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Essay 991:「世界は実在しない」時代

 ここにきて「マスク、いらないし」と言わんばかりのアメリカの変節と、統一的フォーマットで世界観を共有する時代が終わりつつあるのではないか?という話


2021年05月23日
写真は、だいぶ寒くなってきました的な一枚。なんか今年は寒い気がするぞ、まだ5月(日本では11月)なのに。


日豪国境とワクチン

 先週の続きのような感じで今週は入りますが、この一週間で、オーストラリアでも国境を早く開けるべきかどうかの論争が行われてました。経済界、とりわけカンタスやヴァージョン、大学など被害直撃のまんま1年以上我慢して、さらにまた1年、あるいはそれ以上とか言われてブチ切れている人達からです。

 でも、一般大衆的には早く開けるメリットがない、てか本当はすごくあるんだけど、間接的だからわからない。それを盾にしてモリソン首相は頑強に開国に抵抗しているという感じです。

 このおっちゃんからしてみれば、開国して被害が出て(まあ不可避的に出るだろう)、それでいろいろと問題になったら全部自分の責任にされちゃいそうだから、自己保身という一点からするなら、可能な限り何もやらないほうがいい。だったら、それで困ってる人らに救済をすればいいんだけど、そこは徹底的といっていいくらい冷淡。要するに、よくある話だけど、この人は、自分が好きなだけなんでしょうね。最近世界のどこでもよくあるパターンで、なんかこんな連中ばっかだと、大集団でリーダーを選んでやっていくという方法論そのものがもう賞味期限切れなのだって改めて思いますね。何のために国をやってるんだろ?という。

 オーストラリア一般人も、金持ちになると保守的になる法則っぽくて、昔ほど困った人へのシンパシーが薄らいでいるような気もします。いや、ほんと、地方の観光で持ってる町なんか悲惨でしょうに。他に仕事もないしね。だけど、不動産バブルに酔ってるほうが楽だからそっちに行っちゃう。

 こんな有様ではいつになったら、、という感じだけど、でも開国が話題になってるだけでも進歩です。僕の予想では、JobKeeperが終わってからの四半期統計が出てくる7月以降にその種の話になるのかなと思ったら、まだ5月だから意外と早かったですね。まあ、またおいおい「間接的な被害」が自分にも回ってくるというのが少しづつ実感されてくると思います。

 それは意外と早いかも、という気もします。というのはオーストラリアの住宅ローンの経済的ストレスがキツイという記事をBrad had debt collectors at the door but a mortgage wellbeing service helped turn them awayを読んだのですが、”Up to 85 per cent of people with mortgages in the 3806 postcode are under financial stress”(郵便番号3806=メルボルン郊外の住宅地の住民で住宅ローンを払っている人の85%がお金のストレスを感じている)とのことで、こんな高い値段で不動産買ったら、毎月の返済額が途方もなくなっていき、それを維持するのが大変。こちら、ちょっとでも滞ったらすぐに競売という血も涙もないシステムですから、そのストレスはキツイと思います。それなりに月給もらってるんだろうけど、リストラされて2−3ヶ月仕事が入らなかったら、もう終わりという感じの人も多いだろう。

 風が吹けば桶屋が儲かる式に、例えば大学や航空会社、旅行会社などが大リストラすると、それを食らった人のローンが飛んでしまう。それのみならず、それらの店舗や関連業の入ってたオフィスが空になったり、その従業員が顧客になってくれてたから回っていたカフェやレストランのみならず、AO機器のリース会社、IT業者などなど客が減るという影響を被ります。それがだんだん増えていくと、回りまわって自分にもやってくる。

 日本でも先日、GDP年率換算マイナス5%以上で、リーマンショック以上の最大幅の現象がレポートされてましたが、何らかの形で全体に波及するのは、全てが関連しあってる以上当然とも言えます。

 というわけでオーストラリアの先行きは相変わらず見えないのですけど、しかし、仮に来月から開国〜、とりあえずシンガポールと韓国、日本からは来ていいよって言われても、それは当然ワクチン接種しての話でしょう。んでも、日本で若い人がワクチンを打てるのを待ってると、もう自然に来年にくらいになってしまうのではなかろうか。そうなると、オーストラリアが開けるのと、日本で自分のワクチン接種が済むのと、いい勝負になりそうです。

 ワクチンでいえば、オーストラリアもクソ遅いです。最近ちょっと早くなってきたけど、今度は、Covid: Australia's vaccine hesitancy worries medical expertsと書かれているように、ワクチンに対して懐疑的な人々も実は増えてます。これもちょっと変わってきたところで、ちょっと前まで、皆ワクチンハッピーのような書かれ方をしてたと思うのですが、蓋をあけてみれば”This week a survey suggested about one-third of Australians said they were unlikely to get vaccinated, reportedly up from previous months.”(今週の調査によると、ワクチンを射ちたくないというオーストラリア人が3分の1に達しており、先月から増えている)。3分の1もいるのかーという気もしますが、まあ、健康な批判精神はあるのねということです。

 それでなくても、今オーストラリアは大車輪でやってるんだけど、週に40万接種というから、人口比率でいえば日本における週200万接種に相当するので、かなりやってる感じではある。だけど、それでも成人のすべてが2回接種を完了するのは23年(再来年)の2月になるという感じで、もう国境論やってるのが虚しくなるような感じですね。わはは、どうするんだ。日本に至っては、2024年くらいになって、パリ五輪のあたりにようやくワクチン射ってるかも、です。

 しかし、日豪ともどもアメリカ追随の権力(メディア)構造をしてるのですが、アメリカそのものがここに来て変化してきているという話もあります。

アメリカの変化

CDCの変節

 ここに来て、アメリカ国内でも、マスク終わり〜、コロナ終わり〜というノリが強くなってるという説があります。

 田中宇氏の最近の論稿がよくまとまっているのですが、ポイントとなるのは、CDC(Centers for Disease Control and Prevention=コロナ対策の厚生省総本山のようなもの)の態度、そしてメジャーマスコミの態度の微妙な変化です。

 CDCは確かに、バイデンに代わるちょっと前にPCR検査のCT値を低くすべきという通告を出してました。今となっては知らない人は居ないんじゃないかってくらい有名なCT(Cycle threshold)値ですけど、これを高くすると偽陽性が増える。25(25乗で3200万倍)、40で1兆倍という途方もなく増幅させる(ことによって発見しやすくする)検査方法だけど、あまりにも大きくしすぎると間違いが大きくなる。これを悪用すれば感染者を増やそうとすればCT値を大きくして、減らそうとすればCt値を小さくする、世界中の多くの検査は(日本も)CT値を個別に明らかにしてません(だから陰謀論になんだかんだ言われる)。

 それはさておき、CT値を下げましょうねとか1月か2月くらいにCDCがわざわざ言ってて、これは収める気かなーとか半分思ってました。さらに、5月13日にワクチン接種を終えた人は、マスクも必要ないし、ソーシャルディスタンスも必要ないとはっきり明言しました。これはメジャーメディアもそう言ってるから間違いはないでしょう。CDC says fully vaccinated Americans no longer need masks indoors or outdoors in many cases(ワシントン・ポスト)。

 てか、屋外どころかホワイトハウスの屋内で主だった人々が、ノーマスクで、ソーシャルディスタンスもクソもない近距離で話している映像があがってきてます。例えば、こことか。

 ちなみに日本ですけど、ここ数日、ニュースに出てくる政治家などのインタビュー映像で、ノーマスクのものが微妙増えてませんか?ちょっと前まで誰も彼もが辛気臭く大きなマスクをしてた画像ばっかんだけど、ここにきて妙にスッキリしてるなという印象がありますけど錯覚でしょうか。

 ほんでね、田中氏も指摘してるように、アメリカではワクチンパスポート、ワクチン接種証明がないと入れないとかそういう動きは実は少ない。ということはワクチン接種を終えた人は、という限定があっても、それを確認する方法はないことから、事実上フリー化してるのと同じこと。あるいは個々人の判断に任されている。

 ここがちょっと不思議で、それまではオオカミ少年的に、こわいぞー、ワクチン射ったくらいでは安心できないぞ、変異体があるぞ、マスクも2枚重ね着だぞ、いや3枚はいるかも、とかカンカンと鉦を太鼓を鳴らしてたんだけど、いきなり「いや、もう別にいいんじゃない?」って感じでガラッと変わっている。これほど巨大な方針転換をしているわりには、なんでそうしたのかの説明がなし。

 ここが凄いところです。この転換の理由こそが一番大事なんだけど、それが無いまま、しれっと発表しているのは、どうしたことか?結局、推測になるのだけど、おそらくは科学的なものではなく、政治的な力関係ではないかと思われます。だって、「科学的」に説明しようとすれば、今後どんな変異体が生じようがワクチンさえ射っておけば十分という新しい(しかも反論の余地がない)大発見がなければならないんだけど、そんな話はない。また、そこまでワクチンを絶対視するなら、自由のためにワクチンパスポートが出てくるのは理の必然なのだけど、それもどうでもいいことになっている(部分的、事実上ではあるが)。だから表に出てくる「科学的」な理由だけで、この転換を論理的に説明することは不可能でしょう。

 Following The 'Science'? CDC Shifts From "Impending Doom" To 'You're Free' In 6 Weeks(CDCがわずか6週間で「大災厄の運命」から「君は自由だ」にシフトしてるんだけど、それって「科学」なんですか?」で、言ってることを時系列で検証してます。

国内の力関係の変化

 となると理屈ではなく「力」による変更ということになる。つまりアメリカ国内の政治的な力関係(と世論)が微妙に変化してきているのではないか。でも、それもなんとなく分かるような気がします。

 田中さんの説明に加えて僕の私見織り交ぜていえば、アメリカ社会が本来の姿に復元していったかのようなイメージをもちます。一番先鋭的だったのは、大統領選挙のときで、トランプVSバイデンという極端な二極化をしていた。まあ「AかBか」という二項対立の選挙という構造上、そうならざるを得なかったのものあるのでしょう。ならば選挙が終わり、時間が経つにつれて二項対立から多項乱立に戻るのもわかる話です。それはトランプ共和党陣営もそうですけど、バイデン民主党陣営でより激しいんじゃないか。

 先の選挙が不正かどうかという大論点はあるけど、それは一時おくとしても、あれはトランプ対バイデンではなく、トランプか反トランプか、であり、反トランプが結集してああなった。だけど、反トランプというだけで、その内実は烏合の衆でしょう。サンダースのように正統派の弱者救済系の左翼もあれば、とにかく北朝鮮みたいに国家統制を強めていきたい(それによる利権狙い)、なにかといえば暴動を起こすしか能のないようなCIA系みたいな一派(ANTIFAとかBLMとか)、それを主導してるのか煽られてるのかマスコミやビッグテックがあった。でも、多くの市民の素朴なところは、トランプの下品な感じが好きになれないとかいうそんな感じじゃないかと思います。

 バイデン自身にトランプと並び立つくらいのカリスマ性がないのは最初からわかってたことで、未だにこれといった存在感を出せてないし。選挙のときは反トランプで皆も一致してたけど、終わってしまえば、意見の違いが目立ってくる。本来のレフト系リベラルは思想統制など嫌いだろうし、ツイッターやFBが気に食わないと削除するという振る舞いに不快な思いをしている人も多いでしょう。ファナティックにあれしろこれしろと指示されるのが嫌いという人もいるし、そもそもそんなのアメリカ的ではない。

 そこにもってきて、不正選挙の厳密な科学的検証が地道に進んできて、どうも言い逃れできないくらい不正だったらしいという話も聞こえてくるわ、バイデンが大統領としてやったこともなんかパッとしない。だんだん求心力がなくなっていっても不思議ではない。

 ところで、バイデンとトランプの政策の違いなんですけど、僕が思うに、これが驚くほど無いような気がするのですよね。激しく個人攻撃をしあってるから、一見すごい違うようでいて、実は同じようなもんじゃないか。言ってることやってる政策にそんなに差はないんじゃないか。だって、トランプだって、ワクチンのワープ計画とかいってワクチンの効用を認めてるし、中国やロシアをやたら目の敵にしてるところも変わらないし、トランプのやってたアフガン撤兵も、メキシコ国境の封鎖も結局バイデンもやるわけですよ。独自にやったパイプライン計画の破棄は猛反発を食らってる。今回のイスラエル・パレスチナ紛争でも、バイデンは逃げ腰で「武器送るし」とか言ってないし、一方、トランプは断固イスラエル支持とかいってるから、これで支持者も多少は失ったと思います。つまり言うほど違いがないのではないか。一点大きな違いがあるとすれば、アメリカのエリート利権村に協調的かそうでないか、くらいでしょう。

 これは別に驚くことではなく、あれだけの国の操縦席に座ってしまえば、所与の前提のように、こうするしかないよねって事項が山程あるのでしょう。責任のない段階では好き勝手言えても、責任ある立場になったら、結局同じようにやるしかない。かつての世界史を見てても、与党の政策を激しく攻撃してた野党が政権をとったら、結局以前の与党以上の激しさでその政策を踏襲してるというケースは山程あります。

 共和党=トランプみたいになってるけど、確かにトランプは共和党支持者のコアの部分の代弁者なだけで、別にトランプがいなければダメだというものでもないのでしょう。大きな求心力にはなるけど。それがあるから、選挙以来、テキサスやフロリダなどの南部系の州が、傲然と中央(民主党系の政策)に反旗を翻しているわけでしょう。選挙不正は徹底的に検証してるし、コロナに対しても比較的懐疑的で、早い時期にマスクも解禁してるし、ワクチンパスポートも採用しないと言い切っている。

 それゆえにアメリカの第二次南北戦争のようになって、統制色の北部(民主党)と自由度の高い共和党系の州(南部系)とに別れているのだけど、トランプ支持だからそうしているって感じでも実は無いと思う。だってトランプはコロナやワクチンに対しては旗幟鮮明にしてない(てかブレブレ)。今の共和党支持者は、根っからの南部白人系というよりも、今回の一連の民主党的な動きに対して批判的だから一時的に支持しているという人も多いんじゃないか。

 陰謀論でよくDS(ディープステイト、権力の深奥ですべてを牛耳ってる勢力)とか言われますけど、そういう現象はどこの集団にもあるけど、言うほどハッキリしたものはないと僕は思います。前々から言ってるけど。それぞれがそれぞれの立場で自分らの利益を追求してるだけで、それが時として合従連衡し、時として分裂すると。

 南部州に向けてアメリカの企業が移転してきている流れがあり、シリコンバレーからも来るわ、テスラも来るわ、最近ではゴールドマン・サックスの一部局ですらフロリダに行くとかいう記事があった(Goldman Plots Florida Base for Asset Management in a Blow to New York)。アメリカのエリート企業、トランプの天敵のような連中が、なんでトランプの牙城の南部州に行くのよ?と矛盾してるようだけど、要は、ビジネスしやすい、儲かるからでしょう。テキサスやフロリダの方が税金安い、住みやすい。民主党系の牙城であるNYやロスは、逆に物価高いし、民主党的なクソ正論に引っ張られた規制が多くてやりにくい。NYにいたらずっとマスクしてなきゃいけないけど、フロリンダいったらやらなくていいから楽だとか、一事が万事。田舎だから国際覇権による利権ビジネスもそんなにでかい顔をしてないので、なにかにつけてわりとリーズナブルなのでしょう。そこらの事情は色々なんだろうけど、指摘すべきは、彼らビジネス連中は、要はビジネスしやすかったらそれで良いのであり、何がなんでも民主党絶対、トランプ悪魔とかいうわけではない。ま、考えてみたら、そんな宗教じみたことやっててビジネスが出来るわけないですもん。

 あれだけトランプを叩いたメジャーメディア、元祖マスゴミみたいな連中のトーンも最近では変わってきて、民主党系の英雄であるNY知事のクモオをセクハラで叩いてるし、最近ではコロナ恐い教の教祖のようなファウチについての批判も増えてきてる。ファウチが武漢研究所への支援金をめぐる不透明な金の流れに関係しているというスキャンダルも隠さなくなってきた。ニューヨーク・タイムズは、CDC批判すら始めて、A Misleading C.D.C. Number。屋外でのマスク無しの感染率は10%以下であると最近CDCは言ったけど、これすら誇大であり、実際には0.1%以下であると言っている。

 大体において、コロナ&ワクチン、大統領選挙に不正はあったか、BLMやANTIFAなど急進的暴力的な運動と厳しい思想統制は、全部まとめてワンセットみたいになっているのだと思います。それが段々薄れてきている。メジャーメディアの裏切り(バイデン民主党からみれば)であるかのような流れは、メディアからしたら生き残りに必死であり、それも当然なのかもしれないです。トランプがいる頃は、トランプに潰されそうな恐怖感から必死にこれを潰すことに全力をかけたのかもしれないけど、終わってしまえば、急進的すぎて支持を得られそうもない今の民主党にひっついたら心中しかねないと判断したのかもしれない。さすが元祖マスゴミだけあって、機を見るに敏。

 これは今に始まった話ではなく、冤罪事件が逆転無罪になったりしますけど、犯人逮捕の時点ではいかに極悪非道でひどい人間だったかを誇張して報道し、無罪になったら、○○さんといきなり「さん」づけで、苦闘の○年間と英雄扱い、人権バンザイ、正義は果たされた的にどや顔で書くのがマスコミというものでしょう。昔っからそう。だから報道してある内容なんかある意味どうでもよい、その報道の傾向を見て潮の流れを判断するのが吉だと思います。

 実際、次から次へと不都合なニュースが流れるようになってきてます。ファウチに対する手のひら返しもそうなら、ワクチン3回だとか言ってたビル・ゲイツの離婚のあとのスキャンダル(不倫から少女買春とか)出てきてることもそう。ANTIFAかBLMの幹部が、皆のカンパしたお金で実は豪邸を買っていたというスキャンダルもそう。メディアというのは、だいたいのネタはすでに握ってる、てか関係者だったら皆知ってるような話を、その時の潮の流れを考えてこっちを勝たせた方が都合が良いときに、反対側のスキャンダルを流すということをしますよね。お寿司屋さんのネタケースのようにネタはすでに揃ってて、あとは握るだけみたいな感じで、注文に応じて、あるいは独自の判断で、スキャンダル寿司を握って出す。日本の芸能人の麻薬事件やら不倫報道も大体そう。まあ、今ではネタも割れてしまってて、「またかよ」と飽きられてますけど。

エキセントリックな部分の淘汰

 結局、時間がたつに連れ、一時的にエキセントリックな部分が濾過されていき、本来の常識的な路線に回帰しつつあるのかもしれないです。それはアメリカが誇るべき、健全な復元性なのかもしれないけど、結局、今の民主党のペロシやハリスのような、バイデンじいさんを傀儡にして、北朝鮮みたいな思想統制をしてって動きが浮いてきてるんじゃないかしら。一方、あまり語られないけど、共和党内部でもトランプ人気は相変わらずだけど、いっときよりも下がってる気もします。前は、民主党側の露骨なくらいの攻撃をモロに受けつつ、あれだけボコボコにされながらも全然メゲないで戦ってる姿が、対比的に輝いて見えたんだけど、民主党的なエキセントリックな部分がしぼんでくるにつれ、トランプの輝きも褪せてきてるところはあると思います。

 本当にそのあたりは流れが早いのでしょう。ブッシュ政権の頃は、共和党=ネオコン=軍産複合体=覇権利権ビジネスときれいにまとまってたのだけど、トランプが出てきて、共和党から覇権部分を薄めていき、軍産も生息しにくくなって、民主党に移ってる。だからトランプの末期に至るまで、共和党内部でも反トランプはそこそこ居たし、それこそが伝統的な共和党とすら言える。しかし、選挙問題で民主党側のやり方がひどすぎたので、トランプにスポットライトがあたってしまい、共和党内部のトランプ嫌いの議員も逆らえなくなった。だけど、バイデンやら民主党がだんだん浮いてくるにしたがって、トランプも微妙に影が薄くなり、逆に、覇権とか国権優先ではなく地元民優先でやってた(イデオロギーを弄ぶのではない=弄んでも別に儲からない)南部州が実質的に優良になってしまい人気になっている。面白いですね、この離合集散の速さというのは。

 今回のイスラエルとパレスチナでも、かなり従来と変わったという感じがします。これまではパレスチナはひたすらボコられるだけって感じだったけど、今回はかなり善戦してる。あんだけのミサイルをいつゲットしたんだ?ってくらい反撃しまくっている。多分周辺の支持が強いんだと思うけど、レバノンもシリアも国境越しにイスラエルに砲撃してるし、特にトルコなんか盛んにイスラエルを非難し、イランも結構言っている。最後はロシアまで出てきてる。もう周囲からタコ殴りにされそうな情勢。

 問題は、なんでこんなにパレスチナのハマスが強くなったのか、なんでこんなに周囲がアメリカに気を使わないのか。普通だったら守護神アメリカがどーんと出てきて、仕切ってたけど、今度ばかりは影が薄い。おそらくはアメリカ国内の状況を皆もわかってて、今のアメリカ大統領には戦争を仕掛けるほどの力はないと、そもそもアメリカそのものにもうそんな力はないのかもというのが知れ渡って来てるのかもしれないです。ま、ことの発端は国内選挙でパッとしなかったネタニヤフが、ドンパチやれば支持回復するからやったくらいの感じなんでしょうけど、展開をみてると興味深いです。ああ、世界は流れてるなあって感じで。

誰がハシゴを外されて取り残されるか

 さて、このように流れがあるとしたら、そうなると問題は、誰が最後でババをひくか?「屋根に登ってハシゴを外されるのは誰か?」でしょう。椅子取りゲームのような、サバイバルゲームになってる気がします。

 さて長くなってしまいましたけど、ことコロナと国境やワクチンの話に戻りますが、アメリカの潮の流れが変わってきてるなら、世界の流れはどうなるか?です。別に全然関係ないとも言えます。それぞれの国で事情は違うしね。アメリカがマスクOKにしたからどうって感じでもないでしょう。

 だけど、日本とオーストラリアは忠実なアメポチですから、そうもいかないのではないか。ここがオーストラリアの国境開放とリンクしてくるのですよ。

 日豪ともども面白い国で、国民の成熟性という点では、僕のみるところ悪くない、てか結構いいと思います。上から目線な言い方で悪いけど、庶民になるほどに普通に現時点での時勢にアジャストしてると思いますよ。それもある意味当然で、社会のしわ寄せはまず弱者にいくから、低賃金のバイトのような仕事の方が時代の流れがよくわかる。わかりたくないくらいよく分かる。また、意外と下のほうが国際性がある。というのは、日本のコンビニでバイトしてれば同僚にネパール人がいるとか普通だし、オーストラリアのコールズでバイトすれば、休憩室はまるで国連みたいなものです。でもエリート的に上になるほどに旧来の体制色が強い。そりゃそうです。旧来の枠組みの上でのエリートですから。だから保守的になりがち。だって体制壊されたら自分がエリートじゃなくなるもん。

 で、日本の場合は、GHQの占領時代からアメリカの意向には絶対で、それは今もなお続いている。でも日本はわりと楯突いてる方です。バブル前にナンバー2までのし上がったときは、思いっきり叩かれた。今の中国叩きなんか比じゃないくらい叩かれ、なんだかんだ因縁をつけられて潰された。そしてアメリカの意向を正義とする論者やら権力機構が国内にうじゃうじゃいる。それでも、なんだかんだ言い逃れて、適当に妥協して、適当にサボったりしている。けっこう日本もしたたかだと思いますよ。

 その点、オーストラリアは兄貴分であるアメリカに逆らえなさ過ぎ。昔むかし、まだクリントンが大統領だったとき、オーストラリアとアメリカが利害対立したことがありました。インドネシアだったかに小麦を輸出してるんだけど、アメリカが国内農家保護をするからダンピングまがいに安値で売るから、オーストラリアの農家はさっぱりになってしまったことがあった。アジアのどっかでAPECだか国際会議があって、クリントが休暇もかねてオーストラリアに遊びに来て、ブリスベンだかどっかに泊まってゴルフやって、ときのハワード首相もご相伴でやった。そのときに、「(小麦について)アメリカに文句を言うんだ」「男らしくバシッと言ってやれ」とか国内ではわいわい言われてたんだけど、結局、へらへら笑いながら、切り出すこともできず、何もいえず、それで終わりという。めっちゃ情けない。まだ日本の方がマシですよ。

 そのくらいオーストラリアの上層部というのはアメリカに弱いんだよね。僕もこれは意外で、オーストラリアの平均人は、アメリカなんかむしろ見下してるくらいだし(人間らしく幸せになれるという点ではオーストラリアの方が断然優れているという意味で)、コンプレックスもないし、そもそもアメリカ=悪魔という中東系の移民も多いのですよ。世界レベルでもアメリカ好きな奴よりも嫌いなヤツのほうが多いでしょ。だけど、上の方にいくとそうでもない。あれはなんででしょう?なんか上の方には、まだ宗主国大英帝国とか、アングロ・サクソン内部での格付意識みたいなもんがあるのかしらね?それがオーストラリアの政治的上層部、特にリベラルパーティ(ナショナルとレイバーはそうでもないと思うけど)の病気なんですかね。

 で、モリソン首相はその権化みたいな存在に思えるわけですよ。そうでもなければ、あそこまでムキになって中国敵視をしないだろうしね。アメリカに言われたら何をおいてもやりまっせー、なんでもやりまっせー、鉄砲玉なら私におまかせをって感じ。その点、自国産業を守るために、中国との貿易を進めてて、ファイブアイズからは一線を画しつつ、しかし中国に対しても経済と政治は別なので、政治的に問題があったらそれは言うし、対立もするとは思うけど、それと経済は別だよって言ってるNZのジャシンダ首相の方が賢いと思う。

 そうなると、アメリカ本家の内部が変わってきて、コロナとか思想統制とか、そういうエキセントリックなことはもういいやって流れになってくると、オーストラリアは(モリソンは)ハシゴを外されてしまうのですよね。これでアメリカが中国と対話路線とかやりはじめたらどうなるんだって気もしますね。いっときの対露でグルジアを焚き付けて、切り捨てたみたいに、「あれはオーストラリアが勝手にやったことですよ」「あんな馬鹿はほっておきましょうよ」とか言われたら(でもありがち)悲しすぎるぞ。でも、まあ捨て駒なんかそんなもんでしょ。オーストラリアが今後も頑張ってコロナ感染ゼロとかムキになってる間に、だんだん世界から取り残され、しまいにはアメリカから「お前、まだコロナとかやってんの?馬鹿じゃね?」とか言われたらほんと立つ瀬ないよね。

 そのあたり、アメリカの進展とオーストラリアの関連がどうなるか、興味深く見守っています。


個々人のレベル

やることは同じ、順番が前後するだけ

 さて、いつもの話ですけど、こういう流動的な状況で僕ら個々人はどうすべきかですけど、周囲が流動的であればあるほどマイペースでやればいいんじゃないの?といういつもの話です。

 ちょっと前の50歳がスタートラインだという説からしても、2−3年足踏みするなら、それもまた良しです。人生にはそういう時期は必ずありますから。そこで腐らず、メゲず、淡々と学び続けられるかどうかでしょう。それに人生の足踏み期間は、2−3年どころか、下手したら10年、20年単位で足踏みしますよ。しかも周囲はどんどん進んでいくのに、たった一人自分だけが泥沼やらトンネルやらに生き埋めにされていて、やってもやっても進んでいる気がしない、必死に駆け上がったと思ったら地すべりでドドドとまた元の地点に戻されたり、そんなことは普通によくあります。世界中誰も彼もがスタックしてるんだったら、単に皆と同じく渋滞につかまってるだけのことで、それほど不幸なことでもないです。

 「何をしたかではなく、なにを学んだか」でいえば、ここんところ学びの宝庫ですよね。まず個人的に話が進まないなら、進まないという状況にどう対応するかということが学べます。

 こういう場合はどんどん本来の動機の部分を上流まで遡っていくといいです。例えばオーストラリアに行きたいけど行けないというフラストレーションがあったとして、そもそもなんで行きたいの?があり、なにを得るために行くの?という原点がある筈。それが例えば永住権をゲットするというのなら、今ポンと行ってもゲットできるの?そのためにやるべきことは山程あって、それは現地でやるべきこともあるけど、別に現地に行かなくたってベーシックな人間力などはどこででも養える。てか下手にこっちにきちゃうと滞在するだけでコストがかかるんだから(授業料を払って学生ビザを取り時間を買うなど)、そんな抜本的なことをやってる余裕がない。授業料の支払いに追われ、バイトに追われ、帰ってきたらバタンQという日々になるから、逆に抜本的なことをやってる余裕がないののだよ。ならば時間をかけて日本で養えばいいではないかという考え方もできる。

 また永住権を取ったところで、人生の問題などほとんど解決しません。するんじゃないかと思いたいだろうけど、別にそんなことはないよね。トータルな戦略絵図面からして、日本に居るしかない、逃げ場がないという状況はよろしくないなと思うからどっか他の国も選択肢に入れようと、オプションを増やそうというのが本来なのだから、全体からしたらわりと補助的な作戦でしかないでしょ。問題は、そうやって陣地を増やし、オプションや自由度を増やし、さて、それであなたは何をするの?出来るの?です。あるいはチャレンジングなゲームをやることで自分の総合力を鍛えようというのは全然アリだけど、なかなか始まらないというフラストレーションもまた、鍛えることの中の1プロセスではありますよ。だいたい、死ぬ思いでポイント稼いで永住権申請をしたはいいけど、放置プレイが延々続いて、生殺しの宙ぶらりんが続くわけですよ。「待つ」というのも重要なスキルですよね。

 あと学びどころとしては、政治や社会の流れ、特に国際政治の流れですけど、いかにいい加減に流れているか?です。そんな理路整然と物事が展開しているわけでは全然無い。でもそれは当然の話で、誰だって生存をかけて必死で生きているんだから、いろんな思惑が乱れ飛ぶだろうし、立派な、あるいはセコい画策もするだろうし、そんなグループやら人々やらが大量にいるんだから、最終的にそれらの力が合成されて右に傾くか左に傾くかは、か〜なり偶然の産物であったりするのでしょう。また、皆のなんとなくの世界観やただの感覚が合成され集合的無意識みたいなものになるのでしょうが、その生成過程や展開予想は全く未知数だとも言える。陰謀論的にすべてが仕組まれているとかいうのは無いと思うし、仮にあったとしても、限りなくあるセコい画策のなかのone of themでしょう。ゲッペルスがいかに史上最強の洗脳の天才だとしても、数年も持たずにナチスはコケているわけで、結局実を結んでいない。今世界を見回してもゲッペルスレベルの天才なんかいそうにないし。

 気をつけていれば細かな変化は、日々わかると思います。メディアなんかでも、微妙に表現が変わってきたり、画像の選び方が違ってきたりとか、それは何を意味するのか?とか。でも記憶力を鍛えておいて、10年前と何が違うか、20年前と何が違うかを見てると、大きな流れみたいなものはわかりやすいと思います。てか若い人だったら、自分よりも10歳、20歳若い人と話をしてみたらいいです。自分らの常識と全然違ってたりしますからね。

 最近、10〜20代の約半数、ほぼテレビ見ず「衝撃的データ」という記事があって、若い人の半分はそもそもテレビを見ないのかという話題になってるそうだけど、僕自身は「まだ半分も見てる奴がいるのか」というのがむしろ衝撃で(笑)。前回調査の2015年のときは、16-19歳で71%見てたのが一気に47%まで減少、20代は69→51%(18%減少)、以下、30代63%(同75%、12ポイント減)、40代68%(同81%、13ポイント減)、50代83%(同90%、7ポイント減)、60代は前回と同じ94%、70歳以上は95%で1ポイント減らしく、上にいくほど旧態依然としてテレビにかじりついている。僕と同世代の60代94%ってなによ?って感じですよね。僕は日本にいる頃から(昭和の頃から)テレビ見ませんでしたけどね、見てるヒマないし、面白くないし。ネットがない時代ですらそうだったけど、僕のことはさておき、若い人ほど見てない。そりゃあんなつまらんもん、見ないでしょう。

 その是非はともかく、テレビを通じての洗脳やら扇動やらはもう段々通じなくなるということですね。上の世代は、僕も含めて、「時間の問題」で死に絶えるんですから。

 これは何を意味するか?ですけど、前にもちらと書いたことあるけど、この世はこうなっていて、こういうシステムがあって、それによって皆の人生が決まってるんだよという世界観がありますが、それ自体の揺らぎです。陰謀論であろうがなんだろうが、このパラダイムの範囲内です。この世界に起きていることは、統一的に意味があって、頑張ればそれを大まかにでも把握できてという「世界は実在する」みたいな世界観ですけど、もうそれ自体が段々なくなっていくんじゃないかって気がします。

 テレビやメディアが退潮して、ネットの時代になって、SNSが盛んになって、、とか言われてたのは10年前で、今は逆に落ちてきてるような気がしますね。FBなんかでもゆっくり死につつあるかのような気もします。もう往年の「勢い」はないね。今回の不正選挙でミソをつけたけど、それとは別に、もうだんだん時代の流れから取り残されつつあるのかなーという。直感ですけどね。

 同じようにネットのSEOとか、僕もいっとき頑張ったけど、最近は全然無視ですね。もうどうでもいいわって。だいたいGoogleの検索機能それ自体が劣化してると思ったのが数年前で、だから今回の不正選挙からみとはまた別です(それも影響してるけど)。それに実感として言えば、SEOなんかやってもそんなに意味ないわって感じですね。

世界は実在しない(笑)時代

 ではどういう時代になっていくのか?といえば、「世界は実在しない」ってことはないけど(笑)、大きな統一的な世界があって、そこに巨大なヒエラルキーがあって、、というのではなく、小さな世界が無限に乱立しているという世界観です。そして、そういう世界観の方が実はリアルなんじゃないか、そうは言語化はしないでしょうけど、なんとなく広がりつつあるような気もします。

   すごく簡単な例証をすれば、流行というものの神通力が落ちてるんじゃないか。歌番組のベストテン的な「今なにが流行ってる」的な価値がだんだん下がってきて、あんまり興味を持たれなくなった。だからベストテン番組は消滅していったでしょ?同じように、世代でいえば、「今なにが流行ってる」とか、「世間で話題の」とかいうフォーマットの頭を持ってる人は、30代以上の「年寄り」だと思いますよ。リアルに若い人は、そんなに興味ないような気がしますけど。生まれながらにありすぎるほど豊富な情報な物財に囲まれていたら、必要なのは個人パーソナルなチョイスであって、皆の動向ではない。ごく自然に自分を大事にするほど、皆の動向などどうでも良くなる。だから今何が流行っててとかいうことに、それほど興味がないのでしょう。

 「今何が〜」というのは、皆で同じ物を見てる、考えているというのが当然だと思っていることでもあり、いわば戦後の街頭テレビで力道山を見ていた頃と変わってないわけですよ。そういう街頭テレビ的な頭のフォーマットをしてたら、もう年寄りだよ〜と、僕に言われてしまうという(笑)。

 それが何なの?といえば、冒頭の政治なんかもそうだけど、政治って「皆でなんかやる」ものの最たるものでしょ。それがこんないい加減なんだよね。もううんざりだよね。もうどうでもいいやってことで、国家体制そのものが静かにメルトダウンしていくような気もしますね。もちろん目に見えてどうということはないですけど。

 10年以上前のエッセイでも書いたけど、もう頑張って全体の世の中を良くして、その良くなった恩恵を自分もあずかって、それで自分の人生を向上させようというフォーマットだけではダメかもと、それはそれでやればいいし、離れることもできないし、大した手間がかかる話でもない(選挙にいくとかそのくらいだし)。でも、そういうフォーマットではなく、天下国家がどうなろうとも、それは天候や気候の変化を察知し備えるという程度の意味で、自分の人生はそれとは全然違った原理と違った世界で成り立ってるんだ、だからそれとは異なる展開原理がいるんだって。その頃は直感的に思っただけだけど、いや今でも直感のままだけど、実際にもそうなりつつあるような気がします。

 だって、日本で言えばコロナもオリンピックも、これが昭和の頃なら皆して「わー!」って感じで熱が入って賛否をやってたように思うんですけど、昨今の、なんと言いますか、気だるい感じ?気の抜けた感じ?、「まだそんなこと言ってるのか」的な感じはどうしたことでしょう。「皆で〜」とかいうフォーマットの嘘くささ、リアリティのなさは何なんだって思いますもん。

 そういう意味で言えば、アメリカの覇権ビジネス〜とかいうのも段々リアリティを失っているのかもしれないです。あれは人類全体にあるべき価値観、あるべき秩序があって、それに基づいてすべてが決まっていくというモデルをベースにしているわけなんだけど、別に人それぞれでいいじゃん、そんな何もかも決めなくていいじゃん、皆一緒でなくたっていいじゃんってという大きな流れの中で藻屑と消えてしまいそうな気もしますね。






文責:田村


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