今週の1枚(06.10.09)
ESSAY 279/日本帰省記2006(09) 日本の風景B 京都と比叡山
写真は、京都市南区にある近鉄十条駅。なんの変哲も無い駅の風景ですが、左端に東寺の五重塔がポコンと写ってます。「それがどうしたの?」ということは、以下の本文を参照。
先週一回お休みしてオーストラリアのことを書きましたが、また日本帰省シリーズに戻ります。あと2回くらいに収めたいと思ってます。
以下、貯まりまくった写真を掲載していきます。延々シリーズを続けてまで掲載しなきゃいけないほど素晴らしい写真か?というと、別に全然普通のスナップ写真です。しかし、僕の目から見て何かしらかピン!と来るものがあって撮ったものです。
今回は、京都と比叡山の特集です。僕自身は東京生まれの東京育ちですが、学生時代は京都に7年間も住んでましたし、実家が京都に引っ越してきて現在にいたることから、とりあえず日本に帰ったときのベースキャンプは京都になります。
京都というのは、古くから日本の都であったわけですし、いわゆる「日本的なるもの」が凝縮しており、日本人のふるさと的な存在でもあります。僕は京都にベッタと住んでたことから、京都については平均的な日本人よりも詳しいでしょう。都大路の隅々までチャリンコや原付で駆けずり回ってましたし、弁護士時代も京都の事件は多く手がけました。しかし長いこと海外に行ってることで、平均的な日本人よりも異邦人的な感覚で京都を見てしまうところもあります。自分でも面白いのですが、ものすごくよく知ってるくせに、いちいち「おお」と驚いてしまうわけで、京都に戻るといつもこの奇妙の感覚を楽しませてくれます。
上の写真左の二枚は、言うまでもなく京都というと必ず登場する東寺の五重塔です。
通常、TVや映画などにこの五重塔が登場するときは、大体いつも同じ方向から撮ったものになります。撮影スポットというのがあるのでしょうね。出来るだけ他の近代的な建物に邪魔されないで、いかにも京都という雰囲気を盛り上げるショットです。あれはどこから撮っているのかな、五重塔よりも南西の方角から東山の丘陵を背景に取るとか、逆に桂川方面をバックにして夕陽にシルエットというアングルで撮るとか。
しかし、現実にはそんなにキメキメのアングルだけで存在しているわけではありません。当たり前ですけど。するとどうなるかというと、普通の何の変哲もない日本の街の風景に突如あの五重塔がニョキッと突き出てるわけです。どんなものでも見慣れると日常風景なってしまいますが、冷静に引いて見てみると、かなり異様な光景と言えるでしょう。「なんだ、あれは!」という。
写真左端は新幹線の車中(京都から新大阪に向かう)から望遠レンズで撮ったものですが、画像を拡大してじーっと見てると、ヘンな気分になりますよ。「なんで、こんなモンがあるんじゃ?」という。しまいには、はめ込み合成写真のように見えてきたりもします。写真中央は、近鉄東寺駅付近で撮ったものです。これも日常生活にいきなり闖入してる感じがして、シュールといえばシュールです。こーゆーのってガイジンさんからどう見えているのでしょうねー。
でも、東寺の境内の中に入り、間近で東寺を見るとカッコいいですよ。五重塔は日本全国各地にありますが、縦横バランスやその巨大さからして、かなり完成されまくったアートという気がします。ちょっとポップすぎるくらいの分かりやすさでありながら、カッコ良さと優美さが調和してて、「うーむ、かっけー」とか感心します。高さ55メートルというのは間近で見るとハンパじゃないよ。修学旅行なんぞで見ても、あのくらいの思春期のガキンチョにはこのカッコ良さは分からんでしょう(僕も分からんかった)。ある程度年をとってから見るべし。
昔京都に住んでるときはこの東寺から1キロ以内に住んでいて、今はシドニーに住んでいるわけですが、五重塔やオペラハウスという世界的なアイコンの近くに住んでいるというのは妙なものです。家の近くにヘンな物があるという。見慣れてるんだけど、ふとあるとき新鮮な感動に包まれます。
写真右端は、関西空港ではなく(っぽいでしょ)、京都駅です。コンコースの大階段の天井です。京都駅も景観破壊だなんだと物議を醸してましたけど、まあ成功だったと思います。しかし、京都駅は東寺のすぐ近くにあるわけですが、この仰々しい鉄骨とガラスの細工を見ていると、1000年前の日本人のセンスに比べて進歩したんだか退歩したんだかわかりませんね。月並みな感想だけど、人間ってある意味ではほんと進歩してないような気もします。
写真上左端は、北白川付近から撮った大文字山(左大文字)です。学生時代、最初に住んでたのがこのあたりでしたが、東京からやってきていきなりこの山が見えたときは感動しましたね。「なんじゃ、こりゃ」と。慣れたらどってことないのですが、でも「山に字を書く」というのは、世界中見渡してみても、ありそうでそんなに無いですよ。ハリウッドだって看板立ててるだけだしね。京都に引っ越してきた翌日には、もうこの山に登ってました。わりと簡単に登れるのですよ。銀閣寺の裏の山道を辿っていくと、20-30分ヒーヒー登ってると着きます。「大」の字に沿って歩きながら京都市街を一望するのはなかなか気分がいいものです。未体験の方、オススメです。
写真中央は、前の写真を撮った近くにあるお地蔵様。いっとき、毎日このあたりのバス停で降りて、このお地蔵様の横を通って下宿に帰っていた思い出深い所なのですが、いま改めてシミジミ見ると巨大なお地蔵様ですよね。京都の有名な地蔵盆は、例えばこういうお地蔵様の周囲でやられたりするのですが、外人客に"What's this?"とか聞かれると返答に窮するものがあります。
返答に窮するといえば、写真右端もそうです。これは京都先斗町で撮ったものですが、この写真右にある供花のある箱型の物体は何なんでしょうね。祠(ほこら)?神祠?お稲荷さん?上のお地蔵様もそうですが、そもそもお地蔵様って何なの?他にも道祖神とか、氏神様とかありますが、日本にはこういう「よく考えると分からない」民間信仰が根強く残っています。昔のエッセイでも触れましたが、日本は神仏習合といって、神道と仏教がゴチャマゼになっており、しかも仏教といってもバラモン教とか中国の道教とか儒教とかもミックスしており、僕ら自身は無神論者のつもりでいながら、やたらめったら宗教のミクスチャー状態にあります。外人さんに日本の宗教状態を説明する羽目に陥ったら、過去のエッセイESSAY 253/海外でJAPANについて説明しよう〜宗教編 をご参考にして下さい。
写真はいずれも、いかにも系風景の先斗町です。三条四条界隈で、鴨川とメインストリート河原町通りに挟まれたエリアを先斗町とか木屋町とか言いますが、最も鴨川寄りの細い道が先斗町通り、その隣が木屋町通りです。京都というと「一見さんお断り」的な敷居の高さをイメージしますが、このあたりはぶっちゃけ普通のレストラン街といってもいいと思います。そーゆー店もあるけど、一見さん大歓迎の普通の店も多いです。しかし、京都は難読地名が多いのですが、先斗町も「ぽんとちょう」なんて凄い読ませ方をしますね。
先斗町には芸妓さんの学校である歌舞練場があります(写真中央)。外人さんに「ゲンシャってなーに?幾らするの?」って聞かれて返答に窮したら、これまた過去のエッセイESSAY 252/海外でJAPANについて説明しよう〜ゲイシャ編をごらん下さい。ホスピタリティインダストリーの虎の穴です。
ところがこの歌舞練場でビヤホールを営業していました(写真右端)。大正ロマン風のロゴで「麦酒ホール」となっていて、期間限定だそうです。しかも予め入場券を買わねばならないという。どんな感じなんでしょうねー。興味はあったが、準備も時間もなかったので中は見られませんでした。
写真左は、鴨川べりです。右手には夏の京都の風物詩でもある「川床(かわどこ)」も見えます。川床というのは、建物の裏手、川に面したところに増設した物干し台のような木造バルコニーのことです。夏の夕暮れに、鴨川を渡る涼風を楽しみながら、料理を味わうという京都の雅やかな趣向ですね。僕も一度体験したことがありますが、なかなかオープンカフェ的に開放感があっていいもんです。ただし、「鴨川」「夕暮れ」「涼風」「雅やか」という文字からあまり過剰に期待してはいけません。鴨川といっても、都会に流れている普通の川だし、護岸工事でコンクリートバリバリ、川辺にはカップルがイチャイチャしてたり、コンパ流れの大学生が奇声を発してたりします。僕自身、イチャイチャしたり、奇声を発してたという過去がありますから、そういう風景を見ても懐かしいなあと好意的に見られますが、源氏物語的な雅(みやび)を過剰に期待してるとハズしますので注意です。
写真中央は、この上の鴨川べりの写真を撮影した場所です(三条大橋)。ここから撮ったわけですね。川の写真だけ見てるとのびのびとした開放空間のような感じがしますが、一歩街路に出てみれば、京都名物のクソ狭い車道と歩道に車と人がひしめきあってたりします。
一歩メインストリートに出たら車と人がひしめきあってるのは、木屋町、先斗町、祇園界隈でも同じです。上の写真は、左は四条大橋付近、
右は四条河原町です。四条大橋の歌舞伎座と背景の東山の山並みがかろうじて京都っぽさを残してますが、それ以外は、歩行者が車道にまでハミ出して歩いている、ただの繁華街です。
しかし、このような風景もわずか数キロ北上するとガラリと変わります。
同じ鴨川でも、僕はもっと上流をオススメしますね。鴨川は上流に遡ると、出町柳(今出川通りと川の交差地点)あたりで、二本に分岐します。西側の川を賀茂川(鴨が賀茂になる)、東側の川を高野川といいます。写真右は、高野川の風景。高野橋(北大路通りと高野川の交差地点)から撮りました。夏草が青々と生い茂って、いい感じです。
写真左は、高野大橋からほど近いエリア。北大路通りと京福鞍馬線の踏み切りで、一乗寺とか呼ばれているエリアです。のどかな住宅街になります。
京都市街地というのは非常に範囲が狭く、少し北上しただけで信じられないくらい鄙びた田舎的な雰囲気になります。賀茂川の上流とかすごいですよ。上賀茂からさらに北に進むといきなり山です。原付でトトトと5-10分いくと、山が迫ってきて、終いには人家も途絶えます。この都会なんだか田舎なんだか、古いんだか新しいんだかよく分からない、箱庭的にゴチャ混ぜになってるところが京都の面白さだと思います。
京都が出たついでに、京の都の鬼門を守る比叡山延暦寺を。
長いこと京都に住んでた割には、比叡山に登ったのは実は中学の修学旅行以来なかったのですね。比叡のドライブウェイは通ったことあるけど、延暦寺そのものは行ってないです。久しぶりに行ってみようかとふと思い立ちました。京都駅前からバスに乗って850円かそこらで比叡山頂まで連れて行ってくれます。実は京都駅前でこのバス乗り場を発見して、「お、こんなに安く&簡単に行けちゃうのね」と思ったからこそ、行ってみようとか思った次第です。特に比叡山に行かねばならぬ!という深い思い入れがあったわけではありません。
まずは比叡山頂からの写真を。
左端は北方を望みます。前段の文章の感じ=一歩奥に行くといきなり山になる=というのが、何となくおわかりになると思います。写真に写っている盆地状の集落が、有名な大原です。「京都大原三千院」と歌にもなってる名所ですが、上から見たらこんなところにあるのですね。いかにも絵に描いたような「山里」です。忍者とか居そうですよね(^^*)。
でも写真をみててつくづく思いましたけど、これって日本人の一つの心象風景なのかもしれないなって。山々が連なって、その盆地に集落があって、、という。いわゆる「里」ですね。殆ど初めてみる風景だけど、初めて見るって気がしないですね。こういった風景というのは、日本全国いたるところにあるでしょうし、実際に似たような風景を見たこともあれば、実際の体験以外=例えば日本昔話とか映画とか挿絵とか色々な形で過去に出会ってきているのでしょう。だから、なんか懐かしい感じがします。東京生まれの東京育ちの人間が見ても懐かしく感じる。
写真中央と右は、比叡山から東側、眼下に琵琶湖を見下ろす景観です。
写真中央は手前に杉の林、ひょろっと伸びて先端だけ葉を茂らせている、京都の独特な「北山杉」が写ってます。
写真右は、斜め構図で、豪快な夏雲も入れてみました。
建物の写真を三枚。
写真左端、斜め構図のバーン!と音がするような写真を。また写真中央も構図に凝ってます。中々カッコいい写真だと自画自賛的に思うのですが、でもこれって被写体(建物)がそもそもカッコいいんですよね。お寺=古臭いみたいな固定的な、それこそジジ臭い思い込みから一旦開放されて、素直に見てみると、こういう建物ってカッコいいですよ。今回なんて、「おお、ロックしてるな!」って思っちゃいました。だってさ、石灯籠の先がクルルッとカールしてたり、軒下にこれでもかという程木材を並べたりしてるし、色もドハデな朱色に白だったり、いちいち過剰なんだわ。まるでグラムロックかKISSのステージのようなコテコテぶりじゃないですか。でも、「やり過ぎちゃう?」と思いつつも、あまりにも確信ありげに堂々としてるから見てても納得させられてしまうという。
右端の写真は、うってかわって渋い木目調。こーゆーのもいいですよね。朱塗りゴテゴテがKISSのステージだとしたら、こっちはブルース的な、エリック・クラプトンみたいな枯れたカッコ良さがありますよね。
ところで、同じ境内にあるとは思えない、この建築センス、配色感覚の差は何なんだ?って思ってしまいました。日本古来の建築様式、あるいは日本人の美意識というのは、どうも二系統あるのですかね。派手系VS地味系です。堺屋太一氏の「日本とは何か?」という名著があるのですが、そこで氏は日本人のセンスの特徴として「生成りの文化」という言葉で説明していました。塗料が剥げても、その剥げ方を「味わい」として喜ぶ。塗りなおしたりしない。端的にいってボロいんだけど、そのボロさが自然の年月によって生じたものだったら、その自然の力の素晴らしさを素直に鑑賞しようというナチュラルなセンスを持っている。だから「わび」「さび」のように、茶室にしてもかなり狭苦しい空間をわざわざ作り、インテリアを極端に排除する。豪奢な生け花なんか幾らでも出来るにも関らず、庭に生えていた花を一輪だけ飾る。古ぼけた唐渡りの茶碗を珍重する。枯れることを尊ぶ。こういうセンスがあります。これは僕らにもあります。押さえた渋さの美というのは、かなり美的センスが高度でないと出てこないです。
じゃあ、日本人はみな渋好みなのかというと、意外と超ドハデなものも好きだったりもします。歌舞伎なんかその典型だけど、「よくもまあ」というくらい衣装にしてもハデハデですし、隈取りというKISSのメイクの元祖のようなものを300年早くはじめていたわけです。ビジュアル系もビジュアル系、「なにもそこまでしなくても」というくらい過剰なうえにも過剰な衣装、設定、セリフ回しだったりします。3秒でいえるセリフを、見栄をキリながら10秒くらいかけて思いっきりメリハリをつけて喋る。ナチュラルさなんかカケラもない。一方では枯れること、古びることの中に自然の美を見出す突出した美的センスを持ちながら、他方では死ぬほど不自然なギンギンハデハデなものを楽しむという、ほとんど精神分裂みたいな美的センスの二大系統があると思います。
僕らの中にもこの2つのセンスは今も尚ビビットに生きているのだと思います。だから、同じ寺の境内に、一方では「ペンキ塗りたて」みたいな朱塗りの派手な建物がありながら、他方には生成りの木目調の建物が存在していることに違和感を感じないのでしょう。どちらもOK。どちらも美にあり方として容認できちゃうのが日本人なのでしょうね。
これはたしか阿弥陀堂だったかな。急な階段の上に夏の太陽の反射を受けた屋根、その上に謎の宇宙船のような物体が・・・・。この屋根の上に設置されている、避雷針+羽を広げた孔雀のような物体は、「法輪」あるいは「相輪」というのでしたっけ?なんであんなモノがあるのか、どうしてああいう形をしているのか、それなりに意味はあるのでしょうが、ここまで詳しくなってくるとインターネットでも探しきれませんでした。円形の炎のような部分ですが、火炎状なのだけど「火」を避けて敢えて反対の「水」という言葉を使い、「水煙」と呼ばれる部分だということくらいしか分からんかったです。しかし、ちょっとこういう話題になると、自分の教養の無さがイヤになってきますね。「これは有名な○○様式の」くらいソラで言えるようになりたいものです。
しかし、シミジミ眺めれば眺めるほど、かなりシュールな造形です。現代彫刻みたい。ほんとに異星人の宇宙船みたいな強烈な違和感と存在感があります。
階段(石段)といえば、お寺にはつきものですね。体育会系の合宿でシゴキの舞台となりそうな石段。
写真上左と中央は、根本中堂前の石段と、その上から根本中堂を見下ろしたところです。左の写真を見ていると、「岩に染みいる蝉の声」というフレーズが思わず浮かんできます。実際、蝉の鳴き声がしていたわけですが、その音が階段の石のなかにすっと染み込んでいくような感じがしました。
写真右は、上で「宇宙船」と書いた阿弥陀堂への階段を上に登ってから見下ろして撮影したもの。7月末だというのに、まだ紫陽花が綺麗に咲いてました。
写真左は、一生懸命作務(さむ)に励む僧侶。「メンテナンス」とタイトルをつけたくなるくらいですが、着ておられるのが本当の意味での作務衣(さむえ)なんでしょうね。今は、カジュアルなホームウェアとして一般に売り出されている作務衣ですが、やはり本物は何と言うか迫力が違います。
写真中央は、別になんということもない社寺の裏手の風景ですが、佇まいが妙にリアルだったのですね。この場にバババと侍が駆け込んできて、いきなり斬り合いを始めてもおかしくないというか。そういうことを本当にやっていた時代があったわけですが、その頃と寸分も違わないだろうなと思わせる風景です。昔の人は、こういう風景の中にいたのかということで、かつてあった時代のことが一瞬すごくリアルに感じられました。
右端の写真は、仏様の表情に魅入られて撮りました。なんというのでしょうか、あどけない幼児のような顔なのですが、同時に全てのことを悟りきった超越的な表情でもあるという。矛盾してるだけど調和してるという不思議な表情です。赤ちゃんの顔にこそ仏性が宿るというのを何かで読んだ気がしますが、まさにそんな感じです。
しかし、よく見かけるのですが、仏様やお地蔵様にかかっているヨダレ掛けみたいな布切はなんなのだろう?まさか、本当にヨダレ・プロテクションの意味でつけているわけでもあるまいに、謎です。謎といえば、手の平の上に乗せている物体はなんなのでしょう?桃から生まれた桃太郎が合掌してるように見えるのですが・・・?それに「仏様」とか書いてますが、これは観音様かな。観音様の定義ってなんだ?観自在菩薩?ああ〜、教養の無さがまた露呈してしまう。
最後に比叡山往復の途上の風景を。前述のように往路は京都駅からの直行バス、帰りはケーブルカーに乗って琵琶湖方面(滋賀県大津市)に降りていきました。
写真上左は、往路の京都駅から比叡山山頂の途中、つまり比叡山の中腹あたりで見かけた子供用の施設です。ピエロなんだか案山子(かかし)なんだかよく分からない人形にまず驚かされます。なんという大胆で、前衛的で、シュールな。でもインパクトありますね。背後に写っている比叡山ザリガニ園というのに激しく惹かれました。なぜ比叡山でザリガニ!?という疑問もありますが、ザリガニという単語を目にするのは本当に久しぶりです。忘れてたわ。今よみがえる子供時代。よく取ったもんです。マッカチンとかいたよねって、地域によって呼び名が全然違うと思うから分からないだろうけど。オーストラリアの特産物(なのかな)にヤビーというのがありまして、時々フィッシュマーケットで売ってたりするのですが、これが小ぶりのザリガニみたいなんですよね。どうも食べる気になりません。ザリガニといっても、形状からすれば「小型伊勢エビ」であり、食べられない道理はないんだろうけど、小さくなっただけで食べる気が失せるから面白いもんです。しかし、今の子供はザリガニなんか取らない(取りたくても取れない)のだろうか。
写真中央・右端は、ケーブルカーを降り(さらにバスに乗って)近江坂本の町です。「石積みの門前町」というキャッチーなコピーが看板に書かれてましたけど、目の前に琵琶湖、背後に比叡山を控えた落ち着いた感じのいい町でした。
近江坂本というと、戦国武将の明智光秀を思い出します。会ったこと無いけど(当たり前だけど)。明智光秀、それと石田三成は、歴史上の人物でも僕が好きなキャラです。好きというよりも、人間的に親近感を抱きますね。どっちも謀反人とか敗軍の将とか最終的にはネガティブなイメージを残してますが、そのくせ義経みたいに国民的人気が全然ないという点がイイです。才気煥発、頭脳明晰、多芸多才で恵まれて生まれているのだけど、人間的には善良で真面目で、だから職務に忠実で、あんまり悪いことができない。才能部分を除けば、要するに日本人の大部分がこのパターンなんだと思うけど、狂気溢れる天才上司の下での職務ストレスで人格が壊れ、最後にキレてしまって本能寺の変を起こしてしまう光秀にせよ、職務に忠実であるがゆえに貧乏くじとわかっていても引かざるを得ず、祭り上げられ、最後には周囲の調子のいい連中に裏切られて殺されてしまう三成にせよ、可哀想なんですよ。すっごく頭がよく、スキルも仕事もバリバリ出来るにも関らず、基本的には善良な小市民キャラであるがゆえに「悪いこと」が出来ず、悲劇的な結末に終わってしまう。また家臣を重んじ善政を施し、部下や領民をすごく可愛がったことが知られています。要するに弱者に優しい「いい人」なんだけど、そのいい人ぶりがネックになって滅んでしまうという。
ねえ、生きていくためには人間的に下劣なことも、汚いこともしたりしなきゃいけないのが世間のツライところだけど、何となくそれをするのがイヤだという人、いるでしょ。上司におべっか遣いまくり、同僚部下を卑劣な噂で失脚させたり、弱者を平然と見殺しにしたり、状況が変わるとすぐに人を裏切ったり、、ということをしたくない人。つまりそれはあなたでしょう?両者とも、もう少し「悪い人」だったり狂気の人だったら天下も取れたと思うけど。これに比べたら徳川家康なんか(特に秀吉没後)文句なく「悪い人」ですよね。嘘ばっかついてるし、裏切ってるし。だから、まあ政治的な駆け引きとかは天才なんだけど、かといって信長や秀吉みたいに将来ビジョン(中世の破壊と近世の創造とか自由商業主義の徹底とか)があったわけでもないし、要するに徳川家の安泰が最終目的という私利私欲の権化なわけじゃん。以後、日本人に「卑劣でないとエラくなれない」という政治家イメージや政治スタイルを定着させてしまった罪はデカいような気がする。政界の黒幕とか、地元のボスとかさ、小家康みたいなのばっかじゃん。タイムマシンで光秀や三成をスカウトして、今の総理大臣に据えたいものです。かなりいい政治すると思うし。三成だって、自身反対していたとは言え、秀吉の朝鮮出兵を見事に仕切ったしね。ロジスティクス(物流)というものを徹底的に理解し、実践していたという意味では、第二次大戦中の軍部参謀や官僚なんかよりもはるかに優秀。今の日本の政治程度だったら結構簡単に仕切れるんじゃないかな。「滅茶苦茶有能なんだけど本質的にはいい人」という人に政治やってほしいですよ。タヌキおやじ系はもういいです。
ちなみに、坂本から琵琶湖を挟んだ佐和山城が石田三成の居城でした。琵琶湖周辺には善政家が出るのか、既に政界を引退した新党さきがけ元代表であった武村正義氏も滋賀ですよね。あの人、僕も最近まで知らなかったのですが、滋賀県知事時代、全国にさきがけて合成洗剤追放の条例を作ったり、風景条例を作ったり、環境保全や住民運動を地方自治レベルで実現化した先駆的知事として高い評価を受けていたそうです。
というわけで最後は少し脱線しましたが、「比叡山」という言葉から連想される、開祖最澄に始まる仏教史的意義、陰陽師的な鬼門方位学的あるいは霊的なこと、信長の叡山焼討ちなどの歴史的なこと、さらには観光情報的に山頂にガーデンミュージアムがあるとか、某著名なホテルが出来たとか、野生の猿がいるから注意という立て看板が面白いとか、一般的なことは一切無視して、見た目とビジュアルだけでピックアップしてみました。
文責:田村
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