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今週の一枚(2017/01/09)



Essay 807:引っ越し知恵熱

 APLAC移転経過報告

 写真は、Glebe、解説は末尾に。

変数多すぎ〜知恵熱出てます

 去年の10月、Essay795:APLACの新しい挑戦〜城か、檻か で書いたように、延々引っ越し準備をしています。引っ越し先はまだ決まってないんだけど。

 そろそろ大詰めということで、先週の土曜もインスペクション行ってきて、「むむむ」と悩んでます。もう考えるべき変数が死ぬほどあって、知恵熱出まくり。エッセイとか書いてる余裕が無いのですが、だったらそれを書いてしまえってことで。

 事務作業の鬱陶しさを別にすれば、引っ越しそのものはキライではない。むしろ好き。転居回十数回で慣れてるし、そのあたりの保守性は全然ないです。東京も、京都も、岐阜も、大阪も、転居すればするほど世界が広がって、新しい愉しみ方が加速度的に増えて、本当に移ってよかった〜の世界です。逆に、もし最初の家にあのままずっといたら?とか思うと背筋がぞっとします。なのに、現在、同じところに20年近く住んでるわけで、なんたること。仕事の関係と賃貸事情によってそうならざるを得なかったとはいえ(795参照)、いかにも長過ぎる。だから移ることには抵抗感はないどころか、小躍りスキップしているくらいです。

皆にとって 

 問題は仕事関係、つまり皆にとってどうすれば使いやすくなるのか?です。着いたばかりの不安の心情(昔の自分)をリアルに精密に思い出して、どうされるとほっとするのか、どういう段取りで新しい物事をゲットするのが一番心理的な抵抗感が少なく、また苦痛も少ないのか、そのためにはどうしたら良いか、、人それぞれなだけに悩みます。

 特に着いて最初の24〜48時間というのはメチャクチャ重要で、心理学の実験でよくある雛鳥の刷り込み現象(近くに人形を置いておくと、それを親鳥と思い込むとか)みたいな「オーストラリアの世界観」が形作られるのがこの時期です。ここで色々カルチャーショックを受けるわけですが、あまりにキツすぎるとトラウマになってしまう。

 わけてもストリートのネィティブ英語は、ほんっと分かりませんから、これで心が折れる。一回や二回だったらどうということもないけど、何十回もこれだったらキツい。僕も最初にバス乗った時(あの時の恐怖感はまだ覚えてるし、忘れないようにしている)、当時はOpal Cardなんか無いから、いちいち運転手に行き先を告げて料金を教えてもらって支払うというかったるいシステムだったわけです。ところが何言ってるのかわからん。「和屋強引!」「へ?」「和屋強引!」「あの、、、」を何度となく繰り返し、そのときに奇跡的に脳内シナプスがつながって、和屋強引=where are you going?の意味だとわかったのはいいんですけど、今度は行き先の発音が悪くて通じない。相手は本場の腹式呼吸発音だから、ほとんど怒鳴り声、罵倒されてるかのように聞こえる。何度言っても言っても通じない。もうマジで涙でそうですよ。その間、満員のバス乗客全員の注目を浴びながらやるわけで、ほんと「衆人環視の生き恥晒し」とはこのことか、ってな感じです。

 まあ、僕が来たときは34歳だったし、当時の日本はまだ荒っぽかったし、仕事柄ヤクザやらモンスターなんたらみたいな手合に怒鳴られるのも慣れてました。一日一恥どころか、ゴハンを食べる回数よりも恥をかいたり険悪モードになる回数の方が多くて当たり前という感じだったので、そこまでメゲはしませんでしたが、それでも「うひょー」とは思いましたね。これ、経験少なかったら厳しいだろうなーと。それにこれって「最近の若いもんは軟弱で」とかいう問題でもないのよね。だって、年功あらたかな中高年の海外旅行でも「日本語でOK」とかみつけてホッとしてるんだから同じこと。

 そこでどういう心理になるかというと、とりあえず恐怖や危機意識が強烈に刻印されるでしょう。道歩いてたら、いきなり付近の民家で猛犬にバウワウ吠えられたかのような、裏山入ったらスズメバチに襲われたかなような。普通、そうなると危機回避本能が働きますから、できるだけ遠ざかろうという気分にもなるでしょう。その道は通りたくないとか、裏山には入らないとか。そうなると英語環境そのものを避けるようになってしまう→日本人同士ひきこもってしまうというルート設定がなされる。しかし、それでは来た意味がない。でも、そんなこと言ってる場合ではない、とにかく安全に生存せねば!というサバイバル本能の方が勝ってしまう。

 これはちょうど、最初の水泳のレッスンでいきなり溺れるようなものです。よし習うぞー、上手くなるぞ―と思いきや、鼻に水が入って、気管が塞がれて呼吸ができない!もうパニックになります。パニックになるように人間の身体は出来ているのだから。そうなったら、水泳上達もクソも、とにかく生き延びなければ!という目的が最優先になるでしょう。

 よく「日本人が少ないほうがいい」「英語環境が」とか言うんだけど、それは水に溺れてない人のいう言葉で、実際にパニクってみたらそれどころではなくなる。で、どうなるとかといえば、少ない日本人を草の根分けても探し出し、がっちり結合するでしょうし、現に殆どがそうなっている。それは本能的な問題なんだから無理ないです。だいたい英語圏の国に行くのにネットで日本語情報探している時点であかんでしょ。現地では英語オンリーなんだから、今から英語オンリーに慣れておいた方がいい。そこを分からないからといって日本語に走るならば、現地に着いたら、恐怖感や無力感がそれに加算されるわけだから、尚更そうなるでしょう。だからこそ日本語に走れないような英語環境が、、というのだけど、草の根わけても探すもん、見つかるまで探すでしょう。てか探すまでもなく日本語環境って行くところにいったら普通に整ってますから。それも無いというのであれば、孤立無援の人里離れた田舎町にいくしかない。ではそこにいけばOKかといえば、人によりけりなんだけど、場合によっては精神がヤバくなります。昔の相棒の福島がAPLAC以前に勤めてた会社で日本語アシスタントティーチャーを派遣する仕事でしたが、現地の学校からヘルプクレームがよく来てて、紹介してもらった日本人の女の子が発狂状態で窓ガラス叩き割ってどうしたもんか?という。人の心はそんなに強くないです。過信したらダメですよ。

 だから問題は英語環境を整えることではなく(そんなもん「整う」もクソも全部そうなんだし)、この恐怖感をいかに克服するかです。「克服」というよりも、慣れる、やわらげる。最初の1−2日で「あ、これ全然わからん、無理」「もうイヤ、恐い」となって、英語=屈辱=絶対無理=二度と近づきたくない的な世界観が作られるのを、いかに未然に防ぐか、です。勝負はこの一点にかかってると言ってもいい。そしてそれは一括パックの重要ポイントでもあります。雪山登山やるくらいの難しさがあるんだから、気合で〜なんて精神論が通用する世界じゃないですもん。

 だから着いていきなり「予防注射」を打つわけですな。現場のリスニングって、分析すれば「システムを知ってる」ことで半分はクリアです。そしてリスニングというのは半分以上「推測力」です。多分こんなこと言ってるじゃないかなーという。これは母国語でもそうで、実際、僕らはそんなに真剣に他人の言うことを聞いてないです。多分こんなこと〜と推測して、だいたい符合してたら聞き取れたと思ってるだけです。じゃあ逆に言えば、直近未来にやることのシステムを教えておき、多分こんなこと言ってくるよと教えておけば、大体いけたりするわけです。あとはその「やること」を難易度順に並べておけばいい(って簡単なもんじゃないんだけど)。

 と同時に、「背が立たない恐怖」「絶対アウェイの孤立感」を和らげる必要もあります。ここに来れば大丈夫、一緒にいれば安心という安全地帯を用意してあげて、且つそこで「あんなの無理だよねー」と傷を舐めあって、ダメ世界観を強化するのではなく、前に前に進んでいけるだけの生産的な世界観を作ると。

 それに「なんとかなる」っちゃなんとかなるんですけど、すご〜く低いレベルでなんとかなっても仕方ないでしょ?そりゃ要求水準を下げればなんとでもなりますよ。とりあえず生きてるだけとか。最初はそれでよくても、あとで上げていけるか?が大事。毎日英語漬けで英語喋ってます、楽しいです、イケてます〜ってなったら、「はい、じゃあ、次のステップいって」って上げていかないと。出来てしまえば、そんなのただ基礎過程でしかないんだから、そんなレベルで満足しててどうする?です。要は終わった時点で日本に凱旋帰国できるだけのサムシングを得られたか、次の人生のステップアップが出来るようになるか。そういった長期的なパースペクティブ(見通し)も、ことあるごとに言っておいてあげないと、木を見て森を見ずになってしまうし、手段の目的化も起きてしまう。二回目ワーホリ取るだけが目標とか。取ってどうするの?モラトリアム延長して、それでどんな人生上のプラスがあるというの?帰国したときにどんなプラスがあるのか、その「プラス」とはなにか、結局自分は何を得たのか、そのあたりは哲学的な問い掛けですし、究極的には自分で決めるしかないのだけど、それって常日頃から考えてないと。

 でも、この種のメンタルケアって、言うは易しで難しいんですよー。けっこうな精密作業で、心の手術をしてるくらいの感覚はあります。何が難しいって、全部ガードしてあげて、まるっぽ安心してもらってもダメだという点です。適当にキツい目にあって、本当の現場感覚を養わないといけない。さもないと依存心ばっか強くなるし、手を離したらいきなりコケるかもしれない。自転車を教えているときに、どこまで後ろをもっていてあげるか?みたいな話です。と同時に、「出来た」という達成感も得てもらって、自信をつけてもらう。自信が強くなれば、それだけ水深は浅くなりますから、いずれは「背が立つ」ことになる。「なあんだ」って気分になります。そこまでどうもっていくか。

 それが引っ越しとどう関連するか?というと、めちゃくちゃ関連します。これまではゲストルームという日本語環境の安全地帯があったのですが、今度はバッパーになるので現地環境はより整います。と同時に接種する予防注射も増やさないといけないし、最初にシステムやノウハウ、それ用の英会話も教えておいた方がいいかなーとも思います。ただし、それだけに得られるものは大きいです。トータルでの苦楽のボリュームは同じ、カリキュラムの達成度は同じなんですけど、プロセスが変わる。今は安心度が高い分、シェア探しなどで意識的に経験獲得に励む必要があるけど、今度は普通にしてても経験値獲得できるから、逆にシェア探しは多少ゆるくてもいいかなとか。

 だもんでその間の心理的サポートとして、避難場所も作っておいたほうがいいかなーとか。バッパーって、金土の夜になると、ヨーロピアンがはしゃいでパーティやってたりしますが、それに溶け込めたらいいけど、普通はなかなか難しい。そこで辛くなったら避難できるように、個室は無理でも、空いてるスペースに居れるような感じがあるといいかなとか。あるいは、気楽に立ち寄れるようなアクセスの良さとか。そうなると、玄関のセキュリティはあった方がいいのか、無い方がいいのか?です。深夜にお腹が痛くなったら、ヘルプ電話一本で走っていけるくらいのアクセスはいるかな、とか。あと、カロリー補給にゴハン作ってあげたりもしますし、それが救いになってる部分もあるので、その意味である程度のキッチン設備はほしいなーとか。

 でもってあんまり居心地良すぎても居ついちゃって闘争心が萎えるし、あまりにも居心地は悪かったらそもそも寄り付かないわけで、そのあたり、最初に来た人、不安に満ちた人の目から、ここはどう映るかな〜?とか憑依現象みたいなシュミレーションをやってみたり(まあ、わからんのだけどね(笑))。

自分

 そうは言っても、一番その場に滞在する時間が長いのは他ならぬ自分ですし、住み心地というのも重要。ファシリティ(設備〜バスタブがあるとか、収納が多いとか)もさることながら、居るだけで気が滅入るようなところはダメでしょう。

 その意味では、高層階にあってビューが良いほうがいいなーとは思うのだけど、今度は毎日のことだから階段の昇り降りがしんどい。特にスーツケース持って上がってなんてやってらんないですしね。

 それに気分が落ち込んだ時どう思うか?ってポイントもあります。なにもかもダメぽ気分って、僕ですらありますからねー(見栄で言ってるんじゃないのよ)。そのときに、あまりにも穴蔵的な、ネカフェ的な環境だと、それはそれで地の底に沈んでいくようなヤバさがあるんですけど、ビューが良ければ良いってもんでもないんですよね。ここが人間心理の難しいところで。なぜって、あまりに眺めが良い高層階だと(といってもせいぜい3−4階だけど)、そこで落ち込むと、なんか外界から隔絶された孤立感が出てくる。魂が悪い意味で浮遊しちゃって、アース(接地)が途切れる。でもって「この世界は〜」とか浮世離れした「達観」の世界にはいっていったりもするのだわ。それもなーと。それを接地させるのは、健全な雑踏というか、人の世との接点です。その意味では商店街の二階みたいなところのほうがいい。バランス感覚がブレない。

 でも、あまりにもうるさいと今度はそれが問題で、適当に遮断された感覚もないとくつろげない。この開放と遮断の微妙なレシピーが難しい。その際、天井の高さであるとか、壁の厚さなんかもけっこう影響します。古いテラスハウスなんかは、基本天井高いし、壁が分厚いですから、日本の昔の洋館(古い図書館とか美術館とか)のような静謐感があるのですね。あれでけっこう救われたりもします。

 まあ、でも、最終的には好き嫌いですけどね。皆にシェア決めのときに言ってるように「理屈で選ぶと間違える」の法則です。言葉にできないむにゃむにゃに衝き動かされるような感じがいい、、、とはいっても、毎週のエッセイ書きで鍛えていえるので、大抵の感情は言語化できてしまうんですけど。

その他

 もちろん経費とかそのあたりの算盤勘定も必須です。頭痛いよねー。まあ、それはどんな時代に生まれて、どんな生活しててもつきまとうことだから、しょうがないべ。

 あと家財道具の殆どを処分するというダンドリだけでも気が遠くなりそうです。それに加えて、免許証だの納税だの全部住所を変更する面倒臭さ。ネット環境の再構築などなど。

 引越し費用という問題もあります。転居先がやたら階段が多いと、引っ越し費用が嵩むなのですね。階段何ステップでいくらとかあるから。てか、そもそもこの家具は持ってあがれるのか?とか。オーストラリアの場合、家具がデカイくせにやたら間口とか廊下、階段が狭いんですよね。「これ、どうやって入れたの?」って不思議に思うこともあるし、自分で動かして微妙な角度に斜めにするとスルー成功になったり、そのあたりも工夫のしどころ。

 この数ヶ月、定期的にインスペクションに行っているのですが(まだ50件くらいしか見てないけど)、本当にあちらを立てればこちらが立たずで、「あ、そっかー、そうなるとこっちがダメなわけか、くそー」とやってます。

スキャンの鬼

 ところで、かれこれもう1年くらいやり続けてる断捨離シリーズですが、大分スッキリしました。
 本も大分減りました。少なくとも300冊くらいはスキャンしてデーター化した筈です。CDなんかも半分はリッピングしてPCに入れてしまうとか。過去の写真(フィルム時代)もネガがあるのはスキャンだけして全部捨てて〜とか。貰った手紙とか、FAX(殆ど感光して読めないのだが一応)、永住権取るときの資料であるとか、なんだかんだ、貰ったクリスマスカードにいたるまでスキャン。それでもまだまだある。だー!って感じですけど、とにかく体重180キロのやつが40キロになるくらい削って削って削りまくろうかと。

 スキャンも大分上手になりました(笑)。富士通のScan Snapのお世話になってて、あまりにもやりすぎて部品のゴムがいかれてしまい、日本まで部品だけ発注して送ってもらったり。カッターと定規で本を裁断していくんですけど、あれも本によってコツがあって。背面の糊付けが薄い本は楽なんですけど、糊の厚い本で、しかもページによって糊の侵入具合が違う本はやっかいです。ひっついたままだと紙詰まりや二枚同時に送られたりして、「あ”〜!」となります。また古い本はページとページが静電気でひっついて、これも困りものです。比較的どうでもいい本はチェックしないけど、お気に入りはPDF化したあとで全ページチェックして、さらに向きを直したり、OCR化したり、結構な手間ひまがかかります。

 なんでそんなムキになってるの?といえば、身軽になりたいのですね。将来の展開を考えてみた場合、身軽にポンポン動けるのがいいなと。大所帯になってくると、動きにくいというよりも、動くこと自体が心理的に億劫になってきてあかんのですよ。と同時に、データー化したり、処分したりして「惜しいか?」というと、そう思うのは実行前までで、一旦やってしまったら、せいせいするのですな(笑)。まあスキャンしてる分については「捨てる」わけではないんだけど、それでも、ああ、また一つ軽くなった〜という気はします。これがまた生理的に気持ちいいですね。ハマる人の気持わかるわー。

 そういえば、漫画家の中崎タツヤ氏は断捨離の達人、というよりも病的なまでの捨てたがり屋さんらしく、あまりに超絶ぶりに本にすらなってます(「持たない男」)。昔、その話を聞いたとき(何かの雑誌のインタビューだったかしら)、すごいなーとは思ったものの、共感は薄かったんですけど、今ならちょっぴり気持がわかります。「捨てる快感」って確かにありますね。


 手持ちの筒井康隆氏の文庫本。これ全部一日でスキャンしたら他に何もできず。

Glebeという場所

 候補は前にも言ったようにGlebeです。シティは論外だとしても(ローカルというものが殆どないので本当の経験値が積めない、そもそも居住環境コスパ悪すぎ)、バッパーに近いところという意味では、Potts Pointも狙い目です。キングス・クロスですね。あそここそバッパーのメッカで、こないだ行ったらさらに増えまくってました。いかにヨーロピアンが大挙してきてるか、いかに欧州の若年層の未来が寒いかの反映だと思うのだけど。

 Glebeは一番最初に半年住んでたので、大体のところはわかります。ゆかりの地という主観価値を除去しても、ある意味、一番好きなサバーブでもあります(Lane Coveも住む前には好きなサバーブだったけど)。予告編のように紹介しておこう。

 何がいいかって、まずカルチャー的に面白い。それも渋谷みたいに巨大資本とマーケティングで無理やり都市化したような、結局は全部「商品」だろ?ってアーティフィシャルなカルチャーではなく、自然発生的で、オーガニックなカルチャーがテイストがあってよろしい。東京でいえば、その昔の神田〜御茶ノ水〜秋葉原あたりとか、今でいえば下北沢とか、大阪でいえば最近の中崎町界隈とか。ボヘミアンで自由な感じがあって、いい意味で「変な人」が多い。だいたいゲイとかレズビアンの多い街は、弱者に優しく許容性も高いエリアだから僕ら外国人にも住み心地は良い。

 シドニーでそういうエリアといえば3つくらいあって、一つはパディントン〜ダーリングハースト界隈ですね。そしてニュータウン〜エンモア〜アースキンヴィルあたり、もう一つはGlebeです。

 シドニーの街って(オーストラリア全般、西欧全般かな)、要はストリート主義で、メインストリートがあって、その周辺という構造を取ります。それは京都における河原町通や四条通と同じこと。あとはその後背地がどれだけ懐深いか。

 パディントンはOxford stがメインなんだけど、後背地にテラスハウスの路地裏がいい感じで走りまくってて、Fivewaysなど地元民に愛されているスポットもある。ここも住んでみたいなーとは思うものの、とりあえず手近にバッパーがないのよね。

 NewtownはKing Stがメインで、Enomoe Rdのよりロック的でカッコよく殺風景な街があったり、隠れたヒッピー村みたいなアースキンヴィルがあったりして、これも良い。APLACの初期はここでやってましたし(地名ではCamperdownだけど)。

 Glebeはそれらに比べて、やや閑散してる面はあるんだけど、それだけにリラックス感は一番あります。テンションが低い分だけくつろげるというか。まだまだ田舎っぽい雰囲気も残ってたり。でもってYHAとThe Villageという環境のよいバッパーが並んでるし。

 Glebeの構造は、Glebe Point Rdというメインストリートが基本です。もう突出してこれしかない。サバーブによっては二大ストリート主義みたいなところもあって、Marrickvilleなどの場合、Illawarra Rdとこれと直角に交差するMarrickville Rdががっぷり四つです。でもGlebeは、Glebe Pt Rd独裁主義。まあサブに直角に交わるBridge Rdもありますが、その比率はライカードにおけるNortn Stに対するMarion Stよりも低いでしょう。あ、ここ、土地勘なかったらわからなくていいです。

 さて、Glebe Pt Rdもそこそこ長く、大きく3つの区域に分けられます。第一グリーブは、一番シティ(パラマッタRD、シドニー大学)に近いエリアです。Broadway Shpping Cetreという大きなショピングモールがあり、最近開発された現代的なマンションが建ち、有名なフリーマーケットも土曜日に行われる場所。もっとも観光的でとっつきやすいエリアです。ただしそれだけにローカル色は薄く、資本色が強いね。

 次に、そこから200メートルくらい離れて、St Johns RdとBridge Rdという2つの交差道路に挟まれた第二グリーブがあります。ここまでくるとローカル色は濃厚になってきます。Sonomaのベーカリーもあるし、Astorというカフェもあるしで、おしゃれなエリアです。ちょうどセントジョーンズが山で、ブリッジが谷になる。ここだけポコンと隆起しているエリアです。

 さらにそこから200メートルくらい進むと、Wigram Rdとの交差点(370番バスが曲がるところ)あたりに第三グリーブがあります。ここまでくると、昔ながらの〜、鄙びた〜とかいうくらいの商店街で、ローカル色満開です。23年前に住んでた頃に比べても、そんなに変わってないという。そこから先、Glebe Pointという「岬の公園」まで静かな住宅街が続き、海(川みたいなもんだが)も近く、バッパーもそこにあります。ここまで来ると「河辺の公園と住宅街」というかなり静かな感じになります。

 物件候補としては、第一の現代的なマンションで地の利を活かすか、あるいは第三以降の落ち着いたエリアでバッパーも近いところがいいかでしょうね。意外とトラムの駅も隠れて2つあったりするし、へえ、こんなところが?という風景もあります。

 ちなみに第三グリーブのいなたい商店街は、まだまだ昔ながらのスーパーマーケットがあったりします(大チェーンでもないし、コンビニでもないし、昔のよろずやが大きなったような感じ)。と同時に、コミュニティセンターがあったり、図書館があったり、ゲイとレズビアンの権利を守る事務所(Gay & Lesbian Rights Lobby)があったりもします。いかにもGlebeらしい、本当のGlebeローカルは第三エリアにあるんじゃないかなー。

 治安的にいえば第一→第三の順に良くなるでしょう。そりゃ、ま、当たり前の話で、シティに近く、よそ者が入り乱れるエリアよりは、ローカルで落ち着いているエリアの方が治安はいいです。

 以下、写真をばーっと並べておきましょー。


 グリーブのフリマ。こっちのフリマは大体そうだが小学校の校庭。その昔はヒッピー天国みたいな世界だったんだけど、こないだ行ったら大分「まとも」になっちゃった。


 バッパー宿近くの典型的なバックパッカー。なるほど行き掛けに牛乳を買ってきたわけね。


 第三グリーブのいなたーい商店街。IGAチェーンですらない「スーパーマーケット」(最近珍しい)。となりは古くからやってそうなデリ(西欧乾物屋)。



 同じく


 第三グリーブにあった、オシャレ風なイタリアンカフェ。


 シティまで目と鼻の先なんだけど、雰囲気はガラリと変わります。


 オープンインスペクションに群がる人々。人気物件は競争率高し。


 あ”〜!の一枚。何が問題かというと、こんなところにヒューズボックス(なのよ、これ)があるので、今持ってる冷蔵庫が入らないという。買い替えとかになると、それだけで数百ドルぶっとぶ。


 Glebeの半分は意外と半島風になってるので、ちょっと歩くとウォーターフロントになります。坂がきついんだけど。正面に見えるのはFish Market


 4階程度でこのビューはうれしいのだが、しかし、階段大変すぎ。引っ越しも地獄なら、日々も大変。


 こんな隠れ家別荘みたいなロケーションもあります。仕事場からこれが見れたらなごみそう。でも、狭すぎてダメでした。うまくいかんもんだなー。ちなみに正面遠方に見えるのは、使用されていない昔のGlebe Island Bridgeで、橋の真ん中が回転して船舶を通すという、勝鬨橋パターンの一種。

 トップページの写真(この背景写真でもある)は、商店街の二階物件の場合。表から入れないので、裏手から入る。シェア探しでもこのパターンはちょこちょこあるので覚えておくべし。
 んでも、この生活感ある殺風景な感じはキライじゃないです。なんかブランキーの歌詞世界みたいだし、外国っぽいし、秘密の隠れ家的な感じが楽しい。



 文責:田村




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