- Home>
- 「今週の一枚Essay」目次
>
今週の1枚(04.03.22)
ESSAY 148/イラクについて勉強しよう
写真はGreenwich。写真中央、遠方に見えている高いビルがSt Leonardsになります。意外と知られてないですが、ノースシドニーの奥の入り江に石油精製所があり、シドニーハーバーをよくタンカー行き来しています。
今週はイラク問題を書いてみようと思ってました。といってもイラク問題について言いたいことがあるわけではないです。その逆で、もう何がどうなってるのかさっぱり分からないというのが正直なところです。だからこれを機会に書いてみよう、書くとなったらイヤが応でも調べなければならないし、いい勉強になるだろうということですね。
しかし、調べてはじめてすぐに分かったのですが、こりゃそう簡単に分かるようなものではないな、と。いきなり後悔しました。何がネックなのかというと、これはもう単純に自分の不勉強に帰するわけですが、世界の成り立ちや歴史というベーシックなところが分かってないことです。ベースができてないから、日々の記事だけを追いかけていても単に流れ去っていくだけで、それがどういう意味を持つのかというあたりが分からない。こりゃいかん、基礎からやらんと。
無知自慢するわけじゃないけど、そもそも、なんで「イラク」って国名になってるかすら知りませんもんね。あそこは世界史の最初に出てくるメソポタミア文明のエリアで、もともとは「ペルシャ」とか呼ばれていたんじゃなかったっけ?あれ?いつからイラクなんて国が出来たんだろう?というわけで、まずは調べてみました、イラクの歴史。
あの辺りのエリアは古来から興亡の激しいエリアで、紀元前のアッカド王国、バビロン第一王朝、カッシート王国、アッシリア、新バビロニア、アケメネス朝ペルシャ、アレキサンドロス王国、セレウコス朝シリア、パルティア、ササン朝ペルシア、正統カリフ時代にイスラムの支配下になり、 ウマイア朝、アッバース朝、ブワイフ朝(イラン系シーア派)、セルジュク朝(トルコ系スンナ派)、イル=ハン国(モンゴル人)、ティムール帝国、オスマントルコ帝国、イギリスの委任統治領をへて、1932年にイラク王国として独立するらしいです。はあ、もう、ここらでスデにうんざりしますね。
日本なんかずーーーーーっと日本ですもんね。藤原氏とか平氏とか徳川とかいっても民族内部の政権争いにすぎないわけで。こんなにコロコロ(異民族&同民族の)支配者が変わるということが、まず僕ら日本人の想像を絶してます。
日本に置き換えるならば、、、奈良時代に中国(唐あたり)に攻め滅ぼされて早々に天皇家は断絶、その後朝鮮の支配をうけ、次にロシアの支配を受け、立ち上がった日本民族が革命政府を作るけど、元の来襲でモンゴル帝国の一部になり、弱体化したモンゴル帝国は今度はベトナム、広東、福建、台湾あたりと琉球民族が合体した南方系の大国に滅ぼされ、さらにポルトガルやオランダの植民地になり、明治維新の頃からイギリスの植民地になり、北からやってきたロシア系勢力と日本全土で激しい領土争奪戦が繰り広げられ、第二次大戦後は北海道はソ連の領土に、あとはアメリカの信託統治国になり、やっとのことで独立したけど今度は日本を3つに分けて血で血を洗う内戦をしており、先週JR新宿駅で爆破テロがあったと思ったら、宮崎県の小学校で報復テロがあって、、、なんてのが日本の歴史だったとしたら、僕らもイラクの情勢(ひいては世界の情勢)について、もう少し皮膚感覚的にピンとくるのかもしれません。
20世紀のイラクですが、イラクで産出される石油の利権をめぐってイギリス、フランスなどの帝国主義がやってきて、それにアメリカも加わって利権争いをする。帝国主義支配を受けた世界の多くの国がそうであるように、それは独立した国ではなく大国の「私有地」みたいなものだったから、大国同士の争いと妥協で適当に国境線が引かれているわけです。アフリカ諸国の国境線によく見られるように、1920年のイギリス委任統治(という名の植民地)のときにピーンと一本の直線で引かれた国境線が現在のイラクの領土とほぼ同じだといわれています。だから、これらの領土を一つのまとまりのある「国」としてみるのは本来無理があるのですね。日本でいえば山口、島根、福岡、佐賀、長崎の各県付近に一本直線をひいて、その部分が韓国領土になってるようなものです。
イラクの現在の人口のうち15-20%は北方のクルド民族で、あと残り75−80%を占めるアラブ系のうちイスラム教シーア派とスンニ派が2対1の割合でいます。民族と宗教。国家という人間集団のコアとなりうる要素が三つあって、それを強引に一つにしている国がイラクです。まず、成立自体が不自然であり、何でそうなったの?という疑問があります。
20世紀初頭、イラクはオスマン・トルコ帝国の領土でした。イラクだけでなく、現在のイスラエルも、パレスチナも、レバノンも、現在のややこしい中東情勢を形成しているエリアは、全部オスマントルコという強大な帝国の支配下にありました。だから、世界史資料集で見る当時の地図は非常にシンプルです。
余談ですが、このオスマン・トルコ帝国というのは、個人的にちょっと興味があります。なぜかというと「デカい」「長い」という世界史上に残る超大国の一つであること。デカさでいえば、現在の中東を含め、エジプトなどの北アフリカ、さらにはヨーロッパのギリシア、ユーゴスラビアあたりまで支配していたということで、まずデカい。しかも、シベリアのように殆ど何もないような荒野を漠然と広く支配していたのではなく、古くはシルクロードから世界で最も活発で、最も民族や宗教が入り乱れているエリアをこれだけ広く支配していたこと。次に支配期間が長いこと。遡れば1299年建国ですから、およそ600年以上にわたってこの世界の文化の回廊のような要所を支配していました。さらに面白いのは、けっこう「いい国」だったらしいこと。支配統治といってもあまり過酷なものではなかったらしく、異民族他宗教のモザイクみたいな人民を気持ちよく生活させていたという、オーストラリアのマルチカルチャリズムの遠い先祖みたいな国だったらしいです。聞きかじりですが、民族や宗教の違いで差別をせずに、あえてゴチャゴチャに入り乱れて暮らすことを奨励したのが巧みで、ある特定の民族や集団を特定のエリアにまとめて住まわせるとそれが内紛の種になるということを知ってたのでしょうね。
大国も時がたてば空洞化するわけで、第一大戦後朽木が倒れるようにオスマントルコ帝国も瓦解したわけですが、そのときになんでイギリスとかフランスがイッチョ噛みしてたか?です。まあ、「ヨーロッパの脅威」であり続けたトルコ打倒は欧州の悲願だったのでしょう。十字軍とか懲りずに送ってるし。ただそれだけではなく、もっと生臭い理由がありそうで、それは石油です。石炭や石油という化石燃料が人類の歴史に登場するのは産業革命以降ですからそう古い話ではないです。それまで砂漠しかないと思われていたエリアもいきなり意味を持ってくるわけですね。産油地に食い込んでいって石油が欲しいと。
また余談ですけど、そもそも石油がこの地に埋蔵されてなかったら西欧はそれほど注目もイッチョ噛みもしなかったでしょう。あるいは、産業革命が別の方向にいって化石燃料以外のエネルギー源を開発してたらまた話は変わっていたでしょう。今日の中東情勢もかなり様相が異なっていただろうし、湾岸戦争も無かったでしょう。
例えば、現在、アフリカ西部のシエラレオネという国では延々内戦が続いて大変な泥沼状態になってます。国連も介入して頑張ってるのだけど、メディアには載らない。誰も知らない。激しい戦闘行為があれば直ちに世界の注目を集めるというものではないです。、世界のメディア(それも西欧、端的にはアメリカのメディア)の興味をひくかどうかによって決まるのでしょう。歴史にイフはないですが、中東もこのくらい地味なエリアになってた可能性だってあるわけです。あるいは、未来において、今では予想もつかない新しい資源が発見されたら、その産出エリアをめぐって世界の注目を集める国際紛争エリアになるのでしょう。例えば、、、SFみたいで思いつかないけど、タイムマシンが本当に実用化されたとして、作動させるためには時間粒子に影響を与える○○という特別な物質が必要で、それが日本の能登半島の沢山埋まってるということになったら、えらい騒ぎになるでしょう。ありえない話じゃないですよ。なぜなら、19世紀の頃まで電気の存在なんか誰も知らなかったわけだし、ましてやウランなんか誰も知らなかったわけでしょ。同じようなことが将来において起こっても不思議ではないです。
さて、イラクの歴史に戻ります。
第一次大戦の時に、トルコを後方から撹乱しようとしたイギリスは、いろいろな策を使います。トルコ支配下にあったアラブの人々を支援し、いずれ勝利に終わった際にはアラブ王国を作りましょうと約束します(1915マクマフォン協定)。しかし、イギリスは他方ではフランス、ロシアとトルコ領の分割を密約し(1916サイクス・ピコ協定)、またユダヤ民族についてはパレスチナに住めるようにしてユダヤ人国家建設を支持しますと約束します(1917バルフォア宣言)。これがいわゆる「イギリスの三枚舌」と言われているもので、その尖兵となってアラブ独立運動を助けたのが有名なアラビアのロレンスです。ちなみにこのトマス・エドワード・ロレンスですが、実際は映画ほどカッコ良いわけではない、、、というとか、ネットで調べた限りではかなり史実と違うという批判もあり、『アラブが見たアラビアのロレンス』(スレイマン・ムーサ著)などによると、彼はほとんど誇大妄想狂で、ちょっと参加しただけの作戦を「指揮した」とか言ってみたり、ありもしない戦闘や会談を捏造して伝えていたらしく、それにイギリスのジャーナリスト、ローウェル・トマスが一枚噛んでヒーローとして売り出そう、それをイギリス大衆が熱狂してしまった、みたいな感じだったらしいです。それが本当かどうかは別として、アラブ側の視点も情報も一切無視して作り出された英雄像であることには違いがないようですし、ロレンスが目指したとされるアラブの真の独立は、戦後イギリスの国益のもとシカトされてしまいます。
ともあれ、戦後、イギリスの石油利権確保のために、トルコ下においては3つの州だったエリアを合体してイラクという国を作り(イラクという国名は、アラビア語(?)で「低地」という意味らしい)、イギリスの委任統治領になった。ここに初めて「イラク」という国がこの世に出来たのですね。
ちなみに、パレスチナの方も第一次大戦後、イギリスの委任統治になり、ユダヤ人が入植してきます。さらに第二次大戦時に、ユダヤ系の資金協力を得ることの見返りにユダヤ人国家・イスラエルの建国をアメリカやイギリスなどの連合国側が約束したために、戦後1948年にイスラエルが建国されます。といっても、無人の荒野だったわけではなく、当然それまでパレスチナに住んでいたアラブ人は強制的に立ち退かされてしまいます。今まで暮らしてた場所に、いきなり2000年前の住人が戻ってきて、立ち退かされた上、国まで作られたら、そりゃアラブ人でなくても怒るわけで、以後のドンパチは周知のとおり。イスラエルをめぐって第一次〜第四次中東戦争が勃発しますし、未だにイスラエルとアラブは天敵同士としていがみあっています。
しかし、世界のいろいろな紛争やトラブルを遡ってみていくと、大体、19世紀の帝国主義諸国、そのなかでもイギリスとフランスが種を撒いているケースが非常に多いです。大戦を経て英仏が衰退した後は、アメリカが出てきて、今度は帝国主義ではなく対ソ連との冷戦構造がその後を引き継いでさらにややこしいことになっているという。ベトナム戦争だって結局そうですよね。フランスの植民地だったベトナムが独立に際して、ソ連が後押しする北ベトナムと、アメリカが後押しする南ベトナムがいがみあって、喧嘩になったという。アフガニスタンもそうですし。イラクのお隣のイランだって、最初はイギリスの石油利権のためにパーレビ国王を担ぎ出してるし。ブッシュ大統領はイラクなどを「悪の枢軸国」といいましたけど、大きな歴史の目でみたら、英仏米こそが悪の枢軸三カ国という気がします。
最近はアメリカがやたら強くて傲慢な印象がありますが、トータルとしてやってきたことを考えたらイギリスの方がずっとエグいです。ただ、上手なんですよね、イギリスは。国連が出来て皆が冷静になるまえに国力が低下して地味になっちゃったということもありますが、やり方がスマートというか、陰湿というか、あんまり悪いことしてるってイメージがないでしょう。でもやってることは麻薬をバラまいて国を潰そうとしたり(中国の阿片戦争)とか、ほとんど「人道に対する罪」といってもいいくらいですし、のうのうと香港を97年まで100年間「借り」たりしてるとか。アメリカとかソ連は新参者なだけにやり方が稚拙というか、分かり易いというか、ドラえ門のジャイアン的というか。日本の戦時中の帝国主義はアメリカ以上にもっとヘタクソで、やたら押し付けるだけだったから、それなりにインフラ整備とか植民地解放とかもやっていながらも、戦後何十年経っても未だに鬼畜呼ばわりされてます。これ戦争に負けたからだけじゃないと思います。植民地政策のヘタさ、世界に向けてのメディア戦略やイメージ戦略センスの欠如だと思います。アメリカですら、占領した日本からそんなに恨まれず、うまいことやってるというのに。イギリスにいたっては、中東の波乱の種を撒きまくった、殆ど「悪企み」のような活動を、アラビアのロレンスをもってきてロマンティックなヒーロー物語に仕立て上げてるという。
その後のイラクの歩みは、冷戦構造の絡みで語られます。最初、イラクは反共の砦としてバグダード条約機構に入ってましたが、59年にイラク革命が起こり、イラクは共和制になります。それからはソ連に接近し、1972年にイラクソ連友好条約が結ばれます。この頃まで、アメリカはイランを親米、イラクを反米と見てますが、今度はイランで革命が起きます。1979年イラン革命が起こり、親米的なパーレビ国校は追放され、イスラムシーア派のホメイニ師が実権を握り、イランは反米の宗教国家になります。同じ1979年イラクではサダム・フセインが大統領になり、イランに戦争を仕掛けます。これが8年も続く、イラン・イラク戦争です。
さてこのイラン・イラク戦争ですが、なんでイラクはイランに喧嘩を仕掛けたのか?ですが、イランでおこったイスラム革命がイラクまで飛び火するのを避けるためとか、イランとの国境紛争を有利に展開したかったためとか色々言われています。ところで、イラクでは、今日にいたるまで数では劣るスンニ派が実権を握っています。なんでスンニ派が強いのか?というと、僕もわからんのですが、オスマントルコ帝国時代、スンニ派がわりと官吏として登用されてたりして、行政手腕に長けていたとかいう指摘もあります。イランはシーア派の国ですので、イランの後押しを受けて国内のシーア派が動き出して国が乱れるのを嫌ったのかもしれません。また、イラクは(というかフセインは)もともとアラブの盟主になりたかったようで、革命でイランが弱体化した時期を狙って叩こうとしたとも言われます。
ここでイランですが、イランもイラクも「イラ」で始まるから似たような国かと思うのですが、全然違うみたいですね。もともとはメソポタミア文明であり、ペルシャ文明の国々でもあるのですが、イランは「ペルシャ語を喋るペルシャ人の国」であり、イラクは「アラビア語を喋るアラブ人の国」です。イランの語源は、アーリア人のアーリアからきたという説もあり、民族的にも違うとも言われます。
イラン革命ですが、どうも熱狂的というよりも狂信的なイスラム教徒が国を乗っ取って、狂信的なイスラム国家にしたかのようなイメージがありますが、よくよく見るとそうでもないようです。まず、それまでの親米パーレビ政権の政策があまり良くなかったのでしょう。アメリカの言いなりになりすぎて、あまり人々の生活は良くなかったようで、それをより向上させるために、反政府活動をしてイラクに亡命していたホメイニ師が出てきたという。革命を支持したのは別に熱狂的な教徒だけではなく、数は少ないけどキリスト教徒もいるし、マルクス主義者もいたといわれます。だから、本来宣伝されているように民主化を否定する宗教革命というよりは、より民主化を求めての革命で、変な言葉ですが「普通の革命」だったみたいです。でも、実権を握ったのがホメイニ師とその取り巻きという宗教集団だっただけに、以後行き過ぎるようになり、今日にいたるまでイスラムの厳しい戒律に従って国民生活が仕切られているようです。
ただ、これももっと細かく見ていくと、国民全員が敬虔なイスラム教徒なのではなく、むしろイスラム教圏ではもっとも不真面目なイスラム教徒が多いとすら言う人もいます(当のイラン人なんだけど)。なんでもそうですけど、国からこうしろと強制されるとシラける人も出てくるわけで、敬虔なイスラム教徒のふりをしていると何かと社会生活上便利だからそうやってるという人も多いとか。実際、公的には戒律を守っているわけですが、お金持ちの自宅のパーティでは、女性でもギンギンに着飾って、お酒も飲み放題とかやってたり、隣のトルコの衛星放送をひそかに受信してCNNからポルノまで見てるとか。それで当局がヘリコプターを飛ばして航空写真を取ってパラボラアンテナのあるところを取り締ってるらしいのですが、電気屋も「わからないように設置するから大丈夫」とかやってるという。なんかそのあたりのやりとりって大阪みたいですな。ホメイニ師亡き後のハタミ大統領も、徐々に自由化を進めているようです。一気に自由化はできないけど、「見てみぬふりをする」場面を増やすような形で。
考えてみれば、それも当然だよねって気もします。イラクだろうが、イランだろうが、どこだろうが、特にファナティックな人は別として、大多数は普通の人間が住んでるわけですから。先日、SBS(オーストラリアの国営放送で、マルチカルチャルチャンネル)でイラン映画を見る機会がありました。イラン人の日常生活とか、風景とかがふんだんに映って興味深いのですが、なんか「灼熱の砂漠の民」みたいなイメージがありますが、実際には非常に緑が豊かで美しいものでした。イメージっていかにアテにならないかですね。
さて、イランイラク戦争ですが、この戦争はイランからしたらホメイニ師を中心に国をまとめるのに都合が良かったようです。開始後ほどなくイラクからの停戦申入れをイランの方が蹴ってるくらいです。それに、イスラム教バリバリのイランからみたら、イラク、特にフセイン大統領は世俗派であり、宗教的には許されないような堕落した存在だったみたいです。また、イラク側としてもイランの宗教革命の影響を受けたくなかったということで、結局のところ、イラクってそんなにイスラム教バリバリの宗教国家ではないということですよね。でも、今回のテロ活動というのは、バリバリのイスラム原理主義者、狂信的なイスラム教徒のやってることで、それをイラクが援助してるってことはイラクもバリバリ原理主義でやってるかと思いきや、そうでもないみたいです。「あれ?」って気がしますね。
さて、反米政権になってしまったイランと喧嘩しているイラクを、「敵の敵は味方」とばかりに、今度はアメリカが応援するようになります。サダム・フセインに武器を供与して育てたのは他ならぬアメリカです。イラン革命があった79年には、イランの隣のアフガニスタンにソ連が侵攻しますが、反ソゲリラとしてアメリカが援助し、育てたのがビン・ラディンです。だから今回のドンパチのネタは、もとはといえばアメリカが79年から80年代にかけて自分で撒いてたともいえるわけです。
88年にイラン・イラク戦争が終結後、アメリカの援助で軍事大国になったイラクは、90年にクウェートに侵攻し、湾岸戦争がはじまります。イランイラク戦争あたりまでは、中東でドンパチやってようが、日本への影響は原油価格やオイルショックという経済的なものでしたが、湾岸戦争の頃から日本も自衛隊派遣するか資金援助するかで「戦争当事者になるかどうか」という議論が起きてきます。
さて、こうやってオスマントルコ以来のイラクの歴史を追っていきますと、なんでここにいたってアメリカがいきなり参戦してくるのかな?という唐突感があります。紛争当事国の一方に援助するとかいうのは今までもやってましたけど、ほとんど自分がメインの当事者として動いたのはなぜなのか。この頃はもう冷戦構造も崩壊していて、対ソ関係という理由は薄くなってるはずなのに。
ひとつは自分が育てた筈のイラク・フセインが、強大な軍事国家、生意気なやんちゃ坊主になったので、一発ヤキを入れておかねばと思ったのでしょうか。あとサウジアラビアとかクウェートとか安定してアメリカに石油を供給してくれている国を守らないとならないと思ったのでしょうか。
いろんな細かい推測は別として、大きな目で見ると、結局フセインにせよ誰にせよ、アラブ地方の人々は自分らでこのエリアを仕切りたいのでしょう。自分らで好きにやらせてくれと。それは自然な感情であると思います。でも、アメリカやイギリスとしては、「どうぞどうぞ」というわけにはいかない理由があるのでしょう。アメリカは「世界の警察」を自認してますから、東に喧嘩があれば飛んでいって仲裁し、、ということをしなきゃいけないって意識があるのでしょうけど、この力の入れ方はそれだけでは説明できないでしょう。やっぱり石油利権なんでしょうね。石油大手資本(メジャー)は、エクソンにせよ、BPにせよ殆どが英米資本ですから。やっぱり安定的に供給して欲しいだろうし、喧嘩ばっかりして、ツムジの曲がった指導者が仕切って「キミらには売らん」とか言われたら困るでしょう。だから、アメリカとしても出張らざるを得ないという部分があるのでしょうね。
ところで、イスラム教でよく出てくる、スンニ派とかシーア派とか、あれって何なのでしょう?どこが違うのでしょう?
ものの本によりますと、教義そのものや慣習は別にそう大きく違ってるわけではなく、ただ違うのは、「どのような人物が指導者であるべきか」という考えかたが違うらしいです。シーア派は、イスラムの指導者は預言者ムハンマド(モハメット)の末裔であるべきだと考えていて、スンニ派は合意によって選ばれるべきだと考えていると。そこが違う。具体的には、シーア派は、預言者ムハンマドの義理の息子で、7世紀にいたアリー・イブン・アビ・タリブという人物を崇拝しています。
流れでいくと、イスラムの主流派からシーア派が分離したことになってるようです。一見、より厳格なシーア派が正統派のようですが、でも宗派の分岐でいえばより新派の方がより厳格である傾向はありますよね。キリスト教でも、より厳格なプロテスタントやピューリタンがあとから出てきましたし。
さて、今回のイラク戦争ですが、流れをおさらいすると、まず911テロがあって、ビン・ラディン(とアル・カイダ)が犯行声明をしたので、彼が潜伏しまた彼をかくまっているとされたアフガニスタンのタリバン政権に、アメリカが報復攻撃を仕掛けた。タリバン政権はほどなく崩壊したけど、ビンラディンは見つからなかった。その後、アメリカはイラクを攻撃した。ここで世界は戸惑った。「え、なんで?」と。アメリカいわくは、イラクはアル・カイダなどのテロ組織に援助しているから、元を断たねばならないからだと。しかし、イラクがアルカイダとつながっているという証拠は乏しく(CIAですらも違うんじゃないかと言っていた)、そのうちにイラクは大量破壊兵器を隠し持っているから、こんな国を野放しにしておくと危険だからという言い方になった。戦後調べても大量破壊兵器なんか見つからないので、今度は「イラクの民主化のために独裁者を追放すべきだ」という言い方に変わってます。どうも理由がこの二転三転しているうちに、段々と言い訳がましく聞こえるようになってますし、「最初から大量兵器なんか無いのが分かっていながらやったんじゃないか」という疑惑ももたれています。
同時に、フセインを追放したらイラクは平和になってめでたしめでたしになる筈だったのに全然そんな感じではない。終わりのない泥沼に足を突っ込んだ格好になったアメリカは、軍事費だけでも大きな負担になってきていますし、国内でも厭戦気分が蔓延し、今年11月の大統領選挙がどうなるかが注目されている、と。こんな感じでしょうか。
今日のイラク問題については、いいろな側面で議論があります。ひとつは、ブッシュのやり方は適切だったのか?なぜやったのか?というブッシュ・アメリカ行動の是非論であり、もう一つは、じゃあこの先どうするのよ?ということです。
まずアメリカが中東にちょっかいを出すことですが、そのこと自体、僕は悪いとは思わないです。石油利権確保のために動いただけという見方を「うがち過ぎ」「邪推」とかいう人がいますが、アメリカはオイルメジャーを何社も抱えた国ですし、当然自国の関心事として産油国の状況に目を向けるでしょうし、割り込んでいって意見を言うことはなんら批判されるべきことだとは思わないです。これはBPやシェルを抱えるイギリスも同じことですし、中東の石油に国内産業の浮沈がかかっているという意味では日本だって同じことです。もっといえば、石油を動力源として使っている国=要するに殆ど全ての国ですけど、は中東の情勢に口を挟む権利があると思います。逆に言えば、乏しい資源なんだから、石油は一種の人類の公共財であり、それがたまたま産出された国の意向でどうにかなってしまうという方がおかしい。だから、産油国がドンパチやってて産出量がガタ減りして世界の皆が困るようなときには、「お前らいい加減にせーよ」と言っていいと思う。
ただし、それは公正明大にやるべきであり、各国が「俺が俺が」で争奪戦を繰り広げたら、結局自分に都合のいい政権を裏から操って、、という古臭い方法になってしまって、全然進歩がない。だから公正明大にオフィシャルに議論しつつやるべきでしょう。さらに、チョッカイ出すのもそれが限度、石油で迷惑を被る限度での話です。これは、村に川が流れていて、その上流の数軒の家がドンパチ喧嘩してて、喧嘩によって水がにごったり、流れがせきとめられたり、川が氾濫したら、下流の皆が迷惑するから、喧嘩の仲裁をするなり適切な処分をするというのと同じことだと思います。だけどチョッカイ出すのはその限度でです。ある上流の家の中の嫁姑の争いとか、夫婦喧嘩とかいうプライベートなことには口を出すべきではない。もしその一線を踏み越えて口を出すとしたら、その家の子供が虐待されていて見るに耐えないような場合とか、洒落にならないような殺傷沙汰になるような場合だと思います。
そういう意味で言えば、アメリカがイラクに先制攻撃をしかけたのは、何故そこまでしなくてはならないのか?という点で、未だ十分に説明がなされているようには思えないです。そもそも「石油が欲しいから喧嘩をします」という理由は最初から掲げていませんもんね。「独裁者を排してイラクを民主化する」という大義名分も、立派ではあるけど、イラク以上に非民主的な国は幾らでもある。アメリカのパートナーであるサウジアラビアなんか、封建社会の王家が支配し、ようやく今ごろになって選挙を段階的に実施とか言ってるくらいです。それに比べれば革命を経てまがりなりにも選挙が実施されて久しいイラクの方がよっぽど民主化されていると言える。民主化してないという意味では、北朝鮮もそうだし、ある意味では中国だってそうかもしれない。じゃあ、中国に先制軍事攻撃をしますか?というとしないでしょう。すればいいというものでもないでしょう。どうも目的と手段に十分に合理的な関連性が欠けているような気がします。
「テロリズムに対する戦い」という大義名分は、それ自体としては肯定できます。もっとも「テロ」というのは、やられる側からの呼び方で、やってる側からしたら、ゲリラであり、レジスタンスであり、ジハド(聖戦)なのでしょう。テロに対してどうしたら良いかですが、テロをする人間を取り締まったり、セキュリティを高めて防衛措置を講じるのは当然だとしても、それだけでは不十分だと僕は思います。いわば対症療法に過ぎない。テロ行為は、自爆テロも含めて、ダテや酔狂でできるようなものではないです。「自分の人生がパッとしないから、他人に迷惑をかけて鬱憤晴らしをする」というような犯罪行為、愉快犯などとはやっぱり違うと思うのですね。やる側にはそれだけの理由があり、それだけの心情的な恨みが溜まっているのでしょう。それは何か?です。
現状に(かなり強烈に)納得できない一群の人たちがいて、その欲求をノーマルで穏便な方法では解消できないからこそ、極端なゲリラ戦法に出るわけで、それがテロという行為になるのでしょう。彼らに強大な軍事力があったら、テロなんかやってないで戦争をするでしょう。でも彼我の軍事力にどうしようもない差があるから、分散して局所的に攻撃を加えるしかない。これだけ力の差があったら泣き寝入りするのが普通だったとしても、絶対に泣き寝入りしたくない人たちがいる。それだけ強烈に不正義を感じていて、そのためには死んでもいいと思ってる人達がいる。
TVドラマに必殺仕事人がありますが、あれもテロっちゃテロですよね。「越後屋、おぬしもワルよの」「お代官様こそ」という不正議な状況がまずある。誰もがそこに不正義を感じるわけですが、正規の方法、例えばお上に訴えでて調べてもらうという方法では解決しないことが分かっている。じゃあ、泣き寝入りかというと、絶対に泣き寝入りしたくない人もいるわけで、超法規的に制裁を下す=つまりはテロ行為をするわけですね。それが必殺仕事人なわけで、その立場から見てると、テロ行為こそが正義の行為になったりもするわけです。
今回のテロ活動は、イスラム原理主義者がやっているとされてますが、僕の乏しい理解によると、イスラム教それ自体はそれほど戦闘的な宗教ではないと思います。もしそんなに戦闘的な宗教だったら、イスラム教以外の異端国に対して見境なく戦争を仕掛けていてもいい筈ですし、インドネシアのようにイスラム教国も宗教的な戦火に包まれていなければならないでしょう。思うに、彼らが不正義に思っているポイントと、彼らの精神的支柱は別なのでしょう。アメリカを悪魔呼ばわりし、悪魔に対する戦闘を聖戦と呼ぶわけですが、そういうレトリックや激しい感情を裏打ちしているのが宗教であったとしても、もともとの恨みは宗教ではない。それは、やっぱり、自分達の民族や祖国を、アメリカをはじめとする西欧諸国がこれまで散々ひっかきまわしてきたこと、今後とも引っ掻き回し続けようとしていることに怒っているんじゃないか?と。
問題は、この膨大な「恨みエネルギー」をどうやって解消するかだと思います。理想を言えば、このような言いたいことがある人達は、国際的な舞台でそれを堂々と主張し、それを公正妥当に処理できる国際機関が存在することでしょう。現在も国連はあるし、国際司法裁判所もありますが、彼らから見たらそんなものは全然アテにならない、信用できないのでしょう。
実際、クールに眺めれば、帝国主義の侵略にせよ、冷戦構造にせよ、結局は大国強国のエゴに基づく侵略行為であり、その大いなる負債が今尚世界各地に残っていてくすぶりつづけているといえます。オーストラリアのアボリジニ問題だって、結局はイギリスがオーストラリアまでやってきて勝手にわが物顔で占領しはじめたところに端を発するわけです。だから、中東の人達が反米、反西欧感情を持つのはある意味当然だとも思います。だからといってテロがいいかどうかは別問題ですが、他人の家にやってきて勝手に財宝を漁るような行為の精算は、やっぱりなされなければならないと思います。「強大な力でその不満を抑圧する」という方法論は、倫理的に正しいとは思わないし、実践的にもどこまでいっても対症療法だから根本的には解決しない。抑圧されればされるほど燃えさかるのが人間の恨みというものですから。
そうなると、長期的にはまずもって人類が公正妥当な国際機関を構築できるかどうかにかかっていると思います。国際的な不満を平和的手段で解決する方法とシステム、さらにそれを実現するための人材や財政基盤の構築です。早い話が国連をもっともっとニュートラルに、どの国からも等距離で公正で、「国連がそう言うならしょうがないな」と誰にでも思われるような組織にすることでしょう。結局、それしかないと思います。それが出来るかどうか怪しいですし、理想論に過ぎるかかもしれませんが、じゃあどうすればいいのよ?というと、これといった対案もないでしょう。
テロに対する戦いは、テロを基礎付けている恨みを公正妥当に解消していくことが本道だと思います。それは犯罪に対する戦いの正道は、犯罪のないような、犯罪を犯すように気にならないような理想的な社会を作ることであり、個々の犯罪者を厳罰に処するだけでは犯罪は無くなりも減りもしないのと一緒でしょう。実際、今回のイラク戦争で、テロが減ったか?というと、むしろ増えているでしょう。恨みに火を注ぐようなことをしてしまったとも言えると思います。
あと、テロをやるような人たちのほかに、心情的なシンパが沢山います。自分ではテロはしないけど、彼らに同情的な人たちですね。そういったシンパがいなければ、テロなんか持続的組織的に出来ないでしょう。ビンラディンが掴まらないのも、かくまってる人が沢山いるのでしょう。そういった人達は、テロこそはしないものの、心情的には同調してます。だから、そういった人々に、「いや、幾らなんでもテロはダメだよ、もっとキチンとやらなきゃ」って思ってもらうことも大事でしょう。
そういう意味でも、アメリカのやりかたはヘタクソだと思います。まず、国連をないがしろにしたという点で、歴史に逆行しています。これはかなりマイナスポイント高いです。また、アメリカ的な価値観を絶対的な善、逆らう奴は絶対的な悪と決め付けるような、子供じみたものの言い方それ自体が人の感情を逆撫でしますよね。西欧的に価値観に馴染み、西欧文化圏に住んでいる僕ですら、ああいう言い方をされるとカチンと来ますよ。ナニサマだと思ってやがんだって。
しかし、今日のイラク問題は、テロ問題がどうしたという話ではないです。前述したように、もともと異なる民族同士が強引に一つの国にされてしまった経緯もあることですし、場合によっては国を分けることをも前提にしていかないとならないでしょう。端的に言えば、山岳のクルド民族ですね。彼らはフセイン政権下でも一定の自治権を与えられてましたが、一番美味しい石油の出るエリアは取り上げられていたとか、人口が入り混じるように中央のスンニ派の移住が奨励されたりという、かなり面倒なことになってます。実際三分割案も出ているようですし、あるいは三頭政治(クルド、スンニ派、シーア派それぞれが大統領を選出する)というプランもあるようです。
ブッシュ大統領はイラクの復興は「日本方式でいく」とか言ったそうですが、上記の経緯を考えれば、イラクが、もともと民族も、国も単一で、国内に内乱は何もなかった戦後日本の復興のようにいくわけがないといえます。もう、10年、20年かかって、ひとつひとつイラク人相互の合意を積み重ねて築き上げていくしかないし、国連をはじめとする世界はそのサポート役に徹するしかないでしょう。
なお、現在のイラク情勢ですが、アメリカも当初の「俺が仕切るんだかんね」という勢いはなくなり、早く国連にバトンタッチしたくなっているようです。来年1月の選挙を目指して、現在の連合国軍の暫定統治機関(CPA)から、6月末にイラク人による統治評議会に主権委譲がなされるというスケジュールが立てられています。この権限委譲や選挙のおいて、いかにイラク人主体の、中立的な政権ができるかどうかがポイントだと思います。逆に言えば、いかにアメリカの傀儡政権ではなくしていくか、ですね。
PS:今回のインターネットの数十のサイトを巡って勉強しましたが、特に有用だったサイトを紹介します。
★田中宇(さかい)の国際ニュース解説 深いところまで考察・解説されており、しかもいちいち情報の出典を明らかにしているという意味で優れたサイト
★ハシム世界史の旅のイラクの歴史 :イラクの歴史について手際よくまとめてあり、参考にさせていただきました。
文責:田村
★→APLaCのトップに戻る
バックナンバーはここ