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Essay 906:GAFAの「器」

 〜FBエンガチョ事件(笑)から思うこと

2019年05月04日

写真は、Drummoyneの先っぽ。Gladesville Bridgeの近く。



 続いている記号論、もう一回分だけネタがあるんだけど、それよりも書きたいことが出てきました。人類の未来図においてGAFAってどうなの?という話です。

 GAFAというのは、今更知らない人もいないでしょうが、Google、Apple、Facebook、Amazon(Aの順番はどっちでも良いと思うが)の略で、今をときめく世界企業です。経済規模や影響力からいって、そこらへんの国よりも大きな存在になっていると言われますし、事実そうでしょう。

 では、このGAFAが次世代の世界覇権を握るのか?握っていいのか?というと、段々懐疑的になっている今日このごろ。うーん、その「器」はないかもねーと。

 Googleも最初出てきたときは感動的に革命的だったものでしたけど、かなり前からニュースの選定が「なんだかなあ」的に劣化してきたので読むのを止めてます(まあマスメディアの記事それ自体が劣化してるからGoogleだけの責任ではないのだろうけど)。数年前からは本家の検索においてもヒット率が悪くなってきているので他の検索エンジンと併用するようにしてます。登場した頃の衝撃、儲かるとか損得勘定とかあんま考えないで思いついたら即実行!でドン・キホーテ的に突撃していた頃(Google Viewをやり始めたときとか)は、「目が離せない存在」だったですが、だんだん普通のセコい企業になってる気がします。

 このあたりはまだ雑駁な感想でしか無かったんですけど、最近はもうちょい真剣に考えるようになってます。

FBエンガチョの件


 真剣に考える直接のキッカケになったのは、ほんの数週間ほど前、ふと気づくと自分のFacebook Pageに自分のサイト(本家HPとBLOG)のリンクが貼れなくなってからです。また、HPとBLOGの各記事においていた「いいね」ボタンが見えなくなっている。おっかしーなとか思ってしばらく放置してたのですけど(まあ、そんな実害ないしね)、何日たっても復旧しない。

 マジにちょっと調べてみたら、なんと本家HPとBLOGがFBによって「コミュニティ規約違反」サイトにされてて、それが原因で「一切の関係を断つ」という感じの扱いになってるようでした。自分のやっているFacebook Pageに本家サイト(aplac.net)とブログ(blog.aplac.net)の記事を紹介しようとすると出来ない。それどころか過去に紹介していた数十以上あった記事が知らない間に全部削除されている。また、これらのサイトに設置したFBの「いいね」ボタンが全部非表示になってしまう。要するに村八分というか、FBに「エンガチョ」されているような状況になってるわけです。


 はあ?なんじゃそりゃ?
 とコミュニティ規約とやらを読んでみても、犯罪行為やらポルノやらヘイトやらはダメよという抽象的で道徳的なあれこれが書いてあるわけです。内容的にはまあ穏当というか、特に異議を唱えるようなものではない。

 んでも、ウチがそれに該当するって?どこがやねん?って。
 このエッセイはわりとコアのファンの人が読んでくれているので、ここで僕がHPやBLOGの概要について述べなくてもおわかりかと思いますが、およそその種の規制にひっかかるような内容のものは載せてないです。どこをつついたらそうなるのか、見当もつかない。

 なんでFBがそう判断したのか?はミステリーです。
 あれこれ考えた結果、単純なAIなどのバグだと思ってます。どっかの商売敵が逆恨みしてチクったとかいっても、自慢ではないけど(ほんとに)それほど大きな存在ではないですしね。歯牙にもかけられてないでしょうし。ましてや官憲の弾圧を受けるというほどカッコいい存在でもないでしょう。ああ、俺は弾圧されているってヒロイズムに酔いたいところですけど、冷静にみてそれほどの存在ではない。

 そうなるとバグとかエラーなんだろうなって結論になります。なにがどうエラーかといえば、タンブラーがエロ系禁止にするために一斉削除をやるときAI画像認識をやったわけですけど、全然関係ない写真をヌード写真であるかのように誤認識して削除ってことが報じられてましたが、あの類ではないか。

 そもそも本質的になにかヤバいアクティビティをやってるんだったら、FBのアカウントそのものが無傷だとうのもおかしい。まずはこちらに来るんじゃないの?だから、テキスト量が膨大で、どっかでミスが発生しやすい本家HPで何らかのエラー的状況が生じたと考えた方が辻褄が合うのですよ。

AIの無能

 ここで論点が一つ出てきます。最近いろいろ語られるAIの無能っぷりという論点です。

 これまでHPであれFBであれ、どこであれ、人間が常識的に判断すればおよそ問題になるようなことは書いてません。一応弁護士だったので、そこらへん揚げ足を取られるような表現はしないようにしてきたつもりです。

 しかしAIは馬鹿だから文脈とか意味性を判断できない可能性はあります。

 例えば、前回のエッセイで、

 そういう人にとっては記号化されたわかりやすい世界観というのは、すごく気持がいいんでしょう。「あいつらが全部悪いんだ」的な話にしておけば簡単だし。とにかく白人が一番エライのに、一番割を食っている、世の中間違ってる、俺の人生がミジメなのも社会が悪いからだ、そうだアジア人なんか皆殺しだ的な、なんでもかんでも〜って馬鹿丸出しの思考ね。そりゃあ気持ちいいでしょ。

 と記号に毒されてしまった場合の思考パターンを書きました。
 この一連の文脈のとある部分、「そうだアジア人なんか皆殺しだ的な」って部分をAIが問題視することはありうるなと思ったのですよ。

 順次読んでいけばヘイト的な主張で書いているわけでもない(むしろそれを批判的に言う立場)なのは容易にわかるでしょう。また「例え話」をあげるにしても、実在するものは避けて、実際には存在しないもの(アジア人がどうとかいう流派は特にない)にしたし、また僕自身が海外在住のアジア人であるから自分の矛先が向かうようなことをことを唱えるわけがないという何重ものセーフティをかけて創造したものです。一応気を使っているのですよね。

 だけど、AIはそういう文脈的な理解ができない、あるいはそこまで精度をあげていない、ってことはありえます。こういうのって難しいですから。単純に語句が一致するだけで、はいヘイト認定〜!一丁あがりってことをやってるのかもしれない。

 文脈関連でいえば著作権関係もそうです。著作権法上、引用やら私的利用やら広大な許容範囲があるのですが、これって全体の文脈を考えないと判断できない。また好意的に解説して紹介しているようなものは、著作権者の利益にこそなれ不利益にならないんだけど、その好意的とか損得とかいうのも全体の意味性を考えないと判断できない。

 そしてAIプログラムの出来が悪いと、判断できないものはシカトするという低劣な仕事をする。つまり味噌もクソもいっしょくたにして著作権法違反の「疑い」ということで削除したり、禁止したりする。エンガチョ切られていないもう一つのブログ(趣味の漫画と音楽のブログ)で使ってるYouTubeの動画がばっさばっさとYouTubeに削除されています。あれ絶対著作権者の得になるとおもうのですけどね、興味をもたせて、楽しもうと思えばちゃんと買うしかないよう考えて編集しているのに。YouTube頭悪すぎだろ。てか、最近のYouTubeって、広告長いわ、チャラいのばっかあがってくるわ、どんどん俗悪テレビ化が進んでて、DQNチャンネルみたいになって見る気がおきませんね。

 まあ、AIでなくても、最近では、お馬鹿な国のお馬鹿な議員達が、おすすめの書籍の表紙のスクリーンショットをSNSで紹介することすら禁じてしまおうとと決めました(著作権侵害、スクショもNG 「全面的に違法」方針決定)、まあジジババ議員なんかAI以下の存在だということですな。ちなみにこれ、2019年2月13日に文化審議会著作権分科会で方針が了承されたというだけの話で、これを国会に提出し、議決し、著作権法が改正され、そして施行という段取りになります。幸いなことに国会提出は見送られているので、いまだにそこまでお馬鹿な国はなってません。


 エンガチョの話に戻りますが、他に思い当たる可能性でいえば、本家やブログにアップしたら、広報の意味ですぐにFB PAGEにリンクを貼ってるわけで、これが相互リンク悪用とか重複リンクとか「スパムあるいはロボット的な行動」に見られたのかもしれません。

 そう思ったのは、今回いろいろな記事とか見たのですが、つい最近(19年04月19日)の巨大テックに対する規制強化の波という記事によると、「折しもフェイスブックは先月、ホワイトハウスでソーシャルメディアを統括するDan Scavino氏を“ボット”と誤って認識し、投稿をブロックする案件があったそうです」と書かれていて、ホワイトハウスの統括官ですらロボットと誤認識する程度の精度だということですよね。ホワイトハウスですら誤認識されるなら、僕ら雑魚レベルだったらますます杜撰にやられてしまうでしょう。

AIの実際

 ここで余談ですが、AIというのは確かにすごい可能性があるんだけど、いま実用化されているレベルにおいては非常に精度が甘いものが多い。AIの本当の凄味であるディープ・ラーニングなんか全然やってないし、ただの単純計算や検索レベルでのAIじゃないかって思われるのですよ。

 今バイトでやってるデリバリーでも、世界的な流通ソフト・アプリであるBRIGGってやつを使ってますが、こいつの出来が悪い!AIで幾つもある配送ルートを最適化するのですが、全然最適化できてない。80点いくかなーって程度です。なんせ、深夜と朝ラッシュでは移動時間が2-3倍は優に違うんだけど、それをまるっぽ無視している。深夜では時間が余るくらいのゆとりスケジュールなのだが、ラッシュ時には「絶対無理!」的なスケジュールになる。こんなのGoogle Mapなどの日時想定による予想時間をそのまま引っ張ってくれば良さそうなのだけど、それすらやらない。これはもうAIの出来が悪いというよりも、端的に「不良品」じゃないかってレベルです。世界的なソフトでもそんなレベル。また異様に消費電力ドカ食いするわ、最近よくフリーズするわで、どんどん悪くなってる(どうもソフトというのはUpadateするほど劣化するような気もしますな)

 また実際の配送においては、微妙な機微があります。何時から何時までに集荷・配送せよとの顧客の依頼があるんだけど、その厳密さは顧客によって全然違う。1時間くらいズレても全然OKってところが実は多い。朝の4時からピックアップしてねって書いてあっても、実は3時前から出来るというところも多い(前の晩に作っておいておくから)。さらにベテランになるにつれ、時間の変化による車の駐車可能性を考えてルートを最適化します。シティ中心部なんか6時過ぎたらなかなか停められなくなるけど、それまでだったらかなり自由にパーキングできるとか。そういった実務レベルの人力修正によって、AI最適解では6時間であるものが実際には5時間で出来てしまうのですよね。だからこんなの最適解でもなんでもない。ああ、その程度かって思ったですね。

 ちなみにGoogle Mapのルート検索でもずいぶんおかしなルートが出てきたりしますしねー。アホか、この時間帯にあんなところで右折できるわけないだろ?ってルートでも平気で示すし、目の前の角を左折すればそれで終わりなのに、わざわざ大回りして5分かけるルートを提示したり。

 AIも、ちゃんとやれば威力は凄いんでしょうけど、その「ちゃんと」の手間暇が膨大過ぎるんでしょうね。「AIで仕事が奪われる」といいますが、多分意外と現場系はそんなに奪われないと思います。現場というのは千変万化するから、いろんな要素を同時に考えて決めないとならないけど、そういうのは熟練の人がやったほうが効率いい。これを細かな小命題に分化し、並べなおして演算的な関係を定義づけてってやるのはかなり現場に精通した人がやらないと難しい。金をかけたら出来るとは思うけど、現場系はもともとそんなに給与が高くないので、膨大な資本と手間ヒマを投下するほど効率がよくない。

 クッキングAIロボでラーメン屋さんやったら、多分ベテランの人がやるよりもずっと時間かかると思う。こういう注文が来たときは、まとめて茹でてしまっておいた方がいいな、その間に狭い作業上で丼をこう並べて、さらにこの常連さんは麺固めがお好きだから、卵の半熟具合はこのくらいにしておいて〜とかいうのは、慣れてるプロだから瞬時瞬時に最適解が出せるのであって、それらを演算公式にするのは難しいでしょう。寿司屋のツケ場もまさにそうで、「おまかせ」の場合、それぞれの客の食べ具合とか見ながら、次を握る時間配分を考えたりしますし、常連さんの好み、今日の体調などでネタ選び、順番、握る大きさなど適宜調節します。これを予めプログラミングしようと思ったら、たぶん不可能なんじゃないかなー。

 だもんでAIが出来るのは、低い生産性でもいいから画一的に大量の処理をするような場合。人間が処理している場合でも、それほど深い個別知識がなくても良い場合には有効でしょう。役所の窓口受付やら、税金や経理、医師の最初のスクリーング検査と問診なんかは、ひとりひとりの個別事情を知らないで、一般的な法則でやるからAIには向いている。逆に入試の採点なんか、ひとりひとりの個人事情を考慮したらいけない(不正になってしまう)から、AIに向いている。てか昔からマークシートになっている。でも、普通の学校の普通のテストの採点では、「お、この子にしては頑張ったな」「間違いだけどかなりいいセンいってるぞ」というアナログな事情も考えて、採点やら講評やらに含みをもたせる。単に○するだけではなく、二重丸とか花丸とかして喜んでもらうとか、バツの横に「惜しい!」と書いて添えておくとか。このあたりはAIは無理ね。

FBには事実上、救済手段がない

 次の論点は、FBの場合、事実上、救済手段がない、ということです。

 AIのエラーやバグなどの間違いであろうがなんだろうが、一回そうされてしまったら被害回復できない。そもそも間違ってますよということを伝える術もない。もう泣き寝入りするしかない。これ、実際にやってみてかなりビックリしたんだけど、ほんとに無いか、事実上無意味なのですよ、FBの場合。

 一応間違ってると思う人は、なぜ問題ないかを書いて送れってページがあるのですが、これも設問の仕方がおかしいです。


 「なぜこれが間違いだと思うかを説明しろ」って、別の表現でいえば「規約違反が「ない」ことを説明しろ」ってことですけど、これって「悪魔の証明」のようなものです。「悪魔の証明」というのは「不存在立証」のことで、それが「無い」ことを立証するためには、森羅万象のあらゆる可能性を一つ一つ潰していかないといけないわけで、そんなこと出来るわけないです。「ある」ことを立証するのはたった一つの「ある」事例をやればいいけど、「ない」立証というのは不可能です。

 ま、ここでは別に立証とは言ってないので直には当たらないけど、でも「説明」にしたって同じことでしょ。「だって、なんの問題もないんだもん」というしか無い。

 この設問を正しく設定しなおすならば、まずFBの方でなぜこれが規約違反と判断したのかその事実と根拠を先に示すべきです。主張立証命題を提示する責任は、その行為を先におこなったFBにこそあるんだけど、そういうことはしない。ここがズルいというか、もう無茶苦茶じゃん。

 そんなこと言ってても仕方ないので、かれこれ都合3回くらい送ってますがナシのつぶて。もう2−3週間まってるけど返事ひとつきません。もともと「個別に審査することは出来ませんが」と書いてるので、申し立ててみてもどれだけ動いてくれるかはさっぱり分からん。ただのアンケート調査か、単なるガス抜きに書かせてまともに取り合う気がないという可能性はありうる。


 またFBについての意見を書くページがあって、そこに書いてみても「必要事項が記入されてないので送れません」と表示がなされる。

 いやいやいや、「必要事項」もなにも自由通信欄がひとつあるだけじゃないの?何を言っているのだ?と何度もやってると「規定回数を超えたのでまたあとでやれ」と出る。要するに意見を出させてくれない。


 あれこれトライしているうちに、他にも意見を述べるページがあって投稿してみました。今度は送れたのだけど、これまた返事なし。


 というよりも、最初から「返事しません」と宣言されているという。ただのアンケートとか、苦情目安箱くらいの機能しかないみたいね。

 数日後に一応返事らしきものも来たのですが、案の定、アンケートありがとうございました的な感じでしかない。


   出てきた結論は、要するに救済するとか、過ちを正そうという気はないのね、待ってても永遠に無駄だよねってことです。


 これ以上やろうと思ったら、フェイスブックジャパンかなんかの本店所在地を管轄する法務局いって商業登記簿謄本をとって、そこ相手に内容証明郵便でもぶつけるか、あるいは登記簿に書かれている代表取締役の住所に内容証明送るかとか、昔取った杵柄的なことをやるっきゃないのですかね。昔の仲間や、出身事務所の弟弟子あたりにお願いしてやってもらうかなー。

 僕なんかの場合は、ほそぼそ零細企業だし、そんなにFBに頼ってるわけでもないからいいけど、かなりFBに絡めてビジネスやっておられる方の場合、こんなエンガチョをされたらその商業的損失というのは笑い事では済まないんじゃないですかね。全ネット的に「いいね」リンクが全消滅するんだからSEO的にもかなりの被害になるではなかろうか。それにイメージ悪いしねー。せっかく顧客が紹介しようとしてくれて、リンク貼ろうとしたら「コミュニティ規約違反」って出るから、ヤバいことやってるように思われるよね。そのイメージ損失というのは、会社によるだろうけど、結構なものじゃないのかな。

 それを事前に通知も弁明の機会も全く与えず一方的に裁断し、しかもその根拠も内容も示さず、かつ事後救済の道を一切閉ざしているってのはどうよ?って思います。 ほ〜、それがあなたのやり方ですか?って。

 ちなみに色々検索してみたら、神田さんという方が、ご自身の体験をもとに、突然、facebookから抹殺される恐怖というのを書いておられます。こちらはフェイスブックのアカウントそのものが抹消されるということで、もっと大変なんですけど。ちなみに、世間は狭いもので、この神田さんという方、個人的に知ってます。その昔、日本で異業種交流をせっせとやってたときに知り合った人で、いろいろ面白いことを孤軍奮闘しておられます。ちょっと前にネットのどこかで見かけたときは、ミャンマーでアコモをやるとかなんとか。

私企業の社会的責任論

 ここまで思い至って、より大きなテーマにぶつかりました。

 FBに限らず、GAFAというのは今や国家レベルかそれ以上の影響力をもつ存在でありながら、外部からの異議申立や改善機会を用意していなくて良いのか?いという問題です。これは、会社法では昔からある議論で(ドイツで、ウンターネーメン・アンジッヒって言ったかな)、「私企業の社会的責任論」というテーマです。

公と私がわかってない

 原点に帰れば、GAFAがいくら影響力が大きくて、既に社会のインフラの一部になってるかのようでありながら、あれは私企業です。FBやらGoogleやら利用しているユーザーといいながらも、別に金払って契約してるわけでもないんだから(そういうケースもあるがそれは別の話)、いわば「他人の庭先で勝手に遊んでるだけ」です。

 だから、家主にお前は気に食わないから出て行けとか、気まぐれで言われても抗弁のしようもない。自分の金や所有物をどう使おうが、また誰にどう使わせようが、それは私人の自由であり勝手である、つべこべ言われる筋合いはないと。「私」というのはそういうものです。公的な公平さとか求められない。

 ただ、それでいいの?というのが「私企業の公的責任論」です。自分の工場でどんだけ公害出そうが俺の勝手じゃとは言えない。労働契約結んだ従業員をどんだけコキ使おうが俺の勝手だとも言えない。これらは私に対する公的制限として環境法やら労働法が規制をかけているわけですが、そんな法的規制の有無を問わず、ごくナチュラルに公的責任というのはあるんじゃないの?ということです。

 そしてそれをなんて日本語で表現したらいいのかなーで思いついたのが「器」という言葉です。器量です。いい年して、デカい図体して、そんな「僕のモノだから僕の勝手だモ〜ン!」的な子供じみた発想から脱却しなさいよ、それなりに大人としての器量を身につけなさいよって。それがないと、いかに経済的にデカくなろうが、次世代を担う「器」はないのではないか?

 日本でも世界でも、老舗や一流といわれる企業や組織は、それなりの器を持ちますし、公的・社会的存在としての責任もあるように思われます。まあ、それが鼻持ちならないエリート意識になったりもするのだが(笑)、マスコミが「社会の木鐸」を任じるように(今となっては失笑レベルだが)、日本の財閥系とか一流企業は、イヤミなところも多々ある反面、そういうところは「さすがだな」って思わせる面もあります。例えば、顧客対応においても、「お前らのような下賤な雑魚に用はねーよ」といかに腹の中で思ってようが、それはオクビにも出さないし、それなりに対応します。もっぱら総務とかそのあたりの仕事でしょうけど、無茶苦茶言ってくる「消費者」にもそれなりに礼を尽くした対応をする。そんなくだらないところで突っ込まれるようなボケはかまさない。

 前にも書きましたけど、僕の友人で新興企業(今となっては一流企業)やってて、会社のロビーで出入りの業者さんと打ち合わせしてたとき、業者さんはもうペコペコやるんですけど、こちらの新入社員がソファにふんぞり返ってるから、あとできつく叱責したそうです。ただでさえ新興で叩かれやすいんだし、こちらの方が圧倒的に強い立場にいるんだから、相手が礼をしているときには、こちらはそれ以上の礼で報いるべきで、相手が50度お辞儀をしたら、こちらは60度で返すんだと。でないと、つけあがってるとか、傲慢だとか絶対思われるし、ひいては企業の品格やレベルを嘲笑されることになる。お前は仲間全員の顔に泥を塗ってるんだと。そのくらいの気を使うもんです。そのあたりは一流と呼ばれるほどに徹底してるでしょうし、社員教育もするでしょう。欧米でもどこでも同じだと思う。当然チャリティもバンバン金だすし、社会的にも尊敬される存在になろうとする。少なくともカッコはつけようとする。

 それを考えるとこのFBの対応というのは、天を仰ぎたくなるくらい「脇が甘い」というか、子供だなあって思っちゃうんですよね。いいの、それで?と、他人事ながら心配になるというか。

 どうしてそうなるの?と推測するに、GAFA引っ張ってる理系の秀才ちゃんって、社会科学や哲学などに疎いのでわからないのかもしれないです。もともとがパソコン少年のような連中が面白がってその可能性を広げていったのが原点でしょうし、その分野では天才的であったとしても、人間のドロドロ情念のもつれ合いと、それを整理するための叡智とかいうのはあんまり興味がないのかもしれない。でも一定レベル以上に大きなってきたら、「公」とはなにか?という議論、「私」と何が違うのか。パブリックとプライベートを分かつ分水嶺はどこにあって、それぞれどういう原理で動くのかを知らないとならない。

公私の原理

 大事なところだからもっかいキッチリ書くと、公に属するものは、私とは違った公的原理の制約を受けます。

 その前に何を「公」というかですが、これも議論しだしたら泥沼ですが、極論すれば「自分以外の他人に影響を及ぼす場合」はすべて「公」とすべきという意見もあり、逆に、一定以上の規模をもつ不特定多数に影響を与える場合とする意見もあります。

 「私」のレベル、つまり他人にまったく影響を与えない場合においては完全自由です。あなたが暇な時間に、読書をしようが、その際誰の本を読もうが、コーヒーを飲もうが、日記に誰それの悪口を書きまくろうが、それは自由です。

 ところが、自分以外の他人が入ってきたら、自分とは違う価値観や利害をもってるわけで、好き勝手やってるとその他人から文句言われたりします。恋人夫婦友達でもそうですが、自分が良いと思っても、相手が良いと思う保証はないから、そこでいつも一悶着おきる。価値観同士には論理的優劣も正しいも間違ってるもないですからね。正義と正義が喧嘩します。ここで論理と正誤だけでやってきた理系君は壁にぶち当たって、だから恋人が出来ないという話になったりもする(むろんこれは冗談めかした一般論ですよ〜、理系でも人情豊かな面白い奴はいくらでもいますし)。

 特定少数ですら悶着だらけなんだから、これが不特定多数になったら凄い話になります。さらに国家社会規模、そしてGAFAレベルの国家を超えた数十億人規模になったら、かなり洗練された公的センスが必要になるのは言うまでもない。だけど、彼らにそれがあるとは思えないというのが今回の論題です。

 公的論理とはなにか?は政治とはなにかとかそういう話になりますけど、とにかく多種多様な価値観を持ってる人たちに、ひろく影響力を与えるわけですから、「僕ちゃんの勝手だもん」的にやっていけるわけがない。格別の配慮がいる。

 何をどう配慮するか?まず自分の行動が多くの人々に影響を与えるということを自覚すること、そのうえで関係する人々を公平・公正に取り扱うこと、自らのよってたつ価値観を明確にし、行動体系について透明にすること。要はちゃんと自分のことを説明し、気まぐれとか理不尽な振る舞いはするなってことです。周りがすごい迷惑するから。

 こういったことを言うだけだったら念仏と同じなので、実効性を担保するために、いくつかの制度や原理があります。大きなものでいえば(1)説明責任、(2)異議申立の手続的保障などです。

説明責任(アカウンタビリティ)

 説明責任(アカウンタビリティ)というのは、数ある責任のなかでもひときわ巨大で重要なものです。日本ではなかなか広まらないけど。

 とある公的存在が妙な行動に出たとします。例えばどっかの大学が入試において、点数が高い人をさしおいて点数の低い人を優先して入学許可したという事実があったとします。なんでやねん、おかしいじゃないか?って苦情や質問が寄せられるでしょう。特にそれで落ちた人は納得できないでしょう。その際、「なぜそうしたのか?」を説明する責任を負う、というのがアカウンタビリティです。

 これは事実上の不正の防御になります。いい加減なことをすると、皆の前でそれを説明しなきゃいけないわけで、説明できなかったらボロクソ叩かれるわけです。それが歯止めになる。説明責任の徹底度は、とある公的存在や組織が健康かどうかのバロメーターでもあります。

 組織や集団が腐ってくると、まず説明責任を果たそうとしなくなる。「つべこべ言うな」で弾圧したり、話をすり替えたり、詭弁を弄したりしてごまかしたり、あるいはビビって誰も追求しなかったりしたら、その組織はかなりやばくなってると思っていいです。また「大人の事情」とか言われて、分からないくせに妙に納得してるようではダメっすね。

 これは、規模の小さい集団の方がキビキビやられてます。宴会の幹事だろうが、サークルや部活のキャプテンだろうが、バンドだろうが、リーダーがわけのわからない決定をして、質問に答えず、メンバーを納得させられなかったら、その集団は瓦解しますよね。「やってらんねーよ」「俺、降りた」って去っていくし。

 公私の違いでいえば、私の場合は説明責任を負いませんが、公的存在になったら、それは負う。なぜそうしたのかを徹底的に追求されるし、全員は無理でも大多数に「なるほど、よくわかりました」と言わせなければならない。

 逆に言えば、説明責任を果たそうとしない、個人、上司、企業、あるいは国家があった場合、早いところ見切りつけて離れていった方がいいっすよ。この先長くなさそうだし、仮に存続したとしても慢性的な理不尽ストレスで身体壊しますよ。

 もっと言えば、説明責任を追求するためには情報公開が不可欠です。いい加減な説明でお茶を濁させないためにも、公的な決定にいたる全ての資料は厳重に保存され、基本すべて公開されているのが望ましいです。日本の場合、政府に限らずこのあたりは非常に弱いです。選挙だって全ての投票用紙をスキャン保存して、いつでも誰でも閲覧し再カウントできるようにするのは技術的に難しいとは思えないけど、そういうことは絶対やらない。良い傾向としては、入試などの試験問題の公開は進んできているようですね。司法試験の問題なんかも過去には絶対に公開しなかった(受験生の記憶をたよりに予備校が自主的に復元して公開していた)けど、原則公開になってきた。良いことです。だけど逆行しているものが多い。一般論としていえば、なんでもかんでも隠そうとしてきたら、その事自体が既にヤバいです。秘密保護法以来の一連の動き、捏造やら、最近の短期間で全部廃棄することにする決定とか、証拠隠滅街道を驀進中という感じですな。

手続的保障

 公的存在に必要なものの第二は、手続保障です。どんな機関もミスを犯しますし、ミスではないにせよ議論の余地があるエリアはある。その場合、それによってワリを食った人は、その修正と救済をもとめて異議申立をすることが出来なければならない。そしてそれを絵に描いた餅にしないためにも、きちんと手続きとして定めておくべきです。またそれをすることで組織が誤った方向に脱線していくのを防ぎ、絶えず改善することが出来る。

 裁判だって誤審の可能性があるんだから、一審判決で納得できなかったら控訴審、さらに上告審と三審制度があります。判決以外の裁判所の決定に不服があるときは、抗告、準抗告、特別抗告、即時抗告などなど全ての国家作用(裁判所や検察の動き)に対する申立は整備されてます。行政でもこれは同じで、行政事件訴訟法など不服申立ての機会は用意されています。

 私企業の場合も、公的責任を果たすために、お客様センターとか、カスタマーサポートがあって、そこの最前線の戦士社員は、日々ボロクソに言われているわけですよね。

 実際、その苦情処理の良し悪しでその企業の質が分かるといってもいいです。また、個人事業をする場合、苦情処理が逆にけっこうなセールスポイントになったりもします。真剣に耳を傾け、理解し、迅速に対応し、顧客の予想以上の対応をした場合、その顧客は苦情者から一転して大ファンになったりするし、その逆もあります(ぞんざいにあしらわれて恨み百倍とか)。

 企業営業の現場なんか、仕事のかなりの割合が謝罪だったりしますもんね。相手方の会社まで菓子折り持って出向いて、「こ、このたびはまことに〜」とか頭さげてくる。上司や役職肩書なんかそのためにあるようなもので、末端ペーペーだけが謝りにいっても相手は逆にツムジを曲げるから、「部長みずから」とかいうレスペクトを示すと、これが効く。人間のやることだからミスは絶対でるし、それを一つひとつ丁寧にフォローできるかどうかでしょう。誰もがやってることでもあるし、こんなの日本で社会人やってる皆さんだったら釈迦に説法でしょう。

 以上、公的存在になるにつれ、説明責任(情報公開)と手続保障というのは二本柱として整備しておくべきだと言えます。結局はそれが「信用」になっていくわけですからね。

 これは個々人の生活においても覚えておいて良い処世術です。さきほど人が二人以上集まったら既に「公」の要素がはいってくると書きましたが、配偶者や家族、小集団のリーダーシップにおいても、なぜそうするのか?の説明には意を注ぐべきだし、それに対する批判は常に耳を傾けておくべきで、これをほったらかしにしておくと人間関係は険悪ないしスカスカになります。ひいては定年退職の日に奥さんから離婚を切り出されるという熟年離婚になったりもする。

 一方、零細企業がデカくなるにつれ、敵も増えます。企業ゴロのような暴力団系もつけねらってくるしねー、政治家は政治家で金をせびってくるしねー、社内では派閥争いや怪文書が乱れたりもするしねー、マスコミも売るためにあることないこと書きまくるしねー、わけのわからないストーカーや訴訟マニアのような消費者もいるしねー、業界内部でのチクり合いとかもあるしねー。一歩敷居をまたいだら「七人の敵あり」ですよ、ほんとに。それだけに脇が甘いと刺されます。

 

ユーザーを人だと思ってない疑惑

 さて、話はFBに戻ります。

 上で書いたように、FB相手に空を切るような虚しいことをやっていると、「結局そういうことか」と思い至ったイメージがあります。

 子供の頃に昆虫採集をやって、広口びんの下に蜂蜜を塗って、上にラップで覆いをして放置しておくと虫が勝手に入り込んで出れなくなっているというのがありましたよね。FBとかGoogleのやり方とか見てると、それを連想するのです。

 ビッグデーターを集めてどうのこうのってビジネスモデルですけど、ああいうマクロなことやってると感覚がズレるのかしらんけど、ミクロの個々の人間(ユーザー)なんか、なにかの「自然現象」みたいな感じになって、一人ひとりに人格や人権があるとは思えなくなるんだろうなーって気がします。砂の上に磁石を乗せると砂鉄が取れますよー、シャーレで細菌を培養しましょうとか、魚の養殖で稚魚をこういう形で放流するとこうなりますよーみたいな感じ。

 FBでもGoogleでも、観察対象たる我々(昆虫や小魚みたいな存在)に対して、こういう「魅惑的な遊び場」を設置して、だれでも無料で利用できるようにすれば、昆虫とか小動物が勝手に集まって利用する。そしてその生態を観察したデーターが強力な付加価値をもつ情報資産になる。

 まあ、そういうモデルでやってたらですね、虫けら一匹が「間違ってますよ」とか申し立てるのを聞く気にもならんだろう。一応カッコつけで苦情受付みたいなページを作るけど、真面目に読む気も処理する気も無いと。なるほどねー、それはそれでわかるわ。

 しかし、原点はそういうものではなかったと思いますよ。最初はネットやITの可能性を純粋に追求していたのだと思う。しかしバカウケして大きくなっていく過程でマネタイズ(商売としてお金を生み出す)方法に力点がシフトしていったのでしょう。とりあえずは広告収入ってことになりますが、さらに進んで、これまでのネット利用の履歴やら交友関係、趣味などの個人情報から広告にマッチングさせていくというアルゴリズムを作り、より高い広告効果をもたらそうというモデルになった。そこまではわかりますけど、でも、それがどんどん累積していき、世界中の個人のプロファイリングをかなりの精度で把握出来るようになった場合、その情報そのものが最大の価値を持つようになります。それ自体が売れる、それも一番高く売れるってことになる。ま、そこで売ってはいないということになってるのですけど、どうかなー?(笑)

 そしてそういった個人情報を最も欲しがる「顧客」は誰か?というと国家そのものでしょう。最初は犯罪捜査やテロ対策あたりの大義名分を掲げるけど、本音をいえば、なんでもかんでも国民の情報だったら掴んでおきたいでしょう。そこでGAFA vs 国家という構図が出てきますが、これは後でまた触れます。

 ここでは、今回のことがいいキッカケになって、冷静に自分の立ち位置みたいなものが見えるようになったということをいいたいです。そうか、俺は、シャーレの細菌なのか、「朝顔の観察日記」の朝顔なのか(笑)と。面白そうな小さな遊園地みたいやら迷路に入れられて、あれこれ動いているハツカネズミのような存在なのねー、そして俺の動きを冷静に観察されてデーターを取られているわけねー、なるほどねー、そういうことかいって。

 まあ、無料でやらせてもらっているんだから、あんまり強いことも言えんな。「無料(ただ)ほど高いものはない」というけど、確かにそうかも。いいねの数で一喜一憂している場合じゃないかもね。あっちが科学的にクールな眼差しで臨んでくるなら、こちらもクールに構えておかねば。つまり、ある日突然アカウントが削除されて、これまでの一切合財が跡形もなく消滅したとして、「おやおや」「あっそ」くらいに淡々としているべきなんだろう、そのくらいの距離感で付き合ったほうがいいんだろうなってことです。

GAFA問題

あれこれの批判

 GAFAのあり方に対する批判は、なにも僕が言ってるだけではないです。ていうか、最近では世間のほうが厳しくて、僕の方こそ「何をいまさら」的に遅れている。

 個人データーの漏洩事件は絶えず生じますが、漏洩以前に、なんかもう偏執的に、いや変質的に、ストーカー的に個人情報をとろうとする態度がまず批判されてます。

 Googleなんかかなり叩かれていますが、スマホのアンドロイド(Googleが作ってる)でも、ロケーション機能をオフにしておいてすら24時間追跡されている、それも4分に一回、1時間に14回、1日340回も個人の場所情報をゲットしている。それって何のために?それでいいの?という。

 以下の動画は、アメリカの上院でGAFA連中がボロカスに叩かれているシーンで、Hawley上院議員がGoogleにこの点を質問しています。

 

 英語なんですけどなんとなく分かると思います。ロケーションサービスをターンド・オフにしてるのに、1日340回もなんで追跡するんだ?と。これを平均的な消費者、例えば普通のティーンエイジャーが知ったらどう思う?と聴いてるんだけど、Google担当者(可哀想な貧乏くじだなー)が機能が十分に果たされているかどうか検証するためとか理系的なクソ説明を繰り返しているから、「あなたは私の質問に答えていない(You are not really answering my question)と切って捨てられ、さらに詰め寄られているという。

 いいなー、アメリカ。アメリカの政治も今や大概クソなんだけど、それでもやることはやっている。

 Googleは今、本国アメリカで保守層の共和党に叩かれ、軍部にも叩かれ(アメリカ情報を中国などに伝えるとか)、民主党からも叩かれ、大きくなりすぎたGoogleを強制的に分割させる法案なんかも言われている。権利意識の高い欧州ではもっと叩かれている。もう四面楚歌的に叩かれているんだけど、創業者であるラリーページはどうしているの?といえば、カリブ海で隠遁生活を送って、「空飛ぶ車」(キティ・ホーク(Kitty Hawk)やブラックフライ(BlackFly)など)に関わっているという。理系オタクとしては正しい(笑)方向にいますが、それでビジネスしましょうとか、巨万の富をとかそういうの興味ないんだろうなー(出典はラリー・ペイジ、公の場から姿を消し、カリブ海の島で過ごす訳)。でも、ペイジ自身はプライバシーを重視し、誰にも知られないようにしながらも、消費者のデーターは取り放題かい?って、やっぱ言われちゃうような。


 グーグルだけではなく、アップルも叩かれてます。1年以上前の情報ですが、Apple、アメリカ国内だけで59もの集団訴訟に遭う?iPhoneの性能制御でという記事によると、計画的陳腐化の件でアメリカ内外で集団訴訟をされているとか。計画的陳腐化というのは、OSの更新をする際に、旧来の機種のパフォーマンスをわざと劣化させ、新機種に買い替えさせようとしているんじゃないかというセコい企みです。経験ありませんか?OS更新したらなんか動きが悪くなったとか、電池の持ちが悪くなったとか。あれ意図的にやっているのだと。正確に言えば「iOS10.2.1以降でOSをアップデートすると、古いiPhoneの性能が落ちることがきっかけでした。例えば、iPhone6s/7をiOS10.2.1やiOS11.2にアップデートすると、それまでは最大パフォーマンスを発揮していた端末が、突如ベンチマークテストでスコアが明白に低下する」とのこと。

 もっともこれにはアップルにも言い分はあって、新しいOSの性能が高すぎて旧来の機種では処理しきれず、その安全のためにCPUを制御しているのだという技術的理由です。だけど、だったら最初からそう言わんかいって批判を招いてるし、「それだけなの?」という疑念は残る。フランスでは訴訟ではなく「捜査」が行われているらしい(出典)(どうなったのかなー)。

 あるいは、iPhoneは日本の小さな下請部品会社の技術で成り立ってると言われますが、同時に搾取もされている。日本の島野製作所というところがアップル相手に訴訟をかけて、合意管轄(全ての裁判はアメリカでやるという取り決め)は、優越的地位の濫用の法理で(力が強いものがゴリ押ししたもので法的効力は認められない)で勝って日本で裁判したのですが、まあ、結局は力及ばず全面敗訴してます。だけど、これだけ発注しますよと予めいってきて、それに応えるために借金してまで設備投資をして工場を拡大したら、実際には発注せず、それどころか買値を半額に買い叩くという、日本のエグい下請けイジメでもここまではいじめないだろうということをやっている。情報統制もかなり厳しいらしいし、訴訟で追い込んで黙らせるという力づく的な感じ。

 この種の話はよく聞きますし、かつてのNTTの方がもっとエグかったりする記憶があります。昔テレホンカードが出てきた時に、盲人用に片側に切れ込みがあるのですが、最初に考えたのが町の発明家の個人です。それをNTTに持っていったら鼻でせせら笑われるような対応。じゃあ自分で実用新案でも取るかと思ったら、速攻でNTTがパクって先に取っていたという。この話有名だったんだけど、今になっては検索しようとしても全然出てこない。なんか最近の検索、変よ。ほんとに全然出てこない。どうでもいいチャラいのが多く、実のあるものがあがってこない。本気でなにかを調べようとした場合、検索エンジン自体がもう使えなくなってるのかもしれないね。だから知識のある友達に聴いたりしたほうが早いし正確って場合も多いね。

 一方アマゾンですが、これはこれで話題に事欠かないですよね。豊富な品揃えの他に、商品配送が売りなんだけど、それがゆえにアマゾン集配所における労務のブラックぶりが批判され、各国の運送会社との押し付け紛争が(クロネコヤマトとか)起きる。

 そういう部分だけではなく、本来の商品力そのものに暗雲が垂れこめているような話もあります。例えば、アマゾンは中国市場ではまったく歯が立たず撤退してます。最近の話です。なにも中国政府が意地悪したとか、Googleみたいに排斥されたとかそういうのではなく、純粋に商業的に劣っているから。2004年以来頑張ってたんだけど、結局シェア1%前後というところまで落ちて撤退。なにがどう商業的に劣っていたかといえば、中国本場の会社はとにかく動きが早い、国内ライバルとの熾烈な争いによって次から次へと斬新なサービスを仕掛けてくる。一方アマゾンはいちいちアメリカ本社にお伺いをたててとか、大企業病的にスローすぎた、だから肝心な商品力で劣ってしまったという点があげられてます。

 まあ、日本でもアマゾンは批判されてますよね。同じ商品が500円と5000円で売られているとか、デカくなりすぎて出店業者のコントロールがきかなくなっているとか。

 でもってFBですけど、FBはGAFA4社のなかでは一番格下でしょうし、個人情報の漏洩以外にも、会社としての大人の器がまだまだ出来てないような気もしますね。

将来展望 

 将来的にはそんなに長いことないかも、って気もしますし、逆にもっと悪くなる可能性もあります。

豊富な対抗馬

 長くないというのはライバルの出現です。この種の新興市場というのは、速さが命で、次から次へと新いイノベーションをしかけていかないとすぐに後続に追いつかれる。

 Googleの検索ですけど、今、僕は検索する内容によって、Google JapanとGoogle Australiaに分けると同時に、Bingも、DuckDuckGoも使ってます。DuckDuckGoはGoogleのアンチテーゼとして出てきたもので、検索個人情報は一切収集しない!というのを売りにしています。そのかわりなんで儲けるの?といえば、広告の他にアフィリエイトらしい。検索結果でどっかにいけばそれもアリフィリエイトになるそうな。今度はそれでバイアスがかかりそうな疑惑もあるんだが(笑)。

 使ってる感想でいえば、Googleの方が在庫データーが豊富なので一般には優れているんだけど、検索によっては全然ろくなのがあがってこないこともあります。BingとかDuckの方にキラッと光る個人サイトなんかが出てきたりするので重宝します。あとですね、動画検索だったらBingとDuckの方が全然いいです。ばーっと出てきて見やすいし、何よりも検索画面のまま再生ができるのがいいです。

 Google Mapについては、デリバリーの仕事で使うので多分誰よりも日常使ってると思うのですが、ダメダメな面も多々あります。まず地図の出来が悪い。あまりにも抽象化しすぎてて土地勘がつかないです。地図として見るなら、Open Street Mapの方が全然いいですよ。これは地図のWikipediaみたいなもので皆で作っていく地図です。表記もレイヤーを変えることで、普通の地図になる。
 サンプルとしてウチの近所のシドニー大学付近の地図ですが、上がGoogleで、下がOSMです。どっちがわかりやすいか、覚えやすいかです。またGoogleの場合は金儲けに走りすぎて、広告だしてる店ばっか出てきてウザいのですよ。


 Googleの広告のウザさでいえば、ルート検索をかけているときに、なんだか知らないけど、その行き先ではない近所のどっかのショップが行き先になってしまってカリカリきたことありませんか?そういうことするし。

 あと正確性ですが(オーストラリアでしか使ってないのでその経験だけでいいますが)、ルート設定それ自体は、先の配送ソフトと同じくらいの80点くらい。かなり問題だなと思われるのは、右折禁止などの交通法規がきちんと連動してない。つまりグーグルナビのいう通りに車を走らせていたら、右折禁止のところで右折してしまったりするリスクがあります。これは実際に何度も体験しました。「あれ?出来ないじゃん!」ってのは数えきれないくらいあった。深夜配送の場合、道がスッカスカだから右禁でも楽勝に曲がれてしまうだけに怖いんですよ。一発3-4万罰金食らうし、点数も減るし、おっかなくて信用できない。これまでに何度も、Googleにフィードバックして教えているんですけど、返事が帰ってきたのは一件だけです。

 それにGoogleって信号の有無とかまるっぽ無視してるでしょ。右折とかいっても信号あるところとないところでは難易度に格段の差がある。朝の超ラッシュの際、片側2〜3車線の大河のような大通りを、信号でもないところで右折せよとか、「出来るか、そんなもん!」です。あとは交通取り締まりのオービスの位置情報もない。

 対抗馬はWAZEです。別にGoogle Mapの欠点を全てフォローしているわけではないのだけど、優れているのは「前方に交通取り締まりがあります。ご注意ください」って言ってくれる所(これもしかし完璧ではないんだよな)。あと店情報とか、電車バスは一切ないし、ルート検索でも複雑なのは出来ないんだけど、単純な車ナビだったらこちらの方が便利なときもあります。渋滞情報はWAZEの方がコミュニティベース(参加会員のリアルタイム情報が刻々とあがってくる)からいいですよね。音声ナビはWAZEの方がわかりやすい言い方をします。ラウンドアバウトでもGoogleは常に「○番目の出口」ってカウント式なんだけど、WAZEは直感的にわかりやすく「直進」とか言ってくれる。「見通しが悪い交差点を避ける」という選択肢もある。

 とまあ、別にGAFAに頼らなくても結構他にも出てきてます。
 それにアップルにせよ、グーグルにせよ、なんでもかんでもワンストップショッピング的に囲い込もうとするでしょう?それが便利ですよーって。でも、本当に便利なのか?っていうと、実はけっこう疑問です。iPhoneも使ってたときがあるけど、iTuneがどうのクラウドがどうの全体の仕組みじたいがわかりにくいし、そこまでして「便利」になるかというと、とりたてて(僕の場合は)便利になった気がしない。用途別にそれ専用に特化したソフトなりサービスなりを使ったほうが話が早いということは多々あります。

 そもそもなんでもかんでもお任せにしてたら、それこそ24時間全ての個人情報を献上することになるわけで、それもなんだかなって気がします。よくソフトやスマホでバックドアがついているとかいうけど、今やついてない機種なんかないですよ。最大の存在がグーグルでありアップルなんだし。だったらなおさら分散するべしって気もしますね。

対国家

 これが一番懸念の対象なんですけど、GAFAって課税逃れを常に批判されてますよね。実際そうだし、オーストラリアでも全然払ってない(払ってないことはないが微々たる額)だと。世界中でそう言われている。欧州なんかかなりカリカリきている。

 どこの国も国家財政ヤバいですから何が何でも税収が欲しい。この先、しゃかりきになって課税包囲網をかけてくるでしょう。やらないわけがないですよ。

 さてそうなった場合、GAFA、特に個人情報を豊富に持ってる(アマゾン以外)の3つですけど、課税で脅されて、その見返りとして個人情報を国に廻せと言われそうな気がしますね。なんつっても国は国民のストーカーをしたがる習性があるし(それだけやってることに自信がないんだろうけど)、これも言わないわけがないと思うのですよ。かくしてGAFAはより強大な国家の機関として組み込まれるか、あるいはそこは個人情報の重要性とメディアの中立性を訴えてガンとして拒否るか?

 そこで冒頭の「器」の問題が出てきます。
 これだけデカい存在になると、大統領とか国家主席レベルの政治哲学とか、さらに殺されても曲げずに貫くという強固な信念とかが要ると思う。「板垣死すとも自由は死せず!」と叫んでこと切れるくらいの。ま、今の世界でそれほどの政治家がどれだけいるのか?というと心もとないのですけど、GAFAの皆さん、お勉強が出来てお金儲けにご熱心な皆さんににそれだけの器、それだけのド性骨を期待できるか?というと、あまり期待できないだろうなって思います。そういう教育なり帝王学を学んできてないだろうし、そもそも自分のレベルでセコいことやってるくらいなんだから。

 今回のエンガチョ騒ぎも、推測するに、おそらくは偏向サイトや児童ポルノを検索やリンクで出すのはどうのこうのって激しく叩かれて、「やってまっせ〜」ってポーズをとるため、「やってる感」を出すために、やっつけ仕事で作ったような出来の悪いAIで、とにかく「疑わしきはエンガチョ」的にバッサバッサやってるんじゃないかって思われますよね。今月は○万サイトと縁を切りました、やってますよー、頑張ってますよーって。あっちこっちで小突き回されているから、その度に対症療法的にやっているという感じね。

 となると、GAFAを使うということは、個人情報をそのまま国家に差し出しているのとあまり変わらんのだろうなって思っておいたほうがいいのかもねって気がします。単に個人情報を差し出すだけではなく、知らない間に洗脳されるという怖さもありますからね。検索結果の微妙な調節であるとか。

 もっと漠然としているけど、知らない間に思考発想の枠をハメられたりする危険はあるよね。例えばお金がなくてもYouTubeを見てればハッピーみたいなライフスタイルとかさ、知らないうちにそうなってしまう。また、皆にむけて発信するパターンやネタが、「インスタ映え」するとか、FBに載せやすいコンテンツとか、受けそうなフレーズを書くとか、そもそも俺は何が言いたいのだ?と改まって考えなくなるじゃん。先に形式を用意されると、それに合わせて発想していくし、他人との付き合い方も知らないうちにそのパターンにハマっていくでしょ。それって実はかなり怖い事だと思いますよ。自己の意見の表現なんか、七夕の短冊に願い事を書くとか、天満宮に絵馬を奉納して一言書くとか、誕生日にカードを送るとか、電信柱に落書きするとか(あかんけど)、黄色いハンカチを窓に吊るしておくとか、、、いくらでもパターンはあるし、自分でも臨機応変に創れる。それが失われていく。自由なようでいて、実はどんどん自由じゃなくなっていくのはイヤですね。


 だからちょっと距離を置こうかなーという。別にエンガチョ切られたから切り返すというだけの短絡的な話ではなく、また今尚良い部分は多々あるので、それは感謝しつつも使わせていただくにせよ、使わないで代替するとか、そもそものライフスタイルを考え直すということをしてもいいなと思います。

 このあたりは何も僕がいうまでもなく、今や世界的に個々人レベルで語られていますよね。参考としては、例えば「GAFAやめました」若者が離れ始めた根本理由などの記事、あるいは特にNY大学のスコット・ギャラウェイ教授の論稿は波紋を呼んでるみたいです。the four GAFA 四騎士が創り変えた世界 とか、内容目次を紹介してるとところから抜粋すると「【GAFAが生み出した「新ルール」とは】・「崇高なビジョン」を掲げる ・利益はいらない ・法律は「無視」できる ・競争相手は「資金」で踏みつぶす ・人間の「本能」を刺激する ・ほとんどの人は「農奴」になる ……」などいっぺん読んでみようかしらん。

 ということで災い転じて福となすじゃないけど、FBエンガチョはいい機会かもしれないです。別に使わなくなるわけではないけど、使うべき機能を洗練させられるし。ちなみに、FBによって実際のビジネスの売上が上がったかというと、冷静に考えてみて限りなくゼロだと思いますね(笑)。いやほんとに、こと経済面でいえば全く役に立たんね。あ、ここでこんなことを書いたら、後に訴訟をかける時にまずいかも(笑)。ゼロなんだから損害もゼロだろって言われそうだわ。ただメッセンジャーは使い勝手いいし、ページを通して皆と連絡とるにはやりやすいこともある、程度かなー。

 ま、いずれにせよ、自前で借りたサーバーで、自前でコンテンツ作ったり、CGIで掲示板作ったりしてる方が安全ではあります。これなら絶対に削除されないし、なによりも個人情報を取られることもないですからねー。

 というかさ、これからは昔ながらの郵便とか、小学校の電話連絡網(あしたの遠足は中止ですとかの)みたいな古臭いアナログの方が訴求力あるような気がしますね。ま、そんなゼロか百かなんてデジタルな話じゃなくて、デジタルにしやすいもの、もっと良い手段があるものとか、個人情報も管理も含めて、それは自分で選別していく。そこでセンスが問われる時代になっていくかもです。検索エンジンも使うけど、同じくらいの重要度で「人に聞く」ようにするとか。

 それにですね、実際にこの世界の政治を動かしている「組織票」というのはこのアナログの力で動いてますからねー。ほかにも隣組監視にせよ、奉加帳方式にせよ、そのあたりはやっぱり強いです。

 いつか超牧歌的なところに住んで、オフをやろうと思ったらFBやネットに告知するのと同時に、「狼煙」をあげるとかで告知したいですね。向こうの山のほうに一条の煙が、お、今夜は集会だ、みたいな。そういうライフスタイル、いいよね。法螺貝を吹くとかさー(吹いたことないけど)、伝書鳩を飛ばすとか。




文責:田村


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