今週の1枚(06.09.11)
ESSAY 275/日本帰省記2006(6) 日本の風景@ Japan Photo Collection
写真は、岐阜市街地。いかにも「日本の夏」という感じで個人的には好きな一枚。けっこう狙って撮りました。でも、やっぱり日傘は白がいいです。風景的に美しい。
コチャコチャ文章ばっかりの週が続いたので、今週はビジュアルに。わずか10日前後の日本滞在でしたけど、あちこちほっつき歩いて撮りためた写真の中から適当に見つくろってお送りします。
「適当にみつくろって」といっても、もともとが1189枚ありますので、「うーん、これもいいな」「これも捨てがたいな」とかやってると100枚をすぐに超えてしまいます。今度はサーバーの容量がギガ単位であるので、気楽にUPできるっちゃ出来るのですが。
ずっと前の日本帰国エッセイに書いたように、僕の頭の中には、オーストラリア人と日本人という二つのソフトウェアが走ってるようなもので、日本人としての僕の目で見れば全然普通の光景でも、オーストラリア人としての僕から見ると「おお!」「ほお〜」と思ったりします。カルチャー的二重人格みたいなものですが、まずはオーストラリア人的なセンスを全開にして「へえ〜」と思うような風景を集めてみました。
上の写真はいずれも東海道新幹線の窓から撮ったもので、左二枚が東京。真中の写真は、大崎駅の裏側あたりでしょうか。右の一枚は途中のどっか、浜松あたりだったかな。
日本人としての僕から見たら非常にありふれた風景で、わざわざ写真に撮りたくなるようなものではないのです。おそらくあなたもそうだと思います。しかし、オーストラリア人としての目でみると、なかなか興味深いのですね。ちょっと前にも書いたけど、日本にワーホリ等でいったオーストラリア人が、「東京はフーンという感じで、特にどうも思わなかったけど、東京から大阪に向かう新幹線から見える風景がとっても美しくて感動した!」と言ってました。それを聞いた当時は、「あれ?別に普通の地方の田園風景じゃないの?感動するようなものなんかあったっけ?」と思ったものでしたが、今なら分かります。同じように感じますから。
鏡に映った自分の姿を見るときに、僕らはついつい無意識にカッコつけてしまいます。一番良く見える角度で見ようとしたりする。街でも同じで、僕らが東京をイメージする画像やガイジンさんに東京を紹介する写真は、特徴的なランドマークやアイコンを織り込んだ”ベストショット”であったりします。都庁とか、夜景とか、レインボーブリッジとか。京都だったら金閣寺とか、シドニーだったらオペラハウス、ニューヨークだったら自由の女神とか。でも、当たり前の話ですが、そんなの都市の全体面積でいえば1%以下です。その都市に滞在する時間の圧倒的大部分は、普通の平凡な風景が見えているわけです。外国人には、その街を「カッコよく見せよう」という意識はありませんから、目に映ったまんまの風景をそのまま受け入れます。それはあなたがどっか別の外国の街に行ったとき、あるいは初めて訪れる国内都市でも同じでしょう。
左二枚の東京は、まったく普通の東京です。東京というのはこういう街だってことです。関空から大阪に入り、そこから新幹線で東京に向かうオーストラリア人の目にはこの風景が映ってるわけで、「おお、東京というのはこういうところか」という第一印象になるわけです。成田から入って、成田エクスプレスで都心に入るときも似たり寄ったりの風景が映ってるでしょう。僕が一番最初に帰国したときも、こういった風景が目に飛び込んできたわけで、「これが日本か」と改めて思いました。一言でいえば「なんて灰色なんだ」。
しかし、真中の大崎の写真、手前に写ってる歩道橋ですが、モノの見事に全面サビまくってますね。何回か前のエッセイで百合ヶ丘駅裏のガードレールの錆を指摘しましたが、あんなもんじゃないですね。なんでここまで放置しておくんだろう?と素朴に不思議です。他の場所でも散見されたのですが、日本というのは錆が多い国ですね。湿度が高いし、海が近いからしょうがないのだろうけど。でも、工場とか産業地帯でそうなってるんだったら分かるけど、一応人が居住しているエリアでしょ。
オーストラリアには、インダストリアル・エリア(産業地域)とレジデンシャル・エリア(居住エリア)がハッキリ分かれています。ウチの近所だったら、Pacific Highwayという大通りを挟んで、こっち側はレジデンシャルで、あっち側はインダストリアルと明瞭に分かれており、風景がガラッと違う。日本はこのあたりの区別が曖昧です。都市計画法では第一種住宅専用地域とか商業地域とか区分はありますけど、そんなに徹底してない。だから、産業地帯に普通に民家や居住用マンションが建ってたりするわけですけど、これはオーストラリア人や、西欧系の連中の目からしたら、ゴチャゴチャに映ってると思います。「東京は都市全体が工場みたい」というのはどっかの外人さんが日本の印象として書いてましたけど、彼らにはそう見えても不思議ではないでしょう。
こういった東京の風景をみて、彼らが「ふーん」くらいにしか思わないというのも不思議ではないです。ずっと前の映画、松田優作とマイケル・ダグラス主演の「ブラックレイン」でも、最初に映る日本の風景は、飛行機から見える大阪の臨海工業エリアで、夕陽を浴びた廃墟のような工場群から不気味に煙が噴き出しているというグロテスクで、いっそブレードランナー的/SF的なものでした。「とても人間の住むところじゃない」的な紹介のされ方で、「ひどいなあ」と思ったものですが、彼らにはそう見えているのでしょう。多分に偏見だと思うけど、そういう偏見は誰にでもある。僕らにもある。ただ、そういう一種の先入観を持ってやってきて、そして最初に見える風景がこれだったら、「ああ、やっぱり」と思っても不思議ではないでしょうね。だもんで、日本に来た外国の友人を東京につれてきて、「TOKYOはすごいだろ!」と自慢したら、「よくこんなところに住んでるね」とか言われて喧嘩になるとか(^_^)。
これに対して、新幹線車窓から見える田園風景は彼らにとってはワンダフル!だったりするのでしょう。とりあえずビジュアル的に緑が多く美しい。ともすれば日本人には「都会>田舎」的メンタリティがあり、「ウチの近所なんか田んぼばっかりだよ!」と田んぼがあることがあたかもマイナスであるかのように捉えがちですが、これは発展途上国のメンタリティだと思います。とにかくビルが沢山建っているのがエライという。
西欧系の連中は、都会がエライとは一概には思わない。ニューヨークとかパリとか都会的な文化や先鋭的なカルチャーを好む人も多いとは思うけど、皆がそう思ってるわけではない。イギリス貴族でも、本拠地は緑豊かなスコットランドの古城だったり、そこに○○マナーとか、自然の美しさをふんだんに取り入れた別荘を作って、狩猟をしてホストをもてなすとか。アメリカでも、年収数億のCEOになればなるほど、早くリタイアして南西部で牧場でもやりたいよと言う。ブッシュ大統領でも、自分のルーツは牧場にあると言うし、それが政治的ポーズとして成立し、国民からプラス評価される。日本人も自然が大好きだけど、彼らも大好きで、だから都会というのは利便性と必要性があってしょうがなく作ったり、住んだりしてるって感じなんでしょうね。だから、こういうアグリーな(醜い)モノは出来るだけ一箇所にまとめちゃいましょうって思うから、都心にだけ異常な密度で超高層ビルをガンガン建てるけど、30分も歩いたらもう緑豊かな低層の住宅街になるという。そして都会でも、出来るだけ緑を多く残そうとするから、都心にもかかわらず森林のような巨大な公園を造ったりします。ニューヨークのセントラルパークとかね。
僕ら日本人は、日本の田園風景なんか子供の頃から見慣れているから何とも思わないのですけど、同じ僕らであったとしても、車窓から見えているのがこれがヨーロッパの田園風景だったら違う反応を示すはずです。延々つづくドイツの麦畑やら、南フランスの農村風景とか。ゴッホが好んで描いたような風景をみたら、「おおー」って思うでしょう。でも、地元民にとってみたら、ありふれた日常の田舎の風景なんですよね。ありふれた田舎風景であったとしても、ホリデーになると好き好んでカントリーに出かけたがる彼らから見たら、平野に広がる日本の田園風景や、茶畑の風景は、非常に魅力的に映るのでしょう。「日本に旅行に行ってきたよ」というオーストラリア人の話を聞いても、もう「カントリーが良かった」って、そればっか言いますもんね。
ところで、右端の日本の田園風景ですが、「美しい」と思ってみたら、美しいですよ、やっぱり。出来れば送電塔とか建物とかも全部壊してくれたら尚美しい(^_^)。しかし、「日本だなあ」と思うのは、こういった田園風景においても、道がやたら整備されていること、そして走ってる車がピカピカであることです。オーストラリアの田舎を旅行した人なら分かるでしょうが、道路はそんなに整備されてないし(舗装されてなかったりするし)、走ってる車もユーティリティ(UTES)と呼ばれるピックアップタイプ(荷台のついた作業用車)が多いし。
僕らがイタリアやフランスを旅行しているとき、「イタリアに来た」という思いと同時に「ヨーロッパに来た」という思いもあるでしょう。それは彼らとて同じことで、「日本に来た」という思いと同時に「アジアに来た」という思いがある筈です。どうも日本人には、日本とアジアは別物のように思う傾向があったりしますが、彼らから見たらひっくるめて「アジア」以外の何物でもないです。だから、日本の風景をみながら、「ああ、アジアだなあ」と納得してたりするのでしょう。
上の写真左は東京の秋葉原の風景。右は京都先斗町の風景です。
左の秋葉原の写真は、「香港の裏町風景です」と言われたら何となく信じてしまいそうなものがあるわけですが、その雰囲気を盛り上げているのが古ぼけたコンクリート壁のビルと、そして屋台でしょう。実際には屋台ではなく、古紙回収用のリアカーなのですが(秋葉原の北には古紙回収業が多い)、彼らから見たらアジア名物の屋台に映るんじゃないかな。
右の京都先斗町がどうして「アジア」かといえば、看板ですね。空間を埋め尽くすように看板が左右からニョキニョキ出ている風景は、香港などでお馴染みですが、あんまりオーストラリアでは見かけないです。というかオーストラリアでは美観規制が厳しく、看板の規制もうるさいです。だから一番看板が張り出しているのは、やっぱりチャイナタウンでしょうか。
写真下左は、山手線の側面車体広告で、調べてみると2001年12月1日から実施されているようです。
写真下中央は、関西空港の書籍店で売られていたアダルト文庫。
写真下右は、秋葉原の風景。いわゆるエロゲーやアニメなど。
テーマは、日本人と開放的なSEXですね(^^*)。
まず、写真左の車体広告ですが、オーストラリア人が見てもこれがアイスクリームの広告なんだろうなってのは分かると思います。しかし、広告に子供が用いられていることに、「ほお?」と思うでしょう。また、「なぜトラックスーツ/ショーツを着ているのだ?」とも思うでしょう。
このニュアンスをオーストラリア人に説明するのは難しいんじゃないかなあ。オーストラリア人の目でみれば、このモデルさんはただの子供、せいぜい小学校高学年くらいにしか映らんでしょう。オーストラリアでは、子供達がお菓子を食べ過ぎることによる栄養の偏りや肥満が問題になっています。子供向けのこういった商品の広告には規制をかけるべきだとか、学校のカンティーン(食堂)での販売のあり方とか、いろいろ議論があったりします。だから、この広告を見たら、「規制されるべき子供向けの広告に、子供を用いていいんだろうか?」みたいな問題の捉え方をするかもしれないでしょうね。
そう思ってる人たちに、いやこれはキッドではなくて、れっきとしたアイドルで、しかもポイントはブルマーにあるのだよ。このブルマーというのは最近急速に学校から姿を消している反面、「萌え」というフェティシズムの対象になっていて、これでググッと性欲を刺激される人もいるわけで、そのあたりのちょっとエッチな感じがこの広告のアクセントになっているのだよ、と説明してもわかってもらえるだろうか。わかってもらったとしても、今度は、「それってペドフェリア(子供を性的対象にすること)ではないか?そんなコンセプトの広告を許していいのか?」と今度は烈火のように怒り出すかもしれません。西欧社会におけるペドフェリアは殺人並みに社会非難の対象になりますから。
写真中央はアダルト文庫ですが、これから飛行機に乗って出かける人たちがこんなモノを買うのだろうか?とふと疑問になったのですが、買うんでしょうね。だから売ってるんでしょうし。写真左は、エロゲーの広告ですが、これは全面日本語ですので、日本語が読めなかったら不動産の広告か何かだと思うかもしれない。
こういうエッチ系の商品が公衆の面前でガンガン売られているというのも、日本人のおおらかさを示すものだと思います。オーストラリアではまず考えられないですし、せいぜいがニュースエージェントやコンビニで売られているプレイボーイどまりでしょう。それ以上ハードなものが欲しかったら、アダルト・エクスチェンジというショップでゲットするしかないです。こういった店は、多くの場合、外側に"Adult Exchange"という小さなネオンや看板があるだけで、あとは狭い階段を二階に上っていく形になってます。非常に目立たない形式でやられています。なお、オーストラリアの売春宿は合法的な存在ですが、営業形態としてはどっかの普通のフラットの一室とかだったりして、どこが売春宿なのか全くわかりません。
そこへいくと日本の場合、アダルト文庫どころか、限りなくエロ本に近い雑誌がコンビニや本屋に売られており、レンタルビデオでも子供用のディズニー作品と同じ店で(一応ここから先はアダルトだよという注意書きはあるが)アダルトビデオが陳列されており、さらに秋葉原などの電気街では全館これエッチ&フェチ系みたいな建物がドーンとあったりしますし、ラボホテルやソープランド、風俗店も「ひっそり」の対極にあるような超ドハデな装いでギンギンにやっていたりします。
僕はこれを「嘆かわしい」とか言うつもりはないです。むしろ、「それが日本のいいところ」くらいにすら思ってます。まあ、素晴らしい美点かどうかは別としても、少なくとも伝統的ではありますよ。江戸時代の売春地帯の吉原、そこで高名になった○○大夫(だゆう)が当時のファーストレディ並の尊敬を受けていたとか、浮世絵なんかも基本的にはモロのセックス描写をしてる春画であり、エロコミックのようなものであるとか。こういった伝統、性に対して比較的開けっぴろげで、社会的に承認されている傾向は、今でも受け継がれているでしょう。ソープ街や風俗街は全然健在ですし、アダルトビデオ女優とか風俗嬢だった女性が、その後タレントになったり女優になったりしているわけです。こうしたオープン性と親近性というのは、むしろ風俗で働いている人達を差別していない社会であることの現われともいえるわけです。
「日本人と性」というのは面白いテーマで、かなり世界的にもユニークだと思います。前にも書いたのですが、結局、あれですね、日本人というのは体力的にセックスが弱いんでしょうね。統計なんか見ても、あんまりセックスをしない民族です。統計的にはオーストラリア人はかなりセックスをする人たちで、40歳、50歳になってもまだ夫婦でガンガンやってるみたいですな。比較するに、西欧系の人々はセックスというのは肉体的であり愛情であったりするのでしょうが、日本人の場合はより頭脳的、より精神的、よりフェチ的なのでしょう。セックスそのものよりも、その周辺の、いわばパラ・セックスみたいな部分が充実しているという。ゲームの画面で女の子が脱いだらうれしいとか、階段を登る女の子のパンチラがうれしいとか、看護婦さんの制服を着てくれると萌えるとか。分厚いステーキをガーンと食ってればそれでいいというわけではなく、ニ汁七菜のように、小さな器に盛り付けた少量のオカズが沢山欲しいのでしょう。こういう精力的に軟弱な民族の場合、放置しておいてもそれほどケダモノ的に暴走することもなく、規制も甘いのでしょう。またエッチかどうかの境界が非常に微妙なので、セックスそれ自体が自然と社会の中に溶け込んでいるのかもしれません。「コレはコレ、それはそれ」って明瞭に区別しにくい。メイドカフェなんかも、エッチ系なのか遊びなのかようわからんですもん。
オーストラリアの場合、セックスはセックスでガンガンやってるけど、「それはそれ」で”周辺”部分が日本に比べると貧弱なので、街を歩いていてもエッチとかフェチな感じにはならない。ビーチでトップレスの女性がいても、あるいは街角でノーブラの女性がTシャツから乳首が突き出ていても、そんなにイヤらしい感じにはならない。あっけらかんとしている。バッパーのドミトリー(4〜6人部屋)などで平然とセックスしてたり、男女の更衣室が分かれていなかったり、ビーチサイドの木陰で適当に着替えてたり、そのあたりは非常に「おおらか」なんですね。でも産業的なものに関しては非常に厳しい規制がある。なかなか、そのへんの違いが面白いです。どっちがいいとか悪いとかではなく、それぞれに文化ってものがあるのでしょうねー。
こんな具合にシミジミ書いているとページが幾らあっても足りないですな。チャッチャといきましょう。
写真上左は、何の変哲もない自動販売機です。でも自動販売機というのがオーストラリアには極端に少ないので、久々に見ると感動してしまいます。オーストラリアにも自動販売機がないことはないのです。駅などに巨大な、それこそ中に余裕で人が入っていられるくらいの自動販売機がありますが、それほど活用されてる感じはしません。高いし、品数も大したことないし、そのくせ妙にポテトチップスなんかが売ってたりして。そこへいくと日本の自動販売機はスゴイです。自動販売機だけ延々並んでたりします。商品の数も膨大だし、新商品も多い。「よくまあ、次から次へと新しい名前考えるわ」と感心するくらいです。ボトルの意匠やらデザインやら、久しぶりに見ると工芸博物館の陳列棚みたいな感じです。それに単純にキレイですしね。というわけで、「ほお」と思って撮ってみました。
写真中央は、これは岐阜駅周辺だったかな、ラクガキです。単なる落書きではなく、西欧系のグラフィーティ(graffiti)ですね。あれ、独特の書体ですよね。「ほお、こんなところにも」「おお、勉強しとるな」と思ってしまった。ただ、技術的にはイマイチ。「〜っぽく書いてみました」って感じ。まあ、全てのものは模倣から始まる。ちなみに参考としてシドニーのNewtownの芸術的なグラフィーティの特集を遥か昔の今週の一枚でやってます。Artsitic Newtown (その1)、(その2)参照。
写真右端は、日本名物カプセルホテル。寝台列車みたいって思ってもらえればまだいいけど、死体安置所みたいとか言われたら立つ瀬ないですな。でも、ぱっと見たらコインランドリーかなんかだと思うのではなかろうか。この一つ一つに人間が寝ていると思うと、ちょっと恐い感じもしますが、「寝る」というシンプルな機能からしたらこれで十分です。よく寝れます。昔から言うじゃないですか、「座って半畳、寝て一畳」。
上の写真左は、世界のKOBANです。日本の交番システムは、世界的にも評価されています。が、それは治安当局の話で、一般人にどれだけ知られているかは分かりません。もっとも日本に観光に来るくらいだから、ガイドブックくらい読んでるでしょうし、ガイドブックには紹介されていると思われます。「道を教えてくれるポリスボックス」ということで便利ですから。オーストラリアには交番はありません。警察署があるだけです。この警察署がまた、普通の民家みたいなたたずまいで地味にあったりするので、探すとなると意外と見つからないです。道を教えるのは警察の仕事とは思われてません。まあ、聞けば教えてくれるでしょうけど、それは警察官の職務としてではなく、一般人の親切として教えているだけだと思われます。しかし、交番の存在や意義を知らない外国人がこれを見たらなんの建物だと思うのかな。チャイルドケアセンターなどと思うかもしれませんね。
写真中央は、新幹線の車両に掲げられていた注意書き。最初書いてある意味がよく分からなかったです。
これは要するに車両の最先端/最後端の壁面から突き出ているテーブル(右の写真参照→)の上に荷物を置くような場合に関する注意書きで、座席の方向によっては、このテーブル部分が座席の後背にポツンと取り残され、ここに荷物を置いておくと誰のものだかよく分からないという事態が生じます。つまり人知れず爆発物を設置したりするのに好都合というわけなのでしょう。だから、そういう状態で置かれている荷物は、基本的には「不審な荷物」である疑い(変な日本語だな)があり、だから荷物を置いた人はその旨車掌に伝えておけということなのでしょう。まあ、皆さんもご承知でしょうが。でも、よく空港の放送にあるように、"for security reason"とかちょっと足しておいていただけると分かりやすかったと思います。しかし、こういう注意書きって昔からありましたっけ?いつからあるのかな?と思うと、911のテロ以降ではなく、多分地下鉄サリン事件以降じゃないかって気がしますね。日本人がテロというものを身近に体験したという意味では、サリンの方がはるかにインパクトありましたし。
写真右は、パチンコ屋さんの店頭です。これが何か?というと、いやあ、外国人が見たら映画館かなんかと勘違いするんじゃないかなと思って。ただそれだけのことなんですけど、こんなの絶対わからないよ。パチスロって名前だけど、要するにスロットマシンであり(パチンコ台の空間に入るように設計されているから”パチ”がついているだけ)、オーストラリア人にはポーカーマシンと言ったほうが話が早いでしょう。しかし、日本人の僕でもパチスロやったことないです。そして、日本人の求道的な性癖なのか、徹底的に究めようとしますよね。パチスロの解説をみても、専門用語だらけで分からん。BIGボーナス、払出し枚数固定方式、CT機能、役物比率 、リール絵柄、激アツ演出、バウンドストップ、リール制御、フラグ、重複当選、内部方式 、ストック機能、目押し、KKK打法・・・わかりますか?
ところで、松田優作の探偵物語って、若い人知ってるの?40歳以上でないと知らないんじゃないの?北斗の拳はまだ年齢層下がるだろうけど、俺の空も結構年齢層高そう。
上の写真、左は京都駅の南あたりの歩道、右は川崎市の住宅街(僕の母校の南百合ケ丘小学校)です。「それが何か?」というと、草です。すごいですよね。この夏草の勢いの良さには感動しました。今回日本に帰って最も感動したもののひとつ。「うわあ」って。
なんでこんなに「うわ」と思ったかというと、オーストラリアではこういう場所では、ほぼきれいに刈られており、ここまで放置されている光景は珍しいです。また多くの場合は芝生などであり、自分の家の前の芝生は各自がきれいに芝刈りをするか、カウンシル(自治体)が年がら年中芝刈りをしてます。→右の写真参照。クリスマスホリデーのあとの夏休みである1月くらいに、そのあたりは疎かになって最も草が生えたりしますが、ここまで獰猛に繁茂するケースはない。
植物相が違うし、植物に対するアプローチも違うから一概に比較は出来ません。また、いちいち刈り込んでいけばいいってものでもないとは思います。どちらかというと、この草ボーボーの日本の風景の方が、自然の逞しさみたいなものが感じられて好きかもしれないです。特に、上の写真右端などは、かなり猛々しい感じで、ほんと感動しました。アマゾンみたい。
というわけで、ピックアップした写真群のほんの一握りの紹介だけで終わってしまいました。単純にきれいな写真とかもあるので、もうちょっと続けます。
文責:田村
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