未来はどうなるのか?という「未来学」というのがあるそうです。フューチャオリジー(Futurology)というらしいのですが、色々な人々が色々な手法で色々なことを言っているようですな。むっちゃ大雑把な要約だけど。
未来学に関するWikipedia日本のページは
ココですがちょっとしかなく、
英語版(Future studies)の方がはるかに豊富です。英語版には
未来予測の技法(Futures techniques)が書かれているのですが、これが "Delphi method"にはじまって、Causal layered analysis (CLA)、Environmental scanning、Morphological analysis、Scenario planning、Future history、Monitoring、Content analysisなど色々あります。個々の内容を消化できるほどの知的胃袋は僕にはないのですが。
ふと、気づいたのは未来学における日本語サイトの乏しさです。検索してもあんまり出てこない。Wikipediaの記述だけではなく、全体に少ない。かといって、日本人が未来に興味がないかというと、将来予測本は沢山書店に出回っています。各シンクタンクが発表するものもあれば、「日本は滅亡する」「興隆する」系の”ご託宣”みたいな本は今も山ほど積まれているでしょう。最近は医療や保育系の教育機関で「こども未来学科」というのが増えているようですが、ただの保育科を改称しただけのものもあるようです。
しかし、「学」としては乏しい。世界でもトップクラスの研究者達がガチに人類史的視点に立って何かを言うという感じではない。悔しいことに西欧にはこの系譜があります。トーマスモアの「ユートピア」から、ジョージ・オーウェル(村上春樹の「1Q84」の元ネタとなった「1984年」を書いた人)、「未来の衝撃」「第三の波」「パワーシフト」で有名なアルビン・トフラー、「不確実性の時代」のガルブレイス、ビジネス系書物が日本でも売れまくってるピーター・ドラッカー等々。しかし、この人達が凄いのは遙か以前に予測した著作本が、今なお感銘をもって語られていることでしょう。オーウェルは1903年生まれ、ガルブレイスは1908年生まれ、ドラッカーは1909年生まれ、トフラーはちょっと若いけど1928年生まれです。著作も「未来の衝撃」(1970年)、「不確実性の時代」(1977年)ですから、30-40年前の本です。ちなみに、「不確実性の時代」については、このエッセイでも2002年(10年前だ)に取り上げてます(
Essay59)。
また、この種の地球規模での予測話は、こちらの新聞にもよくコラムや特集記事で出ています。以前にも2004年段階で「これからは中国とインドが軸になる」と記事が出て、「ほお」と思ってここでも紹介してます(
ESSAY 146/今後50年の世界経済 中国vsインド(新聞記事から))。
なぜ日本では未来学が低調なのか
ところで、なんで日本で未来学が低調なのか?これは何となくわかるような気がします。
一つには、日本人の中に「明日も今日と同じ日が続けばいいな」という変化を嫌うメンタリティがあるのでは?という点です。これは農耕民族的な属性なのかどうかわかりませんが、あんまり変わって欲しくないから「未来の変動を予測する」という行為に嬉々として取り組みにくいのかもしれません。せっかく戦後の自由社会になりながらも、見方によっては最も不自由極まる終身雇用制度を、誰から押しつけられたわけでもないのに、自分らで開発しシステム化していく民族としては、将来はあんまり変化して欲しくないのだろうなと。
もっともこれと相反する視点もあります。日本人の精神特性である「無常観」です。平家物語から、方丈記から、四季の移り変わりから、万物は常に流転し、変化するという世界観を持っています。だから変化は当然のこととして織り込み済みではないか?また、時代が変わったときの多重人格者のような日本人の変わり身の早さは異常なくらいです。でも、無常観にしても変化していくことを喜ぶというよりは、ややマイナーな曲調で捉え、哀切の念で受け止めているから、やっぱり変わって欲しくないのかもしれませんね。
農耕民族 VS 狩猟民族的な属性でいえば、狩猟は農耕よりも遙かに未来予測を必要とします。獲物がどちらに逃げるか?という秒単位の予測から、ここ数年山の動物が減っていったから猟場を変えようという中長期の予想まで、長短様々な予測を絶えずしなければなりません。この予測が下手な個人・集団は厳しい淘汰を受けていったでしょう。一方、農耕にも予測は必要ですが、今年は冷えこむとか、台風がそろそろ来るとか比較的ゆっくりしたもので、狩猟のように予測が外れたら食糧ゼロになるという厳しさは少ない。また、農耕における変化は、もっぱら環境変化というゆったりした静的変化ですが、狩りの場合は激しく動き回る動物(魚)を相手にするという動的ダイナミズムがあります。
では武士集団はどうだったか?というと、戦国時代はバリバリ動的だったと思います。あの頃は下克上OK、転職ウェルカムの時代だったので、今と同じように情報が大事でした。「どこが伸びるか」「誰が天下を取るか」で将来有望な殿様に仕えるのが生命線でした。給与も出来高払いのようなもので、戦場では「兜首ひとつ」とかいって、いちいち首をちょん切って腰に結びつけて手柄の証拠をしっかり確保してましたし、恩賞をケチる殿様からはさっさと離れていく。でもって「就活」をする。「拙者、○○様御家中にて徒頭を相務め、その働きにより感状三枚所持いたし候」とか履歴書に書いて「面接」に臨んでいたとか。また、あの頃は情報が価値をもっていた一種の知価社会だったので、忍者というスパイ=「情報産業」が流行りました。面白い時代だったのですね。
ところが江戸時代の泰平の眠りで「無事これ名馬」カルチャーが出来、幕府の役職に就いたら「さよう、しからば、ごもっとも、そうでござるか しかとぞんぜぬ」だけ言っておれば安泰であるという。いわゆる「官僚答弁」であり、日本の官僚カルチャーのルーツがあるのがわかります。だから、ここで変化を求めたり、ワクワクするという精神傾向は断絶してしまいました。むしろその系譜は、紀国屋文左衛門などの商人達に、あるいは平賀源内などの民間学者、さらに「物好き」と言われていた蘭学者・洋学者達に受け継がれ、幕末の貴重な人的資源になっていきます。もっとも、彼らは時代が見えすぎてしまい、佐久間象山のように周囲の日本人が馬鹿に見えて仕方が無く、それもあってか象山は「西洋かぶれ」として暗殺されてしまいます。優秀な蘭学者だった高野長英も、幕府の政策を批判して蛮社の獄で殺されてしまいます。幕末を推進したのは勝海舟のような第二世代、さらにその弟子の坂本竜馬などの第三世代ですね。
それと、日本の場合、未来は「海の彼方からやってくるもの」という、沖縄のニライカナイ(遙か彼方の異界)みたいな体験感覚があるのかもしれませんね。幕末の黒船なんかまさにそうだし、戦後のGHQもそうだし、古くは日本が国家システムらしきもの整備しだした聖徳太子の頃だって、大陸文化(仏教)という”ニライカナイ”の影響力からでした。このように未来とは、ある日突然に「異界」からやってくるならば、予測のしようもなく、また予測しようという気にもならないでしょう。
現代においてはどうか?ですが、相変わらず低調な気がします。将来予測本は多々あるんですけど、もっぱら「日本はどうなる」的なものが多く、視点が狭いというか、浅いというか。思うに、未来がどうなるかは、地球規模・人類史的に考えなくてはわからず、そのためには日常的に当たり前のように地球・人類規模でモノを考えてないと興味もわかないし、精度も低いでしょう。別の言い方をすれば、かつての大英帝国のように世界全部が自分のもの(or利害関係がある)という認識がなければ、次はどうなる?という興味も必要性も生じにくいのでしょう。
もっとも日本における世界企業やシンクタンクなどはかなり真剣に予測しているでしょうし、学界や民間にも優れた考察をもっている日本人も山ほどいるだろうとは予測されます。が、そういう考察を発表する場所も少ないだろうし、それが売れるか?というと売りにくいのだろうなとは思います。メソポタミア文明から滔々と論じる優秀な考察よりも、FXなどの投資にひっかけて円高とか国債暴落とかそういうセンセーショナルな売り方をした方が、まあ、売れるでしょうしね。
未来予測の面白さ
未来予測といっても、10年くらいの近未来を経済的・統計的に推測する比較的よくあるものから、50年100年単位で見ていくもの、さらに1000年単位で遙かに見通すものがあります。一方で占いもあるし、他方で懐かしいノストラダムスのような予言系もあります。あ、世界には似たような予言が山ほどあるらしく、こちらの新聞のコラムで知ったのですが、どっかの予言では去年に世界が滅亡する筈だったそうです。この種の予言は、あまりにも沢山あるので、毎年とは言わないまでも、数年に一回くらいの頻度で人類滅亡が予定されているそうです。
遠未来になるほどSFチックになっていかざるを得ないのですが、でも、そっちの方が面白くもあります。日本の未来形の文献で一番面白いのは、自由奔放に、しかし知的説得力がそれなりにある優秀なSFの世界かもしれません。SFといっても、ロケットやロボットなどのメカニカルな自然科学だけではなく、社会科学や人文科学の要素をふんだんに盛り込んだものも多いです。経済や政治、人々のカルチャーやメンタリティなど。超大河アニメの「銀河英雄伝説」などは、超遠未来を描きつつも、その普遍性はむしろ古代史を見ているようです。宇宙空間の軍事モノでありつつも、本質は「最悪の民主制は、最良の独裁制よりも良いか」という政治哲学アニメだったりもします。
未来というのは、当たり前ですが、この世の全ての要素が同時に存在します。経済学というのはこの世界のなかから、経済という視点だけで切り取ったものですし、物理学というのは物質の特性や成り立ちを、心理学は人間の心理作用という極めて限られた分野での専門知見です。しかし、世界というのは、数百数千と枝分かれしている専門領域の統合体です。いや「学」というほど確立されていない空白領域も多々ありますから、それ以上といっていいでしょう。それらが総体として数十年後にどうなるか?ですから、「そんなもん分かるか!」の世界です。
大体、世界で一番知ってる筈の「自分自身」だって、自分が10年後にはどうなってるか?なんて分からんですもんね。僕だって、将来はオーストラリアに移住して、、なんて、夢にも思ってなかったです。この「夢にも思ってない」なんて事実が入ってきた時点で未来予測はどっか〜んと破綻しますよね。世界人口70億分の1ですら破綻しているのですから、この70億倍なんかわかるわきゃないだろうという。ま、これはレトリックですが、ことほどさように未来というのは全然分からん。
未来予測なんか無理っちゃ無理なのでしょう。しかし、だからこそ面白い!とも言えます。
なんせ世界最強に難しいパズルですから、このパズルを解く面白さがあります。単に物知りなだけではダメで、ありとあらゆる知識をどうミックスし、どうブレンドし、どういう方向に収斂させていくのかになると、芸術家的な感性が必要ということで、一筋縄ではないかない。
そしてこれほど絶対無理級の超難問でありながら、時が経ったら必ず「正解」が出てくる、それも誰もが納得せざるを得ない「現実」という形で出てくるという。
それに考えていく過程で、これまでの知識が単なる死んだ知識ではなく、生きた、使える知識としてアクティベイトしていきます。一見関係ない分野のことが実は相互に密接に関連してたりするので、モノの見方がどんどん鋭くなるという学習効果もあります。
僕がどっかの大企業の採用担当だったら、「50年後の世界と日本はどうなっているか予測して論ぜよ。また、なぜそう予測したかの理由も記せ」という問題を出すだろうなあ。彼がどのくらい世界のことを知っているかが分かるだけではなく、どのくらいの「深さ」と「柔らかさ」でモノを考えられるかという、知性のしなやかさも見ることが出来ます。書かされる方は溜まったもんではないでしょうが、採点する方は面白そうですよね。「ほう〜、なるほどね」とか。
100年スパンの予知の無理度
100年単位になったら、もうどうしようもなく分からんでしょうね。
試みに今から100年前の時代をみてみましょう。この頃は日露戦争(1905)が終って第一次世界大戦(1914)が始まる時代です。丁度100年前の1912年という年は、明治天皇が崩御して明治から大正に移行する年です。夏目漱石が新聞に連載していて、タイタニック号が沈んで、通天閣(初代)が出来て、日本ではじめてタクシー会社が出来て警察犬が採用された年らしいです。中国では孫文が中華民国を宣言し、清朝が終わります。ほお?分かったような分からんような。
さて、この100年前に今の状況をどれだけ予測できたか?というと心もとないです。
まず、この時点で将来的に世界大戦があるんじゃないかな?というのは、まあ、予想可能だったと思います。時代はパラダイムは帝国主義だし、列強はオスマントルコや中国のような老朽化したマンモス級の獲物の争奪戦をやってましたし。
しかし、第二次大戦のあと、米ソの冷戦になることまで予想できたか?というと微妙でしょう。どちらも当時では二流国だし、ロシアなんか革命前夜で崩壊同然でしたもんね。社会主義国なんてものが本当に世界に出来るか、どういう存在になっていくのかも未知数でしょう。
また核兵器なんてものが登場するとは、いくら想像を逞しくしても予想しにくいのではないか。さらに冷戦終了後、世界経済やインターネットなどの現在を予測できたか?というとこれも難しいかも。何と言っても当時の人達にとって、軍事力とカップリングしない世界経済なんて想像できないのではないか。
ちなみに、その10年後の1920年代というのが興味深いです。日本では大正から昭和になる時代で、関東大震災はあるわ、大正デモクラシーで普通選挙になるわ、ラジオやレコードが登場するわ、なかなか賑やかです。特にアメリカの場合、「狂騒の20年代」と言われるそうですが、「古き良きアメリカ」の時代、いわゆるアメリカらしいアメリカが出来あがってくる頃です。ウォール街が出来、クルマや家電製品など「豊かなアメリカ」、チャップリンや、ベイブルースや、ジャズが登場し、ご丁寧にアル・カポネまで出てくるという、なんとなくビジュアルでイメージできる「あのアメリカ」です。でもって20年代の末(29年)に世界恐慌が起きて、以後は憂鬱と殺伐とした30年代になり、そして40年代の世界大戦になるという。
こうしてみると、10年、20年、どうかすると30年くらいは、現在の状況の延長線上にありそうですが、50年スパンになってくると、およそ「予想もつかないモノ」が登場してきそうです。これが出てくるともうダメで、そこから先は新しいパラダイムになっていくのでしょう。
Wikipediaによる今後20年の予測
10-20年は延長線上と書きましたが、ある程度の「延長線」がWikipediaで記されています。
例えば
2020年代とか、
2030年代とかずっと書かれています。しかし2030年代になると2032年に第35回夏季オリンピックがあるとか、2030年に北海道で金環食が観察されるという天文学的な予定事項が多くなり、あんまり参考になりません。
しかし、2010〜20年代はもう少し具体性のある予測が出ています。「ほんとか?」と思うものもありますが、幾つか拾い上げてみましょう。
まず今年の
2012年ですが、来月(2月)にスカイツリーが竣工し、5月21日(日本時間)には金環食が見えるようです。ほお。で、ロンドンオリンピックがあって、築地市場が豊洲に移動し、団塊世代が65歳以上になり高齢化率が急上昇し、熊本が20番目の政令指定都市になる予定らしいです。ほお。
2013年になると、厚生年金支給開始年齢が65歳になる予定らしく、神奈川県藤沢市辻堂に太陽光発電システムを配備した「スマートタウン構想」の街開きが予定されており、「スポーツ祭東京2013」なんてのが開催されるそうです。
それと、NASAによると2013年5月頃には太陽活動の極大期が予測され、約50年ぶりの太陽嵐の発生も懸念されているとか。太陽嵐って何だ?太陽活動が不整脈みたいに一瞬ぶわっと活発になって、いつもよりも余計に電磁波等を放出することらしい。これまでも何度もあり、別段珍しい話ではないのだが、昔に比べて人工衛星や電気器具(GPSや携帯)を遙かに多様している今日、そのあたりが乱れると何かと面倒臭い話になるのではないか?と言われているらしい。アメリカ研究評議会(NRC)は2008年に、全世界で約2兆ドルの被害なんて凄いことを言っている。しかしながら、時期についても影響についても中々確定的なことはいえず(そりゃ、そうだろうな)、そうなってみないと分からないというのは本当のところらしい。まあ、携帯がつながりにくいとかクルマのナビが狂うくらいだったらどってことないけど、飛行機の航行システムが狂ったりするとイヤですね。このあたりは「現実的なSF」(って形容矛盾か、SNF(ノンフィション)とでもいうべきか)みたいな感じ。
2014年ですが、冬期オリンピックがソチであります。ソチってどこだ?ロシアですね。ロシアでもギリギリ欧州に近い黒海に面しているところ。綺麗そうな街ですな。さて、S(N)Fネタとしては、 3月21日に直径1.2キロの小惑星が地球に接近。衝突確率91万分の1だそうです。91万分の1だからまず大丈夫だけど、万が一(×91)の不運で衝突したら、1.2キロって結構デカいから、どこがぶつかるかわからないけど、大変なことになるでしょう。でもって、ブラジルワールドカップですね。で、知らなかったのですが、大阪では阿倍野ターミナルビルが完成し日本で一番高いビルになるそうです。へえ。北陸新幹線(長野〜金沢)完成。ほお、北陸新幹線って
こういうルートを通るのか。でもって、中央リニア新幹線が2014年度中に着工予定、だそうです。1970年の万博でも話題になっていたリニア、もう半世紀も何やってんねんって感じですが、本当に出来るんだろうか、、、。
ときに、「地域インターネットレジストリ(RIR)におけるIPv4アドレス在庫の全地域での枯渇が予測される」そうです。IPアドレス枯渇問題というらしいのですが、全然知らんかった。知ってました?解説ばーっと読んでもよく分からなかったです。なんかこれって「予測」というよりも、ただのお勉強ですが、なかなか面白いので、もうちょっと続けてみます。
2015年には、北海道新幹線(新青森駅〜新函館駅)が開通予定だそうです。仙台市では地下鉄東西線開業予定だそうで、地震後の仙台、頑張って賑わって欲しいです。一方、 米ゼネラルモーターズの燃料電池車生産が年間100万台に?と「?」つきですが書かれています。しかし、そもそも「燃料電池って何?」という基本的なことが分かっていないことが発覚しました。さっそく勉強です。こういう
学習サイトがありました。電池には、普通に使っている蓄電池、太陽電池、そして燃料電池があるそうです。蓄電池が発生した電気を溜めておく容れ物みたいなもの(そんな理解でいいのか)なのに対し、燃料電池は発電をする電池だそうです。原理(電気分解の逆をやれば電気が発生する)は100年以上前から分かっていたようですがコストが高く、まず宇宙開発で活用され、さらに今日では電気自動車や携帯などで実用化が進んでいるようです。
2016年になると、日本で民間宇宙旅行開始の予定、となってますが、これは「ほんとか?」ですね。で、この年に、ブラジル(リオデジャネイロ)でオリンピック開催。
2017年 は、国民年金保険料はこの年までに月額16,900円の水準に引き上げられ、以降は物価水準に連動。会社員の厚生年金保険料は18.3%に達し、以降は徴収率は固定されるそうです。といってもピンとこないのですが、2012年4月段階で国民年金は15,540円、厚生年金は2004年の13.58%(労使折半)から毎年0.354%ずつ引き上げられ2017年に18.3%になるということです。宇宙旅行とは打って変わって現実的な話題ですが、あと5年間着実に上がり続けるのは、この経済情勢ではキツい反面、そんな程度で何とかなるんか?という疑問もあります。まあ、年金は技術的な事柄が多すぎて、簡単に論じられませんが。
ちなみに、2017年までの中国は人を月に送り込む予定があるそうですが、これも「ほんとか?」ですね。経済的には出来るかしらんけど、技術的にどうなの?そんな必要あるの?と。
2018年になると、冬期オリンピックが平昌で行われます。平昌ってどこ?というと韓国だそうです。ピョンチャンと読むそうです。冬期の場所って本当にわからんですよね。また、この年、ロシアでワールドカップが開催されます。ブラジルに続いてロシアということで、BRICSの順番どおりです。
2019年には、インドの人口が中国を超え世界一になることが予想されています。人数が多ければ良いというものではないけど、一つの曲がり角にはなるような気がします。2010年代は中国、そして2020年代はインドというシフトが進んでいくのかどうか。
さらに2020年代に入ると、
2020年 には、この頃までにはコンピューターのIC(集積回路)のミクロ化が限界になるらしく、それに備えて別の種類のコンピューター、スピントロニクスや量子コンピュータが研究されているそうです。内容的には全然わかりませんが(^_^)、これも一つの目安になるでしょう。次世代コンピューターの覇権を握るのは、さて世界のどこか。
一方、エコ関係では、2020年までにEUは、総発電量の20%を自然エネルギーで賄う計画らしいです。昨今の経済情勢でどこまで頑張れるかですが、日本の民主党の2009年のマニフェストでは、CO2ガスの排出量をこの年までに1990年比で25%の削減を目指すそうです。また、日本の高齢者世帯が、全世帯の30%に達するのもこの年です。
2021年には、エコ関係の話題として、ドイツの全原発が稼働を停止する予定だそうです。予定ですけど。
なお、この年、韓国の人口も減少をはじめるそうですが、日本の若年人口減の方がより進んで、学生数の不足に伴って、この年までに日本の大学のうち60校が廃校に追い込まれる、という予測が書かれてます。しかし、僕思うにもっと多いのではないかな。今日本の大学はやたら増えまくって750校前後あるらしく、なんぼなんでも多すぎでしょう?オーストラリアなんか40校あるかどうかなのに。2021年までに60校というのは、あと10年で10%も潰れないわけで、そんな比率では済まないと思います。
2022年には、日本の総電力需要がピークになるらしいのですが、人口減とピークが違うのはなぜなんだろう。また、この頃から、団塊の世代(1947年から1949年の間に生まれた世代)が後期高齢者(75歳以上)となり、社会保障費が著しく増大するらしいです。ちなみに、この年、ワールドカップが中東カタールで開催。
2023年には、厚生年金保険料率の物価水準連動の期限と書いてあるのですが、これ、調べても意味分からなかったです。が、そんな11年先の問題よりも、10年前(2000〜2002年)にデフレなのに支給額を下げなかった特例措置を当時の自公政権が作ったため、実際よりも2.5%支給額が多いという問題があるそうです。既に累計7兆円も払いすぎてるらしく、即刻下げるべしという政府(小宮山厚労大臣)の意向に対し、お役所は「3年がかりで段階的に」という軟着陸を目指し、それでも受給者の反発は確実だそうです。これ、予測ではなく、去年11月23日の記事です(
年金給付の減額検討 厚労相、仕分け提言踏まえ/朝日新聞)。
ところで、この年、ロシアがいわゆる宇宙ゴミ(スペースデブリ)の回収を開始するそうです。宇宙(というか大気圏内外の衛星軌道空間)は広いようで狭く、過去の人工衛星やら部品やら破片やらが散在し、そのトータルは4500トンもあるそうな。これらはランダムに散逸しているので回収が難しい。しかし、無茶苦茶な高速で移動している(秒速3キロ以上とか)ので運動エネルギーは凄まじく、もう砲弾と同じようなものであり、宇宙船や人工衛星がぶつかったらただではすまない。10センチ大でも宇宙船は大破するそうで、笑い事ではないそうです。頭の痛い問題がここにもあるわけですね。
2024年 ですが、韓国はこの年までに14基の原発を新設する予定だそうですが、この予定はまだ生きているのかしらん?フクシマ以前/以後でガラリと変わったから。一方アメリカでは、風力発電によって本国東海岸地域の総消費電力の20%を供給できると見込んでいるそうです。
2025年 ですが、「昭和100年問題」というのがあって、2000年のY2Kのように官公庁や金融機関などのソフトの誤動作が危惧されているようですって、あと13年も猶予があるのに何とかならんのかしら。なお、リチウムイオン二次電池の世界需要が2008年比で約100倍に拡大するそうですが、これも解説読んでも専門的すぎてよう分からんかったです。宿題ね。また「三菱総研は、日本が海資源により年間2000万キロリットルのバイオエタノール、年間1950トンのウランを生産していると見込んでいる」となっていますが、これも宿題だな。それより分かりやすいのは、この年に日本の人口が1億2000万人を切るということです。しかし、減る減るいっててこんなペースか。
2026年は、 丙午(ひのえうま)で通例出生がドカンと下がるが、既に出生数そのものが減ってるので、過去の丙午ほど影響はないだろうとのこと。というか、この頃まで丙午がどうのという発想(この年に生まれた女性は気性が激しく、夫を尻に敷き、その命を縮め、死後には妖怪になるという凄い迷信)が続いているのか(60年に一回で、直近は1966年だし)、そっちの方が疑問。
なお、大正時代に生まれた者がこの年から全員100歳以上になるそうです。この頃の平均寿命はどうなってるんでしょうねえ。
2027年 は、私学共済が厚生年金に統合され、リニア中央新幹線が東京(品川駅)・名古屋間で開業予定で、東京から名古屋までが最速40分で結ばれるそうです。そうなるのかなあ。なってどうする?という気もしないでもないが。あ、そか、輸出すればいいのか。
2028年 には、インドが中国を抜いて世界1位の人口になると予想されているって書いてあるけど、これって2019年にも書いてあったよな。まあ、色々な予測があるということなんだろうけど、10年もズレるわけ?
また、この年の10月28日に直径1.6キロの小惑星が地球をかすめるそうです。さらに、
2029年の4月13日には、直径400メートルの小惑星アポフィスが地球に接近。衝突確率2万6千分の1(2007年10月23日現在)だそうです。この種の天体観測系は、ビシッと予測が出来ます。が、衝突確率がいくらとかいうのは、近づくことまでは正確に予測できてもぶつかるかどうかは予測できないんだ。まあ、途方もない距離を進んでくるから、途中であれこれ影響を受け、変数が多くなるのでしょう。でも、「1.6キロの小惑星」というのは見てみたいですね。どんな風に見えるのだろうか。今から16年後か。あ、でも、再来年にも一つ来るんだった。
ここから先になってくると、あんまり面白い記載がありません。先過ぎるのでしょう。
当てずっぽうの推測
Wikiで遊んでいるうちに長くなってしましました。しかし、こうして「ほぼ確実」のような事ばかり並べてても、ふわっと離陸しないので、お勉強にはなるけどワクワクはしません。ただ「着々と進行する」物事は、泣いても笑っても着々と進行するんだよなあって恐さはあります。高齢化にせよ、年金にせよ。
では最後に、ふわっと離陸してみましょう。あと50年〜100年で世界はどうなるか、です。
まず予想されるパターンAとパターンBがあると思います。Aはこのまま進んでいったらどうなるかであり、Bは何か「予想も出来ないこと」「現時点ではほぼ無理だと思われていること」が現実化してしまい、まったく違うシナリオに進んでいく場合です。
Aについては、ベースラインとしては現在の趨勢のまま世界の標準化が進んでいくとして、シンガポール、中国、インド、ロシア、ブラジルがそれぞれ先進国水準に近づき、そして先進国病にかかっていくということですね。怒濤の成長が一段落したら、今度は追われる者のしんどさに悩むようになる。国内の産業は、より賃金の安い国々に逃げ出す空洞化が起き、高齢化や少子化になる。そうなると、もともとはバラバラでまとまりが悪い各国はどうなるか?です。まとまりが悪いからこそ、これまで成長が遅れてきたわけですから。
一方、成長パターンですが、シンガポールや中国は華僑、インドは印僑という国際的な遊撃隊を持っています。シンガポールやその付け根のマレーシアなんか華僑と印僑が国を作ってるようなものです。だから彼らの経済成長というのは、日本が拠点をあくまで母国に定めるのとは違った形でのびるんじゃなかろか。つまりは世界に拡散していく。アメリカのグーグルやアップルが成長しようが国内の失業は深刻であるように、国力そのものがかつての日本のように一本調子で増強するかどうかは分からんです。ともあれ自国内が世界有数の大市場でもあるから国内でも頑張るだろうけど、成功して金持ちになるとどんどん国外に行ってしまうというキャピタルフライトもあるでしょう。現に中国なんかそうなってるみたいですが。ですので、彼らの成長と国それ自体の増強は、ただちにイコールになるものでもないだろうなと。
他方、日本を含む先進国はどうなるか?です。グローバリゼーションの進展によって斜陽化がほぼ宿命づけられているわけですが、このままジリ貧ジリ貧でズルズルと無限に落ちていくのを黙ってみているのか?と。あの誇り高いというか、傲慢な西欧系の連中が黙って引っ込んでいるのか?というと、そうも思いがたいです。何らかの巻き返しがあるだろうし、巻き返しの努力はなされるでしょうが、何をどうやってやるのか?ですね。
一方では、経済成長=企業成長みたいな現在のシステムだと、企業はどんどん世界的に合従連衡し、いったいどこの企業かも分からなくなるでしょう。そして企業は伸びるけど国は伸びないという状況が続くと、ひたすら成長を目指す企業という勢力と、失業者や高齢者の面倒を任された国家という勢力とが徐々に敵対関係になっていくかもしれない。これまでの国と企業群とが二人三脚的に成長し、利害を共にするという感覚が中々抜けきれないわけで、だからこそTPPだのブロック経済だの論じてるわけですが、国と経済が遊離していったら、そういう感覚自体が時代後れになっていくかもしれません。一家の稼ぎ頭になって、バンバン稼ぎ、キャリア一筋に邁進する息子や娘がいるのだけど、家には帰ってこないわ、子供の面倒は年老いた両親に任せきりだわで、家族の方も「いい加減にしろ」という気分になるという。
もっとも、国と企業が対立関係になるのを引き留める要素としては資源があると思います。資源不足が予測される昨今、中国首脳部は、かなり前から営業マンと化して世界中にあっちゃこっちゃに資源の買い付けや、共同開発なんぞに唾付けに走ってます。こういう巨大プロジェクトや条約などについては、やっぱり国家という器があった方がやりやすい。
人々のメンタリティやカルチャーはどうなるかというと、成長余力の少なさが人々のメンタルに影響を与えるでしょう。これはかつて何度か書いてますが、エネルギー問題が出てくるとメンタルが停滞するという世界史の例によれば、イケイケ時代から停滞の中世的なものになっていく。あとで述べるエネルギーでのブレイクスルーがないと、頑張りたくても頑張るフィールドが乏しいことで、物心的なものから精神的なものに興味がシフトしていく。中世的な、スピリチャルでオカルティックなことが流行るようになるし、生き方哲学や宗教といった人文的なものが新たな意味をもっていくでしょう。
森林があったら、それを開拓して大農場にしたり、レジャーランドを作ったり、土地転がしをして儲けるよりは(客も買い手も見込めないし)、森林は森林のままにして、そこにエルフだの妖精が住むように思ったりというグリム童話的な世界観、ロード・オブ・ザ・リングス的なテイストが強くなっていくかもしれないということです。
世界が段々標準化し、それほど強烈な格差や違いがなくなり、何処にいても同じようなレベルでの消費生活を送れ、経済成長が人生を規定せず、国家もまた経済成長を第一目的にしなくなっていくとするなら、近代以降の「国家」というツールは徐々に衰退し、その代わり、気の合った人々、価値観やライフスタイルを共にする人々の生活共同体のような部族社会化していくかもしれません。かつて、ドイツからオーストリアまでの広大なゲルマンの森が数百の諸侯に分かれ、ボヘミアンがいたり、ジプシーが旅をしてたように。それなりの文化生活を営みつつも、国家組織としては神聖ローマ帝国という、神聖でもローマでも帝国でもないとヴォルテールが喝破したような、国なんだかどうかもよく分からないようなものにうっすら覆われるようになるかもしれない。
例えば日本だったら、いわゆる「日本的なるもの」、それは生成(きなり)の文化であり、わびさびであり、自然との一体化であり、日常の立居振舞や生活道具という部分に固有の「美」を見つけ、磨き抜いていくような生き方だったりしますが、そういうのが好きな人が世界から集まる。それは昔の日本の各地に「小京都」と文化エリアが発生し、そういうのが好きな人が移り住んでいったような、それが世界規模で色々と起きてくるんじゃないかなと。19世紀的な「国家」の意味が薄れると、帝国主義に毒されていた「民族」という意味も徐々に脱色し、本来のほんわかしたものに回帰するかもしれない。つまりは、国家、経済、成長という産業革命以降の「呪」が徐々に薄れていくかもね、ということです。
一方、「予想もしないこと」というワイルドカードBですが、予想もしないことを予想するのは矛盾なのですが(^_^)、思いつくのは二つ。一つは、科学技術のクァンタムリープ(大飛躍)です。革命的な進展があるかどうか。僕が思うのは、夢物語だけどエネルギー革命と環境革命。前にも書いたけど、おとぎ話の常温核融合とかね。原発のような核分裂ではなく核融合。要するに太陽です。熱核融合で途方もないエネルギーを数十億年発し続ける凄まじいエネルギー発生装置。もちろんあれと同じものなんか出来るわけないし、1億度とかアホみたいな温度が必要だけど、これを常温で出来たら凄まじいです。コップ一杯で全人類のエネルギーをまかなえるという。
まあ、それに類するようなドカーンという発見です。実用化できるかどうかは別問題として、ライト兄弟が飛行機を飛ばしたときみたいに、「うそ!出来るじゃん」と色めき立ったら人類は何が何でも実現しますし、誰もがそう思った瞬間に歴史のパラダイムは変わるでしょう。地球の自転、公転、潮汐力、重力、、、自然界はエネルギーに満ちており、それをコントロールする技術を得てきたら、これまでの化石燃料体系は一変するでしょう。「昔は、ご苦労なことに穴ボコ掘って化石を掘り出して燃やしてたんだよ」なんて言われるようになる。無料同然のエネルギーが無尽蔵に使えるとなったら、再び宇宙開発競争になるかもしれんし、「これが出来るならあれも」と錬金術のようにどんどん欲に火が付く。
もう一つは、光合成が人工で安価に出来ることです。これは何かで読んだのですが、そのへんの雑草ですらやってる光合成ですが、めちゃくちゃ複雑なプロセスらしく、いまだによく分かってないそうです。これを人工で出来たとか出来ないとかいうのが去年あたり報道されてたらしいですが、これが出来たら凄いです。光エネルギーという無料同然のものを利用して、二酸化炭素から酸素に変えていくのですから。これが大々的に出来たらCO2関係の環境問題は解決の目処がつき、これでまた歴史のトレンドが変わる。
もう一つのワイルドカードBは、戦争です。どことどこがどうやって戦争するのかさっぱり見当もつきませんが、経済や企業の尻拭りばかりさせられている国家が段々とブチ切れてきて、国家らしさを発揮するためにだけに喧嘩や荒っぽい言動に走るという。まあ、これだけだったら「趣味の戦争」みたいにリアリティがないのですが、経済不況が深刻化し、しかも波打つように恐慌レベルの出来事が起きると、国内失業者は増大し、生活不安どころか、飢えが襲う。そうなると、ファシズムのように、シンプルで、力強く、頼もしい主張(しかし無茶苦茶な)が持て囃される。奇しくも中世的な精神的価値観が重きを置かれるようになると、一歩間違えたら十字軍みたいな愚かなことをしないとも限らない。現にやってるわけだし、どこの国だって似たような前科があるし。
かくして、何のために何をやっているのか分からないという人類史上に最大に無意味な戦争が起きるかもしれない。それだったらまだ資源や食糧獲得を巡って喧嘩している方が意味性があるのですが、いずれにせよ戦争だけは避けたいです。ほんっと無意味だし。だけど、過去の歴史を見てても、計算尽くでやってるのは、絶対勝てるという部分的な侵略とその防衛だけで、がっぷり四つの「戦争」になると、結構気分に左右されています。日露戦争後の日本の大陸侵略も、確たる勝算や国際政治の根回しをしてやってるわけでも何でもなく、かなり「気分」でやってますので、あれだって趣味の戦争と言えなくもない。だから恐いんですよね。
この種の当て推量はいくらでも続くのですが、キリがないのでこのへんで。
文責:田村