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Essay 992:茹でガエル、永遠に〜組織は死んでからが長い

実は国家社会の腐敗は、生体の病理というよりは、もはや死体の腐敗分解なのかもしれない。
しかし、見方を変えたら、ミクロの個人で何か新しいことをしようとするなら、マクロの皆には今までどおりでいてくれた方が都合が良いのかもしれない話


2021年05月30日
写真は、Incinerator Cafe(Willoughbyのスポーツセンターの隣りにあり、かつての焼却場をカフェとギャラリーに改造したところ)のフレンチトースト。21ドルもするのだが、巨大だわ、フルーツてんこ盛りだわで美味しい。


おまえは既に死んでいる

草創期の生体パワーはすぐになくなり、死体と化す

 「組織というものは、創生時にピークに達し、あとはゆっくりと下降するだけ」という言葉を聞いたのは、僕がまだ日本に居る昭和の頃です。誰が言ったのかは忘れたけど、「ああ、確かに、そうかも」と思ったもんです。

 会社創業でも、革命でも、最初の頃はゼロ、あるいはマイナスから出発して爆発的な勢いで物事を成し遂げていきます。そこでは毎日が絶体絶命みたいな状況のなかで、非常に荒っぽい感じで進みますが、状況が激しいほど人々は頑張るし、輝く。組織もまた目的達成のためにギリギリに最適化しようとします。数百年の伝統があろうが、社会の根幹をなす身分制度であろうが、邪魔だと思ったら平気で叩き壊して新しいシステムに刷新する。ゆえに組織が一番輝いているのは草創から成就時でしょう。

 一旦成ってしまったあとは、なんだかんだいって「維持」になってしまい、時がたつにつれて生きるか死ぬかの緊迫感も失われ、のんびりしてくる。身を切るような改革の必要性があったとしても、まず個々人の保身が先に立つから、なかなか進まない。これが創立時だったら、肉を切らせて骨を断つ式に多少の血が流れようとも気にしないでガンガンいけたけど、一旦緩んでしまってからは、ちょっとした苦痛を避けるようにもなるし、ちょっと擦りむいて血が出ただけでもう心が折れてしまう。一方、創業時のあれこれはレジェント(伝説)化され、ひいては毛沢東語録みたいに宗教化し、形式化する。

 そうなるとその組織システムはもはや「生体」というより「死体」のようなものです。それまでの蓄積で膨大に蓄えた富のなかで、ウィルスやら細菌やらシロアリやらが蝟集(いしゅう)し、蠢(うごめ)いてせっせと私腹を肥やす。本来そういった侵襲に対する防衛免疫機構、白血球やらキラーT細胞のような存在は動かなくなる。すなわち警察検察は動かず、裁判所は腰が引け、マスメディアはただの広報機関に成り下がる。そういった死体的な大組織の中では、優秀さよりも小狡さや卑劣さの方が実践的には意味を持つ。卑怯で厚顔無恥な人間が好き放題に蔵から皆の財産を持ち出しても、誰も何も言えない。そんな状況が続くと、どんどん精神的も荒廃するし、皆のモラール(やる気)もダダ下がりになる。

 しまいには、免疫防衛どころか、普通の生体反応もできなくなる。物事を正しく理解したり、手足を動かしたりということができなくなる。目の前の現実が理解出来ず、何を問答しても噛み合わず、右の物を左に動かすという簡単なことも満足にできなくなる。また、なにか物事をしようとするたびに、それをライバルを蹴落として自分が浮上するチャンスとして利用とする人ばかりになり、同時に莫大なリベートやキックバックを生む巨大な利権化していくから、結果として何一つまともに出来なくなる。

 こういった状況は、健康な生体が一時的に病気になったと考えるよりは、もうとっくに死んでいて、死後の分解腐敗が粛々と進行していると考えたほうが間尺に合う

 そういった経験的な考察から、いわゆる企業寿命30年説とか出てきたりするわけですけど、やっぱ定期的にゼロリセットというか、一旦死んでまた再生するくらいのドラスティック(荒っぽくて徹底的な)ことをやらないといけないのでしょう。しかし、これをやると、俄然生き返る可能性が高いのは歴史的にも事実でしょう。

日豪の場合

 僕が日本を出たのが1994年で、何度も書いてますけど、理由のひとつは「あの山の向こうを知りたい」という素朴な好奇心ですが、もう一つは「もう日本ダメかも」と思った点もあります。バブルの後始末でも、あんだけ無茶やってた住友銀行くらい平然と潰せるくらいの日本だったらまだ脈はありましたけど、「影響が大きすぎるから」とかもうビビリ根性丸出しの日和見老人と化し、メジャーバンクの「フロント企業」であるノンバンクやら住専やらを仕切るために途方も無い税金を使うとかやってるのを見て、もうこれは一回死ななきゃダメかもなーと。同じ時期に世界的もバブルだったんですけど、オーストラリアは、わずか半年で後始末したんですよね。徹底的に膿を出して、大企業の連中でもかなり多くの人が塀の中に入ったと言うし、いっとき劇的な症状として失業率が14-5%くらいいったんじゃないかろか。それでも断固としてる「やる」ってところが海の向こうから伝え聞いたオーストラリアの魅力でした。

 ほんでも、あれから月日が流れてデジャビュ的に今がオーストラリアがダメっぽいですね。日本のバブルの頃に似てます。というか、90年代の頃から書いてますけど、「なんかどんどん日本に似てきたかも」という違和感はずっと抱えてます。一般に言われる先進諸国のジャパナイゼーション(日本化)の一例なのかもしれないけど。なんとかしなきゃいけないんだけど、だけど誰も出来ない。国家百年の計とは言わないまでも、20年先を睨んで、今はアホみたいに思えるかもしれないけど、ここで布石を打っておかないとダメなんだって先見の明もないです。

 思えばその昔のオーストラリアは、「このままではアジアの中の白いゴミ(White trash in Asia)になるぞ」「アパルトヘイトで世界の敵のように叩かれた南アフリカの二の舞になるぞ」という圧倒的な危機感で、自分らの手で国是であった白豪主義をぶっ壊して過激なマルチカルチャリズムに大転換し、国歌までリファレンダム(国民投票)で変え、あまつさえ「俺達はヨーロピアンの末裔ではない、アジア人なのだ」というアンデンティティすら変えようとした。そうしないと、わずか2000万かそこからの芥子粒のような白人国家は、アジア30億人の大海原のなかで藻屑として消えるだけだという、ものすごい危機感があったと思います。でも、今はないねー。不動産上がって、なんか金持ちになったかのような気がして、それで満足しちゃって、現状の豊かさにしがみついて、夜郎自大になって、温かいコタツから出てこれない感じ。

 もっともオーストラリアの場合、移民が多いし、国外生まれの人の人口比が5人に2人とかそんなもんだし、そこに多少の希望は持てます。だって、移民で来る連中というのは、個人の人生ではまさに「死と再生」をしてきてるわけですよ。乾坤一擲の大勝負をやってきたばかりなので、思い切ったことを受け入れる根性はありますから。でもこっちに来て落ち着いちゃったら、もうあまり戦力にはならないかも。

 でも問題はぶったるんでる地元民なんだけど、しかし、まあ、これも痛し痒しなんだよね。彼らが、キツイ仕事はイヤでーす、カッコよくて高収入がいいでーすって、日本のバブルのときに皆が「3Kはダメで、3高がいい」とかほざいていたのと同じようなことを言うからこそ、現場系のスキル職が猛烈に足りなくなり、そこに移民のニーズが生じ、皆も永住権が取れるわけですよ。ここで皆が妙に心を入れ替えて頑張られたら、もう移民要らないしって話になるのですよ。永住権を目指す人にとっては、地元民は勘違いして浮かれていてくれた方がいいです。

死んでからが長い


 そうは言っても、すぐにダメになるわけではないです。僕も94年に日本を出て、2000年くらいには日本も結構いい感じに再生してるかも〜とか甘いことを考えていたんだけど、全然。だけどまだ続いている。だから、思ったのですけど、組織(国家社会も)というのは、ダメになってから、事実上死んでからが長いんだなーと。実のところ、全期間のうち80%くらいは実態的にもう死んでるんだけど(健康な新陳代謝が出来ず、ココから先はもう一回死んで再生しないと無理という意味で)、なんとなくの日々の惰性と保身で、理不尽な状態のままダラダラと続くと。

 歴史を見ても、江戸幕府なんかも三代目の家光のあたりで終わってたような気もしますね。あとは「維持のための維持」「存在のための存在」というという何の生産性もない。途中で天保の改革とか享保の改革とか当時としてはかなり革命的なことをやったんだけど、でもダメ。あそこで、江戸期に生じた現象の本質=貨幣経済と都市文化の生成発展が理解できたら良かったんだけど、到底それは無理で、ひたすら倹約倹約、華美禁止、思いつきのような生類憐れみの令とか、これで上手くいくはず無いよ。幕末のころも、それまでからしたら掟破りの驚天動地的な改革とか幕府はやってるんだけど、時代の流れである明治維新的な革命的なことにくらべると、結局は微温的で何の役にも立ってない。

 江戸時代を美化する向きもありますが、江戸期がいいのはひたすら庶民文化と経済でしょ?電気も蒸気機関もない、なんでも手作業という信じられないような環境のなかで、樽廻船やら菱垣廻船やら全国レベルのロジスティクスを作りあげ、今で言うシカゴの先物取引のようなシステムを自力で考えついて実行し、身分的には人間以下だった河原者が歌舞伎を作り、そのプロマイド画像を浮世絵として描き、版画として大量生産し、誰に教えられるまでもなくメディアミックスを自ら考え出して実行してきた庶民町民でしょう?あるいは全国津々浦々の民間の文化や研究レベルはものすごい知的充実を見ており、それが明治維新後の人材の供給源になった。だけどそれは政府が導いたものでもなんでもなく、政府はむしろそういう動きを邪魔ばっかりしてた。新規発明は禁止、移動するのも禁止、大井川にも橋をかけない。また公儀隠密が監視社会を形成し、些細な因縁でお取り潰しをして日本のエリート層から覇気というものを徹底的に奪い去り、去勢した(この影響は今尚続いていると思うので、歴史的大罪であるとも思う)。政治家や官僚(武家)は、ただお家大事という現状保身が存在目的という、まったく無駄、あるいは有害な存在であったと僕は思います。

 もし、家光の後くらい、1600年代後半、欧州ではベルサイユ宮殿が出来(1680)、ニュートンが万有引力を発見し(1687)、イギリスで権利章典が発令され(1689)とかいう時期に、明治時代と同じような開国状況にあったら、日本史はまったく違ったものになったはずです。江戸時期の文化は面白いけど260年かかってあれだった。しかし明治期の数十年の間に、無数の綺羅星のように登場した文学者、自然科学者、芸術家、政治家、軍人、、、それまでは庶民として田畑に埋もれて死んでいったような人達が成し遂げた偉業を考えれば、1600年代にも条件さえ整えれば同じような人材の大爆発現象も起きたでしょう。どうかしたら、その後のイギリス大英帝国くらいの存在にはなれたかもしれず、世界覇権の一翼を担い、公用語の一つとして日本語があったかもしれない。まあ、それが良いかどうかは考えものですけど。

 草創期の無茶ぶりはすごくて、これからはドイツ(プロシア)だとかいっても、日本人でドイツ語がわかる人なんかいるわけがないと思ってたら実は二人いるのを発見、そのうちのひとり(司馬凌海)を通訳として抜擢し、日本に一つしか無い出来たばかりの大学(東京帝国大学)にドイツ人のホフマン先生というお医者さんドイツ語で講義させるんだけど、その司馬凌海が豪傑君で前日に深酒してよくすっぽかしていたらしく、そういう日は、教授と学生がじっと黙って何時間もその人が現れるのを待ってたらしいです。光景を想像すると笑っちゃうようなドタバタぶりだけど、それが草創期の面白さですよね。

 明治政府の出来てから日露戦争くらいまでは結構バキバキやってたんだけど、あとがもう調子こいて、ダメダメになっていって結局敗戦。30年説というのもリアリティあるよな。死と再生で戦後日本がまた生き返るわけですけど、これも30年くらい(1970-80年代)で寿命がつきて、あとはもうダラダラやってるだけって感じ。


推定死亡時刻

 日本の場合、バブルのあたりがヤバかったと思います。あそこで金持ちになりながら、ゼロリセットしてでも新しい道を模索すれば生き延びられたと思うんだけど、それも果たされず。あの満たされてる段階というのは、いくら金があっても本質的には何も満たされないというのが一番良くわかる「気づき」の時期でもあったんですけど、社会全体でそれを共有できなかった。政治的には、細川さんが出てきて、戦後長い期間の自民党政治を追い落として大連立を組んだ頃までは面白かったんだけど、自民と社会党が組んで奪回したあたりからグダグダしてきた。

 日本はあのあたりで事実上死んでるんだと思います。死亡推定時刻は1990年代前半くらいですかね。あるいはあの時期に危篤になって、その後政権交代で自民が下野した時点で多少持ち直したけど、安倍自民が復活した時点で完全に死んだと思いますね。だとしたら2012年かな。リアルタイムにもそう思ったし、エッセイにも書いたけど。でもね、「死んでからが長い」んですよね。江戸時代のように、30年ピキピキ生きて、あとの200年くらい死んだままやってるみたいな感じ(笑)。

 もっとも死んだといっても、国歌社会体制としての最盛期の賞味期限が切れたというだけのことで、個々の日本人(僕やあなた)は別に生きてますし、カルチャーその他も元気に生きてます。英語で言えば、アライブ・アンド・キッキング(alive and kicking)。マクロとミクロは別次元の原理で動いているから、それはあまり関係ない。ただシステムとしていえば、クルマが完全にヘタったみたいに、もう直すよりも新しいの買ったほうが安いですよ状態。実際、赤字国債発行して、その半分を利子の支払いにあてているという「生命維持装置」付きではないですか。

 死んでしまうとどうなるかというと、死体のデ・コンポーズ、「腐敗」「分解」が進行します。また、明日に向けて健全に代謝をするという機能もなくなってしまうから、借金国債をいくら積み重ねても何とも思わなくなってくる。真剣に考えてたら早めにアドレス(対処)するんだけど、なんせ死んでるからね、そういうことは考えない(笑)。

 そして時とともに腐敗が進んでいって、だんだん腐敗してることが隠しきれなくなり、また隠す必要すらなくなり、電通やら竹中系やらが95%くらい中抜きピンハネしても別にそれがまかり通るようになっていく。五輪でも、最初は「お金のかからない五輪を」とか言いつつ、蓋を開けてみれば数倍規模に膨張し、最近暴露されたように、その外注明細をみたら、日給35万円とかありえない人件費を計上し、それを何段階も下の人達に時給いくらでやらせる、なんならボランティアにやらせる。フクイチの多段階下請と同じ。 もうちょっと上乗せしちゃいましょうか」「どうせバレないよね」とか言ってたんでしょうけど、これがシステムが健康に生きてる時だったら、即刻、市中引き回しのうえ磔+獄門くらいの話なんだけど、しれ〜っと通っていますもん。


日本だけではないかも

 別に日本だけの話ではなく、先進国はどこもかしこも似たようなものだとも言えます。なんせピキピキ生きていたら当然出てきたような新しい展開が少ないです。ソ連とベルリンの壁が崩壊した時点で、より高い次元で世界政府なり、21世紀以降の国家のあり方の新展開とかやろうと思えばできたはずなんだけど、一強覇権のアメリカの覇権利権ばっかやってて前に進まない。技術的にもインターネットくらいが最後じゃないかしら。携帯もスマホも既存技術の応用だし。成熟してやることがなくなったとも言われるけど、そうではないと思うよ。やること、やるべきことなんかいくらでもありますから。ただ、システムや人々が老化して、創造性が枯渇して、新たにやることを思いつけなくなったんだと思います。

 未開の領土を新たに開拓することがなくなるとどうなるかといえば、既存のパイの奪い合いになり、あるいは既存のものを細々と手直ししたり、いじくったりという話になります。実業のための潤滑油としての金融という位置づけだったのに、実業の発展性がしょぼくなってきたことで、金融だけが肥大化し、暴走する。21世紀以降、貧富格差がひろがってきたのも、既存のパイの奪い合いの一形態と言えなくもないでしょ。ゆるやかに死体の分解が始まってきたって感じ。

 腐敗もだんだん隠しきれなくなるし、もう見つかってもいいもんね、それを指摘するやつを陰謀論とか頭がおかしいとかいってディスればいいもんねという雑な処理になっていく。

 オリンピックでもそうですけど、前々から腐敗(単なる金儲けの手段であり、IOCは利権の巣窟だとか)は言われていたんだけど、もう隠す気もないくらいになってきてますよね。

 でも、なんかこの1年で随分腐敗が目に見えてきましたよね。「ああ、もう死んでるのかも」という(そういう表現では思わないだろうけど(笑))。いくらなんでも酷すぎだろうということで、オリンピックでも、かつてあそこまで開催国の国民が反対している大会って無かったんじゃないかな?結局どうなるかはわからないけど、もうゴリ押しって感じ。だけど、このあと24年パリでしょ、28年でまたロスアンゼルスでしょ、32年にブリスベンが頑張ってるとか、もう先進国ばっかじゃん。もう老害先進国が仲間内で利権のたらい回しをやってるだけじゃん。順番からいけば、そろそろベトナムのホーチミンでもいいし、インドのムンバイにやらせてあげるべき。いっそのことパレスチナでやるとかいってもいいじゃん(来年のサッカーワールドカップはご近所のカタールでやるんだし)。その昔84年にロスでやって、さらに96年またアメリカのアトランタ(有名企業の本拠地)になったあたりで僕はもうどっちらけてましたけど。

 ここまでヒドイとさすがにリアクションも出てきて、CEOが高給とって調子こいてるのも、米CEO報酬、株主投票での否決が過去最多=報告書という記事があって、お前ら強欲過ぎって感じなんでしょうね。

 ほんでもオーストラリアは腐り始めてきてるところだから、そこらへんが「お盛ん」で、去年オーストラリアポストのお偉いさんがカルチェの高級時計をめぐってスキャンダルになり、今は、NBN(インターネット回線)でこのコロナでしんどい時期に幹部連中に77ミリオンドル(約60億円くらい)をボーナスとして支給して(去年の二倍)、全部税金なだけに、何やってんだと批判されてます(NBN Co’s $77 million in pandemic bonuses slammed as ‘offensive’)。オーストラリアのNBN(ナショナル・ブロードバンド・ネットワーク)ってクソなんですよー。もう最初は光のはずだったのに(ラッド政権のときだったかな)、途中で品質劣化させて(アボット政権のときかな)クソ遅い。家にもよるけどADSLの方がまだマシだったとか言う人もいるし、一番早いのが携帯でネットやることです。だから僕も携帯のデザリング一本でやってます(そんな動画とかみないし)。そんなクソ仕事をしてて、年収数千万がゴロゴロいて、ボーナスが500万とかそれ以上とか、ふざけんなって感じです。

 一方、国境封鎖の延長で、テンポラリービザの人などが苦境に立たされているけど、まったく救済はない。Temporary graduate visa holders stuck in their home countries call for visa extensionsによれば、卒業生ビザを取ったはいいけどオーストラリアに戻れなくて(9900人申請して認められたのはわずか344人)虚しく時間が過ぎている人でもビザの延長はしないと。困ってる人には知らん顔で、儲かってる連中は税金で湯水のように支給するという、もうね、いい感じで腐ってきてるなーって気がします。

死体の中の弱肉強食

ますます住みにくくなる未来

 暗い話をして恐縮なんだけど、目をそらすわけにはいかんでしょう、ということで。
 こんな感じで腐ってくると、なかなか個々人の人生の組み立てが難しくなるわけですよね。イメージでいえば、満潮のときに出来た岩場の水たまりにいる小魚が、だんだん海水が蒸発して居場所が少なくなってるかのような感じ。力のつよい大きな魚はまだ居続けられるけど、弱い魚は干上がってしまうと。

 どんな感じで干上がりつつあるかといえば、例えば日本の場合の老後です。
 老齢年金って支給額が増えないんだけど、出ていくものは増える。つい先日、高齢者の医療費の負担が一割から二割に倍増されましたけど、固定的に出ていく介護保険料も増える一方です。

 老齢年金の支給額(満額受給額)の推移は、なかなかこれといった資料が見つからないのだけど、小田原市のものがありました。よくある質問(老齢基礎年金の金額を教えてほしい(過去の年金額も教えてほしい)


 ↑これを見ると、平成20年度で年間79万2100円(月6.6万)だったのが、令和3年だと78万(月6.5万)で、全然増えていない。てか、減ってますよね。厳しいよな。

 一方、介護保険料の急激な上昇ですが、介護保険料の全国平均、初の月6千円超に 今後も上昇続く見通しによると、「住む自治体や所得で異なるが、基準額の全国加重平均は改定されるたびに上昇が続く。介護保険制度が始まった00年度は月額2911円だったが、約20年で2倍以上になった」とされてます。

 介護保険は65歳以上の場合でも死ぬまで払わねばならず、無職であろうが、障害をもっていようが支払い義務がある(介護保険料は40 歳無職でも払わないといけませんか?)。逃れるためには、一定の割引を受けられる減免措置、あるいは生活保護を受けるかです。

 一時が万事で、給料から強制徴収される“隠れ税金”がグングン上昇している…介護保険料率、1年前から10%増という2019年の記事では、「目下、保険料が急上昇中なのが高齢化に伴う介護保険。協会けんぽによると、今年5月の納付分から適用された介護保険料率は前年比10%増の1.73%。10年前に比べて45%急増した。大企業の会社員らが加入する健康保険組合の被保険者が1年間に負担する1人当たり平均保険料は、19年度に49万5732円。平均保険料率は過去最高の9.218%に引き上げられた。3年後には同保険料は5万円以上増え、約55万円になる見通し。大和総研の家計負担調査によると、「平成の間の家計負担増は、ほぼ社会保険料の増加によってもたらされた」ことがわかった。税・社会保険料負担率は平成の間に20.6%から25.7%に上昇した。しかも、その上昇率5.1ポイントのうち4.2ポイント分は、直近10年間(07〜17年)に生じたという。

 ということで、「干上がる」というのは国の公租公課の上昇です。賃金は上がらず、取られるものだけが増え、さらにコロナで忘れられてますけど消費税の相次ぐ値上げがありました。今は経団連が消費税を19%にしろとか言ってるし。

 それに今のお年寄りが年金暮らしでやってられるのも、多くは厚生年金です。一般の国民年金(老齢年金)の平均が6.5万でも、厚生年金は24万あるから、それで生活できる。しかし、これって高度成長時代の全員正社員時代の遺物であり、バイトやら派遣やら自営やら労働条件が整ってないところでは厚生年金もない。あったところで、給料の18%も取られる(半分は会社が払うけど、それがネックになって条件がととなわないわ、小さな自営業は人を雇えないわ)。

 今現在でさえ、全然上がらない月6.5万の年金で生きていけというのも大概無理っぽいんだけど、その6.5万の中から6000円介護保険を払うんですよ。だから実質5.9万。しかも年金は増えないけど、保険料は上がる。この調子ならこれから先も上がる。消費税もあがる。ほんと「干上がる」って感じでしょ?


いくらあってもしんどい

 ところで、よく老後のために2000万円貯めておけとか言われて、悲憤慷慨してる人も多いと言われますが、いくら貯めてもしんどいと思いますよー。

 思うのですけど、お金を貯めてそれを取り崩して老後に、、という方法論は、けっこう難しいです。退職金と合わせて5000万くらいあってもヤバいかもしれない。なぜかというと、それだけ貯められる人というのは、働いてるときに年収1000万前後くらいあった人でしょう。大企業で昔の基準で出世していって円満退社したならそのくらいあっても不思議ではない。でもね、それから何年生きるの?といえば、例えばあと30年生きるとするでしょ?早期退職で45歳くらいでやめて退職金2000万くらい割増してもらっても、今度は40-50年くらい生きるかもしれない。

 そうするとですね、5000万で30年生きようとしたら、使えるのは年間167万円ですよー。まあ利子もつくだろうけど、微々たるものだからゼロカウントでもいいでしょ。7000万円で50年生きるなら年間140万。それぞれ月13万とか月11.6万ですよ。それまで月給70万とか年収一千万の人が、年収150万そこそこで生きていけるのか?といえば、物理的には生きていけるんだけど、でも無理でしょ。

 だって、年収一千万なり500万なりの生活水準で来た人、その人の「普通の生活」を維持しようと思ったら、やっぱそのくらい金がかかるんですよ。それを無理やり生活水準を引き下げると、かなり悲しい、虚しい思いをします。住んでるところだってマンションから安アパートとか、飲みに行くのも月に一回3000円までとか、雑誌も本も全部立ち読みや図書館とか、ちまちまやるから楽しくないし、鬱になるよね。だから「まだあるから、このくらいいいだろ」と思って使っちゃう。

 お金というのは稼がないで使うだけなら、恐ろしい勢いでなくなりますよね。あ、そこ、力強くうなずいている人がいますね(笑)。そうなんですよ、ほんと減るのは早い。で、ふと気づくとあまりにも思ってたよりも減り方が早いから焦る。焦って、僕みたいにUberやるとか、現場でて若いのと一緒に「おはよーございますー」とかやれたらいいんだけど、妙にプライドとかあると、それも出来ず。また再就職とかやるんだけど、プライドが邪魔するからなかなか。そうこうしているうちに、よせばいいのにへたな起業をしようとか、有利な投資があるとか、FXで〜、仮想通貨で〜とかやるけど、まあ、だいたい失敗しますよね。あれが成功するのは、それ相応の授業料も払って、身も心も鍛えられた「勝負師」でしょ。貯金が減ってビビってる程度のメンタルで勝負はできんよ。

 一方、予想外のイベントがある。予想外のイベントで金が増えるのは滅多にないけど、減るのはよくある。やれ、親戚の甥っ子が破産しそうで助けてくれとか、事故起こしたとか、病気になったとか、なんだかんだあるわけですよ。それでドカンと消える。ますます焦る。投資詐欺なんかにひっかかるカモネギreadyになるのもその頃です。

 絶対そうなるとは言わないけど、そうなる可能性が高い。なぜかといえば、これは自分の体験でも思うのですが、金があるうちは金で解決しようとするからです。僕も、日本市場が痩せてくる(若い人がビンボーになっていく)という長期トレンドから、考えなきゃなーとか思ってたんですけど、大きな家を安く借りられてたのでなかなか着手できず。大家が気づいていきなり家賃二倍とか無茶をいってきたのがいい機会で、バッパー利用形態にし、オフィス兼寝食場は安くていいやで下げて、また下げて、経費支出を3分の1くらいまで断捨離しまくりました。ここまで下げると(でも住心地は意外と悪くない)、もうUberみたいなものでも1日3-4時間やれば食っていけるくらいのバランスに出来た。今週の写真にしたフレンチトーストくらいだったら別に気楽に食べられる。でもね、よく考えたら、こんなの10年以上前から出来たのですよ。他のバイトで補助にするというのも頭にはあったけど、「いつかやろう」くらいで切迫感が無かった。

 結局ですね、お金に余裕があるうちは、お金で解決しようとするから話が先に進まないのですよ。構造的に問題が見えたら、お金で解決するのではなく、知恵と勇気と努力と実働で解決すべき。本当にお尻に火がついてきたら、あれがイヤとか言ってられないですし、気後れなんかしてる場合ではないですから、どーんとぶつかっていけますし、それで新しい地平は開けます。

 ならばお金があるうちにそれをやるのがベストなんですよね。結局は、やるかやらないか、です。

ワーホリ(留学)の効用

 この話、APLaCの卒業生だったらなんかデジャビュじゃないですか?

 オーストラリアに来るときの予算の話、そしてラウンドに行くときの話でよくしましたもん。300万でも500万でも持ってくるならそれはそれでいいけど、でも、無駄というか有害だよー、本当にお金に困ってお尻に火がついてから物語が始まるんだから、ギリギリでいいよ、学費払ってシェアのボンド払ったらスッカラカンになるくらいが理想。そうすればダッシュでバイト探すし、結局やってみないと分からないんだし、やってみてから順次改良すればいいんだから、大事なのはまずやること、その一歩をできるだけ早く踏み出して、話を先にすすめること。ラウンドでも、金があるうちは金に頼って真剣にファーム探しもしないけど、いよいよなくなったら、バス停でも道行く人に話しかけてでも探すから、結局見つかる。その真剣度が人を動かすし、人と人とを結びつかせる、だから出会いが生じ、物語が始まる。

 やったことある人なら皆さん覚えがあるでしょう。
 それもあって、人生で大事なことは全部ワーホリで学べるよ、これさえしっかり出来たら死ぬまでのスキルは全部ゲット出来たもの同然だよって言うわけです。まあ、そう言われても若いうちは全然ピンとこないでしょうけど、そろそろ40くらいになってる人もいるだろうから、ワーホリ時代を思い出してください。今の目の前のなんかを打開するスキルは、既にもう自分は身につけているんだと自覚してくださいな

 ならば、退職金がいくらあろうが、相続遺産がいくらあろうが、全部ゼロだと仮定して、今日のメシ代は今日稼ぐ!くらいの勢いで、老後もやればいいです。そう思えてたら、そもそも老後じゃないんだけどね。

 それにお金って、わずかであろうがまっとうに稼ぐと意外と減らないよ。増えはしないにしても減らない、減るにしても減り方がぐっと緩やかになります。毎週3万使う人は、10週で30万消える。でも、毎週2.5万稼げば赤字ではあっても5000円で済む。10週で5万円。30万消えるのと5万で済むのとでは随分感覚が違う。100週(2年)だったら300万減るのと50万の差、1000週(20年)だったら、3000万消えるのと500万の差です。かなり違うよ。また、稼いでる間は忙しいからお金使わないしね。働いてないと暇だから、どんどん金使ってしまうのだよ。だから、実際の差はもっと大きい。さらに稼いだという充実感は結構でかい。しばらくやってたら収入2.5万を3万にあげるのも、そう難しい話ではないでしょうし、将来的に増やす希望もある。出来なくても希望はある。それに引き換え、永遠に減るだけの日々が延々続き、まるで死刑執行をじっと待ってるだけみたいな状態はきついです。そういった精神健康という点でいっても天地の開きがあります。

茹でガエルのままで

 ただ、しかし、このまま死んで腐敗していくばっかでいいのか?とか、干上がっていくだけで手をこまねいていいのか?とかいう問題はあります。

 でも、「いい」みたいね、手をこまねいているみたいですね、世間の多くの人々は。
 昔っから思うんだけど、こんだけコケにされてて、まだ支持率が○%とかいうのは、なんなんだ?と。今の菅政権もいよいよ30%とかいってるけど、まだ30%もあるのが不思議。発足時に70%とかいうのはひっくり返ったけど。まあ、メディアが下駄履かせているという説もあるし、東京都では16%とかいうけど、小池知事が50%超えるというのも意味わからんですね。

 ちょっと考えればわかりそうなものなんだけど、その「ちょっと考える」というのが難しい、、、というか無理、永遠に無理な人もかなり大量にいるのでしょう。NHKのニュースを盲信する高齢者とか、ワイドショーの芸人の発言あたりが物事の判断材料になってるとか、けっこういるのでしょう。

 でもここで、絶望するほど僕は若くもないし、「け、愚民どもが」と苦虫噛み潰したような感じになるほど年寄でもないです。まあ、確かにこんな状態では、「百年河清を俟つ(泥のような川が澄んで綺麗になるまで百年待つ)」というか、「日暮れて道遠し」というか、暗澹たる気持ちになります。まあ、でもメゲたらどっかの悪しき人々の思う壺だけど。

 しかし、一方では、世間の皆さんにはいわゆる茹でガエル状態のままで居てくれたほうがいいかもしれないなーと思う部分もあるのですよ、冷静に考えたら

 何を言ってるというかというと、、、例えばですね、こんなシステムはクソだから、オフグリッドで世捨て人になるんだ、皆でどっかの村で自給自足をするんだーとかいう話になったとしてもですね、皆がみんなそれをやられても困るわけですよ。

 なぜって、こういうのってある意味早いもの勝ちの部分もあって、皆がそうしたら大競争になってしまって、結局変わらんという気もします。オーストラリアでも、都会生活イヤだよー、田舎で自然とのんびりしたいよー、ワークライフバランスだよーって声が強いわけで、コロナのテレワークをきっかけに、ドドドと民族大移動的にオーストラリア国内の田舎に移動する人が増えてます。結果どうなったかといえば、地方の不動産物件の奪い合いと価格の高騰です。もともと売りにせよ賃貸にせよ物件数が少ないから、皆で押し寄せたら対処できない。やっとゲットといっても、ローンの支払や家賃は都会と変わらんくらい高いし、職もそんなにあるわけではないから、田舎でのんびりという感じにならない。

 その意味で言えば、皆が茹でカエルのまま我慢してくれたほうが好都合、誰もやらない、やるのは自分だけ、他人からは物好きな奴だと馬鹿にされたり、白眼視されてるくらいがちょうどいいんじゃないかと。

 それに自給自足なんか簡単ではない。特に具体的にそれを求めてはいないけど、自給自足「的な」「ぽい」感覚をふんだんに味わえるような環境を構築し、一時的にそれを満喫できるようなシステムを作るのには興味があります。疲れたらそこに行くとか、親の介護で万事休すのハードな局面になったら場外的に息がつけるような環境とか、そういうのはあってもいい。

 だけど、ガチに自給自足になるとかなり難しい。稲作なんて相当難しいですよ。経験者がいないと無理とも言える。水源地みつけて、灌漑用水つくってとかやってるだけでも死にそうです。有機栽培だとかいっても、虫がびっしりついて枯れちゃったら悲しいし、天候不順や気象変動でうまいようにいかない。そうかと思うとイノシシやらクマやらがリアルに恐い。そんな苦労するくらいなら、米買った方が早い。労力考えたらはるかにコスパがいい。だから貨幣経済も存続してもらってて、自分らもそれに適応出来る状況を維持した方がいい。

 それに食料といっても植物系ばっかだったら動物性たんぱく質はどうするとか、食料は良くても移動の車のガソリンとかどうするとか、病気になったときの医療はどうするとか、水道や電気は井戸や自家発電でやるにせよ既に開通してたらその方が楽。また、衣料なり、インターネットなり、遊び道具なり、なんなりを考えると、ちょっと車を走らせたらそこにコンビニがある方が都合が良いでしょう。

 ということは基本インフラはまだ稼働してくれていて、コンビニなど商業も一応も継続しているということでしょ。そしてそれを実現するためには、電気水道の管理をしてくださる方々にちゃんと給料が払える税金システムがあって、皆が払ってくれることが必要(水道は外資が取っちゃうっぽいけど)。またそこにコンビニやら商店があるためには、売られている商品をつくってくれる人、工場、設備、輸送する運輸網、決済システム、、などなどが必要で、それを動かすためには膨大な人手がいる。皆が職場を放り出したら、そういったものが全部コケるわけです。逆にあってくれたほうがいいなら、結局皆さんには従来どおりの仕事と生き方をしてくれていないといけない。

 つまりですね、自分ら以外は、今までと同じでいてくれた方がなにかと都合がいいじゃないかと思うようになったわけです。茹でカエルよ永遠に、です(笑)。

 もちろん社会を良くするための発信なり行動なりは一人の社会人としてやりますよ、困ってる人がいたら乏しいながらも助力はしますよ、人道に反するようなことはしませんよ、別になにかも叩き壊すわけでもない。でも、なにか違った感じで組み立てていこうとする場合、所与の前提条件は今までのままで居てくれた方が良いのですよ。こちらも予想しやすいし、計画しやすいし、何かと便利です。

 オーストラリアの不動産も高すぎるし、どうでもいいようなホワイトカラーの仕事が無駄に高給だったりして、それらもいずれは「下駄の雪」でやがて消えゆき、自然淘汰されていくとは思うのだけど、それはそれとして、せいぜい今のうちに高い給料もらって、どんどん使って経済廻して、税金払ってもらったほうが結局は自分にとっても得です。3Kイヤだよと贅沢ぶっこいていただければ、それだけ皆の永住権のチャンスは増えるというものですしね。いかに腐敗して正常な代謝ができなくなったとはいっても、死んでから長いので、あと数十年は環境として利用価値はあります。

 貧富の格差は問題だけど、サッチャーが言ったように「金持ちを貧乏人にしても、貧乏人が金持ちになるわけではない」のだよね。全員貧乏人にしたら溜飲は下がるのかもしれないけど、その代わり、税収不足で、ますます税金は高くなり、世相は荒れ、治安は悪くなり、警察も来ないわ、来ても賄賂を要求するわ、断ると腹いせに逮捕されるわ、つねに停電だわ、水道は変な匂いがして怖くて飲めないわ、バスは全然来ないわ、盲腸になったらのたうち回って死ぬしかないわ、、そういうのも困るのよね。だから、多少むかっ腹が立とうが、馬鹿馬鹿しかろうが、アホみたいな踊りを踊ってもらって、それで社会全体を廻してもらっていた方が、インフラ的にはお得な話じゃないかと。

 それで、いくらなんでもヒドイということで、復活して徐々に世の中良くなるなら、それはそれで大歓迎です。住みやすくなるしね。ここまでヒドイと、ちょちょっと手直しするだけでも、見違えるように住みやすくなるとも言えるし。
 あるいは、天変地異やら、金融大崩壊やらなんやらでゼロリセットになったらなったで面白い時代になりそうだから、それもまた良しです。

 でも、全然そうならないわ、皆もブツブツ言うだけで立ち上がらずに単に顔を真赤にして茹だってるだけだったら、それはそれでも良し、です。それならそれでやりようもあるし。





 ライチ(Lychee レイシ)まで入ってて、これがまた美味しい。アイスクリームも地味に美味しい。二人で一つをシェアするくらいで吉。


文責:田村


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