今週の1枚(07.01.01)
ESSAY 291 :日本とオーストラリアの2006年
写真は、2005年12月31日午後11時55分撮影。あと5分で2007年になるという、恒例のハーバーブリッジの花火見物の風景。写真中央、闇に浮かんでいるダイヤモンドは、ブリッジにつるされたライトです。
この5分後に以下のようなFireworksが行われました。ブレてしまって画質が悪いから小さな画像だけです。
今回の更新はなんと元旦に当たってしまいました。休めばいいものを、そう告知するのが面倒なので書いちゃいます。
日本とオーストラリアの2006年十大ニュースでも書こうかと思ったのですが、あがってくるニュースを見渡してみても、「おお、これは書かねば」という意欲がかき立てるようなニュースは少ないです。食指が動かない。別に大した出来事も起きていない一年だったのでしょうね。これは日本もオーストラリアも同じで、まったりした、凡庸な一年だったんじゃないかと。
いや、もちろん、それなりに出来事は起きてます。日本の2006年のニュースを、例えば、
朝日新聞の特集でみると
、ライブドア事件、村上ファンド事件、WBC日本優勝、北朝鮮ミサイル発射と地下核実験、秋田の連続児童殺害事件、民主永田議員偽メール問題、小泉首相の靖国参拝、紀子様のご懐妊と男児ご出産、小中学生いじめ苦に自殺、多発 、夏の高校野球駒苫対早実、西武松坂投手大リーグ入り、自民安倍新総裁、新政権組閣、飲酒運転で死亡事故が多発、、、等々が挙げられています。
スポーツとか三面記事的な出来事が十大ニュースにあがってきていることからも、大したニュースがなかったことを示しているように思います。100年くらい後の歴史家が「2006年はこういう年」と位置づけるような、なにかエポックメイキングな出来事は無かったんじゃないかしら。ライブドア事件にしても、無理矢理事件にしたという検察の勇み足的な部分は議論になるだろうけど、言わばそれだけの話で、だからどう?という話でもないでしょう。ここに挙げられていないけど、景気が上向きになって就職状況が良くなって、またかつてのバブル時採用のときのような使えない社員が大量に発生するだろうなという循環的なことと、あとはサッカーのワールドカップで日本人の精神をヘシ折られるようなボロ負けを食らったというあたりが大きなところかと思います。
これらのニュースをバーッと眺めていて、因数分解のように共通のエッセンスを抽出して、大雑把にまとめてみると、以下の2点に集約されると思います。つまり、@本来の機能が損なわれていること、A内向き&引きこもり傾向の二点です。
まず、子供が虐待されたり、自殺に追い込まれているという傾向は何も今年始まった事ではないにせよよく目につくのですが、これは家庭や学校、あるいは友達・人間関係という本来の機能が損なわれていることを示していると言えなくもないでしょう。ライブドアも村上ファンド事件について言えば、こういったベンチャー企業を社会の中でどう育成していくか、旧来の権力構造とどう摺り合わせ、どう新陳代謝を進めていくかという視点で捉えられると思うのですが、そのような社会の健全な新陳代謝という本来の機能がマトモに働いていないってことではないか。生意気だし、妙に人気があるから潰しちゃいましょ、みたいな動きというのは、健康な新陳代謝からは遠い。
ここ数年ずっと皇室関係のニュースや議論が出てますが、これも皇室制度という制度が本来的にちゃんと機能していない、というかそもそも機能させるには無理のある制度になってきているとも言えるでしょう。イギリスをはじめとする欧州のロイヤル制度は、ダイアナ妃の例や、オーストラリア人女性と結ばれたデンマークの皇太子にせよ、行動の自由がかなりありますし、離婚の自由もある。もともとイギリスには「貴族」という社会システムが厳然と残っており、皇族の人たちが気楽につきあえる階級があるから、あんまり孤独にならずに済む。また、貴族や皇室自体が莫大な個人資産を持ってるから、あれこれ言われず自由に動ける。仲間がいて、自由があって、資金力もあるという環境があるからこそ、ロイヤルという職業選択の自由も何もない、ある種非人間的な環境にも耐えられるのでしょう。日本の皇室の場合、戦前だったらまだしも旧貴族や華族という「仲間」がいっぱいいたし、側室も当然と思われていたから男児の出産についてヤイヤイ言われることもなかった。しかし、今は、仲間もろくすっぽいないし、皇族の資産も国に完全に管理されてるし、行動の自由はないし、離婚の自由も、側室制度ももちろんない。独房状態で、四六時中監視状態に置かれるという感じで、普通の人間が普通に生きていくにはかなり窮屈な制度だと思われます。だから、今の日本の皇室制度は、制度として本来機能するべき前提条件を欠いているのではないか、機能不全を起こしているので花かということです。
政治関係で、偽メール事件なんかただの茶番なんだけど、安倍総理に決まっていく過程も、似たように茶番という気がします。一国のリーダーを決める過程、政治機能、個々の政治家のレベルが下がって、機能不全を起こしていると思います。郵政刺客とかさ、B級TV番組みたいなフレームワークでやってていいのか?って気もしますね。
一方、内向きというのはもっぱら国際関係に関することです。例によって北朝鮮がなんかかんか足掻いてますが、あれはあの国のお家芸だし、ああいう土俵際の駆け引き=英語でいうと"brinkmanship"をやるのが上手だし、それをやるしかない立場なんだから、まあ、別に珍しい話ではない。問題は、アジアにおける新秩序をアメリカ覇権中心でやっていくのか、中国覇権をメインに据えて、日韓台湾あたりがサポート&牽制するのかという大きなビジョンがまず無ければならない。その上で、みそっカス状態ででダダこねてる北朝鮮をどうリードしていけばいいかという政治問題になろうかと思います。テポドンだけ取り出して論じてみても、話が見えないでしょう。同じように靖国参拝がどうしたこうしたというのも枝葉末節なのですが、そういった枝葉末節しか視野に入らない、それ以上大きなフレームで考えることが出来ないというのは、内向き&引きこもり症状の現れだと思います。昔からそうだったけど、これだけ情報が流通していながら、一向に改善しないというか、むしろ悪くなってる。
サッカーのワールドカップも一つの引き金になってるのかもしれません。あの負け方はヒドイというか、単に負けたというだけではない。技術的に劣ってるのはまだ改善や希望の余地があるけど、精神的なレベルでダメってのは厳しいし、大して上手でもないオーストラリアなんかに、しかもああいう負け方をしてるってのが問題なのでしょう。サッカーで負けたというよりも、もっと人間としての根本的な部分で負けてるというか、「要するにキミタチはもともと体格もショボイし、運動がヘタクソだし、勝負事に弱いのだよ」と突きつけられたような感じですよね。これは別に勝てば良い、負けたからダメってことを言ってるのではなく、「しょせん格や器が違うのよ」「所詮二流なのよ」と言われているような感じを受けてしまった点が問題だと思うのです。なんつーか、根本的にダメ出しされてしまったって感じ。これがまた引きこもり、内向きベクトルに拍車をかけると。でもって、甲子園でハンカチが爽やかだとかいって騒ぐと。
この心理=広い世間を知らないうちは井の中の蛙、夜郎自大的にのぼせあがって、プライド指数100くらいにいくのだけど、一旦実際に世界に出て徹底的にボロ負けすると、今度はプライド指数ゼロまで落ち込むという精神の極端な振幅=は、第二次大戦を例にとるまでもなく、日本人の伝統的な悪弊でもあるのですが、あーんまり改善されてはいないです。というか、これもひどくなってるかもしれない。世界レベルで差を思い知らされたら、やっぱ燃えるのがスジでしょう。そりゃ確かに体格はチンケで、運動下手かもしれないけど、でも体格的にはイタリアなんかと大差ないし、韓国とはほとんど同じ。空手や柔道というより荒っぽい分野で世界を制してる日本が、サッカーで劣る理由もない。俺たちだって出来るんだぜってそこで燃えるのがスポーツ(に限らんけど)ドラマのセオリーでしょう。だから本来は、いい教訓だし、いいチャンスなのでしょう。むしろ視線は外向きになっていい。でも、あんまりそうなってないのではないか。
でもって、この精神構造は、例えば先日のAERAにも特集(06年12月25日号)してたけど、最近の若い社員はプライドは高いけど、一旦叱られるとペチャンコになってしまって、全人格否定をされたように感じ逆ギレしたり、「ああ、やっぱり私なんかダメ人間なんだ」と際限なく落ち込んでいく、だから叱るのが難しいという傾向に類似する部分がありますね。同記事に紹介されていたけど、日本の中学生の56.4%が「時には私は役に立たない人間だと思う」と回答しているところ(12年前の調査よりも3.5%上昇)、アメリカ人の場合、そう思うのはわずか32%しかおらず、中国にいたっては25.4%しかいない。「ボコボコにされる→ちくしょうと思って頑張る→克服・成長」というのが、どの世界にも共通する成長パターンなんだけど、それがここでも機能不全を起こしていて、自己肯定感がショボいから、まずもってボコボコにされるというファーストステップを恐れる。そういう経験がないから(逃げてるから)、ひよわなプライドばっかりやたら高い、コドモのまんまで年ばっかり食っていくって感じなんかもしれません。しかし、これは若い人だけの話ではなく、全年齢層に共通すると思います。
一方オーストラリアのニュースは、これもそれほどパッとはしないですね。政治部門でいえば、野党レイバーパーティの党首選びで、それまでのキム・ビーズリーから新しい世代のケヴィン・ラッドに党首の座が移ったことくらいでしょうか。NSW州政府では、大臣クラスがしょーもないスキャンダルで2−3クビになってます。訃報でいえば、大物二人。オーストラリア最大の資産家であり、メディア王でもあるケリー・パッカー氏の国葬のような大葬儀が行われ(亡くなったのは2005年の12月だけど)、クロコダイルハンターで有名なスティーブ・アーウィンがエイに刺されて亡くなりました。刑事事件では、インドネシアの法廷でシャペル・コービィ
(誰それ?って人はココを参照)
の上訴が退けられたことと、観光船で奇怪な死を遂げたダイアン・ブリンブルのケースが法廷においてくすぶっています。スポーツ界では、イアン・ソープが引退したのは日本でも報道されているだろうし。そうそう日本関係でもう二つ。一つはワールドカップで日本戦に勝ったこと。これはオージー的には結構うれしかったみたいですね。あとは、メルボルンカップで日本の競走馬が優勝したこと。これもオージーだったら誰でも知ってるんじゃないかな。
こんな感じで、オーストラリアの2006年は、それほどエポックメイキングなものはないですねー。総選挙もなかったし。経済的には、まあ相変わらず景気は良さげなのですが、NSW州が減速気味であり、不動産価格も数年前までシドニーが群を抜いて高かったのが、今やメルボルンとかパースの方が高いとすら言われつつあります。景気が良く、インフレが結構キツいので、公定歩合の値上げが数次にわたって行われています。今の時点で普通の3ヶ月定期にするだけでも5−6%つきます。それだけに借り入れ金利、特に住宅ローンなどは厳しくなってるような気もします。あとは、北QLDのバナナ農園がサイクロンに直撃されて大打撃を受けたため、オーストラリア市民はこの1年、いつもの5倍以上の値段のバナナを食べさせられたというのが身近なレベルでのニュースでしょう。普段であればキロ2−3ドルだったバナナが、いっとき、キロ13ドルとかそのくらいまで値上がりしてましたもんね。最近回復してきたみたいで、キロ4-5ドルレベルまで落ちてきてます。
サイクロンなどの一過性の災害ではなく、長期的なレベルでの気象変化でいえば干ばつでしょう。いまシドニーのダムの貯水量は30数パーセントまで下がってますし、3年以上続いている取水制限も当分解除される見込みはないです。干ばつに伴う農産物(食肉含む)価格の高騰、値段の高騰以前に、作物が全然出来ないという飢饉状態の農村もまた増えています。
あと経済界のニュースとしては、"private equity finance"と呼ばれるライブドアや村上ファンドのような動きが顕著であります。ただスケールが桁違いであり、日本でいえば、トヨタや松下、NTTなどの国を代表する超巨大企業がその主役に躍り出ているような規模で行われています。オーストラリアは地下資源に恵まれ、中国やインドの急成長と需要増大に呼応してガンガン輸出して儲かっています。それに目をつけた海外のマネー集団、例えばアメリカベースのKKR(Kohlberg Kravis Roberts)あたりがオーストラリアの企業に莫大な投資をして買収し、これを転売して巨利を得るという動きがあり、カンタス、コールズグループ、セブンネットワーク(TV局)などの巨大企業がこれらの集団と取引を持ちかけられたりしています。帝王ケリーのあとを継いだ息子のジェイムス・パッカーが率いるパッカー軍団=PPL(Publishing & Broadcasting Ltd)もその主役の一人であり、自社株の半分を叩き売り、その売却益4500億円相当を、配下のKerry Stokes(世界的なゲーミング企業)の拡大に投資してます。また、配下のTV局セブンネットワークをKKRに売ったりしています。これらの動きは、メディア業界の規制緩和を見越してのもので、メディア支配をめぐる攻防戦が始まっていると言っていいでしょう。もちろん、これにはルパートマードック率いるNews Ltdも参戦しています。
日本人の僕の目から見た欧米企業の特徴は、巨大企業になればなるほどガンガン攻撃的であるという点です。日本の企業は、財閥系などの大企業になればなるほど泰然自若として動かない印象があります。江戸時代の幕藩体制みたいな感じね。企業とは、昔ながらの「家」であり、「城」であり、家臣団の心の拠り所だったりする傾向があります。しかし、欧米の場合、企業とは単なる金儲けの手段に過ぎない。投資とリターンのための手段であり、必要とあればすぐに解体しちゃうし、売り飛ばしてしまう。経営陣や取締役会も、投資家から見たら単なる雇われマネージャーだから、年柄年中クビがすげ替えられる。これだけ頻繁にオーナーやマネージャーが変ってしまえば、そこには天下りなどの官との癒着も乏しい。構造的、システム的に利潤が巨大な組織内部に蓄積され、そこにシロアリのように人々が巣くうという日本型とは違い、もっとドライでメカニカルな動きをします。だから、日本のトップ企業達がそろってライブドアや村上ファンドみたいな動きをしているような状況が生まれるのでしょう。
2006年のオーストラリアは、2006年自体はこれといってパッとしないのだけど、2007年以降の変化の予兆は随所に出てきていると思います。上記のメディア戦争、企業買収は2007年以降いよいよ加熱するでしょう。2000年以降、弾ける弾けると言われながらなかなか弾けないバブル景気も、シドニーの不動産価格が下がって、パースが上がっているという、末端肥大現象が出てきたらそろそろかなって気もします。折しもアメリカも似たような不動産バブルで2007年はどうなるか分からないと言われていますし、ドラスティックな動きがあるかもしれません。
アメリカの大統領選でブッシュに敗れたアル・ゴアは、今は世界の気象変化・温暖化に対する意識覚醒や対策を訴えて世界行脚をしています。ある意味、ブッシュよりも有名で人気があるかもしれない。彼の指摘する、そして数十年前から識者が指摘し続けていた地球規模の気象変化は、2006年にいよいよ明確になってきたと言われています。温暖化のスピード、極冠氷の融解スピードは予想していたよりもずっと速いことや、そのメカニズムや状況が、以前よりも遙かに進歩した人工衛星からの観察機器によって明らかにされています。実際異常気象は、世界規模で起こっていますし、オーストラリアでもその影響がモロに来ています。干ばつは一向に改善の兆しはないし。一方では、石油などの化石燃料の窮乏はだんだんのっぴきならないレベルになっていくかもしれません。
シドニーでもこれらの影響はダイレクトにきてますし、これ以上ダムの貯水量が下がり、30%を切るようになったら、大反対を受けている海水の淡水化プラントの建設に着手せざるを得ないと州政府はコメントを出しています。また、ガソリンの値段はいっときよりはマシとはいえ、数年前に比べたら1.5倍レベルで高止まりしています。また、電力需要の上昇から、オーストラリアにも原発を作るべきではないかという議論がかなり深刻に行われています。余談ですが、オーストラリアは資源に恵まれてはいるけど石油はあまり出ません。LPGは豊富なんだけど。また、日本人はあまりに恵まれているのでその価値が分からないのですが、「水」も立派な資源の一つです。世界一乾燥している大陸であるオーストラリアからしたら、日本は水資源に恵まれている資源国でもあります。
経済の動き、気象変化など世界的な潮流が、ダイレクトにオーストラリアに、そしてシドニー住人である我々のところに来ているわけで、自分の生活と世界の動きが日々リンクしているということが分かります。だからあんまり「内向き」じゃないし、ウチとかソトとかいう意識も自然に消滅しますし、国内ニュースも国際ニュースも同列に捉えるようになります。
あと政治の動きでいえば、2007年にはいよいよ連邦総選挙があります。2006年現在の世論調査では、既に野党レイバーが国民の支持を取り付けている結果が現れており、10年にわたったジョンハワードの長期リベラルパーティ政権も、そろそろ政権交代かと言われています。アメリカも2008年には大統領選挙であり、2006年の中間選挙においてブッシュ並びにリパブリカン(共和党)がボロ負けしてます。これまでのブッシュ、ハワード政権、戦争OK、経済開発OKという保守的でイケイケな潮流が変りつつあるのではないか。「潮の変わり目」というやつですね。オーストラリアのレイバーパーティ、アメリカのデモクラッツ(民主党)という、より社会福祉や人権、環境問題に関心の高いリベラルな潮流が盛り返してきていると言えるでしょう。
それが2007年、2008年とどう展開していくのか、あるいは流れがコケるのか、そのあたりが注目すべき点だと思います。「そろそろまた時代が変っていきそうだな」という予感ですね。結局、イケイケ路線でわかったこといえば、テロに対する聖戦という旗頭でいろいろやってみたけど、戦争や暴力的な方法で中東問題は解決しないし、テロに対してもしかり。内政干渉もここまでくると茶番のようなサダムフセインの処刑を年内に強行して、「成果はあった」と胸を張りたいブッシュ政権なのかもしれないけど、世界の目は冷ややかでしょう。結局残ったものは、高騰したガソリンの値段だったりして、イケイケでやっていってもしょうがないんじゃないかって揺れ戻しがくるのは、ある種の必然でしょう。
より大きな世界史的なレベルでいえば、
以前に「ESSAY 245/『時代が変わった』 〜物財幸福主義は1970年代に既に終わっていること」で書いたように
、1970年代以降本質的な意味での「成長」がなくなってきて、精神的には「中世」になってきていることから、「成長」という物的量的拡大で物事を解決するというモノの考え方ではなく、「成長しない、むしろ縮小する」という前提で物事をソート・アウト、解決していくモノの考え方になっていくように思います。何か新しいモノが発明され、それで生活が良くなるというよりは、今あるモノを見つめ直し、その価値を再度検証し、浪費している物やシステムや精神を、整理整頓し、スッキリさせていこうという流れになるということであり、それは既に底流においてはそうなりつつある。「ゴージャス」が最高価値であるとは、あんまり皆も思わなくなってきている。
ただし、この静脈的な流れというのは、まず個々人の意識の内部にぽっと灯り、徐々に外部に出てくるものであるから、旺盛な消費欲求とか、巨大なインフラ建設のように外部からわかりやすいものではない。政治とか経済の指標や、ハデな動きだけ追いかけているとスッポリ見落としてしまうでしょう。世界的にも中国の急成長に世界が引っ張られるという、分かりやすくも動脈的な流れがあり、オーストラリアにおいても15年連続の好景気や5年前に比べて倍近くに膨れあがってる家庭・個人レベルでの累積借金額などハデで動脈的な流れがあります。しかし、シドニーの水不足で市民の節水への態度はかなり真剣だし、水の消費量は相当減ってきています。だから、常に相反する二つの潮流があるのでしょう。
以上、世界の流れとオーストラリアでの僕らの日々の生活の流れというのは、大きくリンクしていますし、2006年のオーストラリアと2007年の展望は、世界におけるそれとそれほど変わりはないです。また、連続ドラマみたいに、全体の流れを前提にしつつ2006年はこうだったって感じで位置づけやすいし、見えやすい。
ところが、日本のニュースを見ていても、あんまりこういった展開というか流れが見えないんですよ。ああ、なるほど日本はこういう方向に進んでいるのだな、これまでAという方法論で進んでいたけど、今度はBという方向で試行錯誤をしようという感じなのねという具合に、流れが読めない。よく分からん。
でも、日本だって世界の一部だから、世界の動向が日本の個々人のレベルにまで降りてきているものは沢山あります。ガソリンだってしっかり上がってるし、テロ対策潮流に乗っかって共同謀議法案が通っちゃってるし、セレブブームなんてのもアメリカあたりから持ってきたものだろうし、ライブドアも村上ファンドも世界的なエクィティファイナンスの手法をそのまま日本に持ち込んだだけだし、静脈的な「ろはす」的な潮流もメジャーになりつつあるし、時代が「中世」的になっているから以前よりもスピリチャルなものが持て囃されるようになったこともそうです。ちなみに、その昔は「オカルト」と言っていたものが、最近は「スピリチャル」と言葉と文脈を変えてますよね。以前は「怖いモノ見たさ」的、野次馬的興味だったのが、最近はもっと真剣な文脈になってるように思います。
だから、日本も立派に世界とつながっているわけです。バリバリ繋がっているのだけど、なかなかそれがマスコミ報道などからは窺われない。世界史的・巨視的に流れが読めるような事件はあるはずなんだけど、一般的にそういうニュースは上がってこないか、重大視されない。これはもう、そういう視点が欠落しているのではないか?地球儀そのままに、地球があります、その一地点に日本があります、だから全体の影響を日本は360度から受けていますって感じではない。日本社会のどっかにドアがあって、そのドアから海外のモノが輸入されてくるって感じ。「今アメリカでは、、」って、誰かが持ち込んで紹介するって感じ。そういう感覚でいると、なかなか皮膚感覚で全体を捉えるのが難しくなってくるように思います。甲子園のハンカチやら、偽メール事件とかそんなの幾ら積み上げても流れは見えてこない。安倍さんが新首相になったから、何がどうなるかというのも見えない。なんだかよく分からないうちにムードだけでなってしまった、だからムードが去ったら安倍さんも去るんだろうなって感じでしょう。
相変わらず分かりにくい国だな、という印象を再度残した2006年って感じでしょうか。
文責:田村
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