今週の1枚(05.12.12)
ESSAY 237/新聞記事の順番とクロヌラ暴動
写真は、PaddingtonのFiveways。
時ならぬ風邪をひいてしまい(こちらは初夏)、エッセイが遅れてしまいました。失礼しました。
大体このエッセイを書くのは週末であり、また週末に限って体調を崩すケースが多かったりします。これはエッセイを書きたくないという無意識的な抑圧が病気という逃避行動に出ているのかもしれませんが(^_^)、一括パックなどでお世話している方々がステイ先などに移動され、やれやれ一件落着というのが週末であることに関係しているようです。今回も、日曜日の朝にステイ先までお送りしてから、「あれ?」って感じで熱が出てきました。なんだかんだ言って、どなたかいる間は気力で持たせている部分もあるのでしょう。誰もいなくなると、「もういいよ」とばかりにどっと疲れが出るのかもしれません。
疲れるというほど何をしているわけでもないですけど、やっぱり「最初の一歩」という大事な時期なので、こちらも多少の緊張感はあります。最初の一週間で、オーストラリアでひとりぼっちで生きていくカンどころというか、一人でもやっていけるという技術と自信と、やっていくとこんなに楽しいという喜びを感じていただきたいですし、いい意味で「調子に乗って」欲しいのですね。この最初の発射角度が高すぎても挫折してトラウマになるし、低すぎるとパッとしない一年になるしで、結構微妙だったりします。構いすぎてもダメだし、どの程度ほったらかしにするか、どのくらいお尻を叩くか。もちろん個性によっても違います。そのあたりで知らない間にこちらも気が張ってるのかもしれません。
さて、本題です。
今回もなんかエッセイのネタはないかなと思って、日本やオーストラリアの新聞サイトを見ていたら、「あれ?」とおかしなことを発見しました。個々の記事ではなく、記事のジャンルの順番です。大体上から順にいわゆる一面、二面という感じで、新聞の”顔”みたいな記事が並ぶと思いますし、僕が知ってる日本の新聞の一面、二面は、政治・経済です。基礎知識がないと読みこなせない固い紙面が最初にバーンとくるわけです。とっつきやすい社会ネタ、つまりどこそこで殺人があったとかその種の半分興味本位みたいな記事は、その後におかれており、だからこそ「三面記事」と呼ばれているわけです。
しかし、朝日新聞のネットを見たら、最初にメインユースが来るのはいいとして、次に社会、そして次になんとスポーツが来ます。そしてビジネス(経済)、暮らし、政治、国際、文化・芸能と続きます。「なんだ、これ、スポーツ新聞じゃん?」と思いつつ、他はどうなってるかというと、毎日新聞も似たり寄ったりで、社会、スポーツ、エンターテインメント、暮らし、サイエンス、政治、経済・IT、国際、地域ニュースとなってます。読売新聞はどうかというと、社会、スポーツ、マネー・経済、政治、国際、科学、地域でした。
これといって意識したことはなかったけど、いつのまにか一面と三面がひっくりかえってるわけですね。日本人の痴呆化にともなって、普通の新聞がスポーツ新聞化しているというのは10年前から言われてましたけど、既にここまでキていたとは。「うわー、こうなっちゃってるんだ」って思う反面、Oh my God!って気もします。
なぜなら、です。日本人よりも遥かにホリデー命、スポーツクレージーで、遊ぶことに関しては仕事の5倍の精力を注ぎこむオーストラリアですらです、こんな記事の並びになってないです。シドニーだったら、デイリー・テレグラフのようなタブロイド系(スポーツ新聞みたいなもの)はともかく、Sydney Morning Herald程度の普通紙の場合、記事の並びは、Top Storiesのあと、World(国際), National(国内), Opinion(評論), Business(経済), Technology, Entertainment, Sportときています。
ちなみに、アメリカのNew York Timesの場合、International, National, Washington, New York/Region, Business, Technology, Science, Health, Sports,
Educationの順になります。イギリスのタイムズの場合は、 Britain, World, Business, Money, Sport, Comment, Travel, Entertainmentです。フランスのル・モンド(Le Monde)の場合は、International, Europe, France, Sociaty, Enviroment, Entertainment, Media, Sport になります。お隣の韓国の朝鮮日報の場合は、National/Politics, Biz/Tech, Culture/Sportsとなります。
ただ、面白いのは、朝日新聞の英語版になると、Nation, Polotics, World, Business, Opinion, Sports, Art/Entertanment,LifeStyle という順番になり、旧来どおりというか、世界並みになるのですね。
記事の並びの順番が全てを表わしているとは思わないのですが、かなり違いますよね。
まず、欧米系の新聞の場合、国内ニュースと同等かそれ以上に国際ニュースが重視されているといっていいでしょう。しかし、多くの日本の新聞の場合、国際関係のニュースが最初に来る例は絶無に近く、多くはニュース欄のドン尻あたりに置かれています。この差は何を意味するのか?
思うに、新聞の記事の順番というのは、二つの原理によって決まるのでしょう。一つは、売ってなんぼの商業新聞の場合、読者のニーズ/興味の順に配置します。「売れそうなもの」から順に並べるわけで、ショップの陳列棚と同じことです。しかし、興味本位のイエローペーパーではなく、その国の世論を代表しリードするというプライド、いわゆる「社会の木鐸」としての使命感をもっているクォリティペーパーの場合、「我が国の国民はこれを知るべきだ/これを伝えなければ」という啓蒙的見地&国民の知る権利に奉仕するという重要度によって記事の配列が決まるでしょう。この二つの原理のミックスで最終的に記事の順番が決まるといっていいでしょう。
だとすれば、欧米の新聞は、国際関係のニュースを、読者のニーズが高いか、and/or 「知るべきニュース」として位置付けていることになります。おそらくはその両者が混ざっているのでしょうが、読者は世界の動向を知りたがっているし、また新聞も知らせるべきだと思っている。どっかの横丁で強盗事件があったということよりも、中東情勢で新たな変化があったことの方が大事である、と。
一方、日本の場合、国際関係のニュースは、読者のニーズが非常に低く、且つ新聞もそんなに重要ではないと思っているということなります。でもって、実際問題そうだと思います。僕も日本にいるときは、新聞の国際欄なんか滅多に目を通しませんでしたし、目を通しても断片記事だけ読んでも何がなんだか理解できなかった。
さらに日本の新聞のここ数年の傾向として、 政治・経済が後退して、社会面とスポーツがトップに出てきているわけです。まあ、これはインターネット記事配信の順番で実際の印刷した新聞の紙面はまた違うとは思いますけど、でも大きな傾向としてはそうだといえるでしょう。しかし、クォリティペーパーで三面記事が一面、スポーツが二面なんて順番でやってる国は、世界でも珍しいと思います。
この傾向が何を意味しているかというと、ぶっちゃけた話、日本社会と日本人の自閉化がまた進行したってことでしょうか。
もともと、「世界の中の日本」「グローバルスタンダード」「ボーダーレス」とか口ではいろいろな掛け声をかけ、英会話産業が華やかに盛り上がってる日本ではあるのですが、「言ってるだけ」って部分は大いにあります。正直、そんなに世界のことを知ってるわけでもないし、興味があるわけでもないし、自分の人生とそんなにリンクするとは思ってないでしょう。だから、新聞の国際ニュースが、盲腸のように、オマケ的に扱われても無理はないです。
こういう態度が正しいのか間違ってるのかは難しいところです。
オーストラリアに長いこと住んでますと、国際ニュースも国内ニュースも重要度順にいっしょくたにされて報道されますし、その差は日本でいえば全国ニュースと関西ローカルニュース程度の差くらいしか感じません。まとめて一つみたいな感じで、質の差をそんなに感じない。物事を捉えるときに、よりマクロ的に見るか、ミクロ的に見るかという視点の差くらいの感じです。国際ニュースといっても、全く自分に関係ないかとというと、そんなこともないからです。例えば、先日来のガソリンの高騰も、イラクや中東情勢やら、アメリカの台風やらにビビットに反映します。
また、最近シドニーの南の静かなビーチであるクロヌラで、レバノン系など中東系の若者と、ヨーロピアン系オージーとの間で暴動まがいの乱闘騒ぎが起きています。ぱっと見た目には、日本の湘南で年中行事のように繰り広げられているサーファーVS暴走族みたいな感じですが(ビーチの縄張り争い)、人種的なものが入ってきて、さらに遠因はなにかというと、世界テロやらイラク戦争の影響も入ってきてるし、さらには僕らアジア人にはピンとこない歴史的な欧州VS中東の因縁=キリスト教VSイスラム教という聖地エルサレムの争奪戦やら十字軍やら、、、ってあたりも大きな構図、彼らの心象風景には入ってきてるのかもしれません。それはまた、ちょっと前のフランス暴動なんかと似たような構図があったりします。
この騒ぎはオーストラリア全土にかなり衝撃を与えているようですので、ある程度きちんと書いておいた方がいいかもしれませんね。
ことの発端は先々週の日曜日にレバノン系と思われる若者4名くらいのグループがクロヌラビーチのライフセーバーの若者をブン殴ったという所に始まり、これがローカルの白人系オージーの逆鱗に触れ、携帯メールなどで「ビーチを守れ、皆集まれ」というメッセージが飛び交い、先週の日曜5000人の白人系オージーがビーチに集まり、中東系のルックスをした若者がビーチにいたら殆ど無差別のように攻撃を仕掛け、警官隊は一日中奮闘を余儀なくされたこと、さらに翌日月曜日には報復行為として数十台から数百台の中東系の若者が乗った車がクロヌラに出かけ、その多くは警官隊のバリケードでストップされたけど、一部は侵入しショップの窓ガラスを壊したり、歩行者に暴行を加えたりという騒ぎになってます。この騒ぎはマルーブラにも飛び火してます(時間的には短いけど)。
なんでこんな大騒ぎになっているのかというと、まあ世界のどこでも「ビーチカルチャー」のダークサイドとして、素行の悪い若者が集ったり、迷惑行為をしたり、縄張り争いをしたりという現象があります。これはオーストラリアにもあるし、日本にもある。英語でいえば、yobs, gangs, thugs, mobsという、いわゆるチンピラや与太者ですが、これはどこにでもいる。で、喧嘩っぱやいのがドンパチ始めるという。日本の場合は、なんでも組織化し集団行動が好きな民族性でしょうか、暴走族だったら暴走族としてキチンと組織化し、自分で名前もつけてくれるから分かりやすいですが、オーストラリアはもう少し個人主義というか、三々五々勝手にやってる感じではあります。
ただ、ここ数年、クロヌラビーチには、中東系の若者がよくビーチにやってきていた。なかには当然ガラの悪いのもいるでしょうし、地元に迷惑をかけていたグループもいるでしょう。これを来る側から見れば、「中にはタチの悪いのもいるけど、多くは平和にビーチを楽しんでるだけ」なのでしょう。ところがローカルから見れば、「ガラの悪いのが大量に押しかけてきて」「ビーチを我が物顔に占領し」「傍若無人に振舞っている」「もう許せん」てな具合に煮詰まっていったのでしょう。実際のところどうだったのかというと、おそらくはまあ半分半分くらいだったのでしょう。ただ状況というのは、見る人の主観によって色がつきますから、「タチの悪いレバノン系のチンピラにビーチを占領されている」という一方的な被害者的な見方をする人も、まあ、いますよね。
じゃあなんでレバノン系の若者なのかというと、彼らが特別態度が悪いのかといえば、半分あたりで半分はずれでしょう。中東系の人は、ただでさえ世界テロ以降(あるいは第一次湾岸戦争以降)肩身の狭い思いをさせられています。まあ、いっときのアメリカのように、中東系のルックスをしてるだけで町を歩いていたらいきなり殴られるみたいなことは少ないにせよ、若者同士パブやレストランに入ろうとしたらやんわり断られたりする不愉快な経験をしているようです。また、2000年に中東系の若者達が強姦事件を起こして大騒ぎになりましたが、これもイメージダウンにつながってます。さらに今回のテロリスト大量逮捕など、ずっと逆風なんですね。僕の住んでるノースにも中東系の人はいますし、よく行く郵便局のオバちゃんもレバニーズですが、皆フレンドリーだし、そんなに悪い人はいないです。だから一部の連中だろうなってのは予想がつきます。でも、こういう逆風に育てば、グレる奴も出てきて不思議ではないです。日本でいえば、偏差値教育から落ちこぼれてしまった元気のある男の子が何をやるかというと結局ヤンキーしかないみたいな環境と似てる部分はあります。車をシャコタンにしてブイブイ走る。行った先で悪さもする。民族に関わりなくビーチは誰でも好きですから、行く。行った先でトラブルを起こすという。
他方、ブイブイやってるチンピラもどきの連中はレバノン系だけかというと、さにあらず。マルーブラビーチを本拠とする、”元気の良い”サーファー系の兄ちゃん達がいます。いわゆる"BRA Boys"という連中で、彼らもハッキリいって素行が良くない。前科もあります。2002年のクリスマス時期、クージービーチのパブで、2階では地元警察署の人々がクリスマスパーティをやってたところ、1階では21歳パーティをBRA Boysがやっていて、些細なことから争いになり、やがて120名が総取っ組み合いをやるという大喧嘩になり、相当数の警察官が受傷しました。流れた血の量と、受傷程度の深刻さでいえば、今回のクロヌラビーチなど足元にも及ばないくらいのリアルファイトになってます。
つまり、シドニーにはツッパリ君の二大勢力があり、一つはレバノン系の連中で、ひとつはマルーブラのサーファー系です。日本でいえば東京や川崎あたりの暴走族集団と、湘南あたりを根城にしている勢力があり、これがライバル関係にあったという。これが根本的な構図として、チンピラ同士の勢力争いみたいなものがあると思います。今回のクロヌラの騒ぎにも、BRA Boysはやってきてたといいますし、だからこそ翌日の報復行為で、レバノン系ヤンキー軍団の一部は別働隊としてマルーブラに行き、マルーブラロードに停めてある車両を破壊して廻ったのでしょう。
さて、このチンピラ同士の抗争という基本下図のうえに、普通のローカルの人が関わってきます。クロヌラビーチの場合、積年の問題として、トラブル処理が不十分であったという点はあるようです。クロヌラは本当は平和なビーチなのですが、平和すぎるのか警察の存在が手薄であり、何かあると15分かけて隣のミランダというところから駆けつけるということで、充分に対処できていなかったようです。これが地元民の不満を鬱屈させてきたようです。本来、民族などに関係なく、犯罪行為や迷惑行為をした者を適宜適切に取り締まっていれば、ここまで大騒ぎにはならなかったであろうという指摘がなされてます。
クロヌラを含む、サザーランド・シャー(シャーとは県、エリアの意味)は、伝統的な白人系オージーが多く住むエリアです。のどかで、平和で、緑豊かなエリアで良いのですが、それは古き良きオーストラリアコミュニティでもあると同時に、あんまり進化してないコミュニティでもある。つまりのほほんとし過ぎていて住民があんまり移民/異文化慣れしていない。白人系オーストラリア人が多いのは、イースタンサバーブもマンリー以北のノーザンビーチも同じなのですが、グローバルなダイナミズムに慣れている部分があります。ボンダイやマンリーは最初から観光地ですから、ビーチの人間の半分以上が「よそ者」観光客でも珍しくない。土着性が希薄で開放的ともいえます。また、昨今の不動産価格の高騰で、金持ちが多く住むことになり、今の時代金持ちになろうと思えばグローバルビジネスでガンガンやっていくケースが多いし、高等教育も受けているので、異文化環境に慣れている度合が高いし、また理解も深い。つまりはインテリが多いから、なんでもかんでも人種問題や郷土的ナショナリズムで燃えたりしにくい。また、単純に、レバノン系住民のエリアであるラケンバやバンクスタウンから距離が遠いから入ってきにくいという要素もあるでしょう。
これが第二の背景的地理的要因だと思います。
ところでこれはオーストラリアに限らず、どの国、どの社会でも同じでしょうが、その社会のコアにいる保守本流であり、且つ社会偏差値40-50くらいの人々が、偏狭なナショナリズムに囚われやすく、トラブルを起こしやすいのかもしれません。つまり、その社会の最も伝統的なパターンの層なんだけど、いまいちパッとしないクラス。このくらいの立場にいると、自分らがまさに社会の中心にいるように思うのでしょう。どこから見ても「普通」だという。逆にいえば普通であること以外に取り得がない。日本でいえば、年収2000万以上バリバリ稼いだり、新進気鋭の起業家とかではなく、最も普通のサラリーマンとか最も普通の商店主くらいで、一杯飲み屋で床屋政談やってる人達。あるいはその予備軍の若者。大体こういう連中に土着性が高く、保守的な意見の人は多い。保守的である以外に自らのスタンスが得にくいという部分もあるのでしょう、韓国嫌いだったり、根深い男女差別思想を抱えてたり、平気で差別的な言動に出たりする傾向が高い。早い話が頭の固いオヤジであり、若いくせに妙に保守的な人々です。
彼らよりも下の層にいる人々は、社会的にマイノリティであることをハッキリ自覚してますから、やっぱり一生懸命モノを考える傾向がある。なんせ「普通」だけを基準にやってたら立つ瀬がないわけですから、平等とか人権とか理念的にことを運ぼうとするでしょう。他方、社会の上層部にいる連中は、そんな昔ながらのメンタリティにウジウジ浸って現実逃避なんかしてるヒマはなく、新しい社会情勢を見据えたり、自ら作ったりするでしょう。いわゆる自称「普通」の人々が、もっともモノを考える機会も必要性もないから、社会の変化に最も遅れている層になってしまう。いわば社会のお荷物みたいなものなのだけど、自分たちは自分達こそ社会の中心、最も典型的な良き市民であるという自覚が強固にあるから厄介だという。
アメリカで馬鹿みたいにナショナリズムの笛や太鼓を叩いて行進して、イラク戦争をおっぱじめたり、未だにダーウィンの進化論を学校で教えるのは神への冒涜だといって裁判起こしたりしている連中も、この種の自称「平均的」な「普通」の層だと思います。口を開けば「古き良きアメリカ」。多分、韓国で、日本人はとにかく悪魔だ、悪者だとやってる連中もこの層でしょうし、中国の反日デモに参加してる連中もこの層でしょう。そして、オーストラリアでもまさにそうだと思います。ただ、政治家としても、数ではある程度まとまってる層なので、お荷物といって切り捨てるわけにもいかず、ある程度媚びを売らねばならないところがツライところですが、媚びどころか自分もその一員みたいな人間がリーダーになったりもするわけですね。今のブッシュ大統領がそうだと思いますが、「西部魂」みたいな古臭いコンセプトで受けを狙うという。オーストラリアのジョンハワードも、そこまで露骨ではないけど、選挙の度に訪れるTampa号の難民、テロ事件などをテコに、「普通のオーストラリア人」を強調して勝ってきているという。
さて、こういった層が潜在的にあって、その最も相反する要素同士が不幸にも邂逅してしまった、火薬に火がついてしまった(どっちが火薬かはわからんけど)のが、今回の大騒ぎだと思います。ただ、それを煽った連中もいるのですね。とくに、2GBというラジオのキャスター、トークバックラジオという視聴者参加番組で絶大な人気を誇るアラン・ジョーンズなんかがそうだと思います。僕はこのレイシスト・オヤジが大嫌いなのですが、どこの社会にもいる、過激なこと=近視眼的には正しいけど大局的には大間違いな論理=を口走って大衆受けするポピュリストオヤジですが、このオヤジがこの一週間ラジオで煽っていたようですね。僕もたまたま車を運転していて聞いたけど、「もう中東系の移民は要らない」とか無茶苦茶言ってるなこの馬鹿はと呆れたもんです。でもって、また、乗せられてしまって(大体トークバックを嬉しそうに聞いているのはこの「普通」層が多い)、このていたらくなのだと思います。で、煽った本人であるアランジョーンズは、がっぽり稼いで肝心の週末から優雅なバカンスに出かけたそうです。
ただ、5000名集まったといっても、コアなフーリガンと化した馬鹿は200名くらいだったようです。あとは、「昨今のビーチの問題は困ったものだ、ローカルコミュニティとしても立ち上がらねば」くらいの普通の意識で集まったり、あるいはただの野次馬だったり。しかし、群集心理というのは恐ろしいもので、大騒ぎになってしまったという。
というわけで、この事件はただ単に乱暴者が乱暴を働いているのではなく、二重三重の構造をもってるわけですね。ビーチに集まった白人系オージーが、"Lebs fXXk off!!"とチャント(唱和)しようが、単なるレイシズムの問題として割り切っていいかどうか疑問の残る所以でもあります。
ちなみに、シドニーモーニングヘラルド誌の読者投票欄があり、今回の騒ぎの原因はなんだと思いますか?という設問があります。投票すると結果が見えるのですが、僕が投票して結果をみたら、総数41412票のうち、内訳は以下のとおり、Racism(人種差別) - 25%、Tribalism(部族的縄張り意識) - 18%、Alcohol(酒) - 7%、Xenophobia(外国人恐怖症) - 8%、Stupidity(単に愚かなだけ) - 24%、Poor parenting/schooling (教育環境)- 19% でした。人種問題か、あるいは単なる馬鹿か意見が分かれてますね。僕は馬鹿同士の戦いだと思いますけどね。投書欄で誰かが書いてたように、これはレバニーズ・オーストラリアン vs ホワイト・オーストラリアンの戦いではなく、idiots vs idiots であると。
ところで今回の事件について、政治家や警察、評論家などある程度責任ある立場にある人たちのコメントは、一律に、最大限の非難をしています。理由や経緯がどうあれ、何もしていない人を多数で攻撃するのは弁解の余地なく卑劣なことで、オーストラリアの顔に消えない泥を塗りたくった国辱的行為であると。ローカルの人たちからも、「恥だ」「もうここには住まない」って声もあるし、「オーストラリアの旗をお前らが振るんじゃねえ」という非難もあります。もちろん良くやったという声もあるんだろうけど、新聞やマスコミレベルでは非難色が強い。実際、どうもメインに馬鹿をやったのは地元民というよりは騒乱好きなフーリガンが他所から押しかけてきたという話もあり、散乱したガラスなどを片付けさせられるのは地元民、「やってやれるか」という愚痴も出てます。
最新の報道によると、BRA Boysとレバノン系グループとの間で巨頭会談が持たれたようで、和平合意に達したそうです。記者会見までやってるというのが面白いところなんですけど。ただし、それが浸透するのも、彼らのコントロールがきくコアなメンバー間のことで、騒ぎになるとどこからともなくやってくるお調子者のフーリガンみたいなチンピラ連中にはどこまで通じるかどうか。
この問題は、どの立場からみても、ちょっとづつ理があるのですね。レバノン系の連中には人種差別はイケナイ、なんで俺らがビーチに行っちゃいけないのだという大義名分があろうし、ローカル住民からしたら安心してビーチで楽しめるようにして欲しいという切実な欲求があるわけです。それがここまで大騒ぎになるのは、針小棒大に騒ぎ立てるメディアのせいもあるし(メディアクルーはどこに行っても誰からも「お前らが悪い」と袋叩きになってるそうです)、人種問題みたいなテーマが勝手に一人歩きして肥大化していって、他のチンピラ連中の欲求不満の捌け口になったりするという現象だと思います。既に、パースやアデレードでも飛び火して、何の関係もない中東系の人が不愉快なメにあってるようです。一番悪いのは、便乗して騒いで無責任に乱暴してる連中だという気もしますな。
というわけで、怪我の功名で風邪をひいてエッセイが遅れたがゆえにクロヌラ事件のことも書けてしまったりするわけですが、こういった国際関係ニュースを日本人は全然知らなくてもいいのか?って問題があるわけです。まあ、たかだかオーストラリアのビーチの乱闘騒ぎなんか別に知らなくてもいいわけですけど、ある現象を織りなす構造というものはあり、欧米VS中東という一つの価値観衝突がいろんな形で世界に飛び火している、ただの喧嘩騒ぎであるものが妙な具合に解釈され、着色されてしまい、それがさらに問題をややこしくしてしまうという構造は、一つの視点としてもっていても損はないと思います。
僕自身の感覚からしたら、国際関係を「全然関係ないもんね」と峻別してしまうメンタリティに正直危ういものを感じます。今回の暴動騒ぎですが、毎日と読売は小さな記事ですが一応載せてますが、朝日は全然載せてないようです。ちなみに、お隣の韓国の朝鮮日報ではトップ記事になってました。
日本が国際ニュースを扱う場合、「乗客に日本人はいませんでした」=「自分らが直接関係なかったら知らんもんね」という関わり方でいいのか?って問題は確かにあると思うのですが、しかし、別の見方をすれば、別にそれでこれまでやってこれたのだからそれでいいんじゃないかって発想もまたアリだとは思います。そりゃ、「べき論」でいえば、日本人はもっと広い世界的視野をもつ「べき」でしょうけど、日本で生きていく限り、それが本当に必要なの?って差し迫ったレベルでいえば、実際問題そんなに必要ではなかったりするという現実がありますよね。
そのあたり、別にそんなに知らんでもいいじゃんという現実がある以上、「なげかわしい」の一言で済ますのもまたどんなもんかなとも思うわけです。
これまでのようにアメリカの軍事力の傘の下におり、言われたとおりやってたらいいだけだったら、それでもいいかもしれないけど、これからはどうかな?って疑問もあります。これをメインに書こうと思ってたのですが、頁数が尽きてしまいました。また書きます。今度は締め切り以内で(^_^)。簡単に触れておくと、憲法改正が行われ、正式に日本軍という軍隊を持つ日が遠からずくるかもしれません。また、アメリカの軍事力も日本から徐々に離脱して、アメリカも日本に自立して欲しそうです。そうなってくると、なんでもアメリカべったりではなく、自分の頭で考えて自分の力を行使することが求められるわけで、それはまあ当たり前のことかもしれないけど、それって出来るの?って問題があります。軍事といい戦争といっても外交の一環であり、周囲が見えずに武力を持つくらい危険なものはない。
だから情勢的には以前にもましてクレバーな視界が求められているにも関わらず、視界は以前よりも内向きになってきている。国際政治欄がドン尻に置かれているのもさることながら、国内政治ですらスポーツよりも、「暮らし・ライフスタイル」欄よりも劣後しているという。等身大の視点といえば聞こえはいいけど、自分の直接目の届く範囲にしか関心がないというのはちょっとヤバイです。なぜかというと、前述の偏差値40-50くらいの頑迷でコアな普通層の視点だからです。これってある意味国を誤らす危険が高い。今回ビーチに集まった連中がオーストラリアの旗を振り回し、愛国心を叫んだように、愛国とかいうコンセプトはこの層の連中がもっとも声高に唱える傾向が強い。
また、日本人の場合、金太郎飴社会ですから、まず全体構造を鳥瞰し、それを貫くいくつかの原理を抽出し、論理的に考え分析していくという思考方法が苦手だと思います。金太郎飴社会というのは、誰しも自分と似たり寄ったりだから、全体構造がどうのって考えずに、「隣を何をする人ぞ」ということで、「皆どうしてるの?」と周囲の人々の動向をうかがって、それで社会の趨勢を見極めようという習性が強い。そうじゃないですか?そういう思考法からは、国際戦略とかいうものは出てこないです。だって海の向こうだから見えないし、触れられないですもんね。でも、見えてからじゃ遅いんだよね。
文責:田村
★→APLaCのトップに戻る
バックナンバーはここ