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今週の一枚(2017/03/13)



Essay 816:イノベーティブな治外法権〜記事スクラップ集

 

 写真は、Anzac Bridge。Pyrmont側から。

 今週は記事のスクラップです。今回は超長いですよ。ゆっくり読むとよろし。

 ときに日本のマスメディアの劣化は犯罪的とすら形容したくなるくらいで、世界的な評価も急落(2016年度で72位)、もはや第三世界レベルとすら言える。アメリカ(人権委員会)にすら問題ありと言われてます(君にだけは言われたくないわって気もするが)。直近5年、日本の全産業のなかで最も劣化が激しい業界だと思う。

 とはいえ個々のメディアで寄稿されている記事、インタビューはなお読む価値あると僕は思います。御用学者の論点そらし(すり替え)やら、提灯買いを促す経済系のポジショントークやら、読むとアホになる毒薬みたいなものも多々ありますが、一つのフィールドを地道に研究してきた人々の言説も探せばあります。FBでシェア記事にしてもいいんだけど、数が多いので、エッセイの場で備忘録方々まとめておきます。

 ポイントは近未来の風景。あくまでFACT(事実)中心で。主張とか思想とか考え方ではなく、どういう世の中になっていくか、それを予想するためのベースとなる事実関係です。もっぱら統計数値などが多いのですが、現場の最前線で見えるリアルな風景とかも含みます。

 御託はそれだけにして、数が多いのでとっとといきます。
 内容は、各リンクを辿って全文をごらんください。ここでは、ラインマーカーで線をひくように「ほう」と思った部分を抜き出して+切り貼りして+編集してます。

空き家・高齢化の現状

「空き家大国ニッポン」のゾッとする近未来 首都圏でさえこの惨状…
現代ビジネス 2017年3月10日 『里山資本主義』の著者・藻谷浩介・『老いる家 崩れる街』の著者・野澤千絵氏の対談

僕なりの要約:
人口減少で空き家が多くなるとは言われているが、人口減少だけでここまで空き家が増えるわけがない。人口が減る比率よりも空き家が生じるスピードの方がはるかに早い。なぜそうなるのか、そのメカニズムは何なのか。
 それは後先考えずに営々と無駄な住宅を作り続け、現在もなお作り続けているという自殺行為的な活動の集積である。人口が減る以前から、人口を遥かに超える住宅を作ってきたのだから余るのは当然の帰結。

 では何故そんなことをしたのか?といえば、「おらが村」だけは人口を増やそうと各自治体が競って郊外大開発をしてきたからである。パイが一定(縮小)のなかで皆がそんなことをすれば、全国的に人数を大幅に上回る住宅が出来てしまうことなるし、現にそうなっており、これからも空き家が大量に生じる。

 もう一点注目すべきは、総人口を増やしても意味がない点である。ある一時期に若い生産人口を急激に集めても、年々住人は老いていくのであり、やがてどっかの時点でドカンと高齢化して財政破綻する。生産人口と高齢人口の適正なバランスこそが大事であり、時系列上どの時点でもそのバランスを考えるべきなのだが、そこまでの余裕がないのが実態。

 この問題は過疎の村よりも、むしろ首都圏において最も顕著である。過去5年間、首都圏には42万に生産人口が流れ込んできている、しかし、それでもトータルでいえば、総人口51万増、うち80歳以上が52万増だから、なんのことはない80歳以上だけが増えている。生産人口42万人の流入をチャラにするくらい、住民の老化というのは大きな影響力を持つ。


(本文より抜粋・修正・引用・編集)
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所有者不明の不動産の急増

地方から広がった土地の「所有者不明化」問題
WEDGE 2017年3月9日 吉原祥子氏

ポイント:
これは個人的に興味のある記事でした。
25年前の弁護士実務で相続案件などをやっているとき、いかに多くの人々が行方不明になっているのか、いかに住民票がアテにならないかを痛感した。また、先代、先々代から相続登記をちゃんとやっていない不動産を、今からきちんと登記しなおして転売など有効利用化しようと思ったら絶望的なまでの努力がいることもわかった。先々代くらいになると、ハンコが必要な相続関係者(相続人)だけでも十数人から数十人に及び、そのうちひとりか二人は行方不明になっている。住民票の転出届や戸籍の附票をもってしても追いつけない。一人でもハンコがなければ不動産登記はできず、よって有効利用はできない。売却することも、公権力が収容することも出来ない。

そんな不動産や山林が日本全国に掃いて捨てるほどあり、この問題は年月が経てば癒されるということは絶対ありえず、ますます解決不能になる。つまり日本の不動産のうち、まともに権利関係を設定できるものはどんどん減っているわけで、将来的にどうなってしまうんだ?と寒気がしたのが25年前のことです。
さて今はどうなっているのか?というのが興味の焦点だが、やはりというか、なんの改善もみられないどころか、ヤバい状況になっているという話です。せめてもの救いは、それがようやく社会問題化しつつある(広く認知されつつある)という点。

(本文より抜粋・修正・引用・編集)
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高齢者犯罪の激増とその構造

貧困×認知症×暴力=「高齢者犯罪」拡大の現実
日経ビジネスオンライン 2017年3月8日 山本 一郎氏

ポイント:
日本の高齢者犯罪は、高齢者が増加する以上のペースで激増している。その特徴は、
・それまで真面目に暮らしていたのに経済的困窮や居場所なしなど環境要因によって高齢者になってから犯罪を犯すケースが多いこと、
・公共の場でキレる粗暴犯が多いこと、
・粗暴犯は東京など都市部に多いこと
これに認知症の問題が絡まり、問題をいっそう解決困難にしている。
制度的なフォローも乏しく、現在は関係者の善意ボランティア努力によって懸命にやっているが、今後高齢者も認知症もどんどん増えることを考えると善ボラだけでは限界がある。
なお、高齢者の96%は善良に慎ましく暮らしており、高齢者狩り的な誤った印象を持ってはいけない。ただし絶対母数が多いうえに、今後さらに増えていくので、一部の少数といえども善ボラだけでは対応しきれなくなっているというのが正確なところだと思われる。


(本文より抜粋・修正・引用・編集)
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破産自治体のその後

財政再建開始から10年の夕張市 緊縮一辺倒からようやく脱却へ
ZUU online 3/3(金) 高田泰氏

ポイント:
「かわいそうな」夕張市については、過去に何度か取り上げました。Essay 628:デトロイト市の破綻(2013/07/22)の後半部分に細かく書いたのですが、炭鉱とバブルという2つの時期に、国と大企業によって便利使いされて、捨てられた、という意味で、かなりひどい話なのですな。日本の自治体、中小企業、力のない一般従業員、おしなべてこのパターンで、何を今更の日本の光景かもしれないけど、それにしてもひどい。何がムカつくかというと、国や財閥系大企業というのは、いざヤバくなると逃げ出すどころか、ツケを全部地元に背負わせ、納税義務すら踏み倒して知らん顔をしている点です。

 自分の過去の文章読んでたらまた新鮮にムカついたので、具体的に書きますが、廃坑になったとき、「1982年に夕張炭鉱病院の市への移管に対して夕張市は40億円を負担し、さらに北海道炭鉱(北炭・三井系)は、北炭夕張新鉱での事故を口実に、鉱山税六十一億円を踏み倒して逃げ出している。三井・三菱は炭住五千戸や上下水道設備なども夕張市に買い取らせ総額は百五十一億円に達した。エネルギー政策の転換による閉山にもかかわらず国・企業の責任は根本的に問われることなく、夕張市は路頭に放り出され、「炭鉱閉山処理対策費」は総額五百八十三億円に達した」と尻拭いは全部下のものにやらせるという、日本の伝統的な醜悪なエリート像そのまんま。
 さらにバブルがコケたときも、「80年台のバブル前後の「リゾート法」「民活法」の第三セクター方式に言及されていて、リゾートブームが人為的に起こされ、全国各地で宮崎のシーガイア、三重のスペイン村など開設され、そして倒産してます。で、結局誰が儲けたの?といえば、その開発事業者である大手ゼネコンやらであり、要するに「いつものハコモノ行政」と「いつもの利権の仲間達」です。官民合わせてこんなことばっかりやっているという。夕張も、リゾート法には乗せられなかったものの、観光事業を起こすために松下興産(パナソニックグループだが今は関電傘下)と組んでホテルやスキー場をやったけど、松下が手を引く際に20億円でホテルを買わされ、26億円でスキー場を買わされている」。

 結果どうなったかというと、夕張市は「公開処刑」「晒しもの」のように日本唯一の破産自治体として、塗炭の苦しみをこれまで負わされてきました。状況はあの頃からよりいっそう悪く、将来はさらに暗いのだから、夕張市は日本中の自治体の明日の姿でもあるでしょう。そして、それがようやく薄日がさしてきたかな〜という朗報チックなのが今回の記事。

(本文より抜粋・修正・引用・編集)
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感想と付言:
夕張市をなにげに応援したくなるのは、可哀想なだけではなく、しんどい状況でメゲもせずにやりぬいているからです。明日の日本の大きなモデルになるなあと。ひとあし先に修羅場をくぐり抜けてきてるだけに、今もなお危機感なく平和ボケしている日本各層の先例になりうる。

特に鈴木直道市長は、学生時代ボクシングやって東京都職員に就職して〜ってふつーの若者が、火中のでっかい栗を拾い続けているという点で注目されます。なんせまだ35歳だし、市長でありながら年収245万、退職金ゼロ公約。いろいろ言う人もいるかもしれんが、「じゃあ、お前やってみろ」と言われたら誰でも尻込みするようなことをやってるという一点ですごいなーと思います。またこのくらいの年代の連中に全権握らせてやらないとダメなんじゃないのという、いつもの持論になります。僕も含めて上の連中は尻拭いと後始末に徹していれば良いと。

と同時に、このように破綻して、枯れるだけ枯れて、クソジジイどもの利権の「り」の字もなくなって、うるさいのが居なくなってから本当の再生が始まるのかなって気もしますね。
そういう意味で、可哀想な夕張市なんだけど、同時に、だからこそ希望の星でもあるのです。

農業AIの未来像

農業の破壊的イノベーションを日本から『日本発「ロボットAI農業」の凄い未来』窪田新之助氏インタビュー
WEDGE 2017年3月11日 山口亮子氏 

ポイント:
農業のAIってあんまり考えたことなかっただけに、なるほどねと参考になった。

(本文より抜粋・修正・引用・編集)
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感想と付言:
農業ドローンは、オーストラリアなどの広大な牧草地で家畜の所在を監視するために有益という話は聞いていた。が、それ以上に農業とAIとIoTが絡む場面は考えてなかったので、参考になりました。

サクランボのディープ・ラーニングは、そんなことが出来るのなら、大抵のことは出来るようになるだろう。要は、収穫に適した果実の見分け方、その収穫のやり方(他の枝や果実を傷つけないとか)など幾つかのポイントを設定して、あとはロボットに実地でやらせてみて、経験を積ませてどんどん精度を上げていくってことだけど、そのとおりに出来るなら人間要らないかも。もともと精密作業は、手術ロボやナノテクノロジーでロボットの方が圧倒的に人間よりも精密に動けるんだから、最後には導入コストとランニングコストの問題になるだろう。
もし、それで採算が合うということになったら、大規模農場が多いオーストラリアの場合、ワーホリさんのファームジョブは一気に減るかもしれないし、人手不足がゆえの二回目ワーホリももう廃止になるかもしれない。

また、食の安全性とロボットのデーター主義は確かに相性がいい。いつどのくらいの肥料や農薬を撒いたか、残留農薬の程度、生産物の成分分析など一切の記録がログとして残るのだからエビデンスには事欠かない。なるほど、そういう視点もあるのかと。ただ、まあ、そのエビデンスを隠したり、改ざんしたりって問題は残るだろうけど。

オリンピック終了後の荒廃

リオオリンピックの会場がわずか6カ月で廃墟化 電気代未払いのまま閉鎖
GIGAZINE 2017年2月15日

これは、リンクを開いて写真を見たほうが早いです。

(本文より抜粋・修正・引用・編集)
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感想:
オリンピックも「墜ちた偶像」化しつつあり、「経済効果」とかいっても、一握りの人々の開発利権でしかないことは常々指摘されてきています。アテネ・オリンピックの後のギリシャは御存知のとおり国家破産同然だし、ロンドンオリンピックのあとのイギリスはまさかのEU脱退するほど国内が割れてしまっているし、前回のリオも始まる前から盛り上がらなかったのですが、、、だが、しかし、終了「直後」といってもいい時期から、ここまで荒廃しているとは。
ここまでわかりやすいか?ということで、ある意味、衝撃でした。

ということは次の東京もそうでしょう。既に開発利権で甘い汁吸った人は吸いまくったでしょうし、うんざりするほど出てきたスキャンダルも騒いでそれだけで、今では追求する話もめっきり途絶えてしまったし。つまりは「やり得」ってこと?

大きな話をぶち上げて、巨額な金動かして、儲けるだけ儲けて、あとは野となれ山となれというのは豊洲問題もそうだし、原発だってそうだし、マイナンバーも、その前の住基ネットもそうだし、僕のエリアでは法科大学院制度もそう。いや、これだけ壮大にお金を浪費してたら、そりゃ年金もなくなりますわって感じ。

慰めは、日本だけではないのよってことだけど、ブラジルではルセフ大統領が弾劾裁判でクビになり、韓国でも先日朴大統領がクビになった。まだ自浄作用らしきものが残っているだけマシなのだが、日本の場合はどうなのですかねー。

大規模店舗展開の終焉

【JCペニー】、最大140店舗となる閉鎖!創業115年の老舗も身を削ってアマゾンと戦う?
BLOGS 2017年02月25日 後藤文俊氏

ポイント:アメリカでは大規模小売チェーンが、厳しいリストラをしたり、倒産したりで総崩れ状況になっているという現状レポート。壮絶だなー。

(本文より抜粋・修正・引用・編集)
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感想:
日本でもデパートやアパレルが切羽詰まってきているのは、散々報道されているからご存知かと。

なぜそうなのか?といえば、一般にはネット販売に押されていることが一つ。もう一つは、昔ながらの「規模の経済」で押していこうとするなら、結局は最強一社だけ=今のままではアマゾン帝国だけが残ることになるという点。

てか、あなた自身がなぜデパートで服などモノを買わないのか?と自分の行動心理をトレースしてみたらわかると思う。
ファッションやアパレルは、それが本当にその人の趣味になっているなら格別、一般にはカッコつけと見栄張り動機であるところ、見栄だけなら超高級ブランドがあり、大衆的な大規模チェーンは分が悪い。また、そこそこお金をかけるのは、お金をかけられるだけの経済的余裕が必要だが、どこもかしこも閉塞気味の先進諸国では、自分の将来が不安だから財布の紐が固くなる。「そこそこ」でいいわって心理になり、「そこそこ」のレベルが年々低下し、また第三世界生産方式(バングラとか)が定着して劇的に安いものも出てきている。ボールペンやガソリンのようにユーティリティ化、日用品化していくなら、安いほうがいいし、また手間ひまかけて買い廻るのも面倒くさい。ネットで済むならそれでいい。

デパートについても同じで、高級品が揃っているデパートに行くことは、その昔はちょっとした「ハレ」的な気分高揚要素もあったのだが、そんな余裕もなくなってくれば、ただ無駄に高いだけになる。せいぜい数百〜千円程度の上積みでリッチ気分を味わえるデパ地下どまり。バブルの頃は、アルマーニとベルサーチが”制服”のようになり、Tシャツ一枚数万円でも買ってる人は普通にいたけど、いまどきそんなの「無駄遣い」に思える。

思うに、これらはハレ的な、見栄的な、「気分的な付加価値」がけっこう大きな要素を占めていたのだろう。顔に冷水ぶっかけられるように、現実や将来不安によってシラフになれば、その付加価値は蜃気楼のように消える。残るのはソリッドな実用価値であり、雑貨店での雑貨購入みたいなれば、ひたすら省エネ(値段や手間暇を減らす)化していくのだろう。そうなると規模の経済は、最強一社に収斂されていく。ネットやスマホなど世界視野で買い物が出来るなら尚更。

日本のデパートも同じ経過を辿っており、直近数年は爆買いというモルヒネで持ち直していたが、嵐にようにそれが去ったらあとはしんどい。

ただ、これは購買に限らず日本のあらゆる事象に言えると思うのだが、メンタルや感性が前世紀のままという化石的な人口が大量に残っている。高齢者であり、時代の流れがよくわかっていない情弱君達である。未だにテレビで情報収集してる人とか。これらの層が変化へのブレーキになっているのかなって気がする。未だにデパートの包装紙があると高級品であるイメージをもつとか、大企業に入れば人生OKと思ってるとか、もうどうしようもなく時代遅れなのだが、彼らのおかげで日本の場合、血も涙もないようなドラスティックな変化は抑えられている。これをソフトランディングと美しく表現することもできるかもしれないが、別の言い方をすれば「蛇の生殺し」でもある。新陳代謝が遅いから、どっちちかずの、進むも地獄退くも地獄的な中途半端な状況が延々続くという。スローモーションで飛び降り自殺をしているかのような、バブル崩壊以降の四半世紀は全部コレじゃないかと思う。

デパートや大手スーパーの衰亡は、日本全国の地方都市の衰亡につながる。イケイケで田舎に大規模店を出店して、地元商店街をシャッター街化したあと、今度は自分が潰れるということで、過疎化、荒廃化という最初の話につながっていく。

雑感

 とまあ、あれこれピックアップしたけど(他にもオランダの農産物マーケティングが凄い(=ケニアに農場持ったりとか)とかあるけど、長くなるので割愛)、基本ここ一両日でネットでみつけたものです。あんまり話題になってないけど、知っておくといいかもという。

 いろいろな分野の話が出てくるのですが、大事なことは、現実の世界では、それらが同時に生じているという点です。なんか分野別に読むと、それだけの数のパラレルワールドが独立して存在してるかのような感覚になるけど、現実はひとつ。ジャンルの違う問題を無理矢理にでも頭の中にぐしゃっと詰め込んで、同時に再生させると、リアルが浮かんでくるのだろうなーと思います。精神分裂気味になりそうだけど、でもそれがリアルだと。

 よくよく考えてみれば、バラバラの話題のようで相互に関連しているのですね。後は野となれの利権行政、箱モノ主義でやってきたから大量に不動産が余って困っているし、一時的な解決に過ぎないから、時がたって若者が高齢化した時点で天国から地獄に暗転するという。言うならば、過去数十年、クレジットカードで馬鹿使いをするとか給料前借りしまくるように、営々として未来を先取り食い散らかしてきた、そのツケが溜まりに溜まって徐々に返済期限が来ているということでしょう、なにもかもが。

 でも、別にそう絶望的な事態ではない。夕張市をはじめ、それでも明日を切り開くことは全然可能だし、やってる人はやっている。ただ、何もしないで平穏に過ぎてくれればいいな〜ってことだけは無いだろうなってだけの話。でもそんなの当たり前じゃん。また「この程度」のハードシップ、世界的、歴史的にいえば些細なレベルでしょう。別に国が2つに割れて毎日殺し合いやってるわけじゃなし。一世紀ちょっと前には西欧列強に土人扱いされて植民地化されそうになってたわけだし、半世紀前には無条件降伏で殺されても文句は言えなかったわけですからねー、それに比べりゃ大したことないすよ。金が無いだけだし、世界中に同じ仲間はいっぱいいるし。

 個人レベルで例えていれば、「配偶者が浮気して、子供がグレたり苛められたり、自分もリストラされそうで、親がボケはじめて、それらが全て同時に発生している」という「その程度」のことでしょう。この社会でいっちょ前に社会人の看板張ってたら誰でも経験するような平均レベルで、それがさばけて一人前という。大変っちゃ大変だけど、別のこの世の終わりではない。てか、ありふれた話であり、平凡な日常そのものじゃないですか。

 さて、大きな視点でいうと、遠からず、部分的に法治主義そのものが破綻するかもしれない。遊休(荒廃)不動産の再生活用などが一つのキーになるかと思うけど、所有者不明不動産の記事で書かれていたように、へたしたら日本の不動産の50%が使い物にならない(=相続登記を済ませて確定所有名義にし、譲渡売却など資産化することが困難)としたら、思うように活用できない。それでも活用したかったら、権利や登記を無視した、尖閣諸島の”実効支配”みたいな、事実先行の治外法権的な状況、これまでの秩序ではコントロールできない状況が出てくるかと。

 そうなると、日本の多くのエリアが不法占拠者の天国のようになるかもしれないし、あるいは自分自身が不法占拠者としてやっていくとか、殆ど無料でどこでも住めるとか、そんな変な話になるかもしれない。空き家対策とか、それをやってるのは、まだしも所有者が明確にわかって意思連絡が出来る場合ですけど、誰のものかもわからない、誰に連絡すればいいかもわからないという場合、もうどうしようもないでしょ。現行法上、権利関係不明の場合は、公示催告とか、財産管理人とか、法務局に供託するとか、取得時効とかいろいろあるけど、どれもドンピシャにははまらない。大体、夕張市みたいに公務員数が半減以下くらいになっていくなら、公的ななにかは人的にも予算的にも期待しにくい。まあ、使用されない空き家や農地が、誰のものでもないまま朽廃、荒廃、やがて誰のものでもない大自然に戻っていくから、それはそれで一つの「解決」なのかもしれませんけどね。

 ふと思いついたけど、所有者不明の不動産で、登記簿上の推定相続人全員を共同被告として、取得時効を原因とする所有権移転登記ないし更正登記請求を出して、所在不明で訴状送達できない場合は公示送達して、、、って手間暇を掛けていけば、最後は勝訴判決→登記で、動かせない不動産が動かせるようになる。マネーロンダリングならぬ不動産ロンダリングみたいなビジネスが流行るかもしれないなー、てかもうやってるのかな。でも、所在不明ってことは、要するに貰っても食指がピクリとも動かないような死に土地だろうから、そこまでやる経済的メリットはないのかもね。

 東京をはじめとする高齢者問題も、現状でこれなら将来はもっとアンコントローラブルな状況になるでしょう。年金貰ってる勝ち逃げ世代の筈の今ですら、経済困窮や居場所ナシ問題で常習犯化する人がいるなら、高齢者数がもっと増えて、状況がもっと厳しくなる近未来においては乗数的に拡大していくでしょう。認知症の問題もあいまって、刑務所が養老院化する、厚生労働省のケア不足を法務省矯正局が尻拭いさせられる構図は増えるだろう。しかし、刑務所ってそういう物的人的システムになってませんし(医療刑務所くらい)、なにかをしようにも国に予算もないでしょう。「日本死ね」の託児所問題だって、託児所さえ建てたら今日にでも問題解決するのに長年放置で解決目処も立たないのは、要するに金が無いからでしょう。あるところにはあるけど、そっちに使う気はないと。だから事実上、治外法権化していくのは不動産と同じだろうなーと。

 もともと、都市計画法が人口と住宅が増えることを前提にした法律であり、減ることを前提にした抜本的なルール作りはまで出来てない。特別措置法とか弥縫策だけ。もっといえば、これまでの方法論が通用しない。方法論というのは、ある前提条件があってこその方法論であり、条件が変わったら通用しないのは当たり前です。アメリカで大規模店舗がドミノ倒しのようにバタバタ倒れるのも、従来の規模の経済方式ではもう通用しないからでしょうし、あらゆる領域でそうなっていくでしょう。

 これをもって社会がゆっくり瓦解して、戦国時代以前の無法状態になるのだと見ることもできるけど、一足飛びにそうはならないだろう。従来の方式が通用しない=ものすごくイノベーティブ(革新的)なやり方が求められているということでもあり、イノベーティブなやり方を思いついた奴にとっては、ものすごくやりやすい環境になっていくとも言えます。行くところまでいけば、国家政府も自治体も、夕張みたいな破産管財人的存在になっていくだろうし、規制しようにもその力は尽きてくるし、その重荷を肩代わりしてくれる民間がいたら、どんどんやってもらいたいってなるのではないかな。治外法権の無秩序よりは、とりあえず紐付きで監視してる形にしたほうが収まりがいいから。その意味で、高度成長期に市街地調整地域がガンガン規制緩和されたのと同じように、あらゆる領域で規制緩和されるかもしれない。80年代の規制緩和とは全く違った意味での緩和です。おそらく利権が絡まないところほどそうで、利権が絡んでるエリアはガッチリやるだろう。でも利権がからんでガッチリやってるから世界の流れに取り残されて、やがて領域そのものが衰亡していくでしょうね。

 このように、あれこれ違った分野の記事をまとめて頭にぶち込んで、ぐっちゃぐちゃかき回して、じゃあどうなるんだろう?と推測していくとなかなか面白いです。







 文責:田村




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