あらすじ 1995年、シドニーに移住してまもなく、日本にいる両親が年末年始に3週間ほど遊びに来るという。シドニーは3週間もいたら飽きるだろうし(飽きるのは両親ではなく、案内するワタシ)、折角だからどこかに旅行に行ってみようということになった。ノーザンテリトリーやクィーンズランドも検討したが、夏場なので北上は避けた方がいいだろうとの配慮で、思い切り南へ、タスマニア島へ飛ぶことにした。 私(福島)はちょうど運転免許取得に取り掛かったところで、Lマーク(仮免)状態だったので、ドライバーとして相棒田村を連れ出すことに。3名だと宿もダブル+シングルを予約するから(両親と同室で2週間も我慢していられる自信はない)お金がかさむが、4名ならば合理的でもある。というわけで、合計4名の道中となった。 旅行の計画を始めたのは10月に入ってから。シティにあるタスマニア・トラベルセンター(州政府の公的機関)に行って資料を集めてきて検討。宿については、その日の気分で現場で決めたかったのだが、年末年始のホリデーシーズンはものすごく混み合うというので、同じくタスマニア・トラベルセンターを通じて、事前に予約をした。が、これが苦労した。資料を見て「これは!」と思うところは軒並み満室で、特にホバート付近は、ヨットレースの最終日である正月にあたることもあって、全滅というありさま。田舎方面では希望どおりの宿がとれたが、都会は「もうどこでもいいから抑えてくれい!」という状態だった。 教訓:ホリデーシーズンは本当にバカにできない。もっと早めに予約すべきであった。 タスマニアといえば大自然の宝庫。できれば2〜3日は国立公園のトレイルをハイキングしてみたりもしたかったが、親の体力を考慮して、とりあえずレンタカーで行けるところだけに絞った。地図で見るとオーストラリア大陸の切れ端みたいなサイズだから、2週間あればくまなく走れるだろうと思っていたが、計画を始めてみると、意外とデカく(北海道と同じくらい)、一日の移動距離が300キロを超えないようにするのは結構大変であることに気付いた。結果的には、3000キロも走ることになった。借りたレンタカーは走行キロわずか27キロ位の全くの新車だったが、返すときにはトリップメーターもキッチリ3000キロいっていた。 クレイドルマウンテン、ゴードンリバークルーズ、セントクレア湖など、有名どころは押さえた。あとは現場のノリで現地情報を集めて行動すればよい。当時は働いていて時間がなかったこともあるが、そういやあんまり真剣にどこを見るかなんて考えていなかったような気もする。結果的にはそれで正解だったのだが。 |