ご存知の方も多いと思いますが、「デトロイト市が破産した」というニュースが先週流れました。
「え?」「ほお」「へえ」と最初思いました。
次に「そうか〜、車メーカーの本拠地デトロイト、やっぱしんどいのか」と思いました。
んでも、「あれ?でもリーマン・ショックのあとアメリカの三大車メーカーは税金もらって立ち直ってなかったっけ?」「じゃ、なんで今頃デトロイトがコケるの?」と疑問が出てきたのですね。
そして「そもそも自治体が破産するってどゆこと?」「そういえば日本でも夕張とか話題なったけど、結局どうなってんの今?」あたりまで脳内疑問波が広がっていって、「あかん!俺、全然知らんやん!」ということに気づきました。このエッセイは僕の勉強ノートでもありますので、さっそく「勉強せな!」です。
とりあえずはニュースの概要
今回のニュースは、日本語メディアでもそこそこは報道されています。
要は、いっときはモーターシティとして隆盛を誇ったデトロイトも、自動車産業の長期衰退や人口減少によって都市自体が老衰状態のようになっていき、ついに負債推計1兆8000億円規模の財政破綻を迎えたということです。
細かな点を多少記しておくと、
デトロイトの栄光は1950年代の人口185万人の頃(全米5位)ですが、2012年の推計人口はわずか70万人(18位)。半減ではなく、2.5分の1くらい。
失業率は、2000年にはまだ7.3%だったのが2013年には18.6%でこれも2.5倍。
荒廃度ですが、放置された空き家が7万8000戸、空き地が6万6000箇所。
公的サービスの衰退は、例えば救急車の稼働率が33%に過ぎず、街灯の40%は壊れたまま。
通報してから警察が来るまでの時間で、全米平均11分に対しデトロイトは58分(約1時間)。
犯罪の検挙率はデトロイトのあるミシガン州平均では30.5%であるのに対し、デトロイトの犯罪検挙率は8.7%
(以上、
USA Today/Legal battle brews over Detroit bankruptcy filingより)。
人口70万の都市で空き家になった廃墟建物が8万弱あるというのは異様です。まあ人口が100万人以上減っているのですから数は合うのだろうけどピンとこない。「廃墟7万」という画像がイメージ出来ない。が、これは各メディアの報道映像でイヤというほど見れます。
下は
Google画像検索で"Detroit, Blight"で出てきた、荒廃した風景です。↓
下は、YouTubeで探してきたデトロイト破綻のニュースですが、意外とアルジャジーラのニュースが手頃な感じだったので、貼っておきます。
なお、アメリカで破綻している自治体、公共団体は以下のとおり。出典は
Bankrupt Cities, Municipalities List and Mapです。
もうちょっと突っ込んでみる
現時点では破産「申請」をしただけで、まだ「宣告」されたわけではないです。これから30-90日スパンでアメリカ連邦破産法9条(チャプターナイン)に要件に該当するかどうか審査されます。
というよりも木曜日に申請して、その翌日の金曜日に裁判所から既に「ダメ」と言われています。
この手続がややこしいのですが、ダメと言ったのは巡回判事(サーキット・ジャッジ)のローズマリー・アキリーナ判事ですが、直接この破産申請を担当したわけではなく、市の破産申請に異議申立てをした年金基金などに対する判断です。判断理由は、破産申請をする権限を認めた州法それ自体が、年金受給権を侵害する恐れがある憲法違反であるというものです。ただし、この決定には法的拘束力はないようで、効力的には「考えなおすように勧告した」程度の意味らしい。市側は当然、即時にまた異議申立てをしてます。
このあたりはややこしいし、僕もよく分からんのですが、ピックアップすべき事柄は、長く激しいリーガルバトル(法廷闘争)の幕開きであり、主たる登場人物は年金系の受給者・事業団 VS 市当局であることです。要するにデトロイト破綻問題の本質は年金(破綻)問題ではないか、という点です。
BBCの
Detroit legal battle over bankruptcy petitionに解説があるので、興味のある方はどうぞ。
結局このあたりは、「なんでそうなったの?」が分からないと、「市は破産手続きでどうしようというの?」「どうなりそうなの?」が分からないから分からない。要は全体構造が見えないと、よく分からない。
破綻に至る経緯
デトロイトがかくなるに至ったのは、昨日今日に原因があったわけではなく、過去60年にも及ぶ長期低落の末だと言われます。申請時の記者会見でも「60年の低落に終止符を打つ」と語られてましたし。デトロイトの最盛期は1950年台で全米でもっともリッチな都市だったのですが、60年台にはもう陰りが出てきます。1967年には暴動が起き、日本車の台頭と日米貿易摩擦の80年台はアメリカの車産業のリストラが起き、以後人口流出が続いて今日に至る。
クライスラー、フォード、GMというアメリカの車メーカー「ビッグ3」は、かつてはアメリカの強さと富の象徴であり、デトロイトはその聖地のようなものだったのでしょう。それだけに古き良き日々の水準は高かった。多くの車メーカーの従事者の賃金は高く、労組は強く、そして退職後の年金その他の手当もバッチリだった。そのくらい賄えるくらい繁栄していた。しかしその後に時代の風向きが変わってきたのだから、これらの水準も下げるべきだったんだけど、一旦上げてしまった水準は下がらない。特に年金など超長期スパンでシステムに組み込まれているものは変え難い。
車メーカーも、賃金が高く労組が強いデトロイトではコストがかさみ過ぎるから、徐々に工場を国内の別の地域に移転させ始めるし、景気が悪くなればレイオフをする。どんどん陰りが深くなる。しかし、それでも高水準は変えられない。
もうこの時点で今日の破綻は約束されていたようなものです。でも変えられない。美味しくなくなったエリアからは、もっとも美味しい人々から先に出て行きます。ここでビジネスやっててもしょうがない、あんまり発展性がない、あまり良い就職先もないしキャリアにもならないとなると、高額所得者や中の上くらいの中間層が出て行ってしまう。しかし出て行かない(行けない)人は留まる。そうなるともうスパイラルで、税収は落ち込むわ、年金福祉などの支出割合は嵩むわ、市財政でいえば歳入は減るけど支出は増えるという、誰が考えても破綻パターンにはなります。それでも過去の年金水準その他は変えられない。
このあたり、アメリカにお住まいになっている日本人の研究者の方のブログに詳しい説明がありました。
デトロイト市破綻で何が焦点となるかです。アメリカの年金や健康保険などのシステム解説がうれしい上に、興味深い指摘があります。デトロイト市全体では60%も人口減になっているけど、デトロイト都市圏の周辺エリアではむしろ増えているという点です。稼げる層(税金を払う層)は、デトロイト都市圏を離れ、周辺に移動している。そしてデトロイトには税金を貰う層だけが残る。これじゃデトロイトがやっていけるわけがない。ゆえに、問題は人口「減少」ではなく「移動」であるという点です。確かにこれは慧眼で、言われてみれば全米の人口は一貫して増えてますし、日本のように人口の長期減少が予期されているわけではない。だからこれはデトロイトだけ見てれば衰退だけど、視点を広くとれば、産業や都市の新陳代謝であり、長期的な移動や変化だということでしょう。何もかもが一本調子で落ちているわけではない。
以上が「なんでこうなったの?」という「破産に至る経緯」ですが、ここが明確になれば「じゃあどうするの?」も見えやすい。
「破産=倒産処理」とは何か?
デトロイト市としては、長年にわたって積もり積もった膿を出さねばなりません。年金の支払いに追われて、市職員のリストラも設備の老朽化も限界を超えていて、ほとんど半身不随状態になっている。火事が起きて消防車が出動しても途中でエンコしてしまって辿りつけないとか、犯罪が起きても人手不足で警察が現場に行けないとかそういう話になる。挙句の果てに市職員の給料すらその場しのぎの借金をして出しており、さらにそれすらもおぼつかなくなった。
こうなったら、もうそれまで聖域として手が付けられなかった年金とかそのあたりの給付をバサバサ切っていくしか無い。しかし通常時にはその権限は市当局にはない。そこで「非常大権」が必要であり、それを得るための破産申請なのだと思います。
さて、そうなると破産(=倒産処理)とは何か?何をするのか?論になります。
いわゆる「倒産・破綻」といっても、清算型と再建型の2パターンに分かれます。
清算型は、最終的に解散してゼロにするもので、故人の遺産整理をするようなものです。再建型は、一回死にかかったけど輸血して、手足を切断したり人工心臓をつけたりしてサイボーグ化をはかって甦る方向です。
日本の法律の専門用語でいえば「破産」とは清算型のみを言います。再建型の場合は会社更生とか民事再生(旧法では和議)とかいいます。英語の場合はひっくるめてバンクラプト(bankrupt)ですが。自治体の場合、破産したからといってその市町村が解散したり消滅するわけもなく、基本的には全て再生型です。だからデトロイトが「破産」といっても、意味としては会社更生に近いです。
清算/再建型いずれにせよ、通常では出来ない荒っぽい外科手術を施します。
すなわち、粛々と整理するために、全資産の一時凍結、弁済の強制猶予、そして「借金踏み倒し」をします。
今ここに1億円しかありません。不要なものを叩き売ってひっかき集めてもせいぜい2億。でも借金は100億円もある。清算型の場合は、2億円で100億円を返すから、数学的な按分比例をすれば2%の配当率になる。つまり、1万円貸してくれた人に「200円だけ返すから、あとの9800円はチャラにしてね」ということです。
涙がチョチョ切れるような話で、こんな非道な破産をなぜやるか?といえば、これをやらないと結局力が強いところが総取りするからです。日本の個人破産や中小企業破産でいえば、裁判所の代わりに暴力団が仕切ったりして全部持って行ってしまう。せめて透明に配分しましょうということで、破産というのは元来は債務者保護ではなく、債権者を保護するためのものです。
清算型の破産は配当して終わりになりますが、再建型の場合は2億円払っちゃったら運転資金がなくなるから、それはキープ。その2億円を有効に使って収益性を改善しつつ超長期返済をする。例えば1年後にまず0.5%を払い、2年後にまた0.5%を払い、10年で合計5%、30年で15%を払うから、その時点で残りの85%を免除してちょうだいという返済計画を債権者と合意していくという方式です。これも涙チョチョ切れなんだけど、「イヤなら破産しちゃいますよ」「そうなったら2%どころか手続費用が嵩むから事実上ゼロになりますよ」「細々とでも貰っておいた方が得ちゃいますか?」という膝詰め交渉になります。
自治体破綻の難しさ
以上が日本の、それも一般民事の倒産処理ですが、これをデトロイトなど自治体の場合、幾つかの相違点があります。普通の民事再生よりももっと難しい。
一般の民事再生の場合、なんだかんだいって将来の事業収益が見込まれます。企業だったら本業の収益はあるし、個人だったら給料もある。これまでは借金の支払いに追われてろくに生産活動も出来なかったけど、ここで一切の支払いをストップでき、本業に集中すればこれまで以上に収益が見込める。でも、地方自治体の場合は、「本業」というのが無いのです。税収しか無い。しかし破産したような自治体に高額納税者が住みたいか?というとNOでしょう。だから猛烈な村おこし的な作業がいる。そんなこと出来るのか?これが難しいとされる第一の理由。
難易度が高い第二の点は、債権者がビジネスマンではなく年金や社会保障受給者である点です。上のBBCの記事によると、デトロイトの推定1兆8000億円の負債のうち約半分はこの種の年金系負債らしい。市当局も、破産申請に先立って債権者(金融機関や年金事業団など)と話し合って、10%支払うということでどう?というオファーをしていたそうですが、当然というか蹴られてしまい、破産申請にやむなきにいたったとか。しかし、どう考えても10%ではYESというわけがないし、50%でも無理でしょう。なぜなら、年金生活者達に「来月から受給額は10分の1になりまーす」とアナウンスして、「はーい」と皆が納得するわけがない。あなただって納得しないでしょう。
これがビジネスマンだったら「はーい」って言う余地があります。なぜなら意地はって喧嘩して結局何にも取れないくらいだったら、10%でもいいから先に貰うもの貰えば、それを事業資金に回して、10%を20、30%に増殖させる手段をもっているからです。しかし年金生活者にはそれの術がない。単に生活が苦しくなるだけでしかない。これでは呑めない。
つまり年金破綻や自治体破綻の難しさは、解散清算ということが物理的に出来ない、しかし再健しようにも核となる収益部門がない、そして最後に残るのは弱者(自治体) VS 弱者(受給生活者)という、弱者同士の悲痛で不毛な争いになるということです。
だから清算も再建も出来ない時点で、破産などの法的な倒産処理方式でやること自体が間違っているのだ、という見解は大アリでしょう。こういうことは法律で解決すべきではなく、政治=皆が話し合って決めるべきことである。それを無理やり法的整理形式でやれば、右にも左にも行けないから、結局のところ年金受給者をひたすら圧迫し、その生活を破壊し、やがては文字通り生物学的に死を強制するのと変わらない、言うならば「緩慢なペースの殺人行為」になる。それは個々人の人権、その大基礎となる生存それ自体を脅かすのであるから、そんなことはしてはいけない。ゆえに、自治体に破産申請をみとめた州法自体が憲法違反なのだ、という、金曜日のアキリーナ判事のジャッジは、それはそれとして正論だと思います。
が、しかし、もう一歩突っ込んで、「じゃあ、どないせえっちゅーんじゃあ!?」という現場のどうしようもない叫びもあるのでしょう。「皆で話し合って」解決するくらいなら、最初から苦労なんかしとらんわい、と。話しあえば話し合うほどグチャグチャになり、収集がつかなくなるのが政治の世界である。有権者の一票によって意思決定者(為政者)が決まり、そして有権者の過半数が「私は死んでもいいよ」という非人間的なまでに犠牲的な覚悟をして投票しない限り、抜本的な対策など打てるはずがない。なぜなら抜本的にやる気のある人は(それを公言すれば)当選できないからです。かくして自動的&必然的に大破滅に一直線に行くしかない。政治というのは、ある程度うまくいってるときに「財産の山分け方法」としては機能するかもしれないが、身も蓋もなくオケラになって「誰から先に殺すか」みたいな悲惨な状況になったら、政治なんか全くもって無力である、という見解も、一見無茶苦茶ながらも現場レベルでの血を吐くような真実がこもっているでしょう。
倒産処理実務の修羅場等級
「そこをなんとか上手くやるんだよ」という魔法のようなことをやるというのが、今回の非常時の指揮官(エマージェンシー・マネージャー)になったKevyn Orr/ケビン・オア氏なのでしょう。彼は倒産処理についてはワシントン州一の弁護士らしく、リーマン・ショック後に破綻したクライスラーを担当し成功させた人で、上のビデオの最後に出てくる落ち着いた感じの黒人の人です。
余談ですけど、もと同業者の(ハシクレ)として、「すげえな」と思っちゃいますね。
僕も破産申請や管財人はいくつかやったことありますが、僕如きペーペーがやらせてもらえるのは、負債数千万から数億レベルの、ごく普通の個人破産とか、中小企業破産でいわば幼稚園レベル。それでも頭がいいとか、事務処理能力だけでは到底太刀打ちできません。サラ金やらヤクザまがいの連中からひっきりなしに電話がかかってくるわ、面会にこられて何時間も罵倒、脅迫をされるのは、これは基礎の基礎だから1年目の弁護士でも、勤務初日であってもやらされます。これが出来なきゃ弁護士はできません。「ごらぁ!」レベルで物凄いコト言われますけど、まあ、慣れます。これに比べれば、いわゆるチマタの「ブログの炎上」なんか、小鳥のさえずりのようなものです。別に自宅の近所で出刃包丁もって待ちぶせされたり、ホームで突き落とされたりすることまで気にせんでいいでしょ?口先だけの連中なんかゼロです。
でも事務所でボスのやってる破産事件は負債数百億のハードケースで、こうなると登場人物のダイナミックレンジがぐっと広がる。上は議員センセイやら、大手マスコミの記者さんやら、大手銀行のそれなりのクラスの人、下にはサラ金、街金、さらに闇金融、そしてもっと下にいる深海魚みたいな魑魅魍魎みたいな人達も出てくる。日本社会の本当に怖い地下水脈ですね。破産申請の直前などの倉庫現場では商品回収にトラックがやってくるから、これを死守するために人員を配置して、不寝番を設けて、僕らもジャージ持参で泊まりこんだり、ほとんど気分は戦争です。
そして普通の取引先さんですが、実はこれが一番大変。金融系は銀行だろうがヤクザだろうがビジネスでやってるからまだ対処はできるけど、本気で生活かかってる、これでダメなら一家心中しか無いような人達が精神的にハードです。罵倒され、髪の毛ひっつかまれ、ネクタイ掴まれるくらいだったら気楽なものですけど、これが大の大人に大号泣しながら土下座されたり、いきなり高層階の窓に駆け寄って身投げしとうとされたり(あんときゃ全員必死でラグビーのようにつかまえた)。それでも「あなただけ特別扱いするわけにはいかないんです」と言い続けなければいけないのはツライですよ〜。そして自分がNOと言ったために、その直後に本当に一家心中でもされた日には寝覚めが悪いです(幸いその経験はないけど)。結局夜明けまでかかってその人の経営相談や法律相談までやってあげて、見通したつところまで持って行って、一筆書いてあげたり、また同行したりまでやります。いや、根性つきまっせ。
しかし、それとて数百億の可愛いレベルで、数千億円レベルになるとまた桁が一つ違い、登場人物の格もワンノッチ上がるし、世間の注目も浴びるからマスコミ対策もしなきゃいけない。すごいプレッシャーで、ほとんど政治家かヤクザの親分くらいの器量が要ります。いわば修羅場等級がどんどんあがっていくわけですよ。そんでもって、このデトロイトでしょう?もうどんだけ修羅場の等級なのか?って。
このオア氏は、3月から任命され、営々とやってこられたようですが、結局話し合いではどうにもならず、破産申請にいたったようですが、これだけの案件を切り回す器量があったら、それなりの腹案もあるでしょう。プランBどころか、プランKとかMくらいまで用意してあるでしょう。また二枚腰どころから、三枚腰、四枚腰くらいあるでしょう。法律でも政治でもうまくいかないトワイライトの百鬼夜行を、それなりに切り回そうってんだから、剛毅&豪気なもんです。「すげえな」ってのはそういうことで、こんな案件引き受けるなんて、どんだけバケモンなんだよ?って。
日本の場合
さて、話は変わって日本の自治体破綻のケースですが、夕張市の財政破綻がいっとき話題になりました。あれはなんだったのでしょう?そして今どうなっているのでしょう?
まずは基礎のお勉強
地方財政再建促進特別措置法というのが1955年(昭和30年)に制定されました。戦後の復興期になぜ?と調べてみると、復興の勢いで各自治体がインフラ整備を進めすぎ、且つ朝鮮戦争後の一時的な不況によって収支が悪化し、全国の自治体の約8割が赤字転落するという異常事態になったようです。この法律はそのためのテンポラリーな措置として定められたものですが、以後、破綻自治体に「準用(本当は違うんだけど同じようなものだから適用しましょ)」しているということですね。この法律の準用によって、破綻自治体は"準用"財政再建団体と呼ばれてました。その後、2009年に自治体財政健全化法が施行され、財政再生団体と呼ばれるようになりました。以上は呼び名の問題であり、根拠法令の問題です。
で、肝心の中身ですが、再建(再生)団体に指定されると、基本的に国が抱え込んであれこれ指導監督します。つまりは、地方”自治”が出来なくなる。国は口も出すけど金も出すことで、地方債の利子補填など財政上の優遇措置をほどこします。
基本的には、「え、それだけ?」ということで、破綻した自治体をどう再生するか、誰がどういう非常権限を持つかということについては規定はないみたいですね。自治体はいちいち国(総務大臣)にお伺いをたて、優秀で有能な「お上」にあれこれ「良きに計ら」っていただくという。なんて日本的な、なんて江戸幕府的な。その他の規定は、「どうなったらヤバイか」という事前のチェック規定であり、早期発見早期治療って感じ。詳しいことは、総務庁の頁の
「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」とはを参照。
これ、要するに国がチェックして、国があれこれ管理するよというだけのことで、破産や民事再生のような本質に欠けます。本質とは何か?といえば「借金踏み倒し権」です。自治体の場合、主として地方債になりますが、この踏み倒しは認められてない。完済が前提になっている。じゃ国が肩代わりし払ってくれるのかというと払ってもくれない。利息の補填をしてくれる程度。これじゃド貧困生活が超長期で続くだけで、本来の意味での「整理」にならない。また一般の倒産がそうであるような「貸し手責任」も生じないし、ドラスティックなことも出来ない。上に述べたようにコアにある「本業」がない自治体の場合、結局公務員の首切ったり、給料減らしたり、手数料上げたりってことになりますが、それらは全て国の指導・監督によるので、自治的な手続きでやれるわけでもない。
かなりデトロイトと違います。それはそもそも地方自治のシステムが全然違うからです。アメリカの場合は、かなり自治体の権限が強く、同時に責任も強く、またフリーハンドの裁量も広いから、再建にあたってあれこれやる手段はある。しかし、日本の自治体の場合は、昔から「三割自治」と自嘲気味に言われるように自治とは名ばかりで、その土地の税収の7割は国に持っていかれ、それじゃやっていけないから国が地方交付税で面倒をみるという形式です。ま、実際には3割以上なんだけど、日本の地方自治が機能しにくいのは確かだと思います。
これに加えて悪名高い機関委任事務というのがあって、本当は国の仕事なんだけど地方自治体に「これ、やっといて」と仕事を振ること。これが結構なボリュームを占めて、結局国は地方自治体なんぞ自分の使いっパシリのように扱っていた。それをやらないと知事を罷免する権限すら国に与えられていた。もっともこれは1999年の地方分権一括法で廃止され、法定受託事務と名称を変えつつも割合を落とし、国と地方自治体の関係は前よりはマシになってきています。
しかし、まあ、そうはいってももともとそれほど広範な権限があるわけではない地方自治体が再生しようといっても、やれることは限られています。では具体的にどうなったのでしょうか?
夕張市の場合
一般に言われているのは、もともとは炭鉱の町として栄えた夕張市も、炭鉱の衰退とともに劣化し、挽回をかけた観光リゾート系の事業もうまくいかず、そうこうしているうちに人口流出、さらに産炭法が2001年に失効して国の補助も消滅、以後、ありきたりの倒産パターンに陥り、あれこれ必死に金策や挽回策をはかるもダメで、ついに破綻宣言。この最終局面での「あれこれ必死に」という部分が、いわゆるヤミ起債や粉飾決算などと批判されているものですけど、市井でフツーにビジネスやってる人にとってはフツーの出来事でしょう。よく見れば民間企業では普通にやってる借り換えだし、間が悪いときは間が悪いもので、そういうときに限って拓銀がコケたりするし。「ヤミ」とか「裏」という扇情的な表現をされると、その扇情的な言葉に興奮してしまう「あまり思慮深くない人」もいるんだけど、よく見たら別にそんなに凄いコトしてるわけでもない。
しかし、歳入44億に負債600億はすごいので、そこであれこれ放漫経営だとか叩かれもしています。しかし、単なる「放漫」だけでここまでなるわけないですよ。てか、ガンジガラメの自治体にそんな大それたことが出来るだけの権限なんか持たされてない。「世の中そんなにシンプルなわけがないだろ?の原則」です。
破産とか離婚とか犯罪とか、一見異常に見える事態を単に「異常」で片付けてたら世の中な〜んも分かりません。片付けたがる人が多いけど(余談ながら多分に非モテ系の人に多い気がする〜そう思う理由はあるが割愛)。微分みたいに細かくみていくと「なるほどね」という経緯はある。これはもう絶対ある。誰にでも「言い分」はある。こういうのは地元の人や当事者に近いところから見ていくと良い。そこで
「大企業のための「開発主義」の失敗 国家・資本による住民切り捨てと犠牲の押しつけを許すな」という論稿がありました。
これを読んでいくと「なるほどね」があります。夕張が炭鉱の町になったのも国策なら、それが廃坑になったのも国策。これはまだ「時代の流れ」だから良いとして、問題はその廃坑後の後始末です。三井とか三菱の財閥系が乗り出して、そして去っていく。この論稿によると、「1982年に夕張炭鉱病院の市への移管に対して夕張市は40億円を負担し、さらに北海道炭鉱(北炭・三井系)は、北炭夕張新鉱での事故を口実に、鉱山税六十一億円を踏み倒して逃げ出している。三井・三菱は炭住五千戸や上下水道設備なども夕張市に買い取らせ総額は、百五十一億円に達した。エネルギー政策の転換による閉山にもかかわらず国・企業の責任は根本的に問われることなく、夕張市は路頭に放り出され、「炭鉱閉山処理対策費」は総額五百八十三億円に達した。夕張市は観光産業に手を出して破たんしたわけではない。国策と企業の身勝手が夕張市を追い込み、夕張市は観光にすがるしか道が残されていなかったのである。」となっています。
この主張の事実関係については検証していませんが、話の内容そのものは、「なるほどね」「ありがちだよね」って気はします。この論稿をさらに読み進むと、80年台のバブル前後の「リゾート法」「民活法」の第三セクター方式に言及されていて、リゾートブームが人為的に起こされ、全国各地で宮崎のシーガイア、三重のスペイン村など開設され、そして倒産してます。で、結局誰が儲けたの?といえば、その開発事業者である大手ゼネコンやらであり、要するに「いつものハコモノ行政」と「いつもの利権の仲間達」です。官民合わせてこんなことばっかりやっているという。夕張も、リゾート法には乗せられなかったものの、観光事業を起こすために松下興産(パナソニックグループだが今は関電傘下)と組んでホテルやスキー場をやったけど、松下が手を引く際に20億円でホテルを買わされ、26億円でスキー場を買わされている。
大企業というのは儲かる時だけ蝶々のようにヒラヒラやってきて甘い蜜を吸って、儲からなくなったらヒラヒラ飛んでいってしまう。ま、それがビジネスってもんで、それの何が悪い?と言われたらそれまでなんだけど、自治体というのはヒラヒラ飛んでいくわけにはいかないから最初っからのこの種のビジネス話は分が悪いのですね。住民の職を守らないとならないから、儲からないからクビにするとかいうわけにもいかないし。「手足縛られている」というのはそういう意味もあります。自治体にビジネスさせるのは難しい。でも、ビジネスを持ちかけて、ツケを地元に残してさようならというパターンが多い。これは昔話をしているのではなく、リアルタイムの東北の復興なんかも似たり寄ったりの展開になってるんじゃないかと思われるからです。神戸のときもそうだったしなあ。そしてその種のニュースも、問題意識すらも、日本の大手メディアからは窺えません。もうおっそろしいほどシカトしてますね。
夕張はその後どうなったかというと、
Wikipediaの夕張市の記載によりますと、
職員給与削減は、2006年市長50%、助役は40%、教育長は25%、一般職員15%カット、2007年市長75%、助役70、教育長66%、市長の給与は全国最低(年収370万円)。市議会議員の人数も18人から9人に半減、議員報酬も311,000円から180,000円に削減。新規職員採用凍結や職員数も削減予定。早期退職希望者、定年と自己都合を合わせ、全職員の約半数の152人が2006年度末で退職。早期退職者は、役職者が約7割を占め、部長・次長職は全員辞職。
市保有の観光施設31施設中29施設を運営委託、売却、廃止方針。
市民負担も大きくなり、市民税が個人均等割3,000円から3,500円に、固定資産税が1.4%から1.45%に、軽自動車税が現行税率の1.5倍に増額、入湯税150円も新設される。ごみ処理は一律有料化、施設使用料も5割増、下水道使用料が10 m3あたり1,470円から2,440円に値上げ、保育料は3年間据え置くが、その後7年間で段階的に国の基準にまで引き上げる。敬老パスは廃止予定だったが、個人負担額を200円から300円に引き上げて存続。この影響もあって転出者が相次ぎ、2006-07年の二年間で人口が1割近く減少した。
以下いろいろありますが、まあ、かなりの苦労をされている様子が窺えます。
関連して思うこと
世界のみんなが破綻自治体予備軍
ここまで調べて改めて思うのは、これらの自治体破綻の本質は、ことデトロイトに限ったものでもないし、またアメリカの問題に限ったものでもない。もちろん夕張に限ったことでもない。
これは地盤沈下しつつある先進国共通の問題でしょう。
それを薄々感じるからこそ、世界の皆さんは、デトロイトのことを語りながらも、「他人ごとではない!」「明日は我が身」的なシリアスさがあるのでしょう。ほんと人ごとではないのだ。
ここ5年ほど、世界の先進国で何が問題か?といえば、話は簡単。「カネがない」という金欠問題です。寄るとさわると「金ないんだよね〜」「どうしよう?」ってそればっか。先日のG20だって、結局何を話し合っていたかというと「皆でもっと連絡取り合おうね」という別に改めて確認するまでもないようなことに加えて、「税金払わない大企業にはムカつくよね」「あんなの許したらダメだよね」という、いわば情けない話になってましたよね。
G-20 Pushes for Measures to End Tax Evasion(New York Times)、
OECD has tax loopholes in its sights as G20 ministers meet(Independent)など。
要するに、他人の家(先進国)のインフラはガンガン使ってガシガシ儲けているくせに、租税回避策を巧みに使いまくって全然お金を落とさないでヒラヒラ飛んでいってしまう多国籍企業に、各自治体(先進国)がムカついているという。いわば夕張市の構図であり、貧乏くじばっか押し付けられているデトロイトの構図です。つまり、G20それ自体が、破綻自治体(予備軍)の愚痴の言い合いになっているというのが、2013年の世界史でしょう。
それはまた、言うまでもなく、規模の巨大さにおいてデトロイトの数百倍のマグニチュードをもつ日本財政の問題そのものであります。
夕張市が歳入44億で負債600億が「異常」なら、日本の歳入37兆円かそこらで負債(国債)1000兆円というのはなんなんだ?と。もっとひどいじゃん(実際には「ヤミなんたら」が山ほど隠れているだろう=長銀一行ですら1兆隠れてたんだし=こんなもんじゃないでしょ)。日本国が地方自治体ならとっくの昔に再建団体第一号になっていたでしょう。なってないのは、単純な理屈で制度上日本国よりも上の存在がないからです。しかし、どこよりも激しく破綻しており、しかも破綻の内容も、これこそ「放漫」といっても良いような内容で赤字国債ダダ漏れでしょう。ちょっと前まで赤字国債は絶対発行しないという国是だったのに=覚えている人がいるかどうか、1975年までは赤字国債ゼロだったし、1990年から3年間は実は赤字国債を発行してません。日本がまだ正気だった最後の時期であり、失われた20年が始まる頃です。
自治体の財政再建を「国に指導・監督」に一括丸投げしているあたりで何やらムズムズした違和感を覚えます。「お前(国)が管理するの?」「できんの?」「じゃあ、なんで自分のことは出来ないの?」と。まあ、他人事だからこそ、冷たく突き放してアレコレ言えるのかもしれないのですけどね。しかし、因果は巡る、いずれは「IMFの指導監督のもと」に同じようなことをやらされるかもしれない。
だから、問題は、どう破綻しないように頑張るか?ではなく、破綻したらどうすれば良いのかでしょう?だって、もう事実上破綻してるんだからさ。破綻を大前提にして、じゃあどうすればいいのか?論です。
破綻は必ずしも悪いことではない
何を言うのだ?とお思いでしょうが、でも、状況がヤバいのに、それを直視する精神的強さがないまま、いたずらにダラダラ先送りにしてさらに絶望的な方向に行くよりは、「せーの!」で腹をくくって抜本的な手術を講ずるほうが遥かにマシです。何でもそうだけど早くやれば早くやるほど被害は少なくて済む。虫歯と同じ。後に廻せば廻すほど被害は加速度的に巨大になる。「明日やろうは馬鹿野郎」です。
デトロイトは、破綻することで初めて真正面から問題に向き合ってます。「60年の長期低落に終止符を打つ」というのは、本当にその通りでしょう。どういう終止符になるか未知数ですし、苦悶に満ちた終止符になるかもしれないけど、それでも正面切ってやろうとするだけエライと思う。
本当に悪いことは、そもそも破綻する方向へ最初の一歩を踏み出したことであり、さらに非難さるべきは、過ちに気づきつつもそれを見て見ぬふりをしてきたことでしょう。破綻というのは、その当然の帰結に過ぎない。ヤバイ方向に進み始めた時点からの一連の過程のなかで、破綻の宣言をすること自体は最も正しく、最もマトモで、最も生産的な行為でしょう。非難や批判はそれ以前に向けられなければならない。
なんでこんな当たり前のことをクドクド書くかというと、全〜然当たり前ではないからです。どんな問題、どんな不祥事でも、たまたまそれがバレた時点での担当者が全責任を負ったり、罵倒されたりというケースが多すぎる。むしろ、場合によっては積年の不正を正し、それを明るみに出した最大の功労者である筈なのに、最大に戦犯扱いされるという、なんたる理不尽。また、「破綻」という事大性にやたらコーフンしてしまう「あまり思慮深くない人々」がここでも登場してなんだかんだ言う。言うだけではなく、キャスティングボードなり権限なりもってしまうという、なんたる理不尽(その2)。これじゃ誰だって火中の栗を拾おうとはしなくなるし、どんな不正も見て見ぬふりをして、ひた隠しにした方が得だということなり、結果としてどうなるか?といえば、あらゆる局面で事態を最悪方向に進ませてしまう。
あと単純に損得勘定でいっても、どうせダメなら早めにコケておいた方が得。デトロイトだって、このまま条件が変わらなければ、年金受給者が飢えて死ぬしかないような論理的な帰結になるだろうけど、まさか今のアメリカでそれをみすみす生じさせるわけにはいかないでしょう。とりあえずミシガン州だって何かの援助はしなきゃいけないだろうし、連邦政府だってこれだけ注目されたらまるで無策というわけにもいかんでしょう。GMもクライスラーも、「デトロイトは本拠地であり離れるつもりはない」という声明を早々に出してますが、そりゃそうでしょう。ここで見捨てたらイメージ悪悪だもんね。
なにをどうやっても、結局はデトロイト市の集金能力にかかっているのだから、こと「集金」という戦略でいえば、ドーンと世間で目立った方が良い。そうすれば周囲も、イヤでも形だけでもなんかの援助をしないわけにはいかないような雰囲気になる。そうもっていく。お義理だろうが、パフォーマンスだろうが金は金ですから。
これが二番煎じ、三番煎じになると、もう話題性もなくなってきて、注目もされなくなり、お義理もパフォーマンスも働かない。だから一番乗りして有名になっちゃった方が戦略的には有利でしょう(別にデトロイト市が一番最初ではないが、その規模と話題性においてブッチギリの一番)。
さらに、後になればなるほど似たようにどこもかしこも苦しくなるから、援助したくても出来なくなる。これから将来、誰もがしんどくなってきたら、誰にも話題にされず、誰にも見とられずに、ひっそりを孤独に息を引き取るようなハメになる。どうせコケるなら、まだ皆が元気なうちの方がいい。EUだって、ギリシアくらいまでは話題になるし、文句や嫌味をタラタラ言われながらも金も出してもらえた。でもキプロスくらいになると扱いも小さいし、援助もしょぼくなる。
だもんで、そのへんのタイミングや切り口、演出が大事なわけで、これこそが「政治でも法律でもないトワイライトな部分」でしょう。
自治体破綻の再建
将来的には、できるだけ公平に、できるだけ実現可能に再建するため、かなり柔軟にやっていく必要があると思います。「柔軟に」というのは、ほとんどなんでもアリくらいに、「生き残るためには何でもやる」くらいに。
「公平」というのはこういうことです。
デトロイトの興亡が自動車産業の盛衰によるものだとするなら、その盛衰の度合いに比例するようにする。アメリカの自動車産業も落ち目になったとはいえ、いっときよりも持ち直しているのであり、すくなくともデトロイトのような事態にはなっていない。デトロイトが現在かくあるのは、何よりも人口流出であり、担税力のない住民ばかりが取り残されてしまったという人口構成のアンバランスさにある。だから、流出が始まった時点で、市や自治体の境界線を自由に変化させ、全体で帳尻があうような形にならないものか?つまり自治体という組織を固定的なものとして捉えず、もっとアメーバみたいにフレキシブルにする方策はあるか?
なぜなら社会というのは、たまたま健康、頭脳、教育機会、そして幸運に恵まれた富裕層と、たまたまそれらに恵まれない貧困層がごく自然に発生する。これは自助努力ももちろんあろうが、50%くらいは単なる運の問題でしょう。まずこの時点で天然の不公平があるのなら、その不公平を是正するために社会がある。つまりたまたま恵まれた人が、たまたま恵まれない人に所得移転をし、トータルで幸福のマックスを増やすために社会はある。ならば、自治体の単位も、たまたまプラスとたまたまマイナスがバランスがとれるようなものである必要がある。今までのように固定的に境界線を考えていたら、それこそ時代の移り変わりその他で太陽黒点のようにボツボツと貧困層だけ抱えるはめになる自治体が出てきて不公平でしょう。そういう視点で物事を解決していくことも必要かと思います。
もっと「自由な発想」をするなら、局所的な貨幣経済の否定です。
デトロイトくらいになったら、もう貨幣経済そのものに縛られる必要もないし、縛られていたら論理的に解決不可能になってしまう。金がないのが問題だとして、その金が入ってくる見込みが限りなくゼロだったら、解決は限りなく不可能になってしまう。だとしたら貨幣という媒介項を部分的に外すという方向性もある。
一方で年金が入ってこないと家賃も食費も払えず餓死するしか無い(しかし肉体的にはまだまだ動ける)人々があり、他方では公的インフラを機能させるためにどうしても一定限度の労働力が必要であり、また彼らの賃金も必要だということになる。年金で月1000万円かかり、市職員の給与に1000万円かかり、合わせて月に2000万円かかるとして、しかし1000万円しかお金がなかったらどうしたらいい?「足りません」なんて泣き言が100%通用しなかったらどうするか?年金受給者に働いて貰えばいい。無給で。その代わり働いたら年金を支給するという、年金と労働をバーターにしたらいい。
もちろんこんな数学的に綺麗にいくわけもなく、ズルをする奴もいようし、働きたくても働けない人もいるでしょう。市職員も失業するでしょう。かといってダメダメ言ってたら全員死ぬしかないなら、何とかするしかない。市の公的サービスって、要するに住民のためのサービスなんだから、住民が相互に助けあって自分達でやれば、それで済む。そして、皆で無料働きをして家を作ったり、整備したりして住めるようにして、皆が無料で住めるようにし、皆が無料で食事が貰えるようになれば、それだけでも最低権の生存は賄われる。
ようするにいちいち貨幣を媒介させるから、やたら「金が必要」ってことになるんだけど、自分らに必要なことを自分らでやってしまい、貨幣の媒介を省略すればするほど、お金はかからなくなるし、実効性も上がるということです。一種の原始共産制に回帰するようなものですが、無論すべては無理です。でも出来るところはあると思う。「個人の自助努力」なんてのは、事態がこうなったら平和ボケの寝言でしかないと思いますね。だって、ここまで追い詰められたら自助努力=犯罪しか残されなくなり、実際にもデトロイトの治安は悪化しているし、「治安のいいスラム街」なんか世界のどこにあるのか?
さらに掘り下げて思うに、人間が本当に必要としているのはお金でもなければ、住居や食料でもない。それだけだったら泥棒になればいいし、ホームレスになればいい。それは純粋に効率だけの問題になる。でもそうではない。人間には、自分の居場所が必要だし、自分を他者に承認してもらうこと、その尊厳を認めてもらうこと、そして自分が他人の役にたっているという実感が必要なのだと思います。一方的に受給だけの福祉はこれを侵食しがちであるし、福祉というのはお金の分配ではなく、存在意義の分配でしょう。
破綻のその次〜もしダメだったときのプランB
なんか荒唐無稽な夢物語を語っているようですが、でも、結構マジです。
なぜなら遠い将来か、近い将来かはわからないけど、純粋にお金だけでやってたら先進諸国は煮詰まると思うからです。もうどーしよーもなくお金が足りない、もう無理、絶対無理!みたいな状態になる可能性が高い。それを「夢よもう一度」みたいな古いパターンだけで解消するのは厳しいだろう。無論、それが出来るならそれに越したことな無いし、そっち方面も全力で追求したらいいです。でも、「もしダメだったら?」というプランBも考えておくのが本当のリスク管理ってもんでしょう。
卑近な例でいえば、あなたの年金や給料、生活保護です。もう出ません。国庫はカラで、逆さに振っても鼻血もでません。銀行もコケました。ペイオフです。預金も封鎖です。失業率も物凄いです。だから将来的にお金が入ってくる見込みはかなり低いです。ありていにいってゼロです。でも今月の家賃もありません。来週の食費もありません。そして誰も助けてくれませんってな事態になったらどうするの?リスク管理の本質は、どれだけ希望的観測を排除して、どれだけ考えたくないことをトコトン考えられるか?であり、その苦衷の思考の結果、優先順位をどうつけるか?だと思います。「そうならないように頑張る」だけでは片手落ちであり、「そうなる」という前提で対策を立てておくべきでしょ?違うかな?
さて、こういう事態って、まるで「この世の終わり」みたいだけど、でもよーく考えてみたら、今と大して変わらないのですよね。人間はいるんですよ。一人も減ってない。空気も地面も水もあるのですよ、設備も消えてなくなったわけではないし、システムもあれば、技術も知識もある。何もかも今のまんま。じゃあ結局今と何が違うの?といえば「お金/貨幣がないだけ」なんですよね。要するにお金以外の何も失っていないし、お金を出して買うべき物/サービス自体はまんま存在し続けている。だとしたら、「やり方」を変えたらいいじゃんってことだと思うのです。
そりゃエネルギー資源の輸入のための外貨はいるでしょうし、それも入らないならエネルギー不足で全産業や全生活のありようは変わるでしょう。電気がなくなりゃ、電気業者も、家電メーカーも、ネットも、ITもクソもなくなります。ガラリと変わるけど、でも食料を生産できる国土があり、気候があり、人手があり、それを行う知識と技術があれば、最低限江戸時代程度の暮らしは出来る筈。人数増えてるけど、でも、それ以上に技術や知識も増えている。
ま、一気にそこまでいくとは思いませんが、お金や貨幣経済が決定的に破綻したら、もうやり方を変える、発想を変えるという方法論で対処するしか無い。その場合、今から何を準備するかというと、まずはマインドセットを替えておくことでしょう。そういう事態になった時に、国がまともに指導できるとは思えないし、多くは期待しないほうがいい。だから自分で考えて自分で動くクセをつけておくしかない。また、臨機応変に他の人々と集い、役割分担をし、機能的に集団として動く訓練もいるかもしれない。
それはもう個々人に任されていて、ここで僕があれこれ書くべきことではないでしょう。
そういえば、僕が日本にいた頃〜まだバブル崩壊前後期に、親しい仲間たちと、お金出しあって田舎の旧い不動産家屋と農地と耕作権を安く買っておこうかって話をしたことがあります。田舎物件を買ったり調べたりするのが好きな人がいて、いくら位出したらどのあたりでどのくらいの広さの物件が買えるとか言ってて、脱サラして農業やりたいな〜って奴がいた。だったら、こいつに皆で出資して家買わせて農業やらせて、いざというときはそこに避難すれば最低死なないで済むという場所と機能を作っておこうという話です。
結構マジに話して、一人100万円くらいの出資、年間12万くらいの会費でどう?とかね。そのあたりの団体契約の規約づくりとか、不動産共有登記とかは僕がやりましょうとか、○○さんは○○が得意だからアレをやってもらい、○○さんにはコレを担当してもらい、、とか。この話は、その後立ち消えになってましたが、もし僕がオーストラリアに来ないで、あのまま日本にいたら何らかの形で実現させてたと思います。だって年金なんかアテにならないもん。年金がアテにならなかったらどうするか?それは「アテにならないよね」と愚痴をこぼすことではない。愚痴をこぼして事態が解決するならそうするけど、そんなことはありえない。だから年金以外の「アテになるもの」を探すことであり、見つからなければ自分で「創る」ことでしょう。もう生き延びようと真剣に思えば思うほど、それっきゃないことになる。だから自分の食い扶持と「安息所」は自分らで作るしか無いと思ってた。下手な投資するよりもよっぽど役にたつ。ま、でも、こんな方法論、考えれば無限に出てくると思いますよ。僕はそのとき、食料自給率187%のオーストラリアの永住権(年金受給権でもある)をゲットするという方法論を取ったけど、こんなの20年前に思いつける方法論であり、頭振り絞って考えれば幾らでもあるっしょ。思いつかないなら、「勉強せな!」ですよ。
以上、何を言ってるかというと、夕張であれ、デトロイトであれ、日本国であれ、なんであれ、形あるものはいずれは壊れるので、財政破綻もあるかもしれない。無いかもしれないし、無いほうがいいけど、あるかもしれない。で、問題は、あるか/ないか論ではなく(そんなの究極的にはなってみないと分からんのだから)、破綻なら破綻したとして「その次」です。
デトロイト問題が突きつけているのは、まさにその次だと思います。
文責:田村