今週の一枚(2017/08/28)
Essay 840:永住権と混合ノマドシェア方式
写真は、Paddingtonのフリーマーケット
今回はちょいシリアスに中長期の展望を見直してみようかと思います。
そう思った理由はいくつかあって、一つはここのところHPのコンテンツの更新をやってたのがキッカケ。リンクとか統計とか調べなおしているうちに「はー、なるほどね」と思ったのが一つ。
もう一つは皆さんとのお話、ここんとこ連日のように誰か来訪してくださって毎日がオフみたいに楽しいんですけど、ぶっちゃけ将来に対してかなり見通しが立たないなーって話になります。皆さんこっちで日々楽しくやってて、顔も明るいし、幸せになるのにそんなにお金はかからないということも分かったし。だけどそれを帰国後の日本でどう実現するか?どんな仕事をしたいか?とかになると、見えなくなるという。
この二点は微妙に連動してます。
例えばなにか良いものを作って、良心的に世に出そうとします。それは面白い仕事です。でもなかなか採算ベースに乗らない。例えば、自分の料理屋をやる場合、食材や調理法に心を砕いてやってると、どうにも値段が高くなる。利幅を極限まで薄くしてもやっぱり「激安」ってわけにはいかない。一方で、変なモン入れて、混ぜものして、でもパッケージと宣伝に金をかけてる方が売れるという。それでもその昔はモノを見る目のある人がサポートしてくれたけど、だんだんと皆もそんなお金を遣う余裕がなくなってきているから立ち行かなくなっている。
ここでグラフを。
左端はネットやツイッターによく出回っているもので、1997年から20年間の皆の実質賃金が「うなぎ下がり」している図です。
ただ、惜しむらくはこのグラフの出典と作成者がわからないので鵜呑みには出来ない点です。一応、公的な毎月勤労者統計って書かれているのですが、実際にそれを当たってみても、なにしろ資料が膨大で原典確認ができませんでした。、その中の何ページ目のどのタイトルの資料のどの数値から引っ張ってきてるか分からないわからん。せめて作成者だけでも明らかにしてほしかったです。あと印象操作じゃないけど、この目盛りをいじくるだけでもだいぶ印象はちがいますよ。これって350-450のレンジでグラフを切ってますけど、0-1000くらいのレンジでグラフを作ったら、変化はだいぶひらべったくなって「微差」に見えると思います。もっとも、全体的に賃金が下がっているんだなーという大きなトレンドは合ってるかな。
真ん中と右端は、どなたかのブログで、「正社員の基本給が全然あがってないですけど」という記事にでてきます。内容的にもかなりしっかりした論稿ですので信頼できると思います。正社員限定での賃金経過と、家計の支出額の推移ですけど、一昨年くらいからはっきりダイブしている傾向が読み取れます。正社員ですらこれだけ賃金が下がれば、財布のヒモも固くなるよねという。
まあ、暗い話には僕らももう慣れっこですから、「またかあ」って感じかもしれないですが、しかし、これは景気の問題じゃないと思います。てか、政府大本営の発表では景気は良いことになってます。企業業績とかGDPとか、失業率が、雇用が〜とか「バブルを超えた」とか、言われてますよね。本当かよ?って気がしますが、その統計を取ってみればそうなんでしょう。そんなに皆の懐が豊かならば、なんで最近になってイオンやIKEAが大値下げ攻勢を取るのか、格安スマホやSIMなど値下げ系がトレンドになるのか?おかしいだろ?って気もします。でも、ここではそんな真贋話をするつもりはないです。
あるいは健康保険の料金。会社系ではない一般の国民健康保険の算出の仕方は異様に複雑です。試しに自分の親が住んでる京都市で調べてみたんですけど、「所得割が各保険合算(医療8.67、支援2.71、介護2.53)13.87%。平等割が一世帯あたり18,120円(医療)+5,730円(支援)+4,810円(介護=40-64歳がいる場合)の合計2万8660円、均等割が一人あたり(世帯ではないから人数分掛ける)25,810円(医療)+8,160円(支援)+9,120円(介護、いる場合)で合計4万3090円」になります。
まずこの意味が分かる人が少ないと思います。均等割とか所得割ってなによ?でしょう。僕もそうです。わかりにくすぎる。自省も含めていえば、日本人、特に男性、そして特に会社に全部やってもらってるサラリーマンは、こういうことに関しては異様に無知です。でもねー、ここがわからないで天下国家や政治を論じるのはナンセンスだと思います。プロ野球みたいに買った負けたをやってるだけが政治じゃないし。
しかし、よく考えるとかなりの額ですよ。平等割は世帯あたりだけど、介護保険は40歳以上の人数分×9,120円です。所得割は13.87%に所得額(-基礎控除33万)だから、年収300万だったら約37万です。40代の女性ひとりだったら、合算すれば年間37万(所得割)+2.86万(平等割)+4.3万でざっと44.2万円くらいになる。40歳以上の年収300万の一人暮らしの女性から「保険料だけ」で年間44万って「取り過ぎじゃないか?」って僕の感覚では思います。これだったら高い海外保険入って外国にいたほうがマシじゃないか。ユニケアだったらもっと安いぞ。しかも、ほかに所得税があって、地方税(市町村民税)があって、国民年金があって、厚生年金があって、失業保険があって、NHKの受信料(衛星だったら年間2.5万)まであるんですよね。ヤマト朝廷の租・庸・調と変わらん。
一方、たまたま前に調べていた2011年千代田区と2017年を比べると、「所得割合算8.86%、均等割年額5万3100円」→「10.79%、6万5100円」に上がってます。
またちょっと前の値上げラッシュとFBの記事でも書きましたが、郵便料金から、公共料金が値上げラッシュに入ってます。どさくさまぎれに発泡酒イジメのための酒税まであがってる。
もうそんな犯人探しやって、怒って、嘆いてそんで終わり、なんてぬるいことやってる場合じゃないんじゃないの?と思ったのです。だってさ、「犯人」が見つかっても、それが正しい保証はないし、仮にそれが正しいとわかったとしても、だからといって皆で武装蜂起してぶっ殺せって話になるわけでもないし、それはそれで問題だろ。そして大体が犯人は「一部の連中」って話になるに決まってて、そいつらもアメリカの、そのまた「一部の連中」に操られて〜って話が茫漠と広がっていくだけです。そういう視点で批判的に考えることはとても大事だし、機会があれば(選挙とか個々の話題とか)それを言うのは大きな意味ありますよ。でも、それだけじゃ足りないわと。
なぜって、今までがこうなら、これからもこうだという可能性が高いからです。今がどん底でここから奇跡的な爆発的回復が始まってなんてことは無いでしょう。無いと仮定した方が良さそうだ。いや、今よりももっともっときつくなると考えたほうが良さそうだ。その場合、愚痴るとか怒るというリアクションは、事態の打開に対してそれほど有効性を持たない。
じゃあ、どうするのか?です。
とにかく、それほどお金がかからなくても楽しく生きていけるシステム、前から言ってるセーフハウス構想ですが、これを前倒しに進めていった方がいいなと思いました。
だけど、それだけじゃないです。目を転じてみれば、オーストラリアだってヤバイぞと。
The six charts that prove why workers are feeling the pinch という記事でも分析されてますが、インフレ率は確かに低いが、賃金上昇率はもっと低い。民間部門で特に低い。結局インフレ率に追いついてないから生活は苦しくなってる。一方では生産性はあがっている、でも首になったりすることを(オージーですらも)恐れるからその分貰ってない。GFC(リーマンショック)の際、たまたまオーストラリアは鉱山ブームによって救われたけど、それも終わったら、世界並みになって、国内収入の労働者の取り分(Labour's share of total income)は、ここ半世紀で一番低くなってきている。
これは生活実感としても何となく肌で感じる。レストランとか物凄い勢いで新陳代謝してるし(てかすぐ潰れる=たぶんレントが高すぎるんだろう)。特に今年に入ってからがそうで(これは日本もそうだなー)。先日もジャパレスの経営まで携わっておられる人と話したけど、「どうしたんだ?」というくらい客が減ったと。つい先週も週日にディナーを食べにいったけど、大丈夫か?ってくらいどこもお客さんの入りが少なかった。
これは世界的な傾向です。なんでそうなるか?は比較的簡単。先進国がこれ以上「先進」できなくなったので「停滞」国になったということでしょう。それまで独占でやっていた美味しい分野も、どんどん後からきた国に侵食されていく。それで頑張ろうと思ったら経営効率化し、生産性をあげるわけだが、「生産性を上げる」って怖い言葉で、要するにITやロボットでクビにしていくか、今まで以上にこき使って給料以上に働かせるかという。
仕事それ自体はあるんだけど、どんどん割が悪くなっている。介護業界みたいに猛烈に人手不足なんだけど、労働環境がよくないから誰もやりたがらないという。全体にそうなっていっていると。なのにどうして年金などが上がるの?といえば、少子高齢化の人口構成上、算数的に当たり前の話で、これも避けられない。
一方、それを補うように、GFC以来各国が金融緩和で緊急輸血を続けて、日銀なんか死ぬほど国債抱えて、マイナス金利までして、それだけ資金を大量に放出している。それを運用して儲けるファンドは、なんとかして運用しなきゃいけないから実体経済から離れて市場が幻想的に過熱する。それでなんとか金が廻ってる感はあるんだけど、基本大バブル(実体に基づかない膨張)だから、いつどうなるかわからない。もうなんか高度が上がりすぎちゃって、とてもソフトランディングなんかできそうもない感じなんだけど、どうなるんだろ?もし「ガラ」がきたら、皆が抱えている虎の子の金融資産(貯金とか)も固定資産(不動産とか)など、真夏の炎天下のアイスキャンディーのように溶けてしまうでしょう。他にもいろいろ懸念材料があるんだけど、このくらいにしておきます。いずれにせよ、安泰だってわけではないと。
それをキッカケにつらつら考えて見るに、今までも後から来る人をどうお手伝いしたらいいか?で、一括パックとかやってましたけど、もっと展開した方がいいなーと思いました。これが冒頭で書いた中長期的展望にかかわってきます。
いくつかポイントはあるんですけど、大きく分けるとふたつ。
(1)進入路をもっとわかりやすくする
(2)永住権を取れ(ら)ない場合にも備える
(3)日本との相互連絡を密にする
特に最初の家の契約と、シェアメイトを募集して家計を助けるやり方は、はっきりとノウハウありますから。教わる価値はあると思います。また、お金もらった方が、いい加減なアドバイスはできないという気合効果もあるし。
ただ難しいのは457から186に上がるところです。一つはIELTSが6点になったことです。これは結構キツイです。まあ、実際の現場では8ですらしんどく、6など幼稚園レベルなんだけど、それでも英語初心者からしたらそびえ立つような壁です。でもって、457までいってしまうと、本当に忙しいから英語勉強してるヒマが無いのですよね。実際にはこれが大問題になるのです。ここがついにダメだから結局ダメでしたって話をどんだけ聞いてるか。
もう一つは、457もMLTSSL(これまでのSOLで数が少ない)とSTSOL系(CSOLで数が多い)では違って、なかなかMLT(SOL)ドンピシャは難しいからST(CSOLが多いところ、ST(CSOL)は期間が2年で、更新は一回のみ。MLT(SOL)は4年で更新アリ。でもって、いずれにせよ3年の同種仕事経験がいるし、また過去3年間のオーストラリア滞在条件が要る。
だとしたら、ST(CSOL)で457を取る前に、まずオーストラリアに滞在し、できれば同種仕事経験も得ておく、そして一旦ガチに働き始めたらもう英語をやってる余裕はなくなると見るべきだろうから、それまでに英語を目一杯あげておく。出来れば、最初に英語をやっておいて何年かけてもIELTS6レベルまで持っていって、その過程で徐々に仕事モードに入っていってという組み合わせが良いかと。最初からいきなりST(CSOL)で457取っちゃうともっかい更新できないと、年数(3年)足りない、英語も足りないってことで、行った先で行き止まりになる。そのあたりの見通しとかははっきりさせておいたほうがいいかなーと思いました。
まず永住権のメリットですが、オーストラリアのゆとりのある環境(自然的にも人間的にも)で幸せになりやすいという点があります。これが一番大きなポイントです。ただし、これは永住権を取らなくてもいいです。存在するだけ、生活するだけでいいんですから。
第二のメリットは、低所得者に対して非常に優しい点です。年収2万ドルくらいだって別に生きていける(2万ドルも稼いでいるワーホリ・留学生も少ないでしょ?)。給料の場合、PAYGで源泉徴収で取られますが、タックスリターンをすればかなりの部分取り返せます。そして、それ以上の負担がない。厚生年金(スーパー)は全額会社が負担するし、保険料は税金とコミになっている(Medicare Levyは課税所得2万1655ドル以下だった免除)。ほかには何もないです。だから無収入だったら、払うのは消費税だけです。
でも日本の場合は違う。無収入でも年金はくるわ、保険料はくるわ、住民税はくるわ、もう住んでるだけで罰金のようにかかってきます。僕も、いよいよ親がボケたら一時的に帰らなあかんかなーとは思うものの、帰って住民票入れただけで、自動的に年金やら保険料やら住民税やらかかってきますから、実家で介護してるだけでも年間数十万円の支払い義務を負う。なんだこれは?と思いますよ。ちょっと働いたらなんだかんだで年間100万くらいいくでしょ。10年で一千万、30年で3000万。老後の資金が3000万とかいうけど、老後も何もただ存在するだけでそのくらいコストがかかる。そして将来的にはおそらくもっとかかるでしょう。仮に戻っても住民票入れたくないなーとか思っちゃうもんね。
その他、オーストラリアの場合、基礎年金は掛け金制度じゃないから永住者には普通に出るし、子育てとかその種の手当は日本よりもずっと恵まれてます。つまり、オーストラリアの永住権のメリットは、この種のライフ・コストが低いという点、あくせくやらずのんびりライフ、プアでも充実しているプア充ライフをやろうと思ったら、日本よりもかなりやりやすい点です。
デメリットとしてはレントが高い点ですね。その他のリビングコストは意外と日本よりも安いかもしれない。食材とか豊富でしっかりしてるし、無料でいこえる公園や自然がやまほどあるし。
それ以上に、精神的にハードですね。何の展望もなく、あくせく働いて、食って終わりってだったら人間腐りますよ。虚しくなってパチスロとかやりだしたり、手っ取り早い刹那的な消費に走ったりすると、とにかく金がかかるようになるから、クレサラ→闇金→地獄へ落ちます。つまりね、日本の場合のデメリットは、究極的にはメンタルなんだと思います。
オーストラリアみたいな生き方が日本で出来れば、やりくりはしやすい。しかし、このメンタルを維持をするのは、ある意味では至難のワザです。人間、展望や希望がなかったら、すぐにスサみます。それはもう数時間で早くも腐臭をたてるくらい、あっと言うまです。だからこのメンタル対策が非常に重要だと。その対策としては、とにかく一人になったらダメで、いつも誰かと喋ってるくらいでないと。もう一つは、「泣く子と地頭には勝てぬ」でお上の鬼の取り立てがあるので、それをどうしのぐか、です。このあたりが課題になるだろうな。
(1)ライフスタイルをあんまり固定しない方がいい、
(2)一人でやるよりも複数人でシステムを組んだ方がいい
ってことです。
(1)は、固定すると安定はするのですけど、それが永続する保障はどこにもないから、やっぱり将来への不安は消えない。また、固定してしまうと閉塞しがちで、仮に恵まれたポジションについたとしても「一生これかー」と思ったら詰まらんのですよ。だから変化させる。少なくとも変化しうるという余地を十分に残しておく。これが最大のメンタル対策になると思います。変化(可能性)なくして希望なし、です。
そのためには、日本とオーストラリア、あるいは世界のいろいろな場所に、皆で協力しあって、とりあえず3ヶ月暮らせるセッティングをたくさん仕掛けておくといい。手ぶらで出かけて行って、行った先で「じゃ、これやってね」という生活(稼ぐことも含む)一連のダンドリと物資が用意されており、行ったらそれをすればとりあえず生きていけるようにする。それを増やしていく。順繰りに廻ってるだけでも楽しいし、楽しいように組む。
でもこれは一人では出来ないから、有志が手分けして各地で行う。
日本に関して言えば、今自分の住んでいるところや知り合いの空き家をお借りして、そこでAirbnbでも近所の手伝いでもなんでも、とりあえず暮らせるくらいのところまで立ち上げて、セッティングする。信頼できる人が後釜に座って、スーパーバイズしたら切り盛りできるくらいにする。
今はネットがかなり便利になってます。スカイプもそうですが、”ZOOM”などでは気楽に集団で会議もできるし、携帯アプリでやれば、家の中を歩きながら問題の箇所を示して、「ここ、どうしたらいいですか?」とか画像つきで聴けます。なにか問題があったら遠隔地のスーパーバイザーに入ってもらって話をすることもできる(と、カミさんに教えてもらいました)。
オーストラリアの場合は、レントが高いこともあるから空き家活用は難しいけど、その代わり、シェア経営はしやすい。実際、中国人とか何件ももってシェア運営だけで食ってたりします。一種の不動産ビジネスです。それを作り上げてしまう。永住権は無理だけど、避難地、保養地、冒険地としてオーストラリアに関わっていたい人、ヒマはないけどお金は多少ある人、お金はないけどヒマはある人、上手いこと組み合わせたら、多少離れたところに大きめの家を借りて、それでシェア広告で人を入れて、自分も住むというやり方もあるでしょう。このあたりのシェア経営のノウハウは先程述べたように家族移住をされてきた先輩たちがいるので教わればいいし、スーパーバイズしてもらえばいい。
そういったものを日豪はじめ世界各地にたくさん作っておく。最初から「たくさん」なんて無理だから、ぼつぼつでいい。一週間だけでもいい。とりあえずやってみる。でもって、あらかじめ話をして、手ぶらでそこにいったら、3ヶ月(別に3という数字に大きな意味はないが、とりあえずオーストラリアの観光ビザの期限でもあるし、手頃なサイズでもある)住めると。そこでAirbnbの管理人やるとか、シャアハウスや空き家ハウスの管理人やってフリアコ(雑用と宿泊のバーター)にしてもいいし。
このシステムがある程度動いたら、もはや永住権は絶対的なものではなくなります。だって観光ビザで入ってくるだけだったら何度でも入れますからね。そりゃ連続してずっとというのは無理だけど、3ヶ月単位でいける。行った先で、居場所があって、やることがあれば、滞在費はかなり安くなるし、うまくすればトントンくらいにいけるかもしれない。
日豪を問わず一番簡単なのは、ハウススワッピングといって、シドニーの僕の借りてるスペースと、日本のどっかであなたが借りてるスペースを1ヶ月だけ交換するという方法です。どちらも無料で居場所がゲットできるし、留守番その他も任せられる。あとは行った先で何をするか、です。ならばこれを3つも4つも作っておいて、別に誰も住んでないけど行けば住めるような状態にしておいて、、、ってやる。
これは結構大事なことだと思います。
結局、自分はミュージシャンだ、画家だ、役者だ、作家だ、○○だって思えたら、その活動をすること、傑作を作ること、携わることが自分の一生のストーリーになります。別にそれはプロでなくてもういいし、職業でなくても構わない。ただ、「○○である私」というアイデンティティをしっかり持つこと。それが出来たら、目先の失業だ、金がないだとかいうのも、補助的なものでしかないことが分かるから楽になれます。まあ、大変なんだけけど、それは「活動しにくくなった」だけの話であり、本体そのものである「○○活動」そのものは全く傷ついてないですからね。そう思えたら、凄く楽になれると思います。
そしてこのライフワーク的なことが出来たら、ノマド的にあっちゃこっちゃ行くことに抵抗もなくなると思います。また活動や仕事の連続性もキープできますしね。
もう一つ実践的な意味でいえば、将来に日本でなんかやるにしても、将来的に日本において有望なマーケットになるのは外国人(訪問者)であろうから、英語と「外人慣れ」することです。故郷の実家でAirbnbにせよ、Vayable(個人ガイド)をやるにしても、ある程度しゃべれないと話にならんし、それ以上に「通じさせるコツ」「うまくやっていくノウハウ」を身につける必要がある。英語を知識技術として学ぶのが半分だとしたら、この「慣れ」が同じかそれ以上の比重を占めるでしょう。車の運転と同じですね。教習所レベルだけだったらダメで、やっぱ自分で路上慣れしないといけない。
多分、どんな資格や技術よりも、この部分が将来的に一番意味を持ってくると思うし、実際にお金になりやすい部分だと思います。
ただ実際、部分的には成功してるのですよね。それが今回の日本帰省のオフでした。のべ人数でいえば7-80人くらいと会ったけど、そんなに金かかってないのですよね。でも質(楽しさ)はかなり高い。東京でも十数人が5時間位ゆったりいれる会場借りて会場費1万円、津でも空き家を二棟まるまる借りて1泊二日で1万円、京都もゲストハウスを半日借りて出血サービスで、だから一人あたりにしたら500円とか千円で遠足のおやつくらいのコストで済んでる。津の一泊なんて、あれと同じことをどっかの旅館借りてやろうと思ったら、まず時間的に出来ないこともあるけど(チェックイン、アウトとか)、最低でも一人1万円前後はいくでしょ。それが1泊千円で住んでるんだから、全員分合わせたら十数万円くらい浮いてる(儲けてる)わけですよ。それで質は10分の1に落ちてるかといえば、むしろ上がってる。この「魔法」ですね。なんとなく出来ると思ってたけど、実際やってみて、あ、やっぱ出来るわ、それもいとも自然にという確認作業。
この魔法の本質は、いや魔法でもなんでもないんだけど、煎じ詰めれば、お金と楽しさは全然比例しないというシンプルな原理です。そんなの幼稚園の頃から知ってたけどさ。じゃあお金は何のためにいるのか?といえば、最低限の潤滑油的な部分と、圧倒的大多数は生活維持コストという技術的な部分です。話が技術的なことなら、ドライにメカニカルにやり方があるはずだ。
そして、その楽しさの本体部分は、貨幣経済でもなければ、「消費」でもない。全ての人生の意味がお金によって意味づけられるのではなく、生産(仕事)でも消費でもない、単に「生きる」ということでありたいですし、前回のオフは確かにそうであったと思います。
理論的な正邪を言うなら、そもそも戸籍や住民票制度そのものがシステムとして不完全で、世界でも極めてマレ。オーストラリアにはそのどちらもないけど別に不自由なく廻っている。戸籍の本籍地なんか何の意味もないし、グローバル時代とかいいながら外国人の配偶者を書く欄もない。住基ネットとかマイナンバーとか膨大な税金使って大した役にも立ってない。あれだけ大騒ぎしておきながら、戸籍謄本くらいオンラインで取れるとか、クレジットで申請料払ったら証明番号を発行し、それを提出先に告げれば良いとか、一定の要件を満たす人には必要な限度で開示するとか、オーストラリアのビザのVEVOみたいなシステムもない。やろうという気配もない。ひたすら個人情報を集めるだけ。「やらずぼったくり」とはこのことだ。他方、年間失踪者、行方不明者が数万人、累積すれば数十万人以上。戸籍では未だに江戸生まれの人がいたりするしね。戸籍のロンダリングも戸籍の売買も、その筋にかかったらいともたやすく行われている。後生大事にありがたがってるこのシステムが、一体どんだけポンコツか?
社会保険料だって、どうして自治体によって2倍以上の格差があるのか?そこには色々やむを得ない理由、技術的な理由もあるのはわかるが、これを放置しておけば、お金に賢い奴ほど住民税や保険料が安い自治体に引っ越すだろう。引っ越さないまでもそこに何らかの拠点をおいて住民票だけ移してしまえばいい。パナマに持ってってるくらいなんだから国内操作など屁の河童だろう。かくして日本全国で戦国時代に逆戻りのように、各自治体間に勝ち組と負け組の格差が出てくるし、もう現実にそうなってる。
てか、そもそもそんな統治システム、いつまで保つのだ?「統治」出来ているのか?年金も介護保険も将来的に持続できるのか?という根本的な疑問があって、破綻することがかなり見えてながらまだ保険料を徴収するなら、未必の故意による詐欺か恐喝でしょうに。ま、そうなることは数十年前からわかってて、それでも放置してきた全員の連帯責任なのはわかりますけどね。でもなー、もうオープンする見込みのないゴルフ場の会員権を買わされるような話で、釈然とはせんですよね。月1.65万でも年間20万円、10年で200万円、30年で600万円だけど、過去の例でいけば30年で2倍になってるから30年で1000万近く。20歳の人が75歳で貰うとしたら55年もかけつづける。その頃には85や95歳受給になってるかもしれない。
そのあたりの理屈は幾らでもあるけど、要は、一方的に踏んだり蹴ったりってのは馬鹿馬鹿しいってことです。相手(国)は北斗百裂拳のように、あたたたたたと撃ってきますから、こっちはこっちで合法的に許される範囲で最大防御をするべきであると。さらに、自分(ら)がやってることが何らかの公益に資するならば(大抵の場合は実はそうだったりする)、それをNPOとして補助金や助成金を申請するとか積極的にやってもいい。こういう制度って、お金が余ったりして、予算消費のために形だけくだらないところに使ったり、賢いヤクザがちゃっかり取ったりしてるもんで、それらを未然に防いで、本当に世のために人のためにやればいい。先にライフワークを見つけると書いたけど、ライフワークって、たいてい世のため人のため系が多いですから。自分が気持ちよくなるだけだったら快感度は低いですからね、他人を幸せにしないと深い快感は得られませんから。
それに永住権取れたら勝ちで、取れなかったら負けみたいな二分論には昔から異議があって、そういうことじゃないだろうって思ってます。ただ、そーゆーことじゃないなら、どーゆーことなんだ?ってところで「こんな感じにやればいいじゃん」ってのを作っていきたくなったと。なんとなく材料はだいぶ揃ってきた感はあるので、あとは調理。前は30年がかりでやればいいやみたいに思ってたけど、もっと前倒しにして、出来るところからやっていこうかと。
なお、今の国家システムが革命的に崩壊するとは思いません。ベネズエラみたいにヘリが最高裁のビルを攻撃なんて分かりやすい展開にはならないでしょう。多分ねー、僕が思うに、学級崩壊みたいになっていくんじゃないかなー。人望のない教師の授業みたいに、あっちこっちで私語をして、勝手に席を立って出てっちゃう奴もいて、、って感じ。だからガラガラという崩壊というよりは、す−っと溶解していくとか、パラパラと表皮から剥離していくみたいな感じね。それでも形は残るだろう。でも実質は空洞化していくでしょうね。少しづつ居住者が減り、少しづつスラム化していく古いマンションのように。
あるいは、18世紀くらいまでの人々の感覚でいえば、今や地球レベルでこれだけ見渡せるようになったら、もうとっくに全体で一つの国みたいなものになってるんじゃないかな。そうなると世界連邦か?って話になるんだけど、そうはならないのは全然統治できてないから。たぶん日本六十余州と言われてた頃とか、無数の小国に分割されていた中世から近世のドイツみたいな、そしてそのエリアの中で個性のあるそれぞれの小集団が割拠してるという。
そしてその集団の構成単位が今まで(主として領土)とは違った原理で成立していく気がする。たまたま同じところに生まれたからって、なんでこいつらと人生重ね合わせて一蓮托生でやってかないといけないのだ?という非常に根本的なところで疑問が生じていると思うのですよ。ネオナチとかネトウヨとか見てると、なんでこいつらと同じ人生ユニットを組まないとならんのか?組んでなんのメリットがあるのか?と。
その中で、これまでとは違ったシステムを個々人で模索して作る時代になってるのかなーと思います。
どっかの国に生まれたら、そこでの生き方を完コピしていけば、用意されたセットメニューを食べていたらOKですよ、日本だったら日本定食、オーストラリアだったら豪州定食でバッチリさ〜って時代じゃないと思う。そして永住権=豪州定食みたいな捉え方をしていたら、それは違うと思う。セットメニューが日に日に意味を失っているんだから。永住権という「環境」「道具」をどう活用するか?であり、何のために使うか?であり、またその道具を自分が持ってなくても、誰か他人のそれをシェアするなり利用するなりってやり方もあるだろう。
まだまだあるけど、長くなったのでこれで切ります。おつかれ。
可愛らしい女子高生が表紙になってるから、その系統かと思いきや、内容はかなりディープなサスペンスです。そして、それ以上にテーマがすごい。臓器移植です。それも医学倫理的に脳死がどうのってレベルの話ではなく、この世で一番ダーク度の高い、臓器売買ビジネスの暗い闇を描こうとしています。
と同時に設定とストーリー展開が複雑に入り組んでます。徐々に明らかにされていってることもあって、書いている僕も明確に把握しきっていません。まず、財閥の係累として生まれた崇と、数奇な運命に生まれた主人公である環(たまき)がいます。崇はまだ大学生ながら抜群に頭がキレて財閥を乗っ取ろうとすると同時に、環と組んで臓器売買ビジネスをやります。こういうと外道のようですが、脳死は否定し、その代わり生きる価値のない殺人犯で再犯可能性が確実レベルに高い人間を探し出して臓器を抜く。一方、女子高生である環は、生まれながらに感情がほとんどなく、同時に天才的なメスさばき能力があるので、淡々と臓器を摘出するというぶっ飛んだ設定です。
これに切なく絡んでくるのが、英(はなぶさ)先生という若くて純情な医師ですが、心臓移植をする幼いころの環の主治医であり、環が唯一心を開いている光明のような存在。しかし、英先生は勤めている病院のダークな一面を知ってしまったことから事件に巻き込まれ、今ではモグリの医師として生きています。
これに闇勢力がかさなってきて、一つは日本側。政財界の大物が秘密の幼女売春組織とかかわっていたというスキャンダルが過去にあり、これを暴こうとして殺されてしまう刑事、その恋人で志をつごうとする女性刑事。逆にこれを隠そうとする勢力もあり、現役刑事であり、且つ崇の臓器売買の片腕になってる加藤という存在があります。
さらに中国側の闇勢力があります。黒社会が「優秀な日本製」である健康な日本人の臓器を買い付けに来て、闇社会の日中対立なり、その黒組織のボスを殺して乗っ取る在留三世がおり、でもそいつは実は日本側のスパイであり、でもってさらにその上の中国政府の高官がいるという。かくして誰が誰とどう絡んでいるのか、そしてスパイがいて、ダブルスパイがいてという、かーなり複雑なストーリー展開になるのですが、全体がわからなくてもシーンごとの展開が面白いので読ませます。
臓器売買といえば、これは他のなにかで読んだのですが、今は技術(摘出技術、保存技術など)が進んでしまったので、以前よりももっと現実的に儲かるビジネスになってしまっていると。昔だったらかなりの好条件が揃わないと移植なんか無理だったんだけど、最近ではかなり出来るようになっている。だから恐ろしいことに採算の合うビジネスになりつつあるとかないとか。以前紹介した「ウシジマくん」でも闇金から借金を重ねた男が、ついに百万で「生きたまま」売られるというシーンがありますが、この社会の暗い暗い奥の方では底が抜けたようなことになってるのかもしれません。
この漫画はそのあたりのをグロすぎることないように、わりと淡々と描いてます。「ああ、なるほど、こうなるんか」というのは、中国高官が接触してきて、日本側の崇とオファーをするシーンがあります。そこでは、臓器売買なんてレベルではなく、もっと先まで見ている。再生医療です。小保方さんのSTAP細胞とかそのあたりの。そのための人体実験や臓器であるという、確かに再生医療が進んだら、その利潤は臓器売買の比ではないです。まあ、フィクションですから分からんですけどね。でも、中国人の富裕層が、自国の臓器よりも優秀な日本の臓器を高い値で買うという”爆買い”は、なんかありえそうだなーという気がしました。
こういうダークな世界がこの漫画のテーマその1だとしたら、テーマその2はその対極にあるような英先生と環との純愛ともいうべき清浄な世界です。ところどころにこれが入ってくるから、全体を浄化しているかのように見えます。
文責:田村
そう思った理由はいくつかあって、一つはここのところHPのコンテンツの更新をやってたのがキッカケ。リンクとか統計とか調べなおしているうちに「はー、なるほどね」と思ったのが一つ。
もう一つは皆さんとのお話、ここんとこ連日のように誰か来訪してくださって毎日がオフみたいに楽しいんですけど、ぶっちゃけ将来に対してかなり見通しが立たないなーって話になります。皆さんこっちで日々楽しくやってて、顔も明るいし、幸せになるのにそんなにお金はかからないということも分かったし。だけどそれを帰国後の日本でどう実現するか?どんな仕事をしたいか?とかになると、見えなくなるという。
この二点は微妙に連動してます。
お金をめぐるシステムの問題
結局は「お金の問題」ということですが、落語の貧乏長屋のいつもの話=庶民の「トホホの金欠話」ってメルヘンじゃなくて、お金をめぐるシステムそのものがヤバい。それも結構目先の話としてそうだと。稼ぐ能力も意欲もあるんだけど、面白い仕事そのものが減ったり、同じことをやってても稼ぎが低下したり、「がんばろー!」だけでは解決しなさそうな部分です。頑張れば良いだけだったら大した問題ではないのですよ。頑張ろうって気にならなくなってるくらい状況が歪んでいると。例えばなにか良いものを作って、良心的に世に出そうとします。それは面白い仕事です。でもなかなか採算ベースに乗らない。例えば、自分の料理屋をやる場合、食材や調理法に心を砕いてやってると、どうにも値段が高くなる。利幅を極限まで薄くしてもやっぱり「激安」ってわけにはいかない。一方で、変なモン入れて、混ぜものして、でもパッケージと宣伝に金をかけてる方が売れるという。それでもその昔はモノを見る目のある人がサポートしてくれたけど、だんだんと皆もそんなお金を遣う余裕がなくなってきているから立ち行かなくなっている。
とりあえず、うなぎ下がり
ここでグラフを。
左端はネットやツイッターによく出回っているもので、1997年から20年間の皆の実質賃金が「うなぎ下がり」している図です。
ただ、惜しむらくはこのグラフの出典と作成者がわからないので鵜呑みには出来ない点です。一応、公的な毎月勤労者統計って書かれているのですが、実際にそれを当たってみても、なにしろ資料が膨大で原典確認ができませんでした。、その中の何ページ目のどのタイトルの資料のどの数値から引っ張ってきてるか分からないわからん。せめて作成者だけでも明らかにしてほしかったです。あと印象操作じゃないけど、この目盛りをいじくるだけでもだいぶ印象はちがいますよ。これって350-450のレンジでグラフを切ってますけど、0-1000くらいのレンジでグラフを作ったら、変化はだいぶひらべったくなって「微差」に見えると思います。もっとも、全体的に賃金が下がっているんだなーという大きなトレンドは合ってるかな。
真ん中と右端は、どなたかのブログで、「正社員の基本給が全然あがってないですけど」という記事にでてきます。内容的にもかなりしっかりした論稿ですので信頼できると思います。正社員限定での賃金経過と、家計の支出額の推移ですけど、一昨年くらいからはっきりダイブしている傾向が読み取れます。正社員ですらこれだけ賃金が下がれば、財布のヒモも固くなるよねという。
まあ、暗い話には僕らももう慣れっこですから、「またかあ」って感じかもしれないですが、しかし、これは景気の問題じゃないと思います。てか、政府大本営の発表では景気は良いことになってます。企業業績とかGDPとか、失業率が、雇用が〜とか「バブルを超えた」とか、言われてますよね。本当かよ?って気がしますが、その統計を取ってみればそうなんでしょう。そんなに皆の懐が豊かならば、なんで最近になってイオンやIKEAが大値下げ攻勢を取るのか、格安スマホやSIMなど値下げ系がトレンドになるのか?おかしいだろ?って気もします。でも、ここではそんな真贋話をするつもりはないです。
冗談みたいに高い日本の公租公課
ここで先程のHP更新と話がからむのですが、住民票転出の可否について書いたページを見直していて、健康保険料や年金を調べなおしていたとき、おおーと思いました。上がってるんでしょね。それもハンパなく。例えば年金の掛金って今時点で月額1万6490円です。でも過去は安かった。これは国民年金基金の正式な資料で国民年金保険料の変遷によると、昭和63-平成元年(1989)には月7700円だったのですよ。年金の保険料は30年弱で214%も上がっている。じゃあ皆の給料もそのくらい上がったか?あがってないです。「2012年の平均給与は24年前の1989年と同じ」ってフレーズでググってみたらわかります。あるいは健康保険の料金。会社系ではない一般の国民健康保険の算出の仕方は異様に複雑です。試しに自分の親が住んでる京都市で調べてみたんですけど、「所得割が各保険合算(医療8.67、支援2.71、介護2.53)13.87%。平等割が一世帯あたり18,120円(医療)+5,730円(支援)+4,810円(介護=40-64歳がいる場合)の合計2万8660円、均等割が一人あたり(世帯ではないから人数分掛ける)25,810円(医療)+8,160円(支援)+9,120円(介護、いる場合)で合計4万3090円」になります。
まずこの意味が分かる人が少ないと思います。均等割とか所得割ってなによ?でしょう。僕もそうです。わかりにくすぎる。自省も含めていえば、日本人、特に男性、そして特に会社に全部やってもらってるサラリーマンは、こういうことに関しては異様に無知です。でもねー、ここがわからないで天下国家や政治を論じるのはナンセンスだと思います。プロ野球みたいに買った負けたをやってるだけが政治じゃないし。
しかし、よく考えるとかなりの額ですよ。平等割は世帯あたりだけど、介護保険は40歳以上の人数分×9,120円です。所得割は13.87%に所得額(-基礎控除33万)だから、年収300万だったら約37万です。40代の女性ひとりだったら、合算すれば年間37万(所得割)+2.86万(平等割)+4.3万でざっと44.2万円くらいになる。40歳以上の年収300万の一人暮らしの女性から「保険料だけ」で年間44万って「取り過ぎじゃないか?」って僕の感覚では思います。これだったら高い海外保険入って外国にいたほうがマシじゃないか。ユニケアだったらもっと安いぞ。しかも、ほかに所得税があって、地方税(市町村民税)があって、国民年金があって、厚生年金があって、失業保険があって、NHKの受信料(衛星だったら年間2.5万)まであるんですよね。ヤマト朝廷の租・庸・調と変わらん。
一方、たまたま前に調べていた2011年千代田区と2017年を比べると、「所得割合算8.86%、均等割年額5万3100円」→「10.79%、6万5100円」に上がってます。
またちょっと前の値上げラッシュとFBの記事でも書きましたが、郵便料金から、公共料金が値上げラッシュに入ってます。どさくさまぎれに発泡酒イジメのための酒税まであがってる。
じゃあどうしよ?
ここでは誰が悪いという「犯人探し」はしません。構造的な問題分析もやりません。もうそんな犯人探しやって、怒って、嘆いてそんで終わり、なんてぬるいことやってる場合じゃないんじゃないの?と思ったのです。だってさ、「犯人」が見つかっても、それが正しい保証はないし、仮にそれが正しいとわかったとしても、だからといって皆で武装蜂起してぶっ殺せって話になるわけでもないし、それはそれで問題だろ。そして大体が犯人は「一部の連中」って話になるに決まってて、そいつらもアメリカの、そのまた「一部の連中」に操られて〜って話が茫漠と広がっていくだけです。そういう視点で批判的に考えることはとても大事だし、機会があれば(選挙とか個々の話題とか)それを言うのは大きな意味ありますよ。でも、それだけじゃ足りないわと。
なぜって、今までがこうなら、これからもこうだという可能性が高いからです。今がどん底でここから奇跡的な爆発的回復が始まってなんてことは無いでしょう。無いと仮定した方が良さそうだ。いや、今よりももっともっときつくなると考えたほうが良さそうだ。その場合、愚痴るとか怒るというリアクションは、事態の打開に対してそれほど有効性を持たない。
じゃあ、どうするのか?です。
とにかく、それほどお金がかからなくても楽しく生きていけるシステム、前から言ってるセーフハウス構想ですが、これを前倒しに進めていった方がいいなと思いました。
だけど、それだけじゃないです。目を転じてみれば、オーストラリアだってヤバイぞと。
オーストラリアの場合
賃金あがらず〜やっぱ閉塞
オーストラリアの賃金もあがってません。War on wages: Australians are working harder and going backwards という記事、あるいは類似の記事はここんところよく見ます。要旨は、オーストラリア人も頑張って働いても全然給料が増えない。むしろ減ってる。だけど家賃とか気違いじみて高くなってる。やっていけないし、不安だという声が多い。まあ、日本に比べりゃ全然いいですけどね。The six charts that prove why workers are feeling the pinch という記事でも分析されてますが、インフレ率は確かに低いが、賃金上昇率はもっと低い。民間部門で特に低い。結局インフレ率に追いついてないから生活は苦しくなってる。一方では生産性はあがっている、でも首になったりすることを(オージーですらも)恐れるからその分貰ってない。GFC(リーマンショック)の際、たまたまオーストラリアは鉱山ブームによって救われたけど、それも終わったら、世界並みになって、国内収入の労働者の取り分(Labour's share of total income)は、ここ半世紀で一番低くなってきている。
これは生活実感としても何となく肌で感じる。レストランとか物凄い勢いで新陳代謝してるし(てかすぐ潰れる=たぶんレントが高すぎるんだろう)。特に今年に入ってからがそうで(これは日本もそうだなー)。先日もジャパレスの経営まで携わっておられる人と話したけど、「どうしたんだ?」というくらい客が減ったと。つい先週も週日にディナーを食べにいったけど、大丈夫か?ってくらいどこもお客さんの入りが少なかった。
これは世界的な傾向です。なんでそうなるか?は比較的簡単。先進国がこれ以上「先進」できなくなったので「停滞」国になったということでしょう。それまで独占でやっていた美味しい分野も、どんどん後からきた国に侵食されていく。それで頑張ろうと思ったら経営効率化し、生産性をあげるわけだが、「生産性を上げる」って怖い言葉で、要するにITやロボットでクビにしていくか、今まで以上にこき使って給料以上に働かせるかという。
仕事それ自体はあるんだけど、どんどん割が悪くなっている。介護業界みたいに猛烈に人手不足なんだけど、労働環境がよくないから誰もやりたがらないという。全体にそうなっていっていると。なのにどうして年金などが上がるの?といえば、少子高齢化の人口構成上、算数的に当たり前の話で、これも避けられない。
一方、それを補うように、GFC以来各国が金融緩和で緊急輸血を続けて、日銀なんか死ぬほど国債抱えて、マイナス金利までして、それだけ資金を大量に放出している。それを運用して儲けるファンドは、なんとかして運用しなきゃいけないから実体経済から離れて市場が幻想的に過熱する。それでなんとか金が廻ってる感はあるんだけど、基本大バブル(実体に基づかない膨張)だから、いつどうなるかわからない。もうなんか高度が上がりすぎちゃって、とてもソフトランディングなんかできそうもない感じなんだけど、どうなるんだろ?もし「ガラ」がきたら、皆が抱えている虎の子の金融資産(貯金とか)も固定資産(不動産とか)など、真夏の炎天下のアイスキャンディーのように溶けてしまうでしょう。他にもいろいろ懸念材料があるんだけど、このくらいにしておきます。いずれにせよ、安泰だってわけではないと。
さて永住権とその界隈
一方、永住権方面のページもちょこっと手直したのですが、今回の457改正は、457それ自体よりもゴールの雇用者指名の改正こそがツボだなーと思いました。それをキッカケにつらつら考えて見るに、今までも後から来る人をどうお手伝いしたらいいか?で、一括パックとかやってましたけど、もっと展開した方がいいなーと思いました。これが冒頭で書いた中長期的展望にかかわってきます。
いくつかポイントはあるんですけど、大きく分けるとふたつ。
(1)進入路をもっとわかりやすくする
(2)永住権を取れ(ら)ない場合にも備える
(3)日本との相互連絡を密にする
外部講師
(1)の進入路は、例えばお子さんつれて移住希望の場合の最初のステップが難しいので、従来の”卒業生”的立ち位置にいる方とつないでガイダンスにする。この場合、はっきり外部講師に委託くらいのゼニカネ的なやり方にしたほうがいいかなとも思います。同じく、真面目な意味での婚活であるとか、ナースから永住までのコースとか、「メンター(兄貴分的な師匠)」制度ね。システムにしちゃおうかと。特に最初の場合は、幾らか払ってでも、教わったり、場合によっては一緒についてきてもらったりして欲しい人もいると思います。ネットや噂話だけだったら要領悪すぎ。一括パックの個別ヴァージョンを外部講師に委託するという。それで彼らにもも副収入の道を作ったほうがいいと思うし、それがまたネットワークの起点になったり、起業の一歩になったりもするし。特に最初の家の契約と、シェアメイトを募集して家計を助けるやり方は、はっきりとノウハウありますから。教わる価値はあると思います。また、お金もらった方が、いい加減なアドバイスはできないという気合効果もあるし。
457(労働ビザ)→186(雇用者指名永住)のルート
今回の改正でキモだなと思ったのは、英語をどこでやるか?です。457それ自体は言うほど難しくなってないですよ。リストが減ったとかいっても関連は残ってるし、バックアップしてくれるスポンサーさえいれば、あとは書式整備のレベルだと思うし。また、IELTSも5点でいいし(それすら大変だったりするんだけど)。ただ難しいのは457から186に上がるところです。一つはIELTSが6点になったことです。これは結構キツイです。まあ、実際の現場では8ですらしんどく、6など幼稚園レベルなんだけど、それでも英語初心者からしたらそびえ立つような壁です。でもって、457までいってしまうと、本当に忙しいから英語勉強してるヒマが無いのですよね。実際にはこれが大問題になるのです。ここがついにダメだから結局ダメでしたって話をどんだけ聞いてるか。
もう一つは、457もMLTSSL(これまでのSOLで数が少ない)とSTSOL系(CSOLで数が多い)では違って、なかなかMLT(SOL)ドンピシャは難しいからST(CSOLが多いところ、ST(CSOL)は期間が2年で、更新は一回のみ。MLT(SOL)は4年で更新アリ。でもって、いずれにせよ3年の同種仕事経験がいるし、また過去3年間のオーストラリア滞在条件が要る。
だとしたら、ST(CSOL)で457を取る前に、まずオーストラリアに滞在し、できれば同種仕事経験も得ておく、そして一旦ガチに働き始めたらもう英語をやってる余裕はなくなると見るべきだろうから、それまでに英語を目一杯あげておく。出来れば、最初に英語をやっておいて何年かけてもIELTS6レベルまで持っていって、その過程で徐々に仕事モードに入っていってという組み合わせが良いかと。最初からいきなりST(CSOL)で457取っちゃうともっかい更新できないと、年数(3年)足りない、英語も足りないってことで、行った先で行き止まりになる。そのあたりの見通しとかははっきりさせておいたほうがいいかなーと思いました。
日本とオーストラリアの混合集団ノマド方式
オーストラリア永住権のメリット・デメリット
ただし、永住権の価値と戦略的な活用法をもっとしっかり考えたほうがいいかなと思いました。永住権も取れたらゴール!じゃないんですよね。取れたからって賞金くれるわけではないし、徐々に閉塞しつつあるオーストラリアにおいては、それだけでOKなんて脳天気すぎる。でもなおも価値はある。それは何かで、それをどう活用するか?そして、その価値って、永住権を取らないと得られないのか?結局取れなかった人はどうするのだ?まず永住権のメリットですが、オーストラリアのゆとりのある環境(自然的にも人間的にも)で幸せになりやすいという点があります。これが一番大きなポイントです。ただし、これは永住権を取らなくてもいいです。存在するだけ、生活するだけでいいんですから。
第二のメリットは、低所得者に対して非常に優しい点です。年収2万ドルくらいだって別に生きていける(2万ドルも稼いでいるワーホリ・留学生も少ないでしょ?)。給料の場合、PAYGで源泉徴収で取られますが、タックスリターンをすればかなりの部分取り返せます。そして、それ以上の負担がない。厚生年金(スーパー)は全額会社が負担するし、保険料は税金とコミになっている(Medicare Levyは課税所得2万1655ドル以下だった免除)。ほかには何もないです。だから無収入だったら、払うのは消費税だけです。
でも日本の場合は違う。無収入でも年金はくるわ、保険料はくるわ、住民税はくるわ、もう住んでるだけで罰金のようにかかってきます。僕も、いよいよ親がボケたら一時的に帰らなあかんかなーとは思うものの、帰って住民票入れただけで、自動的に年金やら保険料やら住民税やらかかってきますから、実家で介護してるだけでも年間数十万円の支払い義務を負う。なんだこれは?と思いますよ。ちょっと働いたらなんだかんだで年間100万くらいいくでしょ。10年で一千万、30年で3000万。老後の資金が3000万とかいうけど、老後も何もただ存在するだけでそのくらいコストがかかる。そして将来的にはおそらくもっとかかるでしょう。仮に戻っても住民票入れたくないなーとか思っちゃうもんね。
その他、オーストラリアの場合、基礎年金は掛け金制度じゃないから永住者には普通に出るし、子育てとかその種の手当は日本よりもずっと恵まれてます。つまり、オーストラリアの永住権のメリットは、この種のライフ・コストが低いという点、あくせくやらずのんびりライフ、プアでも充実しているプア充ライフをやろうと思ったら、日本よりもかなりやりやすい点です。
デメリットとしてはレントが高い点ですね。その他のリビングコストは意外と日本よりも安いかもしれない。食材とか豊富でしっかりしてるし、無料でいこえる公園や自然がやまほどあるし。
日本のメリット・デメリット
一方日本の場合は、これからどんどん空き家が増えることもあり、うまくやりくりすれば住居費は安く出来る。また仕事も選ばなければあるでしょう。その意味で、のんびりプア充実環境は整っている。だが、国家マネジメントが下手くそ過ぎて、ただ列島の上に存在してるだけで数十万円の”罰金”がかかるのがネックです。オーストラリアと真逆ね。それ以上に、精神的にハードですね。何の展望もなく、あくせく働いて、食って終わりってだったら人間腐りますよ。虚しくなってパチスロとかやりだしたり、手っ取り早い刹那的な消費に走ったりすると、とにかく金がかかるようになるから、クレサラ→闇金→地獄へ落ちます。つまりね、日本の場合のデメリットは、究極的にはメンタルなんだと思います。
オーストラリアみたいな生き方が日本で出来れば、やりくりはしやすい。しかし、このメンタルを維持をするのは、ある意味では至難のワザです。人間、展望や希望がなかったら、すぐにスサみます。それはもう数時間で早くも腐臭をたてるくらい、あっと言うまです。だからこのメンタル対策が非常に重要だと。その対策としては、とにかく一人になったらダメで、いつも誰かと喋ってるくらいでないと。もう一つは、「泣く子と地頭には勝てぬ」でお上の鬼の取り立てがあるので、それをどうしのぐか、です。このあたりが課題になるだろうな。
集団ノマド方式
そのあたりをじーっと考えていると、やっぱり思うのは、(1)ライフスタイルをあんまり固定しない方がいい、
(2)一人でやるよりも複数人でシステムを組んだ方がいい
ってことです。
(1)は、固定すると安定はするのですけど、それが永続する保障はどこにもないから、やっぱり将来への不安は消えない。また、固定してしまうと閉塞しがちで、仮に恵まれたポジションについたとしても「一生これかー」と思ったら詰まらんのですよ。だから変化させる。少なくとも変化しうるという余地を十分に残しておく。これが最大のメンタル対策になると思います。変化(可能性)なくして希望なし、です。
そのためには、日本とオーストラリア、あるいは世界のいろいろな場所に、皆で協力しあって、とりあえず3ヶ月暮らせるセッティングをたくさん仕掛けておくといい。手ぶらで出かけて行って、行った先で「じゃ、これやってね」という生活(稼ぐことも含む)一連のダンドリと物資が用意されており、行ったらそれをすればとりあえず生きていけるようにする。それを増やしていく。順繰りに廻ってるだけでも楽しいし、楽しいように組む。
でもこれは一人では出来ないから、有志が手分けして各地で行う。
日本に関して言えば、今自分の住んでいるところや知り合いの空き家をお借りして、そこでAirbnbでも近所の手伝いでもなんでも、とりあえず暮らせるくらいのところまで立ち上げて、セッティングする。信頼できる人が後釜に座って、スーパーバイズしたら切り盛りできるくらいにする。
今はネットがかなり便利になってます。スカイプもそうですが、”ZOOM”などでは気楽に集団で会議もできるし、携帯アプリでやれば、家の中を歩きながら問題の箇所を示して、「ここ、どうしたらいいですか?」とか画像つきで聴けます。なにか問題があったら遠隔地のスーパーバイザーに入ってもらって話をすることもできる(と、カミさんに教えてもらいました)。
オーストラリアの場合は、レントが高いこともあるから空き家活用は難しいけど、その代わり、シェア経営はしやすい。実際、中国人とか何件ももってシェア運営だけで食ってたりします。一種の不動産ビジネスです。それを作り上げてしまう。永住権は無理だけど、避難地、保養地、冒険地としてオーストラリアに関わっていたい人、ヒマはないけどお金は多少ある人、お金はないけどヒマはある人、上手いこと組み合わせたら、多少離れたところに大きめの家を借りて、それでシェア広告で人を入れて、自分も住むというやり方もあるでしょう。このあたりのシェア経営のノウハウは先程述べたように家族移住をされてきた先輩たちがいるので教わればいいし、スーパーバイズしてもらえばいい。
そういったものを日豪はじめ世界各地にたくさん作っておく。最初から「たくさん」なんて無理だから、ぼつぼつでいい。一週間だけでもいい。とりあえずやってみる。でもって、あらかじめ話をして、手ぶらでそこにいったら、3ヶ月(別に3という数字に大きな意味はないが、とりあえずオーストラリアの観光ビザの期限でもあるし、手頃なサイズでもある)住めると。そこでAirbnbの管理人やるとか、シャアハウスや空き家ハウスの管理人やってフリアコ(雑用と宿泊のバーター)にしてもいいし。
ライフシステムのシェア
そのポイントは何かというと、一人づつがそれぞれワンセットの人生セッティングをやり続けるのは無駄が多いし、希望が少ないという点です。もっと共通項をシェアしたほうがゆとりが生まれる。このシステムがある程度動いたら、もはや永住権は絶対的なものではなくなります。だって観光ビザで入ってくるだけだったら何度でも入れますからね。そりゃ連続してずっとというのは無理だけど、3ヶ月単位でいける。行った先で、居場所があって、やることがあれば、滞在費はかなり安くなるし、うまくすればトントンくらいにいけるかもしれない。
日豪を問わず一番簡単なのは、ハウススワッピングといって、シドニーの僕の借りてるスペースと、日本のどっかであなたが借りてるスペースを1ヶ月だけ交換するという方法です。どちらも無料で居場所がゲットできるし、留守番その他も任せられる。あとは行った先で何をするか、です。ならばこれを3つも4つも作っておいて、別に誰も住んでないけど行けば住めるような状態にしておいて、、、ってやる。
個人テーマの重要性
と同時に、どこでも稼げるというか、自分なりのライフワークは作っておくべしでしょう。もう必死に働いて、稼いで、食って、むしり取られて、そんで終わりってのは馬鹿馬鹿しいし、展望がないからメンタルを病む。でも最低限度のリビングコストは上手いことシェア共有すればかなり圧縮出来るはずだから、その分余裕が生まれ、その分何をするか?です。小説や詩を書いてもいいし、起業してもいいし、なんでもいいですけど、自分なりのテーマがあって、どこにいってもそれが出来れば人生の連続性は確保できる。今、どこに行っても出来るようになりつつありますから。これは結構大事なことだと思います。
結局、自分はミュージシャンだ、画家だ、役者だ、作家だ、○○だって思えたら、その活動をすること、傑作を作ること、携わることが自分の一生のストーリーになります。別にそれはプロでなくてもういいし、職業でなくても構わない。ただ、「○○である私」というアイデンティティをしっかり持つこと。それが出来たら、目先の失業だ、金がないだとかいうのも、補助的なものでしかないことが分かるから楽になれます。まあ、大変なんだけけど、それは「活動しにくくなった」だけの話であり、本体そのものである「○○活動」そのものは全く傷ついてないですからね。そう思えたら、凄く楽になれると思います。
そしてこのライフワーク的なことが出来たら、ノマド的にあっちゃこっちゃ行くことに抵抗もなくなると思います。また活動や仕事の連続性もキープできますしね。
オーストラリアに来る意味
一方で、オーストラリアに来る価値や永住権の価値はなおもあります。とりあえずワーホリや留学でくるのは、場所が違うとこうなるという体感、そして「幸せのなり方」を学ぶことだと思います。日々追われたり、日々監視されたりって環境から開放されて、あるがままの自分として暮らしてみて、徐々に強迫観念や固定観念の剥がしていって、「結局、どうなりたいの?」を考える道場みたいなもんだと思います。もう一つ実践的な意味でいえば、将来に日本でなんかやるにしても、将来的に日本において有望なマーケットになるのは外国人(訪問者)であろうから、英語と「外人慣れ」することです。故郷の実家でAirbnbにせよ、Vayable(個人ガイド)をやるにしても、ある程度しゃべれないと話にならんし、それ以上に「通じさせるコツ」「うまくやっていくノウハウ」を身につける必要がある。英語を知識技術として学ぶのが半分だとしたら、この「慣れ」が同じかそれ以上の比重を占めるでしょう。車の運転と同じですね。教習所レベルだけだったらダメで、やっぱ自分で路上慣れしないといけない。
多分、どんな資格や技術よりも、この部分が将来的に一番意味を持ってくると思うし、実際にお金になりやすい部分だと思います。
脱貨幣経済、脱消費生活
あ〜、後からあとからアイディアや思考が湧いてきて、ごめん、上手く整理できないんだけど、思いつたまま書くね。究極のテーマでいえば、脱貨幣経済であり、脱消費社会です。プア充を極めるというか、極力お金を使わなくて、しかしサイコーに楽しくするにはどうしたらいいか?です。短期的には簡単なんだけど、それをサステナブルなシステムまで高めていく部分が難しい。ただ実際、部分的には成功してるのですよね。それが今回の日本帰省のオフでした。のべ人数でいえば7-80人くらいと会ったけど、そんなに金かかってないのですよね。でも質(楽しさ)はかなり高い。東京でも十数人が5時間位ゆったりいれる会場借りて会場費1万円、津でも空き家を二棟まるまる借りて1泊二日で1万円、京都もゲストハウスを半日借りて出血サービスで、だから一人あたりにしたら500円とか千円で遠足のおやつくらいのコストで済んでる。津の一泊なんて、あれと同じことをどっかの旅館借りてやろうと思ったら、まず時間的に出来ないこともあるけど(チェックイン、アウトとか)、最低でも一人1万円前後はいくでしょ。それが1泊千円で住んでるんだから、全員分合わせたら十数万円くらい浮いてる(儲けてる)わけですよ。それで質は10分の1に落ちてるかといえば、むしろ上がってる。この「魔法」ですね。なんとなく出来ると思ってたけど、実際やってみて、あ、やっぱ出来るわ、それもいとも自然にという確認作業。
この魔法の本質は、いや魔法でもなんでもないんだけど、煎じ詰めれば、お金と楽しさは全然比例しないというシンプルな原理です。そんなの幼稚園の頃から知ってたけどさ。じゃあお金は何のためにいるのか?といえば、最低限の潤滑油的な部分と、圧倒的大多数は生活維持コストという技術的な部分です。話が技術的なことなら、ドライにメカニカルにやり方があるはずだ。
そして、その楽しさの本体部分は、貨幣経済でもなければ、「消費」でもない。全ての人生の意味がお金によって意味づけられるのではなく、生産(仕事)でも消費でもない、単に「生きる」ということでありたいですし、前回のオフは確かにそうであったと思います。
行政との激しい攻防戦
話ポンと飛びますが、去年くらいからことあるごとに行政書士取れとか人に言ってるのは、今まで述べた日本での生活コストの結構な部分が公的賦課(年金とか保険とか)だからです。まずはその制度に精通し、防戦から攻撃に回れるくらいでないとアカンだろうと。例えば、年金だろうが保険料だろうが、その気になって調べたら免除制度もあるし、猶予制度もある。そもそも数ヶ月くらいの滞在だったら住民票を入れなくても良い(一時帰省なんだし)という発想もあろうし、さらに言えば、住民票って実際に住んでるところと一致しなくても良い。これって脱法なんだけど、実際子供の受験やら地方選挙でよく使われるし。町長選挙とかすごいもんね、息子が東京に出てても、選挙前になったら戻させたりさ。理論的な正邪を言うなら、そもそも戸籍や住民票制度そのものがシステムとして不完全で、世界でも極めてマレ。オーストラリアにはそのどちらもないけど別に不自由なく廻っている。戸籍の本籍地なんか何の意味もないし、グローバル時代とかいいながら外国人の配偶者を書く欄もない。住基ネットとかマイナンバーとか膨大な税金使って大した役にも立ってない。あれだけ大騒ぎしておきながら、戸籍謄本くらいオンラインで取れるとか、クレジットで申請料払ったら証明番号を発行し、それを提出先に告げれば良いとか、一定の要件を満たす人には必要な限度で開示するとか、オーストラリアのビザのVEVOみたいなシステムもない。やろうという気配もない。ひたすら個人情報を集めるだけ。「やらずぼったくり」とはこのことだ。他方、年間失踪者、行方不明者が数万人、累積すれば数十万人以上。戸籍では未だに江戸生まれの人がいたりするしね。戸籍のロンダリングも戸籍の売買も、その筋にかかったらいともたやすく行われている。後生大事にありがたがってるこのシステムが、一体どんだけポンコツか?
社会保険料だって、どうして自治体によって2倍以上の格差があるのか?そこには色々やむを得ない理由、技術的な理由もあるのはわかるが、これを放置しておけば、お金に賢い奴ほど住民税や保険料が安い自治体に引っ越すだろう。引っ越さないまでもそこに何らかの拠点をおいて住民票だけ移してしまえばいい。パナマに持ってってるくらいなんだから国内操作など屁の河童だろう。かくして日本全国で戦国時代に逆戻りのように、各自治体間に勝ち組と負け組の格差が出てくるし、もう現実にそうなってる。
てか、そもそもそんな統治システム、いつまで保つのだ?「統治」出来ているのか?年金も介護保険も将来的に持続できるのか?という根本的な疑問があって、破綻することがかなり見えてながらまだ保険料を徴収するなら、未必の故意による詐欺か恐喝でしょうに。ま、そうなることは数十年前からわかってて、それでも放置してきた全員の連帯責任なのはわかりますけどね。でもなー、もうオープンする見込みのないゴルフ場の会員権を買わされるような話で、釈然とはせんですよね。月1.65万でも年間20万円、10年で200万円、30年で600万円だけど、過去の例でいけば30年で2倍になってるから30年で1000万近く。20歳の人が75歳で貰うとしたら55年もかけつづける。その頃には85や95歳受給になってるかもしれない。
そのあたりの理屈は幾らでもあるけど、要は、一方的に踏んだり蹴ったりってのは馬鹿馬鹿しいってことです。相手(国)は北斗百裂拳のように、あたたたたたと撃ってきますから、こっちはこっちで合法的に許される範囲で最大防御をするべきであると。さらに、自分(ら)がやってることが何らかの公益に資するならば(大抵の場合は実はそうだったりする)、それをNPOとして補助金や助成金を申請するとか積極的にやってもいい。こういう制度って、お金が余ったりして、予算消費のために形だけくだらないところに使ったり、賢いヤクザがちゃっかり取ったりしてるもんで、それらを未然に防いで、本当に世のために人のためにやればいい。先にライフワークを見つけると書いたけど、ライフワークって、たいてい世のため人のため系が多いですから。自分が気持ちよくなるだけだったら快感度は低いですからね、他人を幸せにしないと深い快感は得られませんから。
まとめ
って、まとめられないんだけど、日本であれオーストラリアであれ、旧来のシステムの維持は難しいだろうなーという前提に立った場合、もっと融通無碍に組み合わせていくべきだろう、その方が労力少なくハッピーになれそうだぞ、ということです。それに永住権取れたら勝ちで、取れなかったら負けみたいな二分論には昔から異議があって、そういうことじゃないだろうって思ってます。ただ、そーゆーことじゃないなら、どーゆーことなんだ?ってところで「こんな感じにやればいいじゃん」ってのを作っていきたくなったと。なんとなく材料はだいぶ揃ってきた感はあるので、あとは調理。前は30年がかりでやればいいやみたいに思ってたけど、もっと前倒しにして、出来るところからやっていこうかと。
なお、今の国家システムが革命的に崩壊するとは思いません。ベネズエラみたいにヘリが最高裁のビルを攻撃なんて分かりやすい展開にはならないでしょう。多分ねー、僕が思うに、学級崩壊みたいになっていくんじゃないかなー。人望のない教師の授業みたいに、あっちこっちで私語をして、勝手に席を立って出てっちゃう奴もいて、、って感じ。だからガラガラという崩壊というよりは、す−っと溶解していくとか、パラパラと表皮から剥離していくみたいな感じね。それでも形は残るだろう。でも実質は空洞化していくでしょうね。少しづつ居住者が減り、少しづつスラム化していく古いマンションのように。
あるいは、18世紀くらいまでの人々の感覚でいえば、今や地球レベルでこれだけ見渡せるようになったら、もうとっくに全体で一つの国みたいなものになってるんじゃないかな。そうなると世界連邦か?って話になるんだけど、そうはならないのは全然統治できてないから。たぶん日本六十余州と言われてた頃とか、無数の小国に分割されていた中世から近世のドイツみたいな、そしてそのエリアの中で個性のあるそれぞれの小集団が割拠してるという。
そしてその集団の構成単位が今まで(主として領土)とは違った原理で成立していく気がする。たまたま同じところに生まれたからって、なんでこいつらと人生重ね合わせて一蓮托生でやってかないといけないのだ?という非常に根本的なところで疑問が生じていると思うのですよ。ネオナチとかネトウヨとか見てると、なんでこいつらと同じ人生ユニットを組まないとならんのか?組んでなんのメリットがあるのか?と。
その中で、これまでとは違ったシステムを個々人で模索して作る時代になってるのかなーと思います。
どっかの国に生まれたら、そこでの生き方を完コピしていけば、用意されたセットメニューを食べていたらOKですよ、日本だったら日本定食、オーストラリアだったら豪州定食でバッチリさ〜って時代じゃないと思う。そして永住権=豪州定食みたいな捉え方をしていたら、それは違うと思う。セットメニューが日に日に意味を失っているんだから。永住権という「環境」「道具」をどう活用するか?であり、何のために使うか?であり、またその道具を自分が持ってなくても、誰か他人のそれをシェアするなり利用するなりってやり方もあるだろう。
まだまだあるけど、長くなったのでこれで切ります。おつかれ。
漫画紹介
[ナガテユカ] ギフト±
可愛らしい女子高生が表紙になってるから、その系統かと思いきや、内容はかなりディープなサスペンスです。そして、それ以上にテーマがすごい。臓器移植です。それも医学倫理的に脳死がどうのってレベルの話ではなく、この世で一番ダーク度の高い、臓器売買ビジネスの暗い闇を描こうとしています。
と同時に設定とストーリー展開が複雑に入り組んでます。徐々に明らかにされていってることもあって、書いている僕も明確に把握しきっていません。まず、財閥の係累として生まれた崇と、数奇な運命に生まれた主人公である環(たまき)がいます。崇はまだ大学生ながら抜群に頭がキレて財閥を乗っ取ろうとすると同時に、環と組んで臓器売買ビジネスをやります。こういうと外道のようですが、脳死は否定し、その代わり生きる価値のない殺人犯で再犯可能性が確実レベルに高い人間を探し出して臓器を抜く。一方、女子高生である環は、生まれながらに感情がほとんどなく、同時に天才的なメスさばき能力があるので、淡々と臓器を摘出するというぶっ飛んだ設定です。
これに切なく絡んでくるのが、英(はなぶさ)先生という若くて純情な医師ですが、心臓移植をする幼いころの環の主治医であり、環が唯一心を開いている光明のような存在。しかし、英先生は勤めている病院のダークな一面を知ってしまったことから事件に巻き込まれ、今ではモグリの医師として生きています。
これに闇勢力がかさなってきて、一つは日本側。政財界の大物が秘密の幼女売春組織とかかわっていたというスキャンダルが過去にあり、これを暴こうとして殺されてしまう刑事、その恋人で志をつごうとする女性刑事。逆にこれを隠そうとする勢力もあり、現役刑事であり、且つ崇の臓器売買の片腕になってる加藤という存在があります。
さらに中国側の闇勢力があります。黒社会が「優秀な日本製」である健康な日本人の臓器を買い付けに来て、闇社会の日中対立なり、その黒組織のボスを殺して乗っ取る在留三世がおり、でもそいつは実は日本側のスパイであり、でもってさらにその上の中国政府の高官がいるという。かくして誰が誰とどう絡んでいるのか、そしてスパイがいて、ダブルスパイがいてという、かーなり複雑なストーリー展開になるのですが、全体がわからなくてもシーンごとの展開が面白いので読ませます。
臓器売買といえば、これは他のなにかで読んだのですが、今は技術(摘出技術、保存技術など)が進んでしまったので、以前よりももっと現実的に儲かるビジネスになってしまっていると。昔だったらかなりの好条件が揃わないと移植なんか無理だったんだけど、最近ではかなり出来るようになっている。だから恐ろしいことに採算の合うビジネスになりつつあるとかないとか。以前紹介した「ウシジマくん」でも闇金から借金を重ねた男が、ついに百万で「生きたまま」売られるというシーンがありますが、この社会の暗い暗い奥の方では底が抜けたようなことになってるのかもしれません。
この漫画はそのあたりのをグロすぎることないように、わりと淡々と描いてます。「ああ、なるほど、こうなるんか」というのは、中国高官が接触してきて、日本側の崇とオファーをするシーンがあります。そこでは、臓器売買なんてレベルではなく、もっと先まで見ている。再生医療です。小保方さんのSTAP細胞とかそのあたりの。そのための人体実験や臓器であるという、確かに再生医療が進んだら、その利潤は臓器売買の比ではないです。まあ、フィクションですから分からんですけどね。でも、中国人の富裕層が、自国の臓器よりも優秀な日本の臓器を高い値で買うという”爆買い”は、なんかありえそうだなーという気がしました。
こういうダークな世界がこの漫画のテーマその1だとしたら、テーマその2はその対極にあるような英先生と環との純愛ともいうべき清浄な世界です。ところどころにこれが入ってくるから、全体を浄化しているかのように見えます。
文責:田村