シドニー雑記帳

結婚します




     突然ですが、私(福島)、今月20日に結婚することになりました。相手は今年3月から、APLaCの事務所兼自宅でシェアしているデンマーク人です。私事ではありますが、折角だから、オーストラリアの結婚制度、国際結婚における文化・言語ギャップの影響等について、ツラツラ書いてみたいと思います。





    《背景情報》

     その前に「なんでまたオーストラリアでデンマーク人なんかと結婚することになったのか」という背景説明をしておきたいと思います。超プライベートな話ですが、こういうの暴露するの、わりと好きなんだな(^^*)。

     以前に雑記帳「なぜシドニーに来たのか」でも触れていますが、私バツイチでございます。23歳で結婚して29歳で離婚しました。それはそれでいい経験でしたし、今でも元ダンナさんとは友人関係が続いています。この離婚が「自己奪回」の一端を担っていたのも事実で、ここらあたりから日本脱出計画に本格的に着手し出したわけです。

     さて、初めてシドニーの土を踏んだ4年前、「とりあえずは英語だ!」というわけで、学生ビザで渡豪し、シドニー大学の語学センターに通っていたのですが、そのオリエンテーションの日に隣に座ったのが、フィアンセのラースでした。とにかく異国に来て初めて英語で話し掛けられた人でして、しかもその質問たるや「なぜシドニーに来たのか?」という難題でして、ホームページでも400行かけて説明しているものを下手な英語できちんと説明できようはずもなく、ドギマギしながら「日本ではプロダクトマネージャーとして働いていたけど、何か新しいことをやってみたくなったこと」「離婚もしてること」などを身振り手振りを交えつつ伝えたように記憶しています。

     しかし彼とはクラスも違ったので、それ以降ほとんど話す機会もなく、留学期間が終るとお互い自国に帰ったのでした。その後永住権を取得して二度めにシドニーにやってきた時、日本の両親から「デンマークから手紙がきてるよ」と転送してくれたのが、彼からの手紙でした。それからお互い E-mailを使っていることがわかり、3年以上もかわいくE-mail文通を続けていたわけです。

     これは後日譚になりますが、彼はオリエンテーションの日に私を一目見るなり「That's my wife!」と何故か思ったそうです(だから「なぜ自分のワイフがシドニーにいるのか知りたかった」と)。でも、「どうやったらワイフにできるのか」は皆目検討もつかず、アプローチするだけの自信と勇気がないまま帰国してしまった。当時は私の名前も知らなかったそうですが、なんとかツテを辿って名前と住所を探り当てたんだそうです。

     で、最初の出会いから4年経って、ふとしたキッカケで昨年末に彼が滞在しているボストンに1週間遊びにいくことになって、その1週間の間にそーゆーことになりました。なんだか相変わらずジェットコースター的人生というか、客観的に考えると「そんなバカな」と思うのですが、自分にとってはとても自然な選択でした。

     そういうわけで、デンマークの会社からの出向でアメリカの会社で働いていた彼は、さっさと両方の会社を辞めてフリーランス契約結んで(ニューエネルギーのエンジニアで、インターネット経由で仕事できる)、シドニーに飛んで来ちゃいました。シドニー来るなり、結婚手続のためにレジストレーション・オフィスに出向いて、結婚式の段取りカマしてきちゃいました。で、現在はAPLaCの新居で、APLaCメンバー3名と一緒に住んでます。





    《オーストラリアの結婚制度について》

     まずはプラクティカル・マターについて。
     オーストラリアではCITIZEN(市民)・RESIDENT(居住人)でなくても18歳以上ならば結婚することはできます。教会に依頼してもよし、自分で式をアレンジしてもよし、REGISTRATION OFFICE(登記所)で手続してもよし。但し、日本のように結婚届さえ出せばOKというわけにはいかず、一応「式」というものを挙げなければなりません。

     宗教婚ならば、教会に依頼すれば比較的簡単なのですが、宗教とは関係なく式を挙げたい場合には、ちと面倒です。いわゆる「民間婚(CIVIL MARRIAGE)」ですが、自分たちの好きな場所を選ぶことはできるのですが、ここにMARRIAGE CELEBRANT(執行人)を呼んで、所定の式をしてもらい、証明書をもらってこれを登記所に提出しなければなりません。もっとも手っ取り早いのは、登記所に併設された式場での挙式。135ドルで出来ます。但し、挙式予定日の1ヵ月以上前に面接を受け、予約しなければなりません。

     ここで「面接がある」というので、これまた偽装結婚防止のための厳しい面接(2人が違う部屋に連れていかれて「パートナーの歯ブラシの色は?」とかプライバシーを突っ込まれるようなヤツ)なのかと思ったら、全然そんなことありませんでした。登記所と移民局は役割が全く別なのですね。しつこく聞かれたのは、「前の結婚は解消しているのか?」ということだけでした。
    (日本の場合、離婚証明書というものがないので、離婚していることを立証するのが大変なんですね。私の戸籍は離婚した時に両親の籍に戻さず、独立して作ってあるので(名字も結婚時のまま)、ふつうの戸籍謄本を翻訳しても「離婚」という文字が出てこず、「改正原戸籍」を再度取得しなければならなかったりして超面倒だった。)

     で、あとは挙式予約日時に登記所に行けばいいだけ。結婚指輪も必要ないというし(勿体ないから買わないことにした)、「あなたはこの人を一生妻としてどうたら・・」というくだらない質問にも「Yes, I will.」などと答えなくてもいいのでウレシイです。
     余談ですが、デンマークでは一応キリスト教が通っているわけですが、やはり若い世代は無神論者が多いそうで、彼は「神様の前で誓うなんて Stupidだ」と言ってます。「一生連れ添いますか?」と聞かれたところで、「Who knows?!」と答えてしまいそうだ、と(^^*)。離婚歴のある私としては「そりゃそーだ」とレーセーに賛同しちゃいます。

     問題は結婚した後です。二人ともオーストラリア人ではないので、日本領事館とデンマーク領事館に結婚届けを提出しなければならない。おまけに彼は以前取得した永住権を期限切れで失効しているので(有効期間にオーストラリアに戻らなかったため)、再度家族ビザ申請か或いは独立ビザ申請をし直さなければならず、これがまた面倒。ちなみに家族ビザは以前は永住権保持者と結婚すれば自動的に取得できたのだが、最近は厳しくなって結婚後1年経過しないと申請できないシステムに変更されたようです。

     もう何をするにも、日本語→英語、デンマーク語→英語、英語→日本語、英語→デンマーク語と翻訳しなおさねばならず、その度にイチイチ時間と金がかかるようになってます。いっそのこと世界中統一言語にしてほしいわ。これが更に離婚となると、もっと大変なんだろうなあ。

     ちなみに挙式の時の衣装をどうしよっかなーと考えていたのですが、結局はウェディングドレス着ることにしました。最初はお金勿体無いから、浴衣でも着ようかと思ってたんだけど、以前にAPLaCのお客さんのためにアレンジした時協力してもらったウェディングサービス屋さんから安く借りられることになったので、ま、いっかと。しかし、よく「一生に一度のことですから」とか言いますが、二度めになると「あと何回着れるかわかんないし」とか思ってしまいますね(^^*)。

     ちょっと宣伝モードになりますが、APLaCではオリジナル結婚式のアレンジもお手伝いしています。今度ホームページで正式に紹介しようと思っていますが、人気の海外挙式を旅行代理店経由ではなく、自分の手で計画して実行してみたい、という人のためのお手伝いです。アレンジそのものは面倒かもしれませんが、あなただけのオリジナル・ウェディングをシドニーでやるなんて、一生の想い出になると思いますよ。実際、シドニーでオリジナル・ウェディングを挙げた方は「私のが最高だった。もう一度やりたいなあ」とおしゃっています(^^*)。





    《国際結婚考》

     相手が日本人じゃないので、やっぱり言語や文化の違いはギャップとなって出てきます。自分にとってはあったりまえのことが、相手にとっては理解の範疇外であったり、勿論その逆も。その都度しつこく話し合うわけですが、これがまたお互い母国語ではない英語を媒介としているので、それなりに日本人同志とは違う局面もあります。


    ●言語コミュニケーションについて

     彼はデンマーク語と英語とドイツ語とフランス語を少し話します。私は日本語と英語だけです。つまり、二人の共通語は英語です。彼は日本語をまったく知りません(最近、「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」だけは覚えた)。

     それじゃコミュニケーションが大変じゃないかと思うのですが、これが意外とうまいこといきます。

     理由のひとつには、お互い英語ネイティブじゃないことが挙げられるでしょう。小さな文法的ミスはお互いにありますから、それを気にする必要はないし、正確に伝えるために適当な表現を必死に探します。勿論日常生活上のことはいい加減にしゃべってますが、大事な話になると日本人同志以上に言葉の選択には気を使ってると思います。最初の頃は知らない単語を探すためにお互い辞書片手にやってましたが、辞書見ても的確な翻訳が載っていないことも多いので、英単語なんかだんだんどーでもよくなってきて、それより言い方を変えて説明した方が早いことに気づきました。「What do you call it?」が、いつのまにか「What do they call it?」に変わったりして。要するに私らが使ってる英語は、自分達の言葉ではなく「やつらの言葉」なのであって、コミュニケーション上利用させてもらってるだけなのだ、と。

     たとえば「I love you」。日本語に直訳すれば「愛してる」に当たるわけですが、「愛してる」という言葉には私なりの想い出や思い入れ、定義があります。だから、使う際に自分の定義に合ってるかどうか何となく確認してしまったりして、使用するのに抵抗というか躊躇があって、今まであまり好きな人に対して頻繁に「愛してる」を使えませんでした。なにかもっと適した表現を模索してしまったりして。
     ところが「I love you」になると、この言葉には私は思い入も定義もありません。だから、今私が彼に対して感じている気持ちがそのまま「I love you」として表現できて、全然違和感がない。彼にとっての「I love you」も同じことで、「今のこの気持ちを伝える言葉はこれしかない」わけです。

     日本でもあまり「愛してる」を頻用するカップルって少ないんじゃないかと思うのですが、デンマークでも同じなんだそうで、今までの恋愛と比べてこれほど自由にそして頻繁に「I love you」を言うことはなかったといいます。

     もうひとつの理由としては、これはノロケになるのかもしれませんが、彼とは自然にしゃべれるし、何しゃべっても自然と伝わる。
     シドニーに移住して3年になるわけですが、いまだにオーストラリア人としゃべる時は「よし、英語だ。英語しゃべるんだ」と脳のスイッチを切り替えてからしゃべってるようなところがあるのですが、彼としゃべる時はなぜかスイッチを切り替える必要がなく、自然に言葉が出てきます。日常生活上のことなら、意識しなくて適当にしゃべってても、相手には通じる。(だから、彼と英語でコミュニケートしてれば英語うまくなるかと思ったけど、全然そんなことないっすね。やっぱり英語は英語で勉強しなきゃ。)

     私の英語には日本語訛りがあるし、彼にはデンマーク語訛りがあるので、そのクセを掴むまではちょっと時間が必要でしたが(2〜3日のことですが)、彼となら何時間英語しゃべってても疲れない。不思議ですが、これはもう理屈じゃないんでしょうね。
    すみません、以上、のろけでした(^^*)。


    ●身体的差違について

     基本的に身体的差違は大した問題じゃないのですが、ついでだから話題のひとつとして。

     彼はデカイです。身長195センチ、体重105キロあります。胸囲、ウエスト、手足、どれをとっても私のダブルサイズです。ブルーの目にブロンドの髪。これだけ他民族がごっちゃになってるシドニーですら、二人で歩いてるとちょっと目立つんじゃないかな。くっついてないと、カップルだとはみなしてもらえません(^^*)。

     ルックスの違いは大きな問題ではないのですが(困るのは一緒にいて首が疲れることくらい)、肌と目の違いに関してはちょっとしたコンフリクトがあります。

     どうも白人に共通して言えるようですが、アジア人に比べると寒さに鈍感らしくて、確かにシドニーでも真冬にTシャツ一枚で歩いてる人なんかをよく見掛けます。彼も例外に漏れず「白人」でして、私がジャケット必要な寒さでもTシャツ一枚です。昼間は別にそれでもいいのですが、夜寝る時もすっぽんぽんで何も掛けずに寝てます。一方私はシーツ、毛布にキルトと3枚もかけて寝てます。同じベッドで寝るの、ちょっと大変です(^^*)。
     一節によると白人とアジア人では毛穴の数が違うとか。本当かウソかは知りませんが、白人は毛穴の数が少ないから暑さに弱く、寒さに強いんだそうです。

     あと、目の光に対する感度が違うようです。私たちは部屋の明かりは明るい方が好きなのですが、一般に欧米の部屋は暗いですね。8畳くらいの部屋に60ワットの電球ひとつで十分らしいんです。私はもっと明るいのが好きなので、「100ワットの蛍光燈に変えろ」と主張するのですが、「こんなに明るくちゃ頭痛がしてくる」と言うわけです。どうやら目の色が暗いほど、明かりに対して鈍感みたいです。


    ●文化ギャップについて

     日本文化とデンマーク文化には相当違いがあるようです。もっとも私はデンマークに行ったこともなければ、彼以外のデンマーク人は一人も知らない。彼も日本人の友人は少しいますが、日本には行ったことがない。だから、小さなことで「あれ?!」と思うことはお互いあります。で、その度に「どうして?」とツッコミが入ります。

     最初に感じたのは、男女の社会的役割の違い。デンマークでは70年代にウーマンリブ旋風が吹き荒れて、それ以降女性の社会的地位がものすごく向上したそうです。他の欧米諸国と比べても、かなり女性が強い社会じゃないかと思います。

     社会的には完全に男女平等になっているし、家庭内でも女性を非常に大切にするそうです。90%以上の女性が結婚後も仕事をしているそうで、家事はほとんど男性の仕事とみなされているとか。料理も掃除もだんながやってくれるそうです(私は密かにラッキーと喜んでいる)。どうやら「尻に敷かれてる夫」ってのが多そうな気がする。

     恋愛過程においてもリードするのは女性なので、女性がアプローチしない限りコトは始まらない。これはどうもオーストラリア含めた欧米にある程度共通するみたいです。要するに、男性からのアプローチを待って大和撫子してると、永遠に欧米人男性はゲットできないってことです。気に入った男性がいたら、「今度お食事でもご一緒しませんか?」くらいのキッカケは作ってあげましょう(^^*)。

     また、スカンジナビア諸国では一般に性教育が発達していると聞いてましたが、本当にすごい。小学校3〜4年でセックスに関するあらゆることを学校で教えられるそうです。なにひとつ包み隠さず。更に家庭でも「女性の性は男性の性よりも繊細で進んでいるのだから、女性は大切にしなければならない」と諭される(初めてガールフレンドが出来たと母親に報告したら、コンドームをプレゼントしてくれたんだって)。だから、レイプ発生率はものすごく低く(レイプに対する刑が厳しいせいもあるのだが)、男性が衝動でセックスを強要するようなことは「サイテー」とみなされているんだそうです。
     セックスもすべて女性がコントロールするものと考えられていて(コンドーム付けるのも女性だし、体位は女性が上)、男性側がセックスを楽しむこと、女性を男性の性欲の対象として捉えることには罪悪感があるようです。なんか可哀相なくらい(^^*)。

     一方で、性産業の発達した日本では性に対してもっと自由で解放的ですね。伝統的には女性を男性の性欲の対象として捉えられることもあるけど、最近ではセックスにおいては男女平等と言えるんじゃないかな。でも、社会に出ると、やっぱり女性の力はまだまだ弱いし、男女機会均等法なんてのも本当に機能してるとは言い難いし。

     他にも違いはいろいろあります。デンマーク人は日本人のようにスマイルを多用しないとか、親戚間の関係が強かったり、世間の目を気にしがちな日本と比べると、欧米ではもっとドライに個人主義だとか。でも、デンマークって田舎だから日本の田舎みたいに他人の目気にする文化ってあるみたいだけど。

     これがお互いの国に住んでいればもっと顕著に違いが見えてきて、おもしろい分更に大変だったりするのでしょうが、今のところお互いにとって「外国」に住んでいるので、文化ギャップを擦りあわせるには好都合なんでしょう。

     将来的には日本やヨーロッパに住むこともあることと思いますが、今んところ「お互いにとって外国」というのが気に入ってます。特定の社会にドップリ漬かるよりも、一歩ひいてマージナルな立場から社会を眺めていられるというスタイルの方が私たちには合ってるみたいです。

     ところで親の反応はどうか?というと、ウチの場合は私のジェットコースター人生には慣れているので(諦めてるというべきか)、「あんたのことは宇宙人だと思ってるから、まだ地球上にいるだけマシだわ」「とにかく幸せにね」とコメント貰っただけでした。まあ、内心いろいろあるんでしょうけど(^^*)。よく「国際結婚して5年たつけど、まだ両親は認めてくれない」とか「未だに父はガイジンと結婚させるくらいなら、死んだ方マシだ言ってる」なんて話を聞きますけど、平均的日本の両親というのはそーゆーものなのでしょうか?
     ちなみに彼のお父さん(お母さんは10年前に亡くなっている)は「最初は言葉が通じないのが心配だったけど(お父さんはデンマーク語しかしゃべれない)、おまえが幸せそうなの見て安心した」と言ってるそうです。

     日本の場合、親が老いたら子が見るもの、というコンセンサスがありますが、欧米では「自分の老後は自分で面倒見る」のが当然なんだそうです(だから欧米では老人ホーム系の施設が充実している)。「子供の世話などになりたくない」というのが普通の親の感覚らしいです。そういう意味では私がデンマークで暮らす可能性よりも、日本で暮らす可能性の方が高いわけです。


     そんなわけで、確かに違いはありますが、それがまたスパイスにもなって面白くもあります。なんとなく発した言葉が相手を傷つけてしまったりもしますが、そういう時はもうとことん話し合って解決していくしかないんだし。「愛があれば何とかなる」とも言うけど、そんな単純なもんでもないと思うな。お互いが違いを認識した上で、なんとかしていこうという気持ちを持って努力し続けなきゃイケナイんだろうなあと今んとこ思ってます。もっともこれは、日本人同志でも同じことなんだけど。

     最近ちょっとしたことでちょっとした口論になったのですが、「文化が違うから」を言い訳にするのはやめよう、と。違うのは当たり前で、それを分かった上で結婚するんだから、文化の違いを言い訳にしてたら何も出来ないじゃないか、と。それより、「あなたとわたし」という個人対個人の関係で捉えていなきゃ、と。そりゃそうですよね。





     以上「違い」に焦点あてながら国際結婚について感じることを延べてきましたが、実際問題ほとんど違いって気にならないですよ。日本人同志だって各地域、家庭ごとに文化は違うわけだし。逆に、同じ日本人だからこそ「わかって当然」的な思い込みがあって衝突したりしますけど、「もう違うんだからしょうがない」と思ってるからわりと気にならなかったりして。
     また、言葉に関しても、同じ日本語しゃべってたって意味の通じない人もいるわけだし、コミュニケートしようとする意欲がなければ言語が共通だってどうにもならない。だから、思っていたほど大変なことじゃないです。

     そういや、こいつと結婚しようと決めたのは「バックグランドは全然違うのに、なぜか通じるぞ」ってことが大きかったと思います。理屈じゃなくて、魂レベルで交流しているような、そんな妙に心地のよい感覚があります。

     よく友人に「どうして結婚なの?」と聞かれるのですが、ビザ問題、子供問題等プラクティカルな理由もありますが、なんかそれが私たちの関係には一番しっくりハマるような気がするんです。離婚した時は「もう二度と結婚なんかしないぞ」と思っていたはずなんだけどなあ。

     「今度こそ離婚しないぞ」とも思っていないので(お互いが幸せじゃない状態で無理して結婚を維持する必要もないでしょ?)、また離婚するかもしれないけど、まあ、それはそれでいいんじゃないですか。


1998年4月10日:福島麻紀子

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