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Essay 998:常識と恐怖のせめぎあい

〜感染数を数えるのをやめるシンガポール、1日感染3万人でも完全フリーダムを目指すイギリスなど、常識的なラインに軟着陸させようという動きと、それでも恐怖煽りを頑張る動きのせめぎあい
〜オンラインサロンの経過報告
 


2021年07月11日

 写真は朝焼け。シドニー大学付近。


 

軟着陸の模索

routine testing dropped and no daily case tally published.
(PCR検査をやめ、毎日の感染者数を発表することもやめる)。

Instead, the virus will be treated 'like flu' with only serious cases, intensive care capacity and deaths monitored to make sure the healthcare system can cope - though vaccine passports and border testing will be part of the 'new normal'.
(そうではなく、COVIDウイルスは「インフルエンザと同じように」扱われ、ワクチンパスポートや空港などでの検査も「新しい日常」の一環として行いつつ、重篤な症例、ICU設備の余裕度と死者数を通じて医療機関が対処できているかをモニターするに留める。

 という大胆な(僕に言わせれば「最初からそうすべきだった」と思うが)を発表したのはシンガポールで、それは来たるべき7月19日のフリーダム・デー(コロナ規制完全撤廃)を控えるイギリスにとっても大きな指標になると新聞が報じています。


 Singapore will STOP counting Covid-19 cases as officials say it's time to 'live with this like the flu and get on with our lives'( 5 July 2021)



 このシンガポールの記事は、書いてあることもいちいちもっともで、ワクチンの普及やら、治療体制&技術の進化によって、もはや「パンデミック(大流行)」ではなく「エピデミック(普通の流行)」であり、大事なのは医療を必要とする人にきちんと行き渡るかどうかであり、そこにフォーカスをあてる、ということです。

 イギリスだって、さんざんロックダウンやって、市民レベルの反発もすごくて、大群衆が反対デモやって街を埋め尽くしてたりして、さすがにもうキリがないと見切りをつけたのだと思いますよ。

 ほお、ようやくマトモなことを言い出すようになったか、世界もそういう流れになりつつあるのかなーと思ってたら、オーストラリアでもNSW州の追加ロックダウン(けっこう評判悪い)に際して、NSW州の保健大臣が同じようなコメントを発してました。


 もう完全ゼロとか無理じゃないの?意味あんの?
 いう、僕からすればきわめて普通な意見なんですけど、そういうのが今まで全然出てこなかったんですよね。あっても、シカトされるか、極論として排除されるか、あるいは陰謀論界隈として嘲笑されるか。

 その強圧的な流れがなんとも気持ち悪く、戦時中の日本で「一応負けた場合のことも考えておいた方がいいんじゃない?」とか言おうものなら非国民レッテルを貼られてしまうような感じで。

 それを当の保健大臣が「もしかしてダメかも」と素直に言うところが、あ、意外とマトモかもと見直したところでもあります。

 でもねー、530万人都市で、毎日の感染者数が30人前後、35人になっただけで警鐘が鳴り響き、50人になったということで更に厳しい制限を課すのってどうよ?買い物は一世帯一人だけで、1日一回とかさ。でも、3週目に突入しつつも、まだ誰も死んでないのですよ。メディアも感染数だけ言って、重症化比率とか言わない。調べるとあるけど進んでは言わない。

 えっちらおっちら調べてきて、最近までの入院者数の推移を掘り起こしてきたので、掲げておきます。

 この右端の多少増えつつあるのが最近のロックダウンの状況です。
 確かに上がってるけど、しかしねー、そんな重大な状況なのかよ?
 左端(一番最初)の状況だったらなんかするのはわかりますよ。これはクルーズ船扱いに失敗したときの初期破綻状況です。

日韓、AUS、NZの奇妙な符合

 ちなみにオーストラリアと日本はコロナ扱いでなんか似てる。最初にクルーズ船の扱いで失敗している点は瓜二つです。第二に、世界的に低位の感染者で比較的好調に進みながらも、その間にしっかりした対策や先を見越した対策を取れてないこと。第三に、大量にワクチンを購入したはずなのに、大部分がなぜか消滅するという奇怪な事象が発生し、しかもその理由をどちらの政府も述べてないこと。

 これ、陰謀論的に面白おかしく推測すれば、アメリカあたりの「どっか」から、感染を意図的に蔓延させて危機的状況を作れという「指令」が発せられ、だから馬鹿でもやらない、ありえないレベルのクルーズ船処理のミス(感染者を全国に放った)をしている。そして統制をしながら自国経済を痛めろ、わけありワクチンを射てという指令を受けつつ、それにはさすがに微妙に抵抗してて、意図的にサボってるからワクチンが進ま(め)ないと。

 ま、これは僕が考えた与太話ですよ。でも、そう邪推したくなるような、合わせ鏡のような不思議な符合があります。

 符号はもうひとつあって、先週世界各国のワクチン頑張り度一覧があり、オーストラリアと日本が最底辺の偏差値35くらいで死んでいると書きました。もう一度掲示しておきますが、これよくよく見ると、ドベ4カ国が、日豪のほかに、韓国とNZなのですよ(本当はまだ下にもあるんだろうけど、先進国中では最下位レベルといってもいい)。


 下の方、コスタリカ、メキシコ、コロンビアときて、さらにその下に日本がおり、韓国がいて、NZがいて、ドベがオーストラリア。だけど、この4カ国、そこまで後進国なのか?というと正直疑問が残る。「まあ、実はそんなもんよ」と言えなくもないけど、揃いも揃ってというのがね。なんか不思議な気がする。推理小説的に考えると、この4カ国に共通するのはなにか?といえば、アメリカの影響を強く受けている点です。同時に、アメリカの影響を本音では鬱陶しいなーと思ってる点。もっといえば、国内の水面下の力関係でアメリカ派と反アメリカ派がいそうな感じとか。だから、「従うけど従わない」という歯切れ悪い感じになるのかもしれない。

 だって日豪のワクチンのドン臭い軌跡を見てると、失敗した理由が実は明らかになってないでしょう?なぜか大量に無くしたとか、「なぜか」って何よ?日本の場合は、河野大臣がピエロ化させられてますよね。砲弾がないのに自治体に突撃させたり、急にストップかけたり、実は最初からありませんでしたとか今更言ってみたり。僕は思うんですけど、この大臣、無能は無能だと思うけど、そんな陰謀策謀が上手なタイプではなさそうで(頭悪そうだし)、下の官僚達にいいように翻弄されてる気がしますね。やってるフリをしつつ、実はやらないという、その矛盾と責任をおっかぶせられているような感じ。

 でもコロナを恐がらせたりワクチン射たせたりする理由と展開がいまひとつ分からんですね。多分いろんな思惑が合成されてて見えにくくなってるのだと思いますけど(今更引っ込みがつかないとか、選挙で負けそうだとか、それぞれ個別に理由はあろう)。

もういいじゃん的なうんざり感

 そうかと思うと、日本でも、


 という記事がありました。
 といっても、上の理性的な各記事とは文脈は全く違います。五輪を進めたいんだけど、感染がどうのグタグタ言われるから、ブチ切れて、ぽろっと本音が出たという感じで、冷静に考え抜いて出ていた話ではないです。

 だから全く同列に論じられないのだけど、しかし、それでも、まさか政権中枢から「コロナはただの風邪」というフレーズを聞こうとは思わなかったな。それは「言わない約束」だったでしょうに、つい言ってしまった。まあ、言いたくなる気持ちはわかりますけどね。

 しかし、「つい」にせよ何にせよ、また誰が言ったかまでは明らかにされず「幹部」とボヤかしているものの、そういうフレーズがメジャーメディアに出てきた。「放言」という批判的な紹介ではありながらも、黙殺はしない。


 何が言いたいのか?というと、世界的に、「もう、いいじゃん」っていううんざり気分が蔓延してるんじゃないかなーと。もうつきあってらんないよ、という。

 実際、日本で新たに緊急事態宣言が出ても、もう緊迫感とか無いんじゃないですか?僕は日本にいないのでよく分からんけど、大型台風がやってきました、関東地方は今夜半がヤマですとか、それほどの緊張感もないんじゃないの?

 それはシドニーのロックダウンも同じことで、なんで収まらないの?といえば、最初の頃に比べて、それほど深刻に皆が捉えていないからでしょう。多少は減ったとはいえ、相変わらず普通に混んでるし。新聞などでは、「絵になる」ガランとした都心の絵とか世界に配信してるんだろうけど、実際にはそこまでドラマチックでもなんでもないすよ。スーパーの棚のトイレットペーパーも全然減ってないし。感染トレースでも、真面目に申告しない人が増えてきて、それが収束を困難にしてるとか書かれてましたけど、無理もないって気もします。

 NSW州では、検査などで14日の自宅引きこもりをする人には、(条件はあるが)一律1500ドル(2週で)もらえますから、経済的な打撃は緩和されます。いいなー、僕も1500もらって2週間寝て暮らそうかなとか思ったりもするけど、そういう不埒なことを考えてると逆になかなかひっかからない(笑)。ところで、アプリで追跡調査っていうCovidSafeというのも、実際にはほとんど使えないということもあり、いつしか立ち消えになってます。こういうの見てると、AI監視社会のデストピアとかいうけど、そんなに上手いこといくもんじゃないなって気もしますね。

 でもねー、1年以上延々付き合って、通年でみれば年間死者数は大差なし、日本の場合は例年よりも死者数が万単位で少ない、コロナ死者数はインフルエンザ死者数と大体同じくらい、、となってみれば、COVID19型が医学分類的にどう位置づけられるかはマニアックな専門話だからどうでもいいとして、実生活においてはそんなにいつもと変わらない。てか、ほとんど同じではないか。そういう「身体感覚」がありながら、ひたすら怖がれというのは、だんだん無理になってきてるんじゃないかしらね。

それでも「頑張る」せめぎあい

 身体感覚としての恐怖感をそれほど感じないのなら、あとは抽象的に恐怖を感じさせるしかなく、そこでいろいろ言われるのでしょう。scaremongerという英単語があります。スケアマンガーと発音し、スケアは恐怖の意味で、人々の恐怖を煽り立てる言説をする人のことを言います。

 最初の頃はスケア一発、怖がらせ一発で話が進みました。日本でも死者40万予測とか言われてた(結局1万ちょいで、本当にコロナが原因かどうかも微妙な)。だけど、それでも恐がらせたい人?人々?勢力?ひいては闇の権力?みたいな存在があるんだかないんだか、頑張りますよね。逆にワクチンの問題性については、全く何の問題もないかのように頑張りますよね。vice versa(その逆もしかり)で、コロナとワクチンの危険性の過小(過大)評価がひっくり返ってる説もある。

 デルタ株がヤバいぞ、感染率超高いぞとか言われてますし、「ウルトラ」高感染率とか、新聞でもプロレスの宣伝文句のように修飾するんだけど、そんなに感染率が高くてもまだ1日50人。それって「高い」の?イギリスなんか1日3万人いて、それでもフリーダムにするというのに、30人とか50人で何を騒いでいるのだという気になるよ。

 それに感染率ばっか言ってて重症化率についてはあまり言わない。なんか、飲料や食品の「ノーシュガー」「ノーファット」とかいうのと同じで、シュガーはないかもしれないけどカロリーは高いとか、脂分は低いけど糖質分は高いとか、敢えて一点だけ強調する詐欺的な感じもしますけど。

 The Great Big 'Delta' Scariantで書かれてますけど、恐がらせすぎ、大袈裟すぎ。一般の感染学の常識でいえば、ウィルスが生存のための変異するなら、より繁殖力(感染力)が強い方向に、且つより宿主を傷つけない方向(重症化率が低い)に進む。また、変異の契機としては、ワクチンが普及するほど変異する必然性が高くなり、結果としてワクチンのきかない変異種が生き残るから、ワクチンは変異体の工場であるともいえる。だけど一般に変異体を増やすほど感染力は強くなるが、殺傷力は減るので、しまいにはそこらの雑魚ウィルスと似たようなものになっていくんじゃないかと。そうやって理性的に説明すればいいのに、なんか格闘マンガの「敵キャラエスカレートの法則」のように、次に登場する奴は前のやつよりも格段に強いという話で進んでて、これもなんかしら意図的な感じがする。

 ペルー産のラムダ株に続いて、最近ではカルフォルニア産のイプロシロンも注目されてますよね。ギリシャ文字のアルファベットでいえば、デルタは「D」で、イプシロンは「E]です。でもラムダは「L]に相当する。だからイプシロンはラムダよりももっと前に発見命名されているんだけど、なんで今頃言われているのかようわからん。また、間の、イータ(G)、シータ(H)、イオタ(I)などはそれほど強くないのですかね。そのあたりフラットに報道されてない気がします。

 つまり、変異種=凶悪みたいな刷り込みがあるわけですけど、自然科学的に言えば、環境適応なんだから、宿主も殺さずウィルスも生きながらえるというwin-winな共生方向、弱毒化、雑魚化していくはずで、変異種が増えることは事態が収束していくことなんだから、あながち悪いことではない。これまで数え切れないほど出てきたインフルだってそうじゃないの?実際、発見されているはずのシータもイオタもあるんだけど話題にならないから雑魚なんでしょう。なんでそう言わないのかなー?と。「変異種が沢山でてきたから、もうあとちょっとの辛抱ですよ」って考え方だってアリだと思うんだけど、しかし、変異種=新たなる脅威という、ラオウを倒したらカイオウが出てくるみたいに思ってしまうのっておかしくないか。

 ところで、何に恐怖を感じ、どんなリスクをどの程度犯すかは、それは個々人の世界観、人生観、死生観というパーソナルなものでしょう。単純に統計だけでいえば、犯罪発生率の高いエリアに住むよりは低いエリアに住んだほうがいいんだろうけど、だからといって、発生率の高い大都会の繁華街エリアから辺鄙な片田舎に強制的に移動させられるいわれない。それを踏まえて何処に住むかはその人の自由。大体において、面白い物事はリスキーであり、大雑把にいえばリスクと快楽は比例する。絶叫マシンやお化け屋敷のように、金払ってまで恐い思いをしたいくらいなんだから。

 放射能汚染をどのくらい見積もるか、日常の食事や習慣の健康毀損をどの程度にマネージにするかも人次第でしょう。これが死亡率や罹災率が間違いなく高レベル(80%とか)ならば、強制的な避難命令とかあってもいいけど、1%以下のものを皆同じに感じろというのは、基本無理がありますよね。それも人によっては失業破綻の実害を生みつつ。

 このあたりが「せめぎあい」だなーと思うのは、イギリスの来る19日のフリーダム・デーに対抗してるのかどうか、イギリスの1日の新規感染者3万人超す 1月以来最多という記事があります。なんか「頑張るなあ」って感じ。

 一方、さきのオーストラリアのNSW州保健大臣のもっともな言説に対しては、さっそく批判が渦巻いて、WA Premier Mark McGowan warns NSW will face ongoing COVID-19 border restrictions if outbreak is not controlledということで、WA知事がそんなことしたら州境を閉ざしたままにするぞと。

 いやあ、頑張ってるなあ。だけど、そんな出口のない方向に、何をそんなに頑張るのかよくわかりません。

経済破壊のタイムラグ

 ちなみに誰もが言うし、過去にもここでも何度も言ってますけど、経済の影響は遅効性なのでタイムラグがあります。既にけっこう出てきてるけど、なるほどねと思ったのは、最初は逆に振れるみたい。つまり一回好景気っぽい感じになる。だけどそれはタイムラグがなせるわざで、次第と化けの皮が剥がれる。

 例えば、アメリカあたりが必死にやってますけど、生活やビジネスサポートでガンガン政府系支出を増やす。それはそれで必要でもあるんだけど、覚醒剤を射って一瞬元気になったようなもので、本体的な治療ではない。その影響で購買力が一瞬高まるので、どっと皆の消費活動があがり、一瞬景気は上向く。インフレもすごいことになる。同時に、延々やってる資金緩和によってコレステロールみたいなのがたまりまくって世界の金融&資産バブルがすごいことになってる。そこへもってきてまた馬鹿食いするから、アメリカの不動産価格があがる。その余波でオーストラリアの不動産も上がる。金利ゼロに近いしね。しかし、それって別に健康になってるわけではなく、長期的にはもっと不健康になってる。実際、世界の木材先物取引の価格が、途方もなくあがっていたのが、先月くらいから暴落してますし、アメリカの不動産購買層のconfidenceも落ちている。

 細かなデーターだけど、世界のニュースで拾ってきたもの。
 ↓下は木材の先物取引の推移。一瞬ぶわっと上がって、すぐに下がってる。


 ↓これはアメリカの不動産売買の指標で、建築業者や販売業者はイケイケ心理のまま高いけど、実際には購買層の心理は急落して冷え切ってきている図。

 このあたりの感じはリーマンショックの一年前のサブプライムショックに似てると評する向きもあります。

 指標などではなく、ごく普通の常識論で考えると、今オーストラリアではすごい人手不足だから(国境締めてるから入ってこないし)、その意味で求人指数や失業関係はよさげにみえるんだけど、それって、レストランやら企業やらが貯金を取り崩して頑張ってるからこそでしょう。実際には、人が減ってるんだし、コロナ規制によって総需要も少なくなくなってるはず。なので、いずれは下降するのが道理。だけど雇用主(カフェや企業)がコケるよりも先に、労働者不足の方が先に表面化するから、一瞬良くなってるかのように見えるだけだと思います。

 良さげにみえてるうちは、まだ恐がらせが通用するんだけど、いよいよ自分の身も(生計的に)危ういという人が増えてきて無視できなくなったら、そうもいかないでしょう。


オンラインサロン

 話は変わって、先週からはじめたオンラインサロンですけど、「意外と」というとアレなんですけど、そこそこ賑わってます。

 今日から部屋をさらに増やしてます。
 先程キャプった状況は、こんな感じ(最終発言者の氏名は消してます)。

 

 何をどう持っていきたいのか?というと、予定調和は好きではないと書いたように、あんまりこれといった方向性を僕自身持たないようにしてます。いい意味でなりゆき任せ。自然に育っていく感じで。

 ただ、初期の目標としては、とりあえずは「カッコつけなくてもよい感じ」にはしたくて、それはほぼ達成されているように思います。例えば、自分が鬱である(だった)とかいうのも、あまり抵抗なく言える感じ、また言われても別に普通に対応できる感じ。

 カッコつけなくてもいいというのは、人間集団ではかなり大事なことじゃないかと思います。いくら友達や知人が多かったとしても、いちいち見栄を張らないといけないんだったら、居ないも同然。というよりもむしろマイナスなんじゃないかと僕は思うのですね。

 知らないことは知らないと言える、金が無かったら無いですと素直に言える、今へこたれてますってのもスッと言える。そういう弱みを見せられるのは、そういう弱みに乗じてマウントしようという人が居ないということと対応すると思います。管理人である僕の役目は、その雰囲気の維持。妙にマウントしようとかつけこもうとする人が居たら(まあ、居ないとは思うのだけど)、そういうのはやめようよって言うことでしょうか。

 だってさ、カッコつけて、嘘ついて、背伸びしてつきあってても、ネットワークにならないですよね。そんな人間関係あっても仕方ないでしょう。

 その意味では、鬱で大変だったとかいう話が普通にできている今の感じはいいです。なんかもう鬱くらい経験してないと肩身が狭いと言うか、鬱童貞みたいな感じで(笑)。


 どうこうしたいという目標や方向は敢えて思わないようにしますけど、ただ、過去にここまで出来たという実例はあります。何度もエッセイでも書いてますけど、80年代〜90年代に書けて(バブルの頃だが)、インターネットが普及する10年前のパソコン通信時代にやってました。

 一人月5000円づつ出しあって都心部にマンション借りて鍵を共有するとか、それが大阪、東京、名古屋に出来たとか、一人5万だして冗談で会社作ってみたり、新製品を発売してみたり、遊んでました。基本、これは遊びだよ、洒落だよ、「社外人脈を増やしてビジネスパワーが」とかいうもっともらしい御託に乗るのではなく、むしろそういうノリを馬鹿にしてたところはありますね。特に大阪は、「よりにもよってアホばっか集まりよって」って言ってはキャハハと笑ってるような感じ。

 つまりノリや波長が合ったのであり、それ以外の「もっともらしい=嘘くさい」ものにはしなかったというのが大きかったと思います。

 あれは面白かったですねー。30年経った今でも、当時のメンバーが集って飲んだりしてるらしいし。あそこで知り合った人は一生の友だちになってるし、仲間内で結婚したのもけっこういますよ。何組くらいあったかなー、一つや二つじゃないですよ。てか、僕の今のカミさんはその仲間だし(当時は別にそういう感じではなかったけど)。

 でもやってることといえば、会議室でぺちゃくちゃ喋ってる(書き込んでる)だけ、あとオンラインチャットくらいかな。当時のくっそ遅い回線速度で、くっそ高い電話代で(月15万くらいきたときもあった)。あのときは皆も若かったし、パソコン通信なんか百人に1人も知らなかったし、やってる人の殆どがSEだったんだけど、それでも他の職業をもちながらそういう最先端の最先端みたいなことをやる人というのは、面白いものに貪欲で、それだけに偏見がすくなく、そういうのも良かったんでしょう。オフもほとんど連日みたいな勢いでやってた時期もあります。バブルの頃だから皆死ぬほど忙しくて、仕事が終わるのが11時とかそんなんで、それから集合みたいな。だから帰りはタクシーで金かかって仕方なくて、そういうのもあってマンション借りたという。秘密基地作りの楽しさです。

 でも、実際にやってみたら先見性とかそんなのどうでもよくて、ほとんどが人間性オンリーでしかなかったです。職業はほんとに百花繚乱で、大抵の職はいたんじゃないかな。だけどそれすら関係なく、人として面白いかどうか、ただそれだけ。でもって素直になれる場にいると、人というのは大抵の場合、可愛げが出てくるんですよね。巧まざる魅力というか、「地の面白さ」です。こういうことになると妙に頑固になるとか、意地っ張りだとか、ブッキラボーだけど実は優しいとか、そういうのが良いのですね。ほんと子供時代の友達と同じです。「そーゆー奴」というのをそっくりパックンと丸呑みする感じ。

 カッコつけないこと、また金儲けとか人脈とかそういうもっともらしさに振り回されないこと、それだけ守ってたら、けっこういい感じにはなれると思います。僕自身、弁護士1年目の、業務超過すぎてペッタンコののしイカみたいになってる時期に参加して、あれで随分救われてましたもん。てか、やってなかったらどうなっちゃってたんだろう?と見当もつかないくらいで。

 この先行きめっちゃ不透明な時代、そういう幼馴染みたいに気さくなノリの集団があったら、精神的にも、あるいは経済的に少しは心強いのではないかと。







文責:田村


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