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今週の一枚(2018/04/09)



Essay 872:仕事とバイトと本業のシーシュポス的展開


写真は、Bondi Junction

なにかと忙しい

 最近あれこれ忙しいです。これから先の2−3ヶ月はもっと忙しくなります。

 何がそんなに?というと、ちょっと前に868869で書きましたが、全体のリストラ作業です。さかのぼれば去年の引っ越しやら、WEBサイトの引っ越しに伴うSEOダメージから続いている一連の流れなのですが、「どうせやるなら」で将来的には親の介護まで見通して、日本とオーストラリアを行ったり来たり出来るくらいのノマド化をも狙った生活全体の組み換えです。これが大戦略。

 その実現のためのための小戦略として、(A)APLaCという本業と経済基盤とを分離して身軽になること。本業ゼロでも食っていけるくらい別の収入を模索すること。(B)コストカッティングして、「身一つ」くらいまで自分の生活をシンプルにすること。

 さらにその実現のための戦術群としては、(1)今の事務所の家賃の増額もあったし渡りに船で引っ越そうかと。同時に、(2)去年からやってるバイトを増やしていく。最初は清掃のバイトで”キャリア”をつけて、しつこく応募し続けてColesゲットして、さらにもっと増やしていく。(3)一方で現在のネットワークのNOP化とか実社会で通用するに、夢から現実に落としてこんでいく作業。

 ということで、本業(普通の一括パックやら相談ケア+ブログやFB、掲示板)に加えて、バイトが結構増えてきたのでそれで忙しい。加えて近々引越そうかと狙っているので、その準備(断捨離Part2)が忙しい。引っ越しに伴う諸手続もめちゃ面倒臭い。

 そんなさなか、(よせばいいのに)6月中旬から下旬にかけて2週間程スイス旅行に行く予定です。カミさんのマイレージが溜まったので使っちゃおうかと。忙しいのに金もないのに、そんなことやってる場合か?という気もするのだが、そんなこといってたら一生何も出来なくなっちゃうし。エミレーツのドバイ経由でいくので、ドバイ(実際にはアブダビ)あたりで数日して、それからスイス。でもってスイス旅行の計画をたてろとカミさんから仰せつかっておりまして、暇を見つけては膨大な数のサイトを読み、地名を覚えて、内容を覚えて、時刻表を調べて、Google Mapを活用してどんどん書き込んでいってという、全然行ったことない国に計画を立ててます。だいぶスイスの土地勘が頭に入ってきたぞ。

 そしてスイス旅行が日本発なので、その前後に日本帰省もしてしまおう。最初は旅行後にするつもりが、その頃に来られる方がいらっしゃることになり、前倒しにしようと。まだチケット取ってないけど。そこで日本2週間くらいの日程やらオフやらも決めねばならない。また、一括パックの初日レクチャーを現場ではなく、FBのメッセンジャーを使ってやってしまう。今日、このエッセイ書いている最中にも2時間半くらいやりました。なかなかいい感触で、面と向かってやらなくても結構いけるもんだなと。

 つまりですね、(1)本業やネットの他に、(2)新しい仕事複数、(3)引っ越し、(4)欧州旅行企画&実行、(5)日本全国説明会とオフの立案&実行を同時並行でやってて、一つだけでも結構なボリュームのあるイベントが惑星直列のように重なっておりまして、考えたり動いたりすることが無限に出てきてます。

バイトの話 

シーシュポス的な自己実現

 これがねー、面白いんです。
 清掃の仕事も、コールズの仕事も、現場仕事の肉体労働のマックジョブなんですけど、だからこそ良いという。

 本業の方は、PCにかじりついて皆には見えない裏方仕事(タグをいじったり、メールのお返事書いたり)が70%を占めます。人と会ってるときは楽しいんですけど、一人でシコシコやってるときはなかなか詰まらない。特にGoogle君からみのSEOのあれこれやってるのが一番きつい。2000ファイル以上あるのおw全部手作業でチェックしてとか(一括変換できないパターンもあるし)、もう気が遠くなります。目はしょぼしょぼするし、腰痛いし。でもって、やっただけの効果あったのか?甲斐はあったのか?というと、全っ然!わからないんですよ。もう数週間から数ヶ月スパンで変化するので、何が原因か、何が良くて何が悪かったのか分からないという。

 こういうの辛いですよ。どうかしたら1日16時間くらいキーボード叩いて、それで全く無駄かもしれないわけですよ。てか無駄である確率のほうがはるかに高いという。もう「シーシュポスの神話」ですよ。

 あ、「シーシュポス」ってご存じない方もいるでしょう。でもよく引用される寓話でもあるので、知っておかれるとあなたの知的グレードアップになるので解説します。カミュ(「異邦人」とか「ペスト」書いた人)の著作に「シーシュポスの神話」というのがあって、どっかの神話に神様怒らせた罰として、クソ重い岩を頂上まで押させられるという過酷な肉体労働を強いられたシーシュポスさんがいた。神様は底意地悪いから、頂上まで岩を運ぶと、コロコロと下まで岩が落ちていって、またゼロからやりなおし。それを未来永劫やらなきゃいけないと。神様のイジメですね。それが何かというと、「人生ってコレだよね」というのがカミュさんの意見。100%無駄だとわかっていながら、それでも全力で必死こいてやる、それが人生なんだよなー、辛いよね、悲しいよね、不条理だよねって。

 だけど、カミュはそれを嘆いてないのですよね。「それがどうした」「それでよし」と。それどころかシーシュポスは「幸福だと想わねばならぬ」と結ばれている。断捨離part1の時にスキャンしたのがあるので、参考に結びのページを。


 アマゾンの書評などをみても熱い意見があったりして、わりと有名な一冊であることがわかると思います。


 なんで幸せなの?とういうと、不条理論になるのだけど、僕なりの理解を書き出すならば、まず人生も世界も不条理なのだ、不条理で当たり前なのだ。そこで辻褄のあう意味を見出そうとしても不幸になるだけなのだ。そうではなく、すべての価値の源泉を自分に置き、自分が何かを行うということ、ただそれだけに価値を見出すべきなのだ。さもなくば運命やら宿命やらに支配されて、その不条理さを嘆いて、泣いて、そんで無意味に死ぬだけだ。大体なにをどう頑張ろうとも最後には死ぬに決まってる人間においては、全体構造がひっくるめてシーシュポスなのだ。そんな見せかけの達成や因果関係ややり甲斐に囚われてはいけないってことでしょう。

 岩がゴロゴロ下までころがっていったら、全部が無駄になったとは思わず、また遊べるぞと思えばいいだけ。てか、押し上げた岩がそのあとどうなろうが知ったこっちゃないわって。自分にとっては押し上げているそのコトだけが意味あるのであって、それが全てだと。大学のとき、先輩に「これ、おもろいで、読んでみ」って貰った本だけど、けっこう印象に残りました。

 ということで、シーシュポス的な虚しさとシーシュポス的な充実を抱きながら、シコシコPCに向かってやってるわけです。かなり哲学的に意識を浮揚させないとやってらんないです。

 まあね、自由業といい自営や起業といい、実体はこんなもんです。

 ハロー、ボーイ。教えてやろう。自由とは憂鬱なものなのさ。

 そこにいくとですね、マッチョなマックジョブのなんという自己実現!

 清掃のバイトでも、ドメスティック(一般家庭)のバスルームとか、厳しく叩き込まれてるわけですけど(未熟でご迷惑かけてるわけですが)、もうホテル仕様のピカピカにするわけです。あのぐちゃぐちゃだったバスルームが、こんなにピカピカ〜って、それはそれは「やった甲斐」ありまくり。マルクス主義とか哲学論でいう「労働の疎外」(何のためにコレやってるのか全然わかんなーいって感覚)が少ない(ま、経済論では疎外されてるんだろうけど)。

 その昔弁護士時代、あるいはそれ以前の受験時代もそうでしたが、知的労働ってほんとにやり甲斐ないのです。英語など「お勉強」が本当に難しいのはここ。インテリジェンスの問題ではなく、メンタルの問題。

 知的労働やホワイトカラーにおいては、「こんなん書いても誰が読むの?」みたいなの書かされたり、「意味あんの?」という。まだ弁護士は、交通事故や建築事件の現場に行ったり、破産集会で大荒れになったり、恐いおじさんに凄まれたり、感謝されることも多々あるし、起伏があって面白いです。でも、弁護士業務の面白さはすべてブルーカラー的な現場作業から来るのであって、デスクワークの書面書きとか雑務とかつまらん。弁護士同士でよく言ってたもん、他の仕事がいいなー、やり甲斐がハッキリ目に見えるのがいいよなーって。

 この話は前にも書いたと思うけど、筒井康隆という作家が館詰めになって締切間近で原稿書かされているときに、担当者が「先生、出来ましたか?」って見に行ったら、筒井先生、必死になって風呂の掃除をしてたらしい。わかるわー。ああいう知的作業ってダメなときはほんとダメダメだし、やり甲斐ないし。だから結果が目に見える=自己実現のある掃除とか草むしりとかめちゃくちゃ楽しいのですよ。だから逃避というか癒やしでやるという。

 自分の半生は知的労働ばっかなんだけど、でも僕の場合はもともとは肉体労働派です。学生時代のバイト(倉庫仕事)とか面白かったもん。小学校の時に将来何になりたいか?でも「大工」と書いたのを覚えてるし、中学のときも「道路工事の土方のおっちゃんになりたい」と書いて母親と喧嘩した。僕の感覚でいえば、何かをクリエイトしている仕事は確かな充実と結果があるんだし、またそこには奥の深い技術もあるわけで、上手く出来ればエブリワンハッピーだし、いいじゃないかと。そんなどっかの強欲ジジーの手先になって、税金誤魔化したり、文書改ざんしたりするよりもよっぽどマトモじゃないか。

 まあ、ホワイト vs ブルーの世間的なステイタスとか、皆さん気にするけど、僕もしないわけではないけど、でもやっぱ根っこのところで、何で皆そんなに気にするのか理解できとらん気がする。本質論でいえば人の幸福に資するかどうかであり、現場においては自己実現の可視化であり、それだけだろ?世間の連中が何を言うかなんか、そのへんの草むらでコオロギがリリリと鳴いてるのと価値的に等しいと思うタイプなので、なんでコオロギの意向に従わなあかん?と、未だによう分からんです。

Colesの話 

 Colesはあれから何度か行ってます。カジュアルの予備軍だから、人手が足りなくなったら電話やSMSが来て、いざ出陣みたいな感じ。最初の頃にパートタイムのオファーがあったんだけど、週4とかで拘束されるのがイヤで蹴ってます。よって収入が不安定になるのだけど、そんなもん本業だってそうだし、収入の不安定さなんぞ自営業者にとっては当然の環境でどうということもない。って、これは前にも書いたよね。

 やってるのはクリーングとトロリー(ショッピングカート)回収作業なのですが、クリーングは一回だけトレーニング受けただけ。体力的には楽なんだけど、手順が複雑で覚えきれん!インド系かな?の小柄で親切な、まるで学級委員長みたいな女の子に教わる僕と、あと同じ新人仲間のフレンチのピエールくん。二人で「はー、覚えきれん!」と嘆いてた。チキンのローストとか、パン焼きとか、ハムとか、魚売り場のバックヤードを清掃するんだけど、ここはこのケミカルを使い、ここはコレとか4−5種類ある。モップやブラシも場所によって違う。チキンロースト用のオーブンなんかかなり念入りで軽く4回自動洗浄やって最後の5回目に2時間洗浄。ラックを出して、この溶剤とこれを混ぜてこうやってこそぎ落としてとか。フロアの溝なんかにもこの溶剤を混ぜたものを(デグリース=油落とし)を注ぎ込んで〜とか、たっぷり5時間教えてもらうんだけど、これ一回で全部覚えて、次回はひとりぼっちで全部やれって無理だわーって。

 あとは全部トロリー回収やってました。初日は、案の定、筋肉痛バキバキ(なるよって言われてたけど)。
 助っ人ヘルプなんで、あっちゃこっちゃ飛ばされてるし、場所によってやることも、やり方も違うので戸惑うのだけど、まあ、肉体労働ですね。

 肉体労働の常で最初はきつい。「まだ5分しかたってない」的な。こっちのトロリーは日本のものと違ってデカいし、重い。10個で250キロあるらしい。まあ、車輪がついているから楽なんだけど、複数個を一気に押すのが大変。まっすぐ進んでるときはいいんだけど、微妙に蛇行したりするので、それを「うおりゃ!」で修正するときにめちゃ腕力使う。また、回収する車があるんだけど、そこに載せる時に30度位のきつい上り坂を「うおおお」で一気にはずみをつけて押し上げるんだけど、勢いが足りないと最後は腕力。てか大胸筋パンパンになります。ハムストリングもいきます。フィットネスクラブのマシンみたいな感じよ。あと、長いスロープを1階分ならまだしも、二階分押し上げていくのは結構力使いますね。

 前にやったのは、ゴツい回収車を運転させられて、駐車場で回収してはローディングドックで下ろしての繰り返し。車体デカいわ、駐車場狭いわ、人がちょろちょろ歩いてるわで神経使う。それと駐車場のチケットシステムがアホになってて遮断器が上がらない、ブザー押しても返事なし。後ろは長蛇の列。そこをしゃーないから、蛇行しながらバックで戻るとか、結構ビビリましたねー。慣れたけど。

 直近でやったのは車ではなく、ひたすら歩いて回収という作業で、これは楽だわと思ったのもつかの間、延々歩くのです。車はまだ運転してる時に休めるからいいけど、これは絶えず歩く。前回万歩計で計ったら3万5千歩いきました。いやあ一昨年くらいから一念発起でWalkingやっててよかったよ。10キロや1万歩くらいだったらノンストップで歩けますが、2時間、3時間ノンストップになってくると、ヘロヘロになります。また、靴が、黒い革靴自分で用意して履いてこいで、直前にテキトーに安物買ったやつだから(支給されるんだけどまだ届いてない)疲れる。ほんでも他の連中とかは、これを9時間とかやってたりして、6万歩くらいいくんじゃないかって驚異のタフネスぶりだけど、まあ、これも慣れなんだろうなー。

 あと、10台くらい押して、店の入り口のトロリー置き場に置きにいくのだけど、これがなかなか難しい。なんせお年寄りはいるわ、子供飛び出すわ、進路を塞いで話しこんでるおばちゃんはいるわで、神経使う一方、10台トロリーのコントールが難しい。

 でも、まあ、肉体労働の常で、こんなのは慣れでしょう。事実だんだん楽になってます。最初3万歩歩いたときは、汗だくなんてもんじゃくて、5時間で3リッターくらい水飲みました。でもだんだん身体の使い方覚えるし、ペース配分、疲れない歩き方とか学ぶもんです。トロリーも、性質を覚えて、コントロールを覚えてくると殆ど腕力使わなくて済むようになるし。

 でも、まあ、いいですよ。きついっつっても知れてるしね。もともと柔道部の体育会系だから、そういうのって慣れてるし、懐かしくもある。「おらあ、もういっちょこい」「おっしゃあ」みたいな。

 でもって、ヒーコラやって、ああ今日の仕事もきつかった〜、でも終わったもんね〜、ははは、というのは風呂上がりのような爽快感があって。それがいいですね。今週の写真は、ボンダイで働いた時に、仕事帰りに撮った一枚ですけど、充実の一枚って感じで。シーシュポス的にやることなんかなんでもいいんですわ、そこに自分が関与してれば。ただ、同じやるなら、精神労働よりも肉体労働のほうがはるかに後味いいですね。

 

オーストラリアいいよな、的な

 それよりも、「やっぱ、オーストラリア、いいよな」的なのはあります。
 なんせ本業が日本人ばっか、日本語ばっかなんで、100%英語は逆に新鮮だし、ある意味では楽だし(そんな難しいこと喋らんし、リズムや口の動かし方とか慣れたら英語の方が喋ってて楽)。

 でも、やっぱ「人」ですね。いろんなのがいるので面白い。
 最初に3万歩あるいたときも、教えてくれたのは、チャイニーズの一休さんみたいなクリクリした男の子でフレンドリーだったし、あとはインド系が多かったけど、日本人なら必ず言われる "You're working too hard"って言われて、もっとサボれと(笑)。3人くらいがヒンドゥー語で喋ってるんだけど、実はインド人は一人もいなくて、ネパールと、パキスタンと、アフガニスタンだったり。共通語としてヒンドゥー喋れて、英語も喋れるんだって。トリリンガル標準装備。もともと大学生が多く、あのへんから留学してるんだからかなり賢いし、喋ってもそう思った。頭いいから察しが早くて楽です。基本、男ばっかで「よお」「おう」みたいなノリなんで、部活やってるみたいで面白いです。全員タメって立場がいいよね。

 人でいえば、オージーはほんと楽です。一つは運動神経や視界が広いので、トロリー押してても、すっと避けたり、身のこなしがしなやかなので楽。どん臭いのがいると疲れそうなんだけど、そういうの居ないし。また、ひーこら押してると、頑張ってとか話しかけてくれたり。時間帯にもよるけど、老人の方が多いときとかもあって、ああ、オーストラリアも高齢化してるんだなーとか。ボンダイとかでやると、場所柄ユダヤ系が多いんだけど、いかにもというユダヤのおばあちゃんの荷物持ってあげたりとか。

 ショッピングセンターで働くと、見え方が変わって、そこも面白い。他の店の従業員でさえも、なんか「仲間」って感じで、所在投げに立っているセキュリティのお兄ちゃんと目が合うと"Hi"とかいって、「つれーよな」「頑張れよ」ってな感じで連帯感がそこはかとなくあって、それが面白いです。

 あと、オーストラリアは職業によって人を見下したり、見上げたりってのが殆ど無いからやりやすいです。僕自身の感性と同じなので。てか、オーストラリアにおける尊敬される人間像というのは、開拓民時代の額に汗して大地を開墾する肉体労働者であり、それこそがフェア・ディンカム・オージーであり、トゥルーブルーであると。今では、やっぱボランティアやってる人が尊敬されるし、いかに儲けてるかではなく、いかに人々の幸福に貢献しているかこそが語られる、ある意味、人としてまっとーな社会なんで、やりやすいです。

 でもなぜか日本って妙に職業ヒエラルキーみたいなのを気にするでしょ。僕自身、受験時代は世間的には虫ケラ扱いされて、合格したらいきなり「先生」呼ばわりされて、エレーベータのように上がったり下がったりしたので実感あるけど、「なんだ、こいつら?気持悪いな」って思ったもんです。もっとも日本人の本当の姿は心の優しい人が多いから、思ったほどそんなに実害ないですよ。みんな結構ちゃんとわかってると思うわ。でも、たまーに、ヘンなのがおるから雰囲気濁るんだよね。多分、自分に自信がない奴なんだろう。自分が生きていくだけなら自分の価値観いっこあれば十分なんだけど、それでは心もとないのか、なにかと世間体とか借り物を使うという、ははは、つまんねー野郎だ。

 あと、気になる給料ですけど、今のところ時給で27.41で、今度又改訂されてなにか下がるみたいですね。まあ、多少の増減などどうでもいいけど。でも、イースターのときにぽっと仕事入ったんだけど、そのときには、パブリックホリディ時給で2.75倍になるのか、時給60ドルになってびっくりした。6時間やって(30分は休憩)で330ドルだから凄いなー。


 もっともパブリックホリディなんかオーストラリアは少ないので、年に数日しかないですけどね。そうか、それで皆ウキウキしてたのね。今日何時間やるの?って聞いて、「今日は9時間なんだよ」と嬉しそうに言ってたのもわかるわ。9時間やったら休憩差っ引かれても8時間だから、一日480ドル入るもんね。ウキウキもするよね。

 あ、でもその前の週に3日やったんだけど、そっちの方はなぜか給与が払われず。おっかしーなーって。ま、なんかの手違いでしょ。連絡して、やってもらってますけど、どうなることやら。ま、その程度の、アドミニやシステム系の hiccup(しゃっくり)は、こっちで暮らしてれば別になんとも思わなくなるけど。

仕事と本業

 バイトなんか学生時代以来なんで、新鮮でいいです。
 お金手っ取り早く稼ぐなら、雇われ仕事の方が全然楽。これだけのお金を起業して稼ごうと思ったら、まあ準備構想段階から含めたら時給30円くらいの覚悟はいりますから。

 ただ、100%これだけだったら、やっぱ厳しいものあります。バイトだからいいってのはある。バンドやってる奴が居酒屋で働くようなもので、「本業」は別にあると。でも本業はそれでは食えないのが普通。というかですね、本当に自分のやりたいこと、納得いくようなことをしようと思ったら、世間にある金稼ぎ職業では狭すぎるし、小さすぎるから、基本、無理だと思います。絶対はみ出してくる部分があり、そのハミ出した部分こそが美味しいし、やり甲斐になる。だからそれでは食えないくらいが当たり前。

 僕がやってるのも、好きでやってる本業に経済実利まで入れてくると煮詰まったり歪んだりしそうだから、分離しましょうってことです。やりたいことはAPLaCでちゃんとあるし、面白いから時給ゼロでもやるし、時給マイナスでも嬉々としてやりますよ。「やりたいこと」ってそういうもんだし。

 それを全うしようと思ったら、経済面は別個考えないといけない。それはそれで難しい。でも難しいからこそゲームとして面白いわけです。これが実家暮らしで家賃要らないとか、誰かの資産でとかやってると、なんか反則みたいで詰まらんじゃん。いや他人がやる分には別にどうでもいいんだけど、いざ自分のゲーム設定でいえば詰まらん。一人前じゃないっぽくて、なんかそこがイヤ。全部ゼロから自分で作らなきゃ面白くならない。生活収支だけでも大変なのに、その上に無理やり捻じ曲げて、遣り繰り算段かまして、好きなことをやる時空間をひねり出すからこそ面白いんでしょうが。

 ということで、あれこれバイト三昧やってるわけですが、面白いです。こうやって純粋にきゃいきゃい面白がってられるのも、年食ったからだとは思います。過去にやることは全部やったしって気分もあるし、今やってることに、なんか必要以上に意味付けをしようとか(○○やってる俺は凄いみたいな承認欲求みたいな)のが無いからでしょう。

 大きな戦略に立ち返れば、どこに行っても、なんでも出来る程度の自分を作っていくことが大命題。どんな仕事でも、肉体的にきつかろうがなんだろうが、ある程度は出来るという事実と自信が欲しいなということですね。清掃とトロリーやってりゃ、日本の漁港で、「おい、新入り、これ片付けとけ」とか言われても「わっかりましたあ」って出来るし。そのご褒美は、お金もあるけど、もっと大きな人生の自由。どこにでもいける、なんでも出来るって。数千あるこの世界の職業のわずか一つか2つの本業しか生計の資を得るすべがないのって、めちゃくちゃ狭いじゃないですか。そんな戦略、賢くない。いかに本業にこだわらず、なんでも出来るようになるか、なんでも楽しめるようになるかでしょう。そうなれば、どこにでも行けるし、僕はどこにでも行きたいし。

 「どこでも何でも」って間口の広さと汎用性を考えたら、力仕事が一番お得。壮健だったらいいわけだし、壮健であることは金稼ぎを離れてみてもQOLにおいて重要だし、やっておいて損はない。ホワイトカラーは、もともと絶滅危惧種だし、これからどんどん人件費削りたい企業としては高給取りを潰したいだろうからお先短いし。またスキルとキャリアがみえにくいから敬遠してます。現場系は、モノ相手の仕事が多いから、スキルもキャリアも見えやすく汎用性がある。国や時代が変わってもけっこう通用する。でも多くのホワイトカラーは、とある特定の企業という組織体内部の「やり方」「人間関係」という論理則やアルゴリズムで動くので、汎用性が少ない。カイシャが変わったらもうダメみたいな危うさがあります。それにピンチヒッター的で、カジュアルな職種も少ないから、自由度が低い。

 それに将来展望でネットワーク活性化させて、なんかやってってときに、出てくるのは力仕事系だと思うのですね。「とりあえず、これ、片付けちゃおっか〜」みたいな局面。デスクワーク系の、企画立案事務処理は、もう出来るし、大した負担でもないです。つまんないだけで。それより、「ちょっとそっち持ってて」「せーの」みたいなこと、体動かしてなんぼ、スタミナ命、腕力命みたいな世界ね。別にそこに特化しなくてもいいけど、それが苦手や弱味にならない程度の強靭さはいるでしょう。そこが苦手になってると、選択肢狭まるし、自由度が下がるので。

お手本

 そういえば人生のお手本のような身近の実例があります。二人おって、一人はいっとき時代の寵児的にマスコミとか出て、大企業の契約ばんばん入って年収数千万とかいってたんだけど、稼いだ金をキャバ嬢に注ぎ込んで、でも一つ歯車が狂ったらもうダメで、最後はどっかの木賃宿で栄養不良で死んだ。ま、餓死ですね。もうひとりは、もっと凄くて年収8000万くらいいったんだけど、大企業の内部のなんたら抗争に巻き込まれて失脚。日本の大企業の上の方ってヤクザみたいだしな。奥さん子供養うために、道路工事に交通誘導員までやって頑張って。ここで、頑張れるところがマジ尊敬なんです。えらいな、そうでなくちゃなと。周囲もそう思ったのか、もともと切れる人だったんで、故郷で引き合いがあって今はなんかエライさんになってるようだけど。

 人生に当然波はありますけど、その波によって海の藻屑と消えるか、その波を利用して新しい方向に進めるかは本人の甲斐性でしょう。いっとき絶頂で、それで死ぬまで絶頂のままって人、僕そんなに見たことないです。鳴かず飛ばずの実直低空飛行はありますけど、上なり面白さを望む分だけ、下にもブレると覚悟はいりますよね。僕もオヤジも、何回職業変えたのか数えきれないくらいだけど、場合によってはタクシーの運ちゃんやったり、資格とってボイラーやったりしてしのいでて、それもお手本になってます。

 ただし、下にぶれてるときこそが飛躍のチャンスでもあるのですよ。そこをそう思えること。「もうだめだ」で落ちこないで、何とか出来ないかを考えて考えて、そして考えたとおりどんなことでも黙々と実行できること、そのメンタルの強さが一番大事かもしれません。

 そしてその強さはどこからくるの?といえば、「面白い人生を過ごしたい」という根っこにある願望の強さ、欲望の強さだと思います。その強さこそが生命力であり、しぶとさであり、メンタルと行動を支えるのだと。



文責:田村


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