タスマニア3000キロ爆走日記(その5)
【1月4日(木)】
ブリットポートへ、ラベンダーファーム
結局天候がパッとしないままビシーノを後にして、北進する。途中、路上にたたずむヤマアラシ(ハリネズミ)を発見。20キロの山の悪路を、地雷のような水たまりの陥没をボコボコ爆進したあと、海岸線をしばらく走り、再び山中へ。これまで散々裏切られてきた「滝」の表示があり途中まで進むが疑心暗鬼にかられ断念。しかし付近のガソリンスタンドでの「歩いて5分」との情報に勇気付けられ再度挑戦。めでたく滝とご対面することとなる。
北の海岸付近まで出たあとは、
ブリッドポート(BRIDPORT)
に向けて一路西へ。約15キロの未舗装の「どこまでも一直線」の道を埃を蹴立てて暴走し、さらに舗装路の直線路を巡行120キロで進み、あっというまにブリッドポートに到着する。段々と天候は回復してくる。
宿は、モーテル。Bridport Moter Inn(これも、そのまんまの名前だ)に投宿。
早速ビールを買い込む。一服したあと寸暇を惜しんでラベンダー畑に向かうが、福島運転中、道を間違えて海岸付近の砂利道に行くわ、さらに砂利にハンドルを取られて道路脇のブッシュに突っ込むわというハプニングに見舞われる。通りがかりのオッカーとおぼしき地元のオジサンたちに助けられてブッシュを脱出したのはいいが、凹んだボンネットと曲がったアンテナの修復代に不安がよぎる。
気を取り直して、ラベンダー畑に向かうが、地図を頼りに進んだ近道が、事故の悪夢を思い出される砂利道だわ、通じてる筈の側道は発見出来ないわで迷いまくる。それでも、なんとかかんとかラベンダー畑には無事到着。一面ラベンダー色の絨毯状態であった。
宿に戻って、付近の海岸をしばしドライブしたあと晩御飯の算段をするが、結局宿のレストランで食べることに決定。
【1月5日(金)】
ブリットポート→マウントバロー→ロンセストン
「振出に戻る」でロンセストンに向かう。
またしてもウネウネと山道を越え、途中のルックアウトで牧歌的な牧畜風景を見下ろしたあと、
マウント・バロー
へ寄り道する。未舗装路を進んで岩だらけの山頂を間近に見上げたあと、「どこまで車でいけるのか?」と疑いながらも進む。
Uターンできる場所もないまま進むと、ついに「こんな道を行けと言うのか?」「マジ?」という山頂付近の恐怖の砂利道+断崖+いろは坂に出る。メチャ恐い。写真ではわかりにくいけど、ガードレールも何もないし、ほんとに脱輪してバランス崩したらそのまま遥か下まで落っこちていきそう。
寿命を縮めながら下山の最中、下から昇って来るオージーの車とすれ違う。一台だけでも恐怖なのに離合なんか出来るかと引きつってたら、相手はニコニコしながら「ハロー」といった。恐くないんか、キミタチは?
ようやくもとの舗装路に戻ったあとは、ロンセストン付近のロングフォードという町で評判のパン屋に立ち寄りパンやパイを買って昼食。例によって食べきれない。
ロンセストンの町並
銅細工工芸品の店でお土産を買い、その付近のアートギャラリーでカードを買い求め、いよいよロンセストンの町に入る。今度はゴーストタウンではなかった。まず、「一応」ということで近場のカタラクト・ゴージ(渓谷)に行き、チェアリフトに乗る。リフトのオジサンが片言の日本語で話掛けてくれた。
市内に戻り、土産物屋を物色したあと、最初の宿であるアーチャーズ・マナーにチェックインする。既に時間的にもストロベリー畑に行くことは出来なかった。山道の緊張疲労もあってビールが美味い。夕食は宿のレストランにて。常に思うのだが、何処行ってもスープだけは美味しい。
【1月6日(土)】
ロンセストン→シドニー
美しい朝焼けと共にタスマニア最後の朝はゆるやかに始まったのだが、「フライト時刻を1時間カン違いしていた」というあってはならないミスの発見により、急に慌ただしく時が流れはじめる。
眩しい朝陽に直面しつつ(全然前が見えない)、朝の道路を空港へ。問題のレンタカーの返還の時は迫る。係員は、車の周囲を一周し、運転席に座ってなにやらチェックし、ガソリンを補充したあと、パソコンに向かって何やらパコパコ打ち込む。紙面一杯にプリントされた清算書をあれこれ説明してくれたが、前面にボコンと凹んだ窪みその他の損傷については一言もないまま、にこやかに保証金を返してくれた。いいなあ、アバウトだなあ、オーストラリアだなあ、いい国だなあ。
やがて機体は滑走路を離れ、のどかなタスマニアの風景ともお別れである。
シドニーは大雨だった。半ば洪水状態のような道をタクシーは進み、午前10時過ぎホテルにチェックインした。
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