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今週の1枚(04.10.25)
ESSAY 179/縮小均衡−セコいことすな
写真は、Glebe Ptから撮影。ANZACブリッジとハーバーブリッジの二重奏
ここのところ来週締め切りの確定申告(Tax Return)に追われております。こちらは国民全員(一定以上所得があれば)確定申告するシステムですからね、「あー、もー、税金、面倒くせえ!」と言いながらでもやらねばなりませぬ。レシートを全部取っておいて、帳簿(パソコン)にパコパコ打ち込んで、全部あわせたら200頁近くある確定申告のハンドブック(Tax Pack, supplement, Business itemsなど)を時に斜め読みをし、時に熟読せねばなりませぬ。ただでさえ面倒くさくて複雑な税制。それを全部英文で説明されてたりするわけで、ややこしい減価償却の計算とかになったら発作的に「だーっ!」と言って机をひっくり返したくなります。
特に面倒なのは僕のやってる仕事の業態です。いわゆるSOHO(自宅オフィス系)ですが、どこまでが仕事でどこからがプライベートなのか線引きが難しいいのですね。例えば、パソコンを置いてある部屋の電球は一応「ビジネスユース」ということになるかもしれないけど、厳密にいえば100%仕事ばっかりしているわけではないわけです。カミさんと雑談してる時間とか、趣味の本を読んでる時間などはプライベートユースになるわけですが、○月○日午前11時23分26秒から28分8秒まではプライベートだからとかいって、プライベートとビジネスを峻別し、電球の代金や電気代から割合控除すべきことになります。そんなこと言い出したら、その部分の敷地の家賃だって、机だって、窓のブラインドだって同じことです。
まあ、それは極端にしても、ほぼ一事が万事、割合比率になります。勤務時間というのがはっきりしてないわけですから、トイレの芳香剤ひとつとってもややこしい話になります。しかも仕事の一環としてゲストルームでお客さんを泊めてたりするから、ゲストルームのシーツ代金であるとか、トイレットペーパー代とかも別勘定にしなければなりません。自動車の経費についても同じ事で、ホームステイ先までお送りする経費(ガソリン代等)はビジネス経費ですけど、その帰路にスーパーに立ち寄って個人的な買い物をすればまたプライベートになります。
このややこしい計算をやりとげて所得税の申告をするのと同時に、年間のGST(消費税)の申告もしなければなりません。要するに売上の中に含まれるGST分を政府に差し出さねばならないのですが、同時に経費に含まれるGST分は控除(Input Tax Credit)できるからそれらを集計して差額を出さねばなりません。全ての品目にGSTが掛かれば問題はないのですが、ややこしいことにGST免除特例があったりして、例えば家賃はGSTの例外だし、海外に送る郵便料金はGST除外です。だもんで、また別途に集計しなければならなかったりします。
しかしねー、こんなもん厳密にやりようもないわけで、ビジネスとプライベートの比率割合でも、「まあ、こんなもんちゃう」という目分量でやっていくしかない部分はあります。その線引きのカンドコロというか、落としどころが難しいのですね。税金を払いたくない本音でいえば、限りなくビジネス割合を高めてしまいたいわけですが、そうかといって説明としてスジが通らないと後で痛い目にあいますから、おのずと限度はあります。そのあたり、何百何千という項目ごとに、「うーん、こんなものかな?」とやっていくわけで、時間食います。それに専門のアカウンタント/税理士に頼まず全部自分でやってるのですが、結局専門家を雇ったところで、こういった個別的な勘定をやらなきゃいけないことに変わりはないし、それをアカウンタントに説明する手間が余計にかかるだけで大したメリットがあるわけでもないです。税金計算の仕組それ自体は、ハンドブックが良く出来ているので、丹念に読んでいけば大体わかりますし。
というわけで、毎年この時期になるとヘロヘロになっていたりします。いつも思うのだけど、あのオージーや、世界中からやってきた200以上の民族の皆さんが、こんな面倒くさいことをキッチリやってるんでしょうかねえ。
さて、こちらがオーストラリアの政府に納めるお金の計算をしている間、日本では年金未納額が問題になっているようですね。昨年の未納率は36・6%で、過去最悪だったその前の年度の37・2%から0・6ポイント良くなったらしいのですが、免除制度の適用が拡大されたから(それまで未納だったものが未納とは計上されなくなり)、形式的に未納率が下がっただけという説もあるようです。
年金についての議論は色々あろうとは思いますが、今後、強制執行を含めて取り締まりが厳しくなることでありましょう。国や公的機関にお金を払うパターンでいえば、NHK受信料なんかもそうですが、これも昨今不払い件数が増加しているようです。これも今後支払いのための強制手段がますます厳しくなるだろう事が予想されます。地上波デジタル放送で、受信料を払ってない家庭には送信しないとかね(払うと暗号のデコード信号が与えられるとか)。
これらの状況を聞くにつけ、いつも思うのは、なんて日本のお上(&お上体質を引きずっている組織)というのはお金を集めるのがヘタクソなのだろうか、ということです。これは、JRでもそう思うし、NTTなんかでもそう思う。以前、「性善説」というエッセイで、キセル防止のためのハイテク改札について書いたときもそう思いましたが、なんでこう全体のパイを増やすのではなく、キリキリ締め付けてお金を集めようとするのかな?と。非常に、なんというのか、こういう言い方は失礼なんでしょうけど、経営の方向性としては無能なんじゃないか?と。民営化しても、そのあたりの発想が変わらないと意味ないんじゃないかな。
昔貧乏学生だった頃から、JR(その頃は国鉄と呼んでいたけど)のセコいやり方にはムカつきを覚えておりました。なにが腹立たしいかというと、とにかく高い特急列車に乗せよう乗せようとするのですね、ダイヤをいじくって。学生の頃は、金がないけど時間はあるから、どっかに行きたいなと思ったら、普通列車で延々乗り継いでいったりしました。東京から新潟経由で福井、京都まで全部普通列車で旅したこともあります。
ちなみに、ドンコー、いいですよ。僕も旅行するときに時間があったら出来るだけドンコー乗りたいですよ。じっくり距離を感じるような体験をしないと遠くにいったような気がしないのです。飛行機でバーっと日本列島上空を通過して、それで日本のことわかりますか?全然分からんですよ。やっぱり地べたをチンタラ進んでいった方がよくわかる。そして、特急列車で一気に行ってしまうよりは、ドンコーでのんびり進んでいった方がよくわかる。東京から新潟まで行くにしても、上野駅を出て、埼玉を過ぎて、群馬に入っていくにつれ、「ほう、これが群馬か、これが高崎か」とか思うわけですよ。それがいつしか山に入っていって、日本アルプスの中の駅などに止まったりします。もう空気がひんやりして全然違うし、「おお、これが日本のアルプスのお膝元か」と思うわけです。そして山を過ぎて日本海側に出ます。駅の度に止まり、新たに乗ってくる人がいます。方言も段々変わっていくのが分かりますし、下校時刻になると、その地方の学生さんがどっと乗り込んで地元訛りでぺちゃくちゃ喋り、そして降りていきます。
こういう経験をすると、すごく色んなことがわかるのですね。いい社会勉強になるというか、まあ勉強というかしこまった意識はないけど、「長岡あたりの朝の列車に乗り込んでくる農協関係の人々の人間関係の感じ」「直江津あたりの高校生はこんな感じ」という本やTVで見ても絶対分からないようなことがナマで見れます。それがなんの役に立つのか?って言われると、別に直には役に立たないですけど、でも僕らの世界観ってのは、こういう直接体験した事実の積み重ねでしょ?断片的でもいいから、こういう直接体験した事実は一つでも多い方がいいですし、多ければ多いほどビビッドに正確に世の中を見ることが出来る。それがひいてはとんでもなく役に立ったりするのですよ。
例えば、田舎なんか行った事もない人が、田舎暮らしを牧歌的に夢見て、脱サラして始めてみたら、見ると聞くとは大違いで大失敗ってなこともあると思うのですよ。でも、その前に、たまたまドンコー列車に乗り合わせた田舎の地元の人々が、誰もが誰もを知っているという前提で、盛んに噂話をしていて、それが蜘蛛の糸のように粘着性をもっていて、「ああ、人間関係、面倒くさそうだなあ」って体験をしていたら、そうそう夢見る夢子さんにはならないと思うのですよ。ひいては事にあたって方向性を見誤らないという。
だから役に立つとか、得をするとか、あんまりそういった功利性だけで言うつもりはないのですが、特急列車だと見えないものが、ドンコー列車だと見えるということはあると思います。そして、金がなくてヒマだけがある若い時分にこそ、こういう経験を沢山しておくと、あとでものすごく貴重な財産になったりします。「世間知らず」とかよく言いますが、じゃあどうやったら世間を知ることが出来るのよ?といえば、やっぱり一つ一つ自分で現場にいって体験していくしかないでしょ?
話を戻しますが、学生自分はドンコーばっかりってな感じでした。特に遠距離恋愛してるときなんか、バイト代かき集めてまる一日かけて会いに行ったりしてたわけです。その頃は、「勉強になるから」とかそんなことは全然思いもしませんし、単に安いからドンコー乗ってただけなんですけど、その旅が段々難しくされていくのですね、ダイヤが改正されるたびに。
遠くまで行く場合、鈍行列車で一気に目的地まで行くことは出来ませんから、途中で乗り換えになりますが、その乗り換えのタイミングが悪いと、ボケーっと待ってなければなりません。それも地方によってはヘタしたら2時間くらい待ったりします。それだけならまだしも、その日のうちにたどり着けない、だから計画そのものが成り立たないという悲惨な事態にもなったりします。
例えば週末に京都から福井まで日帰りしようとして難儀したことがありました。キミの使命は、いかに安く往復し、いかに長く福井に滞在してデートを楽しむか?であります。そこで時刻表をひっくり返して路線を検討するわけですが、ブチブチに切断されて連絡が上手くいかず、「あー、ダメ!」「ああー、くそっ!」の連続になるわけです。お金があったら問題はないのですよ。京都から特急雷鳥号なりに乗れば快適に短時間でいけます。そのお金がない奴は頭と体力をつかって頑張らねばないないわけです。京都駅始発に乗ろうとしても、それに間に合うためバスがないので、キコキコ自転車を漕いで今出川から堀川通りを下って京都駅まで走ったことを今でも覚えています。夏の早朝、まだガラガラの都大路を自転車で走るのは心地よく、よく言えば青春のヒトコマだったのでしょうけど、「お金がないというだけでなんでこんな苦労せなならんの?ちょっとその差が理不尽じゃないの?」と感じた気分は未だに覚えてますね。
京都から福井まで行くには、2つのルートがあります。琵琶湖の西側を走る湖西線に乗って一気に敦賀まで出るか、琵琶湖の南側を東海道線を乗って進み、米原で北陸本線に乗り換えて琵琶湖の東側を北上し敦賀に抜けるか、です。距離的・時間的に言えば湖西線が圧倒的に近いです。だから特急列車は全て湖西線を通ります。お金がない人は、この湖西線をチンタラ各駅停車で進めばいいってことだろうと最初は思います。しかし、なかなかそうはいかせてくれない。あれこれ検討した結果、結局米原経由しか方法がないことを発見したときの怒りは未だに鮮やかです。
今はどうなってんのかな?と思って、インターネットの時刻表サイト(例えば駅から時刻表)で調べてみました。あの頃から改善されているのだろうか?と。JR湖西線の下りの休日時刻表を見ます。京都駅朝の6時発の普通列車に乗ると永原というところに7時12分に着きます。永原という駅は、湖西線と北陸本線が合流する近江塩津駅の一つ手前なんですね。こんな所で終わってしまわないでもう一駅近江塩津までいってくれれば、そこから北陸本線に合流できるのですが、なんか知らんけど、合流駅・ジャンクション駅のひとつ手前で普通列車が終わってしまうケースがやたら多いのですよ。もう、なんか意地悪で、乗り継ぎ出来ないようにしてる。
ただ今回の場合、永原7時12分着でも16分待てば7時28分発の乗り継ぎ列車が来ることになってます。これは進歩ですねー。素晴らしい!昔こんなの無かったような気がします。だから湖西線ルートをあきらめたのですが。というわけで、7時28分発の列車に乗りましょう。近江塩津駅に7時33分に着きます。この列車は近江塩津駅から逆方向の米原に南下してしまうから、近江塩津駅で降りて、次に来る(北上する)北陸本線を待てばいいことになります。、、、ところが、北陸本線の近江塩津から北上する時刻表を見ると、7時33分に塩津駅に降りても、ちょうどいい乗り継ぎ列車が無い。都合のいい普通列車は7時22分、つまり11分前に塩津駅を出てしまいます。タッチの差でいってしまっている。でも、そもそも京都から乗った列車が永原駅7時12分で終ってしまわず、そのままもう一駅進んでくれたら、この列車に乗れるのですね。永原-塩津駅はわずか5分ですから、意地悪しないでもう一駅、ジャンクション駅(塩津)まで走らせてくれたら、7時17分塩津駅着でしょうし、そうすれば7時22分の北陸本線に乗れる筈なんだけど、そうはさせてくれない。ああー、このへんの意地悪さは相変わらずですねー。
しょうがないから塩津駅でボケーっと待つことになります。どのくらい待つかというと、なんと1時間2分待たねばなりません。次の乗り継ぎは8時35分ですからね。「そりゃあ、ねえだろう」と思って調べるのですが、本当に無いんですよ。で、結局8時35分の列車に乗って、福井着が9時52分です。6時ジャストに京都を出て、福井に着くのが3時間52分後。一方、奮発して特急列車サンダーバードに乗ると、京都駅発7時37分→福井着8時58分ですから、わずか1時間21分。なんだこの差は?しつこいようだが永原で止まらず近江塩津まで行かせてくれたら、ちゃんと福井8時27分に着いているのですよ。所要時間2時間27分で、このくらいが特急列車と普通列車の料金差からしたら妥当なセンじゃないですか?まあ、所要時間を短縮するだけでしたら、7時8分京都発に乗って、永原(ないし近江今津)で乗り換え、塩津駅までいき、上記の8時35分の列車に乗れば、出発を1時間8分遅らせることができるから、所要時間も1時間8分短縮、つまり2時間44分でいきます。
でも、福井着10時というのも勿体ないし、もっと早く行きたいわけです。カネはないけどヒマはありますからね。
しょうがないから遠回りだけど米原経由でいくか、と思います。で、調べてみます。京都駅6時18分発で東海道線に乗ると、7時12分に米原に着き、そのまま長浜駅まで同じ列車が進みます。でも、長浜駅7時33分で終わってしまいます。次の列車は8時10分まで来ません。37分ボケーっと待って、8時10分の北陸本線に乗り換えますと、これが木ノ本という駅で8時24分で終わってしまい、今度はここで9時3分まで39分ボケーと待ちます。9時3分の列車は、しかし、敦賀着9時33分でまたしても終わってしまいます。9時42分の次の列車に乗って、福井に着くのがなんと10時38分。所要時間4時間48分。こんなんだったら7時1分京都発の快速で米原着8時10分に着き、そこから8時39分に乗り換えて9時31分敦賀どまり、9時42分敦賀発に乗り換えて行った方が所要時間は1時間縮まります。もっと言えば、7時47分京都発でもこれには間に合うのですよ。その場合所要時間は2時間51分。でも、福井着10時38分ではしょうがないわけです。
なんとかならんものか?と思い、さらに早い出発を検討します。思いっきり早く京都駅5時31分発の始発に乗り、米原に6時36分に着きます。ああ、しかし!次の乗継ぎ列車は米原発6時34分なんですよ。2分差、本当にタッチの差で出てしまっているのです。なんて意地悪な!これに乗れたら福井着8時14分なんですよ。まるまる一日デートできる。しょうがないから6時50分まで米原で待って、あとは8時27分福井着。まあ、このくらいなら許容範囲でしょう。でも、京都駅発を一本遅らせて多少なりとも朝眠れるように出来るかと思うと、出来ない。京都発5時49分は米原着6時59分。だから6時50分の米原発に間に合わず、結局上記のように福井着10時38分になります。
結論、京都駅発5時31分に乗れってことになります。そんな時間にバスは出てないですよ。だから、上述のように、早朝の都大路を自転車キコキコという情景になるわけです。なんだよ、あれから24年も経過しているのに、状況は大して変わってないじゃないかよ。
ここで注目して欲しいのですが、さっきも述べたように、普通列車の乗り継ぎが異様に悪い。例えば近江塩津までいかずに一つ手前の永原駅で終わってしまうパターンは、週末時刻表を見ると1日に13本もあります。逆に永原を経由して近江塩津駅までいってくれる列車は8本しかない。しかも、その全てが3つ手前の近江今津駅での乗り換え列車です。逆に言えば、湖西線を京都から近江塩津駅まで乗り換えなしにストレートにいかせてくれる列車は一本も存在しないということです。「嘘!?」と思って何度かチェックしたけど、やっぱり無いです。一本も無い。
JRに言わせれば、そもそもストレートに行こうとか、永原で乗り換えようとするからおかしいのであって、このあたりの路線は3つ手前の近江今津駅がジャンクション/乗り換え駅なのだ、近江今津に注目すれば接続は上手くいってる筈だというでしょう。確かに近江今津駅での乗換えを考えると、前述のように日に8本、6時54分→7時18分、8時6分→8時15分、11時20分→11時42分、14時33分→14時43分、15時33分→15時48分、16時29分→17時22分、18時37分→18時46分、20時7分→20時12分という具合に、それなりに接続は配慮されていることは認めましょう。素晴らしい。もっとも16時29分→17時22分は53分も待たされるから「接続がうまくいっている」という定義からすれば除外してもいいですよね。だから7本ですか。
しかしですね、そもそも7時12分永原止まりの列車をもう一駅余計に走らせるわけにはいかないのでしょうか?同じように8時54分、9時29分、10時36分、11時33分、12時35分、13時35分、16時41分、17時54分、18時17分、19時29分、19時55分、21時26分に永原止まりで終わってしまう列車をもう一駅走らせることがそんなに困難なのでしょうか。近江今津がジャンクションだとしたら、全部そこで終着になるっていうなら話はわかります。実際そういう便もあります。でも、近江今津を通過してさらに永原まで進んでいる列車も結構あるわけですよ。上で数えたように全部で13本もありますよ。近江今津駅で7本接続が良かったとしても、ほぼそれに倍する数の便について、わずか一駅手前でわざわざ接続をカットすることを正当化することは出来ないんじゃないんですかね?
なんでそんなことするの?おかしくないですか?近江塩津駅は湖西線が北陸本線とジョイントするハブになる駅です。ハブへの連絡の良さというのは、ネットワークを構築する場合、最重要課題といってもいいんじゃないんですか?なぜこんなにハブへの乗り継ぎをわざわざ一駅手前で終わらせて悪くするわけですか?それをしなければならない理由でもあるのですか?
もしかしたら近江今津=近江塩津間をピストン折り返しする都合もあるのかな?と考えてみたのですが、そんな面倒なことしなきゃいけない理由がよくわからない。せっかく永原まで列車が走ってるんだから、最初からストレートに塩津まで行って帰ってこさせた方が良くはないか?永原=塩津間なんかわずか5分ですよ。この5分、往復10分を惜しまねばならない理由は、僕にはよう思いつかない。それを惜しむためにわざわざ別途短距離ピストン列車を仕立てなきゃいけない理由が思いつかない。また、広い操車場がハブ駅に無いからという理由もあるのかもしれませんけど、それだったらそもそも短期ピストン列車だって運行不能でしょうから同じ事だし、仮に狭かったら広げればいいです。言っちゃ悪いですけど、それほど土地に不自由してそうなエリアではないでしょうし、退避路線一本敷くのがそれほど難しいとも思えない。そもそも24年前から改善してないってのは、いかがなものかと思いますよ。
僕は鉄道に素人だから、僕などには思いもつかない専門的な理由があるのかもしれません。だけど、どう考えても一駅手前を終わらさねばならない理由が思いつかないです。そうなると、素人としては、もう意図的にそうしていると思ってしまうのも、これは仕方ないんじゃないんですか。そしてどういう「意図」かというと、答えは一つ、「特急料金払って、特急列車に乗れ」ってことじゃないんですかね?形の上で普通列車というアルタナティブ(選択肢)があるように見えつつも、事実上それを機能させなくしている。
本当はそうじゃないかもしれないけど、僕が単に邪推してるだけなのかもしれないけど、でも、「わざわざ接続を悪くしている」という印象は完全には払拭できません。本当はそうじゃないとしても、「李下で冠を正さず」とも言いますから、分かりやすくして欲しいです。そして、僕の印象が、単なる邪推ではなく、ある程度正鵠を突いているとしたならば、「ああ〜」って思ってしまいますよ。
これって、日本の官僚のやり方そのまんまじゃん。形の上では一応あるように見せつつ、実際にやってみたら使えなくなるようにしているという。こういうセコいことをするから日本人はお上を信じないんですよ。幾ら福祉を充実しますよ、年金払いますよ、減税しますよと総論では美しいことを言いながら、いざ自分がやってみると、なんだかんだの妨害にひっかかって結局その恩典は受けられないように細かく落とし穴を掘っておくという。日本に長いこと社会人として住んでたら、こういう経験の一度や二度は誰でもしてます。だから、信じられない。だから日本人の貯蓄率はずば抜けて高い。だってお上が信じられないんだもんさ。信じたら裏切られるんだもんさ。僕は、弱冠20歳でその体験をしましたよ。その経験は、24年経過しても今こうして再現できるくらい骨身に染みてます。他愛のない、些細な経験って言えばそうですけどね、こういうことって意外と重いんです。最初はほんの萌芽に過ぎない思いでも、一旦「この国を信じちゃいけないんじゃないか」って心に抱いたら、いずれそれが育つのです。それが、他の体験とあいまって蓄積し、醸造され、結果、いまこうして外国に住んでいるという現実に結びついている、、といっても言いすぎじゃないです。
ちなみにこの列車の恨みはこれだけではなく、その昔は、特急よりはぐっと安く、普通列車よりはぐっと所要時間が短縮できる「急行」列車というのがあったのですね。湖西線でも、急行加越(だったかな)とかが走っていて、非常にコストフォ−マンスが良かったのですが、いつのまにかなくなってしまいました。急行列車は全国的に急激に減り、特急列車に格上げになったり、大都市圏では快速列車に格下げになったりしました。その理由は様々でしょうが、ビンボーだった僕はひがみっぽいから(^_^)、「ああ、また意地悪されちった」と思ったもんです。
今回のエッセイのテーマは簡単です。「国はセコいことすな!」ということです。国に限らず、公共的な組織は、セコいことするなと。そのセコさが、人々の信用を失わせる。信用というのは、大々的な不祥事とかそういうことだけで失われるものではないのだ。ある意味そんなスキャンダラスなことなど、僕ら一般庶民にとっては関係ないことも多いから、それほど大したことではなかったりもする。そうではなく、日常風景のひとつひとつに垣間見える不誠実さこそが、僕らの脳髄に染み込むのだ。そして、一旦失われた信用は、これを取り戻そうと思ったら百年かかる。
国鉄/JRのことを長々書いてしまいました。この種のことは沢山あります。ありすぎる。以前にも述べましたが生活保護の受給システムの改悪など、細かく専門的なところでも沢山あるけど、そんな特殊専門的なことじゃなくても、なにかというと目に付く。
同じJRでも、ムカついたのは、10年以上前の話ですが、安いチケット屋で売ってる新幹線の回数券チケットは、ゴールデンウィークや盆暮れ正月の繁忙期には使えなくするとか。新しい路線が出てくると、例えば「ひかり」の上に「のぞみ」が出てくると、この割高の「のぞみ」に乗れと言わんばかりのダイヤ改正をする。チケットの互換性を無くす、などなど。これはダイヤ改正とか接続とか、本当は正当な理由があるかもしれない特殊専門的な話ではなく、もう分かりやすく「セコい」ですよね。
JRもNTTも民営化しましたし、郵政も民営化されるかもしれません。民営なんだか国営なんだか最近良く分からなくなってるNHKもそうです。共通して文句をいいたいのは、「もっと上手に稼げよ」そして「セコいことするなよ」ということです。国営だからこそ膨大なインフラと巨大な図体を生かして豊かな企業展開をすればいいのに、それを悪用して消費者を囲い込んだり、手足を縛ったり、新規参入を排除したりするんじゃねえ、と。お金が無くなったら、あるいはお金を集めようとしたら、豊かに広がるプランをドーンを打ち上げて、需要を発掘し、全体のパイを広げて潤えばいいのに、それはせず、逆に、やれキセル取締りとか、受信料の強制徴収とか、セコセコ締め付けを厳しくして稼ごうとする。そして、このセコさは民間にまで広がってるように感じます。
一つ一つ言いたいですけど、まずNHKですね。ここも国営だという原点に立つなら受信料を撤廃していただきたいです。オーストラリアのABCには受信料ありません。もっとも受信料を廃止してもその分税金が高くなるだけですし、「受益者負担」という原則に立てば、受信料を取った方がより公平な課税の分担かもしれない。でも、受益者負担は、大阪府に橋をかけるのに、なんで北海道や沖縄の人まで負担しなきゃいけないのよ、橋で恩恵をこうむる人が負担すればいいじゃんという発想でしょ。公共の費用の支出によって利益を受ける人が特定少数の場合、その人たちにも負担してもらうという。でも、TVなんかいまどき誰でも持ってるじゃないすか。そりゃ、力道山の街頭テレビの時代には、テレビを自宅で持ってる人は特別な人だったし、彼らに負担してもらうことには意味があったかもしれない。でも、そんな時代は30年前に終わってます。誰でもTVは持っている。だから受益者負担にする必要なんかないじゃないですか。税金だけでやったらいいです。わざわざ集金人を雇うコストがバカバカしいでしょ。行く先々でイヤミ言われる、夜に歩き回っているあの可哀想な集金の人たち。
受信料について唯一のメリットは、皆さん痛みを感じるから、批判的にNHKを見られるということです。これが全部税金で無料だったら、いくら税金を無駄遣いしても、誰も文句を言わないでしょう。だから受信料を徴収して国民の批判精神を涵養するという点では非常に優秀なシステムかもしれない。半分皮肉で半分本気です。でも、それは、本来のスジでいえば、監視システムをもっとハッキリさせたらいいことでしょう。
昨今話題になっているプロジェクトXの企業協賛金も、僕はそんなに悪いことだとは思ってません。ただし、やるんだったら正々堂々とやったらいいです。そもそも国営放送だからCM禁止と論理必然的につながるものではないです。オーストラリアのABCもSBSもCM流してます。その方がカネの流れが明白になっていいです。そして企業協賛金も情報開示するなり、番組にCMつけるなりして明白して欲しい。つまりは、「お金を稼ぐためにやってます」ということを周知徹底したほうがいいです。また、お金を稼ぐためには、もっともっとやりようがあるはずです。オーストラリアのABCですら、全国あらゆるところにABCショップを開店し、番組をDVDで売ったり、番組で取り上げたアーティストの作品を売ったり、本を売ったり、キャクターグッズを売ったりしてます。NHKだって、あれだけ膨大なコンテンツを持ってるんだから、やりようもあるでしょう。紅白持ってるだけで、膨大な含み資産はありますよ。DVDのBOXセットにして売ればいいじゃん。「地上波デジタル信号を使って受信料を強制徴収しよう」なんてセコいことを考えているヒマがあったら、やるべきことは他にいくらでもあるでしょう。
それともう一つ、これはあんまり言われてないのですが、国営放送というのは「誰の私物でもない」、不偏不党のジャーナリズムという点に価値があります。その不偏不党さについては、カネの流れから人事まで何から何まで透明にすべきなのは言うまでもないですが、時の政府に噛み付くべきでしょう。免許事業によって官僚に首根っこを押さえられ、スポンサーによって財源を握られて言いたいことが言えない民間メディアの出来ないことをやってこその国営放送でしょう。NHKは日本国の共有財産であって、自民党の私物ではない。だから、時の権力が迷惑するようなことでも、官僚が困るようなことでも、ジャーナリズムの正道をいっていだきたい。オーストラリアのABCがしばしば時の政府から「偏向報道だ」と文句言われているように、権力者から偏向呼ばわりされるくらいが丁度いいんです。もし、NHKが腹を括ってそこまで徹底してやるなら、そして予算を官僚を握られてしまってはそれが出来ないと言うのなら、いいでしょう、喜んで受信料払いましょう。それだけの価値ある仕事をしてくれるならば。僕は、国営放送というのは、そこさえしっかりしていれば、あるいはしっかりしている監視システムが出来るならば(例えば、老害みたいな会長が開き直って居座るのではなく、局内の最高権力者は3年に一回変更され、かならず外部から招かねばならないとか)それでいいと思ってます。そして独立独歩でやっていくために金もガンガン稼げばいいと思います。
こんなこと一つ一つ言ってたら到底紙面が足りません。すでに超過してますが、ほかにもNTTの電話加入権の段階的消滅もそうだし、住民基本ネットワークで国民背番号制にしようとしてもその恩典が全く国民に上げられていないこともそうです。これは過去に書きましたから割愛します(個人情報がネットワークで分かるなら、官公庁への申請の際の個人情報書類=戸籍とか住民票とかは、いちいち添付書類として国民に用意させるんじゃねえ、わかるんだから役所で勝手に調べればいいだろとか)。
年金だって、徴収することばっかり考えてないで、インターネットのサイトにいってこれまで合計幾ら払ったのかの個人情報を開示するように便利にしようというシステムはないし、あとどれくらい払ったら幾らもらえるかということもわからない。この点については、朝日新聞の年金特集「不信払う情報開示」を参照。
金融機関における預金の名寄せや、ともかくも締め付けを厳しく厳しくするような、キセル取締りと同じ発想で金を集めようとするのはもういい加減にせーやといいたいわけです。それって馬鹿な経営者が経費節減のために、トイレットペーパーは20センチまでとか、鉛筆一本にもリストを作ろうとか、くだらないことをやって社員の士気を殺ぐようなものです。そしてまた、このセコい風潮は、民間にも及んで、例えば昨今話題のプロ野球だって、金がないから球団を減らそうという最初の発想もそうです。儲からないから増やそうではなく、儲からないから減らそうという縮小志向。
大体、お金を儲ける商才が無い奴がヘタに権力をもってるから、セコいことばっかりするんだわ。商才がないから、権力や規制で儲けようとするでしょ。そういうのは儲けたことにならない。つまりは「有効需要の創設」ではない。日本経済には、本来日本を引っ張らねばならないはずの国や大企業がこのような縮小均衡方向でシュリンクパックやってて、かたや民間は過酷な労働で激安合戦をやっていて、これもデフレスパイラルをまねきかねないという。どっちにしたって、セコい方向へセコい方向へと話が向かってしまいます。これで国民や消費者がセコくならなかったら不思議ですわ。
頼むから発想を逆にしてくれって言いたいです。JRの皆さんも、キセル取り締まるなとは言いませんし、特急を増発するなとは言いませんから、もっとビンボー人に優しくしてくださいな。つまり、安くて遠くまでいけるようにしてくださいな。「高いからやめよか」と思わせずに、「そんなに安いなら行ってみようか」と思わせてほしい。それは、JRの最大のヒット商品と思われるのが「青春18切符」であることからも分かるでしょう。高いから諦めていた人が旅に出れるようにすることによって、その人本人はハッピーになるわけだし、地方の経済も潤うわけだし、JRだってガラガラの車両に一人や二人客が増えてもいいでしょう?青春18切符を売るんだったら、「晩春68切符」みたいなものを作って、お年寄りにも安くドンコー旅行が出来るようにしたらいいです。お年寄りだから常に快適にしなきゃって考えるのが商売がヘタクソな所以であって、そんなことやってるから民間旅行会社と企画が競合するのよ、で、儲からないんでしょう。「切符発行権」という魔法のアイテムを持ってるんだから、もっとウキウキするような、「あ、それだったら行ってみようかな」という商品を作ってください。フルムーンパスなんか手ぬるい。最近のお年よりは元気な人が多いです。消耗している30、40代の人よりも元気です(お遍路さんを見よ)。
年金もですね、未納率37%というのは、要するに年金という「商品」が売れてないってことでしょ?強引に売りつけて代金強制徴収しようっていっても限界あるんだから、もっと「おお、それだったら買ってもいいかな」という、皆が殺到して買いまくるような年金商品を作れって言いたいです。もう、いつでも解約自由とかさ、インターネットのプロバイダみたいに他社からの乗り換えサービスとかさ、外国年金との相互乗り入れをするとかさ、ガン保険をセットにした商品を作るとかさ、あるじゃん、方法は。未納率38%ということは、要するに国民皆年金じゃないんですよ。一部の国民が利用しているだけの一部の商品に過ぎないって腹を括った方がいいんじゃないか。
そんなことを言うと、現在ないし近未来の受給資格者達の年金分が徴収できないから困るって反論もあろうでしょう。それはもっともだけど、見方を変えたらですね、この長老社会の日本で、年金制度をはじめとする社会システムの権力を握ってるのは、その受給資格のある世代でしょ。あんたらが魅力のない商品を作ったら悪いんですよ。ダメな商品作ったから売れないわけで、売れない責任はキミらにあるとまでいったら言い過ぎですか?でも、どう考えても、将来貰える希望の少ない現状で金を払えって言う方が無理じゃないですか。こうなる以前に年金システムを改正できる時期に選挙権を持ってた連中と、その時点では子供だったりまだ生まれてなかったりした連中とで、どっちがツケを負うのが正義ですか。いずれにせよ、なすべきは、縮小均衡させてセコい帳尻を合わすのではなく、より魅力ある商品を作って拡大均衡することでしょう。
拡大して帳尻を合わすのではなく、縮小して帳尻を合わすのは、既に守りの発想です。また規制で締め付けてカットするなら下らん天下り連中の退職金やらお偉方のポジションを照準にすればいいのに、それは厳しいからやらないで、やりやすい、取れるところから取る、弱いところから取るというのは、エネルギーの無い弱者の発想です。いずれにせよ守りに入った老人の発想であり、そんなメンタリティで日本をマネジメントしてたら、そら暗くなります。絶対数が足りないときに必要なのは、節約ではなく、エネルギーでしょう。金が無いときゃ動く。「動くと腹減る」とかいってるとジリ貧だから、とにかく動く。
今の若い人は貧乏です。もうハッキリ言い切っちゃうけど、若年者の年金未納率が50%とかいってるくらいだから、もうありていにいってビンボーでしょう。だったら、昔の学生だった頃の僕のような人々を、もっと楽しく動かしてください。ビンボーな人がウキウキするような社会にしなければって思います。「とにかくジッとしててもしょうがないから何かやろ」って思えるような。さもないと、前回のエッセイのように「お金さえあれば」という貧乏ったらしい風潮になるし、一攫千金系に走るし。
最後に、冒頭の部分につなげますが、サラリーマンでももっとはるかに簡単に確定申告が出来るようにしたらどうですか?うるさいこと言わないで経費をガンガン認めてあげたらどうでしょう?自分で確定申告しててつくづく思うのは、「税金払うくらいだったら経費で何か買おう」ってことです。この意欲は結構強烈で、仮にみすみす税金10万円払うくらいだったら、10万円でなんか買おうと思います。10万円使っても全部経費になるものではないし、仮に全部経費になったところで最終的な税金差分は知れてるんだけど、それでもそう思いますよね。
日本のサラリーマンは源泉徴収だから確定申告しなくていいけど、これはこっちでも同じ(PAYG)。その代わり確定申告すれば税金が返って来るから皆さん頑張るのですよ。だから確定申告のことをタックスリターンというのですけど、スーツ代とかに限らず、家で50万円のデジタル対応テレビを買っても、家族でディズニーランド行っても、「調査研究費」で半分経費で認めてくれるくらいの大盤振る舞いをすればですね、そしてそれで申告したら税金が20万返ってくるんだったら、「ほんじゃ買おうか」って人も多いと思いますよ。もちろん国庫的には20万円損するのだけど、その分50万円民間消費が増えるんだから、廻りまわって国家収入は増えるんじゃないですか。セコセコ国民に背番号を振って、不正預金を監視してるヒマがあったらですね(そんな不正預金をしなきゃいけないほどの金持なんかそうそう居ないんだかし、本気で金持が隠そうと思えば幾らでも手段はあるし)、「踊らな損だわ」って思わせてくれるような政策を望みます。いや、ほんとに。
文責:田村
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