タスマニア3000キロ爆走日記(その2)
【12月25日(月)】
シドニー出発→ロンセストンへ
家を出るも、タクシーがつかまらず重い荷物を持って数百メートル彷徨。前途にちょっと暗い影。
午前10時05分シドニー発。アンセット航空(223便) 。
午前11時45分、
ロンセストン(LAUNCESTON)
着。機上より眼下の牧草地に点在する「薄緑色の不思議な物体」(後に干し草を固めたものと判明)を見つつ着陸すると、穏やかな晴天。
空港でレンタカーを借り、一路ロンセンストン市内へ。空港から出たところのごく普通の(片道一〜二車線くらいの)田舎道でいきなり速度表示が「110キロ」。「オーストラリアだなあ」を実感するのはいいが、舞い上がってハンドブレーキの解除が十分じゃないまま走るわ、道を間違えて往復ビンタ的に行ったり来たりを繰り返すわで、先が思いやられる。
一軒につき2家族泊れる。全部この宿の敷地
アーチャーズ・マナー(Archers Manor)
という発音しにくい名前の宿が一泊目。「土地余ってるぞ、地価安いよ」と誇示するかの如き、まるで自動車教習所のような広い駐車場兼通路を持つ、トンガリ三角屋根の山荘風ロッジ。なお、仮免中の福島は本当にここで練習した。
落ちついたあと、北方向の海岸の町ジョージ・タウンへドライヴする。果てしなく続くなだらかな丘陵にある片道一車線の道路の速度表示は、やはり100〜110キロ。ガードレールも中央分離帯も何もない狭い道路で時速100キロ以上でビュンビュン対向車とすれ違う。慣れるまで、気分はマッドマックス。
景色は広大だが、道は必ずしも広くない。ここを100キロ以上でビビりつつ爆走。
元旦よりも何よりも大切な、『1年に1日休むとしたらこの日』というクリスマスデーということもあり、ジョージタウンも、またタスマニア第二の都市である筈のロンセストンも単なるゴーストタウンと化している。ジョージタウンからの帰路は、対岸側を通り、最初の展望台に辿りつく。今回の旅行で習得した英単語の一つである「ルック・アウト」である。
ゴーストタウンとなったロンセストン市街を彷徨いながら、「食事」と「ガソリン」の心配が黒雲のように湧き出る。一旦宿に帰り、開いてると思われる(特に休みの表示がなかった)中華料理店に電話をし、無事予約を済ませてひと安心する。一人15ドルのクリスマス特別ディナーセットは、テイクアウェイと大差ないシロモノであるが、それでも食べられるだけ嬉しいクリスマスである。食べきれないでお持ちかえりとなる。
上記のような次第であるため、この日はアルコール分はゼロ(それどころではなかった)。
【12月26日(火)】
キングソロモンケイブ経由でデボンポートへ
ロンセストンを出発し、宿のオジサンのお勧めに従い、北方15キロ程の「スイス村」にゆく。実体は「郊外リゾート村(施設)」であり、一瞬住宅展示場を彷彿とさせるようなもの。地元の人にはめずらしいのかも知れないが、日本人にはむしろお馴染みの雰囲気ではある。強引に作ったかのように盛り上がってる展望台(まさに「展望台」以外の何物でもない)から、クリスマスケーキの上に乗ってるお菓子の家のような家々を見下ろす。これは中々キレイだった。だが、どうしてこれが「スイス」なのか、心からの納得は遂に得られなかった。
キングソロモンケイブ
途中、話好きのオジサンのいる「i」マークの情報所で道を教えて貰い、牧草地と林と山だけの裏道を西南の方向に爆走し、さらに西に進んで、洞窟(ケイブ)見物にゆく。
最初のケイヴはツアー時間までまだ間があり、近く(5キロ先)のもう一つの
ケイヴ(キングソロモン・ケイヴ)
に行く。ケイブとは要するに鍾乳洞であり、氷柱状の鍾乳石が天井からぶら下がってる洞窟を見物するだけだが、意外と奥まで距離はあるし、ライトアップ効果もあって、景観。しかし、45分の行程はなかなかに寒い。
後日注:シドニーのジェノランケイブの方が規模としては大きいのでしょうが、秘境感覚やオドロオドロした雰囲気はこちらの方が上だと思う。
北に転進し、一路、
デボンポート(DEVONPORT)
へ。
途中、
シェフィールド(SHEFFIELD )
という田舎町で「昼のランチ(フェットチーネ)」を食す。美味でもなく安くもないが、特に期待していないので「まぁ、いいか」と思って食う。「海の家のヤキソバ」のようなものだと思えばいい。町に散在する壁画で有名な町とのこと(と言うか有名にするために壁画を描いたのか)。ここで覚えた英単語、ミュラル(mural)=壁画。
デボンポートは、北方の漁港でありメルボルンへの海の玄関口でもある(フェリー/スピリッツ・オブ・タスマニア号が就航)。しかし港町風情を味わうより何より、昨日の食料飢餓への恐怖が、我々をスーパーとボトルショップへと駆りたてた。買出し成功、一安心。
宿は、
ラノッチ(Rannoch)
という名で、ケイト&リチャード夫妻が悠々自適(正確な家計の実情は知る術もないが、こちらからはそう見えた)にやっている「瀟洒の西洋民宿、B&B」。
長身のリチャードは、元船乗りで現在も港湾のパイロットをしている。夕刻、彼の「職場」でもある港に行き、豪華フェリー(メルボルンと往復する"Spirit of Tasmania"号)の港湾内方向転換の見物をする。
その後、予め目星をつけておいたイタリア料理の店にいって夕食。
郊外(宿の近くにも)、一面のポピー(芥子=阿片の原料)畑が広がっている。「あんな麻薬の原料、堂々と作ってええんかい?」という疑問が胸に去来する。後で聞いたら薬品原料として、ちゃんと許可を取って、厳重な管理のもとに栽培しているとのこと(確かに鉄条網に囲まれていた)。
【12月27日(水)】
デボンポートを拠点にクレイドルマウンテンへ
この日は一路南西の方向、
クレイドル・マウンテン国立公園
に行く。
遠くから見る分にはきれいだったのだが(写真右)、山に近づくにつれ、曇天気味になり、料金所・入口に着いたときには、晩秋から初冬気分。さらに悪路をついて数キロ進んだドウヴ湖は、もはや真冬。美しく、神秘的な「森と山と深い湖」の筈だったのに、雲や霧が山を覆い、寒風吹きすさぶ厳しい風景であった。夏だというのに。「静かな湖畔の森のカゲから〜」と歌おうと思って来たら、「津軽海峡冬景色」がかかっていたという感じ。
湖畔ピクニックコースもあるのだが、そんな度胸も、意思も、装備もなくそのまま帰る。「とりあえず行ってきました」というだけである。
1〜2キロ進むと、野性のカンガルーが、まるで公園管理当局に雇われたかのように、3〜4匹タムロしている所に出くわす。「本当にいるじゃん」。出来すぎのような気もしないでもないが、本当にいるんだから仕方がない。オーストラリア生活も長くなると、カンガルーが出てきても別に珍しいとは思わなくなるが、当時はビギナーであった。
デボンポートに戻るにしたがって陽光は復活し、デボンポート港の岬の灯台で、ヒッチコック状態のカモメの餌づけをし、アボリジニー博物館、海洋博物館を見る。一旦、宿に戻り、昨夜のイタリア料理屋の隣のインド料理屋で夕食。
注:お気楽なタスマニア旅行でありますが、ここでちょっとシリアスになると、タスマニアの歴史は、実は暗い。一つはアボリジニの虐殺、もう一つは苛酷な囚人労働。「オーストラリアのトラウマ」ともいうべき重い重い過去があります。
タスマニアのアボリジニは、混血の人は残ってるそうですが純血の人は皆殺し。絶滅。だからアボリジニ博物館があったりするわけです。アボリジニとの混血だという人が丁寧に館内を案内してくれ、最後に「聴いてくれてありがとう」と言った。温かで、でも真摯な目をしていたのが印象的だった。
リチャードに教えてもらった通り、その足で、海岸線まで行ってペンギン見物をする。
小一時間ほど待たされる。期待と焦燥の余り昆布の大群をペンギンと見間違え、仲間内で「ペンギンだよ!ほら動いてるもん」「そうかなあ?」で激論を闘わす。
そんなこんなで夕闇が濃くなった頃、ようやくペンギン登場(もっとも暗くて白いお腹だけがうっすら判別できる程度)。「わ、出た!」と喜んでいるのは日本人である我々くらいで、他のオージーらしき見物人は全然騒がないでのんびりしてる。ペンギンも含め全体の自然をリラックスして楽しんでいる感じで、「ペンギンさえ見えりゃそれでいいんだ」という自分らの貧乏臭さが良く判ったのであった。
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