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Essay 934:日本のコロナ事情について(1)
〜緊急事態宣言以前に実はフラット化していた?
〜スウェーデンと諸国が同じようなフラット化カーブ〜もしかして全部意味なかったのかも疑惑
〜無症状感染8割と集団免疫論=内在的収束要因
〜大きな数字を人間の脳は正確に扱えない話
2020年05月10日
写真は、Artarmon駅裏手にある公園にて。最近は爽やかな秋空が続いて、青い空がとてもきれいです。
日本発の情報では何もわからないことの検証
日本のコロナ関係の話をしようと思うと、「日本とはなにか」論、「日本をどう再生すべきか」論になってしまって、コロナ論になりません。困ったもんだ(^^)。既に何度もしつこく書いているように、日本のコロナ蔓延度や対策について考えようにも、オーストラリアや世界の国々のように考えることが出来ない。とにかく検査数が異様に少ないので何が起こっているのかよく分からない。さらに混乱に拍車をかけるのが、分かるわけもない少量データーをもとに政府やメディアや評論があれこれ煽るから余計に分からなくなる点です。
ともあれ、日本発の情報だけ見てたら今世界で何が起きてるのか?という実像すら分からんのではないか?と思って、下のグラフを持ってきました。まずは大きな所から見ていきましょう。
過去に何度か紹介している国際データーの宝庫のようなサイトから抜き出してきたものですが、
世界の感染者数の動向
(1)イタリアの被害が大きく伝わってますが、世界全体でいえばそれほどでもないこと。
(2)過ぎてみればイタリアの被害は3月下旬にピークに達し、あとはなだらかに減少していること
(3)イタリアが実はピークに達していた3月下旬に、オーストラリアではロックダウンの話になり、日本ではオリンピック延期(その後の緊急事態煽り宣言)になってること
(4)イタリアなんか目じゃないくらいアメリカの被害が甚大なのだが、それでも世界全体でいえば半分にも届かないこと
(5)しかし、世界全体の増減とアメリカの増減が相似形を描いていることから、アメリカの数の上下が全体の上下を決めているくらいの影響力はあること
(6)逆に日本の数があまりにも少ないので、殆どなにも起きていないかのよう見えること
などです。
日本の検査数の国際比較
日本の検査数の少なさはかねてから何度も書いてましたし、敢えて言うまでもなくもう国民のコンセンサスみたいなものでしょう。上のグラフの前回のエッセイで示したものですが、アイスランドを抜いています。なんせアイスランドが凄すぎちゃって、アイスランドをいれたグラフにすると、あとは全部「どんぐりの背比べ」状態で細かいことがわからないからです。
ここではアメリカ、イギリス、イタリア、日本、オーストラリアで比べてみました。
初期の方に感染が勃発した韓国は別として、イタリアとアメリカは3月下旬くらいから激しく検査をやるようになってます。だけど日本はあんま変わらんです。オリンピック延期になったら、手のひらを返したように小池都知事が煽りまくって、自粛要請だ、三密だ、緊急事態だとか言ってるわりには、世界的に見れば異様なくらいに検査をやってません。
このグラフは人口千人あたりに何件検査をやったのかという割合比率を示したグラフなので、国の人口数は関係ないです。だから日本がアメリカやイタリア並みに検査をやっても不思議ではないし、人口密度の高い日本であればもっとやってもいいくらいです。でもやってない。ここまで頑としてやらない!というのは、なにか強固な意思を感じさせるくらいで、そのくらいやってない。
ま、そのことの当否はここでは置いておきます。ここで言いたいのは、こんな検査数で何がわかるのだろうか?ということです。
で、感染大爆発、オーバーシュート!とか鉦や太鼓をカンカン鳴らしていた初期(3月下旬〜4月上旬)があったのですが、その当時に書いたエッセイの929で、それって単に検査数が増えたから感染数が増えてるだけじゃないの?という素朴な疑問を呈しました。その際に作ったグラフを再掲します。
さて、その後(4月上旬以降5月まで)どうなったのか?また作ってみました。感染者数と検査数それぞれのグラフを探してきて、それをお絵かきソフトで合体させたものです。
これをみても、検査数のカーブと、感染者数のカーブは、おおむね同じような相似形、てかかなり綺麗に対応してるような気がしますねー。
もっとも、よーく見ると不思議なことに、検査数よりも感染数のほうが先に変化してて、これって時間的先後関係でいえば逆じゃないかと思われますが、おそらくは、統計の集計のタイムラグなどによるのではないかと思われます。もともとこのグラフ自体、3日平均のグラフです(毎日のグラフもあるのですが日々の変化が激しくてピーキーになりすぎるので、全体の傾向がわからない。なので3日平均という統計手法をとっているのでしょう)。
いずれにせよ、検査数が増えると感染数が増え、検査数が減ると感染数が減るという関係は相変わらずなのではないかと思われます。
これじゃ全然分からんのですよ。そりゃ一般論で言えば検査するから感染がわかるわけで、検査数と感染数が比例するのは当たり前だという意見もあるでしょうけど、それは程度問題です。これじゃ検査数を増やせば増やすだけ無限に感染者数が増えそうな気もする。リアルな規模がわからない。どんなに検査数を増やしても、これ以上は感染数は増えない、検査数のカーブと感染数のカーブが食い違ってきてこそ、なにかが見えてくるわけでしょう?
イタリアの検査数と感染数カーブ
例えばイタリアでも同じように作ってみました。イタリアの場合は、かなりくっきりと検査数と感染数のカーブが食い違ってますよね。最初は検査数の増え方よりも、感染者の増え方の方がかなり激しく、この時点でかなりヤバいことが起きているんだろうと推測されます。その後、えらいこっちゃでガンガン検査をやりまくっていくと、検査数をいくら増やしても感染数は下がってくるという逆転現象が起きてます。これで、かなり収まってきたんじゃないかなというのもわかりますし、実際の感染者数のカーブもそれなりの精度で合っているのではないかと思われます。
だから、このくらい検査やらないと、何が起きているのかさっぱりわからん、ということです。
可能性推論
日本のように、いつまでたっても検査数と感染数のカーブが似たようなものだった場合、考えられる可能性としては、(1)最初から検査対象者をかなり絞り込んで、一定の確率で感染が疑われる人だけを対象にしていれば(そして対象者全員を検査するわけでもないのだとしたら)、感染者数が検査数に常に比例することになって当然である、という可能性。
(2)(1)と両立しうる可能性だが、既にとっくの昔にフラット化が起きていて、常にほぼ一定の比率で感染者がいるという状況が単に継続しているだけなので、発見率は増えも減りもせず、単純に検査数に比例することになっているという可能性
しかし、まあ、いずれにせよ推論であり、ミステリーです(笑)。こんなんじゃわからんよ。
むしろ問題は、こんな貧弱な数値をもとに何かを語ることであり、それをもとに政治や報道や評論が行われていることです。国をあげて大ボケ合戦やってるのと変わらん。次にその大ボケに対して、本来ツッコミ役であるべきメディアや言論がほとんど機能していないことです。むしろ、そのへんの町の普通の人の方が、「あんなんで、わかるわけねえよな」とか言ってたりするでしょう。
だもんで、コロナを語りだすと、自然と日本はこれでいいのか?論にシフトしてしまうのですな。コロナもヤバいかもしれないけど、日本自体がその百倍ヤバいんじゃないのか?と。
再び世界全体から見る
日本発の数値や情報ではまるで役に立たないので、世界全体から逆に推論してみましょう。下のグラフは、世界各国の感染死者の上昇カーブです。ここをクリックすると元データーの箇所にいきます。
水平の目盛りが、発生(人口百万人あたり0.1人死者が出た時点)からの経過日数です。20日経過、40日経過って感じで。
これを見るとですね、世界中のどの国でも、だいたい20-40日くらいでフラット化してくるということです。
上の図では国が多すぎてわかりにくいので、適当に間引いて表示します。
これで少しは見やすくなったと思いますが、こうしてみると幾つか気がつくことがあります。まあ集計方法とか国によって違うので一概に比較するのもアレなんですけど、話のネタやヒントくらいはつかめると思います。
グラフの下の方、早期に対処して早期にフラット化を達成し、かつ感染者数も少ないという優等生グループがあって、台湾とかタイなんかがそうです。感染数は多いんだけど機敏に対処したという意味では韓国もそうですね。
オーストラリア国内にいると、オーストラリアは「世界でも珍しい典型的な成功例」で、「世界中の人が羨んでいる」とか政府が自画自賛の大本営発表やってるんですけど、なんなの、その「オージー、すげー」みたいな夜郎自大は?って(笑)。これみても分かるのですが、別にオーストラリアって突出して凄くないですよ。どこも似たようなもんだし、対処の速さとか数の少なさでいえばイラクに負けてんじゃん。NZだって、のんびりしてたらいきなりゴーンと増えたので大慌てガチガチにやったという経過がよくわかるし。このあたりが、オーストラリアの「田舎者」ぽいところで、田舎モンのお国自慢というか。まあ、日本中のすべての学校や会社で「栄光と伝統のある我が校(社)」とかいってるのと同じというか。
まあ、そういう愛らしいお国自慢はさておき、上の方の欧米諸国、感染数が多い国々ですけど、ふと気がつくと、(前回紹介した)集団免疫路線に近くて、できるだけリラックスした規制でやってきたスウェーデンが、他のスペイン(一番上)、ベルギー、イタリア、アメリカ、スイスあたりと同じようなカーブをたどってることです(グラフに乗せてないけど、イギリス、ドイツ、フランス、アイルランドなどなども似たようなものです)。
これはちょっと重大な疑惑につながって、あれ?結局、対策をやってもやらなくても結果にそんなに違いはないんじゃないの?という疑念です。まあ国が違えば事情も違うので、一律に比較はできないんですけどね、でもね、なんかひっかかりますよね。これはあとで述べます。
日本の実像?
で、問題の日本ですけど、こういう感じで、一貫して右肩上がりというか、フラット化せずにひょろひょろ伸びてますよね。なんだこれは?って気がしますね。
まあこういう感じでフラット化がない国も他にもあります。アラブ首長国連邦なんかもそうですね。あと全くフラットのままで変化ゼロという、お前検査(一回しか)やってないだろ?というガンビアとかモーリタニアみたいな国もあります。だから日本だけ唯一無二に変だってわけじゃないんだけど、OECD先進国のなかでは珍しいです。
特に日本はクルーズ船とその前の中国人旅行客とかあったんで、世界でも先駆けて感染が早く、経過時間も長い筈です。それでこんなに持続的に「成長」してるのはおかしい。
だから要するに検査を十分にやってないから「本当の姿」が見えてなんだろうと。
「本当の姿」にも二種類あって、一つは諸外国と同じくらいの検査をやって見えてくる感染者数の変化が一つ。もう一つは、ちょっと前のエッセイで書いたように、抗体検査の結果、無症状感染者があっと驚く10倍とか数十倍いるということです。
とりあえず後者(無症状者を含めた数十倍の実像)はおいておいて、「もし世界一般のレベルで検査をやっていたとしたら」という推測をするに、多分、上のグラフにオレンジ色で書き込んだようなラインになっていたのではないかと思われますね。まあ現時点の数も本当はもっといるので、正確にはオレンジ色はもっと上の方で弧を描くだろうと思われますが、ここではその絶対数ではなく、軌跡カーブです。
諸外国と同じように大体一ヶ月内外でフラット化してるとするならば、日本はかなり早い時点でフラット化していたのかもしれないということです。あるいはクルーズ下船者の「全国ばら撒き」によって広がったとしても、あれが2月中〜下旬ですから、それから一ヶ月の3月下旬頃には一段落してたのかもしれません。丁度、小池都知事がオーバーシュートなる聞き慣れない言葉を使って煽りだした頃にはもうほぼフラット化してたのではないかと。和歌山県の済生会病院を発端とする感染とその対応は2月中〜下旬からでしたしね。
その後東京で感染爆発とかいってるのも、前にも述べたように検査数を増やしたから感染者数が増えただけで、今回見たように、その後も同じようなパターン(検査数と感染数が正比例)だということは、もう小池都知事の最初の時点で東京近辺には既にそこそこの数の感染者がおり、かつ落ち着いてもいた。ただ絶対量が風呂桶いっぱいくらいなのに、今日は柄杓で1杯だけ掬って今日は10人、明日は2杯掬って感染者20名、あさっては3杯で30名とかやって、それを称して「感染爆発」とか煽ってただけじゃないのかって気がしますねー。
そうなると、日本で自粛だ、経済影響だ、失業だ、自殺だってやってるの、あれぜーんぶ意味なかったという凄い話になるかもしれません。まあ、ウィルス自体はまだいるでしょうから、感染防止をやることが全く無意味だとは思いませんけど、全体の情勢は一般に言われているのとはかなり違うのではないかと思われるし、そう思うことに合理的な根拠(世界の趨勢や日本での事象の時系列)はあるように思います。逆に言えば、世間で言われているような感染爆発とかいうことを裏付けるような合理的な資料(合理的な推論が出来るだけの豊富な検査と結果データー)はないです。それを否定する資料もないんだけど、「資料がない」って時点でももう終わっていて、話は「なんで無いんだ?」論にシフトしていきます。
ところで、今、困窮してて自殺その他、破壊的なことを考えてる方に申し上げたいのは、なにがなんでも、石にかじりついても、絶対生き延びろ!てことです。こんなことで終わってしまうことくらい馬鹿馬鹿しいことはないでしょう?
「オーバーシュート」という変テコな和製英語
ちなみに、「オーバーシュート」って僕が知る限り、日本しか使ってないような気がするんですけど。これまで、かれこれ数百以上の英字メディアの記事を読んできましたけど、一度もovershootという表現をみたことがないです。普通は「アウトブレイク "outbreak"」でしょう?オーバーシュートって、普通の英会話でもあんまり使わないけど、車乗ってて、曲がるべき角を行き過ぎてしまったような場合、「だー、今の交差点のとこで右折するんだったー!」って状態、行き過ぎてしまった状態、これをオーバーシュートと呼ぶように思います。
このあたりは、同じような疑問を持った人が丁寧に調べてくれています。「「オーバーシュート = explosive surge」和風アレンジされた英単語| 新型コロナウイルスにまつわる英単語」参照。
なんでこんなこといちいち英語で言うのだろう?もともとは専門家会議が言い出したことらしいんだけど、それでも「爆発的患者急増」と日本語でも言ってるし。個体群生態学上の概念として似たようなものがあるだろうけど、国民に語るのにそんなニッチな専門用語を援用せんでもよかろうに。英語使いたかったら、普通に「アウトブレイク」って言えばいいものを、わざわざ英語圏でも使わないような変な表現をして、これもミステリーの一つですね(笑)。
ということで後日、海外で英語を使うときに、オーバーシュートとかいっても、まず通じないような気がしますので、アウトブレイクって上書きして覚えておいてください。
もしかしたら疑惑
ここでなんで1ヶ月くらいしたらフラット化するのか?という話に戻ります。てか、なんで頑張ってロックダウンやってる欧米諸国と、特にやってないスウェーデンが同じカーブ、同じ感染率(人口比)なのか?という疑問があります。これは小池都知事の「オリンピック諦めた途端、手のひら返しの危機煽りで、多くの人に経済的迷惑をかけた」事件以上の意味を持ちます。つまり、スウェーデンと他の国が結果において大差ないのであれば、今まで世界の感染専門家が対策とかいってきたこと、そして世界でロックダウンだなんだってやってきたこと、そしてその結果として、ほとんど「取り返しがつかない」と言ってもいいくらいの経済破壊をしてしまったこと、そしてこれからそのつけを延々皆ではらっていかなきゃいけないこと、これらすべてが「意味なかったかも」という凄い話になるかもしれないからです。
まあ、まったく意味なかったというつもりはないですし、やればやっただけのことはあったとは思いますよ。だけど、やらなかったら国が滅ぶしかなかったのか?というと別にそうでもないだろうし、絶対に必要不可欠だったのだと力強くそう言い切れるかどうかが微妙なんですよね。まあ、こういう疫学的な因果関係というのは、死ぬほど難しくて(公害訴訟の立証なんかでもスーパーコンピュターを活用しないと推論も出せない)、結局はわからんとは思いますけどね。
、
折衷的内在収束論〜部分的免疫論
で、思うのが折衷説ではないですけど、確かに感染防止の諸策はちゃんと役には立っている。しかし、それとは別に、ごく自然にフラット化していく(感染が収束している)ような内在的な要素もあるのではないかという発想です。いや、誰かが言ってるのではなく、ここまで考えてきて僕が勝手に思ってるだけです。それも可能性の一つというか思考実験レベルのことですが。前回のエッセイでちょっと書いた続きですけど、無症状感染×集団免疫の掛け合わせ論です。これまで「感染した(感染者発見)」というだけで致命的な失点であるかのように報道されてたんですけど、別に80%(直近では82%って数値も出されてるのを読んだ)が全く無症状で快癒(てか治ったという実感もないだろうけど)ないしは軽い風邪くらいで終わってるのであれば、感染=えらいこっちゃではなく、感染のうち問題にすべきは20%くらいでしかないんだろう。ではあとの80%はどうなるかというと、1-2週間したら抗体が出来るらしいので、以後抗体保持者になるわけです。
ということは、ここに感染者が10名発見されたら2人の要治療者と8人の抗体保持者が生じるわけです(あとの2名も後日回復すれば抗体保持者になるが)。これをウィルスの立場でいうと、頑張って増殖して他の人にもせっせと感染させても、一人仲間を増やしてる間に、4人「敵」(抗体保持者)を増やすことになります。だからやればやるほど、感染者仲間も増えるけど、4倍の速さで敵も増える。
抗体保持者というのは、人間からみると便利な存在で、一種の「壁」にもなってくれるし、掃除機のようにウィルスを吸い込んでは殺してくれる貴重な存在です。感染が広がるほど、抗体者という壁と武器が増えていく、それも感染(深刻発病)者一人に対して4人の割合で増えていく。これは心強いですよ。
だったらこれを繰り返していけば、いい加減なところで収束していくような気もしますね。集団免疫6割といいますけど(その数値の正当性の根拠がよく分からんことは前回書いた)、別に何がなんでも全国平均で6割いかなくても、局所的な世界、例えばどっかのクラスターで6割いったらそれで収束じゃないんですか?「集団免疫は何が何でも国単位で考えなければならない」という法律もなければ、自然法則もないでしょうに。その現場、特に地方のようにある程度登場人物や交友範囲が決まってるような社会においては、一定数を越えた時点で収束が始まるような気もするのですよ。そんな気がしませんか?
もっと言えば感染が起きる度に8割の抗体保持者(集団免疫)を着々と作っているとも考えられるのですよね。ただ抗体が出来るまでに1-2週間のタイムラグが生じるからその間に感染は増えるけど、増えた分だけ抗体も増えるんだから、やがては収束すると。
これが僕のいう内在的要素です。自然にある程度はフラット化するのではないかと。スウェーデンなんかその要素が大きいのでは?と。それに加えて、皆の感染防止の努力は努力で意味はあるでしょう。だからその相乗作用ではないかなと。前回のエッセイで「なんだか分からないけど収束」という内容の一つの可能性として。
少なくとも、これまで感染の専門家の先生たちが、この無症状感染を理論にどれだけ取り入れて展開してきたのか、僕には疑問に感じます。無症状感染が多いことは中国の段階でわかってたし、重傷者メインの検査方法では実像が分からないことも、そのために抗体検査を大々的にやって実像を掴み、抗体免疫者の位置づけをどうするかなど、最初の時点でかなり推測できると思うのですけど。でも、なんか殆ど考慮に入れてないような気がするのですよ。
NY州や他でどんどん抗体検査をやって、実際には数十倍の規模で感染が起きていたという時点で、これまでの理論や対策は破綻、とまでは言わないまでも、大幅に修正すべきだと思うのだけど、そういう話にあんまりならないのはなぜなのですか?メンツが大事ですか?感染のすべてが悪いことのような前提、それ自体が間違ってる可能性はないのでしょうか?
日本の専門家の方々に関しては、クルーズ船の感染処理(最初に徹底して検査してない、なのにいい加減に区分けして長期間閉じ込め、結果的に培養して死者を増やし、曖昧なチェックで下船させて全国にばらまいている)について、専門家として、いや普通人としての知能水準すらも疑われるレベルだと思います。ただし、これは、別の角度の日本の問題点です。すなわち原発でも薬害でも何でもそうですが、なぜ日本では専門アカデミズムの知見が広く一般国民の利益のために使われることが無いのか、専門家の狭いタコツボ現象はなぜ生じるのか論などですが、また別の機会に書きます。
他にもコロナに関しては他に疑問点はあります。例えば本当に人工呼吸器療法が良いのか論とか、死に至るまで似たような症状経過だと思われるインフルエンザの場合、死ぬ人が毎年何十倍もいるのに医療崩壊は起きてないのはなぜなのか?とか、沢山ありますけど、長くなるのでここでは割愛します。
大きな数字を人間の脳は正確に扱えない話
最後に、最初の頃から毎回書いてますが、「どう考えても絶対数が少なすぎて大問題だとは思えない」という個人的な思いがあります。人間って、大きな数字になると極端に弱くなります。10倍っていってるのに、自然感覚では2-3倍くらいしかイメージできない。千倍とかいっても10倍くらいにしか感覚的につかめない。これはもう大脳の構造上そうなってるらしいですけど。
ただそれでは戦略や戦術をたてる際に致命的なミスをするので、どこで叩き込まれたのか今となっては覚えてないけど、大きな数値に対する自然の感覚のダメダメなところは、僕自身身にしみてます。だから、今回も、世界におけるコロナの累積感染者数が現在で350万人もいて、死者が27万人もいると聞き、他方で世界の人口は70億人だといった場合、それがどのくらいの割合なのか、ピンとこないと思うのですよ。よーく考えたら全然大したことないんじゃないかって感じにならない。
そこで自分で図を作ってみました。
上の図は、僕がしこしことピクセル数を計算してつくったものです。薄青色の正方形全体で70億人の世界人口を意味します(70億の平方根を一辺としてピクセル数に対応させた=2640ピクセル)。
※1億人の大きさの計算を間違えていたのにあとで気づいて修正しました。ついでに最新のデーターに差し替えました(世界人口75億7713万、感染者528万、死者34万。2020/05/24調べ)。
うち、書かれているように黒い正方形が1億人の割合です。世界人口に対する1億人というのはこのくらいの感じです。ちなみに、毎年この1億人くらいが世界から死んでます。今の世界の平均寿命が70歳くらいらしいので、単純計算で70分の1づつ死んでいくなら、そうだろうということですね。
あとは見ればわかるように縮尺どおりに作った累積感染者数350万人(528万)、死者数27(34)万人だけど殆ど見えないので、中間的に百万人も作ってみました。
これが77億人に対する528万なりそこらの正しい割合比率です。こうやって正確に考えるように僕は訓練されてきたのですが(実務家だったら大体誰でもそうだと思うが)、一般にはなかなかそうは思えないんじゃないかなと。500万人ってそれだけみてたらすごい話のようだけど、さて、この全体図を見て、本当にそれって「パンデミック」っていうほどの話なの?って疑問が最初からあります。今でもあります。
そして、その対策のために世界経済はグッチャグチャになってるんだけど、この影響はほとんどすべての人が受けます。青色画面全部に及ぶ。この小さな黒のために青全部を壊してしまう、それってやっていいのだろうか?という疑念があったのですね、最初から。
いや、まあ、たとえ一人の命であっても、それを救うためなら自分は破産してもいい、ホームレスになってもいいって、世界の全人類が一人残らずそう思えたなら、それはそれは素晴らしいことだと思いますよ。いやほんと、銭金の問題じゃねー!って世界の皆が一致してそう思い、そのとおり行動できるなら、なんて痛快な!って思うよ。だけど、ほんとにそうなの?単によくわかってないだけじゃないの?
もっかい繰り返しますが、人間の脳みそは、大きな数値を正確に扱うのには不向きです。だからかなり意識的に図案化するなどして理解しないとならない。そう言えば似たようなことを過去回でも書いた記憶があります。エッセイ525/縮尺(スケール)と質感 〜いかに我々の頭の中の縮尺がゴジラ的に間違っているか論ですね、論点はちょっと違うけど。
文責:田村
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