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Essay 946:混迷と破綻のコロナ世界

 〜世界の最新状況
 〜「ヤキが廻ってる」かのような政府やメディア
 〜内部監査官みたいなコロナ


2020年08月03日
写真は、RhodesからOlympic Parkをのぞむ



 先週の続きみたいな感じで始まりますが、日本もオーストラリアも第二波が来たとかで右往左往してますが、か〜なり無茶苦茶になってきている気がしますね。

 まず世界の状況がちゃんと報道されているか?ですけど、相変わらず、というか前によりもぐちゃぐちゃになってるのではないか。

まずは大局観〜世界の最新状況

 何度か引き合いに出している世界的にも信頼性が高いと思われる統計データーでみるのが、もっとも大局観がつかみやすいと思われるので、また出します。

 これ、よく見たら"embed"っていって、ソースを丸ごとHTMLに組み込めるのが判明したので、そのまま載せます。カーソルを動かすとグラフの表示が変わってわかりやすいですよ。対象国や、検査数や死者数など条件を変えていくとどんどんそのグラフが出てきますので、これだけで小一時間は遊べますよ。へたなニュースなんか読んでるよりもよっぽどわかります。

 このグラフは初期設定では死者数を表示させています。Confirmed Deathです。これは感染者数=陽性数(Confirmed Case)に変えると(グラフの最上部の左側、metricの各欄をクリックすると変わります)また違った様相になります。



「第二波」なのか?

 何となく論調では、日豪のみならずアメリカでもブラジルでもヨーロッパでも「第二波が来た〜」という話なんですけど、本当にそうなのか?上の国際的な統計グラフを見ていると、「第二波が来た」というまとめ方で良いのか疑問に思います。

 ところで、経過推移を見る場合、感染者数を追っていく方法と、死者数を追っていく方法がありますが、後者の方が確実でしょう。

 実際には世界的に感染者数をメインにおっかけてますけど、それってどうなんだ?って気もしますね。なぜなら、感染者数は、検査のやりかた(数の増減や、満遍なくやるかヤバそうなところだけやるか)によって激しく左右するからです。また、もともと感染しても8割位は無症状ないし軽症だし、抗体検査の結果からでも実際には10倍くらい潜在的な感染者はいるようだし、潜在者をどれだけ掘り起こすかによって感染者数はいくらでも変わりそうです。ゆえにアテにしにくい。その点、死者の数は比較的明瞭ですし(カウントの仕方でかなり違うにしても)、最も避けねばならない(守らねばならない)ゴールが人命・死者数なのですから、端的にそれで見れば足りると思います。

 ということで死者数で見ていくと、まず、ヨーロッパに関する限り第二波はないです。上のグラフの紺色はヨーロッパ諸国ですが、見て分かるように最初にぐわっと上がって大騒ぎになってましたけど、以下なだらかに下がってきて、現在では一番最初の頃のレベルにまで戻ってきています。総じて収束の方向に向かっていると言っていい。ヨーロッパでどんどん国境が開いて旅行ができるようになっているのも理解できます。

 なお、死亡者数はどんどん減っているんですけど、感染者数自体は高止まりしています。これをもってヨーロッパでも第二波がとか報道されるんですけど、これは一体どういうことか?推測ですけど、おそらく初期の方はブレイクしてたから重症患者を中心に検査をせざるをえなかったけど、徐々に体制も整い、かつ死者も減ってきたことから、裾野の方まで検査する余裕が増えてきたのでしょう。結果として、無症状・軽症感染者を多くピックアップできるようになったから感染者数は高止まりするのだけど、実際には死亡者は一貫して減ってきている。

 では、他のエリアはどうか。
 ここで読み進むための便宜として、もう一度上のグラフを出しておきます。

 死者数も伸びている国々があります。
 まずブラジルですけど、地獄のようになって手がつけれないかのように報道されてますが、死者数そのものはここ二ヶ月ほど変化ないです。減ってないから良くはないのだけど、さりとて増えてるわけではない。だから良くも悪くも変化がなく膠着状態であって、「第二波」というのはちょっと違う。勢いの衰えた第一波がそのまま遷延してるというと言うべきか。

 アメリカは一貫して凄いんですけど、初期のピークから多少なだらかに落ちて、またちょい上がってるからこれをもって「第二波」と言えなくもないけど、高い山脈の中の多少の起伏くらいの感じだと思います。

 あと、第二波ではなく第一波が一貫して増え続けているのが、インド、そして南米のコロンビアとかアルゼンチンなどです。死者がずっと増えっぱなしという意味では、世界で一番注目すべきはむしろこれらの国かと思います。

日本とオーストラリア

 日本とオーストラリアですけど、死者数が少なすぎて=国内では大騒ぎだが世界レベルでは何かを語れるほどの数ではないです。ただ、感染者数そのものは増えてはいるのですけど、それぞれ死者が日に10人以下レベルですので、十倍LOGグラフだから凄い上下してるように見えるけど、絶対数そのものでいえば誤差の範囲ともいえるし、よくわからないです。

 日本の場合は最初の段階での(現在も尚も)検査数がお話にならないくらい少ないので(世界156位だっけ?)第一波がわかりません。本当はもっと凄い第一波があり、それがヨーロッパのように徐々に減少傾向にあるのだけど、たまたま張り切って検査してる時期とそうでない時期があり、且つ陽性の多そうなところだけやったりやらなかったりするので数値がぐちゃぐちゃになってるだけ、かもしれません。あるいは、ちんたらやってるから第一波がまだ続いている、本格的に一通り社会を一巡するまでまだまだ時間がかかるというインドパターンなのかもしれません。いずれにせよ日本に関して言う限り、数値自体に信頼性がおけないのでよくわからんです。

 一応グラフを出してみましたので、掲げておきます。

 比較のために何種類かのデータを並べておきます。まず下の三枚のうち、左は感染者の日々の推移(7日平均=毎日データーだとピーキー過ぎて何がなんだかわからん)です。真ん中が検査数の推移です。よくある日本パターンは健在で、「検査数を増やすと感染数が増える」といういつものパターンです。だから感染者が爆発的に増えてるというのはちょっと違うと思います。これは政府の言うように、検査数と比例してるんだから、爆発的な事態とは言いにくいと思いますよん。


 なにがなんでも政府を叩きたい人達がいて、まあ気持ちは分かるし、叩くべき内容は死ぬほど多いんだけど、だからといって、いやだからこそ、是々非々でやらないと説得力を欠きます。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式になんでもかんでも政府が悪いとか言ってたら信頼を失うだけかと。

 それよりも注目すべきは、右端の死亡者の推移で、大事なことは死亡者の推移が感染者の推移と全く一致していない点です。

 死亡者に関する限り、大きな傾向としては減少傾向であり、しかし何度か揺れ戻しがあり、今がその揺れ戻しの二回目くらい、最初から勘定すれば、第二波というよりも「第三波」といってもいいです。ただし、第三波といいながらも、最初の頃の高い数値(クルーズ船などで一気に上がったのだが)に比べれば現在でもかなり低いと言っていいかと思います。

 だから、これだけの数字で言うとするならば(検査数が少なすぎるので、それが出来ないのが辛いところではあるのだが、それでも敢えて言うとするならば)、なんだかんだ言いながらも、大きく見れば終息方向に向かっていると言えます。メディアではぎゃんぎゃん真逆のことを言ってるけど。といってもこれからグワーッとあがるかもしれないけどね(逆にすっと沈むかもしれない)。

 でももっと大事なのは絶対数だと思いますよ。
 下の二枚は人口百万人あたりの死者数の推移ですが、左が日々の(7日平均の)経過、右がこれまで累積して何人になったかのグラフです。


 1日あたりのコロナの死者の割合は、人口百万人あたり0.01人から0.1人くらいのレンジです。これ、想像つきますか?0.1人なんて人間が実在するわけないので、一人を基準にすれば(全体に10倍ないし百倍にすれば)、今日コロナであなたが死ぬ確率は1000万分の1ないし1億分の1です。実際にもそんなもんで、7月を見ていても最大に多いのは一日6名だけど、大体が一人から3人くらいのレンジだし、死者ゼロという日も半分近くありますからね。この数値は宝くじよりも率が低いと思うよ。

 もっとも、これは日単位なので、これまでの累積総数で何人死んでいるかといえば、100万人あたり7.95人、まあ8名です。人口百万いたら政令指定都市になれるくらいの大きな都市ですが、そこに8人。ありえないくらい狭き門です。

 もちろん日本全体でいえば1.25億人もいます。そして「人間は百以上の大きな数字になると途端にアホになるの法則」でピンとこないのですけど(それが諸悪の根源だし、詐欺のトリックネタだよな)、1.25億人というのは、百万人が125個もあるので、8人といえども125倍するからそこそこの数になるわけですね。人間が大きな数を扱えないのは、もともと脳味噌の構造上そうなってるとかいう話を読んだことがあります。そりゃそうですよねー。自然界における人間(原始時代のような)では、せいぜい百くらいまで数えられたら事足りますからね。そんな百万とかいう単位が必要になることはないですもん。だから、百万といっても、「百の20倍くらい?」「すごく多い」みたいな体感感覚でしかわからない。


 とにかく日本人めちゃくちゃ一杯いるのですよ(笑)。エッセイでもよく書きますけど、仮にあなたが「百万人に一人の才能」の持ち主だったとしても、俺は天才だ〜!とかいってはいけないのですよ。だって、そのくらいだったら全国に125人もいるんですからね。同時代に同じ業界に125人もいたら、それは天才ではないよ。てか普通に雑魚レベルでしょ。そういえば、小説家で食っていける定数みたいなのがあって、その中に入れば悠々やっていけると。それが何人だったかな、20-30人とかそのくらいだったと思いますよ。ミュージシャンでもそのくらいじゃないかな。大体が一発二発でさようなら、ですよね。だから「百万人に一人の才能(幸運)」くらいではダメなんですよね。辛い世界です。僕はそれを学生時代に理解して、到底無理だわって挫折して、せいぜいが「1万人に一人」で良い法曹界にいったわけです。このくらいならまだ努力でなんとかなりそうだけど、百万人に一人のレベルになると努力でどうなる世界ではない。

 それから考えたら百万人に8人というのは、もう気が遠くなりますよ。問題はそんな微小な数字をもって、爆発だの恐怖だの大の大人が騒いでることです。そっちの方が恐い気がします。また騒ぐことでイージーなお金儲けをしているマスメディアや評論家などです。


 オーストラリアの場合は、これも最初のウィルスの絶対数が非常に限られているという「ど田舎ボーナス」みたいな特性によって初期に抑え込めているのだけど、でも、結局は広がっていくという感じで、非常にゆっくりしたペースで第一波をやっている途中なのかもしれません。

 ただ、これは言えると思うのは、感染者数の変化と死亡者(ないし重篤者も含む)の変化は、常に並べてみておかないと実体がつかみにくいということですし、それを念頭において論じているマスメディアは非常に少ないです。

一定数で頭打ち?

   上の表は、百万人あたりの死者数の累積グラフです。
 コレをみると、死者数の多い国々、アメリカとか、ヨーロッパ各国とか、ブラジルとか、だいたい似たような数値のあたりでなだらかになってるという共通する特徴があることです。おおむね、百万人あたり400-600名くらいのレンジです。

 これはなにか意味があるのかな?と。ほぼ自然放置に近い(そうはいっても色々やってるのだが)スウェーデンとかブラジルがそうだし、激しくやってたフランスやイタリア、アメリカ(実は検査数にせよ対策にせよめちゃくちゃ激しくやってる)にせよ、似たような数値で鈍化しているということは、もしかしたらこのあたりが自然状態での飽和レベルなのかも。それが集団免疫と呼ばれるかどうかはさておき、素の感染力や致死性からいって、だいたいこのくらい広がるとそこで終わるのか?どうかです。

 もしそうだとしたら、これが一つの目標になるんだけど、そうなるとオーストラリアも日本もまだまだ相当長い旅をしないと自然終息はしないということになります。でも、ドイツなんかもっと低い所で終息してるし、日本だって大きく捉えれば収束傾向ですから、もっと他の理由があるのかもしれませんね。そのあたりは謎です。WHOもメディアもそういうことを論じてほしいんですけどね、なんかそういう話にはならないよね。


 しかし、一般論としていえば、どっかで毎日数千人とかいう修羅場を乗り越えてきた国は、それに対抗して医療制度も、国民も政府も鍛えられてるので、あとで思い出したように数百人レベルの感染が出てきても、わりと対処しやすいでしょう。

 ところが日本もそうだけど、オーストラリアなぞ最初に楽をしてしまったから、数百人レベルで腰を抜かして、メルボルンなんか可哀想に強制収容所状態になっちゃったんですけど(シドニーもいずれそうなるかな)、アメリカなんか毎日の感染者数が数万(5万人という日もある)ですよ。まあ人口が10倍以上あるにせよ、それでも数千人です。大変なんだけど鍛えられている。

 オーストラリアでいえば、今は大変なVIC州が、やがて修業を終え、その後のオーストラリアを引っ張っていくかもしれませんねー。こんなの遅かれ早かれですからね。だから今はド田舎ボーナスで感染者が一人か二人くらいでキャーキャー言ってるところは、あとできつい修業がまってるかもしれないです。

スウェーデン 

 集団免疫戦略をやったスウェーデンは、ブラジルやアメリカと並んで、感染に関する限り、「悪の枢軸国」みたいな報道がなされてますが、これはプロパガンダだと思います。か〜なり歪曲されてるし、これがあるから西側メディアも信じられないのですよね。

 スウェーデンの死者数ですけど、きれいに減ってきてます。

 スウェーデン当局としては、初期においてもっと老人ホーム等手厚くガードすれば、初動のピーク値をもっと下げられたと思うし、そこが悔やまれるということですが、それを「集団免疫という愚かなことをやって失敗しました」みたいな荒唐無稽な歪曲報道が盛んになされてます。これはちょっと正義に反するんじゃないかってくらいヒドイです。

 で、期待してもしょうがないんだけど、西側メディアをそのまま持ってきて報道している日本のメディアも同じことです。歪曲してるという意識すらない点で罪が軽いのか、意味すらわかってなくてやってるという意味では罪が重いのか。いずれにせよ、日本語と同じように苦もなく英字新聞を読める層が国民の何%いるかってことになるのかもしれませんが(20%くらいはいてほしいよな、ほぼ全員が6年も勉強してるんだから)、明治時代の「ヨコのものをタテにする(横書きの西欧文献を縦書きの日本語に直す)だけで教授先生になれる」と言われた頃から大して進歩がない。日本の夜明けは遠いぜよ。


 上は一例ですけど、東洋経済の記事ですが、これニューヨークタイムズの記事をそのまま訳しただけです。この記事の最大のスカタンなところは、「しかしスウェーデンの人口は、たったの1000万人なのだ。100万人当たりに換算すると、その死者数はアメリカを4割上回り、ノルウェーの12倍、フィンランドの7倍、デンマークの6倍にもなる」とだけ述べて、死者数が一貫して沈静化している重要な事実に意図的に触れてない点です。論旨は経済よりも感染防止が何よりも大事だということであるなら、いかに収束させているかこそが問われるべきなのに、それに触れるとスウェーデンが結果を出しているような話になるから、それには一切触れない。

 また、「人口比あたりアメリカの40%増」というのも、どの時点での話か知らないが、最新では百万人あたり568人対468人でせいぜい20%程度差であり、現在においては事実誤認である。もともと「最初は悲惨だが長期点にどんどん良くなる」戦略であるスウェーデンとそうでない国を比べるのが無茶なのだが、スウェーデンがその戦略通りに沈静化しつつあるのに対し、その兆しのないアメリカとでは将来的に逆転する可能性も高い。そのあたりもガン無視。そしてフィンランドとか他の国との対比においても、イタリア、イギリス、フランス、スペインなどメインの国とスウェーデンとは大差ないんだけど、それにも触れていない。

アメリカとスウェーデンの対比 百万人あたりの死者数累積

百万人あたりの死者数(7日平均推移)


 このように根幹に関わるような事実部分で意図的とも思われる操作をしているこの論考をわざわざ紹介する価値があるのかどうか、そのあたりは疑問ですよね。しかし、にも関わらず、シェアが7500もついて、はてなが500近くついているあたりに、日本のインテリ層の知的限界を見る思いがしますね。なんでもっと掘り下げて見ようとしないわけ?NYタイムズ程度(しかも和訳の)じゃ全然足りないって。

 ま、そんなことはどうでも良いのですが、ここで思うのは、なんで西側のメインメディアがそこまで意地クソになって叩くのか?特にアメリカのメディアはかなりヤバいっすよ。思い起こせば数年前、トランプの当選は「百パーセントありえない」くらいの勢いで言ってて大コケして、マクラを並べて討ち死にしてるし、その後もロシアンゲートがどうのだの、火のないところに煙を立たせようとして失敗ばっかしている「前科」がありますからね。今回ももう逆上してるというか、理性を失ってるかのごとき感じで、それが恐いですね。理性的に異論を受け入れたり検討することを避けて、とにかく結論だけ叩きつけるような人の言うことは、信じられないですよ。別に陰謀論とか思ってないけど、そういうことをするから、「なんかあるな」と痛い腹を探られるのだと思いますよ。


 他にも違和感を抱く物事は多々あります。

マスクと千羽鶴

 オーストラリアでもマスク着用義務化とか今更ながら言い出しています。これまで、別に必要ない、てか有害の場合の方が多いよという立場だったのだけど、ここに来て全員着用とか言ってて、ウールワースまでマスク着用を奨励するとか言い出して、なんかファシズム化というか、知能レベルが下がってると言うか。

 日本のマスク総動員状態もそうですけど(法制化されてなくて、自発的にやってという意味では典型的な日本型ファシズムでもっと恐いけど)、意味はないこと無いけど、それほどのものかどうかは微妙でしょう。

 これはコロナの最初の方のエッセイ(930)で、医学論文探し回ってちょっとしつこく調べてみたのだけど、マスクの有効性は、感染形態の飛沫感染→エアロゾル感染→空気感染に対応するように思います。

 もっぱら飛沫感染防止のマスクなのですが、ドロップレット(droplet)という英語の和訳として「飛沫」ということなんだけど、この定義がまず曖昧。一説によれば5μm以上とかいうんだけど、5ミューってめちゃくちゃ小さいですよ。1ミリの千分の5、絶対目では見えないレベル。だって赤血球が7-9ミューなんだもん、赤血球よりも小さい物体なんか見えるわけないし、その大きさのものを「飛沫(小さな水滴)」といっていいのか?普通の感覚では、それってただの「空気」ですよね。

 で、そんな小さなものでも感染するとかいうなら、本格的なN95というプロ仕様のマスクでないと意味がないです。しかし、N95はあまりにも目が細かすぎて呼吸困難になりがちなので、呼吸器に疾患があるとか、身体の弱い人とかには害悪のほうが多い。普通人でもけっこうしんどいというし。

 ということは、不織布だろうがなんだろうが、僕らがマスクをしながら普通に呼吸できてしまうということは、事実上感染してしまう危険が残るということであって、あんま意味ないんじゃない?と。

 それに、くしゃみなどのでっかい飛沫(水滴)だったら、まだマシだとも思えるのですよ。ツバが口の中にはいっても、汚いという心理的な嫌悪感はさておくとして、それが水滴とか水用のものだったら、おそらく口中から唾液とともに食道にいくから感染しない。なぜなら、COVID19の感染機序は、体内の細胞膜にACE2という生化学反応を起こして生じるのだけど、気道や肺ではこの細胞壁侵襲が出来るのに対して、食道や胃腸などの消化器系では出来ないから感染することはない。マスクはよくツバキや飛沫を防ぐのだろうけど、そこはメインの問題ではないように思われます。

 本当にヤバいのは、非常に小さな状態、ほとんど空気と同じ状態で、深々と肺に吸い込む場合でしょう。一気に肺の奥まで到達してから感染を始めるので、ヤバさでいえばこれが一番ヤバい。

 そして、1.5メートル以内で対面したまま15〜30分以上だとヤバいと言われているのは、静かに呼吸をしている間に徐々にその周辺のウィルス濃度が高くなっていくからでしょう。ウィルスが体内に入ってもそれで感染に成功するのは一般論で1億分の1以下ともいわれるから、かなり時間をかけて大量に吸い込んでこないとそうそう感染はしない。ここからいわゆる「三密」論が出てくると思います。

 しかし静かに呼吸して徐々にウィルス濃度を高めていくのであるならば、マスクをしていてもさほど意味がないか、少なくとも万全ではないでしょう。なんせ呼吸それ自体がよくないんだから。かといって呼吸しなかったら死んじゃうし。

 オーストラリアの初期に、マスクをするデメリットとして挙げられてたのは、マスク装着の苦しさから無意識にマスクを弄って、マスクに付着したウィルスを手に移動させて、その手で顔を触ったりするから同じことだとか、そのあたりのことです。それらの内容は、今もそう変わってもいないと思われるのだけど、ここに来ていきなりって何なのよ?という違和感があるわけですね。しまいには、マスクをしないのは非国民だといわんばかりの、なんだそれ?(笑)。

 それほど大して効果があるのか微妙なものを、そこまでアテにするのはなぜななの?なぜ個々人の自由にしないで強制しようとするの?これまで間違ってましたとかいう反省の弁もなにもなしに、いけしゃあしゃと変わりましたって、なにそれ?って思うわけですよね。

 まあ、今日の新聞には、NSW州知事は強く要望(強制ではない)とは言ってたものの、保健局の人は必ずしもしなくてもいいって従来の姿勢を維持してましたね。政治的には他にやることがないので、それを言うしかないんだろうけど、科学的にはそうコロコロ言うことを変えられないのでしょう。ただ、「ショッピングセンターで買い物するときは大きめのトロリー(ショッピングカート)を使うといいよ」という保健局のアドバイスはなるほどねと思いました。トロリーを使うとナチュラルに距離が保てるから。マスクよりも遥かに大事なのは距離であり、あと手洗いだそうです。これは一貫して言ってますね。

ヤキが廻ってる感じ

 で、思うのは、あー、相当ヤキが廻ってるなーということです。
 戦争でもどんどん負けが混んでくると精神論とか神がかってくるもんね。皆で心を一つにしてとか、一致団結してとか、そういう「みんなで〜」という物事に頼ろうとする。すがろうとしている。逆にいえば、他に有効な施策が考えられない、もう武器弾薬も尽きたってことでしょう?

 マスクというのは、大勢順応の象徴というか、社会の一員として協力してますよ〜というアリバイというか雰囲気作りというか、そういう機能のほうが強いと思われます。

 でも、そういう流れになってしまったときは、大体遠からずして破滅が待ってますよね。なんかに似てるなと思ったら、戦時中の千羽鶴とか千人針に似てるなと。戦争に勝とうと思えば、膨大な資金、優勢な軍事力、クレバーな情報収集と解析能力などが必要なのですが、そっち方面にいかずに、祈りを捧げるかのような行為に走りがちなのですよ。でも、核兵器(原爆)落とされてる状況で鶴なんか折ってる場合か?とド正論を吐いたら周囲から非国民呼ばわりされて殺されてしまう。知的劣化も極まれリで、ますます勝機が遠のく。

 まあ千羽鶴をおる心情はわかりますよ。その心根は尊いし、貴重なものだと思いますよ。でもそこで、心情論とか美学論に逃げちゃダメでしょーって思うのですよ。仮に一ミリであっても良くなる方向に進むならば微力を尽くしてっていうのはわかりますよ。そういう意識が必要な場合もありますよ。だけどね、それって同時に美しさに逃げてるというか現実逃避の一つのパターンって場合も多いと思います。本当ならば、残酷なくらいクール&知的に大局を把握して、どうすれば生存率があがるか?を、ギリギリ脳漿振り絞って考えなければならない。でも、それは面倒くさいし、勝ち目もありそうもないし、だから「お祈り」という感じね。逃げてるし怠けてるんだけど、そうは見えないというある意味では賢い(ずるい)処世術として。

 マスクでいえば、その心情は美しいのだけど、マスクをしてるからといって大した免罪符にはならんよね。また吸血鬼における十字架ほどの効果もないかもしれんよと。だってマスクをしてる人からでも感染したり、されたりしてますからね。今の日本だって千人単位で感染者は出てるけど、全員がマスクをしてなかったわけでもないでしょう。てかあの感じから推測するにほぼ全員マスクしてたんでしょ?それでも感染は起きてるわけでしょう。ということはマスクは大した安心材料にはならないってことです。でも、ま、今の日本に関して言えば、そんな実効性よりも「社会参加のパスポート」「免罪符」こそが求められるわけでしょうけどね。

 あと、空気感染ですけど、もし100パー空気感染が可能だというなら、もう国境閉鎖もロックダウンもなんの意味もないです。だって偏西風や季節風に乗ってやってくるかもしれないもん。実際にはそんなことなくて、1.5メートルかそこらでもうダメ(感染できない)なんだから、エアロゾルやら空気やら飛沫やらといってもただの言葉の問題という気はします。

法の死〜自然の説得力

 納涼コロナ恐怖祭りみたいな感じでやってるんだけど、最近、だんだん息切れしてるような気もします。

 面従腹背が大得意のアジア系(日本人も)は、だいたいいつもそうで、公の議論は、メディアであろうがネットであろうが建前論ばっかだけど、リアルな世界ではまた全然違うという。日頃から大嘘ばっかに慣れてるから、もうそういうことにこだわらなくなってますよね。世界でも一番ってくらい利権まみれ、金まみれのオリンピックで「健全なアマチュアリズム」とかさ、よく言うよって感じだし。

 でも比較的そのあたりが真面目なオーストラリアでも息切れ感はあるなー。
 つまり、だんだん皆従わなくなってきているってことです。


 書いてある論旨自体は凡庸過ぎてつまらないんだけど、引用されている事実が面白いです。ひとつは、建築現場においては、誰もマスクをしようともしないし、するように言っても笑われて終わりだという状況が書かれています。

 もう一つは、VIC州で「みんな14日自宅待機をちゃんとやってるかな?」の抜き打ち検査、ドアノッキングなんたらってのをやってるのですが、そんなことまでやらなきゃいけなくなってること自体で分かるように、自宅で待機しているはずの家に訪ねていったら4軒に一軒は外出中(つまり自宅引きこもりを守ってない)」ということが報道されてる件です。一説によるともっと率は高くて3つに1つとか。でも、これ、普通は守ってないけど、たまたま家にいたのでセーフって人もいるだろうしなー。

 政治家とかメディアとか、建前を言うしかない人達は、それを嘆かわしいとか、バカどもがとかいうんだけど、でもそれが現実でしょう。問題は、なぜそういう現実が起きているかです。

 法哲学でいう「法の死」というのは、法律や決まりをいくら作っても、皆がそれに納得してなかったり、馬鹿にしたりして守らなかったら、そこで法は死んでしまうという現象を言います。つまり法律というのは、作ればみんな守るってもんではないってことです。そこに内在する合理性や説得力がなかったら、皆守らない。その内容が非現実的だったり、あまり意味がありそうに思えなかったら、それをやることに納得できないからです。

 その度合いはその社会によって違うでしょう。当局が理不尽な圧政ばかりやっていて、民衆のフラストレーションがたまりまくってるときは、ちょっとスキがあったら破ろうとするでしょう。逆にある程度の信頼関係があるなら、多少は納得できなくても守ろうとはするでしょう。オーストラリアの場合、かなり円満の社会で、そんな校内暴力で荒れているような感じではなく、総じて皆さん従順に守るし、異議があるときはデモなり何なり手続きを踏みます。そんな土足で踏みつけるような感じで守らないってことは、そんなに無いんですけどね。それでもこんだけ14日ルールを守ってないということは、やっぱりかなり納得できてない感はあるのだと思います。

 納得できないことを強制しようとすれば、罰則を強化するしかないです。だからもう意地みたいに罰金じゃんじゃん課してますけど、罰金を課しているという時点で、もう政治的にはある意味敗北してるといっていい。人々の理解を得られてないのですから。

 もともとこの程度の実害度合いに、ここまで大層なリアクションをする必要があったのかという根本的な疑問はありますよね。そこに言及して、知的に詰めていくならまだしも、そういう姿勢は全然ないし。マスクにしたって、朝令暮改にように、いきなりそんなこと言われたって、今まで第一波はマスクなしにクリアしてるんだけど、それとの関係はどうなの?もし本当に必要なら最初から必要とすべきであって、それをしなかった失政は認めるのかといえば、それも認めない。

 一方で、スウェーデンはいつまでたっても悪逆非道のまんまだし、ロックダウンをしてもしなくても結果的に大差ないという重要な論点は議論すらされないし、なにがなんでもワクチン一本槍でその危険性を論じる人はトンデモ系の狂人扱いにされてるし、経済的影響の方が強いから過剰な規制は止めるべきという経済学者がたった一人だけいるのですけど、それも嘲笑の的にされているだけだし。

 一体何なんだ?って思うのですよ。ここまで意固地になってられると、なんかもう素直に言う事聞けないと言うか、裏になんかあるんじゃないの?と勘ぐってしまいますよね。

 まあ、多分に一度吐いたツバを飲めないという、成り行き上のことだと思いますけどね。実際、これは難問で、誰がどうやっても無傷では済まないです。理屈で考えてみてもわかるのですが、ある程度のボリュームの人間がいて、社会内部に浸透してしまったら、これはもう抑え込めないです。表面上抑え込めても、またいつ山火事みたいに勃発するかもしれないから終わりというものがない。第二波があるというなら、第三も、第四も、第百もあるでしょうよ。その都度対策を取るなら、経済的には未来永劫傷つき続けることだし、国家予算もすぐに破綻してしまう。

 それに仮に完全に消滅させることが出来たとしても、今度は境界を開くことができなくなる。開いたら元の木阿弥ですからね。では未来永劫鎖国するのか?といえば、それも無理でしょう。だから全てはワクチンが出来るまでという暫定的なレトリックでやるしかないのだけど、そんな応急措置で作ったようなワクチンに危険性はないのか?という話になりますよね。でも、成り行き上、絶対に大丈夫だとか言うに決まってるから、逆にそれもやばいよねって。

 冗談で言うんですけど、もう収めどころとしては、ブドウ糖みたいな完全な無害のものをワクチンと称して打って、それでいいことにしましょう、それで手を打ちましょうってしたいですね(笑)。変なもんに射たされたくないし、副作用なり後遺症なりが出てくるのはかなり経ってからでしょうし、おっかないですよねー。

 と思っていたら、ドイツで大規模なデモがありました。

 参加者2万人というからかなりの数で、ここまでの規模になると特殊な人達の特殊なイベントとかいうレベルじゃないですよね。普通の人達の普通の不満という感じかな。ドイツは比較的感染を抑えるにに成功している方ですが、それでも内部に結構フラストレーションは溜まっているみたいですね。笑ったのは、これに対するアンチの人々もデモっていて、二陣営に別れて、お互いに相手を「このナチスが」「お前こそナチだ」と罵り合ってたということです。


隠れる首相、閉ざされた議会

 安倍首相が雲隠れというか、全然表にでてきませんのでまた批判されてますが、オーストラリアでも最近スコモー首相が出てきません。おそらく、多分、出てきても言うことがないからだと思います。本音のところはでは、「これはもう、どうしようもないですよ。まあ頑張るには頑張りますけど、結局のところ成り行きにまかせるしかないですよね」という感じでしょう。

 僕なんかはそういう首相が出てきたら、ほお、正直な人だなと好感を持ちますけど、一般には無責任とかなんか言われるんだろうな。なにをそこまで国に頼ってるんだか。どんだけ裏切られたら気が済むんか、一種の共依存じゃないかって気もするのですけどね。まあ、マジョリティ的にはそんな「なりゆき〜」とか言えない。だけど、何を言っても結果的には嘘になってしまうのが見えているので、何も言わないほうがマシであり、あとの現場は知事に任せておいたほうがいいかなと。

 あと日本の国会もやってませんけど、オーストラリアの国会もやってないです。国会(フェデラル、連邦議会)だけではなく、州議会もやってないです。ソーシャルディスタンスが〜とかいう理屈をこねてやってないのね。州知事一人が矢面に立たされて、毎日の記者会見でなんか新たな対策をやらないといけないから、何でも言うし、なんでもやるから、だんだんエスカレートしていくという。

内部監査官としてのコロナ

 なんか段々見えてきた気がするのですけど、コロナの問題って、コロナ自体の問題ではない。医学的にも、もともとある持病を悪化させる触媒みたいな存在なんだけど、社会的にもそれと同じだなーと。つまり、もともとその社会が持っている色々な問題を、コロナというのは増悪させるし、浮き上がらせる。そういう特性があります。もともと悪い社会をもっと悪くする。悪くなるから気が付きやすいという。

 例えば、最近ようやくなんで医療崩壊と言われるかが分かった気がします。どっかで読んだんですけど、えーと出典はどこだっけな、あ、これだ、


 なんでコロナで千客万来のはずなのに医療機関が破産するの?というところがわからなかったのですよ。ところが、ここに「現状では第1波のコロナ患者を受け入れた病院のほとんどが、赤字に陥っています。コロナ患者をICUに収容すれば、通常の肺炎患者の6倍のマンパワーが必要。また感染予防のために担当の医師や看護師は一般病棟とのかけ持ちが難しくて人手が割かれる。たとえ軽症でもコロナ患者は退院まで時間がかかるのに、医療行為が少ないため報酬は低い。コロナ患者は受け入れるほど、病院経営は悪化します」ということで、なーんだ、です。コロナは儲からないんだ、てか赤字のもとだったんだ。なぜかといえば医療点数が低いから。

 だったら、最初の時点でガーンと医療報酬点数を上げればいいじゃないか。そうなるのは見えてるんだし、なんでやらないの?そこをやらないから、医療機関は経営難になるし、ボーナスも出せなくて看護師が400人辞めてしまうとかいう騒ぎにもなるし。「医療崩壊」ってそういうこと?

 じゃなんで(繰り返しになるが)、ちゃんと適正に報酬がもらえるように、現場の第一線の人々にちゃんと経済的にも報いてあげないのか?ですよね。それを突かれると、医療費の抑制という国家財政の基本命題に抵触するんでしょう。しかし、そんなこと言ってる場合かってことなんだけど、それを言われるのがイヤだから、「医療崩壊」とだけしか言わなかったわけね。やっと意味がわかったような気がする。

 しかし、だとしたらこれはコロナの問題ではなく、医療機関のあり方や報酬の適正さ、そして臨機応変に弾力的に運用していくしなやかさの欠如というもっと構造的な問題だとも言えます。そのいい加減が医療制度が、コロナという触媒で露呈したと言えます。

 同じことは、老人ホームやオーストラリアのエイジドケアにも言えて、経営的に結構しんどいからどうしてもマンパワーとかが不足するし、施設も十二分でもない。だから分かっていながらも感染を招いてしまって、オーストラリアのコロナ死者のかなりの部分を占めている。ならば、エイジドケアに対する政府支援であるとか、少なくとも今回に限っては十分すぎるくらいの手当をしてもいいんだろうけど、それが出来ていないこと。やってはいるんだろうけど足りてないこと。常日頃からそういう体制が出来ていないこと。遡れば、社会の高齢化に対する備えが十分ではないことに帰着していくのでしょう。


 同じように、経済格差が広がるというもとからある問題がますます悪化してます。まずは経済的弱者、労働者としても派遣やパートから先に切られ、オーストラリアでもカジュアルとか留学生が切られ、ろくな手当もなされない。また、働き方については、テレワークによって人員削減可能性が強くなるし、世界的な労働カジュアル化がますます促進されるような流れになってます。

 一方で、世界のごく一部の富裕層はこの間にものすごく富が増えている。第二次大戦以来とか、有史以来レベルに経済が悪化してるんだけど、株とか投機はそれとは全然関係ない世界で動いているからです。ここまでファンダメンタルなんかどうでも良いとなると、もう株価なんかカジノのルーレットの玉ころがりと同じですよね。それはそれ、これはこれみたいな。

 また、そこまで実体経済と金融経済が乖離してもいいんだ、事実乖離してるじゃないかっていうなら、それこそ本当にMMT理論的に、もうお札を刷って皆に配ろう(国債発行して中央銀行が無限に引き受けよう)、それでベーシックインカムにしようというのもアリかもしんないですね。理屈の通らない世界、不思議の国のアリスみたいな世界に突入してるなら、やったもん勝ちというか、やらなきゃ損だし(笑)。一人10万円とかケチくさいこといわないで、一人1000万円とかさ、あるいは失業したら毎月無条件で30万円出すとかさ、やってもいいかもねー。そのくらい出したら雰囲気も良くなるかも。

 それもこれも世界の経済体制が本質的に変なことになってるのがコロナによって炙り出されているとも言えます。そのあたりの再構成は、いろいろなところで試みられています。例えば、最近ときどき話題になっているスピ系経済論ともいうべきプラウト主義経済(進歩的活用理論)とか。

 南米やインド、あるいはアフリカなどは、もともとある医療保険状態の問題、あるいは国内秩序の問題などが、コロナによって浮き彫りにされることにもなります。

 疾患的には、コロナは、もともと何らかの持病がない人にとってはそれほど脅威ではないと言われてますが、社会的にはどこの社会もなんらかの「持病」はありますから、無傷で済むところはないと。誰もが叩けばホコリの出る身体であると。

 そういう意味では、コロナというのは内部監査官みたいな存在で、あちこちの部署を訪ねては、「ココがダメよ」「あそこがなっとらん」と指摘して廻る存在なのかもしれません。これは国や社会だけではなく、個々人においてもそうで、「そんな健康状態ではアカンよ、すぐ死んじゃうよ」「あんた、スキルもキャリアも偏りすぎだから、何かあったらサバイブできないよ」とか痛いところを突いてくるという。

 いちいち当ってるだけにウザい存在なのかもね、コロナって。だから世界のどこでも「痛いところ=問題の本質」には触れないようにしつつ、ただひたすらコロナだけを叩こうとして無茶苦茶になってるって感じなんでしょうかね?内部監査官だけ誤魔化せばすればそれでいいんだ、みたいな。まあ、ありがちですけど(笑)。


 ところで日本にお住まいの方は、今日自分がコロナで死ぬ確率が1000万〜1億分の1であると考えつつ、お好きなようにビビってくださいな。しかし、あなたがそんな天文学的な確率に一喜一憂しているあいだに、キレる連中は次の時代を見定めて着々と布石を打ってることでしょう。

 ちなみに、去年の9月段階で、日本で百歳を超えるお年寄りは7万1238名おられます。現在までのコロナ死亡者数は1012名だから、百歳以上の人数7万の端数の1238人ほども亡くなってません。日本のお年寄りは元気よね。まあ、百歳以上なら、リアルタイムに戦争を知ってる世代だから、彼らからすれば、こんなの騒ぎのうちにも入らんだろうけどね。





文責:田村


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