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今週の一枚(2015/05/18)




Essay 723:先輩が教える仕事に関する"悪い”テク

〜いわゆる「要領」、いわゆるサボり方、広く浅くVS狭く深くの二項対立にしないこと

 場所は何度も出ているNewtownとCamperdownの境あたりの公園。
 この公園、絵になるんですよね。風景もそうだけど、Newtwonだけあって人が個性的で、バラエティに富んでいて、全然違う人達なんだけど、でもトータルで調和してて。

 実はここ、僕がオーストラリアに来た初日に通った公園で、永住権とってしばらくの間も毎日のようにここを通ってました。今から思うと、とても良い教育画像というか、「オーストラリアとはこういうもの」「ダイバーシティとはなにか」という本質部分みたいなものが記号情報ではなく、生理情報といして肌に吸い込まれていったような感じ。

 もともと「日本では学べないものを学ぼう」という目的もあって、マルチカルチュラリズムとか、これだけ多民族でありながら(シドニー住民の母言語数だけなら280言語ある)なんでケンカしないの?とか不思議だったのですが、来たらいきなり「あ、わかった」というか、もう疑問にもならかったです。なるほど、こういうことかと。日本じゃ絶対学べなかったな〜と。日本でいう「いわゆる外人」という概念が存在しないという。

 ちなみに中央の紫カーデのばあちゃんが持ってる物体は、ワンコ遊び用の投石機みたいなボール投げ器です。遠心力で遠くまで投げられるわけですね。これも「なるほど」と思った。

航平くんの質問


 えー、今週は、石渡航平さんからのお便り(メールだが)に対して僕がお答えしたものをベースにやります。個人名出しても構わないと思うのは、既に体験談A僑(APLAC卒業生の起業ネットワーク)やらで出ている以上に、ハフポストなどでライター業として関わっておられて、当然自分のサイトもあり、Podcastで放送もしており、ネット的には僕ごときよりもはるかに有名な「公人」だと思うからです。いいよね?って事後承諾よろしく。


 僕の今の実務能力からすると、今の新しい会社、電子書籍、フリスクなど様々なことが降ってきてシャワーを浴びている状態で。凄く幸せなことだと実感しているのですが、新しく覚えることも死ぬほど多くてうまくインプットが出来てない状態です。僕、個人としては深く、多くの事に関わって誰かのために、そして自分のために道を創りたいと、そう思っています。

 しかし、「深く」「広く」ということは可能なのでしょうか?僕はどちらかというと「浅く」「広く」タイプで、そこのブレイクスルーが難しいです。

 田村さんも弁護士に成り立ての時、そんな時代があったのだろうと思います。その時代、田村さんはどうやって実務をこなしながらインプットし、更に異業種交流などもしていたのですか?僕から見て、田村さんのキャパシティーは物凄く広くて、自分の目指す所だと思っています。

 現役オーストラリア在住のアプラック全員の相談を聞きつつ、新しく来る子にもレクチャーを行い、また日本に帰ってからの僕らのような卒業生の話も聞く。これは今まで「床屋」だった僕からしたら、ひとつのこと以外も満遍なくやるというやり方が中々見つけられなくて。。。

 ざっくりとしてて申し訳ないのですが。。

 あ、注釈つけると、体験談の紹介文にも書いたように彼は今サラリーマンやってます。彼の場合は「ラウンド先がたまたま日本だった」的な感覚で突っ走ってて、「やっぱ日本に行ったらサラリーマン」ということで、オーストラリアでWWOOFやるような感覚で、今までやったことない(彼は筋金入りのプロの理容師)サラリーマンやってますという。ただ、二社目(だったかな)は、 新体験〜!ってノリではなく、今皆でやってる案件(Essay711参照)のため and/or 将来の自分のためにもっともっとビジネス現場や知識技術を習得せねば!って修行風味のようです。

 ご存知のように入社当時というのは激しく忙しいものですが、それに輪をかけてフリスク案件の展開が早い(ネットベースだから24時間展開するし)、そんな折電子書籍の出版の話も舞い込んできて執筆準備中であると。もう全然消化できない〜!ってなるのも無理ないです。

 で、ばーっと一気書きしてお答えしたのですが、それをさらに補充して書きます。彼にも「来週のエッセイのネタになるかも」とか言って期待持たせて、そのときは別に「Off-Grid」書いちゃって約束果たしてないし。武士に二言はない、ってことで(ンな大それたもんかい)。

回答

しかし、「深く」「広く」ということは可能なのでしょうか?僕はどちらかというと「浅く」「広く」タイプで、そこのブレイクスルーが難しいです。

単純に量的に無理だと思いまーす(笑)。
どんなプロでも、明日までにアルバム3枚分の作曲をしてレコーディングをしろなんて無理ですもん。無理なもんは無理。


> 田村さんも弁護士に成り立ての時、そんな時代があったのだろうと思います。その時代、田村さんはどうやって実務をこなしながらインプットし、更に異業種交流などもしていたのですか?

 いや、もう、成りたての頃は「息も絶え絶え」でしたよ〜。休みなんかあんま無いし、GWも出てたし、元旦から出てたときもあるし、地獄の年末進行の12月には点滴打って法廷出て、ストレスだかなんだかで帯状疱疹にまでなって。もう死ぐ〜って感じ。

 いっつも目の下にクマ作ってて取れなくなっちゃって一生このままパンダか?みたいな。さる2月に日本に帰省した折に昔の事務所の連中と飲んだとき恒例の「あの頃は」昔話になったのですが、当時の僕は「やつれた」とかいうレベルを超えて、ゾンビとか言われてたらしいです。「え〜そうだっけ〜?」とか今はこっちも気楽に忘れてたけど、そうだったかも。あまりの多忙さに来年こそ新人弁護士さんを入れようと、同じく疲労困憊の事務長さんと二人で必死にリクルートして(あの頃は売り手市場だった)、若い弁護士の卵さんに「ウチって、けっこう仕事ラクだし〜」とか嘘八百並べてたのは覚えてますね(笑)。でも、二人とも幽鬼のようにユラユラしてたから説得力ゼロというか、地獄に引きずり込もうとする地縛霊二匹って感じで、どうして彼が入ってくれたのか謎です。

 でもね、死ぬほどしんどいんだけど、今から振り返ってみると、しんどがってるだけの話で、そんなに根詰めて実働って感じではないのですよ。「うわー」とか押しつぶされて困っている時間、なんもしないで単に困ってる時間が無駄に多かったような気もしますね。メゲてるヒマがあったら動けよ>自分って感じ。

 あと、よく出てくる異業種交流会ですが、一方でこんな忙しくやってても、この弁護士業界に先はないな〜というのはボンヤリ見えてて、だから異業種交流だったんですよ。異業種交流をやりたいってんじゃなくて、どっかにブレイクスルーはないかな〜って。この話は長くなるしトピックが違うので端折りますけど、もうシャーペンの先端みたいな社会の最先端を探してたってのはあります。「現世はダメだから来世だ!」みたいな感じで(笑)。でもって、インターネットが普及する10年以上前にパソコン通信のそのまたド黎明期に入ってみたのですね。全然見当もつかないことでもやる、見当がつかないからこそやるって感じで。そしてシャーペンの先端に行くと、シャーペンの先端にしか居ないような連中が居るんですよね。いわゆる「行くところに行けば」って状態で、それが楽しく、それが大きな救いになりましたね。あれやってたからこそ今オーストラリアにいるんだろうし、てかやってなかったら、精神的にどっかで無理が出てきたかもしれないっす。


 で、話を戻して、仕事の「やり方」ですが、そのあたりのノウハウやコツというのは確かにあると思うし、その頃に必要に迫られてあれこれ開発したワザがありますので、いくつかお伝えします。お役に立てば幸いです。

対策

 真剣に忙しくなると、やっぱ防衛策でいろいろ覚えるのですね、”悪いこと”を(笑)。

仕事を振られないノウハウ(笑)

 例えば、新しい仕事を振られないように、タイミング感が良くなるとか(ボスが仕事を振ろうとするといつの間にか居なくなってるとか)(笑)。

 なんつか、未来予知能力というか、「ああ、面倒臭い話になりそうだな」という予兆みたいなものを嗅ぎ分けられるようになって、、、って、本当にわかってるかどうかはわかんないんだけど、「空気の色が変わり始める」みたいな初期に離脱〜って。明瞭に雰囲気がそうなってしまってからでは、もう離脱できないんですよ。そうなる前、そうなりかけるかなり初期の段階にすっと逃げるという。森の小動物のような生存本能。

 あるいは、会議かなんかで詰まらん仕事を振られそうなときに、その3歩手前くらいに小石をさりげなく置いて、議論の方向を逸らさせるワザとか。これは、まあ、セコい利用法ですけど、こういう人の会話の潮の流れや変わり目を見極めるとか、将棋の上手い人みたいに数手先の展開が自然に見えるから、交渉術なんかにも使えますよ。何の変哲もない「ここで桂馬があがる」くらいの手を打っておいて、しかる後に備えるとか。例えば、週末詰まらんことに誘われそうだったら、先手打って、早い段階、それも会ってすぐに「最近はどうですか?」くらいの挨拶レベルの段階で、「いやあ、つまらん雑事で忙殺されてますよ。今週末にもカミさんの実家に顔を出すはめになってしまって」とか挨拶や世間話にかこつけて釘を一本打っておくという。

 オーストラリアと違って日本社会の「挨拶」というのは、不幸報告みたいなところってあるでしょう?こっちは、"How good are you?"って感じだけど、日本の場合は"How bad are you?"、「最近どれだけ不幸ですか?」みたいなノリがあるでしょ。だから、そこで「いやあ、絶好調〜!」とか叫んだらハズすわけで。やっぱ、「最近どうもね〜」で暗くならない程度に顔を曇らせて、「肩こりがキツくてね」「育児ノイローゼになりそうですよ」「新しく入った子が使えなくて、もう」という不幸&愚痴を言うのが習わしになってますよね。で、「いいドリンク剤見つけましてね」「いい鍼灸師ご紹介しましょうか」と受けが入って、会話が弾むというのが古式ゆかしい日本の人間関係メソッドですわね。日本ではこの種の聞き手に負担にならない程度の弱音を吐くことが、ツンデレの”デレ”部分の予告編みたいな、腹を割った正直さや親密さの現れだったりもするわけです。ある意味では理に適っていて、弱味を見せるのは敵意の無さの象徴でもあるしね。でもって、そこで最初に「言い訳」になりそうなネタを仕込んでおくわけですよ。もう手品のタネというか、推理小説の伏線というか。

ほったらかしでいいグレー領域

 人によりけりという大前提の上だけど、上司が振ってくる仕事の一定割合の部分は、その場の気まぐれによるものではないでしょうか。「そういえば、これもやっておくか」くらいの軽い思いつきですね。名簿整理とかさ。で、そういうのに限って、いざやるとなるとやたら面倒臭かったりします。これも自分でやるとなると、うんざりするような手間が頭に思い浮かぶから、それが歯止めになって「まあ、そこまでするほどの重要案件か?」と無意識にフィルターかかるんだけど、他人にやらせるだけだったらその歯止めがかかにりくく、そのまま口をついて出てしまうという。だからものの10分も経ったら命じた本人も忘れてたりもするという。こんなの言われるまま真面目に取り組んでたら時間がいくらあっても足りないです。

 ほんと、仕事なんか考え出したら無限にひねり出せます。それは自分の部屋を見回しても、たちどころに数個は思いつくでしょう?ああ、カーテンもう洗わなきゃダメだなとか、この資料ももう要らないし仕分け処分しなきゃとか。引き出しの中の殆どのものは実は全然使ってなかったり、書棚の本の大部分は1年に一回も見ないし、ペン立ての中にはろくに使われることのないボールペン等があって、タンスの中には同じく全然着ない服とがうなりをあげている。断捨離じゃないけど、ほんとそう。そんなの思いついてやり始めたら、芋づる式に次から次にやることがみつかって大変。物的整理ですらそんなにあるんだから、これが人間関係や仕事案件だったらもっと大変。ああ、そういえば◯◯さんに礼状まだ書いてないな、親にもたまに顔を見せないとな、あの案件の追跡調査しなきゃとか。

 したがって、そんなの馬鹿正直に考えてたら、自分があと2−3人どころか4−5人くらいは必要になります。それでも日々やっていけているのは何故かといえば、テキトーにほったらかしにしてるからですよね。一日の可処分時間なんか限られているから、重要案件ベスト3か、せいぜいベスト10に入ることくらいしかできない。それ以下の順位だったらもう出来ない。今日やらない事は明日もやらない。だから一生やらない。しかし、やらなかったからといって直ちに重大な問題が生じるわけでもない。このようなグレー領域があります。こいつがけっこう多い。

 そしてそういう仕事に限って面倒臭いのは、一つには処理基準が曖昧だからでしょう。緊急&重大案件は、やるべき事も処理基準もかなり明確に見えるからガシガシやれる。締め切りも迫ってるから無理矢理にでも決断しないとならない。しかし、グレーの不急案件というのは、処理基準や方針が曖昧なうえに、時間だけはやたらあるから、ついつい考えこんでしまうのですな。例えば、服の整理でも、今後着る可能性は限りなくゼロなんだけど、まだ全然着られる服って始末に困りますよね。捨てるのは勿体ないし誰かにあげるか、でも誰に?寄付する?どこへ?調べなきゃ?ってすごい手間がかかる。整理はした方が良いんだろうけど、ほったらかしにしていても直ちに実害はない。そして迂闊にやりはじめると物凄い時間をとられるって物事。けっこうありますよね。

 仕事も同じことでしょう。ほったらかしにしておいてもお客さんや誰かが具体的に困るわけではない、直ちに実害はない、だから優先順位とか緊急性で常に劣後するので結局やらない。でもやり始めたらあっという間に時間がなくなる。この種のグレー仕事って、つまるところは、思いつくか/思いつかないかでしかないのですよね。

グレー仕事の対応策

 そして、そういう「上司がたまたま思いついてしまったグレー領域の仕事」というのは、振られないようにスッと逃げるのが一番でしょう。なぜか「その場に居ない」とかね(笑)。通り雨みたいなものだから、その時点だけやり過ごせばいいから。

 しかし折悪しく仕事を振られてしまったらどうするか?振られたところで、やる時間がないから結局ほったらかしになるんだけど、それをあまり心に病まないことだと思います。いずれにせよ優先順位で劣後するのであるから、何をどうムキになって頑張っても到底手が廻らない。最大限努力しても出来やしないことを悩むのは、人はなぜ天使みたいに空が飛べないのかと悩むのと同じくらい生産性がない。だから基本ほったらかしで良い。ただし、単純にほったらかすのではなく、そこにはノウハウがあります。

 色々なやり方があるけど、例えば、全く何もしないわけではなく、まず5分でいいからばーっとその仕事に目を通し、大雑把な査定をする。何がポイントか、どこで苦労しそうか、どこが難所かを見極める。そこがわかれば「言い訳」が言える。「あれ、どうなってる?」と万が一にも聞かれたら、「実は◯◯のところで手間取ってまして、すんません」と、真面目に取り組んでないと出てこなさそうなセリフが言える。ちゃんとやってるかのように見える。つまり最初の5分で言い訳をリアルにするためのネタ探しをするわけですね。

 次に、ほったらかしにして生じる最悪の事態は何かを考える。突き詰めてみると意外と大した実害がないことも多いです。最初の頃はこのあたりが見えなくて苦労するんだろうけど、そこを意識的に見ようとするといいですよ。「で、結局、これやらなかったらどうなるの?」と。仕事が立体的に見えてくるから。

 実害が予想される場合、そのタイムリミットを考える。お歳暮の注文事務とかだったら、12月上旬だとかアバウト分かる。で、その頃の忙しさから逆算していくと、11月中旬には着手してないとダメだとか見えてくる。また完璧に出来なかったとしても絶対に不義理は許されない重要な送り先と、どうでもいいところの大雑把な仕分けだけでも11月中にしておく。これだけで実働時間はかなり節約できる筈ですよ。つまり、5分かそこらで大体の見立てをしておいて、チョン、チョンと「分割納期」を想定し、あとは気にしないでおく。

 これができないと→ベッタと取り組む事になり→必然的に時間が足りずに重要な案件をシカト→実害を生じさせる→無能だのボケだのケチョンケチョンに言われる→精神的にピーンチ!になってしまいます。

実質的効率と手の抜き方

 最初のうちは命じられた仕事の全てが同じ重さに感じたり、全ての仕事を同じエネルギーでやろうとするから、無駄な損耗が激しいです。すぐに疲れてしまいます。「もう絶対無理、ダメ」という気分になります。大体どこの職場でもそうですが、「そのうち手の抜き方がわかってくるから、すぐに楽になるよ」と先輩からアドバイスされるもんですが、いや本当にそうで、仕事の本質を見抜いてしまえば、手を抜けるところは幾らでも手を抜けます。

 あ、でも、「手を抜く」という表現は正しくないな。それだと真面目にやるべきところをサボっているかのような意味になるから。そうではなく「本来やる必要がない部分」「そこで頑張っても客観的には無意味」という意味です。それを的確に見抜けるかどうか。

肉体とエネルギーの賢い使い方

 僕は学生時代引っ越しのバイトをやって、最初は張り切って小走りで行ったり来たりやってたら、30分でバテました。もう吐きそうなくらい気持悪くなって、「あかん、逃げよう」くらいに思ったりして。でも、その日のうちにコツがわかったのですが、あれって小走りにやっちゃダメなんですね。脈拍早くしたらダメ。酸素不足になって息を切らしたら終わり。チンタラやってるくらい平静に歩いてやらないと、異様に消耗してしまう。午後からは意図的にゆっくりめにやったら全然苦労せずに普通に出来てしまった。で、ゆっくり歩こうが、小走りに息切らせようが、結局時間に大差ないのですね。エレベーターの前で無駄に待ってたりするんだから。つまり下らないところで精力を消耗していただけという、

 車の運転でもそうです。20歳前後の体力最盛期であろうとも、初心者の頃は必死になってハンドル握りしめているから30分走っただけでもう消耗してしまう。しかし、体力的に格段に劣る50代くらいの人が、平気で長時間運転できたりするわけです。つまりはエネルギーの使い方が上手。というか、最初のうちはエネルギーの使い方が途方もなくヘタクソなのでしょう。

 でも、このあたりのノウハウはすぐに覚えます。特に肉体労働系は早いです。早ければ数日、遅くても1ヶ月かそこらでなんとかなるでしょ。慣れてる人だったら、多分数時間くらいでコツをつかむでしょう。それに人間、どんなことでも慣れます。部活でも最初は口もきけずにぶっ倒れてますが、1ヶ月もしたらヘラヘラしながら同じことやってますからね。

 これは経験がものをいう世界で、一ヶ月後の自分がどのあたりにいるかという未来予測が正確にできないと必要以上に負担に感じたりするでしょう。この種の「慣れ」というか、経時性の変化(時間の経過によって状況が変わるもの)については、意識的に精密になるといいです。応用がきくから将来的に貴重な財産になります。「ああ、この程度のしんどさだったら大体2ヶ月ってとこかな?」ってわかると、我慢するにもまだ楽です。こんなしんどいのが一生続くと思ったら誰でも辞めたくなるんだけど、意外とそうならない。本当にしんどいのは、後からくるやつです。段々虚しくなってくるとか、頑張る意味を感じないとか、その種のものでしょう。でも、これは別の話ですな。

完全主義や生真面目=うぬぼれ

 無駄なところで頑張っちゃう人って、多分に優等生気質が強い人なのかもしれない。生真面目、完璧主義というか、「出来ない自分」「無能な自分」に慣れてないというか。ちょっと出来ないだけで焦っちゃう、緊急事態発生!みたいになって心がパクパクしてくる。彼らにとっては、仕事を円滑に遂行するのが目的ではなく、「なんでも完全にやりこなせる自分」を体現するのがメインの目的になってるから、ちょっとでも欠けるとダメなんだろうな。だから無駄に頑張っちゃう。

 で、それはメンタルが足を引っ張ってしんどくなってるから、メンタル変えたらいいです。「私は馬鹿でーす、無能でーす」って毎日100回言いなさいな(笑)。これ他人に言わされたら屈辱だろうけど、自分でいう分には構わんだろう?そして生真面目な人はそんな抵抗ないと思うよ。自分がダメだ、まだまだと思うからこそ生真面目に完璧にやろうとするんだろうしね。だから、自分がアホで無能であるという自己認識はそれほど違和感無いはずですよ。

 だから発想をちょい転換すればいい。つまり出来なくて落ち込む方が「傲慢」なのだと。アホのくせにいきなり出来るわけないだろ、そこで落ち込むなんてナニサマだと思ってんの?つまり「落ち込む=うぬぼれ」だと思えばいい。そして、実際その通りだもん。生真面目に〜って人は、生真面目にやりさえすれば何でも出来るとどっかで自惚れているわけでしょ?でも多くの場合そんな傲慢な自画像を本当は自分でも描いてないでしょう。そこ(自画像のズレ)がおかしくなってる。大体自分でやってて自分で苦しいのは、何かがどっかで間違ってるんですよね。でもってこの場合の間違いは、頑張りズムがいつしか自分の身の丈を超えた自惚れやハードルになってしまっているところですわ。だから自分で突っ込んでやればいい。お前さー、そんなに自分が出来る奴だと思ってんの?って。

自分で無駄にハードルを上げている=趣味の完全主義

 あと完璧主義ではないけど、やり始めたらムキになるという、このエッセイでも何度も言及している「脳の作業性興奮」ですね。パズルやってると徐々に心が傾斜していって、あと少しで完成〜とかになったら、何がなんでも〜!って超ムキになる心理傾向です。誰にでもある。でも、そこでの仕事の完成って、いわば趣味的なものですよね。ファイルのラベルタイトルのフォントが全部同じでないと気に食わないとかさー、一つだけ色違いがあるとムカつくとかさー、そんなの大勢に影響ないんだけど、そういう細かいところで異様に張り切ってしまうのが人間ですよね。でもって、それ無駄。ただの趣味。

 そんなことやってるヒマがあったらもっと重要案件があるハズで、そっちに精力を傾注したほうがよっぽどいい。だもんで、そのあたりの過熱した気分を一気にクールダウンするやり方は、そう認識すればいいです。簡単。「ワタシはつい感情的になって物事の優先順位を忘れてしまう無能で愚かな人間です」と100回言って〜って(笑)。紙に書いて壁に貼っておくといいよん。

 これを上手に応用していけば、結構バサバサと”事業仕分け”みたいな、「あ、これ、やらんでええ」って仕事の腑分け解体ができるようになっていきます。先の先まで見通して、「これ、やってもやんなくても結果は同じ」とか見えてきますから。それが見えるほどぐっと楽になっていきます。結果に意味があるのが仕事、やることに意味があるのが趣味、どっちなのか?です。断捨離もいいけど、断捨離することが自己目的化したら、それは趣味ですわ。

 例えば自宅の本棚の整理にせよ、それを放置しておくとどのような「最悪の事態」が生じるかと考える。すると実はそれほど「最悪」なんか無いことも分かる。まあ部屋が手狭になるくらいのこと。あとは引越の際に荷物が増えて苦労をすることくらいでしょ?でも引越といっても、いざその現場になったら、「その辺の物はまとめてこのダンボールにブチ込んで〜」とか、「もう使わないから捨てちゃおっか」みたいな、か〜なり大雑把な対応をするだろうことが予想されます。だとすれば、今この時点で精密にこれは要る/これは要らないとか考えて分類分けをしたところで、いざその場(引っ越し)になってみたら、「面倒くさいから〜」大波にドドドと流されたりもするわけで、結果的に殆ど意味をなさない。

 別の視点でいえば、いよいよとなれば大胆な決断ができるけど、中間的な平常時にはそこまで大胆な決断が出来ないから、右往左往して細かく仕分けしてるだけの話。これってパソコンの中のデーター分類なんかもそうですよね。無駄に頑張ってしまうという。でもHDD3回くらいぶっ飛ばしてデーターがパーになったら、「最悪の事態」の奥行きが大体わかるし、「別にいっか」ってレベルもあたりがつくようになります。

 そんな中でやるべきことといえば、大波ドドド!の修羅場で「ついうっかり」捨ててしまってはいけないもの、これだけは絶対に取っておかねばって物事があるかないか、火事になって、逃げ遅れて焼け死ぬリスクを犯しても尚もこれだけは持ち出すべきってものだけを探して保管しておけばいい。まあ、滅多にないけどね、そんなもん。

 以上は、仕事の間引き論です。グレー仕事とか、趣味仕事とか、頑張ってもあんまり意味ない部分を除去して減量すると、随分楽になるよって話です。一方減量しまくっても尚も山ほど仕事に埋もれてしまう場合もあります。どうしたらいいか。それを次に述べます。

 
読み疲れたろうから、息抜きね。

ほのぼのとした〜。でも、ワンコ達の方が元気っぽくて、どっちが散歩につれていってるんだかって感じが笑えてしまった。

広く浅く VS 狭く(広く)深く

>僕から見て、田村さんのキャパシティーは物凄く広くて、自分の目指す所だと思っています。現役オーストラリア在住のアプラック全員の相談を聞きつつ、新しく来る子にもレクチャーを行い、また日本に帰ってからの僕らのような卒業生の話も聞く。これは今まで「床屋」だった僕からしたら、ひとつのこと以外も満遍なくやるというやり方が中々見つけられなくて。。。

 お褒めに預かり光栄でございますけど、大したこっちゃないですよ。それこそ慣れで、仕事もそぎ落としてますから。APLAC的なことは全キャパの50%くらいで廻していると思いますよ。あとの50%の方がむしろ大変で、家のメンテとか、カミさんのこととか、健康のこととか、芝刈りやらなきゃとか(笑)、そっちの方が大変。

 いや〜、先日もドアミラー壊しちゃって、これマトモに買ったら部品だけで180ドルとかそんなするから、GumtreeやeBayで型番検索で中古部品探して。右は27ドルかそこらでゲットしたもの。大体40-50ドル相場なんだけど、コマメに探すと安いのがあったりしますね。レンチ一つで交換可能。


 で、キャパを広げるって話ですけど、キャパそれ自体はそんなに物理的に広がるわけもないので(ex:腕が一本余計に生えてくるとか、なぜか自分だけ1日28時間あるとか、ありえない)、「詰め込み方」が上手になっていくだけのことだと思います。そのあたりのコツはいくつかあるので、書いてみますね。

逆説的解決

時間が無い方がはかどる

 さきに逆説めいたことを言いますが、まず時間が足りないくらいの方が物事はかどります。ヒマだとまったりして何にもやらないもん。「仕事は忙しい奴に頼め」というのは鉄則で、ヒマそうな奴って頼んでもなかなかやってくれません。ヒマなのにやらないのではなく、ヒマだからやらないんだわ。ギアがローになってるから。場合によってはパーキングになってたりして(笑)。でも忙しい奴は、トップギアだから凄い回転率で仕事してくれます。

 なぜか?これは論理的(?)に説明できると思います。仕事に時間がかかるのは、純粋な手間部分よりも、「迷ってる時間」のせいだと思います。上に書いたように、中間段階の平常時には処理基準も方針も曖昧で、あれもこれもと複雑なこと考えようとするから結局決めきれない、だから出来ない。しかし、「今この場で決めろ!」くらいになってくると、頭もフル回転するし、優先順位にしたがってバサバサ切り落とせる。以前エッセイで決め方論を書いたけど、一つに決めるというのは、「その他の全てを捨てる」のと同義だから、それがなんとも勿体ないし、未練も残る。だから決められない。でも、そこで決められない時間というのは、単に迷ってオロオロしてるだけの話であって、仕事それ自体は大して進んでいない。

 また、人と会う時もダラダラと会わずに、「10分だったら時間取れる」って感じで出来る。大体の用件は10分あったら済みますから。てか極論すれば30秒で済む。超真剣に仕事やってるときは、ほんと秒単位で決めていくでしょ?検察庁で修習やってるときも、どんなに複雑な事件でも、忙しい検事正から決裁ハンコもらうための面会時間は1分程度で、だから30秒で事案説明をしろと叩き込まれたし、裁判官と会って打ち合わせをするのも1分内外で終わります。ボスとの事件の打ち合わせなんか、ほとんどが立ち話で終わってた、ヒントや方針を一つ、二つ投げかけられるだけ。それ以上に面会に時間かけてるのは、ただの世間話とか、言い訳言ったり聞いたりしてるだけが多い。それか依頼者相手には、カウンセリング効果で、これはたっぷり時間かけないとダメだけど、その他の事務用件だったら二言三言で終わる。終わらなかったら煮詰めが甘いんでしょう。

 それに忙しいと、会合でも10分だけ参加って話になる。偉くなると忘年会1日3件ハシゴなんてザラだし。でも10分だけでも知らないところに顔出すのは有効なのよね。ゼロと10分の差は巨大。でも10分と10時間の差は案外少ない。特に最後の方なんか酔っ払ってダラダラ飲んでるだけで、誰も覚えていないという(笑)。そういうのは友達とやればいいのであって、仕事としてやるなら、会見時間は短い方がいいです。

 以上、時間がない方が、うだうだやってる無駄を極限まで削ぎ落とせて良いよってことです。

一つのことに集中しないほうがはかどる

 これも逆説だけど、一つのことに集中して順々に片付けていくのは仕上げ局面だけで(最終決済とか)、多くの場合は、異なる物事を同時並行させていった方がはかどります。

 一つには心理的に飽きて、集中力が続かなくなるし、ヒラメキもなくなるから。適当にトピックが変わって、場面も論理も変わるほうが新鮮に集中できるからいい。そこで注意力が散漫になるってことは、あんまりないと思う。それはマンガ雑誌や週刊誌を読んでいても、ほぼ数分単位で全然違う話題や作品になるんだけど、それでも集中できることから明らかだと思います。受験勉強やってるときでも、今日は◯◯なんてしないで、時間単位で科目変えてました。先輩の中には極端な人がいて、3科目まったく同時にやる人がいて、机の前に三冊三教科書置いて(憲法、民法、刑法みたいに)、1分ごとに違うのを読むって人がいました。でもそれは特異だと思うけど、でもじっと同じことをやってればいいってもんでもないと思いますね。

 これは仕事と趣味も同じことで、仕事や勉強が佳境になればなるほど、僕も汗だくになってギター弾いたりしてました。試験前夜にも弾いてた。そうでもしないと精神が持たないというか、同じことは続けて出来ないけど、違うことならギューギューに詰め込めるのですね。むしろ詰め込んだ方が、全体にしっくりくるという。

 どっかで読んだ心理学の実験では、狭い空間(電車内とか)で何人まで入れるか、どこで無理だと感じるかで、同性ばっかりよりも、男女均等にまぜこぜになってるときの方が、より多くの人数を入れられる(窮屈に感じない)らしいです。これは分かる気がするのですよ。同じものの方がビッチリ詰め込めるように思うけど、人間というのは根本的に浮気症なのか、違ったものの「詰め合わせ」みたいなものを好むようですな。

 だから勉強や仕事が忙しいからといって、恋愛や趣味をカットするのは愚の骨頂というか、あんまり勉強や仕事が得意じゃない人の方法論のような気がします。もちろんケースバイケースだし、数十時間没頭しなきゃいけない局面もあるんだけど、それっていよいよ大詰めの天王山って状況であり、一般的にはレアでしょう。

 英雄色を好むとか、芸能界のスキャンダルとか、殺人的に忙しい人ほど、そっち方面もお盛んだったりするんだけど、これも頷けます。逆に忙しいから出会いがないとか、デートするヒマもないというのは、人によっては本当にそうなのかもしれないけど(遠洋漁業に出てるとか)、やり方次第だと思う。逆説でいえば忙しくても恋人ができないなら、ヒマだったらもっと出来ないくらいに思ってて良いのでは?と(笑)。今度いつ会えるか、この機会を逃したら今度いつコクれるのかわからんってくらいの方がぐわーっと集中するし、度胸もつくよ。出征兵士の前夜みたいな。

 あと同時進行というのは、そんなに言うほど難しくないです。てか、一般に同時進行の方が楽です。誰だって20件くらいは同時進行でやってますよ。いくら仕事がどうのっていっても、サッカーやって、バイクのって、女の子口説いて、家で音楽聞いて、飯食って、友達とバカやってってのは全部同時並行でできるでしょう。さして苦にも思わず。女の子がよく「スィーツは別腹」って言うけど、トピック変わると不思議に別腹が出てきたりするのだと思います。

 またミュージシャンが一枚のアルバム分の作曲をするときも、一曲づつ頭から順々に完成させるのではなく、とりあえず思いつくまま15曲くらいばーっと土台だけ作って、ひらめいた順にちょっと付け加えて、またひらめいたら別のところに加えて、、って感じで、分割執行するでしょう。ヒラメキとかアイディアとかって、同じことやってると降ってこなくて、違うことを適当にやってないとダメだという変な特性がありますよね。多分、これまでの作業で出来上がってしまった思考回路を一回黒板消しで消去してやらないと、新鮮な発想にならないんでしょうね。
 

 ここの壁画、しょっちゅう描き変わってて、また「新作」があがってました。

二項対立にしない 

 次に、「広く浅く VS 狭く深く」とか二項対立にしないことが大事だと思います。
 最終的には「広く&深く」がベストなんだろうけど、いきなりは(てか終生)無理なんだけど、どういう段取りでやっていくといいかって話であり、それって、かなりケースバイケースで、常に大きな方針がドーンとあるわけではないと思います。もっともっときめ細かに見ていって、組木細工のように入れ子にしていくべきなんだろうな〜って。

所によっては深く

 「広く浅く」でも、常にそうすべき義理はなくて、広く浅く、でも「所によっては」深くってことは出来るでしょう?興が乗ったり、深く切り込める入り口をたまたま見つけたとか(教えてくれる師匠が出現したとか)、なんかの巡り合わせで深く行きたい/行ける時はどんどん行っていいんだと思います。

 当然他の分野に比べてイビツにそこだけ深くなるんだけど、そこはあんまり気にしないでいいと思います。全体のバランスはあとで書きますが、そこのバランスだけ見るんじゃなくて、トータルのバランスこそが大事だと。

広さは量、深さは質

 大雑把に言ってしまえば、広さというのは、あれも知ってる、これも知ってるって量的に積み上がっていく変化であり、深さというのは、どれだけ極めたのか?という質的な変化かもしれません。ここ、そんなに突っ込んで考えてないから自信ないけど。

 で、広さの攻め方と、深さの攻め方は違うと思います。

 一般に、「広さ」系は初動獲得値が高い。例えば、アラスカに一度も行ったことないのと、一度でも行ったことがあるのとではかなり違う。ちょっとやっただけで結構得るものはある。でも、似たような訪問を二度三度と繰り返してもそんなに新たなゲインはない。だからエネルギーを傾けるにしても、美味しい初期値を得る。ゼロから10くらいまでは、10やったら10得られるけど、それを超えて11〜20まで同じ分量やっても、そこから先は似たり寄ったりになってきて経験や知見がかぶってきて新規ゲインは少なくなる。これ、グラフ書いたら一目瞭然なんだろうけど、ごめん、書いてる時間ないし。だとしたら、Aを10やったら、11以降は置いておいて、新規にBをやってみるって方が、広さを得るのには良いでしょう。広さ系の攻め方は、フットワークよく、手当たり次第に食い散らかすみたいなやり方でも良いってことです。

 「深さ」=質を深める系のもの、例えば◯◯道みたいに深さを極めようとしたら、かなりの年月精進しないと中々そのレベルにいかない。時間がかかる。ゆえに初動値は低い。ただしひとつ極めてしまえば、「一芸に秀でるものは多芸に秀でる」の例えのように、エリアを問わず一つの普遍的知見を得られるから、それで結構間に合ってしまうという部分もある。つまり、「深さ」系は初動値は低いけど汎用性がある。だから深さ系は、食い散らかしても無駄で、一つ極めて、あとはいかに応用させるかがキモになる。司試受験テクで、全くしらない論点が出題されたらどうするか?問題があって、その場合は、「積極説、消極説、折衷説に分けて書け」「大体どんな問題もこのパターンにおさまるから」というのがあります。それと同じ。

 別の言い方をしたら、広さが足し算だとしたら、深さは掛け算のようなものかもしれません。

 で、時間もお金も限られているときに、どっちを優先するかだけど、それは状況次第で、広さを稼ぎやすいときは広さを稼げばいいし、深さが得られそうなときはそれをやればいいと思います。問題は、そこで得た知見をどう使って応用させていくか?だと思う。一つの知見を演繹させていく方法ですね。一を聞いて十を知るために。

応用のきかせ方

 深さは、これは応用効きやすいと思います。例えば技芸の上達においても、最初は全然伸びてる感じがしない砂を噛むような基礎練習時代があり、それが徐々に効果を現してきてグングン伸びる時期になり、しかしほどなくして止まってプラトー時期になり、それを超えるとまた伸び出す、、とかいうのは、誰でも経験してることだと思うけど、これはどんなことでも応用がきくでしょう。多分それが分野を超えて似通ってくるのは、人間の大脳や神経構造、筋肉細胞の新陳代謝のサイクルとか(大体3ヶ月やると効果がでるとか、そこでやめると元の木阿弥とかよく言われますよね)、そういう物理的な構造に基づいているんだと思います。だから、深さは、何か一つやっておけば、あとはそれをいかに応用させていくか論だと思います。

 他方、一見応用の効かなさそうな広さでも、応用できないわけでもないです。
 例えばエリア/分野の類似性でしょうね。日本全国を知るんだ!といっても、北から順々に一県づつ潰さなくても、ティピカルなサンプルエリアをポンポンと飛んでみて、あとは大体似たようなものだと推測をするとか。つまり全体構造をみて、幾つかの要素に分類し、その要素を代表するようなものをつまみ食い的に見聞すれば、おおよそのことはわかるんじゃないかとか。

 「日本の伝統文化を知る」といって、茶道概論をばっとやったら、あとは表千家と裏千家の違いを〜とかやらずに、香道に移り、日舞や書道、雅楽に移るとか。深さは、日本系だったら概ね「守破離」とか基本パターンがあって、流派が分岐するパターンは似通ってるから推測がつく。でもって、今度は「世界の民族芸能」になるんだけど、これもインド系、ヨーロピアン系、南米系とかいくつかの源流をわけて、ちょっちょっとつまみ食いして〜って感じね。これも広い意味では「人間のやるこた、大体同じ」って大きなパターンがあるから。千年に一人くらい大天才が出現して流れを革命的に変える〜とかさ。

 世界各国の状況でも、だいたい未来は過去に規定されるから、直近1-2世紀を見るといいんだけど、大体18-19世紀は植民地支配の影響をどこも受け、20世紀後半以降は米ソ冷戦構造の影響を受けているから、どこの国でもアタリはつく。そしてその影響が今はどうなってるか?ベトナムはフランスの植民地だったから意外とフランスの影響が街角に残ってないかとか、美味しいフランス料理屋とか結構あるんじゃないかとか、その後は米ソ冷戦(ベトナム戦争)になるんだけど、その前も残ってるんじゃないかとか。東京に江戸情緒が残ってるみたいな。韓国朝鮮だって、もともと高句麗・新羅・百済と3つに分かれていたんだから、3つの地域特性があるんじゃないかとか、北朝鮮が今は高句麗的な場所にあって、あとの百済と新羅は、全羅道が百済で、新羅は慶尚道じゃないかな?とか。

 あるいは同じヨーロピアン文化でも、キリスト教前後というフォーマットで区分けして、プレ・キリスト教の例えばケルト文化とか北欧神話とかがあり、ポスト・キリスト教の教会建築やら宗教画があるとか。ルネサンスで分けるとか。ロックギターでも、ジミヘン前と後と、ヴァン・ヘイレン前後とか。なんでもそうだけど、「こう考えるとわかりやすい」ってキモがあるんだと思います。それをいかに見つけるか、です。

 タテに応用するにせよ、ヨコに広げるにせよ、それをミックスさせるにせよ、要はパターン抽出能力だと思います。知能テストかなんかで、意味のない数字の並びがずらずら続いても、ははん、これって最初に全部の数字を合算してそれに各数字の最大公約数を掛けたものだな?とかアタリをつけるのと同じ。多分、これが「応用」であり、「学び」という現象の一つの側面だと思います。いわゆる頭がいいとか、仕事ができるとか、スジがいいとかいうのもコレなんじゃないかな〜。素材収集→並べて眺める→パターン抽出→当てはめ→確認&微調整→新素材収集→パターン抽出と既存パターンとの整合や修正、、というのを無意識にやっているという。帰納→演繹→帰納→演繹→帰納→演繹→という無限フィードバック演算をやってるのでしょう。人間の思考って大体そういうもんだと思うし。

 でもって、いつもいうけど、こんなの先天よりも後天変動の方が強いと思う。いわゆる技術論であり、自分で意識して、工夫してやっていくと伸びます。僕自身もわりと自覚的にやってました。「俺って頭が悪いかも」という絶望的な壁にブチあたって(笑)、「じゃあ、頭が良くなりゃいいんだろ?」ってばかりに、頭がいいってどゆこと?と考えてて。で、こんなん、単なるワザやで〜って。上段回し蹴りみたいなもので、毎日やってると次第に股関節が柔らかくなって足が高く上がるようになるぞって。そこがうまくなると「万能スキルの素」みたいになっていいっっすよ。「本だし」みたいな、和食だったら何にでも使えま〜すって。

対象に合わせてコスパとバランスを考えること

 ただし、広さといい、浅さといっても、対象の性質によって千差万別だから、そこは性質に合わせて広さと深さを勘案すべきでしょうね。Aという物事は、最低でも5までやらないと何のこっちゃかわからんから、4でやめたらまるで無駄になるけど、Bは1やっただけで大まかには分かるとか。

 あるいは、自己体験重視系なのか他人の話に意味ある系なのか?という切り口もあるでしょう。
 広さは他人の話を聞いてもあんまり分からないけど、深さは他人の話が意味を持つ場合が多いですね。広さは、ゼロ→1の自己経験が巨大な意味をもつので、世界一周をした人の話を聞いても何が分かるというものでもなく、結局は自分でやってみるしかない(そこでの他人の話は情報収集というよりも、モチベーションを高めるとか、「わあ!」という憧憬を掻き立てるという意味で情報以上に大きな意味はあると思います)。あるいは、「雪国」とかいっても、自分で数メートル雪が積もってる街を歩くのと/歩かないのとではリアリティが全然違う。広さを求めるなら、何でも自分でやってみるという行動力とシャイにならないメンタルがキモだと思います。

 一方、深さについていえば、例えば「雪国に生まれ育つということ」とかディープな話になるとですね、これはちょっと旅行したくらいではわからないから、土地の人の話、専門家の話に耳を傾ける意味があると思います。これはじっくり調べる、聞く。そして深く深く落としこんでいくという。寒くて苛烈な風土の特産品はなにか?はーい、お酒とブンガクでーすみたいな。津軽しかり(太宰治)、アイルランドしかり、ロシアしかり。ひきこもるから思想も醸造されるのかなあ?逆に、野原を異様に元気に走り回ってるリア充系の民族(遊牧騎馬民族)って、民謡的な英雄抒情詩みたいなものはあるけど、シングルモルト17年物みたいな醸造系文学は少ないかも?とか大体のアタリをつけて、でもって、調べてみると意外とモンゴル文学とか盛んだったりして、ほう?という感じで深まっていく。

 いずれにせよ、その事柄の性質にあわせて、もっともコスパの良い方法はどうか、そして全体のバランスをどう取るか、ですよね。世界を知るんだとかいっても、交戦国や戦場ばっかり廻ってたら、世界=物騒という世界観になるんだけど、それはバランスが悪いわけで、やっぱ平和なエリアも混ぜておかないと全体像が偏るでしょうね。


 以上、いずれにせよ、広く浅く or 狭く深くって二項対立や、一般論で済ませられるような問題では無いと思います。広くやった方が良い局面、狭くても深くやるチャンスがある局面など、限られた時間を使ってどれだけのゲインがあるかってことだと思います。最後の方、駆け足になっちゃって悪い。




文責:田村



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