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今週の一枚(2017/05/29)



Essay 827:4つの果実
  〜我慢(泣き寝入り)・交渉(喧嘩)・フットワーク(逃避)・挑戦(絶対アウェイ)

 C/W 漫画紹介(6)

 写真は、Middle Headからのシドニーハーバーの眺望。右の方にシティのビル群、左端の丘の上のビル群がボンダイJC。

 オーストラリアは風景が雄大なところが多いから、写真で撮っても良さが伝わないですよね。フレームで切り取ってしまうから、雄大感がわからないという。リアルには何倍もいいです。

 Mosmanの先の方で、意外と知られてないかも。Clifton Gardensとかいうサバーブはあんまり聞いたことないでしょ。タロンガ動物園の近くなんだけど、車がないとちょっと行きにくいしね。写真を撮ったのは、先週。Geoges Heights Ovalのあたりで、オーストラリアのアーティストによる「特攻隊”TOKKOTAI”」という展覧会をふと見に行ったときのもの。

泣き寝入りと闘争、逃避と挑戦


 なにかトラブルを解決しなければならないとき、幾つかの解決パターンがありますが、大別すると以下のようになろうかと。

 A:我慢(泣き寝入り)して解決
 B:交渉・闘争をして解決
 C:逃避(逃げて)して解決
 D:新規開拓(挑戦)をして解決


 それぞれについては過去に何度も書いてることですが(例えば、570/それは「逃げ」か?「挑戦」か?629「喧嘩道」入門1630喧嘩道入門2など)、それらの相互関係については書いてなかったなーと思ったので付記します。

 特に外見が同じになる、
  現状維持系=泣き寝入り VS 踏みとどまって交渉・戦う
  現状変更系=逃避 VS 挑戦
 の区別が難しい。

外形基準説の無意味さ

 離婚や転職などにおいても、現状維持をするか(離婚・転職はしない)、それとも現状を変更するかの二者択一になるのですが、そういうフォーマットで見ていたら決めきれないと思います。

 例えば、今の会社をやめてオーストラリアに留学だあ!と思ったときに、「それって逃げじゃないのか?」という忸怩(じくじ)たる思い(後ろめたく、恥ずかしく思うこと)をする人もいるでしょう(殆どがそうかも)。しかし同時に、いやこれは逃げではなく、挑戦なんだ!と思い直したりもして。そして、その想いが代わりばんこに出てきて、もうトイレ行って帰ってきたら「やっぱ逃げかな」と思い、コンビニ行って帰ってきたら「いや、ここは一番動くべき」と思ったりもする。

 ここが難しいんですけど、こんなのなんとでも言えるんですよね。前述の過去エッセイでも書いたけど、「逃げ」と「挑戦」は外見も似てるし、字も似てる。つくりは「兆」で同じで、しんにゅうか手偏かの差。足を使うと逃げで、手を使うと挑戦(笑)。

 現状維持系も同じで、離婚や転職をしないでひたすら忍従の日々を過ごすのか(諦めて泣き寝入りするのか)、それとも現状を良くしていこうと働きかけをしていくのか、外から見る分には「結局、やめないんでしょ?」「今のまんま」という意味では同じですからね。

 だからそういう基準=外形基準説みたいな=でものを見てたら判断は出来ない。

 ではどういう基準が良いかというと、個人的なモノサシでいえば、一番心理的にやりたくないことで、一番先の見通しがきかないこと、つまりぱっと見には最も悪手に見えるようなことが、長い目で見ればベストな選択になる場合が多いかなーとは思います。これはメンタル負荷がきついので他人にはオススメはしませんけど。それにこれは、あんまり理屈で説明できず、長年やってたら大体こうなるというカンドコロみたいなものです。

 より平易で、説明しやすく、確実な選択基準は、果実比較法だと思います。あとやや曖昧になるけど、動機・モチベーション比較法もあります。

何にでも果実はある

 人間なにかをやれば、なんらかの果実を得ます。

 先程の例に即していえば、
 A:我慢(泣き寝入り)して解決→一定水準の技術や知見を得るための「ストレス耐性」が得られる
 B:交渉・闘争をして解決→実社会で大切な交渉力や、相手に舐められない強さを得られる
 C:逃避(逃げて)して解決→見切りの決断力、俊敏なフットワークが得られる
 D:新規開拓(挑戦)をして解決→挑戦度胸(ストレス耐性)と新しい世界が得られる

 それぞれ読めばおわかりでしょう。

 Aだって、一見ヘタレっぽいのですが、それでも無意味ではない。新しい世界にあがっていったとき(進学やら就職やら)、不慣れな環境はとりあえず不愉快だし、部活でも職場でもそのレベルでやっていけるように自らの技術水準をあげていくためにはかなりの負荷がかかります。体育系のアクティビティでも、最初はもう地獄のように息が切れるわ、筋肉疲労で指一本ピクリとも動かないわって感じ。でもそこで辞めてたら何も身につかないから、そこは忍の一字で我慢我慢。新しい職場にせよ、新しい世界は大体そうです。世界的に高名なビジネスマン(メレルリンチだかの最高幹部クラス)の自伝でも、彼らは若いときに世界一周しますから、日本に来ていきなり高野山だか比叡山で座禅生活をやって、日本語100パーわからないわ、ごはん少ないわ、味噌汁がどうにもウンコ臭くて(発酵食品だからね)飲めないわの地獄だったそうです(今では味噌汁大好物だし、日本通にもなっている)。

 ま、最初はなんでもそんなもんです。この初動における不快感に耐えられるストレス耐性がなかったら、「何をやってもモノにならない」→「いい年こいて何のスキルもキャリアもない」ということにもなるでしょう。よくいう「石の上にも三年」「人間辛抱だ」系の話です。

我慢型ストレス耐性と挑戦型ストレス耐性

 ただ、そればっかではない。折りに触れよくいいますが、ストレス耐性も二種類あって、世界的に比較してみると、日本では我慢系ストレス耐性(仮にA型と呼ぶ)は強いが、先の見えないことに清水の舞台から飛び降りる(コロンブスのように死ぬぞと脅されても大海原に出ていくような)ストレス耐性(B型)は少ない。我慢するのは慣れてるから強いけど、親や上司にメンチ切って歯向かったり、何の保障もない大荒野に一人で突っ走っていく勇気は少ない(それを養う機会が少なかったから)。

 世界の人、特に母国を飛び出して世界に出てきている人達は、圧倒的に新規開拓勇気は凄い。でもじっと辛抱系が弱い。これがオーストラリアなどの就活状況につながって、知らないジャンル、知らない人でも全く物怖じせずにガンガン電話して、会いに行く。全部聞き終わる前にもう「Why Not!(やるし!)」と返事をし、全部読み終わる前にもう電話をしているというくらい、動くこと、動き続けることに関しては、日本人の想像を絶して獰猛です。ほんと肉食獣やね。だけどじっと我慢系が乏しいから、なかなか一芸に秀でない。仕事させるとちゃらんぽらんで、すぐ飽きる(笑)。日本では逆に、動くことに抵抗はあるんだけど、じっと我慢するから目の前の技術については高水準になり、末端作業員の技術レベルの高さでは世界でも最高峰でしょう。だけどデメリットもあって、あまりにも変化を怖がりすぎるから茹でガエルになりがちだし、社会でも政治でも自分らが動く(戦う)ことが当然予定されているシステム(民主政体)とは相性が悪く、根っこは封建的。

 WHや留学など海外に出てきたときはこのB型ストレス耐性の強化をするといいよとオススメする所以ですね。こちらではそれがやりやすいし、そこが出来ないとこっちでやっていけないので。知らない所に一人でぽんと飛び込んでいくのは勇気いりますし、100%の絶対アウェイ環境ってキツイし、とりあえず超怖いですしね(笑)。ただ、海外なんか元々それをやるために出ていくようなものだし、またその勇気の報酬はデカいです。ウィンストン・チャーチルだったかな(第二次大戦のときのイギリス宰相)、いい事言ってて、「お金を失うことは大した問題ではない。名誉や信頼を失うことはかなり甚大な喪失だ。しかし勇気を失ったら全てを失う」と。

 また、「苦手科目こそが最も投資効率が良いの法則」でいえば(得意科目90→95点に引き上げる労力で苦手科目を30→70点にできるという受験の大原則)、平均的な日本的環境に生まれ育った人にとっては、このB型ストレス耐性(それはDの新規開拓による挑戦度胸と新しい地平の果実でもある)が狙い目です。ということでラウンドで無一文になって荒野ほっつき歩いて、「世の中なんとかなるもんだー、はははー」と思えたら、WH一年目の初期教習は完了です。この世の中を怖がらなくなったらOK。水泳の練習と同じで、水を怖がらなくなって初級修了。次に「泳ぐ」という自力で前に進む方法を学び、さらにレベルがあがってより速く進む方法、さらにより洗練させてスマートで効率の良い方法を学ぶ。同じように、「なんとかなる」という流れに逆らわずにリラックスする方法から→なんとか「する」と仕掛ける技法を学び、さらに狙った方向にもっていく高等技術に進む。

恐怖の克服と適度な緊張と不安

 そういえば、第一教程の「恐怖の克服」を履修しないまま、あるいは恐怖を克服してないからこそ、一番労力少なく(恐怖が少なく)効率的でスマートな方法、いきなりアンチョコ開いて答を書き写すような近道を狙うパターンもありますが、それってプールで背が立たないだけでパニックになるような人が、オリンピックの金メダリストの高度な泳法をパクるような話で、まあ無理ですよね。戦略自体失当というか。そんな簡単なことも分からなくなるのが恐怖のヤバいところで、一般に恐怖に囚われているとアホになる。知能指数が30下がるというか、当たり前のことがわからなくなる。ゆえに恐怖克服が第一教程にくるわけですな。柔道でも最初は受け身から徹底的にやらせて、投げられることが怖くもなんともなくなるまでやる。さもないと身体が柔軟にならない。強張ったまま投げられると大怪我しますからね。

 そもそも成長してるときって、これまでやらなかった/出来なかった/避けていたことに立ち向かっているわけですから、その個別過程は失敗の連続ですし(自転車が乗れるようになるまでのプロセスのように)、精神的には不安でいっぱいです。本当にこれでいいの?出来るようになるの?無理だからやめようよ?とか、そんなことばっか考えている。「背が立たない」状態になってる。でも最低限そのくらい耐えられないと何事もできない。逆に言えば、ある程度のレベルの不安は常に感じていて当たり前だし、あまりにも過度に不安を解消しようとしてはならないとも言えます。不安が全然無い状態と言うのは、全てのことが自分にとってはお馴染みで勝手知ったる状態、つまり「今のまんま」ということですから。そして不安が解消されていって、どんどん楽になっていく過程も、よくよく注意してないと、昔のヘタレな自分に逆戻りしてるだけって場合も往々にしてあります。

 免許取りたての頃は、ちょっと運転しただけでぐったり疲れるし、運転中は不安と緊張の嵐なんだけど、最低限それに慣れないと車の運転なんか出来ませんしねー。場合によっては、不安が解消されていること=安心=油断ですらあります。運転中に、あまりにもリラックスして、あまりにも安心しきってたらヤバいでしょ?極論すれば道路状況とか他の車を見てると怖くなるから、リラクゼーションの音楽をヘッドホンで聞いて、じっと目を閉じて自分の世界に、、とかやってたらすぐに死んじゃうでしょ?目を逸したら危険なんですけど、目を逸らさず破滅的なリスク(事故)を常に考え続けるというのは、精神的にはけっこうキツイ。でも、その程度のレベルの緊張は常に必要だし、その「適度なレベル」がきつかったら、まずはそっからやりなおさないと。しかし、普通に車の運転が出来る人だったら、性能的にはそれは可能なはずですよ。「恐怖にパニックにならないけど、リスクと不安には常に向き合っていられる」という事ができてるんだもん。

改善・交渉・闘争技法

 踏みとどまって交渉、改善、闘争というのも大事な教程でしょう。
 生きてれば無茶言われることも一再ならずありますしね。ラウンド先のファームで働いたのに、二回目用のサインをしてくれないので交渉したとか、過去にも何度か相談を受けたことがありますし、ザラにありますよね。

 この種の交渉事とか喧嘩なんか、ほんと場数が勝負というか、場数をこなす以外に上達方法はないですから。仕事でもなんでも「舐められたら終わり」といいますが、別に最初から喧嘩腰である必要はないけど、必要に応じて必要なだけ強面(こわもて)になれるのは大事なことだと思います。いずれ自分の大切な人(もの)を守るためにも。そんな、「おんどりゃ〜!」って激高しなくても、「ちょ、ちょっと待って下さいよ」って異議申立てをするだけでいい、さらに埃を鎮めるような冷静さで「失礼。お話がちょっと違うようなのですが?」と物柔らかく言うだけでも全然違いますから。

 これも「言い方」があって、それ用のフレーズ集がありますから極力覚えて、フレーズのストックを増やす。「なんなら、とことんやりましょうか?」「お気持ちさえ見せていただければ、こちらは幾らでも前向きに検討いたしますから」「僕、頭悪いんで難しいことわからないんスよ。だから頭のいい人に決めてもらいましょう。つまり出るところでに出て公正明大に決めてもらいましょうってことです、恨みっこなしでね」「そちらさまのご苦労もわかりますし、色々ご尽力頂いているのは十分に理解しているつもりですよ」などなど。ざっと50個くらいフレーズを常備しておいて、あとは何も考えずにランダム演奏のように流しっぱなしにすると。

 またオーディオや楽器のトーンコントロールのように、バイオレンス度ゼロ→10(MAX)、ユーモア度、情緒訴え度、事を収める方向→荒立てる方向、、などなど。脅したりすかしたり、泣き落としたり、褒め殺したり。

 と同時に、プランHくらいまで「これがダメならこれ、それもダメならあれ」という緻密な(笑)戦略も立てる練習。「竹中半兵衛、十面埋伏の計」みたいな。ファームのサインを貰うにしても、こっそりスマホのIC録音をONにしておいて交渉内容を録音するというイロハから、実際に働いたという証明をするために当日の新聞と一緒に毎日記念写真を取るとか、近所のスーパーに買い出しにいったときのレシートをとっておくとか、警察に相談する、Fairworkなど公的機関に相談する、移民局にチクる、税務署にチクる、この種の労働問題に取り組んでいる地元の良心的な人達と連携する、NPOを探してみる、メディアに流す、ツイッターやFBで流す、、、、その準備活動として、どんな機関がどこにあって窓口時間を調べ、メアドを調べ、英作文を推敲し、、、と。いい勉強になりますよね。

 昔の友人が小さなワンマン企業で働いてて、むちゃ言われてリストラされそうになったときも、個別ではない業種別労組とかユニオンとかNPOは幾らでもあるから、ちょっと調べて、ここに連絡とって足運んで面と向かって相談してみ?とやったところ、あっさりリストラ撤回で解決したこともあります。場合によっては天地の差になりますから、こういう練習もしておくと後で生きてきますよね。

 それと対案構築アイディアも大事です。ゼロか百かでやってても喧嘩売ってるだけの場合が多いので、「じゃあこうしましょ」で全く違った第三の方法を考える。向こうはさして負担ではないが、こちらにとってはデカイこととか。隣に大きなマンションが建つ、日照権とか交通安全とかで住民交渉とかになるのですが、建築基準法的には全く適法で、相手さんに「もういいです」って席を立たれたらそれで終わりって場合も多々あります。でも、業者もブランドネームに傷がつくからできれば穏便に済ませたい、そこに交渉の余地が出てくる。そのなかで、建ってしまうのはしょうがないけど、補償措置を手厚くして欲しいという路線で交渉をする。その際、金銭解決が一番難しくて双方の利益が少ない。相手方も本社決済がいるし、補償金を払ったという前例を作りたくないから渋る。こっちにしても一人頭にしたら雀の涙になるから飲みにくい。だから現物支給の方がいい。どうせ相手は建築工事やってるんだから、資材とか労賃とかでいくらでも原価で調達できるのだから、この際こっちの建物の増改築もやってくんない?化粧タイルをやりかえてくれない?BSアンテナのケーブルをこっちにも延ばして受信できるようにしてくれない?とか、子供の交通安全の観点から駐車場の出入り口に自動センサーの安全確認設備を作って欲しいとか、、、、こういうのは相手にとっても飲みやすいし(場合によってはマンションのグレードも上がるから高く売りやすい)、こちらとしても利益が大きい。いかにして、そのWinWinのスウィートスポットを見つけるか?です。この発想技法は起業に似てますけど。

 このように踏みとどまって交渉する、戦うことも、大きな果実を得られます。

果実比較・選別法

 さて、個別の局面において、動くべきか、動かざるべきか、何をなすべきかの判断に迷うわけですが、要は何をやっても果実はあります。が、その中でも最も果実が大きそうなものは何か?で判断していくとよろしいかと思います。

 いつも三日坊主でダメだったから、ここらで一つ「やり続ける」という成功体験をしてみようか?という判断もあるでしょう。いや、それはもう散々やってきたから、今までやってなかったこと、例えば心をひらいて話し合って解決してみるとか、面と向かって「いやです」という練習をしようかとか、公的なサポートを探してみようかとか(消費者センターとか法律相談とか)いうのもアリですよね。これまで「出来るのにやらなかったこと」をやってみよう、いきなりスマートに出来るわけもないし成功もしないだろうが、結果はどうでもよく、やってみる、場数を踏むという初期の数こなし作業をやろうとか。

 あるいはポンと新しい環境にしてみよう。それがどうなるか分からないけど、とにかく「変える」という練習をしてみようとか。

モチベーション比較法 

 同じような動きでありつつも、それが逃げになったり挑戦になったり、あるいは泣き寝入りになったり踏みとどまって戦うになるのは、その果実の多寡だと思いますね。ネガティブなものは、総じて果実が少ない。

 そして果実が少ない方が心理的に楽だという皮肉な問題もあります。
 そりゃそうですよね。ジョギングでも、小雨の降ってるなかブレーカー着込んでせっせと走るよりは、雨降ってるしやめようかなーで家で寝っ転がってる方が「楽」ですからねー。恐そうで気難しそうなボスの前にいって、"Hey! We need a talk"ってやるのは大変ですよね。

 なにかにしようと思うとき、自分の心理を解剖してみて、その根源になる心的動機(モチベーション)が、単にイヤなことから逃げてるだけなのか、それとも何かを得ようとしているのかで見るのも方法です。

 もっとも、これも注意点が二つほどあって、一つは治療か練習かです。キュアなのか、リハビリやトレーニングなのか。心があまりにも深く傷ついているときは癒やすのが先です。身体が怪我や病気になってるのと同じで、そこで無理しても事態が悪化するだけですからね。カウンセリングとコーチングでは使う言葉が違うというのは、最近カミさんから教えてもらったんだけど、「治癒」局面においてはストレスフリーにして自然治癒をはかる。しかし、治ってきて強化訓練をする段階については、ストレス(負荷)こそがメニューになりますから、適切な負荷をかけていくことが主命題になる。ですので、自分が治療レベルだ、自分はまだ病気なんだって自覚するなら逃げるに優る方法はないです。そこで頑張っても無意味、つか有害。

 第二に、モチベは一つではない点です。ネガティブな動機もポジティブな動機も平然と同時存在することが多々あります。てか、大体そうかも。レシピ―の差があるだけで。だから無理やり一つに極める必要はないです。解剖してみて、ネガ30%、ポジ70%とか自分でわかってくれば、自然とそれなりに判断もできると思います。

 ちなみに、余談ですけど、ネガでもポジでもない、第三の(時として不純な)動機もあったりしますよね。例えば、転職やリストラ相談にいったら、窓口のお兄さんがイケメンだったり、お姉さんがきれいだったので、もっとこの人と話してたいとか、この人に褒められたい一心で頑張るとか。人間、案外、そんなもんすよ。だから人間ってかわいいのよね。新興宗教にハマるときも、勧誘する人への思慕の情がキッカケになるのはいつもの話で。

同時進行〜和戦両用

 A(忍耐ストレス耐性)、B(交渉力強化)、C(フットワークと見切り決断力)、D(清水舞台ストレス耐性と新次元ゲット)といういずれにせよ果実はあるのですが、これもまた、どれか一つに最初から決め打ちする必要はないと思います。というか、決め打ちしてはならない。

 今のカイシャ辞めようかなってときも、辛抱する果実も、待遇改善をさりげに交渉する技術も得られますし、それをやりつつ新しい職場や新しい展開を模索し、いざというときにスパン!と動けるだけの「気」を高めておくことは、全部同時進行で出来ますし、やるべし。

 また、その準備活動もあります。去年シコシコと僕が断捨離やりまくっていたように、家の中の整理なども、いざというときのスパン!のためには有用です。実際、この種のリアルな雑務(家財道具の整理や公的変更手続とか)が一番大きな障害になったりもするのですよね。現在社宅住まいで、引っ越しが面倒臭いから、職場に展望がなくても踏ん切りがつかないとか、ありがちな。ということで、この種の地味な準備、剪定作業みたいなものって、常日頃からやっておくといいんじゃないかと思ったりもします。手続なんかもねー、いざ腹くくってやってみたら簡単だったってのはよくあります。やる前はひたすら煩雑で鬱陶しいもんだと思ってたりするんだけど。

 まあ、がめつくA農場〜D農場の全ての収穫物をちゃんとゲットしたらいいんじゃないかって話です。

 えと、こんなもんかな?


漫画紹介〜PART 6


 のんびりシリーズ化している二部構成です。

★アンダーグラウンド系

[和久井健] 新宿スワン
 有名だからご存知の人も多いでしょう。全38巻もあり、TV番組や実写映画にもなってます(見てないけど)。

 かなり名作だと思います。
 面白いのは絵で、一巻の画力からすごい勢いで上手になってます。特に人物の顔の描写が、最初は記号的だったのが、最後の方は相当にリアルで写実的なものになってます。そしてただ単に写実的なだけではなく、いかにもいそうなリアリティ、それぞれのキャラの背景物語も描き込まれているのですが、そういった過去を背負った顔が描かれている。

 歌舞伎町のスカウト業(ホストも)という裏街道系の話なので、暴力シーンもグロいところも出てきますが、暴力のための暴力シーンというよりはストーリーを動かすためのものにすぎない。場合によってアフター・ビフォーだけで、真ん中の暴力シーンはまるまるカットという場合もあります。当然、今時のワルそうな奴らのワルそうな描写になるのですが(それが一つの本作の魅力でもあるが)、悪くて恐いのを描くのがテーマというよりは、一貫してピュアな部分に焦点を当ててますから、読後感は良いのですね。カタルシスがある。そして、その内実を顔に表現させる。マンガによっては、ワルなんか一山なんぼ的に、適当に凶悪そうに、適当にブ男に描いておいて誰が誰だかわからん雑魚表現にしがちなんだけど、この作品はそうではない。また写実的といっても、いかにもといった絵画的 or 写真的なものではなく、ちゃんとマンガ的デフォルメ処理をしているシンプルな線になっている。ゴチャゴチャ描き込みすぎてない。テク的には眼をちょっとはれぼったくして=瞼の眼球の曲面カーブのラインを強調する、唇を厚めにして表現豊かにするあたりですか。森永千里なんか、いかにもいそうな表情になってますし。

 絵が急速に上手になってる反面、テイストは変わらないです。技術が上達すると人も別人になり、話も別物になってしまうケースもあるのですが、これはそうではない。設定やストーリーは変わらない。38巻もありながらも、あまり迷走しておらず、最後になるつれて壮大な初期設定と長い年月のドラマが明らかになっていきます。最初からそこまで考えていたかどうかは微妙ですが(連載当初はそこまで考えられないと思うけど)、とってつけた設定ぽくなく(実はなんとかでした〜的な)ではなく、見事に整合性がハマるところが凄い。最初、田舎のヤンキーが東京に出てきて所持金100円というトホホ底辺から話が始まり、最後は日本の極道のドンの争いレベルまで話が膨れ上がるのですが、それでもテーマにブレはない。

 普遍的な人間ドラマを描こうとしているのだから、ブレるわけがないのですね。辰巳幸四郎と白鳥龍彦という時を隔てて出てきた似たような大器キャラがおり、愚直なまでの理想主義と情に厚い人間性、要するに古典的な人を動かす二大原理=「義と情」なんですけど、それに惹かれて周囲の人間が集まってくるという二重絵のような構造。

 一方、スカウトやホストのリアルな業界情報、意外としっかりビジネス常識的にやってるお店の経営事情、さらに違法行為のあれこれ(県警の裏金作り、マネーロンダリング、闇金と高利貸の違い)、あと組織でのスジの通し方、揉め方、裏の背景組織(ケツモチ)との事情なんかも書かれてます。

 おちゃらけギャグは一貫して出てきますが、これが滑りもしないし、うざくもない。でもやっぱ、ストーリーかな。読みだしたら止まらなく系ですね。



 


[小幡文生] シマウマ Shimauma
 同名のマンガがありますが、こちらは"Shimauma"とアルファベットが入ります。
 こ〜れは読んでて気分悪くなりますよ(笑)。残虐度では一番じゃないかな。しかも敢えて殺さないで、死ぬよりもきつい苦痛を与え続けるという。もう、ほんと全然爽やかではないし、よく続いているなーという感じ。

 基本構造は、その昔の必殺仕事人のような「敵討ち代行業」ものです。殺したいほど許せない奴の依頼を受けて、依頼者の気の済むように報復行為をするという「回収屋」。でも、その基準がけっこう曖昧だし、またやりかたがイチイチ陰湿で残虐で、ここまでくると精神病質レベルな。

 まあ、怖いもの見たさで読んでる部分は大きいかも。だから「こわいもの」がなくなったら売れないので、怖くならざるをえないというか。これ、映画化したんですけど、どうなんだろねー。

 でもね、そういったエグ描写を除いてみても、実はそこそこ面白いのですよ。
 小ワルでイキがってた主人公が、人間以下のダークな世界に引きずり込まれ、腹を括ってその世界で生きていくわけですが、ストーリー展開があるような、ないような感じでダラダラ続きます。1巻で終わりでも良かったんですよね、インパクト一発でいうなら。母親が首括って死んだ主人公の「ドラ」、いじめられっ子で地獄をみていた「アカ」のコンビに、もと麻取で転落した網川やら、レムやらが出てくる。さらに謎の男であるボスの「シマウマ」とドラの親子関係を思わせる背景闇があり、、で引っ張ります。固唾をのむように面白い展開か?といわれると別にそんなことないんだけど、なんか読んじゃうんですよね。詰まらなくはないのですな。もっとも、最近の残虐ドSの双子の女子高生はリアリティが無さすぎて、つまらんかったけど、片割れが殺されてからちょっとおもしろくなるかなって感じ。こんな救いのない展開で面白いというんだから、読んでる方も地獄に堕ちていくわけで、その吸引力はあるかな。

 「絶対読んではいけないマンガ」と言われ、読後感爽やか度は当然ゼロ、胸糞感満載なんだけど、しかし、出てくる連中は大体揃って「硬派」なのですね。女たらしとか、その逆とかそういうレベルの意味ではなく、精神が硬質というか、僕ちゃんもうダメ〜系のウジウジが見事なくらい無くて、ワルはワルなりに潔いというか、落ち込んだり、凹んだりしても硬質にそうなる。金属みたいに硬く、それがある種の救いになってるところがある。どろどろジメジメという湿気が少ないというか。鬼畜なんだけど、鬼畜なりにプロ意識を持っているというか。

 んでも、読まない方がいいと思うよ(笑)。じゃあ載せるなよって。



 以下、次回。書いてるスピードよりも新しいのを読むスピードの方が早いので、この調子では永遠に終わらないのが判明。どうしよっかな。

→予定タイトル一覧


トビラの写真のちょい左側を。


さらに左側。South HeadとかVaucluseのあたり

ぜーんぶパノラマ的につなげるとこんな感じになります

望遠で見ると、赤い飛行艇が海上に着水していくところ。Rose Bayですね。ここからPalm Beachまで飛んでいくやつじゃないかな

くるりと後ろを振り返るとこんな芝生の丘陵が。ゴルフコースみたいに見えるけど、普通の公園


 



 文責:田村



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