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手加減しません



 日本の産業で国際競争力のある分野は、自動車や家電、そしてアニメ・コミック、ファミコンくらいで、その他の産業は競争力が弱いと言われます。本当にそうなのかの経済的論証はさておいて、その業界が競争力があるかないかを区別するにあたって、個人的に使っているモノサシがあります。それは何かというと「消費者がどれだけ賢いか」です。消費者が賢い業界は一般に競争力高いです。逆に消費者が賢くない場合は競争力弱いんじゃないかと。

クルマや家電は、身近にあるものだけに、皆の目もシビアです。何が買いか?を特集しているクルマや家電の雑誌は山ほどあります。「無駄な機能に騙されるな」という意識もかなり徹底しています。こうなるとメーカーはしんどい。買わせるためには有無を言わさぬ「いいもの」作らないとならないから、必然的にクォリティも上がると。マンガやファミコンの類については、さらに競争はシビアだし、「おたく」と呼ばれるセミプロクラスの連中がわんさといるので、いい加減なものだとすぐに見抜かれてしまうのでしょう。

これに対して消費者の目が今一つシビアでない領域、医療もそうですし、最近つくづく感じますが、留学や海外旅行などの「海外もの」もそうです。消費者が十分な鑑識眼を持っていない分野では、供給側は楽でしょう。「じゃあ、お薬出しておきますからね」とお医者さんが言うと、「本当にそれ必要なのか」「もっと安い薬はないんか」「10日分まとめて買うからディスカウントしろ」という患者はマレというか絶無に近いでしょう。よく考えたらこれも不思議な話で、レストランに入って何か注文したら「じゃあビールも2本出しておきましょうね」と有無を言わさず勝手に店が決めてるのと一緒のような気がします。

もちろん、医薬のことなど素人には分からないのでそこはプロに頼るしかないのでしょうし、お医者さんも良心的に対応する−−−ことになってます。ほんでも、薬価基準の高い第三世代セフェム系の抗生物質をバカバカ使って、その挙句MRSAという厄介な菌を発生させ院内感染を招いて入院患者が死んでいるという側面もあります(一概に言える問題ではないのですが)。医療過誤訴訟は結構やってましたので、そこらへんの話はよく聞きますし、僕の仲間の連中もHIV(エイズ)訴訟やってます。医療過誤の話は、また置いといて、素人にはわからないブラックボックスがあると、そこに付け入る隙があるということです。もちろん、こういう現状を打破しようと日々現場で頑張ってる良心的な医療関係者も沢山おられることは付記しておかねばなりませんが。

また、他人の業界ばっか言ってないで、法曹界においても、全然顧客に説明しないで勝手に物事進める弁護士もおります。また、高圧的威圧的な弁護士の方が「頼り甲斐がある先生」という誤ったイメージも結構あります。説明を嫌がらない人の方が大体においてハズレが少ないと思います。個人的には、いい弁護士とは、あなたが心で思ってる疑問や不満をちゃんと話させてくれる弁護士ではないかと思います。売れてるとか、出身大学とか、そこらへんは殆ど何の手がかりにもならないでしょう。

さて、APLaCで色々調べていると、留学も海外観光も、似たような構造(消費者のパワーが弱い)になってる部分が分かるようになってきました。だいたい皆さん、言うことは決まっています。「よくわからないから」と。なるほど分からないでしょう。でも、そこで手をあげてしまってたら、適切な市場原理が働く筈ないです。内容はお粗末/暴利なのにやたら広告が巧いところが儲け、良心的にやってるところが潰れ、結局割を食うのは消費者だったりします。消費者事件や詐欺商法の事件もそこそこ見てきましたが、事情はどこも似たようなものです。で、市場原理が働かないからお上がお目付け役になり、要するに規制が増え、規制は利権を生み、そんなこんなで1996年歳末の日本になっているのでしょう。

暗い話をしてるようですが、このヴィシャス・サイクル(悪循環)を逆転させる一つの方法は、消費者が賢くなることだと思います。賢くなれば簡単に騙されないようになり、ニセモノより本物志向になり、無駄な金は使わずに済み、いいものを良心的に作ってるところが売れ、結果的に国家全体の生産水準やら生活水準、競争力もあがっていくじゃないかということです。こんなに「小学生社会科」のような図式どおりに世の中廻るべくもありませんが、大雑把に言えばこのラインは間違ってないと思います。

良心的に本当に頑張ってる留学業者もいる反面、いい加減な業者もいます。消費者センターにも結構苦情相談が持ち込まれているようですし、ぼつぼつ訴訟も起きてるようです。「素顔のオーストラリア留学」では問題だけをセンセーショナルに描写するのは控え(それでは面白いけど、実際の役に立たない)、淡々とオーストラリアの学校現場の状況を正確に書くように努めましたが、オーストラリアの学校でも「業者はもう沢山だから、業者経由の学生は一切お断り」としてるところも増えてます。僕ら一校一校訪ねて、校長や留学担当者から話聞いてきたので、どうも本当みたいです。

なにがアカンかというと、これはこれで別稿に譲りたいですが、例えば、業者によって受入先の学校のストックが違います。ストックがちょっとしかないところは、どんな学生が来ても同じ所に入学させたりします。オーストラリアの学校の個性は日本の学校の個性よりもはるかに広いから、本当はかなり時間かけて相性の合うところを探すべきなのに、それをしない。だから後日トラブルが起きる。また、「公立校は留学生受入をしていません」という嘘までつく(本当に知らないのでそう信じてるのかもしれないけど)。

まあそれを未然に防ぐには、このホームページの留学の項を(大変でしょうが)読んで下さい。わからなかったら質問して下さい。ただ「○○という業者は悪徳ですか」みたいな質問にはよう答えられませんが(業者は数百あるのに、そんなのイチイチ知りませんってば)。ただ、3年間留学するなら数百万掛かります。新車1〜2台分ですし、ちょっとした増改築くらいできます。新車買うときは資料照らして検討するでしょう。増改築するなら相見積りくらいとるでしょう。そのくらいの配慮があればかなり災難は防げると思います。

いずれにせよ、ポイントは「よく分からない」で丸投げしないことだと思います。だいたい、カメラだって、自動車だって、オーディオだって、そしてパソコンだってカタログには専門用語ばっかりじゃないですか。「SN比84dbを実現した○○回路搭載!」とか言われたって最初はちっとも分からん。それでも、食らいついていけば門前の小僧のように何となく分かるようになっていく。こんなのは頭の良し悪しに関係ないです。市場原理を通じての黄金の原則、「知らないと大損こくよの原則」を身に染みて知ってるかどうかかもしれません。

下らない余談ですが、「消費者のシビアな選択」という意味では、アダルト系産業があるかもしれません。男性諸氏は、宣伝文句に騙されて苦杯を舐めたことが最低一度はあろうかと思います。女性諸氏は、その選択のシビアさをご覧になりたかったら、お近くのレンタルビデオにいき、アダルトコーナーを横目で観察されるといいです。パッケージだけではアテにならない、しかしパッケージ以外手がかりはないという極限状況で、いかに上質のビデオを探すか、その眼差しは真剣そのものです。僕が日本を出てる1年4ヵ月の間に状況が変わったとは思えないので、今日でもこの光景は日本列島津々浦々でひそかに展開されていると思います。ここでは消費者は全力で闘っています。そして毎日多くの戦死者を出しながらも、トータルとしてはクオリティは向上しています。


海外旅行でもそうです。消費者に与えられている選択肢があまりにも少なすぎると思います。これでは賢くなりようもないですし、ガイドブックも観光会社が提供している選択肢を焼き直しているから、これ読んでもそんなに広がらない。まあ、皆がそこに行く→人気が高い→需要が多い→益々そこしか紹介しないという、ニワトリタマゴ的な関係もあるのでしょうが。

ところで観光会社も経営は大変そうです。ディスカウントに次ぐディスカウントで利潤率は薄くなる一方で、赤字ツアーも結構あるそうです。でもそればっかやってたら本気で潰れますので、どっかで儲けないとならない。どこで儲けるかというと、現地のオプショナルツアーとかですね。最近は消費者も賢くなって、「免税店のお買物」に半強制的に「連行」されてもあんまり買わないそうですが、まだ賢くなりきれてないのが現地のツアーとかおみやげの類です。現地のツアーを紹介して、そのツアー業者(地元のオージーなどがやっている)からコミッション(仲介料)取ったり、自分のところで開発したりです。で、このコミッションも、不動産仲介料の3%なんてもんではなく、もっと高い。ツアー会社との力関係その他でその率は様々ですが、料金の3分の1はコミッションという場合もあると聞きます。だからもともと安いツアーは価格がいきなり跳ね上がってしまうし、コミッションが薄いものはオプショナルに入れないとか、あまり勧めないとか、そーゆー作為もあるやに聞きます。

実際、観光ガイドで述べた15分遊覧飛行45ドルも、似たようなツアーが日本の観光会社から出てますが(紹介するだけだったかな)110ドルです。これじゃいかにも露骨なので、110ドルにはおみやげやティータイムがついてたりします。そうやって付加価値(僕は「価値」とは思わないが)をつけたり、全部パックにして原価計算できないようにしたり、空港に出迎えたガイドさんが「ここがいいです」と売りまくるなど(売上高なんぼという営業成績までつけててガイドというよりセールスマンのような感じ)、あの手この手を使うわけです。

観光会社さんの立場も分かりますし、ビジネス的には合理的な行動なのかもしれませんが、可哀相なのは現地のオージー会社と観光客です。せっかく良心的に安い価格にしてるのに、日本の会社通したらいきなり値段が跳ね上ったり(ごっそりコミッション取られたり)たまらんでしょう。彼らも日本のリテイラーに直接参入したいでしょうし、日本人観光客も直接現地のツアーを選べば半額で済む。でも、言葉や流通の壁があるというところでしょう。しかし、そもそも料金の問題以前に、レストランでも宿屋でも地元で人気あるところは観光会社にコミッションなんか払いませんから(そんなことしなくてもやっていける)、いいところは選択肢に上ってこないという問題もあり、これは結構深刻かもしれません。


日本人観光客も年々賢くなってきて、パックツアーは売れなくなって、個人旅行が流行ってきてるそうですし、ロングステイ生活体験型も流行っているようです。ほんでもまだまだ足りない。ゴールドコースト あたりのアパートメントに1ヵ月押し込めてゴルフあてがっておくかのような、まるで「自宅軟禁」のようなものは、ほんまもんの「生活体験」からはまだ遠いかなとも思います。もっともそれをお望みの方はそれで何の問題もないのですが、「生活」といっても「農地での生活」「都会の生活」いろいろあるのですから、「生活ツアー」がワンパックになろう筈もないと思うのですが。

もう一点。海外旅行に関する消費者の選択が「価格のみ」に集中してる点に疑問を覚えます。「シドニー7日間10万円」と「15万円」とでは、無条件で10万円がいいとは言い切れない筈です。もちろん無駄に高いものも多いですし、適切な相場を知ることはいいことですが、「シドニー7日間」を何して過ごすかは 千差万別です。どこのホテルのどの部屋に泊るかだけでも、全然旅の印象は変わってきます。現地での説明が親切か適切かどうかでもかなり違う。選択の基準は沢山あると思うのですが、値段ばっかりで選ぶから、かわいそうに観光会社もそこだけで勝負しなきゃいけなくなり、「多少値段は張るけどこれはおススメ」という商品が出せなくなっていくのでしょう。

国内旅行だったらこんな安値至上主義にはなってない筈です。「とにかくスキーができりゃいい」場合は安いものを探し、たまには「本当にいい日本旅館に泊りたい」という場合はそれなりに払うという具合にちゃんと旅行のテーマみたいなものをもって、しっかり選択してると思うのですね。それを海外にも適用すればいいじゃないか、情報がないなら求めればいいじゃないか、と。皆が求めれば、これは一つのビジネスチャンスになりますから、どんどん情報も出てくるでしょうし。

結局は言葉の壁かもしれませんし、「せっかくの休日のんびりしたい」「見知らぬ異国で緊張しっぱなしはイヤだ」という切なる願いもあるのでしょう。それもよく分かります。どうしたらいいのかな?

やっぱり王道に立ち返り消費者が賢くなることでしょう。賢い・賢くないは、基本的には情報だと思いますから、世界中に住んでる日本人が、同胞に「現地の相場はこんな感じ」と伝えてあげることでしょうし、そういうビジネスがバンバン立ち上がっていくことでしょう。考えてみれば華僑の人々はそのくらいのこととっくにやってるような気もしますが。

選択肢が広がれば、「金はいくらかかってもいいから、オール日本語の大名旅行がしたい」という人や、「とにかく見聞を広めたいから安く多く見たい」という人、いろいろと需要の方も分岐していくでしょう。この円安+規制緩和の世の中なのに、未だに「海外=買物」という需要が強いのも、失礼ながらそれだけ賢くないのでしょう。だからコロリと「シドニー行ったらこれしなさい」「おみやげはこれにしなさい」というインプリンティングというか洗脳されちゃうのかなあと思います。しかし、そう簡単に術中にハマっていいのか。

オーストラリアの日本人観光客は減少傾向にあり(その責任の大半は高い航空運賃を維持してる日豪両国の政府関与度の強い航空会社だと思いますが)、しかもシビアなことは「リピーターが少ない」ことだと聞きます。要するに「二度と来ない」わけで、「もう一回行ってみたいな」という気にさせないような品揃えになっちゃっているのかもしれません。結局墓穴掘ってるような気もしますし、それで最終的に損をするのは、面白い物を発掘せずに終わってしまう消費者なのかもしれません。


まあ、難しい問題なのですが、自分らとしては、「消費者を馬鹿にしない」「手加減しない」のが一番良心的かなと思ってます。こないだどこかの雑誌でだれかが書いてましたが(正確に言えば、週刊エコノミスト11月19日号の日垣隆氏の「敢闘言」です)、「こちら亀有公園前派出所」が連載1000回とかで、あのマンガがすごいのは、連載1000回(20年)通じて、一回も休載も駄作もないことに加え、「読者が少年だからこの程度」という、語彙や内容のレベルの「手加減」を一切していないこと。あのマンガは連載開始から読んでましたが(オーストラリアいる間は途絶してるけど)、確かに「手加減」しないですね。大人が読んでもよく分からんような凄くマニアックで正確な知識をビシビシぶつけています。「こんなの子供が読んでも分からないかなあ」という配慮は敢えてせずに対等に向かう。でも、子供ってそーゆーのが嬉しいんですよね。自分が子供時分のときもそうでした。

思うに本当に求められているのは、そのように手加減抜き、妥協抜きのものかもしれません。

やっぱり、「どうせキミタチ英語ダメなんだからこのへんのがいいよ」とか「買物してコアラ見たらそれでいいんでしょ」みたいな(勿論、そういう言い方ではなく「日本語でOKだから安心」とか書いてますが、要するに同じことでしょ)「手加減」はせずに、「結構大変だけど、これは本当にいいよ」「いいもの手に入れようと思ったらそれなりの努力は必要」とやるべきかなという気はします。それで「大変なのヤダ」「知らないのコワイもん」で袖にされちゃったら、それはそれで仕方ないです。

ビジネスでも音楽でも、映画でも、一生懸命誠実に作っても、「なんかこれ難しそう」「流行ってないから」で全然売れないで消えていったものは沢山あるでしょう。古くはシューベルトなんて例もありますし、ベータビデオなんかもそうかもしれない。「消費者が愚かだ」と口に出したら負け惜しみになるから言えなくて、グッとこらえて退場してる人も沢山いるでしょう。悔しいだろうなあ。

で、逆に「所詮売れた方が勝ちよ」「勝てば官軍」路線になったりする人もいる。勿論売るための努力は必要ですし、いい意味でポップなこと、ユーザーインターフェイスがしっかりしてることは大切なことです。が、大雑把に言って売れてる物の半分ほどは、「心の底で消費者を馬鹿にしてる」もののような気がします。「こいつら馬鹿だから、このへんのが丁度いいのさ」みたいな意識ですね。ここ数年の小室哲哉氏がイマイチ好きになれんのも(TMネットワークの頃は好きだったのですけど)、邪推かもしれないけどその意識を感じるからです。他にも、TV見てて「馬鹿にすんなよ」と思ったことは一際ならずあります 。これは日豪どっちも感じますが、日本で「もう、腹立つからTV見ないでおこう」と思ったのは一連のオウム報道でしょうか。「どうせこいつら馬鹿だから〜」「こんなの出しておけば喜んで見るんだから」と面と向って言われているような気がして。人気のレストランとか行って、似たような感じを受けることも時折ありました。

資本主義は消費者が王様、最大の権力者なのですが、権力には闘争がつきもので、実は結構真剣勝負の場なのかもしれません。王様がくだらない基準で選んだり、乗せられやすかったりすると、それこそ裸の王様で飛んでもないもの売りつけられるという。いいもの見抜く目を持ってないと有り金巻き上げられるのでしょう。やっぱり、王様は時にはちゃぶ台ひっくり返して、「おどれ、舐めとんのか」で怒らんとならんと思います。

尤も、メーカー苦情処理の常連マニアのように、くだらない苦情を言う人も多いだろうから(ツアーの弁当に梅干が入ってないのはけしからんと延々半年以上抗議し続ける人とか、「訴訟マニア」とか本当にいます)、サプライヤーも、場合によっては、ひっくり返されたちゃぶ台の横の椅子を蹴り倒しながら「じゃかあしい、甘ったれんじゃねえ」と言い返すことも必要でしょう。業者の中のほんの一部の不心得者が業界全体の信用を失うように、消費者の中の一部の不心得者によって消費者全体が敬遠されたり、「とにかくクレームの出ないこと」を最優先されて毒にも薬にもならないような物しか提供されなかったりするのでしょう。

というわけで、「手加減抜き」でいきたいと思います。


1996年12月12日/田村
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