレているグレーゾーンがあって、それをやっと法律で利息制限法に合わせた(改正貸金業法、2006年成立〜2010年完全施行)。これによって、これまで払いすぎていた利息を返せという、いわゆる「過払い返還請求訴訟」が続々と起きて、司法書士さんとか一部の企業化した弁護士事務所の収入源になっていたけど、それも一巡して仕事がなくなったところで、なぜかまたサラ金の規制利率を3割近くまで上げるという。

 何考えてんねん?って思う第一は、上に書いたように銀行利息が0.01%とかいってるこのご時世で利息制限法の20%ですらバカ高いのに、さらに29%まで上げるという凄さです。3000倍だよ、坊主丸儲けだよ。それに、今の世の中3割利率でしかも複利なんてまず返せないよ。僕が破産管財人をやった個人破産のケースは、10万借りて3年後には3000万円になっていた。だからかつてサラ金地獄でえらい騒ぎになったわけでしょ?。やれ深夜に殴りこみのような取り立てに来るとか、子供がかっさらわれるとか、腎臓売れとか、自殺者は出るとか。多重債務の自己破産も増えた。渦中でやってたからエグさは知ってます。それを20%に制限されてあんまりボロ儲けできなくなった上、過払い返還の波状攻撃で日本のサラ金は絶滅寸前までいって、それを大手都銀が買収した(アコムは三菱UFJ、プロミスは三井住友、レイクは新生銀行)。で、消費増税(来年又上がる)、年金減額など、これから暮らしが益々しんどくなるこの情勢で、なぜに貧困を助長するような政策を取るのか?死ねと言わんばかりの政策をする狙いはなにか?「その背景事情について思うところを論ぜよ」ってゼミで出題されたら僕の回答は以下のとおり。

 第一、とにかく政府は景気はいいんだと大本営発表を続けたい、だから倒産件数も抑えたい、そのために特別に資金援助もしてるし、さらに休廃業は倒産にカウントしない技も使って数字を抑えている。でもそれでも足りないだろうから、急場しのぎにサラ金で借りてもらうようにする。この金利ならボロいから事業展開できるもんね。サラ金に手を出してもとりあえず1−2年は持つ。あとは地獄だけど。その場しのぎに統計数字をごまかすトリックとして。
 第二、大手都銀と政府官僚がタッグを組んで、銀行に国債引き受けたり株買ったりしてもらうご褒美として、吸収したサラ金部門で儲けていただくというお話ができているとか。
 第三、邪推あるいは穿ち過ぎなことを自分でも祈るが、国として「安い命」がほしいから。福1あたりに。あの末端現場はヤクザ絡みのダークな世界だから、あいりん地区で戸籍を売ってるようなおっちゃん、兄ちゃんをリクルートしてくるけど、もしかして結構人手が足りないという話もありーの(体壊してどこにいったかはunknown、闇から闇)、だからコンスタントにそういう「人材」がほしい、ヤバイ仕事でも手を出してくれる人生詰んじゃった人が欲しい、ゆえにコンスタントに人生詰むように今から仕込んでおきましょって話。穿ち過ぎっすかね。でも国家ってそういうことしますよ。何度も過去の拙文(ESSAY 531/間引き)を引用して恐縮ですが、官財+暴力団のコラボは昔っからある。明治期の北海道開拓の樺戸集治監の「死んでくれたほうが都合がいい」と政府高官(金子堅太郎)の言葉が公文書に堂々と残っているのはまぎれもない事実だし、また1年間に2割以上が重労働で死んでいるのも事実。これって遡れば江戸期にニート連中をとっつかまえて佐渡の金山に送ってたりして、もう租庸調や防人の万葉集まで遡れるのかも。

富裕層ターゲットの資産調査

大金持ちの税逃れ、許さない 国税局が専門チーム(2014/07/11)
 「超富裕層プロジェクトチーム」を発足して脱税を許さないようにするって話だけど、一見、庶民の嫉妬混じりの快哉を得そうだけど、ほんでも突っ込みどころ満載です。本物の超富裕層は国家そのものを動かせるのでダメっしょ。例えば個人資産数十兆と噂される読売のナベツネ氏とか東電の勝俣氏とか、国税庁ごときの一存でなんか出来る相手じゃないでしょ。やったら首が飛ぶで。だから本当のところは普通の富裕層とか、資産せいぜい10億未満のプチ富裕層でしょう。このくらいが一番キツイです。電話一本で国を動かせる権力はまだないけど、お金持ってるから、金の亡者か吸血鬼と化した国家の美味しいターゲット。これはどこの国でもそう。だからキャピタルフライトがおき、海外への資産逃避をする。ほんと相続税を上げたり、「死亡消費税」なんて冗談みたいな話が出てきて、だんだんやることが露骨になってきたからね〜。だから逃げる、そうはさせじと名寄せや総背番号制で強化し、さらには特別チームを組んで監視しましょうって話でしょうね。

 まあ、上に述べた貧困層だけではなく、富裕層にもまんべんなく「ケア」をしましょうという、ある意味とても公平な(^^)。よく勝ち組の1割とかいうけど、1割もおらんと思うぞ。話がこのレベルになれば、年収1000万とか2000万程度では吹けば飛ぶようなド庶民でしかないでしょ。だから1%もおらん。それこそ0.01%くらいじゃないかな?それでも多いか。

 本稿との絡みで言えば、先進国の先進性たる部分、国家システムやら銀行金融システムやらが、いまは時代遅れの前世紀の遺物になって、それで「じゃあ、私はこれで」って爽やかに退場してくれたらいいけど、意地でもしがみついて生き残ろうとするから、えらいお荷物になっているという話でしょう。小泉時代に「抵抗勢力」って言葉が流行ったけど、今は国家システムそのものが抵抗勢力になってる部分もあるなあ、と。

集団自衛権について

 その昔欧州に「神聖ローマ帝国」というワケのわからない国家概念があって、18世紀の啓蒙思想家ヴォルテールはこれを評して、「神聖でもなければ、ローマでもなく、帝国ですらない」と喝破したので有名。その話を思い出した。

 すなわち「集団でもなければ、自衛でもなく、権利ですらない」と。
 「集団」と言ってるけど、要するに対アメリカなのはミエミエで、実質は「日米」。
 「自衛」というけど、日本が攻められた場合は、別に普通の自衛権(個別的)の局面だし、そこでアメリカに助けてもらいたいなら日米安保のエリア。つまり現在のもので十分。それ以上になにか変えようと言うなら、日本以外のどっかでアメリカを軍事的に助けるという部分だけである。つまりアメリカが世界のあちこちに口を出し手を出すのをお手伝いするわけで、自衛というよりは攻撃的側面も強いうえに、日本が攻められているわけでもない状態なのだから「他衛」であり、端的には「米衛」。
 「権利」という点であるが、これって権利なのか?どっちかというとアメリカに言われたら断れないという「義務」ではないか。そもそも権利ってなあに?である。権利=「ある特定の法的状態の改変(100万円寄越せといって100万円ぶん取るとか)を、全体の法秩序から是認され(悪いこととはされず)、他者も又これを甘受しなくてはならない(文句は言えない)こと」定義づけるなら、アメリカと一緒に他国でドンパチやっても、国際法秩序から許され、どこからも文句は出ず、やられる方は抵抗してはならないってこと?そんなことあるの?アメリカがロシアに喧嘩ふっかけて、日本も出兵したとして、世界はこれを是認するのか、ロシアは納得して攻められたままなのか。ありえないっしょ。もともと戦争などの国際ドンパチ系で「権利」などとという概念を持ち出すこと自体が実はナンセンスで、そこで甘受とか納得がないからこそドンパチしてるわけだし。

 しかし昔から日本では官僚的言葉遊びが蔓延する悪い風習があって、ボロ負けできゃーと逃げ散ったとしても「戦略的撤退」などと言うし。革命とかクーデーターとか内戦といわずに「維新」というし。単に私怨や激情にかられてボコってるだけなのに「教育的指導」とかいうし。だったら虐待だって教育的指導って強弁できないわけでもない。原発でずっと前に事故があって、事故といいたくないから「事象」と言い換えていて笑ったのだが。今回もすごいですね。武器といえばいいのに「防衛装備品」とか。「武器=人殺しの道具(違いますか?)」って言ったほうが分かりやすいのに。ここまでくると「文学」ですね。そういえば幻想文学って領域があったな。

 話は変わって、ヴォルテールと、ボードレールと、ボーボワールがいつもゴッチャになるのでした。この際はっきり覚えよう!で調べました。3人とも時代が全然違う。日本史に引き換えていえば、ヴォルテール(Voltaire)は江戸時代元禄期の生まれで(1694年)、松尾芭蕉が奥の細道を書いたり赤穂浪士の忠臣蔵やってるころに生まれた。「私はあなたの言うことには全く賛成できないけど、あなたがそれを言う権利は命に換えて守るつもりだ」という名言で有名(でも、実は出典は微妙らしい)。
 「悪の華」で有名な詩人ボードレール(Baudelaire)は1821年生まれで1867年死去だから幕末から明治維新のあたり。フランスで放蕩遊び人人生やってて(23歳で禁治産にされてしまう筋金入り)、安政の大獄のあたりに「悪の華」を出してエロすぎるということで罰金刑をくらい、新選組がチャンバラやってたころに借金取りから逃げまくっていた。この遊び人系天才詩人が切り開いた新地平は、ランボーなど多くの後世の詩人や美術評論に多大な影響を与え、且つ不健康で非生産的で半社会的なんだけど妙にカッコ良くて魅力的でエロいということで現在に至るまで耽美系サブカルの超元祖のような人だと思う。
 ボーボワール(Beauvoir)は、没が1986年、バブルのちょっと前だから歴史上というよりは同時代の人。サルトルのカミさんで2年という時期限定の「契約結婚」概念は有名(結局死ぬまで添い遂げるが)。「第二の性」で「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と「セックス(生物学的性)」とは異なる「ジェンダー(社会的性)」概念を提唱し現代フェミニズムの旗手に。Wikiにはチェ・ゲバラと対談している写真がある。


文責:田村



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