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Essay 971:医療崩壊について(財政論や私見など)



2021年01月10日
写真は、970と同じくSouth Coogeeの同じ場所


一つ前の970で、とりあえず押さえるべき基礎知識は書いておきました。

医療崩壊(1)〜去年は一昨年よりも人が死んでいない
医療崩壊(2)〜国が頑張って医療設備を「減らして」いる
医療崩壊(3)〜長年にわたる国策としての医療削減
医療崩壊(4)〜感染指定の基礎知識

 これらを前提に書きます。

 通じて思うのは、
(1)医療費膨張の問題
(2)政治や行政の硬直性

 の二点です。
 (1)ですが、医療費を抑制するために十数年前から営々と国がやってます。公立病院の統廃合や病床削減を補助金をつけてまでやっている。コロナのさなかにおいてすら、さらに加速して減らしている。これはもう怒涛の奔流の流れであり、「コロナごとき一過性の出来事」で左右されるわけにはいかないという感じを受けます。これは後に書きます。

日本の政治・行政の硬直性

 (2)は、民間病院が8割の日本において、公立と民間の融通無礙な連携が出来ていない。ただでさえ医療費削減の煽りを食って経営的にしんどい民間病院に、コロナ患者を受け入れろというのは経営的には死刑宣告に近い場合もあるでしょう。なんせ引き受けたら最後、病院の一部分を隔離せんならんわ、スタッフの多くを取られてしまうわ、他の患者さんがビビって逃げてしまうわで、引き受ける=億単位の損失を覚悟という話になったら、およそ出来るものではない。連携ができてないというのは、そのあたりの人員や資金面での援助も当然に含みます、、というか、資金的な手当こそが本体部分とすら言える。

 また崩壊(4)指定のところでも書きましたが、コロナのように罹ってもなんともないという人が過半数を占めるような病気を、ペストやコレラと同列に論じることが無理だと言えます。初期においては不明点も多かったから、万全を期してそうしたというのは理解できますが、だんだん分かってきたのだから臨機応変に変えても良さそうなものです。感染指定2は、ほとんど戦争状態と同じような国家臨戦態勢であり、だからこそ戒厳令のような強力な私権制限もできるようになっている。そこまでする必要があるのかという疑問はあります。

 その点は議論のあるところにしても、指定2が国策としての感染撲滅であり、PCRも医療行為ではなく行政検査(どっかの水質検査とか放射能検査のようなもの)として扱い、それゆえ国(保健所)が全権を掌握していなければいけないというフレームは、今回のコロナには全く適合していない。結果、「尾が犬を振る」ように、保健所のキャパが検査の絶対数を厳しく制限してしまい、増やしたくても増やせないという不合理な状況を招いている。それも最初の頃から激しく非難されながらも、もう10ヶ月以上延々そのまま(多少委託は増えたが、根本構造は変わらず)。国がすべてを把握すべしというドグマがあったら、何がなんでもやるとかいっても、結局全然出来ていない。国が全部掌握という本来の目的すら全く達成されていない。でも止めない。なんなんだ?という。

 なぜこんなに硬直的なのか?という問題になります。ここが硬直的だから、公民連携も出来ないし、取扱の自由度を高める事もできない。またきめ細かな対応も出来ない。エリアにより、場所により事情は全然違うんだから、その時々での最適解を現場の人間が決められるようにしたらいいのに、それも出来ない。地方の平穏な村、人口も少なく、行動も追跡しやすい状況で感染者が出たら、これは追跡調査などでクラスター処理をするのが合理的でしょう。初期の和歌山県のように。しかし、首都圏のように3000万人が毎日出歩いていて、しかも感染経路の大半が不明というカオスではそんな方法論は不可能だし無意味ですから、他のやり方を考えたほうがいい。

 「他のやり方」ってなによ?といえば、例えば、一律の原因論なんか無いんだから、感染防止はもう皆の自助に頼るしか無いわけでしょ。スケープゴートの歴史みたいな感じで、過去に夜の街が、ホストが、パチンコ屋が、そして今は飲食店が魔女裁判のように火あぶりになってるわけで、いつまでそんな暗黒中世物語をやってるんだ?ということです。

 感染経路が無限にあるとするなら(オーストラリアでは下水にウイルスが発見されている)、経路別にどうとかいうよりも、一人ひとりの行動に期待するほかなく、その際に一番大事なのは自分が感染してるかどうかの現状認識でしょう。ならば、PCR検査よりも手軽で安価な検査が世界に出回ってるんだから、それらを低廉ないし無料で配布したらいいです。家庭内感染が4割とかどっかで聞いたけど、僕だって帰省したら高齢の母親がいるわけで、自分が感染してないかは毎日でも知りたいですよ。もし感染してたら、しばらく家には戻らず、どっかに宿泊するでしょう。また陽性検査を持っていったら、補償金1日3000円でも貰えるとしたら、皆やるでしょうよ。それが金がかかるなら、どっかのバラックでも体育館でもなんでもいいから、被災者の避難所のように無料で泊れる場所をたくさん用意したらいい。で、施設の運営は無症状の(元気な)感染者(or 抗体保持者)に働いてもらえばいいじゃないか。感染者ばっかだったら動線と隔離とかマスクとか何もいらんだろ。失業対策にもなるし。抗体保持者にもたくさんやってもらって、サンプルケースをたくさん採取すれば、抗体の実際など貴重な資料も手に入るし。

 そんなのは一律に国とかで決められるものではないから、どんどん権限を下に下ろす。東京といったって八丈島も東京なんだから、区や町レベルにまで落していい。また、歌舞伎町やら、商店街やらだったら、そのエリアでの商店会、大きな会社や職場などに委ねてもいい。一過性のもので多額の出費を必要ともしないのだから、マンションの自治会(補修費負担)運営なんかよりは、はるかに簡単でしょ。

 アイディアなんか無限に出てくるのだけど、しかし国(省庁官僚)が(出来もせんの)にしっかり権限を握って離さないという部分に根本的な宿痾があるように思います。

 ま、結局は「いつもの話」になるのですよ。
 縦割り行政の弊害とか、行政の硬直性とか、一回決めたら死んでもインパール作戦体質とか、薬害エイズでも動かぬ証拠が出てくるまでひた隠しに隠す、キーマンである中間官僚はどんどん自殺する、そこまでして守りたい官僚無謬神話であるとか、無罪になったらカッコ悪いから証拠を捏造してでも有罪にしようとするが(最近では村木さん事件とか)、政治的に必要ならば、目の前にはいて捨てるほど有罪の証拠があってもガン無視して不起訴にするとか。

 つまりは、日本の政治・行政は、合理性、合目的性以外の原理で動いているという、統合失調症のような体質がある。現場の多くの公務員は合目的的に動こうとするし、中枢官僚も馬鹿じゃないからそうしたいでしょう。しかし、それを上書きする「なにか」があると、そうならない。それは政治家やら官僚の利権であったり(口利きワイロ、アメリカの圧力、天下りの老後生活その他)、もう何十年も、下手したら万葉集の頃からずっとそうかもしれない。

 今の日本の不幸というか、必然というか、トホホ状況は、安倍〜菅の歴代政権が、異次元レベルにダメダメであり、それも個々の政策の良し悪し以上に、首相の人間性レベルで問題がある点。あまりにも面白いツッコミどころが目の前にぶら下がっているから、ついついそっちに引っ張られる。問題の本質はそこではない。もっと大きな全体の構造だと思うんだけど、そこまで刃が届かない。もしかして誰か頭のイイやつが、そこまで計算して、敢えてダメダメなのを前に押し立ててサンドバックの弾除けとして利用してるのかな?と思ってしまうくらいです。

 ともあれ根本的に是正するには、一番地味なこと、選挙の度に、舐めたことをした政党や政治家は落とすということを、淡々と繰り返すしか無いです。数年単位で政権が変わって、新政権が前政権の悪いところを遠慮会釈なく叩きまくり、摘発しまくるとなったら、おっかなくて馬鹿なことは出来ないでしょう。つまり一定周期で誰であれ政権から追い落とすこと、新陳代謝をすることであり、何党が良いとか悪いとかではないです。変えるというのがポイント。20年前から言ってますけど、keep bustard honestです。

 結局、それが一番早い。思うに、時給換算したコスパ計算でいえば、ちゃんと選挙で投票するのが、生涯所得を向上するには最も効率が高いと思われます。投票って小一時間、長くても数時間で出来る。それによって直接・間接的に数十万、数百万得られるかもしれないんだから、時給数十万円ですよー。まあ絶対そうなる保証はないけど、宝くじやパチンコなんかよりも遥かに勝率は高いです。

 だけど、アメリカ見てても思うけど、選挙に不正があるなら、それも叶わない。これも逆にいえば、あれだけ世界で不正選挙がはびこっているのは、やる側にしてはそれだけの投資価値があるわけです。塀の中に入るリスクを犯すだけの見返りがある。そんな気合を入れるくらい、皆に真面目に選挙に行ってもらったら、そして負けたら非常に困るわけで、それこそが彼らの生命線でしょう。

 そのためには日々の洗脳から余念がないです。「変える」というフレームから、「最も素敵な人を選ぶ」「有能そうな人を選ぶ」という人気投票的なフレームで物を考えるように仕向ける。そして野党があれこれやっても何も報じないようにする。情報絶対量を少なくしてしまえば、まるで何もやってないかのように見える。そして頼りない、情けない、存在価値がないように見せることができる。だから消去法的に現政権がベストであるかのように見せる。「ほかに適当な人がいない」とかいうクソ理由がトップにくる。「この程度の国民」というのは、そんな子供だましにひっかかる程度の国民という意味でしょ。


医療費抑制〜結局カネの話になる

 過去に「エッセイ第909回 : この先50年の人生設計」(19年09月)のなかで、、予算に対する医療費の割合を書きました。

 また見に行くのは面倒だろうから、そこで上げたグラフをここに再掲します。


 そこで書いたことをまた抜粋すると、
「これを月収レベルに置き換えれば、月収70万円の家庭で、43万円を治療費とか介護費に使ってる」
「単純に予算だけで言うなら、日本国の実体はなにか?と言われれば「老人と病人のサポート団体」」
 少子高齢化の構成からいって「あと10年内外で、国の金勘定の大部分を占める医療介護その他がかなりヤバい感じになり、その後20年くらい続く。その後も一段落はするけど、それでも基本しんどい時期が続く」。50年スパンで将来設計するなら「普通にどっかで結構ムチャクチャになるだろう。ドカンと破綻するか、じわじわと背中から血を抜かれてミイラ化するのかわからないけど、ある時点から先は正常に機能しにくくなるだろうというのは当然予想しておくべき」と書いてます。

 書いたのが2019年09月ですから、その数カ月後にコロナがあるとは思ってなかったのですが、これで予想は前倒しになって一気に進んでいるという悲しいことになってます。

 なので、国がある程度医療費の抑制をしようというのは、それ自体は間違ってないと思いますよ。このまま膨れ上がっていき、それを負担するのが国民ならば、年々負担が増えることになります。今でも実際負担は増えてます。最近ですか、後期高齢者も自己負担率を二倍にするとか。しかし、そんなもんじゃないってレベルの話になるかもしれない。10万稼いだら8万円税金でもっていかれるという江戸時代の悪代官の「八公ニ民」みたいになるかもしれない。

 それは国民にもある程度浸透してて、無駄な医療費問題は、例えば「病院が老人のサロンになっている」「薬出しすぎ」というのは、よく言われてましたよね。

 ただ、コロナを機に再検証するなら、(1)医療費抑制のありかた論、(2)国家財政破綻論の二点があります。

医療費抑制の内実

 医療費抑制については、何をどれだけ抑制するか論があります。単に病院を減らせとか、看護師の給料を下げろとかいうだけではなく、細かく見てるといろいろ考えるべきところはあります。

 参考になるのは、日本臨床外科学科の一般向け広報です。業界の言い分ということで、一見の価値はあります。

 そのなかに、やや資料が古いのですが、興味深い指摘があったのであげておきますね。


 左から医療費における薬の比率で日本はこれが高い。
 例として「不整脈治療に使われるリスモダンはわが国では1錠90.5円ですが、英国では14.3円、世界一薬価が高いと言われる米国でも66.8円です。また血管造影剤のオムニパークはわが国では100mlが14,709円ですが、フランスでは1/3の5,244円、米国でも12,854円です。 厚生労働省が保険で決めている日本の薬価は世界一高いものが多いのです。」

 そして、「何故厚生労働省は薬価をこんなに高く設定しているのでしょうか。いろいろともっともらしい説明がなされていますが、日本の製薬業界の最大の組織である東京医薬品工業協会(東薬工)、大阪医薬品協会(大薬協)の理事長などの幹部職が厚生労働省の局長経験者の天下り先となっていることとも無関係ではないかも知れません。」とまで書かれて、学者さんやお医者さんの集まり、いわばお公家さんのようなおっとりした「学会」がここまで痛烈に踏み込んだことを言ってるのに驚きました。言っていいのかよ?というレベル。

 真中の表は医療機器の値段で同じものを輸入している他国よりも日本の方が高い場合がある。ペースメーカーなどはイギリスで30万円(相当)で使っているのに、日本では160万円も払っている。機器メーカーにボラれている、というかそういう価格に国が設定している。なんで?という話ですね。

 右は、国民一人あたりの年間受診回数で、日本が突出して高い。
 これは昔から言われている老人サロン問題の点もあるのかもしれないです。

 ということで、ちょっと資料も古いし、今現在どうかという点はあるかとは思いますが、古典的な指摘として掲げてきますね。しかし、学会が天下り批判をするとか、よほど腹に据えかねるものがあるのでしょう。特に冒頭の方に「勤務医の我慢は限界に来てる〜労基法が適用されない」などとも書かれてますし。
 この問題意識を、エッセイ970で上げた「予習」の(3)=医療費抑制のためにせっせと病院の統廃合と病床削減、補助金カットをやっているに重ね合わせてみると、病院や病床削減だけではなく、同時に医療機器や薬剤の価格設定の妥当性、それに関する政治的圧力(天下りや、外国政府からの圧力)についても議論の対象にするべきだと思われます。


本当に膨張しているのか 

 別の視点で書かれているのが、医療費膨張を煽る「誤報」はこうして生まれるです。


 問題意識は、「1994年に出された2025年の医療費の見通しは141兆円だった→6年後の2000年試算では81兆円になった→2006年試算では65兆円になった」「なぜこんなにも予測の失敗を繰り返すのか。過大な予測をわざと出して、医療費抑制機運を高めようとする厚労省の陰謀ではないか!」という話です。

 この指摘の面白いのは、医療費予測シュミレをする場合、名目経済成長率に合わせてやってるからだと。だから経済が良くて高い成長率が見込めるときは、医療費も高くなり、経済がしょぼくなって見込みも少なくなると医療費も少なくなるという連動がある。本来、このくらい患者が増えて、このくらいの治療費がかかるからと実質ベースで出すべき医療費予想が、ただの経済予測連動になっている。本当は実質値、対GDPあたりいくらで出すべき。

 そこで対GDP比率で出した医療費のグラフがありましたので、お借りして載せます。


 この表は何を意味しているかと言えば、対GDP比率という実質で言えば、これから医療破綻するってほど伸びることはないのではないか?というのが一点。名目の数値だけでいえば、途方もない伸びのように見えるが、全体の国富との関係でいえば、本当にキツかったのは2000年から2010年までであり、これから先もキツくはなるが、過去ほどではないと。

 しかし医療費総抑制の財務省のPRのせいか、たしかに医療費は抑制されてきて、結果としてみると、下のグラフのように、高齢化率が世界一の日本は、それでも対GDP比率では、他の先進国に比べ貧弱な社会福祉のまま据え置かれている。


本当に財政破綻するのか

 次の視点としては、話題のMMT理論です。
 これは「理論」なのかどうかわからない、いまだにキワモノ扱いですが、要は国債で借金しても引き受けるのが日銀とか国民だったら問題ないのだ、経済理論ではそれをすると超インフレが起きると言うけど、起きてないじゃないか、現実に大丈夫なんだから、いいんだと。

 うさく臭くはあるのですけど、実際にインフレは起きてないですからね。てか、コロナでこれだけ実体経済が悲惨なことになっても、世界的に株価が高いままという「超常現象」というか、幽霊やゾンビが列をつくって大通りを行進しているような現実を前にしては、何が正しいのかはもうわからんです。

 これに対しては、肯定論と、そんなワケないだろという否定論にわかれるわけですが、日本の財政が破綻すれば、週5万円しか引き出せない日々がずっと続く という論稿があります。よく他でも引用されてますが。


 内容は、アイスランドやギリシャの例を分析しておられて、面白いです。アイスランドは健全な国で、財政も健全で、政治も健全。いっときパナマ文章で富裕層の隠し財産が世界的にバレたのですが、どこの国も知らんぷり、メディアも忖度しまくりだったときに、わずか数日後に潔く辞職したのがアイスランドの首相だったと覚えてます。透明でまともな国だなと敬意を持っているのですが、そのアイスランドが財政破綻で死ぬ思いをしてました。理由は国家財政ではなく民間の三大銀行。民間銀行がはしゃぎまくって博打打ちすぎて大破綻。日本のバブルと同じ。そのためアイスランド国民を地獄に引きずり落としてます。結果として、アイスランドのあらゆる税金は50-100%の大増税。もう国民はたまったもんじゃないでしょうし、恨み骨髄でしょう。どっかの銀行の頭取の家が焼き討ちされたらしいですけど、さもありなん。

 日本の場合、興味深いグラフがあったので引用します。


 わかりにくいグラフですが、これは日本の経常収支の推移を示したもので、「我が国の製造業の高い国際競争力を背景に、貿易収支で黒字の大半を稼ぎ出してい」るというのは過去形で、全然そんな状態ではないです。貿易収支なんか2018年あたりから限りなくゼロです。その代わり伸びているのが「第一次所得収支」というやつで、「企業が海外に展開した現地子会社からの収益や、個人が海外資産に投資した収益を国内に還流させたもの」です。ほとんどこればっかです。日本企業はいま国外で儲けているからなんとかなっている。それも輸出ではなく現地法人が現地で売って儲けて、その儲けを日本に「仕送り」していると。それと、富裕層をはじめとした資本逃避で、どんどん海外の投資先にお金を持っていって、そこでの利益を日本に持ってきていることです。

 それが臨界点を超えると、資本異動はもう止められなくなり、日銀がいくら金利を上げようとしても、膨大に抱え込んだ国債その他で身動きとれず、結局強制的な移動禁止の金融戒厳令をやるしかない。それが資本移動規制であり、アイスランドもギリシャもやるハメになった。週にいくらしか下ろせない、いくらしか海外送金できないとなると、海外でビジネスしている日本企業にとっては致命的。海外で儲けても日本に送れないから、もう本社を海外にして海外で自己完結させてしまい、日本企業であることをやめるとかになるかもしれない。そうなると仕送り兵糧を断たれた国内はもっと悲惨なことになる。

 ま、このへんの理屈は僕もよくわかってるわけではないし、これが正しいかどうかもわからんですが、そんなに楽観してて良いというものではないとは思います。


総合的にどう考えるべき?

ときと場合〜パキパキした透明な実行

 以下、ざっくばらんに私見を書きなぐります、あんまり深く考えないで。
 いやあ、いろいろな視点でものを考えなければならないから大変だよなーという、馬鹿みたいな感想が一つ。

 その上で、あれこれブチこんで思うのは、やっぱりフレキシビリティ〜臨機応変にパキパキ、透明にやっていくことだと思います。

 医療費の総抑制とか、無駄を排除するとかいう大きな流れは、現実を考えればそうせざるを得ない部分もあるかとは思う。だけど、時と場合によりけりでしょう。コロナのように大騒ぎするのであれば、それ用の財政出動はやむを得ないでしょう。病気で苦しむのも、貧乏で苦しむのも同じ「苦しみ」という点では同じことですから、ともあれ一番しんどい人から順に救っていくしかない。災害での救出順位と同じことです。その場合、あまりにも統一的なフォーマットにこだわるべきでもない。「老人と子供を先に」という大命題はそうだとしても、ケースバイケースで、作業の効率や結果の大きさから考えて、一瞬順番を逆にしたほうが良い場合は、どんどんそうすべき。またすべての条件を一度に満たすのは不可能だから、期間限定でテーマがAのときはAを、BのときはBをやるというメリハリもいるでしょう。

 財政出動でも、中途半端にケチりながら形だけやるとかいうのは、多くの人が言ってるように意味が薄いのみならず、不公平感だけが残る。誰にどれだけ出すか?は、多分どう決めても絶対完璧はありえないから、とりあえずめちゃくちゃ困ってる人(ホームレスや貧困、失業、派遣切り)などに先にやっていくという手法もあるでしょう。ボトムからまず埋めていく。そして、いくら失業して、いくら破産しようとも、「絶対に死ぬことない」と誰もが安心できる(最低限寝るところと食物は=ボロくてまずかろうが=ある)という保障をやるべき。ボランティアの炊き出しとかに市民の善意だけじゃなくて、国策としてやる。選手村どころか議員宿舎だって開放して、国会議員が率先して炊き出しやったらんかいって気はしますね、ポーズじゃなくて。

 だってさ、実際に今の日本でホームレスになったら、(途中で脱出できなかったら)ほんと数年もしないで死んじゃうでしょ。とくに寒波が厳しいさなか野宿なんかしてたら普通に死にますよ、北海道なんか即死だろ。かつて聴いたことがあるが、路上生活者の場合「風邪」が実は一番恐いらしいです。コロナなんかじゃなくて。なぜなら「栄養のあるものを食べて、暖かくして、安静にして」たら治る病気も、その3つがすべて手に入らないんだから風邪ひとつで死ぬのですよ。

 あるいは財政手当でも、山本太郎が言ってるように、もう一律全面でやるとか。選別議論をやりだしたら収拾がつかないし、ついたとしても政治力とかわけのわからないもので決まったりするし、またマスク二枚送るだけにあんな無駄金と時間がかかってることからも、実行可能性がない。ならば、例えばマイナンバーを普及させたいなら、マイナンバーカードをクレジット仕様にして、そこに国が毎月10万いれておけば電算処理で済む。一人10万円1億人に配って10兆、10ヶ月やって100兆円、もうそのくらい覚悟しろ。そして富裕層は栄誉ある辞退をしてね、辞退した人には赤い羽根のような自慢グッズを差し上げますと。自慢したかったら辞退しろ、カッコつけたい人は赤い羽根をしてないと恥ずかしいようにしろ。でも困ってる人の場合、4人家族で毎月40万入るなら大分人間らしく生きていける。その代わりその40万も所得として計算するから来年は税金増えるので覚悟してね。また、困ってる人ほど、右から左に使うだろうから、経済対策になる。供給者(お店)にお金をあげるよりも、すぐに使う消費者に上げた方が速いけど、GO TOのように限られた職種にしない。現金配るのが一番速い。

 その論理的根拠は、MMTでも、「背に腹は代えられない」でもなんでもいいですけど、後者の方が強いかな。「時と場合によりけり」ってことです。MMTって「だってインフレ起きてないじゃん、現実に」というくらいの根拠しかないように思うのだけど(大雑把な理解で悪いが)、だとしたら実際にインフレが起きた瞬間に木っ端微塵になる理論ですよね。でもこれって「死後の世界はあるか」論みたいなで、死んでしまったら理論もクソもないですからね。

 皆が政治に望むのは、そのあたり、無理なのものは無理、でもこれはやるってパキパキした決定と実行、その過程における透明性と合理性だと思います。そして、そこが一番足りてないところでしょう。

超直接民主制

 思うに今の日本の現状が、ある意味では直接民主制なのかもしれないです。だって、みんな出歩いているじゃん。満員電車もそのままだしさ。こんなの学級会と同じで、タテマエでは「いいと思いま〜す」というけど、休み時間になると「け、やってられっかよ」とブータレているのが普通の人間というもので、コロナもまんまそのとおりじゃないんですか。

 それを嘆かわしいとか、民度が低いとかいうけど、そういう人って数からいえば実は少ないと思います。学級会で、形だけのクソ正論(本音のぶちまかしではなく)を言って、クラスメートにウザがられている奴というのが、20人に一人くらいの割合(数は適当)でいたりするけど、あんな感じちゃう?

 満員電車がどうのっていったって、行かなかったらクビになるんだし、その人への金銭やキャリア保障を誰がするんだ?といえば、誰もやらない、国もそんなことまでやってられる金もない。だから食っていくためには仕方がない。出来もせんことをいくら決めても時間の無駄。大体、地下鉄にサリンを撒かれて皆バタバタ死んでいるその翌日、同じ路線に同じ時間で満員電車だったんですよー。日本のサラリーマンの通勤を舐めんなよって。サリンでもビビらない連中を、たかがコロナでビビらせられるわけがないじゃないか。仮にホームにゴロゴロ死体が転がっていても、その死体をまたいでも通勤するでしょ。

 「自粛」「要請」とかいって補償金も出さないのは、それはないだろって声が強いです。僕もそう思う。ただ、国民の側も「自粛とセットで補償金も出しますけど、財源がないので、今年だけ税金を一律30%あげますけど、それでもいいよね?だって金がないんだもん、しょうがないじゃん」って聴いてみたらいいです。多分、皆イヤだと言うと思うよ。イヤだって国民がいうなら、自粛もナシです。

 というかさ、「自粛」なんて他人に言われてやったら「自粛」じゃない。逆に今のマスク励行は法的義務でもなんでもない。つまりは日本社会を廻すのは法律でも権力でもなく、私的な雰囲気でしょう。つまり事実上の超直接民主制じゃないか。いや代表なんかまどろっこしい中間団体をすっ飛ばして、自分で決めて自分で実行してるだけだから直接自治か。

 マスクでもワクチンでも飲み会でも、やりたい人はやるし、やりたくない人はやらない。国に強制力を認めないならそういうことになるし、また「強制力」なんて事実上ありえない。なぜなら、こういう強制力というのは、対象者が限定少数だったら意味あるけど、対象者が全員になったら物理的にもう不可能だから絵に描いた餅でしょう。たまたま運が悪いやつが罰金食らうだけで。だから何をどうしても結局はそういうことになる。

上にいくほどビビってない疑惑

 そういえば、帰国のことを調べてて、本当に空港から皆さん公共交通機関を使ってないのか?と疑問になったんだけど、皆のブログや体験談でみかけるのは、ザルだということ以上に、結構金持ってる風の人が、平然とズルしてて、金持ってない風のお兄ちゃんとかが真面目に頑張ってるという、これでいいのか?って話です。

 だけど、それ話が逆だと思うぞ。変な言い方だけど、そこで真面目に守ってるようでは金なんか貯まらないよってことじゃないのか?富裕層、あるいは人並み以上にガンガン稼いでいる奴というのは、世の中のギリギリの見切りが上手い。「なんだかんだ言ってるけど結局コレだろ」って洞察力といってもいいけど、それがないと売れる商品は作れない。下世話にしたほうが売れるというのもわかってるでしょ。それに人の目なんか気にしてるようでは金は稼げないよ。またマスコミやネットの言うことを真に受けてるようでは論外です。

 また彼らは自分でリスク取って自分で決めるのが習い性になっているでしょう。経営者ってそういうもので、勝負慣れしてるし、リスク査定に慣れている。そして数千万、数億という大きな単位の数の計算に慣れている。僕が最初にコロナを出くわしたとき、あまりのリスク値の低さに何を騒いでいるのか理解できないと書きましたが(今でもそうですが)、1.2億のうちの4000人も死んでない。1億対1万でも1万分の1、死なない確率99.99%。あなただって勝率99.99%の宝くじがあったら買うんじゃないですか?0.01%にビビって諦めるってことはしないでしょう。やりたいことがある人の場合、障害となるリスク値0.01%なんてゼロと同じです。それであたったら事故だし、運命ですわ。実際のビジネスや、切った張ったの修羅場では、リスク値70%でヤバい方が高くても、それでも勝負かけたりするわけで、それをするから金が儲かる。

 大してやりたいことがあるわけでもない薄い人生だったら、0.001%でもリスクは重いでしょうけど、やりたいことがあるなら、それを失う辛さは非常に厳しい。彼らにとって14日も空転するのは、場合によっては数百万、数千万の損になるから、仮に罰金が百万だろうが200万だろうが、安いもんでしょ。損得勘定の発想が根本的に違う。そうでなければ、格安で7万円で乗れる同じ飛行機に、なんでファーストやビジネスで50万も出すかよ。

 それと、多分、想像だけど、権力でも金力でも力と情報力は比例する。僕も弁護士やってるときに、ボスのボスが日弁連の会長やってるときに、「天上界の声」のような感じで、絶対メディアに出ないような貴重な情報を漏れ聞いたことがあります。漏れ聞ける程度だから、別に漏れても構わないような話なんだけど、でも、「ああ、実はそうなのか」と思った。もう情報収集力が全然違う。桁違い。

 で、なんで富裕層が守らないのか、なんであんな高齢者ばっかの政治家周辺が会食をやめないのか?多分、彼らには伝わってるんだと思いますよ、コロナはそんなビビるような話じゃないって。だから、やってる感を出そうにも、なかなか真剣になれないんだと思うぞ。バカバカしくなっちゃうんだろうな。非難轟々のアベノマスクだって、関係者一同、自分でするとは全然思ってなかったはず。自分でもやると思ってたら、もう少し仕様やデザインも考えただろうしね。あそこまで悲惨だというのは、自分がやるとは全く思ってなかったという証拠だと思いますね。

民度ってなに?

 それはともかく、政治家であろうが、そのへんの僕も含めてふつーのお兄ちゃんであろうが、おばちゃんであろうが、自分なりにリスク査定して自分で動くでしょ?その結果として、行楽地には人出が〜、緊急事態宣言が出ても満員電車は普通に満員で、町には人が溢れてってことでしょ。

 全然守らない国民の民度が低いのか高いのか、そこは議論のわかれるところでしょう。だけど、民度の低い国民によって、経営破綻をかろうじて免れている店も多いのですよね。お店を守り、従業員を守るならば、利用したほうが良い。

 それに、若い人に取ってみたら、家にこもって年老いた家族に感染す機会を増やすくらいなら、出来るだけ外を出歩いて家の滞在時間を減らすほうが合理的ですらある。そんなことまで考えるなら(考えてるよ)、むしろ民度は高いとも言える。

 てかさ、膨大な人々の集団を民度などという尺度で判定しようというのが傲慢だと思うぞ、お前は神かって。それに「民度」をいうなら、「官度」も言えよって気もしますね。民の成熟度を推し量るなら、官の成熟度も語れよ。「官度」なんて言葉はないけど。もっとも民であろうが官であろうが、民度を量る奴もまた量られる奴も、同じ場所に同じ時代に生まれて同じようもの食って同じように育ってきてるんだから、そんなに大差ないだろって気もしますけどね。

 とある愚劣な決まりや慣行があった場合、例えば学校において偏差値絶対で、偏差値が低い生徒は人格的に侮辱されても当然であるという状況があった場合、それに従って「いい子」になって偏差値絶対で他人を扱う人と、ふざけんな!でブチ切れて暴れている人がいた場合、どちらが「民度」が高いのか?こんなの結局のところ、その人の趣味でしょう。

確率論の神学論争

 ときに、親の介護のために一旦帰国しようかと悩んでますが、帰国してすぐ自宅引きこもりをすべきか、どっかに泊まるべきか、二転三転してます。最初は、いきなり自宅で老親と会うのはマズイだろとか思ったのだが、、、、しかしですね、よくよく考えてみると、オーストラリアはほとんど感染者がいません。

 オーストラリアでは感染が一人二人でいちいち大騒ぎしてるから、たくさんいるように見えるけど、絶対数では非常に少ない。例えば今日現在のシドニーですら、523万人都市で、新規3人(既に知られているクラスターの追跡だから問題なし)、8人(海外来訪ホテル組)合計11人。現在ICUは一人(こないだまでずっとゼロだった)。NSW州全体の人口754万人でこれまで累積検査数は437万検査、優に50%以上の人が検査している。それで累積感染者が10ヶ月で4800人、死者56人でしかない。

 その意味でいえば、オーストラリアから帰った身にすれば、日本の空気に触れるほうがヤバい。感染の海に飛び込むような気分です。そっちから見れば、海外帰国者はウィルスを運ぶ加害者に見えるだろうけど、こっちから見たら、むしろ被害者、、ってわけでもないけど、濃度でいえば日本の方が数百倍濃いのですよね、正味の話。

 感染者数人レベルで大騒ぎしてるオーストラリアの環境からすれば、1日2000人の東京はともかく、他でも毎日数百人、しかもあんな少ない検査で拾ってきてその数なんだから、本当の実数がどのくらいあるのか見当もつかない。そんな日本の環境は恐怖ですよ。ま、でも、そうだとしても99.99%勝つに決まってる(かかったとしても死なない)からどうでもいいんだけど、しかし、親に感染すという意味においては、出来るだけオーストラリアのまんまの自分で家に入ったほうがいいんじゃないかと思い直した。どっかのホテルに泊まるまでの過程での感染機会を考えたら、その方がずっとリスキーじゃないかと。

 しかし、ここまで考えてバカバカしくもなりました。確率から考えていって、これはもう神学論争だな、空中戦の観念戦争だなって。0.01%と0.001%の差なんか、現実においては考えるだけ無意味だし。

 んでも、先程富裕層のリスク査定で書きましたけど、リスク値というのは「やりたいこと」があっての話です。それを行うのにどれだけのリスクがあるかと。個人レベルでいえば、まずもって「やりたいこと」はなにか?です。それが出てから話が始まる。それは、これだけのリスクを負ってでもやりたいことか?と。逆言えば、リスク査定は、その「やりたいこと」の価値との相関関係で決まる。またその価値は極めて主観的なものだから、人によってかなり違う。その意味では、一概に論じても意味がないんですよね。







文責:田村


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