シドニー雑記帳

世界周遊旅行記 その2

− 日本のプレゼンテーション −





     前回、田舎にガイジンさんを呼び寄せてホームステイするメリットとして、逆に「東京は日本を誤解させるから」という理由を挙げていました。ずっと東京近辺で暮していた私としては、なんとなく「日本=東京」と無意識的に思い込んでいたフシがあったのですが、ちょっと認識改めました。で、今回はこの旅行で私が東京と東京以外の日本について感じたことを、ラースのコメントを交えながらつらつらと綴ってみたいと思います。




     今回は関西空港から入って、京都大阪方面から次第に東へと移動し、最後に東京を攻めました。東京に入るまでは「やっぱり日本っていいわあ」と思っていたのですが、東京に入るなり「げー、私こんなとこでよく生きてたなあ」と思ってしまった。もう二度と、東京には住みたくないぞ。ラースも「日本には住んでみたいけど、東京だけは絶対にイヤだ」と言明しています。

     なにがそんなにイヤか?というと、まず何処もかしこも人だらけだということ。住んでいる頃は当たり前だと思っていたけど、道をまっすぐに歩けない、電車に乗ると他人の身体に触れるというのは、異常な事態ではないかと。人間には「この位の親しさならこの位の距離が心地いい」という快適距離があるはずですが、日常生活においてこの快適距離をここまで徹底的に無視しなければならないというのは、なんと哀しいことかと思いました。まあ、こんなこと今更言うまでもないことで、誰も好き好んで人だらけの環境で暮しているわけではないのだけど、やっぱりあれは「異常」だと認めた上で、対策を講じるべきでしょう。確かに慣れれば何とかなるものですが、なんだか慣れた時点で既に自分の精神が少し狂っているんじゃなかろーかという気すらしました。もう、いるだけで気が狂いそうで。

     考えてみれば、あんな狭いエリアに3千万人もが密集して住んでいる、無計画にスプロール化した街というのは、世界的にもちょっと珍しいでしょう。ラースも言ってますが、「世界の大都市と言われる街はずいぶん見てきたが、東京みたいな街は初めて見た。どこまで行っても街だし、街の中心というものがない」と。確かに、同じ大都市でも関西なんか電車に30分乗れば違う都市圏に入るけど、東京じゃ1時間電車に揺られても「東京近郊/衛星都市」だもんね。皆が同じ時間帯/同じ時期に同じ方向に向って移動するという民族移動の法則もまだまだ崩れていないようだし。その割にはいつどこへ行っても、無節操にゴチャゴチャした町並みに人がごちゃまんといる。とにかく東京ではメチャクチャ疲れました。

     一昔前なら、こういう具合に東京批判をすると「それはキミが田舎モノだからだよ」と指摘されたものですが、今はどうなんだろう? 東京に住んでる人に「東京って異常だと思う」と言うと、「やっぱりそう思う?でもしょうがないのよね」というあっさりした反応が返って来るんじゃないかな。

     また、これは東京に限らず都会の宿命ではありますが、特に東京には「都会人らしく最先端にいること」というプレッシャーが重くのしかかってるように思います。自分が自分らしくあろうとすることを抑制しようとするエネルギーが充満しているような。バブルの頃は「都会人=カッコイイ」という価値観が通っていたし、流行の型に収まることで都会人としてのアイデンティティを維持できた部分もあるけど、そういったつっかえ棒も次第に薄れてきているんじゃないでしょうか。バブルの頃、元気に闊歩していたOLのおねえさんたちも、今や「ストレス発散のために」買い物し、遊んでいるようで、以前の勢いは見当たりません。皆して疲れた顔してる。折角バブルの頃の東京イズムが消滅したなら、各自がもっと自分らしい生き方が出来る筈なのに、なんとなく生気がない。同じ都会でも、大阪の方がすれ違う人に生気を感じたのは気のせいだったのでしょうか?

     東京近郊に住んでる人の一体何パーセントの人が「私の街、東京」と認識し、「東京が好き!」って思っているんでしょう。昔ながらの東京を愛し住んでいる人もいるだろうし、都会としての刺激的な魅力が好きで東京に住んでる人もいるのだろうけど、どのくらいの比率なんだろう? 何となく若い時に東京に出てきちゃってそのまま就職しちゃって、そのまま子供できちゃって、そのまま家買っちゃって、、、みたいなパターンが意外と多いんじゃなかろうか? まあ、情報は入手しやすいし、機能的で便利だし、いわゆる都会の刺激も十分あるし、絶対数が多いから面白い人、気の合う人に出会える確率も高いし、そういう面では大都会東京の魅力も沢山あるんですけど。

     今回会った人々も概して東京近辺の人には「疲れ」が見えました。私が東京でサラリーマンしていた頃は、仕事に疲れてても夜になると元気が出てくるようなところがありましたが、「もう10時過ぎたし、明日も仕事あるし」で何となくオヒラキになるという。あの頃は10時まで残業してても、それから一杯やってカラオケやって午前様とか平気でやってた筈なんだけど。仕事の実労より「心労」がキツくなっているのかな。なんとなくですが、「このままここに居てもしょうがないとは思うんだけど、どうしたらいいか抜け道が見つからない」という雰囲気はお会いした人達の中から感じました。壊れかけたオモチャにしがみつく以外の方法が見つからない、「いいな」と思うことがあっても違う世界に飛び出すだけのエネルギーは出てこない、あるいはしがみつかざるをえない状況(家のローン、親の老後の世話、子供の教育、健康状態等)にあって「これも人生よ」と腹を括っている、あるいは、じっと脱出の機会をうかがっている・・・。

     でもそれも「もうちょっとかな」と思いました。もうしばらくすれば、しがみついた結果が明らかになって人もシステムも変わるだろうと。今は混沌とした中で、それぞれが次の時代を模索している時なんだろうという期待感を受けました。その新しい胎動は、もしかしたら巨大都市東京よりも地方都市で着々と進んでいるのかもしれない、という気がするんです。地方の方が、「都会の縛り」がないだけに自由な発想を実現させやすいのかもしれません。

     東京以外の地方都市は具体的に何が違うのかわからないけど、生気がありました。「ここに住んでもいいな」と思わせる土地の匂い、人の匂いがありました。その本質が何であったのか、未解明なのですが。




     また、東京以外の都市には「日本の魅力」が見受けられて、「なんだ、日本っていい国じゃん」と思ったりしました。 私はずっと東京で暮していたせいか、今までは何となく「日本=東京」というイメージを持っていましたが、今回の旅で認識を改めました。本当の日本らしさがあるのは、地方都市や田舎の方なんじゃないか、と。

     ガイジンから見ると、日本の自然と融合した伝統文化というのはやはり特殊で魅力的らしく、それが適度に息づいてる街というのがイイようです。ちなみにラース君の場合、「京都は美しい街だが、伝統的な濃度が濃すぎて住むにはツラそう。東京には街路樹もロクにないし、どこまでもだらだらと街が広がっているので、息抜きできず気が狂いそうになる。大阪や横浜はその点ではまだマシ。住むなら自然と伝統と近代的なものがうまく調和している静岡なんかいいな」と言ってます。

     私も今回「日本っていい国じゃん」と思ったのは、見事に発達した高度経済文明、最新技術が反映されたモノ文化というより、人々の生活に息づいている自然と伝統でした。単純に自然が美しいということだけでなく、それらが世界最高レベルの経済・高度文明と調和しているところが凄いんですね。ラブホテル街にある霊気に満ちた神社、洋室の隣にある木の香りがする和室、客に対する洗練されたもてなし(ビジネス上の接客態度も含めて)。神社や和室なんか昔は古臭いだけでちっともいいとは思わなかったけど、生活の中に凛とした空気を織り交ぜてくれてるような気がして、改めていいなと思いました。

     また、改めて感心させられるのが接客態度。「お客様は神様です」とはよく言ったもので、そりゃ商売上有利だからそういうノウハウが発達したんだろうけど、やっぱり日本の接客態度には日本人の真髄が活きてますよ。人には礼をつくすもの、という古来の人間関係の基本から生まれたものなんじゃないかな。関空に降り立ってラースが初めて日本で感動したのは、JRはるか号の車内で検閲に来た車掌さんが「切符を拝見させていただきます」とお礼をした時でした。「デンマーク鉄道宛に手紙書かなきゃ」と。

     木目細かい配慮が行き届いた電化製品の数々にもラースはいちいち感動してました(彼は電気エンジニアなのでバイアスかかってますが)。蚊取器、湯沸かしポット、電気掘りこたつ等。日本人は舶来物を取り入れるのが上手だと言われますが、そのまま輸入するのではなく、日本の自然や伝統に合うようにアレンジして取り入れているので、日本らしさがそのまま生きてるし、そのまま海外に輸出しても受け入れられそうな商品(まだ海外ではメジャーデビューしていない商品)も結構あると思います。その和洋折衷加減=舶来物に手を加えたジャパンオリジナルに、日本らしさが感じられるというわけです。

     上記のような「日本らしさ」が東京には全くないのか?といえば、そんなことはないでしょう。勿論、モノの種類は豊かですから、ガイジンさんが秋葉原に駆けつけるのも分からないではない。ただ、東京を街として見た場合に、大都会として独自に発展しすぎてしまって、日本人の懐の深さや自然・伝統との調和を目にする場面が限られてしまっているように思うんです。かつての私もそうでしたが、東京に住んでいる人々自身が「日本のよさ」を意識していないし、わざと殺す方向に動いてしまっているかのような。ファッションにおける先進性、経済効率性以外に評価される軸がないから、「日本らしさ」をプレゼンテーションできる決め手に欠けてしまうんでしょう。




     ところで、ラースに指摘されて気になったのですが、「日本という国は外国に対するプレゼンテーションが下手だね」と。外で聞くジャパンと目で見るジャパンは全然違う。日本といえばヨコハマタイヤ、トヨタ、ミツビシ、カワサキ・・・と企業の名前は沢山出てくるし、経済大国であることは知ってるけど、文化的なことに関しては全く知られていない。「映画SHOGUN」(ラースの友人宅でデンマーク語の字幕入りで見た)「オペラ蝶々夫人」(コペンハーゲンのロイヤルシアターで見てきた)とか、過去を描いた芸術は知ってるけど、それが今の日本とどれくらい隔たりがあるのか全く想像できない。「今の日本」を把握できる情報が海外にはほとんどない、と。そして、「こんなに(いろんな意味で)スゴイ国、興味深い国なのに、どうしてもっと海外に売り込まないんだ?」というわけです。「ほなことゆーたら、あんた、デンマークはちゃんと売り込んでるっつーんか?」というツッコミも入れたくなりますが、デンマークの話は後にしましょう、ただでも混乱してますから。

     確かに「今の日本」を生々しく紹介しているモノってあまりないのかもしれませんね。アニメとか連ドラがアジア諸国で人気だというけど、それくらい? たまごっちやGショックも海外に輸出されてるけど、そういう断片的なモノではなくて、生の日本を理解する手がかりになる情報はほとんど外に紹介されていないのではないでしょうか?

     じゃあ、何が生の日本かっていうと難しいのですが、たとえばラブホテル。あれこそ現代日本を象徴するひとつの文化のカタチだと思うのですが。だって、あれだけラブホテルが一般庶民に愛用されている国は他にないでしょう。欧米にはそんなものの存在すらない。なぜ日本にはラブホテルが必要なのか、これをラースに理解させようとしたら、日本人の恋愛観、結婚観、家族観、仕事観、経済、歴史、住宅事情等々を、伝統的な考え方から現代に至る変化を逐一説明しなければならない。そのひとつひとつの話が、ラースにとっては初耳なわけです。勿論、私も正確に説明できてる自信はないです。で、こりゃあ一度ホンモノを見せなくてはと、知らない町でタクシーの運ちゃんに「あの〜、ラブホテルのあるとこに連れてってください」とお願いするハメになったのですが。

     シドニーに戻ってきてからずっと、田村が一人暮らしの間、暇潰しに借りてきたビデオを見ているのですが(それでこの雑文の仕上がりも遅れている)、「極道の妻たちシリーズ」「もののけ姫」「エヴァンゲリオン」、古い!と思われるでしょうが、どれも今の日本、あるいは過去だけど今の土台になってる日本をうまく切り取った作品だと思いました(話脱線しますけど、「エヴァンゲリオン」の心理描写なんかデンマーク人にウケそう)。これに英語の字幕さえ付いていたら、ラースも喜んで見ただろうし、彼なりの日本解析のいいヒントになったでしょう。惜しいっ!

     なぁんて言ってたら、オーストラリアのテレビ局で「お天気おねえさん」というスゴイC級邦画を英語字幕入りで放送してました。一見SM系AVじゃないかと思われるのですが、突然お子様向け仮面ライダーノリの対決が始まったりして、単なるオナニー映画とも思えない。「異様」の一言。うーん、確かに日本の一部を切り取った映画ではあるのだが、ものすごく誤解されそうなんですけど。なんで「エヴァンゲリオン」とか「もののけ姫」を放映してくれないのかなあ。コストが高くつくんだろうか。

     でも、生の日本を海外の人にプレゼンテーションするのって、難しいですね。西洋ならキリスト教文化、アジアなら仏教と経済成長みたいに、いくつかの概念でスパっと割り切れないでしょう、日本は。これだけ複雑に古来・舶来の要素が混在し、見事にバランス取ってる文化というのも珍しいし、言葉じゃ説明しにくい。もっとも日本に限らず、文化や国を実物を見たことない人に紹介するのって、ひじょーに難しい。やっぱり実物見て、直接感じてもらうしかないのかな。




     そんなわけで、次は「生の日本」を海外にプレゼンテーションする事業をやってみたくなってきました。ホームステイ斡旋もその有効な手段のひとつと言えるでしょう。その他、いろいろアイデア練ってます。同時に、自分自身が日本の田舎に住んでみたくなったということもあり、「田舎じゃ農業か役所以外に食ってく道はない」という既成概念に挑戦してみたくもあります。ゆくゆくは「APLaC/JAPAN」で生計立てたいものです。「APLaC/SYDNEY」でも生計成り立ってないのに、そんなことが可能なもんかい?というのが理性的な判断でありますが、まあ、夢は捨てずにがんばってみましょう。


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1998年10月06日:福島


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