シドニー雑記帳
「わかる筈がない」情報の話
シドニーの日本人人口は1万人そこそこであり、シドニーの全人口比率で言えばざっと400人に1人という超マイノリティ集団であるわけです。あなたが飛び込みセールスをして、一軒一軒訪問したとしても、日本人がいる家庭にブチ当たる可能性は限りなく乏しいわけです。
それでも来るのです。何が来るのかというと、宗教の勧誘やダイレクトメールです。
先日、ドアの呼び鈴が鳴り下りてみると、柔らかそうな笑みを浮かべた四〇〜五〇代の男性と女性が立っていました。日本人が出てくることを当然予期していたように、日本語で話し掛けてきます。「これをお読み下さい」ということで、「人生の目的は何ですか」と題された「ものみの塔」のパンフレットをいただきました。
出来事はそれだけです。礼儀正しい方々でしたし、訪問されること自体は構わないと思ってます。ただ、問題は、どーして彼らは日本人がここに住んでいるということを知っていたのか?ということです。
一軒一軒の絨毯爆撃訪問でないことは、雰囲気からも察せられました。過去にそういうケースもありますが、そういった場合は、やってくる人は日本人じゃないし、取りあえずは英語で話し掛けてきますし、パンフを渡すにあたっても、「NESBですか=Non English Speaking Background=英語以外の母国語をお持ちですか」と聞かれ各国言葉で書かれたパンフレットをくれたりします(日本語版はなかったですが)。
アテもなく町中をさまよい、日本人とおぼしき人の跡をつけて家を探るなんて面倒臭いことはおよそしないでしょうから、どっかで情報が漏れているのだと思われます。ちなみに、このパンフレットに末尾に書かれているこの宗教団体のオーストラリア支部の住所は、シドニーの近郊イングルバーンであります。Ingleburnと聞いて「ああ、あそこね」と分かる在住日本人は少ないでしょうが、シドニーの南西部、リバプールとキャンベルタウンの間にある地味な町です。こんな遠くから、僕の住んでるレインコウブの家まで何らかの「情報」なしにピタリと訪れるには、それこそ「神のお導き」でも無い限り無理でしょう。
同じような体験は、以前住んでいたニュータウンでもありました。今回引越をして、「今度はどうかなあ?」と思ったら、引越してから半年以内にやってきたわけですね。少なくとも半年以内に彼らはこの新情報を入手した計算になります。
さて、僕の住所はどこから漏れているのでありましょうか。日常生活の電気、電話、銀行などで住所は明らかにしてますが、そこから漏れるというのはあまりないでしょう。それにこれらの届出には日本人であるかどうかまでは書きません。名前でわかるといっても、それが分かるのは日本人だけです。シドニーには数百という民族がいます。あなたはブルガリア人とルーマニア人を名前の英語スペルだけで判別できますか?
一番簡単な話は、このホームページを見てやってきたという説もありますが、だったら話のとっかかりにその位のことは言うのではなかろうか。また、前回ニュータウンのときはホームページ開設前にも来てました。他にそれほど日本人関係の機関に自分らの住所を知らせていることはないです。まあ取引関係とか交友関係というのもあるけど、これも以前のときはオーストラリア来て間もなくだったから、その可能性も少ない。
そうなるとですね、あんまり考えたくないけど、日本領事館に提出してある在留届あたりがクサイかなと思ったりもするのですね。だって、一番最初にグリーブに住んでたときは、在留届なんてのをコロッと忘れてやってなかったのですが、そのときは半年住んでたけど誰も来なかったですもん。在留届以外に『「住所+日本人という情報」を半年以内に入手できるところ』というと、本当に限られてきてしまいます。つまり、「相棒福島が密かにバラした」「僕の親が密告した」くらいですね(そうだったりして(^^*))。
まあ、「七度探して人を疑え」と言いますから何とも言いませんが、今度「実験」したろかなという気もしますね。在留届を出したり出さなかったりいろいろなバリエーションを設けて結果をトレースして法則性を導き出すという。
同じように、先日、Infor-Mという、日本人コミュニティ情報誌が郵送されてきました。HISのビラなんかも同封されていました。こんなことは、かつて無かったことです。ま、わざわざ送ってくれるのは便利でいいんですけど、「ふーん、なんで?」という気になりますよねえ。
で、こっちの方は比較的簡単にトレースできると思います。月に2回の発刊ですから、ここ2〜3週間のうちに住所を知らせたところはどこかな?と辿っていけばいいのですから。今度は僕の名前まで宛名書きされてるわけですし、しかも僕は気分によって、名前のスペルをkoichiにしたりkouichiにしたり変えてますからそこも手がかりになるわけです。で、答えは一つ、ここんとこ1人でヒマだからレンタルビデオ屋さんで会員証作ったのですね。それしかないです。
で、もうちょいこの情報誌を見てみますと、ビデオ屋さんの住所とこの情報誌のオフィスの住所が殆ど一緒だったりします。正確にいえば、ニュートラルベイのとあるビルの同じフロアの4号室(Suite 4)と2号室の違いでしかないのですね。あとはもう簡単ですね。経営者が実質同じなのか、あるいはお隣さん同士で「はい、これ」と僕の入会申請書が渡されていたのでしょう。
ま、別に腹も立ちませんし「便利でええわ」とも思いますけど、「顧客情報やプライバシーについてこの程度のセンス」というのは丸わかりになってしまうわけで、ちょっとカッコ悪いと思います。
まあ、これも状況証拠しかないので確定的なことは言えませんけど、もしこれをお読みになってる関係者の方がおられましたら肯定否定いずれにせよご一報ください。僕の勘違いかもしれませんし。もしかして、入会申請書のどっかに「お書き戴いた住所にInfor-M誌の無料郵送サービス実施中」とでも書いてあったのかもしれません。そんな記憶ないけど、そうだったのかもしれません。
或いはビデオ屋さんがサービスとして送ってくれているのかなあ、と思ったら封筒自体がこの情報誌の発行元だったりします。ちょっと記憶を辿ってみても、僕がこの発行元に自分の住所を知らせたことは一度もありません。ということは、この発行元さんは、僕の名前と住所を知っていてはイケナイことになるわけですね。「イケナイ」というのが言い過ぎだとしたら、少なくとも僕から直接教えて貰っているわけではなく、第三者を介して情報を入手していることはかなりの蓋然性で明らかだろうと思われます。
でも弁護士として一言アドバイスさせていただくなら、もしビデオ屋さん経由で発送されていたとするならば、そしてそれが例えば入会申込書などの記載に基づくとするならば、その申込書にその旨の断り書きは必ず(分かりやすい位置に)書いておかれることをオススメします。出来れば「郵送を希望する・しない」で○をつけさせるとか。ビデオ屋さん経由でないとすれば、郵送してくる封筒のなかに一言経緯を説明した挨拶書を入れておくとか(「ホームページで知りました」とか)。
これ、そういうのにウルサイ人がおったりしたら、エライめに遭いかねないですよ。こちらの国はそういうことに非常に厳しい。お役所に提出する文書でも「この情報は○○法のもと、○○と●●に転用される可能性はあるが、それ以外には絶対に漏洩されません。転用可能性について予め告知し、それに対して同意される方のみ提出してください」みたいなイカメしい注意書きが書かれていたりしますし。
法的なこともさることながら、商売上の信用にも傷がつきかねないです。さきほど「別に腹も立たない」と書きましたが、だからといってこーゆーことされて愉快な人はあまり居ないと思います。こういう出来事があると、「うーん、この情報誌のクラスファイド(売ります買いますなどの広告)の申込書に書いた僕の個人データーはどうなっちゃうんだろう」とか、痛くもない腹探られる可能性もあります。「李下で冠を直さず」ともいいますし。
僕は、この情報誌が創刊当時ワープロ印刷でやってた頃から読んでますし、地に足のついた紙面づくりで割と好きなんです。妙なステイタス指向もないし、ミエミエのタイアップよいしょ記事も少ないしで好感をもっているだけに、別に他意あって送ってこられたのではなかろうということも十分推察できます。だから余計に惜しまれるわけです。
しかし、インターネットというものは便利なもので、個人が情報を発信できるようになります。自分の個人情報がどこでどう流通してるか分からない世の中でもありますが、こうしてその出来事を個人が発信することも出来るわけですね。こうして僕の個人情報が知らない間に流通されていたとしても、そのことを自分のホームページで書くこともできます。乏しいながらも対抗手段もあるわけです。
マスコミなどで一方的にメチャクチャな報道をされた人も、自分でホームページを持てば「あんなこと書かれているけど、真実は違うんだ」と反論することはできます。それがどれだけ有効な反撃足りうるかは、2つの要因に掛かっていると思います。一つは、その人の情報発信能力。異様に分かりにくい文章だったり、一人よがりな文章だったりしたら、読んでもらっても納得してもらえません。もう一つは、情報の受け手である僕らが、どれだけ情報に対する感度が高いかということです。大新聞に書いてあることと、個人当事者の書いていることとをどちらを信用するか、あるいはそういう一次情報を見ないと本当のところは分からないと思えるかどうか、です。
マスコミの報道がアテにならないというのは、これまで生じた数々の事件を通じて今更言うまでもないでしょう。また自分が関与している出来事が報じられたという経験がある人は、真実と記事とのギャップに愕然としたこともあるでしょう。プロの記者さんといえども、一人の人間であり、一人の人間が限られた時間で把握できる実態なんか限られていますから、そこには自ずと限界があるでしょう。それに加えて「デスクの意向」やら、広告主や政府あたりの意向というバイアスがかかりますから、そのままの形で表現されたとしたら、そっちの方が珍しいと思ってます。
鴻上尚史さんでしたか、「新聞やマスコミの最大の罪は、人々に『この世は理解出きるもの』という誤った世界観を植え付けたこと。なぜなら新聞は自分が理解できることしか書かないから、理解できる範囲に矮小化するから」と書いておられたのを記憶してますが、ほんとにそのとおりだと思います。
この世の出来事なんか本来理解できるわけないです。知ってる人が突然自殺してもその本当の動機は永遠に分からない。あなたの恋人がアナタを裏切るような振る舞いに出たとしても、どうしてそうしたのか問い詰めたところで、本当のところはわからないままでしょう。大体、過去自分がしてきた事について100%完璧に説明がつかない。「なんで、俺あんなことしたのかなあ」と首をひねったりもするでしょう。
ましてや、犯罪などの心の屈折度が濃密な出来事は、「犯行に至る動機」なんてもう無限にありますし、それらの諸要素の殆ど偶然の組み合わせで生じます。そんなに簡単に人の行動が分かるなら、心理学者は苦労してないし、人付きあいももっと楽勝にできるはずです。僕が弁護人で弁論要旨を起案するときももっともっと楽だったでしょう。
さらに、多くの関係者が頭を振り絞って裏を掻きあってるような、政治や経済の世界、とくに国際政治や市場相場なんて、関係者の数がやたらめったら多いから、いくらコンピューターを駆使しても、プロ中のプロでも予測もできないし、起きてしまったことを100%解析もできない。ちなみに、政治家や企業のトップで占に凝る人が多いというのは頷ける話です。背骨が折れそうな責任の重圧を背負いながら、見えない未来を予想して決断を下す立場にいるだけに、所詮人知には限界があるということを思い知らされるのではないかと思います。
それを単純に「○○のせいだ」とかしてしまえばそら簡単でしょう。犯行の動機=「犯人が悪い人だったから」で済むなら、どんなにこの世はシンプルでしょう。でも、楽な分だけそれは嘘です。そういえば、グリコ事件だって、どこの誰がなんのためにやったのか、結局何一つわからないままでしょ。どうしてオウムの人達がサリンを撒いたのか、どうして酒鬼薔薇事件は起きたのか、結局は分からん。突き詰めていけば、人間の心のなかの深い暗闇に向き合うしかなくなります。
大人と子供を分かつものは、この世の複雑さを複雑なままどれだけ受け入れることが出来るかだと思います。100万画素で細かなところまでありのままに受け入れることが出切るか、それとも杜撰に端折って似顔絵マンガみたいな図にしないと受入れられないのか。ゴチャゴチャ複雑なまま、結局よくわからないまま、それでも生きていかねばならないのは、ものすごく精神的にハードだと思います。簡単に「○○が悪い」と一刀両断にしてしまえば、そら楽でしょう。でも、それはガキのやることですわ。そのハードさをしのげるタフさがどれだけあるかが大人かどうかの基準だと思うのです。
その意味で、「この世は理解できるもの」という大嘘を、無意識的ではあろうが振りまいているマスコミは罪が深いということでしょう。でも、それ以上にマスコミをしてそう仕向けている、つまり「そんな難しい話したって視聴者はついてこられないよ」とおそらく現場で言われちゃってる、ナメられてしまっている我々の責任の方がもっとデカいと思う。
より典型的な例は、マジな問題を単なる変態スケベ趣味でリライトしたワイドショーが視聴率高かったり、全てはユダヤの陰謀で片づける仮面ライダーレベルのお話しを書いた本がベストセラーになるなどの現象でしょう。あんたらが、そんなもん見たり買ったりしてるから、俺らまで一括りにされて益々馬鹿にされるんやないけ、廻りまわってアホみたいなお子様記事しか読めんようになって、現実の起きてることが伝わらなくなって大損こくようになるやないけ、ということは、ツトに思ったり言ったりしてきました。
話、ちょっと脱線しますけど、それにしてもちょっと視聴者というか「一般大衆」という人々が馬鹿にされすぎてると思います。僕の世界観でいえば、人間というのはもうちょい賢い、あるいは賢い人はもうちょっと多いと思うけど。
なんかね、そこらへんにどっかで絶望した人々、つまり「一般大衆というのは、何を真剣に問い掛けても駄目なんだ、あいつら馬鹿なんだ」とどっかで思って諦めてしまった人々が、この世の中牛耳ってるような気がします。官僚さんなんか特にそうなのかな。話聞いていると、どうもそう思えるフシもあるのです。
彼らは知的に早熟だったりするから、小中学生時代に大人が読むような難しい本を読破し、「この社会はこれでいいのか?」と悩んでいた純情だった時期もあったでしょう。でもそれをクラスメートに話し掛けようとしても話が通じない。男子はバイクと深夜放送のウンコがどーしたという阿呆ネタで喜び、女子は色恋沙汰しか興味がない。挙句のはてに「○○君って、本ばっかり読んでて暗いわね〜」「気持ち悪〜い」とか馬鹿にされたりする。彼の脳裏には屈辱感とともに、「この馬鹿どもが」という認識が刻まれるでしょう。その気持ち分かるわ。
はたまた、社会に出て役所入ってから一生懸命皆に理解を呼びかけても、社会党的な愚劣なまでの「なんでも反対」に出会ったり、「これが現場ってもんだよ、エリートさん」と殊更に野卑で下品な振る舞いを押し付けたりする人々に出会ったりする。かくして「こいつらは、どうしようもない馬鹿ばっかりだ」と思ってしまったとしても無理ないのかもしれません。エリートとみれば、嫉妬心のせいか、やたら下卑た次元にまで引きずり下ろそうとする阿呆どもも確かに沢山おりますもん。
そんなこんなで心もスサむでありましょう。東大出たというだけで、箸の上げ下ろしまで色眼鏡かけて見られてたら叶わんでしょうよ。で、もともと頭はいいから、「この世は馬鹿ばっかり」という大前提にもとづいて、「馬鹿対策」「馬鹿だまし」の戦略を練るようになり、それでまた結構上手くいってしまったりするのでしょう。
そんなこんなで、日々のいろいろな現場では、「きっと皆わかってくれる」という人と、「だからオマエは甘いんだよ。青いぜ」とせせら笑う人という構図になったりするのでしょう。大雑把に言ってしまえば、後者のセセラ笑ってる人の方が、社会的にも高い地位についたり年収も良かったりする傾向はあると思います。スサんだ心で、あざとくポピュラリティを追究した方が、とりあえず売れてしまうという現実もまたあるわけですね。
ここらへんの話は、そういえば昔むかしに「手加減しません」というところで書いたので重複を避けたいのですが、結局のところ「クォリティとポピュラリティの対決」といういつものテーマに行き着くような気もします。クォリティを下げないでポップさを追究する、簡単にいえば「難しい話をわかりやすく書く」「音楽的に完成度が高いのに、とっつきやすくて大流行する」ということでしょうが、これが大変なのでしょう。それが出来たのはビートルズなどの一握りですが、程度の差こそあれ、いつの世でもあります。尾崎豊だって言ってることはメチャクチャ純粋で難解なことなんだけど、あそこまでいってしまえば大きなポピュラリティを獲得できるのでしょう。
でも、品質を下げてポップさばかりを強調するという安易な手法も横行してるわけですね。これはいつの世でも同じですけど。いまの学校の問題をどうするのかという本来マジメな話を装いつつ、「ここまできた!女子中学生のSEX白書」という、結局はブルセラ系のエロ記事にしちゃうとか。とりあえず巻頭グラビアヘアヌード出しておけばいいわとか。
以前雑記帳で、中高生留学の寒い現実を書きましたけど、「そんな難しいこと言っても、いわゆる馬鹿親にはわかりっこないさ。そんな耳の痛い話を理解しようとなんかしないさ。だからそんな所でリキんでないで、一応やることやってお金稼いでいればいいんだよ」という立場もあるでしょう。また、そういう方が結局は収益という面では勝っちゃうのも事実。「ま、そうかもしれんわね」と思う気持ちもありますが、ただ一つだけ譲れないのは「分かるわけない」という部分です。「人間そんなに阿呆じゃないよ」という方に賭けたいですね。情報をキチンと順序正しく届ければ、それを理解できるだけの知性を人間は持ってると思いますし、思いたいです。
関連しますけど、いま金融不安だ、ゾンビ銀行の長銀救済だですったもんだしてますが、「債務超過でないけど公的資金導入」なんて子供だましのこと言ってないで、正直に事実を述べたらいいと思います。それによって銀行数が半減するほどの大変動になるだろうけど、政府のおエライさんが懸念するほど大パニックは起きないと思う。皆もうわかってるんだし、あなた方が思うよりも、「日本の普通の人」というのはもっともっと賢いと思うもん。ねえ、これまで色々ツライことはあったかもしれないけど、もうちょっと自分の国民、自分の仲間を信用してもいいと思うのですけどね。
マスコミの話に戻ります。まあ、そんな理想論をいっていても、現実には視聴率をあげて、広告料を取って、飯食わないとなりませんから、とりあえずは取っ付きやすいところからやっていくのはある程度はしょうがないと思います。マスコミだって聖人君子ではないし、そんな他人を批判できるほど、僕も清く正しく暮しているわけではないです。
だもんで、僕らとして出来るのは3つ。第一に、供給者・発信者の立場に立った場合(要するに仕事してる局面)、だからといって「そういうもんだ」と絶望して消費者や視聴者をハナからアホ扱いしないで、とりあえず突っ張れるところまでは突っ張る、と。同時に、ポップさについても、もっと研究すべきでしょう。品質は高いけどポップ度ゼロというのは結構ありますから、それはそれで怠慢だと思います。真面目なことをエンターテイメントに仕立てたって、中核が伝われば不謹慎でもなんでもない、やたら深刻そうな顔してればいいってもんではないということを、もっともっと実践するべきかなと思います。これが第一。
第二に、マスコミでも各企業でも、それぞれの現場で「闘ってる」人は沢山いるわけで、味噌も糞も一緒に批判してそれらの人の見殺しにしないこと。これ、大事だと思います。マスコミでも、教育でも、政治でも、医療でも、どんな現場でも、頑張って孤軍奮闘してる人や部署は必ずあります。医療や教育の現場が荒廃しているとしても、それを一番痛感して何とかしようといているのはその現場にいるプロ達だと思う。もちろん腐ってるのも沢山いるかもしれないけど、だからといって根こそぎ非難してしまっては、彼らだってやる気なくなるでしょう。例えば、阿呆な親が教師に難クセつけていたとしたら、他の親がこれを制するとか。「いやあ、先生も大変だね」と他人事として知らん振りしてたら、その先生見殺しだし、結果的に学校内では「事なかれ派」が益々勢力を伸ばすことになる。真面目にやっても馬鹿をみるだけというモラルハザードが蔓延して、益々スサむ。
第三に、イチ消費者、イチ視聴者として、情報感度を高くすることでしょう。で、さきほどのインターネットの話になるのですが、ホームページが普及するにつれて、事件当事者や支援者が直接やってるホームページなんかが増えていけば、それだけ一次情報を仕入れられる機会も増える。それが、資本主義というシステム上、情報流通過程で不可避的に生じる歪みを、受け手の方で修正するデコーダーにもなりうるんじゃないかと思います。
この第三の点に関連して、興味深い記事を読みました。
雑誌エコノミストの9月1日号ですが、そこで佐藤雅彦さんというジャーナリストが「米国黙殺報道ベスト10」というレポートで、マスコミが無視・軽視・歪曲した「本当に知るべき重大ニュース」をコツコツと収集発表しているアメリカのNGO機関の活動を紹介しています。
これは僕も初耳でしたが、「ほお」と思いました。簡単に紹介をしますと、このプロジェクトは「検閲抑圧報道発掘プロジェクト(Project Censored)」といい、既に活動歴20年。カリフォルニア州のソノマ大学の報道論セミナーが中心になって興し、全米規模で頑張ってるようです。
毎年年末までに全米のジャーナリストなどから「マスコミ報道機関によって無視、軽視、歪曲された重大ニュース」の投稿を募り、ベスト25を発表すると。同時に、マスコミのひとりよがりで重大記事に仕立て上げたクズ記事ワースト10も発表しているそうです。
その成果はさすがに凄く、数々の重大な「隠蔽された事実」を伝えてきており、見えざる権威、隠れた情報源として一目置かれているとのことです。あわせて、国際ニュース配給会社やアメリカの報道機関の発表をそのまま輸入してるだけの日本のマスコミを見てるだけでは、到底本当のところはわからないだろうと指摘されています。
で、実際にどんなニュースがあるのかというと、同記事に昨年度の重大ニュースベスト25が紹介されてますので適宜、孫引きします。
★クリントン政権は米国製の兵器を世界中に猛烈な勢いで売り捌いている
★化粧品やパーソナルケア商品に発癌性物質が含まれているおそれが出てきた
★巨大企業による大学の支配が深刻化しつつある
★ニュージーランドで、アメリカ所轄の世界最大級の電子スパイ拠点が半世紀にわたって活動を続け、事実上全世界の民間活動を電子盗聴していたことが暴露された
★アメリカは政治犯向け電撃拷問機具の世界最大の輸出国である
★墜落したロシアの人工衛星がチリとボリビアにプルトニウムをばらまいた
★第三世界で広範に人体実験されてきた埋め込み型避妊薬ノルプラントが、いまやアメリカでも貧困女性に強制的に装着されようとしている
★ほとんど知られていない移民規制法の制定で、国民総背番号制が実施にむけて動き出した
★アメリカの主要新聞は軒並み低収入の読者に見切りをつけ、都会の高収入層だけを読者に想定した広告戦略や紙面構成を行なうように変貌しつつある
★青少年の非行や暴力と、環境中の神経毒素(特に鉛やマンガンなどの重金属と若年飲酒によるアルコール摂取)との相関関係が判明し、目下の重大な社会問題の一因が環境汚染にあることが明らかに
★アメリカでは目下国民の三分の二がフッ素入りの水道水を飲んでおり、専門家はこれまでも無害だと言い続けてきたが、最近の研究で、フッ素添加が虫歯予防に殆ど効果がないばかりか、骨のガンや壊死、死産やダウン症などの先天的障害などの要因になってる可能性が判明。
★環境保護のための諸規制は、経済活動停滞と失業を産むという当初の懸念とは裏腹に、むしろ雇用を創出し、米国経済の国際競争力を高めている
★エイズ治療においてAZT(抗エイズ治療薬)やその発展的な化学療法として普及している多剤カクテル療法については、そうした薬の効かない薬剤耐性ウィルスが既に出現しているため新薬の早急な発売が要請されており、AZTの開発・販売元であるグラクソ・ウェルカムがAZTよりも格段に効果がある新薬(1592U89)を開発したが、早々に新薬を出せば従来の製品が市場価値を失ってしまうため、様々な理由をつけて発売を拒絶し、患者団体の非難の的になっている
などなど。もっと沢山ありますが、それは原典(週刊エコノミスト)をあたってください。また、これらの紹介、あるいは元となる機関の発表がどれだけ信用できるのかは、また各自がご検討ください。
で、この記事には出てませんでしたが、おそらくインターネットサイトもあるだろうと思って探してみたら、ちゃんとありました。
http://www.sonoma.edu/ProjectCensored/にあります。
上記各ニュースの出典も明らかにされていますし、ニュースの詳しい内容も載っています。またどのようにしてニュースが集められ、だれがベスト25を選んでいるのかというあたりの基本情報も載っています。全文英語ですが、興味のある方はどうぞ。
しかし、こういうことやってるところがアメリカという国の凄みだと思います。一方で世界に先駆けて超巨大メディア寡占が進みつつ、一方ではこういう活動も活発に行なわれているという。なんによらず、必ずカウンターパワーが激しく対抗し、その力と力のダイナミズムと均衡でやっていこうという。「絶えざる対立と闘争、そして均衡」というのは、これはアングロサクソン系の民族的な性格なのか、それとも歴史的に練り上げられたシステムなのか、なんかもっと別の現象なのか。興味あります。
オーストラリアでは、国営放送で毎週月曜日の夜に「メディア・ウォッチ」という番組があり、時々息を呑むほどに相当辛辣なメディア批判を、実例と証拠を積み上げてやってまして、見ごたえあります。日本でこれやったら、ディレクターの首がすぐに飛ぶんじゃないかと思われるくらいで、矛先は自分の局(ABC国営放送)の番組にまで及びます。キャスターが交代してもボルテージはあまり下がってないようです。
古い話ですがポートアーサーで無差別殺人が起きたときも、某新聞が、容疑者の顔写真の目をコンピューターで色と黒目の部分を加工していかにも狂人であるかのように見せていたことを指摘したり、事件の推移と報道を時系列に並べて「この時点でこの報道ができるわけがない」ことを論証したり、「特ダネ映像」と鳴り物入りに報道された画面を緻密に分析して、「これはオーストラリアではなく、スペインのこの地区の映像を使ったガセネタである」とわざわざ現地までいって実証したり、プライバシーの侵害が過ぎると思われる新聞の編集部に直接乗り込んで編集長にインタビューをして、それを放映したり。いろいろやってくれます。
こちらのテレビやメディアをご覧になる方は、ついでにこの番組も見ておいて、「なるほどヒドイもんだな」と頭に入れておかれるといいでしょう。火曜日の午後にも再放送をやっています。
PS:シドニー水道微生物騒ぎはまだ継続中ですが、
http://www.sydneywater.com.au/all.htmlをご覧になると、リアルタイムに「解除地域」の情報が分かります。郵便番号ごとに「もう大丈夫だよ」地域が掲載されているのですが、なんか入試の合格発表に酷似していて妙にドキドキします(^^*)。しかし、僕らの地域は最後までダメそうです(テストの段取が遅れているのでしょう)。くそお。
1998年09月04日:田村
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