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今週の一枚(2015/02/16)



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Essay 710:「仕方がない」を3回連続して言うと死ぬ!という話

 写真は、先週昼メシ食べにいったBalmoral。Google Mapでの場所はここ。真正面に見えるのがManlyのNorth Headという位置関係ですね。

 MosmanのSpit Junctionから歩いて行けます。急な下り坂だし、眺めもいい。ただし帰路はバスを勧めます(^^)。
 Lower North Shoreで珍しい泳げるビーチ。平日の昼に行ったのですが、場所柄か、みるからに富裕なリタイア組が多かったですね。

 ビーチ真ん前のBather's Cafeって所に行ったのですが、アジア人のお客さんは僕らくらいで。値段も高いの覚悟してたのですが、意外とリーズナブル。風景の良さと味は反比例する法則であまり期待してなかったものの、これもアタリでかなり美味しい。だからコスパでいえばかなり良いです。カリカリの薄焼きピザがめちゃ美味、特にリコッタ・チーズが良かった。

 この絵葉書みたいな一枚は、店の入り口で順番待ち(10分程度)しているときに撮ったもの。ビーチよりも店内の方が混んでいるという。といっても、外がよく見える席を優先的にあてがってて、見えにくい奥まった席には開いていても招き入れないというわりと良心的な扱いでした。


カレル・ヴァン・ウォルフレンの「人間を幸福にしない日本というシステム」

 カレル・ヴァン・ウォルフレンというオランダ人ジャーナリスト(現在はアムステルダム大教授)の古い著書に「人間を幸福にしない日本というシステム」というのがあります。1994年11月刊だから今から20年以上前、僕が最初にオーストラリアに行き、永住権申請のための日本に一時帰国してた時に買った本です。神戸地震やサリンの数ヶ月前くらいですね。たしか日本に「説明責任(アカウンタビリティ)」という概念が定着するに一役買った本じゃなかったかな。

 そこに「シカタガナイ」という、外人さんから見たら”不思議な”日本人の態度が冒頭にかかれていて印象に残りました。

 ヘタな説明をするよりも読んでもらった方が早いので、手持ちの書籍を自炊して貼っておきます。




 この人、「日本 権力構造の謎〈上〉」 「日本 権力構造の謎〈下〉」でブレイクしましたね。1989年刊なのでバブルの真っ最中。分厚い本で読んでて楽しいか?っていうと、緻密なデーターと分析がメインだから楽しい本ではないけど、でも「よくまあ」って思うくらい日本の各業界のメカニズムが網羅的且つ正確に書かれていてびっくりしましたね。自分の専門業界(法曹界)を見て検証してみたんですけど、鋭い。メジャーメディア(てか日本人だったら)差支えがあって書けないようなリアルな実体も書けてました。はー、外人さんでも見る人が見たらここまで見えるんだという。これは、その後オーストラリアに行くときに励ましになりました。もう25年前だからさすがに古いだろうけど、でもこの25年日本の権力の基礎構造はあんまり変わってない(東電支配とか露骨に見えるようにはなったが)ので今でも通用するとは思います。日本を学ぶテキストみたいな感じ。

 その後ジャーナリスティックな問題提起系の本をコンスタントに出しつづけ、いま見てみたら「いまだ人間を幸福にしない日本というシステム」という続編がありました。「いまだに」ってのが苦笑を誘いますが。パラパラ読みたいんだったらこの手の本でいいんだけど、ガッチリ読むなら「権力構造の謎」でしょう。知的労作度では桁違いですから。それだけにスラスラは読めませんよ。もう辞書みたいな感じ。


 ということで、この紹介だけで終えるのが普通のブログでしょうが、クソ長くて胃にもたれるこのエッセイは、ここからが本番。てか、上の部分は話のマクラというか、「ああ、そういえば」で思い出したのでイントロで紹介しただけです。ネタは、日常にふと思ったこと、です。

仕方がない=あきらめる

 「仕方がない」というのは良く言いますよね。僕も言う。大阪弁では「しゃーない」ですけど、「しゃあないな、ほな、こうしよか」とかよく使う。

 日常的に細々した局面で使う分にはそんなに問題ないです。3回連続使ってもいいです。今日はストで電車がストップしてる→仕方がないタクシーで行くか、スペシャルカレーは売り切れです→しゃーないな、じゃ普通のカレーでいいや、、とかなんとか。可愛いもんです。

 問題をはらんでくるのは、人生とか社会とか大きな枠組のレベルですね。
 ろくな就職口がない→仕方ないよ=自分には学歴もスキルもないもん、仕方ないよ=今は不況だから
 納得いかない日常、本当なら◯◯を目指したいんだけど無理無理→仕方ないよ、もう結婚しちゃったし気軽に動けないよ
 仕方ないよ=英語できないし海外なんか無理だよ
 仕方ないよ=まとまった資金なんかないから起業なんか無理

 まあ、気持ちは分かる。
 そんな夢みたいなこと吠えてたって、現実みろよ、現実、出来ると思う?どうやってやんの?無駄、無理、不可能。しょうがないんだよ、夢を見るだけツラくなるだけなんだからさ〜って感じ。

 要するに「仕方がない」=「あきらめる」ということですわね。

 シカタナイ=「仕方(やり方)」が存在しない=他に局面を打開する方法論がない=選択肢ナシ!

 で、考えてみるべきは、ほんとか?でしょう。

 本当に他の選択肢ないの?考えてないだけじゃない?考えるの面倒臭がってない?
 あるいはへたにハードな方法を思いついちゃったらそれをやることになって、それがイヤだから敢えて考えないようにしてる、とかない?そこに深層心理(ってほどカッコいいものではないが)に潜む嘘っぽい感じ。

言い訳表現

 仕方がないって言い方は客観叙述、英語でいえば There is 構文で、"There is no altanative."ってことで、「〜は存在しない」です。客観ね。「A地点にバス停は存在しない」。

 でもこれって本当は主観だったりするわけですよ。
 「面倒臭いことはやりたくない」「そこまでしてまで何とかしようとは思わない」「新しい試みは怖いからやりたくない」とか。つまりは怠惰(たいだ)、懶惰(らんだ)、怯懦(きょうだ)、のダダダの脚韻踏み。

 なぜって、もっと主体的に選択・決断するときって、あんまり「仕方がない」という言い方はしませんもん。「えっと、じゃ、これにします」「コレでいこう」と。選択肢が一つしなかったとしても、「コレっきゃないでしょう!」って言い方をする。

 「仕方がない」というのは、本当はイヤなんだけど、さりとてそれに変わる代替案も思い浮かばないし、そこを死に物狂いで打開しようという意欲もないし、「まあ、しょうがないよね」って感じ、諦めて受け入れる感じ。

 もし本当の本気で選択肢なしのイヤな現実を受け入れる場合は、もっとすごいイヤそうに言うもんですよ。「え〜!?」って。楽しみにしてた遠足が雨天中止でーす、え〜!って。そこでは愚痴も出るし未練もでる。「えー、いいじゃん雨くらい」「どうせ昼ごろには止むよ〜」とか。つまり主観的にやりたいときは、表現が違う。「ま、仕方ないよ」なんて悟りすまして言えはしない。むしろ「仕方」はあるよ、あきらめるんじゃないよ(雨でも行こうぜ)って感じになる。

 つまり、他の選択肢(そこを頑張って何とかする)なんて、しんどいからやりたくないんだけど、そこを正直に「ヘタレだから出来ません」「やりたくないです」って言うとカッコ悪いので、「他に選択肢はない」という客観に置き換えて誤魔化すという。やる気はあります、能力もあります、でも無理なんだからしょうがないじゃんって。大した創意工夫もせずに、ちょっとやってダメだったら「無理です」って突っ返してくる使えない新入社員みたいな。

 これ結構多いと思うよ。僕だって無意識に使ってるだろうしね。ほんと、お手頃サイズで使い勝手の良い、恰好な言い訳フレーズなんだと思うのですよ。校内マラソン大会が雨天中止になって内心では喜んでるんだけど、オクビには出さず、「雨じゃしょーがねーよなー!」って大声で言ってるという。

 もちろん、真実選択肢がない場合もありますが、そんなのは状況をみれば大体分かるよね。

 しかし、こんな可愛い「ヘタレ偽装」なんかよくある話だし、そこで「なっちょらん!」とか目くじら立てる気もないです。自分だってそうだと思うし。

 ただ、問題は、それが後々に及ぼしていく波及効果であり、その蓄積です。
 これって地獄への特急列車っぽいんですよ。

諦めた方が楽〜欲望と努力の損益分岐点

 まず思うのは、世の中「諦めたほうが楽」ってことが山ほどあるという事実です。

 「諦める」というと、恋い焦がれた相手からNO返事もらってガビーンとなって、それでも諦めきれないよ〜と非常にツライ状況。ここでまた難しい四字熟語でいうと「切歯扼腕(セッシヤクワン)」ですね(別に難しくもないか)。歯をギリギリときしらせて、腕を強く握り締めるくらいの感じ。

 だから諦めた方が楽なんてことあるかい!って思うかしらんけど、さにあらず。

 だってさ、諦め=頑張りからの解放、って側面もあるんだもん。

 マラソン大会で走ってて、もう限界です、もうダメです、、、てときに、諦めて歩いちゃったり、リタイアしたら、そりゃ楽ですよ。受験勉強だって、就活だって、ビジネスだって、人間関係だって、なんだって、諦めちゃった方が、即刻 or 直近未来は楽な場合が多いでしょう。もうあんなしんどい頑張りをやらなくていいんだから。

 逆にいえば、「諦めない」というのは難しい。一見不可能に見える、どう考えても無理っぽく思える。しかし諦めきれない。俺は諦めねーぞ、畜生っつって、知恵熱出るくらいあれこれ考え、無駄足覚悟であれをやったりこれをやったり、ダメダメダメダメダメ!って現実にはねかされ、世間にセセラ笑われ、心も折れそうになり、てかとっくにボキボキに折れてるのをあちこち瞬間接着剤で骨接ぎみたいにくっつけ、今日もまた出撃だぜい!ってのは、これはしんどいですよ。

 別な表現でいえば、諦めないというのは、「仕方がない、ことはない」「仕方はある」=「なにかきっと方法はある筈だ」っていうことです。

 「仕方」=「別のやりかた」です。英語でいえば alternative、オルタナですな。
 それが「無い」というのは、真実客観的に無いのか、どっかにあるけど見つからないだけなのか、探す努力をやめたいのか、そもそも最初から探す気なんかないのか。いずれにせよ生存者を探していた捜索隊が「捜索打ち切り宣言」をするようなもので、求めるものは得られなかったけど、その代わりもうツライことをやらなくても良いという安息と安逸は得られる。

 すぐに諦めるかどうかは、どれだけストレス耐性や根性があるかという問題もあるんだけど、根本的には「どれだけ欲望が強いか」って問題でもあると思います。本気でやる気あんの?と。

 欲望が強ければ強いほどなかなか諦めない。忠犬ハチ公のように、いつまでも駅で飼い主を待ち続ける。苦節◯年とか、冤罪闘争35年とか、絶対諦めない。諦めないままタイムアップで死んじゃう場合すらある。てか、一生をその「仕方」探しに捧げるような人生も、偉人伝とか読めばよく出てくる。

 でも、それほど強い欲望でなければ、わりと諦めやすい。これだけの努力を傾注してこれだけの成果を得るという限界点である損益分岐点がすぐにやってくるし、コストパフォーマンスも低くなりがち。逆に欲望が強烈なときは欲望充足の快感は無限大だから、人生全て投げ打ってでも釣り合うんだけど。

3タテ食らうと死ぬ

「仕方がない」という毎に快楽可能性は減る

 自分のライフスタイルの根本設計、メインフレームに関することで「仕方がない」=「あきらめよう」を連発していると、どんどん不本意で不愉快な勢力「黒い理不尽軍」に人生に侵略され、占領されていきます。

 まあ、そうだよね。あらゆる戦線で防衛線を突き崩されるんだから、「進撃の巨人」みたいに塀を作ってひきこもらざるを得なくなる。防衛戦を突破されたら、塀の外には気持ち悪い巨人達がウヨウヨしてるから、なかなか奪回できない。最後の塀が突破されたら、パクンと食べられちゃうよ。

 必死に勉強→いい大学→いい会社=素敵な勝ち組ライフって図式は、もう「必死で剣術修行→藩の剣術指南役に取り立てられる」ってくらい時代の遅れの方法論になりつつあると僕は思います。それがクソだという主張もわかる。が、だとしたらそれに取って代わるだけの「仕方=オルタナ」を創案&開発&実行しなければならない。でなきゃ単に落伍者としての烙印押されて不愉快な負け犬ライフが待っている。

 ほんでもそこまで深く考えたわけでもなく、単に勉強キライだから程度の理由でやらないから成績悪くなる。成績悪いから「俺勉強ダメだから」「仕方ないし」で受験でもそこそこの所で手を打って「私立妥協学園」みたいなところにいく。そうなると就活でも、有名大学じゃないからどうせ無理「仕方ない」で「株式会社妥協コーポレーション」みたいなところに入ったり、あるいは就活自体を「どうせ無理」「仕方ないじゃん」で諦める。でもって無職期間がだんだん長くなると、もうこんな自分が再(てか初)就職するなんて無理、結婚相手なんか見つかるわけないよ、仕方ないよ、どーしよーもないよってなる。

 要所要所で妥協して(って妥協にもなってないんだけど)、防衛ラインを突破され、侵略され、その都度に「仕方がない」といってたら、本当にもう生存可能領域が無くなっちゃう。どっかで無理せなズルズルいっちゃう。それが大自然の法則、淘汰圧力でしょう。

3タテ食らうと死ぬ

 これを称して、「"仕方がない"を3回連続で言ったら死ぬ法則」です。3タテ食らったら天地がひっくり返るよ。

 例えば---
 一回戦:勤務先会社ヤバし→でも面倒臭いから「まあ大丈夫でしょ」でタカを括って、再就職先を予め探すとか、スキルアップするとか、別の人生を模索するとか全然しないでいたら、案の定、倒産ないし自分がリストラ

 二回戦:無職になってから再就職先を探すけど、もうトシだし、スキルないし、今から磨くのは鬱陶しいし、心機一転チャレンジするのもうざったいし怖いし、なんとかなるべでやってたら、とりあえずゲットできたものの、明日も分からぬカジュアルのマックジョブ。まあ、仕方ないよ、これが日本の現実だよ、無理だよって思う。

 三回戦:勤めてみたらこれがブラックで、勤務はキツイわ、若い頃みたいに無理もきかないわ、条件も全然違うわ、でも今更辞めても他がないしで探さないで頑張ってると、身体を壊して長期療養。この時点で貯金も底をついてきて、またその過程でFXとか投資とかやって、大体数年に一回やってくるリーマン・ショックのような津波にドドドと押し流されて終わりだから、身も蓋もない無一文になって、ホームレス。

 四回戦:ああ、しかし人生は続くで、ホームレスになったらなったで、そこでも激しい生存競争があって、「山さんのショバを荒らした」とか言われてボコられて虫の息、、、寒い冬の未明の午前3時位に心拍停止。

 だから「仕方ない」の3連敗をすると劇的にヤバくなってくる。一勝二敗くらいだったら、まだ一勝したところで浮き上がるからなんとかなるんだけど、3タテはキツイで〜。

3回連続というのは、やっぱ変!

 これは別に人生の大局に関わることに限らず、それよりもスケールダウンした日々の出来事でも言えると思います。一発ポッキリの雨天やらスペシャルカレーくらいだったらどってことないけど、「仕方がない」が3回続くってのは、やっぱどっかおかしいと思ったほうがいいんじゃないか。

 仕方がない=不本意な結論を押し付けられる(受け入れる)ことでもあるので、こうも思い通りにコトが運ばないというのは、受け入れてはいけないところで受け入れている(仕方は「ある」のにトライしないで諦めている)か、そもそも根本的に戦場を間違っているか。

 例えば、いつもやってるシェア探しやバイト探しなどで数軒ダメだったくらいで諦めて、不本意なところで妥協してしまうのは、「仕方ない」わけではない。仕方はまだまだ幾らでもある。見切りが早過ぎるでしょう。

 これは「見切り論」でまた別項で書くべきなんかもしれないけど、本当に状況的に不可能なのか、あるいはトライの絶対数が足りないとかやり方がヘタクソに過ぎないのかの判断は、実は意外と難しい。それなりにスキルがいるところです。「この程度の物事だったら、この程度の試行量でなんとかなるはず」という大雑把な目利きが要ります。例えば独立起業した場合、向こう三年間は赤字、あるいは直後1年くらいは事実上無収入だと思え、というのはよく言われます(業種により、場合によるけど)。

 この目利きは本当に財産になるスキルで、ここが悲観的に過ぎると大きなチャンスを逃すし、楽観的に過ぎると破産ドボンです。まさに人生を左右する「生きるスキル」だと思います。もう経験を積んで、死ぬほど考えて、また経験を積んで、考えて、を繰り返し、「大体こんなもん」という目利きを磨いていくしかない。だいたい見ていると、人生の失敗というのは、総じて見切りミス、目利きがきいてない系が多いように思いますね。でもこればっかりは本を幾ら読んでもダメで、自分で失敗して生理感覚で覚えるしかないんだわ。だから小さな失敗、被害が笑えるような段階で沢山失敗して経験ゲットしておくのが賢いやり方だと思います。ビビって小さな失敗を避けていると、いつかドカンと超弩級の失敗をして笑い事じゃなくなる。「小さな失敗、大きな学び」がよろしいかと。

 なお、その闘いの細かな過程で、右方面はダメだから左方面に勢力を集中するとか、瞬時瞬時の「仕方がない」は沢山でてくるし、それはもう秒殺レベルで判断した方がいい。例えば、株の損切りみたいに、下がった株がいつかは上がるとか未練がましくウダウダやっててジリ貧になるくらいだったら、「おし、失敗。次行こ」で即決損切りで売って、また別のところに投資するとか。列車が悪天候で止まって、いつになったら復旧するのかわからない、アナウンスを聞いても駅員に聞いても要領を得ない。そのとき、差し迫った案件があるなら、「無理!」と即決してタクシー奮発してでもいくべきでしょう。その種の「攻撃的な仕方ない」「攻撃方法の臨機応変は変更」は全然構いません。大きい部分では全然諦めてないわけだし。

 ただ、これで終わり、諦めなきゃねって全面撤退 or 最終不本意妥協の「仕方がない」は、どっかに敗因があるはずです。見込みが甘かったとか、戦略を間違えたとか、勝負どころのタイム感がズレてたとか。それはそれできっちり分析しないといけないでしょう。そのあたりは話が逸れるのでそこには深く立ち入りません。

 ここでは、「仕方がない」が3回連続で出てくるというのは、やっぱなんか「変!」と思ったほうがいい、という指摘にとどめます。

どっかでは無理せなあかん〜勝負どころの見極め

 やっぱ、どっかで「無理」せなあかんのやて。
 そんな年がら年中無理してたら死んでまうからオススメせんけど、でも一生に数回くらいは、ここぞ!というところでは絶対防衛線敷いて、無理を承知で勝負かけたらんと、ズルズルいってまうで〜。巨人に食われまっせ。

 そして、問われるのは、それ(勝負どころ)はどこか?であり、どういう方向に行きたいの?でしょう。

 一般論でいえば、早い局面の方が勝機が多い。上の例でも一回戦レベルでやるなら、まだ会社が十分存続している状態で見切りつけて自分から辞めるなら、多少なりとも退職金も入るし、業界や方向性をゆっくり考え、再就職など次の展開を模索する時間がある。ゆっくり選ぶことができるから、焦ってスカをつかむ率も低い。もっと抜本的なスキルアップをしなきゃとか、全然違う人生の展開を考えるとかも出来る。

 ところが二回戦以降になってくると、だんだん生活に追われるわ、時間に追われるわで日常の足場がグラグラして固まらないから、どんどん不利になっていく。一歩また一歩で後退していくうちに、サラ金で借りたらそこでジ・エンドっぽいし、家賃が払えないとかいってネカフェにすると一泊は安いとはいえ月間では割高になるからますます首を絞める、固定住所がないから就活も限られる、住民票もなくなるからアパートも借りられない、携帯での仕事ゲットだけで食いつなぐけど、今度は携帯盗まれてしまって、もうお手上げ〜という。

 サバイバル能力高い人だったらそれでも何とかするでしょう。てか、中小企業の経営やったら、今週末までに500万円ひっかき集めて入金しないと週明けに不渡り出して倒産〜ってのが、毎週とはいわないまでも毎月くらいのペースでやってくるわけで、それに比べたら、こんなんチョロいでしょ。

 例えば、固定住所もないわ、住民票もないわ、リビングコストが大きく割損だわって場合、毎日100人に話しかけてでも仲間を募り、私設”生協”みたいなものを作る。どっかに住民票持ってて協力してくれる友達を作れば、その人の名前で最近余っているという空き家、それもちょっと離れてもいいからデカい空き家を家賃6万で借りて6人くらいで住む。

 この場合、あなたが霞ヶ関官僚だったり丸の内のビジネスマンだったら都心アクセスや立地は大事だけど、とりあえず食うためだけのマックジョブだったら、別に離れても良い。むしろ離れたベッドタウンや人口集積地の方が豊富にあったりする。そのあたり(仕事量と家賃の関係)をクレバーに考えて場所を決めをする。駅から離れているなら、安いポンコツ自転車を買ってきてシェアすればいい。6人おったら一人くらいは器用な奴がいるから、直して使う。家具なんか、夜中に皆で粗大ゴミからひっかついで来ればいい。一人でやるのはツライけど、皆でやるならお祭りやん。

 そうすると6万6人だったら、一人あたりの月間家賃は1万円になり、日割りにすれば一泊333円で快適な家がゲットできる。そして住民票をゲットする。また、炊事も当番制で共同出費で賄うなら食費も劇的に安くなる(大学の下宿のときにこれやった。一食平均65円で出来る)。裏庭に野菜作ってもいい。ニワトリ飼って卵ゲットしてもいい(^^)。

 そこまでもっていけたら、反転攻勢の拠点は出来る。踏みとどまれる陣地を構築することこそ野戦の要諦。
 月のランニングコストが安くなるから、仕事もじっくり選べるようになり、希望が出てくるから表情も明るくなり、本来の魅力フェロモンも出るから、男女問わずいい出会いがあったりもする。

 あるいは、このやり方をビジネスに転用し、さらに金を出し合って別の空き家を借りてシェアハウスとして客を入れる。家賃6万で3LDKだったら3部屋二段ベッドをいれて6人。一人あたり家賃2万で貸したら12万円入ってくるので、単純計算で月6万円の儲け。不労所得で月1万入ってくるなら、それを現在の家の家賃シェア分に充当すれば事実上ゼロ円で快適な住まいがゲットできたことになる。あとは食費だけ。おし、じゃあもう一軒増やせば、食費は浮くぞ。で1年もやってればノウハウがわかってくるから、おし、もう10軒増やしても廻せるぞになり、これ会社でやらない?って話になって皆で会社設立してジャンケンで社長決めて(笑)、、、と。

 この方法論のネックは「仲間集め」です。勝負どころはそこ。
 人見知りするので〜、コミュ力が〜なんて寝言いってる場合ではなく、生きるか死ぬかなんだから、探せ!です。ここを探せるか諦めるかが死命を制する。あれもこれもの兵力の逐次投入を避け、全てをこの一点に集中して、なにがなんでも勝ち取る。てか、いい仲間がおったら、もう世の中勝ったも同然でしょ。そしていい仲間を得るためには、自分が飾ってちゃ駄目だし、ひと目気にしすぎてもダメだし、直球投げて真っ直ぐ打ち返してくれるかどうかっしょ?だからまず直球投げれる自分になれ、とか。斜に構えるのは楽なんだけど、ズルくもあるのだ。他人はそのズルさを見逃さへんで〜。

感情摩耗と現状劣化 

感情摩耗の怖さ

 無理なことに挑戦しているとき、勝負かけてるときって、意外と結構楽しいですよ。アドレナリン快感出るし、実際に物事進めば、その自己実現や達成感はハンパないです。

 逆に挑戦しなくなって、仕方ないし〜で流していると、感情の振幅が浅くなるよね。まあ、これも当然の話で、諦めるという行為をするんだから、感情が豊かだったら悔しいわ、ツライわだから、感情防衛のために無感動方面に薄めていくでしょう。

 そうなると平常時でも感情の凹凸がすり減ってくる。摩耗してくる。コレがけっこう致命的。きつい鬱病の患者さんとか、統合失調症や自閉症のハードなやつって、もう表情ないですもんね。目の前で人が殺されようが、宇宙人がやってきてハローと言おうが、無感動。

 そうなるとどうなるか?様々な厳しい諸症状が波及的に生じてきます。

 一つは、諦めるのが簡単になること。普通悔しくて諦めきれないことでも、感情が鈍麻してるから、そんなに辛く感じなくても諦められる。いともたやすく「仕方ないよ」と口にするようになる。

 第二に、感情が生き生きしなくなるので、楽しくなくなる。楽しいとかハッピーというのは、感情のゼロ→MAXの振幅の激しさに比例する。「え?うっそ〜!きゃ〜」ってときが一番楽しい。でも、感情がゴムの抜けたボールみたいになってると、その弾みがつかないから、「ふーん、あっそ」くらいになって楽しくない。楽しくないからやる気がわかないし、がんばろうって気になるはずがない。ゴールにいっても面白くないなら、誰が頑張るか?ですよね。

 第三に、人が離れる。好ましい人間関係って感情のキャッチボールでしょ。あれこれ悩んでプレゼント贈ったら、すごい喜んでくれたのでそれが嬉しいって。前に「スマイル=100円」で書いたけど、素敵な笑顔は通貨に匹敵するだけの経済価値がある。でも、いつ会ってもドヨヨンとしてられたら、「もう、ええわ、こいつ」って誰もがなるから、誰もが離れる。ひとりぼっち。つまんない。

 以上の次第で、「仕方がない」をあまりにも多用しているとヤバいですよ。三回連続して「仕方ない」って言ってると、死にますよって話でした。

 以下はオマケ。

現状維持をはかると劣化する

 第四に、国が衰退する。わはは、いきなり途方もないスケールになっちゃったけど、書いてて思い出したのだが、ずっと前に書いたエッセイ ESSAY 250/「もう、これでいいや」病 にも通じるんですよね。
 
「ま、こんなもんでしょ」「もうこれでいいや」という年長者が多くなってくると、社会の新陳代謝は阻害されるわ、その次の世代は戦うことを知らないで育つわ、社会がどんどん衰弱していくと思うのですよ。若い人がチャレンジングなのは、それが生理的に気持ちいいからだと思うのですが、その気持ち良さを次の世代に伝えていない。だから、その結果として、チャレンジングじゃない次の世代が生まれる。「安全」「安心」教の信者になり、不測な事態を異様に恐がる、それを防ぐための「情報」教の信者になる。「うっひょー」というとんでもない事態をそんなに楽しまなくなる。

 これを書いたのは2006年ですから、もう9年前の話ですけど、「最近の若くないモンはなっちょらん」という趣旨です。年長者こそイケイケ!でやらないと、社会は老衰状態になって死ぬぞという。まんまその通りになってますけど。

 人間、守りに入ったら終わりですわ。よく言うじゃん。たしか「医龍」って漫画でもいいセリフがでてきたけど、「腕ってのは、毎日上がってるって思うくらいでないと、下がってるんだよ」という。本当そうだと思います。常に昨日よりも明日の方が素晴らしくなるようにしてないと、現状維持なんか出来ないです。

 なぜなら、これも適当に論理的っぽく言えるんだけど、人間には学習能力や記憶があるから、同じ刺激を繰り返すと、だんだん感動が失せてくる。これはわかるでしょ。だから同じようなこと繰り返してたらだんだん詰まらなくなってくる。これがヤバくて、単調に無感動になるということは、一つには集中力が欠けてきて下らないミスをすることだし、単調=簡単と安易に誤解するから仕事の質が下がってくる。これは経験的にそう思いますよ。だから同じような質のものを作ってるつもりでも、徐々に劣化してくるし、劣化していることに気づかない。同時に精神の張りが緩んでくるから、新鮮な感動もないし、新しい発想や改善も出てこない。逆に間違った自信や慢心が出てきて、やがて慢心が信仰のようになり、最後には信仰にだけすがりつくようになる(神州不滅とか、日本製は優秀とかいう伝説ね)。

 現状維持、ないし上り調子でイケてるときは、慢心の逆だから、「こんなんじゃダメだあ!」って自分に対して怒鳴ってるような感じになる。道を歩きながら、クソ、畜生、クソとswear wordをブツブツ吐いて、「こうじゃねえんだよ」「もっとこう!」「なんで出来ないかなあ?ああ、もう自分に腹立つ!」って感じでしょう。甲子園の強豪校や凄いバンドの練習風景なんかもう喧嘩腰でやってるもんね。「いいもん作ろう!」と気合が入ってる時は、エネルギーあり余ってるから、どうしても荒っぽくもなるし、安易な妥協するくらいなら死んだほうがマシだと真剣に思ってるし。

 ところが、適当な所で小休止して、下界の眺めを楽しんで、やれやれって一服しているうちに、一服が二服になり三服になり、しまいにはもう動くのがかったるくなる。でもって、「もう、これでいいよね、十分だよね」的な感じなる。「小成に安んずる」って言うけど、小さな成功で満足して、それで動くなくなって、現状維持はおろか、知らないうちに劣化していって、ズルズルと斜面を滑り落ちていって、最後には池にドボン、という。どんぐりコロコロか、お前は!という。

遊びをせんとて生まれけむ

 ということで年長者の役割はチャンジ魂を次世代に伝えることだと思います。
 もうそれっきゃないんじゃないの?
 「安定」なんか教えなくてもいいよ。人間って怠け者で不精だから、ほっといても勝手に安定したがるから、教えるまでもないでしょ。

 僕もいいオッサンだし、ジジーになるのも遠からずですけど、もうめっちゃファンキーなジジーになりたいですねえ。死ぬ間際には「ファンキーな長老」になりたいですねえ。でも一番のジジーが、一番突拍子もないってのはいいでしょ?「よく、そんなこと思いつくよな!」と唖然とするくらいヘンテコなことを日替わりメニューのようにブチ上げ(それはそれで迷惑そうだが)、ガンガン突っ走るという。自分の会社が破産しても、「あちゃ〜、やっぱダメ?」とか言って一人でウケてて、ゲラゲラ笑い転げているような感じ。

 だってさ、残り時間が少なくなればなるほど、守るものなんかもうねーよです。やりたいことは荒方やり尽くしたし、生きてる時間は全部アンコールみたいなもので、もう何でもアリの大サービスしなきゃですよ。残ってる花火全部打ち上げちまおうぜ、です。「もう一曲いくかあ!」で客を煽って、ステージの端から端まで走り回って、途中でコケてバタッと倒れて、それでご臨終という。いいなあ、最高だなあ。そういうジジババで日本が埋め尽くされたらいいんですよね。毎日がお祭り。

 だから創業者が欲しい。みなには起業してほしいよな。世のために人のために。
 だって、自分で作った会社を潰す権利があるのは創業者だけだもん。三菱潰して「詰まんなくなったから、もう止め、解散!」って言えるのは岩崎弥太郎だけでしょ。潰れても一番悔しくない、、というか、「あー、面白かった」で納得できるのは創業者だけですよ。あとから入ってくるのは、安定してるから、ステイタスがあるからとかクソみたいな理由で入ってくるんだけど、創業者だけは「面白そうだから」というモチベーションで動いてる。だから面白かったらOKであり、十分遊び倒したと思えたら、「はい、じゃあ止め〜」って止められる。

 平安時代の末期に編纂された「梁塵秘抄」って当時のヒットチャート歌謡曲集みたいなものあるんだけど、いい歌が多いのですね、ってそんな知ってるわけではないけど、例えば、

 遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。

 とかあるんだけど、いいですよね。

 人は遊ぶために生まれてきたんだってさ。
 平安時代の庶民はそう言ってる。
 ご先祖様はそう言ってるよ。


 

文責:田村