今週の1枚(06.04.24)
ESSAY 256/NHK受信料義務化法案について
写真は、Coogee のロックプール。この写真、一昨日(4月22日)に撮ったのですけど、結構寒いですよ。夜なんかストーブつけたりしますもん。まだ泳いでいる人がいるという。「元気だなあ、オージー」って思いますけど、真冬でも余裕で泳いでいる人いますからね。
最近の日本の話題から。NHK受信料問題について書きます。
NHKの受信料支払いを明文化(法制化)、さらに不払い者には罰則も導入する動きがあると報じられています。
例えば朝日新聞2006年4月12日付「NHK受信料支払い義務化 総務省検討、値下げ前提に」と題する記事では、以下のように報じられています。
「総務省は11日、NHKの受信料を値下げすることを前提に、支払いを義務化する方向で検討に入った。(略)一連の不祥事で広がった視聴者の不払いに端を発した受信料制度の見直し論議は、受信料の徴収に強制力を持たせる方向で議論が進む見通しだ。(略)現在の放送法では、テレビがある世帯はNHKと受信契約を結ぶ義務があるが、受信料を支払う義務は明文化されておらず、法的にあいまいさが残る。同省はこの規定を見直し、受信料の支払いも明文化する方向で検討を進める。不払いに対する罰則導入を求める意見も政府・与党内にあり、どこまで強制力を持たせるかは今後調整する(後略)。」
この件に関する皆さんの反応ですが、他の個人ブログなどを読むと、当然というべきか、かなり反発が強いようです。ただ、その理由は、単純にお金を払うのはイヤだという非常にわかりやすくも情緒的な理由だったり、さんざんNHKの不祥事が報じられている昨今「盗人に追い銭じゃないか」という反発だったりするようです。それはそれで理解も共感も出来るのですが、もう少しバシッとした理論的根拠や、多少浮世離れした理想論だとしても「こうすればいい」というビジョンを考えてみるのも悪くないと思います。
議論のはじめの一歩は、「NHKとはなにか?」です。これがわかってるようで分かってない。僕もよく分かってませんでした。
まず、NHKは「国営放送」ではないです。ここでいきなり「え、そうなの?」と思ってしまうのですが、実はそうです。「公共放送」だけど「国営放送」ではない。つまり国家の機関として税金によって運営されている組織ではない。NHKの財源に税金は入ってない(しかし、NHKが税金を払う義務は免除されているし、国際放送に関しては国家の補助がある)。
こういったソリッドな事実は、何度もエッセイで紹介してますが、インターネット手作り百科事典であるWikpediaで調べるのがいいです。興味のある人は是非この機会に調べてみてください。Wikipediaの「日本放送教会(NHK)」の項目によると、NHKとは、
・日本で唯一の公共放送を運営する特殊法人である。
・公共の福祉のため日本国内の市町村においてあまねく同時に受信できるようにすることを義務づけ、良質な放送番組による放送などを行うことを目的として、放送法に基づく特殊法人として1950年に設立されたものである。
特殊法人でありながら、国からの出資は受けていないが(国際放送に対する国からの交付金はある)、税金を免除されており、間接的に国民負担となっている。
政府からは独立した組織として存在する公共放送であり、国営放送ではない。
しかし事業予算・経営委員任命には国会の承認が必要である。
広告収入に頼らないので受信料によって運営されている。
などのソリッドな基本的な事実がわかります。
では、その受信料とか受信契約がどうなっているかです。受信料の義務化って言っても、今までも義務じゃなかったの?義務化ってどういうこと?そもそも受信料を払うのは国民の義務なの?どうなったら義務が発生するの?という根本的な部分があんまりクリアではないです。
でも、ここがすっごく分かりにくいんです。放送法32条という根拠法令があるのですが、そこの第一項に「NHKの放送を受信することのできる受信設備(TVのことね)を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」と定めてます。そして総務大臣の認可を受けたNHK受信規約の第5条に「放送受信契約者は、(略)放送受信料を支払わなければならない」と書かれています。法律が定めているのは「NHKと受信契約をする義務」だけであり、「受信料を払う義務」は法律には書かれておらず受信契約に定められているに過ぎない。契約締結義務→受信料支払義務という、なんだか回りくどい妙な二段構造になってるわけです。
ところで「受信契約を締結する義務」があるといっても、受信契約なんか締結したことある人いますか?契約書にサインをした人、契約書を持ってる人なんかいないんじゃないですか(一説によるとそもそも存在しないらしい)。僕も日本に居る頃に受信料を払ったことはありますが、契約書を見た記憶も、なにかにサインした記憶もないです。契約が成立してなかったら、受信料を支払う義務も生じないわけで、そこが現場においては曖昧なんですね。「TVを持ってる人はNHKに受信料を支払う義務がある」と法律で明文化しちゃえば話は簡単だったのだけど、契約義務というワンクッションをおいたのでややこしくなってるのですね。また、受信料を不払いした場合、あるいは契約を締結しなかった場合の罰則も定められていません。だからこそ、このへんをスッキリさせるために現在の明文化議論になっているのでしょう。
受信料不払い者は現在4分の1とも120万件とも言われてますし、これまでの歴代総数ともなると膨大な人数になるだろうけど、NHKが受信料不払いについて裁判を起こしたことは一度もないそうです。多分、このあたりがややこしいから二の足を踏んでいるのでしょう。ちょっと専門的な話になって恐縮ですが、NHKが民事訴訟を提起するとして、@契約にもとづく受信料の支払請求訴訟をするのであれば、契約が成立した事実を立証しなければならないけど、この立証はストレートにはいかない(なんせ契約書なんか出回ってないし)。過去に受信料を払った事実をもって「暗黙の合意があった」とでもするくらいでしょう、A契約成立ではなく、契約締結義務の不履行を理由に損害賠償請求をする、というのもアリでしょう。被告が受信設備(テレビ)を持っていたという事実を立証すればいいわけですから。
どちらの請求を立てても、NHK側にも勝ち目はあるとは思いますよ。しかし、一人づつ裁判をかけないとならないのが大変ですし、それもイチイチ「被告は平成○○年○月に受信契約を締結した」とか「○年○月○日以降、○○県○○市○○町○番地の自宅にテレビを設置している」と個別的な主張立証をしなければならないというのが致命的でしょう。一括大量処理が出来ない。これも「契約なんか締結していない」「契約書があるなら出してみろ」「支払ったのは騙されて払ったんだ」「テレビなんか持っていない」「持ってるけど壊れている」とかトコトン争われたら厄介ですよ。ある人がある一定の過去の時点に契約を締結した立証(契約書も無しに)、あるいはある時点からテレビを持っている立証なんか容易じゃないですよ。踏み込んで現場写真なんか撮ろうものなら不法侵入で逆に訴えられるし、屋根のアンテナを写真に撮っても共同住宅だったら誰のアンテナなのか分からないから、電気業者さんを証人喚問して、、なんてやらなきゃいけない。裁判だって無料じゃないんだし、仮に「訴訟費用は被告の負担とする」と勝訴判決をとっても、そこでいう訴訟費用は訴状に貼る印紙代などで弁護士費用は入らないのが通例。それでも払わない人に強制執行をかけてたら又ぞろコストがかかる。そんな鬱陶しい裁判作業を百万人相手にやってられるものでもない。今ですら、受信料徴収のためのコストが年間800億円といわれているくらいですから、これが裁判になったら訴訟貧乏になってしまいます。喜ぶのは弁護士だけだという(^_^)。せめて受信料支払義務を法律で明記してくれれば、契約云々なんて面倒な主張立証をすることなく、ストレートに勝訴できます。だから明文化したいのでしょう(それでもテレビ設置の立証問題は残る)。
また、罰則ですが、例えば税金だったら滞納や脱税に関する法律の個別規定があるから、裁判をかけないでいきなり差し押さえとかが出来ます(それに異議がある国民が逆に行政訴訟を起こす)。しかし、NHKにはそんな法律の根拠がないから、上記のように一般の売掛代金回収同様シコシコやらないとならない。だから義務化とともに特別規定で罰則を制定したいのでしょう。
しかし、NHKが二の足を踏んでいるのは他にも理由がありそうです。それは、ヘタに裁判でも起こそうものなら、確信犯的に払ってない人も沢山いるわけで、そういう人たちが大同団結し、大弁護団が作られ、徹底的に法廷で争われ、不払いの論理を展開され、NHKに関する諸問題が法廷で議論されることになるでしょう。マスコミも面白おかしく書き立てるでしょう。国民的な大議論になるでしょう(いいことなんだけど)。ヤブヘビになりかねない。
かくして山ほど不払い者がいるにも関わらずNHK側としても、今一歩強硬手段に踏み切れないでいる、というのが現状だと思います。その現状を打破するために、もう法律で明文化しちゃいましょうというのが今日の動きなのでしょう。ただし、いくら義務を明文化しようが罰則を制定しようが、根本のところの「テレビを持ってる立証」問題は残ります。もう、「過去3年の課税所得が300万円以上の人はテレビを持っているものと推定する」とかいう挙証責任の転換規定でも作るか、「裁判を経ずしていきなり強制執行が出来る」という規定を作るかです。しかし、いずれの方策を取ったところで、ヤビヘビ状態なのは同じで、ただでさえNHKに対する国民の不満が臨界点に達しているときに、またぞろ寝た子を起こすかのような動きに出ると、国民の怒りがさらに爆発するということにもなりかねないし、もう局所的には爆発してるのでしょう。強硬手段をとればとるほど、全国各地の寝た子は起き出す。
さて、これがNHK受信料問題の形式的な概観ですが、より掘り下げて原理的&理想的な部分まで言及します。
まず、すごい根本的なことですけど、「NHKって必要なの?」ってことです。
どうも放送局といっても、国営放送→公共放送→民間放送という大雑把に3つのパターンがあるようなのですが、なんでNHKが国営放送でも民間放送でもなく「公共放送」という中間的な存在なのか?国営放送ではマズイ理由は、国営にしてしまうと戦時中の大本営発表みたいに時の権力者の都合のいいことばかり放送し、洗脳道具として使われる危険性があるからでしょう。民間放送ではマズイ理由は、そうすると広告収入などから大企業や広告主の意向に左右され、中立性を保てないからということでしょう。
核心にあるのは中立性や独立性です。国家権力と大企業という二大強者から距離をおき、その意向に振り回されず、公平で公正な放送をしましょうってことなのでしょう。そして、距離を置くからには財政支援も期待できない。国からもお金はもらえないし、企業からももらえない。そこで自主財源が必要になり、国民から受信料を頂きましょうってことなのでしょう。まあ、話のスジとしては一応通ってますよね。
そこで、まずこのモデルを肯定するか否定するかです。これもねー、理念は分かるし、評価もします。しかしねー、うーん、果たしてNHKはその理想どおり機能してるのかな?っていうと、そこは疑問ですね。つまり、受信料という自主財源をもつことによって国と企業の二大強者に対して強い立場にあるNHKは、では、その強さを発揮してるのか?国や政府に対して公正で辛辣な批判を加え、内部まで深く切り込んで腐敗や問題的を鋭く摘出しているのか?というと疑問ですね。時の権力者や右翼からNHK会長が暗殺されるくらいガンガンやって欲しいし(別に暗殺されなくてもいいけど)、そのための受信料でしょう?また、企業や財界の癒着や談合、不正商法などについて、これまた悪徳企業が倒産し、経団連が青ざめたり激昂するくらい厳しくも公正な刃を向けているのか?というと、これも疑問。だから「やってないじゃん」ってことですよね。まあ、「いや、ちゃんとやってる」という異論のある人もいるだろうけど。
仮に「やってない」という現状認識に立つとして、そこから引き出される方向性は二つ。@役に立たないのでもう潰しちゃえ、Aそれが出来るように組織改革をする、です。僕の今の率直な意見としてはかなり@に近いです。NHK不要論。だって、国民が皆でお金を出し合って、国も企業にも媚びない毅然とした機関を作りましょうというのがそもそもの原点でしょう?でも、そうなってないもん。過去50年以上そうなってないんだったら、この先もならないでしょう。もう実験期間としては十分じゃないですか。それにNHKでなければ出来ない放送なんて実際問題少ないでしょ?もし、それでも存続させるというAの方向性でいくなら、もう一旦局員全員クビにして、各NPO上がりとか、バリバリの反骨スープでぐつぐつ煮込んだような筋金入りの連中などの国民有志を中枢部に据えるくらいのドラスティックな改革をすべきじゃないかって思います。でも、それも難しいでしょ。自浄能力ありそうにないし。でもね、政府や企業と仲良しである人を中枢に入れちゃダメでしょう。それじゃ国民負担を強いてまで自主財源を求めた本来の意味が失われる。でも、仲良くないと政府の承認を得て経営委員に任命されないですよね。だから、根本的に制度としてダメなんじゃないの?って気もします。
ところで、別の角度から考えると、国と大企業から距離を置けば良いというものではないんじゃないの?という気もします。
オーストラリアもABCというNHKみたいな放送局がありますが、これはNHKと違いれっきとした国営です。財源もほぼ国がまかなってますので、ABCの受信料というものもありません。じゃあ、ABCは政府べったりの御用放送なのかというと、確かにオーストラリアでは"aunty"と揶揄されたりしてますが(”おばあちゃん”の意味で、あんまり過激ではなく大人しい放送をするから)、でもね、僕の目からみると、「7:30レポート」や「Late Line」というニュース番組なんかかなり辛辣な政府批判をしてます。総理大臣をスタジオに招いて、「だって、あなたはこの件について明白に嘘を言ったわけじゃないですか」とか、「うわ、よく言うわ」というくらいビシビシ言ってます。それでもオーストラリア人的には生ぬるいのでしょうけど。また、ABCはそれほどでもないですが、NHK第二に相当するSBS放送では、ガンガンCMを流しています。さらに、ABCショップという店舗を全国展開し、せっせとDVDとかキャラクターグッズを売り、バーゲンなどもやってます。
何を言いたいかというと、国営にしたから御用放送になり、自主財源にしたら中立になるっていうほど簡単なものではないってことです。原理的な話になりますけど、国家と政府は違います。その時々の政権与党と国家それ自体は違う。確かに政府与党はその国の舵取りをしますが、国家そのものではない。国家の中には、国家機関でありながら、政府与党の影響をできるだけ排除した独立行政委員会のようなものもあるし、裁判所などの司法権もあります。政府(内閣)といえども、国会では責任を厳しく追及されます。不信任決議という「クビ宣告」すら下されます。だから放送が国営であっても、いや国営であるからこそ、ときの政府権力に対して厳しい批判者であることを国家自身が要求するってこともアリでしょう。それが権力分立というものでしょう。国家というのは権力機構でありつつ、同時に権力の抑止機構でもあるわけです。この原理をもっとハッキリ言っちゃうと、その社会が民主的であればあるほど、放送局は国営であっても公正な言論機関足りうるし、その社会が民主的でなければ自主財源を設けようが何をしようがダメってことです。国にも企業にもなあなあで”いい関係”を築き、自らが肥え太って独自の権力者になっていくってこともありうるわけですし、現にNHKなんかそうなってるんじゃないでしょうか。「プロジェクトX」の協賛金疑惑なんかいかに企業と癒着してるかの証拠でしょうし、いまや企業以上に強大な存在になっていることの現われではないでしょうか。
だから、国営化すると権力癒着、CMを入れると企業癒着が生じるとかいうのも、ちょっと形式的、教条主義的過ぎると思います。それって「神話」というか、絶対そうなるってもんでもないし、もっと実質的にフレキシブルにやればいいと思います。
ところで、公共(or国営)放送に求められることはソリッドな機能としては二つあると思います。一つは、今言ったように公正な批判者たる言論機関としての機能。もう一つは、福祉機能ともいうべきものです。経済的に採算が合わなくても、良質で必要な情報を提供する機能です。つまり、学びたいけど学資も余裕もない人々に、基礎的な学習や教養を提供するという機能。NHK第二放送のようなものです。視聴率は悲惨かもしれないけど、そういう問題ではない。人工衛生を打ち上げて衛星放送を行い、電波事情の悪い僻地に住んでる人にも、等しく情報を提供するという機能もあるでしょう。こういった「売れないけど、でも必要」な放送をする機能。これは一種の文化・福祉事業であり、国家でやるべきことだと思います。
僕の私見としては、@とAのうち、今日重視すべきはむしろAだと思います。そしてその非採算性のためにNHKをこの際完全に国有化してしまい、税金で運営し、業務を質実剛健なベーシックなものに限定するのも一つの方法だと思います。情報&文化面における弱者救済機関。債務700兆円という破産同然の日本財政からすれば、ありえない主張なのかもしれないけど、可能な限り自主的に儲けてもらって税金負担を減らすことは可能でしょう。現に、オーストラリアのABC/SBSで明らかなように、国営化しても政府批判は出来るし、CMを入れたり、独自のショップ展開で儲けたりすることは可能です。これまでのNHKが放送してきた膨大なコンテンツをもってすれば、その知的所有権群を利用してガンガン儲けることは可能でしょう。今だってやってるだろうけど、非常に手ぬるい感じがします。朝の連ドラ、紅白、大河ドラマ、NHK特集、いずれもDVDボックスセットにして、価格もガンガンさげて(大河ドラマ総集編DVD1枚980円とか)、コンビニで売ったりすれば売れますよ。ご当地テレビの元祖である「昼ののど自慢」も完全収録+NG集付き+ご当地紹介ビデオ付きでDVDにすれば、出演者の家族は絶対買うし、そのエリアの自治体や郷土心を持ってる人だったら買う。編集なんかそんなに難しくないだろうし、経費なんか微々たるものでしょう。大河ドラマの写真集、スクリプト、裏話集、NG集、出演者や原作者の対談集、インタビュー集、あれだけのコンテンツがあったらガンガン儲けないと嘘ですわ。ディレクターやプロデュサーも東大出の半分役人みたいな人ではなく、ハリウッドあたりから年契約で引き抜いてくればいいし、マネジメントも外人さんの雇われ社長にした方がスッキリする。税金で運営するからこそ、徹底的にスリム且つ機能的であってほしいですね。また監督・監査機関として、市民団体のオンブズマンを参加させるといいです。
なお、NHKの民営化ですが、これは避けた方がいいように思います。なぜかというと、NHKが本気で広告収入を取りに行くと、なんだかんだいって権威に弱い日本社会のこと、かなり莫大な広告収入が取れるでしょう。日本人の権威大好き体質というのはかなり徹底していて、ロックバンドですら紅白に選ばれたりして嬉しそうだったりするわけですよね。それの何がまずいのかというと、郵政民営化と同じく、民業を圧迫するからです。民間放送の経営はかなり苦しくなるんじゃないかな。企業にしたって同じCMを入れるんだったら、NHKの大河ドラマとか紅白に入れたいんじゃないかな?企業の広告料の全体のパイは決まってるだろうから、その大部分をNHKが持っていってしまったら民間放送局はマジに潰れたりすることもあると思います。
それに、政府批判とか公正な言論とかいうのは、むしろ多数の民間放送局を競合させることによって行わせた方がいいと思います。「公正な見解」というのは常に一つ正しい見解があるというのではなく(それこそ危険ですよ)、偏っている見解が沢山あって、それらがマトリクス的に絡み合って、中央に立体ホログラフみたいに浮かび上がってくるものだと思います。フジサンケイグループがバリバリ右翼的な展開をすれば、朝日がリベラル的な展開をするという、ワシントンポストとニューヨークタイムズが喧嘩をするという状況こそが望ましいと思います。それに同じマスコミといっても、政治的なことでいえばTVと同程度の影響力を持つ新聞は全部民間でしょう?NHKみたいな公共新聞というものが無いですし、それが無いことを誰も不思議にも不都合にも思わないわけで、それでいいと思います。ゆえに、多種多様な民間放送局を守っていくことの方が、結局は公正な言論の場ということには資するのではないかと思うのですね。
うわ、NHKだけでもう終わろうとしています。まいったな。本当は共謀罪新設問題まで言おうと思ってたのに、、、
さて、これまで意外とあまり語られてない部分を意識的に述べました。語られている部分は大量にあります。整理してるだけで大変な量になるのですが、まずはバイブルともいうべき「NHK受信料支払拒否の論理」という本があります。ジャーナリストの本多勝一氏の書いた本で、1973年に発刊されています。30年以上前の本ですが、1991年に文庫本が出るなどロングセラーを続けています。かなり有名な本で、僕は読む機会はなかったのですが、その存在は知ってました。「なぜ受信料を払わないのか」から一歩進んで「なぜ受信料を払ってはいけないのか」について、NHKの組織、運営批判、根本原理について記載されています。まあ、バイブルですよね。
あと、ネットをサーチしてたら、木村愛ニ氏のサイトで『NHK腐蝕研究』という書物が、全文無料で公開されています。一冊丸々ネットで読めるということ、および木村氏のプロのジャーナリストが本として上梓しているだけの完成度を誇っていることから、読み応えはあると思います。
その他、個人のブログでは(といっても元記者だからプロだけど)、NHK1/4 縮小論と受信料拒否の論理などがありました。
これまで語られてきたことは、僕が先に述べた理想論や原則論ではなく、もっと身近で、現状のNHKを前提にした批判や問題提起です。これは色々ありますが、
@TVを持ってるだけで受信料を払えというのはおかしい(視聴者の選択の権利を無視している)
A受信料を払ってない人が相当多数いて不公平だ。これは確信犯的に払わない個人だけでなく、企業やホテルの受信料もかなりアバウトだったりするし、在日米軍基地内は受信料が払われていないしアンタッチャブルな感じである。
B受信料集金人(地域スタッフというらしい)の態度が横柄・横暴である。押し売りまがいの強引さという苦情があり、これは新聞の勧誘と似たり寄ったりですな。
C公共放送としてふさわしくない放送も行っている。採算度外視してでも国民にとって必要な放送をするのがNHKの本来の姿勢だとすれば、野球中継の放映権なんか民間と競争して高値で獲得しなくてもいいし、娯楽番組も多いし、「国民から強制的に受信料を徴収してまで流すべき、本当に必要な番組なのか?」というと疑問が残る番組が多すぎる。
D財源は守られ、不必要に巨大な組織になっている
おびただしい子会社群、そこに天下りする官僚や上層部、そこに巣食う現場の不祥事などから、本来の適正な規模を超えて、肥大化した独善的な集団になってるだけではないか
E民間放送だけで十分ではないか
NHKが必要とされたのは、貧しかった戦後日本の文化的インフラ整備という文脈があったから。今や民間は多数参入し、衛生放送も民間が流し、さらにテレビだけではなく、インターネットその他の情報獲得手段が飛躍的に豊富になった今日、もはやNHKは初期の使命を果した。
さらに、F組織運営の不透明さ。受信料を義務的に支払わねばならない「国民の国民による国民のための放送局」だとするならば、その組織はあまりに閉鎖的であり、国民からの直接監視機関もない。株式会社は年に一度の株主総会で経営批判の場に晒され、国会議員は数年に一度の選挙の洗礼を受けているが、NHKには何もない。一応、内閣総理大臣が12人の経営委員を選任しているから、間接的に国民の監督はあるとは言える。しかし、どれほど機能しているといえるのか。その昔は外部から委員長が選抜されてきたが、1989年の島桂次会長から、川口幹夫、海老沢勝二、橋本元一氏といずれもNHK内部の人間が会長になっており、特に海老沢会長はエビ・ジョンイルと仇名されるくらい独善独裁的だという批判がある。
このようにNHKに関してはさまざまな議論がなされているわけですし、また大いに議論を進めていけばいいと思います。なんせ「みんなのNHK」なんだから。
ところで、冒頭に引用した新聞記事ですが、「一連の不祥事で広がった視聴者の不払いに端を発した受信料制度の見直し論議は、受信料の徴収に強制力を持たせる方向で議論が進む見通しだ」と書かれてますよね。これ、よーく考えてみると(よく考えなくても分かるけど)、物凄いこと言ってますよね。だって、コトの発端は、相次ぐNHKの不祥事に嫌気がさした視聴者が批判と改善要求の意味をこめて受信料の不払いをしたってことでしょう?なんせNHKには、受信料納入者=ユーザー&オーナーである国民の声をシステム的に直接反映するようにはなってないです。だからオーナーが影響力のある意思表示をしようと思えば、受信料不払いくらいしかないわけです。そして、10人や100人の人間が不払いをしているのではなく、何万何十万何百万人という人が不払いをして意思表示をしようとしているわけです。その意思表示にどう応えるかが、昨今のNHK問題の第一の議題になるべきでしょう。
ところが、受信料納入者(国民)という消費者&所有者という”最高権力者”が発信した意思表示、それも途方もない人数が発したメッセージに対して、出てきた答えが「受信料義務付けの法制化」だったりするわけですね。これスゴくないですか?例えて言えば、そうですね、レストランに入ったら半分腐ったような食事を出されたので、客が「ふざけるな」「金なんか払えるか」と怒って文句を言ってる状況で、店主が出てきて、「わかりました。料金は値上げすることにしましょう」とか「強制的に徴収することにしましょう」と答えているようなものでしょ?あまりの凄さにドンピシャの例が思いつかないけど、言ってみればそういうことでしょ?なんでそれが解決案になるの?僕は、最初新聞記事を読んで、一瞬書いてある意味がわからなかったですよ。論理がメチャクチャ飛躍してるんだもん。
皆が怒り、抗議してるんだから、エビ・ジョンイルが辞めたくらいでは収まらないですよ(それも散々ゴネまくって辞めたし)。もっと抜本的にNHKのあり方を議論して欲しいわけですよ。民営化、国有化、解散論まで含めて、この際トコトン話し合ってもいいと思うのですよ。というか、それが本筋じゃないのか。でもそんな具合には話は進んでない。NHK当局や政府の発想は、「お金を払わない人が沢山いるので困ったものだ」というレベル、単に不心得者が増えてきたから困るというレベルで終わってるんじゃないか?何に怒って、何を抗議してるのかという重要な部分はシカトして、ただ単に「お金を払わない人が多い」ことだけを問題にし、解決案としては「もっと法的にもスッキリ料金を徴収できるようにしましょう」ということにするという。
要するには最高権力者であるはずの僕らには発言権がないわけね。ただひたすら受信料を払うだけの存在なのね。「みんなのためのNHK」という建前があるから受信料も義務になってるわけだけど、その「みんな」には抗議する権利も、意思表示することも許されないわけね。江戸時代の百姓のように、ただ命令されるまま年貢を払えってことなのね。「最近、年貢を納めぬ不届きな百姓が増えてござる」「困ったものよのう、なんとかならんか」「ははっ、さすれば完全義務化を明文でうたうというのはいかがでしょうか」「おお、それは名案じゃ」みたいな感じじゃん。そりゃ確かに「料金値下げを前提に」という条件はありますよ。でも、それも「しかしこのまま一方的に強制すると民百姓どもが騒ぎまする」「ふむ、ならば多少額を免じてやるのはどうじゃ?要するにアレじゃろ、金じゃろ?お金が惜しいから騒いでおるだけだろうから、いささかアメを握らせてやればよいではないか」「はは、民百姓どももお上にお慈悲に感激するでありましょう」「なあに義務化さえ通してしまえば、あとはいくらでも元の値段に戻せるしな」「御意にござりまする。受信料の具体的金額は法律で定めることではなく、総務大臣のお墨付きさえあれば後々幾らでも一方的な通知で値上げできまする」「ま、このセンでよきにはからえ」ってな感じでしょう?江戸幕府やってんのか、キミタチは。でもって、舐められたもんだね、ボクタチもって。
頁数が尽きたのでこのくらいにしておきますが、NHK受信料義務化にせよ、述べられなかった共謀罪新設法案にせよ、はたまたずっと前に書いたキセル防止策( ESSAY88/性善説と性悪説 )
にせよ、国民総背番号、住基ネットにせよ、銀行口座の名寄せにせよ、JRのセコいダイヤ改正にせよ(ESSAY179/縮小均衡−セコいことすな)にせよ、ここ10年20年の日本はやたら締め付けが厳しくなってます。
でも、これは「締め付けが厳しくなった」という美名で理解すべきではなく、商売や金儲けがヘタクソ、小手先にばかり走って本道は無視、つまりはマネジメントがダメダメという文脈で理解すべきなんだろうなって思います。だいたい役人とか、役人的な人間がマネジメントをしようとすると、ドーンと気前良く遣って、ドーンと大きく儲けるって発想が出来ないような気がします。なんか、ちまちまタンス預金的な発想というか、風紀委員の取り締まりみたいなものになってしまう。人々の自由を最大限に認めながら、その実、締めるところはビシッと締めるという高度なマネジメントが出来ない。だからやたら国民の情報を集めたがるし、行動を監視したがる。お金を儲けたかったら、「大ヒット商品を飛ばしてウハウハ儲ける」という商法ではなく、やたらキセルを摘発したり、料金の高い列車に乗らせようとして在来線の接続を悪くするとか、そんなのばっかじゃないですか。
NHKの受信料だって、あれだけのコンテンツと組織力を持ってるんだから、受信料なんかに頼らなくても幾らでも集金方法はあるだろうし、「さすがはNHKだ」といういい番組を作ればいいじゃないですか。これが民間企業だったら、「受信料を払わない人が沢山いる」という時点で、既に話が終わってますよ。「売れない」ってことでしょ。それどころか消費者が不買運動を繰り広げてるわけでしょ。普通だったら会社潰れますよ。それを法律の庇護に頼って、消費者に強制的に金を払わせようとするのは、合法的な押し売りと非難されたって仕方ないように思います。大事なのは、「なぜ受信料を支払わねばならないのか」「なぜ採算度外視してまで運営しなければならないのか」「こういう素晴らしい(しかし売れない)番組を作らねばならないからお金がいるのだ」と説得することじゃないんですか。そして、そのためには幾ら必要で、幾ら経費がかかるから、受信料はこのくらいになりますと、キッチリ経理も財務も完全に情報公開し、市民レベルの監査を受けることだと思います。
最も原理原則に従うならば、NHKや国が、国営でもダメ、民間でもダメ、どうしても受信料という自主財源が必要であるということを、説得的に展開すること。そして、それに国民が納得しなかったら、受信料は義務化ではなく、逆に完全自由化すべきだと思う。つまり払いたい奴が払う。その挙句NHKが倒産したなら、それが国民の意思ってもんでしょう。でもねー、「愚劣な国民にそんな高度な判断は出来ない」「あいつら目先の損得しか考えないから、自由化したら誰も払わない」と思ってるでしょうね。でもさ、「愚かな一般大衆に代わってボクタチ優秀な官僚(&NHK職員)が国益を考えて高度な判断を下すのさ」と思ってるのだとしたら、それも「なんだかなー」って思いますよ。もうそういう発展途上国みたいなメンタリティは卒業しませんか?愚劣な国民がその愚劣さゆえにNHKを潰して困るのならば、一回潰れて困ってみるのもいいんじゃないですか?僕らは僕らの愚かさをやはり学習せねばならないと思うし、国家百年の計においては、いい経験になるでしょう。その学習価値を考えれば、NHKの一つや二つ潰したってお釣りがくるんじゃなかろうか。それに潰すといっても、事業継続を前提とした民事再生だってあるわけだし。ああ、しかし、こんな楽しい議論は、あんまりやってくれそうもないです。
「今年のエッセイは手短に」という年頭の誓いもどこへやらで又ぞろ長くなってしまいましたが、最後に、個人的なNHK体験でいえば、別に全然悪感情を持ってるわけではないです。見ごたえのある番組を作ってくれている点も、それなりにちゃんと評価してます。知り合いがNHKに勤めていましたが、彼は人間的にもとてもマトモで感じのいい人物であります。個人的恨みはゼロだといってもいいでしょう。NHKの受信料も、結構マジメに払ってましたよ。問題意識がないわけではなかったのですが、なんかねー、集金人の方がお気の毒になってしまって。これがですね、傲慢で居丈高なオッサンがサラ金の取立てみたいにやってきたのだったら、こっちも喧嘩上等系ですからね、2時間でも3時間でも罵り合ってやろうじゃねーかって気にもなりますけど、なぜか僕のところに来る人はいつだって気の弱そうな、「ああ、生活かかってんだろうな」と思わず同情したくなってしまいそうな人ばっかりだったりします。
NHKの集金というのは、外部委託でしょ?新聞の勧誘なんかもそうですけど。以前弁護士時代、僕の依頼者で非常に「いい人」がいました。好人物である彼は、好人物であるがゆえに知人の保証人になったりして大変な思いをして、しかし家族思いの彼はそれでも必死に仕事をみつけて頑張ってました。その仕事というのが新聞の勧誘で、さすがに「人間やってるのがイヤになる」とかいって辞めましたけど、キツイ仕事だとは思います。NHKの集金人さんをみると、どうしてもその人がダブったりして、なんというか闘争心がシオシオと消えてしまうのですよ。もう、積極的に払っちゃってましたね。
でも、ほんと、そーゆーのってズルイですよ、止めてくれいって思いますよ。企業や政府の苦情受付窓口なんかもそうですけど、矢面に立たされるのは、僕らと同じ人達なんですよ。その人に対して個人的な恨みは全然ないし、むしろ「ああ、大変な仕事だなあ」と同情したりもします。古代王朝とかさ、他国を侵略して奴隷にしてさ、また別の国を攻めに行くとき、その奴隷達を矢面に立たせたりするでしょ。あれと同じで、いわば被害者同士戦わせて、一番美味しい思いをしている連中はうしろで安全にぬくぬくしているという構図。だからですね、NHKの受信料の集金は、経営委員がやってください。一番給料を貰ってる奴が、一番現場に立て、人々の怒りの声を聞けって思いますよ。そりゃ、経営委員がそんなことやってるヒマは無いだろうけど、制度としてですね、一ヶ月に1時間でも2時間でもいいから(そのくらいだったら出来るでしょ)、ジャンバー姿で一軒一軒廻ってください。法制化するなら、そういうことをしてください。大企業も大組織も、会長とか理事長とかは一ヶ月に1時間現場の苦情処理センター勤務をしなはれって思います。それが無理なら、集金人の人や苦情センターの人には普通の社員の給料の3倍は上げて、そして出来るだけ憎々しい人を選んでください。そうすればこっちも心おきなく文句も言えますから。
文責:田村
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