その誤魔化しに気付いた時には、「お約束に束縛された関係から、まっさらな関係に戻すしかない」と思い、「結婚によって埋もれた自分のアイデンティティを取り戻し、お互いの関係をあるがままの状態に戻すためには離婚するしかない」と決意しました。こうして文章化すると、なにやら理屈っぽい人だと思われそうですが、この感覚は理屈ではなく、魂のド中心から出てきたものです。たぶん、分かる人には分かると思いますが。「なんかわからないけど、このままじゃダメだ。一回白紙に戻す必要がある」という危機意識がありました。
今回と前回とで違うのは、そういう社会的妨害に対する共同戦闘員としての側面を、前回は自ら意識的に選択し、その戦闘自体(本来はその戦闘を通して得られる「自由」が目的だった筈なのだが)を楽しんでいたのに対して、今回は別に闘いたくて結婚したわけじゃないけど、環境的にそうせざるをえない、ということでしょうか。ただ、この人と一緒に生きていきたいから結婚しただけなのに、それにお邪魔虫がくっついてくるというか。しょうがないから、歩きながら除虫スプレー撒かなきゃならなくて、それが超面倒。前回の時より虫は多いわデカイわ、ずっと鬱陶しいわ。まあ、どうせ一生このお邪魔虫を払いのけながら生きてかなきゃならないのだろうから、グチ言ったり落ち込んでるだけ無駄だもん、それはそれで楽しませてもらいますけどね、という。
そんなお邪魔虫クン対策よりも、「これからどんな人生にしていこうか」という建設的な部分で人生共有したいですね。一生ずっと一緒にいるかどうかなんて分からないけど、お互い一緒にいたいと思ってるうちは、前を向きながら「何か」を創っていきたいです。もちろん、共有する過程では共存しえないことが起きて、多少個性が削がれたりするのもやむを得ないことですが、独立意識の旺盛な尖った個性よりも、先鋭さには欠けるけど丸くて深みのある柔軟な個性の方に、今は魅力を感じます。20代の時は逆だったんだけどなあ。人間年とると変わるもんですね。もしかして、これが結婚によって変わったことなのかもしれません。