今週の1枚(06.05.15)
ESSAY 259/今週の宿題 〜自己紹介英文を書こう
写真は、Galdesville。秋が深まるにつれ、夕陽が眩しく、強くなります。太陽が低軌道を描くからでしょうか。運転してると眩しくてかなわないです。しかし、たまに雨模様で西の空だけ晴れていると、このように美しいコントラストが見られます。
ほぼ毎週、ワーホリや留学生の方の「最初の一歩」をお世話していますが、数日間のプログラムの最後に皆さんに出す「宿題」があります。それは何かというと、「最低レポート用紙3枚以上、自己紹介文を英文で書いておけ」というものです。
"My name is Koichi Tamura. I'm from Japan."だけでは何故いけないのか?何をレポート用紙3枚以上書けというのか?というと、それこそ自分の生まれた地域は日本の何処にあって、人口はどのくらいで、気候はどうで、主たる産業はどうで、町の様子や風景はどんな感じということ。また、自分の家族構成はどうで、各家族の年齢、職業、性格はどうで、自分自身は子供の頃どういう子供で、小中高校とどういう学校生活を送り、なにが一番思い出に残り、何が一番イヤだったのか、何を考えて大学に進学(or 就職)したのか、就職もどういう経緯で何を目標としてしたのか、どういう産業のどういう仕事をしていたのか、日々の職場の日常風景や、職場で得たもの、良かったこと、イヤなことはなにか、どのくらい給料を貰っていたのか。さらに、何を考えてオーストラリアにやってきたのか、オーストラリアにいくにあたって周囲の意見はどうだったのか、オーストラリアに着いて最初の印象はどうか、それは変わってきたか、これからオーストラリアで何をするつもりなのか、とりあえずどういう計画でやっていくのか、日本に戻ってからどうするつもりか、、、、、などなど。
ね?こうやって書いていったらレポート用紙3枚くらいすぐに埋まるでしょう?それを出来るだけ細かく、誰にでもわかりやすく、英文で書いておく。勿論、完璧な英文である必要はありません。多くの人はそんな完璧な英文なんかスラスラ書けないでしょう。不完全もいいですから、今の自分の最高水準の英文を書けってことです。
では、なぜこのような宿題を出すか?というと、オーストラリアにもし1年くらい滞在するなら、これらの質問はいろんな人から100回以上は聞かれるからです。もしあなたがオーストラリア人をはじめいろんな国の人達と友達になりたかったら、100回以上聞かれなかったら嘘です。1年で100回って、要するに3日に1回程度の頻度ですからね。別に大したことないでしょう。
いろんな国の人と友達になりたかったら、まずその前提としてコミュニケーションが必要であり、そのツールとして英語力は不可欠でしょう。しかし、英語だけを勉強していても、必ずしもコミュニケーションが上手くいくとは限らない。というか英語が出来て50%でしょう。あとの50%は英語以外のコミュニケーション、、、っていうと大袈裟だけど、要するに話題ですね、話のネタです。いくら英語が完璧に出来ても、トルコやスリランカからやってきた人と「いったい何を話すの?」ってことです。話題、無いじゃんって。
日本人の問題は、英語が出来ないこともさることながら、「話題が乏しい」ってことでしょう。一歩海外に出て、一個の人間として他国の人と付き合う場合、これまでやってきた日本人同士の話題なんかまるで通用しません。大体、日本がどこにあるのかよく知らない人だっています。それは僕らがエチオピアがどこにあるのかよく知らないのと同じことです。「小泉首相が」「Jリーグが」「キムタクが」とか言っても、誰も知らない。僕らだって、ブルガリアの国家元首の名前を知らないし、どんなスポーツが盛んで、どんなタレントが有名なのか知らない。全く何も接点がない者どうしで、あなたは一体何を話すつもりなのですか?共通の話題ゼロ、接点ゼロで、それで友達が出来ると思いますか?I'm from Japanと言ったきり、もう話が続かなくなって、会話が途切れてしまう。それじゃ、あんまり親しい間柄にはなれないでしょう。
僕らが日本で日常やっている会話は、いわば「オタク話」みたいなものだと思います。それは、1.2億人という世界ベスト10に入るくらいの人口数を誇りながら、事実上単一民族単一文化になっているという極端に珍しい日本社会ならではの現象でしょう(韓国も似たような傾向があるけど)。地球のどこにいっても、これだけ大量な人間が皆同じ言語と同じカルチャーのもとで生まれ育っているという異様な地域はないです。南海の孤島とか、急峻な山岳地帯の民族だったらモノカルチャーは珍しくないけど、億単位の人間が揃って同じってのは珍しい。アメリカは言うまでもなく多民族国家ですし、南米なんか輪をかけて多民族、欧州もあんな狭いエリアに20以上の国と言語がひしめきあっているし、ロシアも多民族、アフリカも多数の部族がひしめきあってます、中東だって一国内に多民族、インドにいたっては公用語だけで16言語あるといわれてますし、東南アジアもこれまた色々な民族がいます。だから1億人以上の人間集団が「みんな同じ」というのは、地球的には珍しいです。逆に言えば、他のエリアの人々、もう圧倒的大多数の「地球人」は、子供の頃から言葉が通じない人、カルチャーが違う人と接触するのに慣れてます。皆が皆慣れてるとは言わないけど、平均すれば日本人よりはずっと慣れているでしょう。だから接点が乏しい人とのコミュニケーションにも慣れてます。日本人はそれに慣れていない。慣れる環境ではない。
日本では、手頃なサイズの島国国家であるという宿命から、周囲が全部自分と同じです。「同じ」って意味は、同じ言語をほぼ完璧に喋り、同じカルチャーにあり、社会事象について同じ知識をもっているってことです。これまで生きていて、成人に達し且つ平均的な知能程度を持ちながら日本語をろくすっぽしゃべれない日本人に会うことなんか滅多にないでしょう。「味噌汁ってなあに?」という日本人に会ったこともないでしょう。せいぜい納豆が好きか嫌いか程度。「小泉首相って誰?」って日本人も珍しいでしょう。「同じ」ってのはそういう意味です。これが「違う」と、例えばオーストラリア人だったら誰でも知ってるようなことを、あなたは知らない。言語は英語で違うし、平均的なオージーだったらほぼ誰でも知ってる「E-SKY」「MARS BAR」だって知らない。
細部に至るまで共通知識をもっている人間との会話は、どうしてもオタク的な会話になりがちです。名古屋エリアのOLさん同士の会話だったら、今度栄に新しいケーキ屋さんが出来たとか、あれは今池にある店が支店を出したらしいとか、味はイマイチだけどシュークリームはこっちの店の方が美味いとか、そういう話。これってオタク的でしょ。「あのさー、円谷プロのウルトラQには実は放映されなかった作品があってー」「あ、それってパイロット版のやつだよね」「や、それもそうなんだけど、実はそれより前にさらに一本あって」とかいう会話と質は同じでしょう。つまり、会話者双方がハイレベルの共通知識をもっていて、非常に細部にわたる知識や意見を交換し合うってことです。
逆に、日本人同士であんまり一般的、普遍的な話はしませんよね。同僚の連中と一杯やりにいって、「海って、好きですか?」とかそんな会話はあんまりしないでしょ。そんな一般的な会話をするのは、「あのー、ご趣味は?」とかいう、お見合いの席くらいでしょう。しかし、他国の人という、殆ど接点のない人と話をするとき、話題のネタになるのはこの一般的な話しかないです。僕らだって、ベネズエラで今爆発的に売れているアーティストの話を熱く語られても困ります。
このように接点のない人とは「一般的な話」をするしかないのですが、その一般的な話にしたって話題に困ります。相手の国のことに精通してたらまだ良いですけど、あんまり聞いたことないような国の人だっているわけです。シドニーには、クロアチア人とかマセドニア人とか結構沢山いますからね。じゃあ、国際情勢の話をしよう!といっても、話せますか?イラク問題について語ろうとか、地球温暖化についてとか、ドルのほかにアジアの基軸通貨を持つべきではないかとか。日本語で語ろうといっても中々大変なのに、さらに英語で喋るわけですからね、厳しいです。
じゃあ、日本のことならいいかというと、これもねー、以前ちょっとエッセイで触れたように、日本人と宗教とか、ゲイシャとはなにかとか、日本のGDPとか、なんで政権交代が起きないのか、どうして過労死するまで働くのかとか、高齢化問題にどう対処しているかとか、言えますか?英語で。これもちょっと(というか大いに)厳しいですよね。
じゃあ、結局、あなたは何を話すのでしょう?オーストラリア人や他の国の人と、どういう話題で盛り上がれるのだろう?話題も何にもないのに、沈黙するしかないのに、そんなんで友達なんか出来るのか?と。
でも、一つだけ完璧に答を知ってる話題があります。それが、冒頭に書いた「自分のこと」です。自分の故郷、自分の家族、自分の学校や職場、自分の計画、、、これだったら答は知ってるでしょう。だから、もう、これっきゃないわけです。この領域で何も言えなかったら、もう後が無いぞ、と。だから、せめて自分のことくらい他人に説明できるようになっておこう、英語で出来るように予習をしておくといいよってことです。
しかし、いくら答を知ってたとしても、それを英語にするのは、かなり大変です。「えーとね、子供の頃の自分は、わりと目立たない子だったですね。まあ、どこにでもいる子供というか、クラスでも思いっきり沈んでるわけでもないけど、目立ってるわけでもないという、普通を絵に画いた子ですよな」と言おうと思っても、「目立たない子」って英語で何と言うのだ?と。こんなのとっさに思いつかないですよ。とっさに思いつかないなら、予め調べておくべしということになるわけです。辞書調べても、文法書を調べてもいいから、とにかく今の自分の言える最高水準の英語を作ってみるわけです。ボコボコでもいいですから、一回でもウンウン唸って作っておくと、いざというとき結構出てくるものです。断片でも、単語の切れ端でもいいから、なんか出てきます。
そして、何とかかんとか通じたら、"Oh, I see, You mean......"って言ってくれたりします。「ああ、わかった。要するに○○ってわけだね」って。そして、このとき相手が言った「○○」こそが「正解」なんですね。「ウチのお姉ちゃんはお喋りで」と言おうと思っても、「おしゃべり」という英語がわからないから、「いつも喋ってる」「ものすごく喋る」とか言ってるうちに、相手が「ははあ」と理解して、"Oh, your sister is talkative"って言ってくれたりする、その「トーカティブ(talkative)」こそが「おしゃべり」という英語の正解であり、正解が出てきたら、そこでパシッと掴む。それでどんどんヴァージョンアップしていくといいです。
会う人会う人に似たようなことを聞かれますから、答えるほうもだんだんと慣れてくるでしょう。また、ヴァージョンアップも頻繁に行われるようになるでしょう。さらに、話題的にもこういう方向で話をしても理解してくれないとか、受けない、でもこの話は受けるぞ、結構興味深く聞いてくれるぞってなこともわかってきます。かくして、徐々にあなたの自己紹介、自分ネタも向上していくわけですし、繰り返しやっていれば立板に水のように流暢になっていきますし、間も持つようになっていくでしょう。
というわけで、レポート用紙に最低でも3枚以上、自分のことを英文で書くといいです。いいベースになりますから。別に3枚に限らず、300枚でもいいですよ。自伝書いてもいいです、出来るものなら。
次に、同じ自分のことを話すにしても、面白おかしく、サービス精神、エンターテイメントという観点を忘れずに喋ってください。これは、ものすごく大事なことです。
あなたがご自分のことを聞かれているという場合というのは、99%雑談だと思います。たまに、就職面接であったり、カウンセリングであったり、警察の取り調べを受けるとか、法廷で証人として喋るような場合ももあるでしょうが、大多数は普通の雑談でしょう。ここで考えて欲しいのですが、あなたの前にいるオージーは何でそんなことを聞くの?と。なんで自分のことを知りたがるの?と。
それは一目惚れしたとか、ナンパしてるような場合もあるでしょうが、多くの場合は会話のとっかかりとして聞いてるのだと思います。あなたのことがメチャクチャ興味があるって場合よりも、そんなに別に興味があるわけでもないけど、「これだったら話せるでしょ」ってことで、答えやすい質問をして、「さあ、一緒に会話をしませんか?」って誘ってくれてるわけでしょう。初対面の5歳くらいの子供と話すときと同じですよ。「坊や、いくつ?」「どっから来たの?」「幼稚園楽しい?」「どんな遊びが好き?」とか、とりあえず相手のことを聞くでしょう?そんないきなり「アメリカ連邦銀行のグリーンスパンの後釜のバーナンキだけど、彼ってどうよ?」みたいな話はしないでしょ。財界や学会の集まりだったらともかく、普通はそんな質問から始めないでしょう。もっと答えやすい質問を考えてしてくるでしょう。そして、答えやすい質問というのは、上述のように「自分のこと」「相手のこと」です。
ですので、相手が自分のことを聞いてくるのは、別にそれを何としても知りたい!っていうよりは、手を差し伸べて、誘ってくれているわけです。いろんな国の人と友達になりたいあなたにとっては千載一遇のチャンスなわけです。そのチャンスを、「あうあう」と油汗流して無駄にしたらもったいないでしょう。だから、とりあえず最初に叩き台、草稿くらいは作っておけ、と。
もう一つ、日本人が非常に陥りやすい答、「愛想もクソもないショートアンサー」はしない方がいいです。「昨日は何してたの?」と聞かれて「別に」とか、「日本で何やってたの?」と聞かれて「ただのサラリーマン」とかね。あのですね、これは「会話のきっかけ」を模索するイトナミなわけです。焚き火をする際の付け火みたいなものです。段々メラメラと燃え上がらないといけないわけです。こんな愛想もクソもない答、つまり、"nothing special""just a office worker"なんて答をしたら、その意味するところは「お前なんかと話したくないよ」ってことになってしまいかねない。コギャルのナンパみたいに、「ねー、どこから来たの?」「あっち」「どこ行くの?」「こっち」「ちょっといいかなあ」「うざいんだよ、てめー」みたいなノリになっちゃうでしょ。だからもう、ナッシング・スペシャルなんて、口が裂けても言うなって感じですよね。真剣にウザかったらそれでもいいですけど。
というわけで盛り上がる方向へ盛り上がる方向へ、答えるのが望ましいわけです。エンターテイメントとかサービス精神っていうのは、そういう意味です。と言っても、その場で歌ったり、踊ったりせんでいいです(^_^)。会話が発展するように、ちょっと「引っかかり」を付けておけばいいでしょう。「引っかかり」とは、それを元に相手がさらに質問できるような新情報です。逆に、話を早く切り上げたいとき、相手に言質を取られたくないような場合には、この「引っかかり」を極力少なくして、ツルンと終わらせるようにします。うーん、抽象的に説明してもわかりにくいかもしれませんね。営業職とか、初対面の人と喋る仕事をしてきてる人なら何となく「ははん」と分かると思うのですが。
例えば、"What did you do in Japan?(日本で何(仕事)やってたの?)"という問いに対して、「ただのオフィスワーカー」と答えたら、話はそこで終わってしまいがちです。そこを、同じ会社員でも「いや、いつもカスタマーに怒られてましたよ」みたいな答え方をすると、「え、それってどういうこと?」って話が続きます。あるいは、銀行とか金融関係でも「毎日、他人のお金を勘定してました」という言い方もできるでしょう。はたまた、「仕事自体はまったく無内容で、毎日壁の時計の針が退社時間になるのを見つめてました」とかね。「右手で握手して、左手で殴るような連中を相手にしてましたよ」「困ってる人からお金を貰って暮らしてましたよ(これは弁護士の場合ね)」「他人を殴ってお金を貰ってましたよ(ボクサーの場合)」などなど。
まあ、別にそんなに高級なヒネリを入れるとか、すごい気の利いたことを言わなくても構わないのですが、ほんの少し面白そうに答えるってことですね。これは、上述の「宿題」をしっかりやっておくと、ある程度自然に出てくると思います。「職業は?」と聞かれた場合、別に国勢調査をやってるんじゃないのだから、一言で答える必要はないです。むしろ、出来るだけ一言で答えずに、長々と英語で説明する(作文する)という作業をやっておくといいです。その際、仕事のどこにスポットを当てるかはあなたの自由です。大体、オフィスワーカー/サラリーマン/給与所得者なんて、何も言ってないに等しいです。サラリーが出てるという意味では、総理大臣だってサラリーマンですからね。もっと具体的に、出来れば情景が目に浮かぶように描写してみたらいいです。
仕事自体がわりとドラマティックなものだったり、分かりやすいものだったら、職業を一言で答えてもいいでしょう。刑事やってたとか、猟師だったとか、脳外科医とか、寿司職人とかね。でも、「生命保険会社の総務部」とか、どうにも平板な印象で、ビジュアルが浮かんで来ないような仕事であっても、あなたが日常見てきた風景をそのまま描写するだけで、結構面白いものに仕上がるはずです。「生命保険の総務部にいたのですけど、別に生命保険会社ってことはあんまり関係なくて、ある人間集団のハウスキーピングみたいな、便利屋さんみたいなものですよ。トイレが詰まったと言っては呼び出され、コピーが壊れたといっては出動するというね。本当に何でもやらなければいけない。どこのセクションもやらない仕事が総務の仕事なんですよ。僕がメインにやってたのは、営繕関係で会社の設備の修理やメンテの手配をする仕事でした。僕が毎日通勤していた会社は、20階建てのビルの、5,6,7階の3フロアだったのだけど、3フロアだけでコピー機が27台もあるんですよ。信じられないでしょう?なんでそんなに?って思いますよ。全然ペーパーレスじゃないの。27台もあれば必ずどれかは故障してるんですよ。だから、コピー機の修理は結構詳しくなりましたね。ウチはキャノンを使ってたんですけど、まあ、リコーでもゼロックスでも似たようなものでしょうね。生命保険会社というのは、営業のおばちゃん達が沢山いて、そのなかにもヌシみたいな、怪獣みたいなおばちゃんがいるんですよ。この人がね、うるさいんですよ、、、、、」などなど。毎日体験してきたことなんだから、いっくらでも言える筈ですよ。
こういう具合に書いてみたら、答えるときも、「生保の総務」と短く答えることもできるでしょうし、「コピー機のメンテとトイレットペーパーのチェックをしてました」というちょっと引っかかりのある答え方もできるでしょう?そういうことです。
以上を踏まえて簡単な文例を考えてみましょう。とりあえず日本語で書いておきます。
「僕が生まれ育ったのは、○○という東京から200キロくらい北にいった小さな街です。人口は5万人くらいで、そんな都会というのは程遠いけど、急行列車は停まるってくらいな感じ。海に面していて、港もあって、だから漁業も盛んだし、魚は美味しいと思う。僕の家は町の中心から2キロくらいいった町外れの住宅街にあって、近所にちょっと小高い丘があって、そこに登ると町と港が一望できて、子供の頃からよく見てた。今でも故郷に帰ったときは登りますね。大学からは東京で、卒業後も東京で仕事をしてました。
父は市役所に勤めていて、母は小学校の先生という公務員家庭で、わりと普通に地味な家庭。兄弟はお姉ちゃんが一人で、地元で結婚してもう子供が一人います。両親は公務員のわりには、まあサバけているというか、そんなに固い感じではなく、そんなに教育熱心ってほどでもないです。わりとノビノビしてる家風。でも、今回仕事を辞めてオーストラリアにワーホリに行くと告げたら、やっぱりあんまりいい顔はしなかったな。猛反対ってことはなかったけど、理解は薄いかもしれない。父は海辺に近いこともあって釣りが趣味で、子供の頃はよく一緒に連れてってもらった。海釣りで、リールの投げ釣り。中学生くらいになってから一緒に行かなくなったけど。中学からサッカー部入って。結構田舎のクセに名門意識の強い部で、シゴキもキツかった。
東京の大学にいったのは、やっぱりちょっと町を出てみたい、一人で暮らしてみたいって気持ちがメインでした。専攻は商学部だけど、別に商学に興味があったというよりは、なんとなく消去法的にそうなったという。まあ、日本の大学なんてそんなもんで、そんなに必死に勉強しに行くところだと思ってない。東京は、まあ、今は情報がいきわたってるから、そんなに「おお!」と感動することもなかったけど、最初はやっぱり緊張したかな。でも、すぐ慣れる。日常になる。東京はやたら大きくて、とらえどころがなくて、その一部分のエリア、自分のアパートと学校と遊ぶエリアあたりを巡回してるだけって感じ。あれで一つの都市って感じがしない。一体感がないところだなって思ったのを覚えてる。大学はそれなりに遊んで、就職もそれなりに頑張って、中堅どころの工作機械メーカーの営業やってました。名前を言えば、一般の人は知らなくても、知ってる人は知っているという程度。
3年くらいそこに勤めていたんだけど、思うところがあって退職。そしてワーホリでやってきました。なんでやってきたかっていうと、今までの人生、やたら普通なんですよ、僕の場合。「日本人の平均的な若者はどうなんですか?」と問われたら「それは僕」と答えるような。それが物凄くイヤだってわけではないけど、それでいいのか?って気持ちもありました。別にドラマティックな人生に憧れるというわけではないのだけど、大きな川に流されてきただけって思いもある。勿論、進学にせよ、就職にせよ、その時その時にはマジメに考え、最善を選んだつもりだけど、与えられた選択肢の中から選んだだけっていうか、「まあ、こんなもんだろう」という妥当なところでまとめてきたわけです。なんかもう少し主体的、ポジティブに選んだ方がいいんじゃないかって、選択肢がなかったら自分で作るというか、そのくらい自分のエゴというのを持ってもいいじゃないかと。かといって、「俺はこれだ!」っていうほどの確信はまだない。ワーホリにやってきたら答が自動的に出てくるとは幻想を抱いてないけど、ワーホリって基本的に一人ぼっちじゃないですか。これまでいつも集団の中にいて、周囲を見回して、「じゃあ自分は」みたいな考え方をしてきたから、周囲が全然参考にならない他の国の人たちに囲まれてたり、あるいは誰もいなかったりって所に自分を置いてみたかった。そこで自分がどう考えるのか、どう振舞うのか、興味があります。」
という感じですか?別にこのとおりでなくてもいいし、「ちょっと自分のことを語ってみる」という感覚で、書いてみるといいと思います。まあ、問題は、それを英語にすることだったりするのだけど、ウンウン唸って書いてみてください。この「ウンウン唸る」って過程で、英語力がメキメキついたりします。英語がうまくなりたかったら、とにかく書けって言うでしょ。頑張ってください。
※ところで参考までに---
ESSAY 252/海外でJAPANについて説明しよう〜ゲイシャ編
ESSAY 253/海外でJAPANについて説明しよう〜宗教編
文責:田村
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