今週の1枚(07.05.14)
ESSAY 310 : レバノン=岐阜県
写真は、意外と知られていない Light Rail のGlebe駅。
今週は世界のお勉強、レバノン編です。
別に秘密の情報でもなんでもないのだけど、知ってるようで全然知らない。知ってるだけでずいぶんと世界の見方が変わるような話を。
日本のことを、僕らはよく「極東のちっぽけな島国」という言い方をしたりします。周囲をアメリカ、ロシア、中国に囲まれていたら、いかにもそんな気分になりますが、それ以外の国々と比べてみた場合、日本の領土というのはそれほど小さなわけではないです。意外にも結構大きいです。
レバノン=岐阜県(面積)
いきなり何を言い出すかというと、地図や統計データーを突き合わせていくと、こういう事実が判明するわけです。レバノンが日本と同じ大きさとか、日本よりも多少小さいという話ではないです。それどころか日本の都道府県の一つ岐阜県の面積&人口とレバノン一国がほぼ等しいです。先日、世界統計をつらつらと見ててたら、そのことを発見し、「うそ?マジ!?」と思ったわけです。そのことが今回のエッセイの発端なのですが。
もうちょっと詳しく説明しますね。総務庁の世界統計年鑑によれば、レバノンの面積は1万0400平方キロ。人口は212万人です。これはびっくりするくらい小さな数字です。
一方、日本の面積は、小学校の頃に覚えさせられたと思いますが、37万7899平方キロ、約38万ですね。人口は1億2768万人。だから、レバノンの大きさというのは日本の38分の1。人口は60分の1。レバノン=日本の一つの都道府県くらいです。
ここで、日本の各都道府県の人口&面積データは、例えばココにあります。これを見てめぼしいサイズを探すと、だいたい岐阜県がレバノンと同じだということが分かります。岐阜県の人口は210万人、面積は1万621平方キロですから。
ただし、上記統計のレバノン人口のセンサス資料はかなり古く(70年)、現在は370万人とか460万人とかいう数字もあります。なんせ大量の難民が入ってきたり&出ていったり、外国の武力勢力が入り込んできたり、やたら人の出入りが激しいので正確な人数はつかめないのでしょう。だから最後の平和な時期にとったセンサスくらいしか確かな数字がないのでしょうね。したがって面積は岐阜県と同じだけど、人口は多分岐阜県よりも多いんじゃないかな?ってところだと思います。
右にフリーの地図をもとに僕が加工した地図を掲示します。
社会科の地図でおなじみの、同じ緯度、同じ縮尺の日本も横にくっつけておきます。これで見ると一目瞭然でしょう。日本というのはヨーロッパに持ってくると結構大きいし、レバノンという国は意外に小さいということが分かると思います。
さて、ここで、なぜレバノン?というと、別に深い理由はないのですが、僕ら日本人はレバノンのこと知らなさすぎだから、敢えて取り上げてみました。僕もオーストラリアに来るまではレバノンの知識なんかゼロに近かったのですが、シドニーにはレバノン系の住人がたくさん住んでますし、その存在感は大きいです。レバノン人やレバノン料理のことを「レバニーズ(Lebanese)」といいますが(ジャパン→ジャパニーズと同じ変化ですね)、最初聞いたときは、「なに、それ?レバニラ炒めみたいなの?」と思ったくらいです。
オーストラリアには中東系住人やベトナム系住人が非常に多いです。もともと移民で成り立ってる国ですから、世界各国の人がいて当たり前なのですが、前者はパレスチナ難民など中東紛争からの難民を、後者はベトナム戦争その他のインドシナ難民をオーストラリアが広く受け入れてきたという点も大きいでしょう。日本も他の先進国並みに難民を受け入れていれば、レバノン系やベトナム系の人が日本社会に沢山いることになっただろうし、ここまでレバノンのことを知らないってこともなかったでしょう。逆に言えば、国際協力をあんまりしてないから知らないってことであり、知らないことは二重の意味で恥ずかしいことだという考え方もありえるでしょう。
ちなみに、問題の根源・日本の難民制度・難民政策という文献によると、日本の難民受入れは、ベトナム戦争後のアメリカの強力な要請で80年代前半に8000人強のインドシナ難民を受け入れましたが、80年代後半以降には激減し、直近10年で受け入れた総数はわずか49人。G7構成各国のうち、日本の難民受入数を1とした場合の各国の受入数は、最低がイタリアで75です。それでも75倍も受け入れてます。最高がアメリカ909人、カナダ635人、ドイツ592人、イギリス463人、フランス235人です。アメリカも傲慢で鬱陶しい国ですけど、それでも日本の1000倍近くの難民を受け入れているわけで、やることはやってるわけです。
それはさておき、レバノンについてあまり知らないなら、聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥ということで、遅まきながらも調べましょう。
レバノンの首都はベイルート。ベイルートという都市名にはなじみがありますよね。1970年代後半には、日本赤軍が活動の拠点にしていたのもベイルートです。先日のイスラエル対レバノンのヒズボラの戦争もそうでしたが、どうもこのあたりの地域は、戦乱のキナ臭さがついてまわりますが、そもそもなんであのあたりは年中ドンパチやっているのでしょうか?パレスチナ難民とはなぜ生じたのでしょうか、そもそもパレスチナってなあに?と。この周辺の基礎知識、つまりなぜ中東はいつも喧嘩ばっかりやってるのか?ということは、世界に出る以上最低限の常識として知っておいた方がいいかもしれない。「日本に住むなら、東京が首都だということくらい知っておけ」というレベルの話として。
まずレバノンのイメージを一新させましょう。レバノンとか中東というと、カラカラに乾いた平べったい砂漠で、砂嵐が巻き起こってる画像を想像しがちですが、全然違います。レバノンに砂漠はありません。それどころか、標高2500〜3000メートルクラスの二つの山脈を有する山国です。水も豊富。「レバノン」というのはアラビア語で「白くなる」ことらしく、雪をいただいた山々を指していたのだとも言われます。つまり、日本でいえば、日本アルプスを有する長野県や、それこそ飛騨高山や下呂温泉を有する岐阜県を考えてもらえば近いでしょう。ローマ遺跡も多く世界遺産に登録され、高原野菜も栽培され、風光明媚で、地中海に面しているので温暖です。国旗のデザインになってるようにレバノン杉が名物だったりします。まず、このあたりでイメージが180度変わりますよね。
もともとキリスト教徒も多く、第一次大戦後にフランスの委任統治下にあったことから、アラビア語が公用語ながら、フランス語も結構通じるらしいです。首都ベイルートは「中東のパリ」とまで呼ばれた美しい町で、流行に敏感であり、レバノン内戦時でもファンションショーをやっていたというエピソードがあるくらいです。ヨーロッパのリゾート地としても有名であり、また自由貿易港として香港のように金融も発達しました。
美しく豊かな国だったはずのレバノンなのに、なぜこんなにドンパチやるようになったかというと------、1943年のレバノン独立から30年くらいは比較的平穏な日々が続いていたのですが、1975年から始まったレバノン内戦、そしてイスラエルとの一連の中東戦争によりグチャグチャになってしまっています。さらになぜレバノン内戦は起きたのか?なぜイスラエルとモメているのか?というと、これはもう世界の近現代史の共通する特徴ですが、「大国のエゴ」です。古くは西欧諸国の帝国主義と植民地政策、のちに米ソ(&中国)の冷戦構造。近代の世界史は、ほとんどこれで説明できてしまうように思います。
レバノンで内戦が始まった遠因はフランスでしょう。本来、国や民族というものは、長年の蓄積によって自然と住み分けが出来ていて、そこに言語やカルチャー、産業などが花開き、それなりに安定しています。それを大国が勝手に「はい、ココからココまで」と勝手に国境線を引き、異民族異文化を強引に一つの国にして支配しようとするから後日の紛争の火種になる。レバノンにおいてもしかりで、本来レバノンというエリアは現在の領土よりもずっと小さいエリアらしいです(小レバノンというらしい)。ところが第一大戦後宗主国となったフランスは、一枚岩で団結されて独立運動されるのを嫌い、本来レバノンではないエリアもレバノンに含めて勢力の分断を計ったわけです。そのためレバノンという国家そのものが人工的なものになり、本来種々の宗派の絶妙なバランスで成り立っていたレバノンは、かなり危うい勢力均衡になってしまったのですね。エリアによって宗教も違えば、生活様式も違う、国への帰属意識も違う。こんな不安定な状況が長続きするわけもなく、内戦が始まったのですね。
さらに隣国イスラエル。これもそもそもの建国の経緯からしてヒドイ話で、遠因は第一大戦のイギリスの三枚舌から始まります。当時のオスマントルコ帝国を打倒するため、領土下にいるアラブ人に団結するようにそそのかし(その諜報員として活躍したのがアラビアのロレンス)、またお金がないからユダヤ系のロスチャイルド家に「お金くれたら悲願だったユダヤ人の国を作ってあげるよ」といい、さらに同じ連合国内のフランスとロシアとは「勝ったときは仲良く領土分割しましょう」と話をもちかけているという。大戦の結果、現在のヨルダンをも含む「パレスチナ」はイギリスの委任統治になり、約束の通りこの地にユダヤ人の入植者を入れてイスラエルという国を作ることになります。そのためのパレスチナ地方に住んでいたアラブ人はパレスチナ難民となります。約70万人のパレスチナ難民がレバノンに逃れ、うち半数はいまでもレバノンに住んでいるようです。
これらイスラエルVSパレスチナ(周辺アラブ諸国&PLO)の葛藤によって、何度も中東戦争が起き、テロやゲリラが横行するいわゆる「中東情勢」が始まります。まあ、この経過は実はもっと複雑ですし、ユダヤ人だアラブ人だといっても実は人種的には同一で単に宗教の違いに過ぎないとか、平和共存を模索する動きも最初はあったとか、語り始めればそもそもユダヤ人が流浪の民になった2000年前のローマ帝国がどうしたとかいうあたりから語らねばならないとか、いろいろあるようです。が、ここは簡単に、レバノンの隣にかなり強引に国が出来て、それでドンパチが始まり、それがレバノンに飛び火して内戦の一因にもなり、余計ややこしい事態になった、くらいの理解で良いです。
このレバノン内戦は美しく豊かな国レバノンをズタズタにします。なんせ15年の内戦の間に、3つの軍隊、22の民兵組織、42の政党が乱立し、三国志の顔負けの群雄割拠状態になります。10万人の死者を生み、75万人が難民となって欧米やオーストラリアに避難しました。隣国(北&東隣)のシリアが平和維持軍として駐留すると、また隣国(南隣)のイスラエル軍が進駐し、これにPLOが跳梁し、米ソの思惑が乱れ飛び、イラン革命が飛び火してヒズボラが台頭し、、、という状況になります。米英仏の多国籍軍が進駐するも数年で撤退を余儀なくされます。
最終的には1990年にシリアが再侵攻し、紛争を鎮めて、15年の内戦は終わります。以後2005年にシリアが撤退するまでの15年をパックス・シリアーナ(シリアによる平和)と呼んだりするわけですが、90年の内戦終結の際に、宗派ごとに国会議員の数や政府要職を決めるという均衡バランス合意が出来、キリスト教マロン派が大統領を、首相はイスラム教スンニ派が、国会議長はシーア派から選出することになってます。内戦後レバノンは復興過程に入るのですが、完璧に平和になったわけではなく、イスラエルとの小競り合いはちょこちょこ起きてますし、去年もご存知のようにイスラエルとヒズボラとで短期ではありますが戦端が開かれています。
こうして見ていますと、世界のトラブルのタネは、もとを質せば19世紀からの西欧帝国主義と植民地政策に遠因があることがわかります。そして、植民地からの独立後は、米ソなどの大国の冷戦構造が問題をこじらせています。トラブルのベースにあるのは民族、宗教、カルチャーですが、それだけだったらここまでひどくはならないでしょう。これらの要素は火薬のようなものであり、それだけだったら発火しない。やはり先進国と呼ばれる国々のエゴが発火点になって、科学反応的にグチャグチャが広がっていくという図式になるように思います。
以前エッセイで書いたイラクだって、オスマントルコ支配下の3州をイギリスが勝手に石油利権のための統合してイラクという国にしちゃったのがそもそもの発端。クルド人なんか可哀想に自分らが住んでたエリアを勝手に分割されて、、トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアの各国でそれぞれ少数民族として迫害を受けているという。ベトナム戦争にしたって、フランスの植民地から独立するに際して、ソ連が後押しする北ベトナムとアメリカが後押しする南ベトナムが喧嘩することになったし、アフガニスタンも似たような構図。
日本だってその例外じゃないです。なんで江戸時代から明治維新が起こったの?といえば、西欧帝国主義の象徴ともいえる黒船がやってきたからでしょう。これに対抗するために気が狂ったように近代化した日本は、欧米の敷いたゲームのルールのとおり日清日露戦争をやり、植民地を築き始めるが、遅れてきた悲哀でこれがヘタクソで結局調子に乗って領土を広げすぎ敗戦で全てを失います。その後は東西冷戦構造の前線基地として55年体制になる。結局、日本の近代史は、全て欧米のパワーゲームという波風によって右にいったり左にいったりしているといっても良いでしょう。ただし、日本が幸運だったのは、領土的に孤立し、単一文化の単一民族であったがゆえに民族宗教文化という紛争の火薬が無く、血で血を洗うような内戦が起きなかったことです。また、タイミングも地理的条件も良かったのでしょう。ソ連が唾をつけるまえにアメリカが全部取ってしまったので領土が分割されることもなかった。同じ単一文化の朝鮮韓国は、ソ連に近い分だけ北半分は共産化し、南半分はアメリカということで朝鮮戦争が起こり、分割され、今日に至ってます。
日本の場合、地政学的に孤立していたのがプラスしたわけですが、同じように孤立した場所にあったオーストラリアはどうかというと、これも植民地から話が始まります。本来、植民地時代に地元民族との軋轢があり、迫害の歴史があり、その後の独立→米ソのちょっかいという定番ルートがあるわけですが、オーストラリアの場合、異様に人口密度が低いスカスカな国であり、地元民族(アボリジニ)があまりに少なく、また一枚岩でもないことから、もう一方的に占領され、植民地というよりも無人の野に新規に建国するような形で始まります。だから戦後に植民地から民族独立になるという話にはならず(アボリジニに土地を返して撤退ということにはならず)、今日に至ってます。日本の場合は、あまりにも人口が多く、人口密度も高く、民族的に一枚岩であることから、最初から植民地化を免れたし、その後大国の荒波をうけても内部分裂しないで済んだわけですが、オーストラリアの場合は逆で、あまりに先住民族が少なかったら植民地のような支配被支配構造が最初から無かったという。どちらも戦後の内戦を経験せずに治安の良い国になってますけど、そのルートはまるで正反対というところが興味深いです。
一方アメリカもオーストラリアと同く、先住民族(いわゆるインディアン)を駆逐して自分らで建国したパターンですが、アフリカから大量の奴隷を連れてきたのがアダとなって、今日まで人種問題に悩まされることになってます。カナダの場合は、黒人奴隷は少なかったけど、最初の唾つけ合戦でフランスが結構頑張ったので、ケベック州などイギリスVSフランス問題が今なお残ってます。ニュージーランドはユニークで、マオリ族という先住民族がかなりまとまった勢力だったわけで、一方的に駆逐されたわけでもなく、また戦後にマオリ独立国になるわけでもなく平和共存状態が続きます。これに対して、南アフリカは、完全駆逐パターンでもなく、民族独立するわけでもない共存パターンなのはニュージーランドと同じですが、平和に話が進まず、悪名高きアパルトヘイト政策で激しい差別問題を引き起こしました。
歴史を顧みるとよくわかるのですが、大体他者を踏みつけにして甘い汁を吸ってる時期があると、そのあとその数倍の期間、厳しいシッペ返しがきますね。確かに欧米は帝国主義や植民地政策で甘い汁を吸ったし、今も多国籍企業やグローバライゼーションという形で吸おうとしています。が、そのツケも営々として払わされている。かつての植民地のドンパチを鎮圧するために軍隊を出さないとならないし、そこからの移民や難民の受け入れをしなければならない。先日のフランスの大統領選挙とその直後の大規模デモでもわかるように移民融和問題は国内の大きな問題として残ってます。アメリカの人種問題、オーストラリアのアボリジニ問題についても今後100年やそこらでは完全解消は無理でしょう。ドイツ人だって行く先々でナチスのことでイヤミを言われ続けるでしょうし、反面ネオナチが台頭して国内でギクシャクするでしょう。日本だって、第二次大戦のツケを今後も営々と払わなければならないでしょうし、それに反発して右傾化も起きるでしょう。戦後60年とか100年とか、そんな「短期間」で何となるもんではないということですね。
さて、話はレバノンに戻ります。
オーストラリアにおけるレバノン系移民ですが、ココに比較的要領よくまとまっています。
オーストラリアのレバノン系移民は、大きく三つの波があるそうです。必ずしも全員がパレスチナ・レバノン難民で来ているわけではない。第一波は1880年前後というから、明治維新の10年後くらいですね。かなり古い時期です。当時はまだオスマントルコが健在でしたから、レバノン系移民ではなく、「トルコ系移民」としてカウントされていたようです。なんで来たの?といえば、アメリカ建国当時にヨーロッパ中から移民が集まってきたのと同じような話ですね。新大陸でチャンスを、というわけです。ただし、ニューヨークに行くつもりが悪徳船舶商人に騙されて、気がついたらオーストラリアだったという嘘みたいな話が結構あったようです。それでもオーストラリアに居着いて、根が生えてくると、故郷の親族を呼び寄せる。
第二波は、1947年〜76年の大戦後の移民ラッシュの時期です。この時期に約4万3000人のレバノン系移民が来ます。第一次、第二次ともに、移民の理由はもっぱら経済的理由=新天地を求めるということで、第一波の殆どはキリスト教信者ですし、第二波の多くは高等教育も受けアラビア語の他にフランス語をも話せるし、英語の習得もかなり早い。
第三波は、レバノン内戦の難を逃れてやってきた1976年以降の人々です。約1万6000人のレバノン系移民が来ましたが、その多くはいわゆる難民として来ています。多くはイスラム教徒ですし、アラビア語しか喋れなかったりします。
第一、第二波が、いわゆる「普通の移民」であり、「海外でのビジネスチャンス」という抱負を胸に自主的に来ていますから、その意味では他のギリシャ系、イタリア系移民と同じですし、ひいてはオーストラリアの本流であるイギリス系と同じといってもいいでしょう。クリスチャンも多いし。第三派が、来ざるを得なかった不幸な人々であり、それだけに準備も出来ていませんし、オーストラリアに馴染むのも大変な苦労をしていると思います。
このようにオーストラリアのレバノン系移民といっても一概に言えず、レバノン系=中東系だから即ムスリムと決めてかかっては外します。もちろんそういう人々も沢山いますが、そうでない人々ももっと沢山いる。特に第一派の子孫は、ルックスは中東系かもしれないけど、頭の中身は完全にオージーです。僕の知人にもムハマンドといういかにも中東系の名前の人がいますが、彼は非常に成功している青年実業家であり、物腰も柔らかで頭も切れるスマートなビジネスマンです。
このように、オーストラリアに住む以上、レバノン系住人とのお付き合いは普通にあります。僕の知り合いの郵便局の窓口のおばちゃんもレバノン系ですし、普通に暮してれば、普通に会うでしょう。それは他の民族系と同じことです。
このあたりのオーストラリアの移民社会状況は、東京経済大学の山田晴通教授のサイトのなかの「オーストラリアにおける多文化主義の背景」に非常に要領よくまとめてあります。このサイトに引用されている統計を見てもわかるように、オーストラリアに住んでいる人の出身国籍ランキング(外国生まれの人が4分の1弱もいる)によると、レバノン生まれの人は第14位です。一位イギリス(含アイルランド)、二位ニュージーランド、以下、イタリア、旧ユーゴスラビア、ベトナム、中国(香港台湾を除く)、ギリシャ、フィリピン、ドイツ、インド、マレーシア、オランダ、南アフリカときて次にレバノンが来ます。その下にポーランド、インドネシア、アメリカ合衆国、香港と続き、日本人などは統計にも出てこないです。
ところで、オーストラリアのレバノン系移民を語る場合、特に911テロ以降の中東系住人に対するバックラッシュと、その世間の冷たい目に反発する一部のレバノン系の若者の犯罪です。特に、2000年に集団レイプ事件が起きたあとのメディア報道過熱時が最もキツかったように思います。その余波を引きずり、2005年のクロヌラ暴動に発展したという感じでしょう(クロヌラ暴動については過去に書いてます)。
言うまでもないことですが、レバノン系住民の全てが犯罪行為に手を染めているわけでもないし、テロリストであるわけでもない。それは山口組の本拠地だからといって神戸市民が全員暴力団員であるわけではないのと同じです。圧倒的大多数は普通の市民であり、政治家になったり、教授になったり、大企業の社長になったりしてます。でも、大なり小なり中東系のルックスをしているとか、ムスリムであるということから色眼鏡で見られたり、不愉快な思いをしているようで、そのフラストレーションは察するに余りあります。
このあたりの状況は、日本語文献は非常に少ないのですが、英語文献だったら山ほどあります。"Four Corners"というABC国営TVのニュース解説で2002
年に放映された「...For Being Lebanese」という番組全体のスクリプトがあります。また、The Natinal Forumというオンラインの討論サイトにはMedia savages Lebanese-Australian Youthという論説があります。
中東の問題や、世界に広がる内戦、あるいは世界の各都市に起きているエスニック系犯罪などについて、僕らが出来ることは数多くはないです。ただ、混乱と不幸のメカニズムを考えていった場合、必ずそこには何らかの悪循環があり、憎悪と報復の拡大再生産があります。発端は些細な問題に過ぎなかったものが、雪だるま状態に拡大していくというプロセスがあります。例えば、A部族のBさんと甲部族の乙さんが貸したお金を巡って口喧嘩をして、やがて取っ組み合いになったりします。そのままほっておけば両方疲れて終わるところを、たまたま通りがかったA部族のCさんが仲裁しようとして、両者を引き離そうとした際に、乙さんから一発もらいパンチを受けます。カッとなったCさんは乙さんを殴り返そうとして3人喧嘩になったところを通りかかった甲部族の丙さんは、「仲間の乙がA部族二人にやられている」と思い、参戦します。そうこうしているうちに単なるBと乙の個人的トラブルだったものが、部族間のトラブルに発展します。各部族内部の威勢のいい若い連中が喧嘩だ出入りだと叫びますが、大多数の市民は「まあまあ」となだめます。しかし、どこの集団にも鉄砲玉みたいな奴はいて、仲間内の制止も聞かず、報復だといって、十数人で相手の部族に押しかけ、なんの関係もない市民を襲ったり、強姦したりします。やられた側は怒り心頭に発し、「まあまあ」という穏健派は影をひそめ全面報復になり、ここに大喧嘩が始まります。さらに、関係ない別の部族が仲裁に入ろうとして、またもらいパンチを受け、カッとなってミイラ取りがミイラになって参戦し、グチャグチャな状況になります。
これは日本国内の市井の風景でも普通にあります。隣家との境界が5センチズレてるだけで一族同士の大紛争なったり、当人同士の問題だった筈の離婚事件が家同士の争いに発展し、A中学校の生徒がB中学校の不良にカツアゲされたことから両中学校の番長グループが対立抗争に入るとか、これが暴走族、暴力団、政治家、企業内の派閥といたるところで行われています。
このトラブルパターンのどこに問題性があるかというと、単なる個々人の問題だったものが集団同士の問題に昇格する時点にあると言えます。前述の例では単に個々人の金貸し問題だった筈なのに、「A部族に甲部族がやられている」という集団的な問題の捉え方をした時点で致命的なミスを犯したことになります。そして、報復、再報復をやる過程で、「○部族だったら誰をやっつけてもいい」という無制限な一般化が行われる点で第二のミスを犯します。そして、そういった心理の根底にあるのは、面倒臭いことは考えず「○族だったら皆同じ」という無茶苦茶な人間観です。これを偏見というのでしょう。
偏見が差別を生み、差別が恨みと反発を生み、そして犯罪や紛争につながるのだとしたら、一番最初の偏見は何によって生まれるのか。それは無知と怠慢だと思います。ちょっと調べれば分かるようなことも調べない、ちょっと考えれば分かるようなことも考えないで、味噌もクソも一緒くたにして認識しようとする。その方が簡単ですからね。全て男はいい加減で、全ての女は所詮金で転び、すべてのB型はワガママで、最近の若い者は皆根性がなくて、大阪人は金に汚くて、東京人はカッコばっかりつけていて、、、てなもんです。同じような過ちを今日も世界各地で全人類がやっている。中東系のルックスをしていたり、ムスリムだというだけで犯罪者かテロリストのように思われてたら、当人達はやってられないでしょう。
じゃあ、どうしたらいいのか?及ばずながらも、少しでも正確に理解することでしょう。普通に頭を働かせて普通に考えることでしょう。「ンなわけないじゃん」という当たり前の知的能力を発揮することでしょう。そして、今日も世界各地で人々が安直や決めつけや偏見という過ちをおかしているのですが、それと同時に、世界各地でその数倍の数の人々が、きちんと考え、きちんと接しているのでしょう。そうでなければ人類なんかとっくに死滅してるかもしれない。いろいろ偏見で不愉快な思いをすることは誰にでもあります。僕にもあるし、あなたにもあるでしょう。それでもグレずに日々やっていられるのは、ちゃんと理解して、ちゃんと真っ直ぐに見てくれる人が沢山いるからでしょう。そして又、僕らも他人をそのように真っ直ぐ見れば良いのでしょう。それが最も大事で、誰にでも出来る貢献なんじゃないかって気がします。
さて、ここで冒頭のレバノン=岐阜県に戻ります。
別にこんな認識が世界を救うわけではないけど、こうやって当たり前のことを当たり前に知っていくこと、認識していくことが大事なんじゃないかと思うわけです。別に、世界はユダヤの陰謀で動いているとか、手垢のついた謀略史観に走らずとも、とっておきのスクープや秘密に飛びつかなくても、普通に公開され、普通に入手でき、しかも客観的で誤りの少ない確実な情報を積み上げていくだけで、世の中の見え方はかなり変わっていくだろうってことが言いたかったわけです。
しかし、これだけ世界の耳目を集めているレバノンが、実は岐阜県くらいの面積と人口しかないというのは、やっぱり驚きです。
日本というのは意外に大きい国です。世界のランキングでいえば(例えばココ)、日本は世界60位でパッとしないかもしれないけど、195カ国中60位だったらかなり大きな方です。意外に大きそうなフィンランドも、ノルウェーも、日本よりは小さい。韓国などは日本の4分の1強しかない。チェコも大きそうだけど、実は北海道くらいでしかない。オランダも小さく、九州よりもちょっと大きいくらいでしかない。イスラエルは2万平方キロで岐阜県二つ分です。ルクセンブルグにいたっては、日本のほとんどの都道府県よりも小さく、神奈川県や佐賀県くらいのサイズです。
レバノン料理は世界各地で食べられますが、殆どトルコ料理に似てます。トルコ料理はギリシャ料理に似てて、ギリシャ料理はイタリア料理を野趣豊かにしたようなものでしょう。最初こちらでこれらのレストランに入ったとき、「なんでこんなに似てるんだろう」と思ったら、要するにどれもこれも地中海料理なんですね。
また同じ図を見ていただきたいのですが、これらの国々は意外と接近しています。
地中海を日本の瀬戸内海に見立てれば、スペインが山口県、フランスが広島県、イタリア・ギリシャが岡山県、トルコが兵庫県で、レバノン、イスラエルは大阪府みたいなものです。
実際の距離感も、同縮尺の日本をゴロンと横にした地図を作成してみれば、レバノンからイタリア南部まで、日本の北海道から九州くらいの距離でしかないです。そんなに離れているわけではない。
この大きさの日本が単一の「日本料理」としてのジャンルを設けているなら、イタリア、ギリシャ、トルコ、レバノンをひっくるめて一つの料理ジャンルにいれることも、まあ暴挙ではあるけど、距離的にはそれほどおかしなことではないでしょう。
最後に調べていて、「へえー」というレバノン・トリビアを。
レバノンというのは英語名です。正式名称はレバニーズ・リパブリック。通称レバノン。では当人達はどう呼んでいるかというと、「ルブナーン」と呼んでるようです。これは日本の英語名はジャパンですが、当人達(僕ら)は「にほん、にっぽん」と呼んでるようなものですね。
レバノンの出身の有名人は、これが意外と多いです。
映画俳優のキアヌ・リーブスは実はレバノン生まれです。彼は一人多国籍企業みたいなもので、祖先にアイルランド、中国、ハワイアン、ポルトガルの血統を持ち、カナダ、アメリカ、イギリスの三重国籍を持っているが、カナダのトロントで育った彼は自分のことをカナダ人とみなしているらしいです。
日産のCEOやってたカルロス・ゴーン氏は、ブラジルとフランスの二重国籍を持ってますが、父親はレバノン人で、6歳から中学校まではレバノンのベイルートで育ってます。
Van Halenのリードボーカルだったサミー・ヘイガーも、血統でいえばレバノン系。同じくミュージシャンのポールアンカもレバノン系です。
アメリカの消費者運動の父であるラルフ・ネーダーも両親はレバノン系移民だったりします。
さて、最後の最後に日本の外務省のサイトを見ていたら、レバノン情報に、「面積 1.0万平方キロメートル(岐阜県程度)」と、ちゃあんと「岐阜県程度」と書いてくれていたのでした。なあんだ。
文責:田村
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