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今週の一枚(2013/12/09)




Essay 648:火事場泥棒の陰険社会と「その次」

秘密保護法(3)
 写真は、Victoria Park。シティにほど近い、シドニー大学の前にある公園。



 ”不”特定秘密保護法も無事に(笑)参院でも可決されたようで、JoJoの空条承太郎的に「やれやれだぜ」という師走の今日このごろ、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 いやあ年の瀬に向かってこんなに日本が「面白く」なるとは思ってませんでした。「ああ、なるほど」「いや、まてよ」とあれこれ考えさせられて退屈しなかったです。かなりやりがいのあるパズルですし、この2週間ほどで、また「日本に関するいろいろなこと」が皆の目の前に晒されたように思います。ちょうど原発事故で、限定されたエリアでしか語られていなかった電力業界=国策産業=国家権力との結びつきと支配体制が明らかになっていったように。それまでは株を買うのに「安全パイなら電力株」とか牧歌的なことが語られている程度だったのにね。

 また幾つか書き綴っておきましょう。
 さきにお詫びしておきますが、えらく長くなってしまいました。二つに分けても良かったんですけど、そうするとややペシミスティックな前半部で終わってしまって、話が暗くなって嫌だなと。一気に書きます。お時間の余裕のあるときに。

いくつかの点に関して

今年最大の「偽装」

 この法律には賛否両論ありますけど、法律やってた立場で言わせてもらえば、これって賛否以前にそもそも「法律」じゃないです。

 法律というのはキマリごとですが、「AのときはBになる」というのがはっきりしてなければキマリとして意味が無いです。「ホームベースを踏んだら一点」とか「こうなったら役満で○点」とか、「AのときはB」というのが明確になってなければルールとして成立しない。このAを法律要件、Bを法律効果といいます。

 この秘密法は、煎じ詰めれば「むにゃむにゃのときは懲役10年」といってるんだから、Aがわからない。サッカーで「むにゃむにゃのときは1点」というルールがあるようもので、ルールになっていない。特に(2回前に詳説しましたけど)、刑罰というのは人の人生ぶっ壊すくらい強烈なものなんだから、可能な限り明確になってなければならない。それが近代法における大原則です。法治主義というのはなんで必要かといえば、人(王様とか)の気分ひとつで結果が異なることを避けるためのものです。どのくらい大原則かといえば「ジャンケンは同時に出す」「将棋はかわりばんこに指す」というくらいのド原則で、それを守ってないこの法律は、だから実質的な意味でいえば「法律」じゃないよと。

 ということで、「一見法律っぽく見えるなにか」を法律として国会で可決してしまったんだから、世界的にも、もっといえば世界史的にも結構こっ恥ずかしいです。「僕たちアホです」と歴史に残してしまった。昨今話題になったホテルのメニューの偽装と同じで、車海老だと思ったらブラックタイガーでしたみたいなもので、法律のように見せて法律じゃなかったという、今年最大の”偽装”でしょう。

 あるいは、この法律はテロ防止が目的の一つになってますけど、「テロ=恐怖・不安で言うことをきかせること」だすれば、法律そのものがテロ的な性質を帯びます。だって恐いじゃん。いつ何時ひっぱられるかわからんのだもん、言うことをきかざるをえないという。テロを防止するはずのものが実はテロだったという、名探偵が実は真犯人でしたみたいな。これも「偽装」っちゃ偽装ですね。

ゲームの種類が変わった

 今日まで挟み将棋をやっていたのが、今から回り将棋になるようなもので、ゲームのルールが変わったというよりは、ゲームの種類そのものが変わったんじゃないか。

 数回前の喧嘩道入門でも書きましたけど、現在の日本社会ではピカピカに美しい建前の法律があるから、どんなに強者(ブラック企業とか暴力団とか国とか)に攻められようとも、@明るいところに引きずり出して、Aピカピカの法律に照らして裁断してもらえば基本的に勝てる。だから勝負は、いかに明るいところまで引っ張っていけるか、そこで説得的に論証するかでした。もちろん実際にはあちこちで腐敗しているから理屈どおり行かないこともあるけど、でも基本はそれです。法治国家のありがたさです。

 しかし、この法律によって、@もAも封殺される恐れがあります。@公開の場で論証しようにも資料を秘匿されてしまうので難しい、A仮に裁断を仰ぐところまでもっていっても、今度は法律自体がピカピカではなくムニャムニャだからうまくいかない。要するに法律など理屈・建前で最終的に物事が判断されるというOSレベルのセントラル・ドグマが変わってしまったということです。

 理屈で物事が決まらなかったら、どうなるか?行きつくところは「力」の勝負でしょう。「力が強い奴は何をやっても許される」という、北斗の拳の修羅の国のような話になる。ある意味、戦国時代ですね。もっとも@Aがダメでも、Bそもそもこの法律が間違ってるという憲法判断を仰ぐという「最後の聖域」は残されているのですが、しかし、僕らのように喧嘩慣れしている人達は別として、普通の人でそこまで物事を引っ張っていくのは相当に精神力がいるでしょう。

 今日明日直ちにどうなるものではないけど、日本社会の根本OSが書き換えられたって側面はあると思います。

最終的な覇者〜陰険な闘争

 「官僚のため」とか言われますが、「官僚」という名前の人はおらず、具体的にどの省庁の誰に最終的な力が集約されていくかです。あれから色々考えてみて(アバウトな推測にすぎないけど)、戦前に絶大な権力をほこった内務官僚と特高警察の系譜をひく公安警察・検察庁になっていくかな、と。あるいは公安・検察を絶対的な支配下における人物が日本のドンになるのかな、と。

 そしてその実害はなにか?ですが、ここで太平洋戦争がなんであんなになってしまったのか?を考えてみました。なんで最後には「竹槍でB29を落とす」という、オウムも真っ青というカルト集団になってしまったのか?日本人が集団発狂したのか。違うでしょう。その当時でも99%の日本人はある程度はマトモだったと思うし、マトモだからこそ敗戦という驚天動地の事態でも「やっぱね」というクールな受け止め方をした。では、大多数のマトモな人をあそこまで追い詰めたのはなにかです。

 当時の国会議員も官僚も軍人も結構マトモなことを言ってる人が多い。それを黙らされてしまったのは何かといえば、3つあると思います。@現場官僚と財界の利権結託で突出していく方向(関東軍の暴走と満州利権)、A(軍部)官僚による政治支配、B特高警察における一般市民への恫喝と「いじめ」。

 @はちょっとおいておいてAです。当時は、東大並びに軍の高級学校(陸士や海兵)の超エリート達が官僚になったわけですが、内部であれこれ権力闘争や派閥抗争をし、2.26やら5.15で首相や政治家がどんどん殺され、日本国の実質権力を掌握していくのだけど、最後に残ったのは「ずっこい奴」が多い。この種の陰湿な闘争をやると、英雄豪傑賢者の人材は勝ち残れず、ネズミ男みたいな器の小さい、それだけに立ち回りが上手くて卑劣系が残る。太平洋戦争の経緯は、過去の自分の勉強ノートであるESSAY 376/世界史へ(42)第二次世界大戦(2)太平洋戦争を読み直してみて改めて呆れたのですが、開戦に向かっていく経緯がひどすぎる。もうこの時点で統合失調症みたいになってて国が国として機能していない。1939年にアメリカに通商条約破棄を言われた時点でもうアウト(石油の7割をアメリカから輸入してたから)、だから南方の石油資源を取りに行くという話になるのだけど、ここで40年にナチスと同盟を結んだ時点でまたアウト。イギリスにドーバー封鎖されてるナチスにはるばる東方まで援軍を送る余裕はないし、英米の感情を逆なでするだけだし。それも独ソが連携していればこその前提だけど、41年にはもう独ソが喧嘩別れする。ナチスとの同盟に反対したマトモな感覚の持ち主は、山本五十六、米内光政、岡田啓介、鈴木貫太郎、石原莞爾という錚々たるメンツだけど、これだけのメンツを揃えてももう軍官僚には対抗できなくなっている。

 純粋軍事的には42年6月、パールハーバーの半年後、ミッドウェーで制空権の要の空母を失った時点でチェックメイトで、ここで外交的には一刻も早く有利な終戦を目指すべき(この時点だったら結構ワガママも言えた筈)なのに、未練がましくダラダラと戦争をつづける。可哀想なのは前線の兵士と銃後の国民で、インパール作戦では数万人が戦死ではなく「餓死」。100%官僚(ロジスティクスの不備)と現場のボンクラ司令官=軍律厳しい陸軍ですら部下に「鬼畜牟田口」「馬鹿な大将、敵より怖い」と言われた牟田口廉也のミスでしょう。東條英機も、このくらい誰からも愛されないキャラは珍しいというくらい人で、見栄っぱりの嫉妬屋で、「竹槍で勝てるか」と正論を書いた新聞記者(当時のマスコミにも骨のある人はいた)に激怒し、37歳なのに二等兵として徴兵し死ぬに決まってる硫黄島に送ろうとした。さすがに大人げないとして周囲が止めるが、「だったら老兵を沢山取れば文句ないだろ」でさらに250名の老兵を言い訳のためだけに徴兵し、硫黄島で全員戦死。とばっちりで死んだ人達の悔しさはいかばかりか。この東條の下に子ネズミがおり、鈴木貞一、加藤泊治郎、四方諒二、木村兵太郎、佐藤賢了、真田穣一郎、赤松貞雄がまた「三奸四愚」と呼ばれている。これにくらべれば妖怪と言われた辻政信の方が幾分かは人物に見えるという。

 要するに官僚にも軍部にもいくらでも優秀な人材はいたけど、陰湿な官僚闘争になると、最後に残るのは選良ではなく選悪になるということです。絶対そうなるかは分からないけど、古来宮廷政治なんかそんなもんでしょ。彼等は人間的に小粒だから、大局的視野に立てずに国を滅ぼす無能である以上に、やたら感情的でやたら嫉妬深く残忍である。ちょっと馬鹿にされると深く傷ついて、どんな卑劣な手を使っても報復しようとする。こうなるともうパラノイアというか狂人に近くなり、その被害は甚大になる。スターリンがまさにそういう人だったというし、秦の始皇帝の死後に陰険な暴政をふるった宦官の趙高とかもいたな。北斗の拳でいえば、元斗皇拳の章に出てくるジャコウみたいなキャラですね。

 さて日本の官僚は、実は藤原不比等(律令国家)以来、天皇の次にくるくらいの日本の伝統組織であり、大体いつも同じようなことをやってます。明治から戦時中にかけて内務官僚と大蔵官僚が覇権を競っていたけど、軍国化が進むにつれて内務官僚の天下になった。だからGHQも真っ先に内務省を解体し、公職パージをやった。そして戦後日本は大蔵官僚が覇権を握り今日にいたるわけです。

 さて、今回のムニャムニャ秘密法ですが、これは内務官僚=秘密警察系=公安・検察の力の伸張なのだろうか?という仮説です。この10年ばかり検察がかなりトチ狂っているのはご存知の通りだと思います。やれ国策捜査だ、捏造だ、検察審査会がどうのとか。この間、内部において激しい暗闘が行われ、えらいことになっているのかもしれません。

 今回の議事過程においても、普通だったら出てくる自民や公明の造反が少ない。議論も発言もない。これだけの法律モドキなんだから、正論を言えるだけの優秀な議員は沢山おろうに、無言。せいぜい衆院で村上氏が造反し、参院では数的に4名造反しただけ。な〜んか不気味なんですよね。この沈黙はなにか?よっぽどのことなんだろうな。一つには小選挙区制だから次の選挙で公認を得られなかったらまずいという保身。これはわかるけど、この流れからして政界再編を狙う野心家が多少いても不思議ではないけど、でも居ない。だから公認保身以上に、なんかヤバいネタでも握られて、恐怖に縛られているのかな?というイヤな感じもするのです。例えば、猪瀬都知事の5000万円でも、徳洲会には他にも贈っており、そのリストは捜査側(検察)が握っている。そのリストを全て公表して立件できそうなものをコメントすればいいんだけど、そうしない。多分、リストに載ってる政治家や山ほどいると思うのだけど、誰を刺すかは検察や公安の胸先三寸で、絶対の忠誠を誓ったらもみ消してあげるけど、逆らったらどうなるかわかってるよねって脅しがあるのかもしれません。

 ま、わからんけどね。でも、これから秘密ムニャ法でガンガンストーカーやれる大義名分を得てるから、これまで以上に「叩けば埃の出る身体」の埃をゲットすることでしょう。そしてそれをどう使うか。でもって、陰湿な宮廷闘争になって、歴史が示すように、最終的に覇権を握るのは選びぬかれた少人物という救いのない話。

陰険なイジメ社会

 Bは僕ら一般市民の問題です。戦前の特高警察(&憲兵)ですが、これって警察内部でも嫌われていたそうだし、庶民の間でも恐れられてはいたけど決して尊敬されてはいなかった。そして、嵩にかかってひっかける手口「目つきが怪しい」「服装からしてシュギシャだろ」というヤクザの因縁に近いくらいのやりかたでひっぱってきて、そして取り調べとは名ばかりの拷問。昔このあたりを調べていて、拷問の内容の鬼畜度に(太腿に五寸釘打ち込んだり)に吐き気がした。なんでそこまでやるの?捜査のためじゃないでしょう。これ、明らかにエンジョイしている、趣味でやってると思うのです。

 その昔の綾瀬の女子高生コンクリ事件とか名古屋のアベック事件とか、最近では尼崎事件とかありましたが、ああいう普通の神経では理解できないような病的サディストが居ます。人が苦しむのを見るのが好き、人格が崩壊して泣き叫ぶのをみるとゾクゾクするという。これいじめっ子の心理であり、その人が大切にしているものを取り上げてわざわざ目の前で壊してその反応を楽しむという。敢えて恋人の目の前でレイプするような歪んだ連中がいます。悲しいかな、人間が一定数いたら一定の確率でそういう人格類型も生じる。

 あるいは、リア充ルサンチマンというか、肥大したエゴが現実にぶつかってクラッシュし、ねじれてしまって、心がねじり揚げパンみたいになってしまった人。幸せそうな人、正しそうな人、健やかそうな人や風潮が憎らしくて仕方がないという人。

 で、問題は、そういう人に限って特高とかやりたがるという点です。あんな仕事、普通の人だったらやりたくないですよ。一般市民を引っ張って来て殴る蹴るをやる日常なんか、できればやりたくない。だから自ずと特高的、憲兵的な人がやる。嬉々としてやる。これも一種の「適材適所」なんだろうけど、余計にひどいドライブがかかる。


 ということで、軍事国家になるとか戦争になるとか懸念されてますが、僕個人は後述のようにあまりその点は懸念してなくて、最終的に懸念しているのは上も下も陰険な世界になって、その結果「より陰険でより劣悪なる者が天下を取る」ことであり、そのダメージです。Aで国家の大局を誤り、Bで一般市民がイジメ社会に巻き込まれることです。

プロパガンダと知能テスト

 もっとも直ちにそうなるわけではないです。さきほど「力」の論理で決まるようになると書きましたが、一般民衆にも大きな「力」はあります。てか、それこそが最強でしょう。ただし、これはまとまって声を上げないと力にならない。内心で「やだな」と思ってるだけではダメだし、さらにその内心も「ま、別にいいんじゃない、関係ないし」と思い込まされたらそれで終わり。

 ナチスでいえばABがヒムラーさんのゲシュタポのお仕事だとしたら、これは宣伝大臣ゲッペルス閣下のお仕事ですね。マスコミやらネットやらであれこれ正当化が施されているわけですが、これ面白いですね、なんか知能テストみたいで、「以下の文章の論理的な誤りを指摘せよ」という問題集みたい。なんか挑戦されているみたいだから幾つか解いてみましょう。

民主主義は多数決だから文句あるか論

 民主主義=多数決と狭いレベルで決めつけるところにトリックがある。「民主主義」はいろいろな意味があり、もっとも根源的には君主主権→国民主権という権力移動(治者と被治者の自同性)だけど、現代では、代議制自治の有効活用マニュアルという意味があり、今はこっちの方が重要。

 それは「話し合い」の有用性で、あらゆる反対意見、少数意見に語らせることにより、「なるほど、そういう問題があるか」と思わぬ見落としを発見したり、部分的修正を施したりして、より完成度の高い、より誰もがハッピーになれる方策を模索する点、「三人寄れば文殊の知恵」で、他人の意見を聞くともっとよい知恵が出てくるということです。民主主義の原理は「討論と妥協の原理」と言われます。

 それが民主主義にかなっているかどうかは、ちゃんと実のある議論をして、問題点を相互に指摘しあって、説得し、反論し、さらに修正し、さらに指摘し、、、という研磨の過程があるかどうかにかかってます。「話し合い」というのは本来そういうもので、裁判の和解でも、戦争の和睦でも、すりあわせて落とし所に落として手打ちをする。それでもどうしても合意に達しない場合にのみ、交渉決裂で、そこではじめて数の勝負になる。それに至るまでの過程で、原案は改善され、意見を変える者も出てくるし、それをこそ期待しているシステムです。「みんなで賢くなろう」というシステム。

 てか、だからこそ「議会」というものがあるんでしょ。単に多数決だけでことを決めれば良いだけだったら、別に議会とか議論とかいらんもん。多数決だから良いのだという論は、これらの民主主義の本質をことさらにミスリードさせようという、ごくごく初歩的な論理のトリックでしょう。

審議を尽くしたから強行採決ではない論

 44時間とか67時間とか十分やってるというが、普通は200時間は審議するし、実際条文の内容を吟味し、この場合はどうなるかを検討するならそんな時間では足りない。てか、そもそもパブコメは4週間という慣例を無視して2週で打ち切るわ、公聴会の全員反対をも無視するわであり、そこまでのスピードを必要とする合理的根拠もない。質疑を受けているうちに回答内容がコロコロ変わり、そもそも「提案者が法律の内容をよく知らない」という体たらくで「尽くした」などというのは、詭弁を通り超えて強弁といえる。

 そして、この強弁の激しさは、「白を黒と言いくるめ」ようとする姿勢の強さにつながり、ひいてはこの秘密法の懸念=「その気になればいつでもだれでも逮捕できる」=「無理やり容疑をでっち上げる」の「無理やり」度に通じる。

レッテル貼り

 反対しているのは「普通の市民」ではなく、なんでも反対のサヨクとか「特別な人達」というレッテル貼り。これは賛否いずれの立場にも言えるのだけど、またこの問題に限らないんだけど、いい加減この種の幼稚なレッテル貼りは卒業しようぜ。だいたいこんな愚劣なレッテル貼り合戦をやってたら、いったいいつになったら「普通の人」の出番はあるのよ。てか「普通の人」が何かを発言した途端、白だの黒だのとレッテル貼られる。かくして普通の人は、永遠に登場しないという。

 レッテル貼りは「いじめ」の第一段階で、こいつ「くさい」「エンガチョ」とかいうレッテルを貼って攻撃ターゲットにする。複雑な陰影をもつ現実をシンプルな記号に変換することで思考停止に陥れる。人間というのは怠け者だから、出来れば頭をつかわず簡単にわかった気になりたいというところがある。と同時に善悪の倫理観すら麻痺させる。「エンガチョ」というレッテルを貼られた人間は叩いてもいいんだ、イジメてもいいのだとなって、普通だったらやらないようなヒドイことも勢いでやってしまい、ますます事態が面倒くさくなる。

 それに、議論はいうのは当たり前だが立論同士を比較検討するものであり、「誰が言ったか?」というのは関係ない。万有引力の理論を唱えたのがニュートンだろうがコペルニクスだろうが、引力の理論は理論。あとはそれを理性的に検証すれば良いだけの話です。

選挙で選んだから文句いうな論

 国民の参政権は選挙権だけではない。そんな馬鹿なことがあるはずがない。主権者なんだから政治に関するあらゆることが常に出来る。この複雑な現代社会で、語るべき論点は常に十数項目以上に及ぶ。それを数年に一回の択一的投票だけで、国民の意思の全てを表現しろというのは無茶苦茶な話である。自分らの代弁者である代議士を選んだからといって、別に全権委任したわけでもないし、個々の論点では支持者の中でも意見がわかれるのが普通で、その都度みなが意見を言って話し合って、より良い解決策を模索するのが当たり前。それに、そもそも選挙時点で秘密法は公約に乗ってなかったので、委任すらもしていない。

国防のため論

 本気でスパイ防止という点で言えばほとんど無意味である点は前回述べたとおり。一片の法律ごときで機密が守れたら世話はいらない。もう一つ、「そうしないとアメリカが怒るから」「情報を回してくれないから」という点については、なんでもかんでもアメリカにだけ盲従するのが真の国防、リスク管理なのか?という点。これは今から述べます。

コップの中の嵐にすぎない

 とまあ、喧々諤々やっているわけだが、しかし世界全体からみたら、「極東の離島でなんか揉めている」程度の出来事に過ぎない。
 戦争になるとか国防とか言ってること自体が、なんというか「平和」だなあって気がするのです。上から目線の物言いに聞こえるかと思うけど、そうではなく遠くから目線です。距離的にそして時代的なロングスパンとして。

戦争?

 まず先に、戦争について書きます。戦争なんかないでしょ。てか、誰とやるの?どうやるの?

 1989年の冷戦終結後の世界の戦争は、Wikiによると、時系列でエチオピア内戦、リベリア内戦、ルワンダ紛争、湾岸戦争、シエラレオネ紛争、ユーゴスラビア紛争(スロベニア独立戦争、クロアチア戦争、ボスニア紛争、コソボ紛争、マケドニア紛争)、ジブチ内戦、ソマリア内戦、カザマンス紛争、オセチア・イングーシ紛争、アブハジア紛争、アルジェリア紛争、イエメン内戦、第一次チェチェン紛争、ハニーシュ群島紛争、エチオピア・エリトリア国境紛争、東ティモール紛争、コンゴ民主共和国内戦、ポソ宗教戦争、第二次チェチェン紛争、カルギル紛争(カシミール)、インドネシア紛争です。

 このうち、本格的な国と国とのガチの戦争に値するのは湾岸戦争くらいです。あとはほとんどが内戦、ないし国家内部の独立紛争です。要するに「内輪もめ」です。国境紛争も、元を正せば同じ国で独立した後の紛争であり、カシミールなどの印パ紛争も同じ類型です。

 ということで世界史直近4半世紀のトレンドでいえば、戦争といえば家庭内暴力みたいな内輪揉めです。帝国主義の時代のような他国をドドドと攻めていって〜なんて話はない。もっといえば第二次大戦後まで広げても本質的にはそうだといっても過言ではない。その内輪もめに米ソがそれぞれ肩入れして代理戦争しているだけの話で、火種は内戦。ベトナムだってアフガンだってそうでしょう。強いて言えば、イランとイラクとか、イスラエルをめぐる中東戦争くらいかな。

 なぜ本格的な外国との戦争がないのか?これは簡単でしょう、「儲からないから」です。
 人がガチで争うのは、金、意地(感情)、そして女(男)です。国家間においては異性問題はないので、金と意地です。後者の「感情的に許せない」のは内戦や独立紛争として勃発します。骨肉の争いといいますが、同族同士あるいは同国内同士、より近くあるほど激しく争う傾向がある。この点でいえば、日本が将来戦争をするとしたら、沖縄や九州が独立するといって日本国と軍事衝突するような場合(西郷隆盛の西南戦争みたいに)くらいで、それってどれくらいの可能性があるのか?

 そして金です。戦争というのは古来から「金儲けの一手段」です。他国を侵略して国富を奪うこと、植民地として収奪すること、そこに経済的な旨味があるからこそやる。第二次大戦は、古式ゆかしい最後の帝国主義戦争だったけど、近代戦になればなるほど総力戦になり、やればやるほど国が疲弊し、破産し、どうしようもなくなるから、割高だということになった。「やったもん負け」ですわ。

 そうなると儲け方も陰険になってきて、唯一の例外である湾岸戦争は、アメリカにとっての石油利権の確保という銭金モチベーションがあった。しかしそんなことは、石油屋が大統領をやっていたブッシュ親子という特殊性あってのことで、あとは、軍需産業とかその辺がもうかるために在庫使用→新規購入を促すためにやるという。つまりは国は儲からないけど(大損ぶっこくけど)、国の中のごく一部の連中だけが儲けるという図式です。しかし、当時はあんなことが「国際貢献」なんて高らかに語られてたんだよな。

 したがってこの点でも将来日本が戦争をするとしたら、そこにどういうソロバンが弾けるか、です。最もありうるのは尖閣諸島ですが、日本にせよ中国にせよ、あれ占領して儲かるの?海底油田とかいっても、実際に器材を集積してボーリングやってたら数千億円かかるでしょ。それ完成した頃にドカーンと爆撃されたらどうするの?また、海上を警備する人件費と燃料費を考えたらどうよ?採算合うの?という。

 骨肉内戦感情系以外の戦争というのは趣味ではやらない。絶対に誰かがソロバンを弾いている筈です。でなきゃあそこまでのビッグプロジェクトは出来ない。そもそも資金がつづかない。近代戦は総力戦、現代戦はさらに超総力戦で一発やったら国が傾く。後述のようにただでさえ先進国はどこも破産状態なのに、そんなことやる金がどこにあるのか。なけなしのお金を注ぎ込んでどんなリターンがあるのか、コスパ悪すぎだろ。だからこの四半世紀、誰もやらない。多分このフレームワークが変わらない限りこれからもそうでしょう。

 まあ、でも尖閣でドンパチあるのは不思議でもないです。でもそのときは周到に計算しつくされているでしょう。そこでいわゆる「国防」なんですけど、本気で「他国に攻められる」というシュミレーションをし、リスク管理をするならば、多分こんな感じ。

 超最悪の場合は、日本が全世界を敵に回して戦争をする場合。第二次大戦末期みたいに。これ無理でしょ。米中露英仏韓台湾そこら辺を全部ボコれるだけの戦力が日本にあるかといえば無い。今後もないでしょう。本気でやられたら四方八方からありったけの核ミサイルくらい打ち込まれて日本人が絶滅するでしょ。荒唐無稽だけど、一応そこが最悪の線でこれはダメだと。ならばどうするか?ですが、だからアメリカさんを味方につけましょうという戦略が出てくるわけですよね。アメリカという虎の威を借りておけば、キツネも叩かれないだろう。よって対米追従という戦前の国体のような戦後の国体が出てくる。

 でもリスク管理でいえば、@アメリカが絶対裏切らないという保障はない、Aアメリカがいつまでも強大であるという保障もないという二点の問題があります。だから保険をかけておかねばならない。@の点については、アメリカが裏切ったら日本もアメリカに報復措置を施せるようにしておくべきってことになります。アメリカ国債を大量保有しているという点が指摘されたりするのだが、しかし、今は中国の方が持っていて第一位です。国債がアメリカへの切り札になるなら中国のほうが強大であり、アメリカは中国になびくということなり、これでは保険にならない。それに何だかんだいって日本政府にアメリカに喧嘩売る度胸はないけど、中国は何をするかわからない。だからアメリカにとっては中国の方が国債的にも恐いでしょう。じゃあダメじゃん。

 では、他の切り札はあるか?例えば中国を筆頭にアジア諸国と仲良くして、「アメリカ生意気よね、アジア市場から白人なんか排除しちゃいましょうよ」とやるとか。これは実現可能性はともかくある程度効果はあるでしょう。いま一番美味しいアジア市場から撤退させられたらかなりダメージでしょうから。つまり、味方を裏切らせないために味方の敵と仲良くするという、銀座の女の手練手管みたいな。これ実は冷戦時代の労組や革新勢力が図らずもこの役目を担っていたのですね。あんまり日本をいじめるとソ連側に着かれてしまから、アメリカも何かと日本に優しくしてくれていた。でも、いまはそんな構図はないし、そんな勢力もない。

 軍事というのは、ジンギスカンのように圧倒的に軍事力が優越しているのでなければ、外交でほとんど決まると思う。別に軍事マニアでなくても普通に日本史/世界史を見てたらそうなる。日露戦争だって日英同盟がどれだけ大きな役割を果たしたか。対中国戦略にしても、中国と全面ガチ戦争になったら、インド、ロシア、そしてカザフスタンなどの中央アジア、さらにはチベットや契丹族のように中国内部の少数民族に一斉蜂起をしてもらって、内外から攻めてもらうように密約を取り、資金援助をするとか。多分僕が考えるくらいだから当局も考えているし、もしかしたらやっているのかもしれないし、そういうことは「秘密」にしてもらっていいです。全然文句無いです。でも、世間で喧伝されるような国防の局面で、なんでそういう話題にならないの?コクボーと叫んで国旗振ってたって、軍事と外交はクソリアリズムの世界でしょ。

 その意味でいえば、アメリカに全ての秘密を提供する今回の法案のフレームワークは、対アメリカへの保険を自ら叩き壊すようなもので、むしろヤバくない?って気がするのですけどね。生命線を一本に限定するというのは、リスク管理において最もやってはいけないことでしょう。それが切れたら死ぬしか無いんだから。どう転んでもしぶとく生き延びられるように、二重三重にセーフティを張っておくべきじゃないのか。

 同時に他の国からは世界情勢がどう見えているかです。自分が中国の司令官だったらどうするか、アメリカだったらどう動くのが最大利益になるか。他のロシア、ベトナムとかインドあたりからどう見えているか。冷静に見て、今の日本と組むことのメリットはなにか。どんなメリットを日本はどの国に提供できるか。つらつら考えるに、今はどこも中国に大人しく経済市場を提供して欲しい、トチ狂って暴れてもらいたくないと思ってるでしょう。基本は和平路線で、でも無茶言い出したらすかさずパシッとやりたいという友好と牽制です。その牽制役に日本を使おうかと。アメリカなんかはそう考えるんじゃないですかね。

 外人の目でクールに突き放してしまえば、現在から将来の日本って美味しくないです。日本市場も飽和状態だし、参入障壁あるし、高齢化貧困化するし、スケールメリットも1億人程度じゃ中国の十数分の1だし、それもあと30年ちょっともしたら首都圏3000万人がそっくり消滅するくらいの規模で人口減少すると試算されているし、有望な資源は美しい自然とおいしい日本料理だけど、それも放射能ダダ漏れで抜本的措置をする気もなさそうだから、なんか行ったり食べたりするのも気持ち悪いし。だから非道な言い方をすれば、適当にパシリに使って、使い捨てって戦略も冷酷にアリかもしれない。

 一方、アメリカと中国は相互に美味しいものをもっている。中国だってアメリカとガチに戦争したら割に合わないのを知ってるだろうし、アメリカだって戦争すればするほどビンボーになるのは身に沁みているだろうし。でもって、実際、アメリカと中国は、既に共同軍事演習もやってます。2012年にはソマリア沖で合同演習を、今年の9月にはハワイのホノルル沖で、そして先月11月にはまたホノルルで合同演習やってます。もう3回もやってる。とにかく仲がいいんだわ、そして大国の首領同士、どちらも鍛えぬかれているから、腹芸もブラフもお手のものでしょ。

 ただ、どの国も国内に面倒くさい勢力がいます。経済格差が激しくなってブーたれる国民は不満分子になるし、矛先そらせるために適当に仮想敵国を作ったりします。でも煽りすぎて、何もしないと今度は「弱腰だ」とかまた文句を言われるから、適当に「なんか」しないといけない。また、中国のお家の事情は詳しくはわかりませんが、あそこって権力構造は3重になっていて、公式には人民代表会議が最高機関なんだけど、それを誰が仕切るかで中国共産党があり、そして人民解放軍という毛沢東以来の純正血統がある。軍部が強いのでしょうね。それに北京派と上海派がいて、さらに新興の財閥が三国志さながらに群雄割拠していて。だから適当にガス抜き的な「ショー」として尖閣占領くらいはするかもしれませんね。でも、それ以上沖縄に出兵して占領するとか、そこまでは到底やらんでしょう。米軍いるし。だからしょせんはブラフでやるしかないので、カッカきたら負けでしょう。賢いやり方としては、どうせアメリカがパシリとして日本にイケイケと言うだろうから、乗ったフリして尖閣砲撃して、ケ小平がかつて言ったように「もめるくらいなら爆破してしまえ」で本当に無くしてしまえばいいんだと思います。全部海面下になれば領土問題は自然解決ですから。

 ぶっちゃけ、誰も真剣に戦争とか考えてなくて、オオカミ少年みたいに戦争が起きるぞ〜と煽って、その気にさせて、経済や国民の国家統制を強めたいってのが本当のところだと思います。「(戦争)あるある詐欺」みたいな。まあ、一方では、軍事産業が喜ぶとか、アメリカのネオコン系が絵を描いているとかあるでしょう。でもな〜、アメリカでもネオコン系は斜陽でしょうし(大きな潮流として喧嘩で儲ける時代じゃないから)、国策というよりは負け組に転落しつつあるネオコンの誰かが個人的に極東利権をなんとかしてゲットしたいとか、そのために日本政府を手駒に使いたいとか、そのオコボレを期待している国内の人達がいるとか、そんなあたりじゃないですかね。

 ま、一言でいってしまえば、火事場泥棒みたいなものです。

 でも、なんで国の統制色を強めたいか?のもっとも根源的な理由ですが、これもぶっちゃ話は簡単だと思います。「ビンボーだから」でしょう。パイが小さくなっているから、必死こいて奪い合いをしなくてはいけないから。それが大きな流れで、それが遠目目線です。次項に書きます。

その後の現状

 まず事実を幾つか出します。

年金が出ない

 Detroit bankruptcy forges ahead -- who will foot the bill?ということで、デトロイト市の破産申請が通りました。デトロイトの破産はEssay 628:デトロイト市の破綻で紹介したとおりですが、あの時点では破産”申請”で、今回のはその破産申請が正式に裁判所に認められた、ということです。

 細い話をショートカットしていえば、「年金を踏み倒してもいいよ」というお墨付きが出た、ということです。もちろん全部踏み倒すわけではないし、詳細はこれから激しいバトルになるのですけど、年金は絶対の聖域ではない、ということが公式に宣言されています。この衝撃は大きいと思う。

 先進国はどこもビンボーで、経済ぱっとしないわ、少子化だわ、高齢化だわで頭抱えています。このままいけばいつかドボンになる。ドボンになってどうなるのか、まさか国民の年金くらいは何らかの形で手当がなされるんじゃないかという、根拠なんかどこにもないけど、そうあって欲しいという希望的な観測(信仰)がありました。が、デトロイトは世界の先陣を切って、その問題に直面し、「年金(ちょっとしか)出ません!」という老後計画の死刑宣告みたいなことをしたわけです。せざるをえない状況であったのですが、結局助けられなかったという。

 これは対岸の火事ではないです。アメリカの自治体はどこも火の車で、すでに小さなところは幾つも破産してますが、これからもっともっと出るだろうという順番待ち状態にあるといわれています。そこでデトロイトという超弩級の破産というのは、今後の歴史において恰好な先例になるでしょう。ここで年金がどう取り扱われるかが、今後の扱いにおいて大きな意味をもつ。「無い袖は振れない」と言い放てはそれで終わりに出来るのか?といえば、出来るのだ!という辛い話。

 一方、日本の年金ですが、これも考えたくないような状況なのですが、それに追い打ちをかけるように86億円の年金基金消失 投資会社が運用に失敗(朝日新聞:2013年12月1日)という記事が先週ありましたよね。「投資運用会社「プラザアセットマネジメント」(東京都港区)が、投資先の米国ファンドの資金繰り悪化で多額の運用損を抱え、投資家への償還金がゼロになることがわかった。中小の運輸業や建設業など17の年金基金から計86億円を預かっており、年金基金の資産に穴があくことになる。」ということです。去年もAIJが破綻して、100社近くの企業年金、合計2000億円ほどがパーになってます。

 年金といい、資産運用といい、投資顧問といい、要するに集めたお金で博打をうちにいく(ハイリターンを目指して投資をする)わけですから、世界経済のあちこちでシャックリが起きたりすると、ドカーンと地雷を踏むかもしれない。これは生命保険だってそうだし、国民年金だって同じことです。事業団が「有利に運用」することになっているんだけど、視界の悪い昨今の世界経済で、本当に有利に運用なんて出来るのかという。

 この話はこれで終わりです。要旨は、「無理なものは無理というのが現実化した」という一里塚です。儲からないけど借金だけは増えていけばいつかは破綻する。子供でも分かる理屈だけど、あまりにもダークだから考えたくない。でも考えたくなくても、否応なく「いつか」は来るのだというのがデトロイト破産の正式決定のポイントです。戦争なんかよりも、よっぽどこっちの方が差し迫っています。

ギリシャの若年失業率65-75%

 ヤバイことになっている欧州、とくにギリシアですけど、各国の支援でなんとか体裁は整えているものの、事態はやっぱり悪化していました。

 
記事についていたグラフ
 Greek youth unemployment soars to 64.9pc(08 Aug 2013)と今年の8月にギリシャの若年失業率が64.9%になったことが報じられ、さらにYouth unemployment could tear Europe apart, warns WEF(The Telegraph, 15 Nov 2013)と11月には"The financial crisis has seen unemployment soar to record highs in some parts of Europe. The jobless rate is currently 26.6pc in Spain, while in Greece, the rate is 27.6pc. However, the youth unemployment rate is as high as 75pc in some parts of Greece. ギリシャ全体失業率は27.6%だが、若年失業率はある地域では75%にまで達している"と報じられています。

 75%?これって職探しを諦めた人は統計に入ってこないのだとしたら、実際にはほとんど全滅に近いじゃないか。日本でいえば、必死こいて東大出ても、さらに激しい競争を勝ち抜いてやっとコンビニの店員になるようなもの?まあ、出処がテレグラフだから多少割り引いても、しかし、深刻な数値であることに変わりはない。

 なお、ギリシャの若者は700ユーロの手当が欲しいから、敢えて自分からHIV(エイズ)に感染している、急激なHIV増加率(50%)の半分はそれであるという情報が世界のネットに行き交ってますが、調べてみたら誤報です。WHO admits 'erroneous' claim half of new HIV cases in Greece 'self-inflicted for cash'ということで、WHOのレポートの編集ミスです。正しくは、そういう場合もあるかもしれないけど、正確に確認は取れたわけではないと。

 掲示したグラフは、上の記事についていたものですが、ちょっと興味深いです。「経済が悪い」と答えた人の比率が世界で示されているのですが、ギリシャは99%です。それにイギリスの83%が続き、エジプト76%、日本71%、アメリカ65%、ロシア61%です。逆に良いのは突出して中国の10%、ドイツ25%、オーストラリア30%、カナダ32%です。まあ、国によって基準は違うし、メンタル傾向も違うから一概にいえないし、中国なんか結構操作してそうだけど(このあたりが国家的な信頼で、国が情報を隠していると世界的にこう見られるという一例)。下は何が問題ですか?の欄ですが、世界中どこも似たようなものなのが笑えます。「リーダーシップの欠如」なんてどこも似たり寄ったりだし、「ネットで間違った情報が急激に拡散する問題」なんてのも、5(最悪)段階評価の4以上が多い。アジアエリアもそう。

富裕層の資産逃避

 上の二点(年金もうダメ問題と若年失業率問題)でわかるように、先進国はお金がなくて困っています。日本で一番多重債務者は誰かといえば日本国でしょう。アメリカも同じ、ギリシアも同じ、イギリスも多分そう。その理屈は、何度も書いているように稼ぎ頭の国際金融・企業が蝶々のようにひらひらと国境をわたって税金を払ってくれないからです。で、高齢者や失業者などの面倒ばかり国に押し付ける。で、自分らが破綻しそうになるとちゃっかり援助をゲットする。上手なんだわ。

 というわけでお金に困った国家は、鵜の目鷹の目で国民から吸い上げようとします。まあ、いくら吸い上げても、それをクリーンに全部国民に還元するんだったら、それでもいいんだけど、そこでピンハネをしようという人達がいる。まあ、絶対いるよね。天下りにせよ、なんにせよ、ちょっと目を離した隙に第二東名高速(新東名)なんか作ってるし、被災地に総延長370キロという途方もない防波堤をつくろうとして地元の反対を受けていて、安倍ぴょんの奥さんのアッキーにも指摘されているという。もう、ちょっと目を離したら、、、

 しかし、国民から吸い上げるにしても、吸い上げ方があります。僕のようなアリンコ庶民の場合は簡単で、トロール漁法のように消費税を上げれば済む。来年8%、再来年10%。でもって、なあに、NHKネットでも見れるから全員に受信料を義務付けるって?でもって、生活保護法を改正して窓口での水際攻防(受理拒否)を強化したとか。ま、するとは思ってたけど。でも、まあ、庶民レベルは法律的投網的な絞り込みで済む。

 でも、本当に狙いになるのは、持ってる方々でしょう。格差だ貧困だと言われているなか、あまり語られませんが、日本の富裕層も頭を抱えているでしょう。ある意味では彼らが一番ダメージがデカいとも言えます。銀行の名寄せ、マイナンバーと着々と包囲網を作り、さらにはプチ富裕層、普通の中流層をも秘密法でさらに把握しましょうってことですかね?そして段階的に相続税をきつくしていって、徐々に絞り上げるでしょう。持ってる人達にしてみれば、今の国は「貧乏な親戚」「貧乏神」みたいなもので、隙あらばポケットに手を突っ込んで持って行こうとするようなものでしょう。

 日本国財政破綻Safety Net/1142.キャピタルフライト(資産逃避)は無理ではないかというアーティクルには、「国は富裕層の資産防衛策を封じようとしていますが、その背景には、国の税収不足があります。消費税の増税だけでは税収は全然足りない。消費税は2015年に10%となる予定ですが、2020年頃までは再度上げることは難しいでしょう。日本の財政はそれまでもたないかもしれない。かといって法人税を重くすれば企業が国外へ逃げてしまう。残された課税手段には相続税と財産税(資産課税)くらいしかありません。この国には1500兆円ともいわれている個人の金融資産がある。取りあえず相続税で締め上げれば金融資産を少しずつ吸い上げることができる。相続税は二重課税であるとして世界には、ない国も多いのですが、相続税引き下げという世界の潮流に日本だけが逆行しようとしているのです。相続税の負担を大きくすれば、富裕層は資産を国外に逃がそうとしてキャピタルフライト(資産逃避)を考える。いや、もうすでに実施されています。毎年7兆円規模で キャピタルフライトが行われているという説もあります。いずれ庶民レベルに まで拡大する可能性がある。特定の富裕層なら封じ込めは容易だが庶民にまで拡大すると抑止策が難しくなる。それだけは絶対に阻止しなければならないということで、先手を打って、国は対策を構築しつつあります。その後に相続課税強化が始まる。」

 あと海外へ逃避する日本人VSそれを阻止したい日本政府なんてアーティクルもありましたが、資産逃避で検索するとたくさん出てきますよ。香港に現ナマもっていって捕まった話とか、投資顧問に騙された話とか。オーストラリアなんか相続税ないしね、香港、中国、タイ、マレーシア、シンガポールにもない。

 こうやって並べてみて(他にもいくつもあるが)、何となく見えてくるのは、日毎にパイが小さくなる中で、壮大なパイの争奪戦が行われているということです。貧富の格差というのは、国がビンボーになるほど逆に増大します。要はこのドサクサに乗じて、出来るだけ私財を蓄えたい人がいて、出来るだけ権力を掌握したい人達がいて、あの手この手を使っていると。秘密法もその一環なんだろうな。戦争あるある詐欺も、結局はその一つの方法なんだろうなってことです。

 

じゃあどうなるの?どうするの?

 整理すると、まず大きな図式としては、基本的なビンボートレンドのなかで、小さくなるパイをめぐって苛烈な争奪戦が行われている。

 その過程で、美しい建前をとっぱずして力の世界にする。それも英雄豪傑が覇を競うような陽性なものではなく、茶坊主どうしの陰険な宮廷闘争になりそうな勢いがある。かたや庶民的には、「うかつに物が言えない雰囲気」を創りだして、変態サディストみたいな連中が市民をいたぶって遊ぶという、これまたダークな風景が見えてきます。

 でも、それとは別に、ぜーんぜん違った潮流があると思います。これは何度も書いていて恐縮なんだけど、国家そのものが融解していくんじゃないかと。

 現代から将来にかけて国家は強者ではなく「弱者」でしょう。金も能力もないのに背骨がへし折れそうな負担ばかり重くなる。微力な存在に重いタスクを課せば、それは狂いもするだろうし、あれこれセコい画策もするでしょう。無理ないです。

 これを一気に個人のミクロレベルに還元すれば、もうあんまり国に期待してもしょうがないなということです。その能力がないのだから、頼ってもしょうがない。そういう認識は、徐々に広まっていくんじゃないか。これだけ国難ともいうべき状況で未だに投票率が50%かそこらで、日本人の9割がヤンキー化するとか言われ、世界の仕事の殆どがマックジョブになるとかいう趨勢をみると、あれって無気力で無知で、思考停止の家畜化奴隷化が進んでいるというよりも、最初っから期待してない、興味がないって深層心理もあるように思います。

 それは「国家とはなにか」というイデオロギッシュな話というよりは、ユーティリティ(実用品)としての機能限界を迎えているというドライな話だと思います。

 これは稿を改めて書くべきですが、幾つか箇条書きしておきます。

 国家の有用性や存在価値はなにか?国防、治安、経済体制、インフラ、福祉、、などですけど、各個撃破のようにこれまでの意味性が希薄になっている。国防については上述したように戦争して儲ける時代ではない。治安はあるけど、警察が不受理をかましたり、秘密法が特高的に悪用されていけば、むしろ治安が良いのかどうかわからん。それにデトロイトのように警察の給料もでなかったら絵に描いた餅。それぞれのコミュニティで自警団を作ったほうがよっぽど効率的だという話にならんか。

 経済については、いま国は自分の国の経済をコントール出来ません。世界経済という得体のしれないモンスターに翻弄される。為替も株も世界の投資家筋の手のひらの上にある。個々人レベルでも、例えば書店をやっていても、アマゾンというオンライン業者に客を食われる、ヤマダ電機もオンラインに食われる、オンラインだからこの地球上のどこにあるかは関係ない。国家の最強の武器である通貨高権があります(貨幣を発行する権利)。しかし、それとてネット上のビットマネーの進展によってあやしくなっている。

 福祉については年金の基礎部分が浸食されたりするし、わけのわからない過程でなにかが決まる。インフラについては確かに見るべき部分はあるけど、それとて東電など電力業界と国家との関係をみてると、国なんか通さないで自分らだけで発電すればいいんじゃないのって気にもなる。

 だいたい、日本全国からばーっと徴収して、それを中央で集めて、また全国各地に還流させることに意味あるのか、合理的なのかという疑問があります。それを一部の官僚が行っていて、しかも風通しが悪そうなことを考えると、必要なことは各エリアで自給自足的にやっていって、足りない部分は他の集団と取引し、あるいは広く世界レベルで取引してればいいんじゃないか。

 何が悪いかといえば中央の物流センターの機能不全です。パイが収縮するから必死こいて統制強めたり、私財蓄財に走ったり、権力掌握に走ったりという、メリットよりもデメリットのほうが大きなるんじゃないか。

 別の次元での話ですが、こうは思ったことありませんか、「なんでこの人達と同じ「国」をやってないとならないの?」と。日本人の中でも、○○人の中でも意見の違う人は幾らでもいます。その見解の相違、価値観の違い、もう人間としてのなりたちからして違うくらいの差異がある。でも、たまたま地球のとあるエリアに生まれてしまったという宿命によって、同国人として一生過ごさねばならず、またそれが自分のアイデンティティになる。

 交通が不便で、情報はもっと不便に流通しなかった20世紀前半くらいまでは、同じエリアというのは宿命的な意味を持ったでしょう。19世紀の帝国主義時代では国家軍事力がものをいったから集団で集まることにも意味があったでしょう。でも、今はあるのか?これだけ自由にあちこちいけて、これだけ情報が流通しているなか、たまたま同じエリアに生まれ育ったからといって、何から何までそれ一色で染めねばならない合理性はあるのか。

 逆に、同エリアにおける親近性や愛郷心みたいなものはあるでしょう。それは自然なものです。でも、それって自ずと距離的な限界があって、道州制どころか、都道府県すら大きく、せいぜい市町村くらいじゃないですかね?あるいはその中間くらいが、僕らがナチュラルに親しみを感じられるエリアの適正サイズだと思います。江戸時代の藩とか、それ以前の日本の「くに」というのはナチュラルにそのくらいのサイズだったでしょ?いまの愛知県〜静岡県も、もともとは尾張、三河、遠江、駿河に分かれていたじゃないか。

 そのくらいのサイズで、それもたまたまではなく積極的に価値観や個性を標榜したエリアがあって、自由参加で人が入ってきて、それで経済的人生的にやっていけるかというと、今の農業・科学技術だったらいけるんじゃないですか?5万人くらいの規模で自給自足やったら、完璧は無理でもそこそこはいけるんじゃないかなって。

 荒唐無稽なようで、でもそうなっていくような気もするのですよ。コンピューターの世界がそうで、最初はIBMのメインフレームが主流でした。もうビルを建築するみたいに数億円出して洋服ダンスみたいなものを何台も揃えた。ところがマイクロソフトが出てきてネットワークでつないでしまえば「パーソナル」コンピューターで済む。一台20万くらいのを連結しちゃえばそれで済むじゃんって革命的な話になってIBMはいっとき没落した。しかしさすがIBM、時代を対応するのに機敏であり、いまではコンサルティング業として頑張っている。さらにそのネットワーク化を加速したのがグーグルで、デカいコンピューにデータを集めて検索するより、安いPC100万台を連結しちゃえばいいじゃないかになった。さらにFACEBOOKのようにネットワークだけを提供する業者が出てきて、さらにLinkedinのようにその中でもビジネスに特化した「使えるネットワーク」を売ろうとする。

 これに例えていえば、今の国家は昔のIBMのメインフレームみたいなものだと思うのですね。なんでもこれ一つでやろうとするから、巨大化し、巨大化するから官僚化し、そして非効率化し、さらには陰険化(笑)するという。やめたら?と。

 現代の世界的な問題はどこにあるかといえば、新自由主義と呼ばれる資本主義の新型というか、先祖還りというか、先鋭的なとんがった資本主義ですよね。これまでは国家が管理してたけど、軽々と国家の軛を引きちぎって飛翔している。じゃあ、次に来るものはなにか?というと、「新」社会主義みたいなものかなって思うのです。

 社会主義といっても、これまでソ連がやってたようなものではないです。あれって社会主義というよりは官僚主義ですから。官僚とか「中央」をカマさない、その昔の原始共産制みたいな、それにピカピカの最先端の技術と情報を乗っけたもの。資本主義は貨幣を媒介とした等価交換をドグマとするなら、それも大いに認めつつ、でもより広く人間同士の「助け合い」「相身互い」みたいなものを基調としたコミュニティ経済とその世界的ネットワークです。

 ま、早い話が、税金払って、中央でピンハネされて、その残りカスみたいなものを恩着せがましく貰うくらいだったら、最初から自分らで全部やっちゃえばいいじゃん、足りないところだけ連絡を取り合ってうまくやっていけばいいじゃんって発想です。

 まあ、これも今日明日直ちにどうなるものでもないけど、はじめに国家ありきみたいな発想に囚われないほうがいいかなって思うのですね。それに変化があるとしても、それは革命みたいなわかりやすい外科的な変化ではなく、もっと体質変化のような内科的な変化だと思います。国家が崩壊することはないと思いますが、空洞化していったり、融解していったりって感じですかね。

 で、さしあたって自分らはどうすべきですけど、「力の争い」に関して言えば、だったら力を持っちゃえばいいわけですよね。それに「ものを言えない雰囲気」というのも幻想で、だいたいテロというのがそもそも幻想的で、恐怖というのは心の中にある。テロが恐いのは、客観的には超しょぼい軍事力を心理的に1000倍に増幅させるメンタル性にあると思います。

 話を秘密法に戻すならば、もしその弊害を懸念するのであれば、それに対する最も有効な対処法は「ビビらない」ことだと思います。ビビらなかったら、そんなに最初から無茶苦茶できっこないんだから、絵に描いた餅に終わるでしょう。

 戦前みたいになるというけど、昔の日本人は「お上」意識がまだ濃厚にあったし、家制度など抑圧に慣れていた。でも、今は、前回述べたように官僚さんや政治家さんが肥大しきった柔らかで打たれ弱いエゴを持っているように、僕らも肥大したエゴをもってますから。国家が無条件に自分の頭に来ることにムカつくくらいのエゴはある。

 それに火事場泥棒って言いましたけど、戦前は本当に「火事」(戦争)があったわけだし、そこに戦争があってしかるべき経済的裏付けも濃厚にあった。でも今はない。せいぜいが尖閣ブラフ程度でしかない。だから火事だと叫んで「すわっ」となるかもしれないけど、やがて「嘘つくなコノヤロー」的に流れが変わるでしょ。だって実質がないんだから、遅かれ早かれですわ。そうなると、壇ノ浦の平家みたいに潮の流れが変って平家の落ち武者になるでしょう。大陸あたりでひどいことしてた特高警察官などは、一夜明けたら民衆に引きずり出されて八つ裂きにされてたと言いますから。まあ、自己責任ってやつですか。

 と同時に、投票率が50%であるように、50%の力で今の体勢をよりよくするとともに、残りの50%で「その次」を個人的に、あるいは皆で、あれこれ模索すればいいじゃないかって思います。




文責:田村



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