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Essay 988:小説:ウサギとカメのその後の話
〜2500年世界で語り伝えられたこの寓話、「その後」を勝手に想像しまくって小説にしてみました
2021年04月25日
写真は、当然というかなんというか、Newtown
2500年続いたウサギとカメという話の訴求力
ウサギとカメの話は誰でも知っている。「誰でも知っている」というところがポイントで、なんでこんなに誰も彼もが知っているのだ?それほどの話なのか。
確かに思わず何かを考えさせられる話であり、その証拠に全世界で語られている。それも2500年も語られ続けてきているのである。2500年である。日本書紀や古事記なんかよりももっと古いのである。ちょっとスゴ過ぎないか?
もとは紀元前(600年)の古代ギリシャの奴隷であったアイソーポス(英語読みでイソップ)が語ったと言うが、アイソーポス自体、伝説上の人物とする説もある。ヘロドトスの『歴史』にその存在が記載されているだけで、本人自身の著者はなにもない。要は面白い話を語る芸人みたいな存在だったのだろう。後にイソップ寓話として編纂されているが、彼が語ったものだけではなく、関連するようなものをぶち込んだ感じである。また似たような説話は世界各地の民話にあるらしい。
ともあれ、紀元前の昔から数千年にわたって全世界的にウケ続けた話なのだから、話そのものに何らかのインパクトや訴求力はあるのだろう。世界植民地化の一番最後になった辺境日本にさえこの話は伝わっているくらいである。イエズス会の宣教師が1593年に伝えたと言われるから、関ヶ原の戦いよりも前である。キリシタン弾圧ととも途絶したかと思えば、しぶとく生きのび、江戸期になって「伊曾保物語」として出版され、明治になってからは学校教育でも取り入れられ、しまいには「もしもし亀よ亀さんよ」という歌まで出来ているのはどうしたことだろう。アイソーポスも、自分の死後2500年、極東日本で歌まで作られているとは想像してなかっただろう。
この調子でいけば、おそらくは人類が絶滅するまで語り継がれていきそうな勢いである。しかし、あらためて思うが、それほどの話なのだろうか?
話そのものは短くてシンプルなのだが、およそ万人に「自分にも思い当たるフシがある」と思わせるものを含んでいる。明治期の日本の教科書では「油断大敵」というタイトルで紹介されたというが、ちょっとした油断が命取りになり、慢心は禁物であるというのは実践的には非常に役に立つ。また、カメのように一見ドン臭いような努力でも継続していけば大きな成功につながるのだ、というのは、多くの人たちにとっては励みになるだろう。これが2500年も語り継がれてきたということは、人類というものは誰でも、どこでも、常に調子こいては失敗していたということであり、同時に真面目に努力してるときは「いずれ実を結ぶ」と信じたい生き物なのだろう。なるほど、まるで経絡秘孔のように、人類の弱いところを突いてくるではないか。
が、それだけで済ませてしまうのはあまりにも勿体ないので、「何事かを考えさせてくれる」この物語を発射台として、自由にどんどん想像を膨らませてみました。小説というか、随筆というか、まあ与太話です。
ウサギとカメのムーブメント
ウサギとカメのレースが、予想外の亀の勝利に終わったことは、ひときわセンセーショナルに伝えられた。誰もが予想していなかった結果だったし、こういうネタはメディア的には非常においしいからである。「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛んだらニュースになる」とよく言われるが、非常に限られた例外ケースであるからこそ、ニュース価値が生じるのである。このことは我々に大事なことを教えてくれる。すなわち人々(我々)が望んでいるのは「この世の真実」ではなく単なる「ひまつぶし」であり、メディアの使命はこの世の真実を伝えるのではなくヒマツブシのネタを提供することである(少なくとも商業的には)という事実である。まあ、誰もが知ってることではあるが。
ともあれ、「カメ奇跡の大勝利!」のニュースはセンセーショナルに語られまくった。
ニュースでは連日報道され、ワイドショーでは、自称知識者やら芸人やらが、この件にかこつけてどうでもいいような主観的な意見を垂れ流した。また至るところで、あることないこと(ほとんどが「ないこと」ではあったが)が語られた。やれ、実はこの両者は不倶戴天の敵であり、その因縁は三代前まで遡るとか、実は亀は足を怪我しており、それでも必死に頑張ったという感動の大安売りだったり、最初から仕組まれていた八百長疑惑なんてのもあった。
テレビは、動物学者が引っ張り出されて、カメの歩行速度やウサギの跳躍能力など何だかんだ解説させられ、自称教育者と称する人々が教育哲学にひっつけて語りついでに自分の学校の宣伝をしたかと思えば、たまたまレースの会場になった自治体の首長や議員がコメントを発表し、ついでに次の選挙のために自分を宣伝した。次の選挙がかなりヤバい政権党内では、カメに国民栄誉賞をあげてはどうかという話もでたらしい。
予想されていたことではあるが、不撓不屈のカメの根性を精神論的に称揚する一群が群がり出てきた。面倒くさい考証作業や、サイエンティフィックな実証研究がいらない精神論は、エラそうなことを言ってカッコつけたい人達には、常にフェバリットの題材である。大体のフォーマットは決まっていてカメ賛美が「上の句」で、「それに引き換え今の○○は」という文句が「下の句」である。
カメの根性をストレス耐性と意訳し、あれこれ語る心理学者や精神医学者も無数に出てきたし、スピリチャル的に解釈する流れも山ほど出てきた。いやこれは当日の運勢がどうとか、方位が悪いとかいう者もいた。あわよくばブームにならないかと目論むスポーツ団体、フィットネス業者、スポーツ用品業界などが、ただ歩いていただけのカメの歩き方を「勝利の走法」とネーミングをし、そのコンセプトで商品開発がなされて大々的に売られた。
ありとあらゆる人が便乗商法を考え、実行した。
便乗する商法を持たない者は、職場のランチで、飲み屋で、ネットのSNSであれこれ熱く語った。
やはり2500年語られ続けただけあって、この物語は人に物を考えるように仕向けるし、思わずなんか言いたくなる誘引力があるのだろう。単純にカメ賛美をする者、ウサギを嘲笑する者、誰かのコメントにいちいち難癖をつける者、その難癖にさらに難癖をつける者、壮大な馬鹿騒ぎを非難するものが、議論になったり、罵倒になったり、泥試合になったり、最後にはスラップ訴訟をしかけて敗訴する者もいた。
一方、当然のことながら、ウサギがレース中にここまで深く寝るのはおかしいという疑問(ツッコミ)も呈され、これはウサギが一服盛られたのだ、カメ陣営の悪辣な企みがあるのだという陰謀論も語られた。
陰謀論とまではいかないまでも普通に合理的に疑問を出すものもいた。なぜウサギはゴールしてから寝なかったのか?という点。「余裕をみせつける」という意図があったとしても、それはゴールして勝利を確定してからでもいいわけであり、なにもゴール前に寝なくても良いではないかという意見もあった。
では、当事者であるウサギとカメは、その日以降どのように過ごしていたのだろうか。
ウサギの後日譚
思わぬ油断から負けてしまったウサギのその後の人生(”ウサギ生”というべきだが、いちいち面倒なので、「ライフ」という意味で人生という)はどうなったのだろうか?
痛恨の失敗をしてしまったウサギには、ありとあらゆる嘲笑と罵声が浴びせられた。これが一生懸命やった上での負けであるなら、まだ救いもあるし、慰めようもある。「よく頑張ったよ」と言ってもあげられるのだが、頑張って「ない」から救いがないのである。
この件に関する限り、ウサギには何も言い訳もできない。最初っから徹底的にカメを馬鹿にして、カメいじめみたいなレースをやってるのだから尚更である。動機も不純なら、競争形式も自分に有利なやりかたを押し付けたかのように見られ、失敗の内容も「ことさらに余裕をみせつけ、カメの屈辱心を煽る」というどーしよーもない意図のもとに昼寝をし、それで寝過ごしているんだから、邪悪&阿呆であり、フォローのしようがないのである。周囲の反応としても「ざまあ」以外のものはない。
直後は、ウサギも、己の失敗の大きさに青ざめるというよりも、「ありえない!」という気持ちが先行し、「今のなし!」「もう一回だ!」とカメに迫ったのだが、カメに体よくいなされ、かつ周囲からは「往生際が悪い」「恥の上塗り」などディスられまくった。
ウサギの失敗は、おもしろおかしく悪意に満ちた表現で語られまくり、あまりのバッシングに表も歩けないくらいであった。ウサギの家には、石が投げ込まれ、塀にはペンキで落書きをされ、どこで調べたのか先祖伝来のウサギの墓石まで汚された。もともと体調の思わしくなかった母親は寝込んでしまい、ほとんど破局同然だった父親はこの機会に家に寄り付かなくなった。妹は学校でいじめられるからといって、不登校になり、ひきこもりになった。
世間の罵声もきつかったが、もっとキツイのは同じウサギ族である。「一族の面汚し」「ウサギ族の顔に泥を塗った」「名誉を挽回するまで村八分にする」など、さんざんである。
最初はひたすら縮こまってビビってたウサギも、こうも好き勝手言われ放題だと、だんだんムカっ腹が立ってくる。そりゃ、馬鹿にされても、ディスられても仕方ないけど、いくらなんでもやりすぎじゃないか。別に法を反したり、犯罪をおかしたわけでもないし、誰も傷ついてないし、死んでもいない。あー、そうだよ、俺は、自慢しいのイヤなやつで、おっちょこいのドジですよ、そのとおりだよ、だからもういいじゃないか。なんで何も関係ないやつが、鬼の首でも取ったようにエラそうにマウントしてくるだよ、ふざんけんな。
夜更けに家の外でなにやら物騒な物音がした。
くそ、また石でも投げ込んでくるのか、ペンキでも塗りたくるのか、いい加減にしやがれ。その頃はすっかりそういうことに慣れてしまったウサギではあったが、それでも心穏やかではいられない。耳を澄まして外の気配を窺っていると、押し殺した声で罵声の応酬と揉み合うような物音がしてきた。
何やってるんだ?と不審に思って、玄関まで出ていこうとしたら、その玄関に呼び鈴が鳴った。誰だ?と思う間もなく、陽気な大声で名前が呼ばれた。とても親しげでフレンドリーな感じだったので、玄関を開けたら、数人の個性的な連中が立っていた。
真正面にいた、ガタイの良い男が、「おー!久しぶりい!」と満面の笑みを浮かべて叫んだ。どこかで見覚えのある面差しをしていた、あ、、、小学校の時の友達だったケンジ君?
もしかして、ケンちゃん?
おー、覚えとってくれたかー?せやせや、3組のケンジや。なつかしーなー、おい、十何年ぶりだよな、ガハハ。ウサ、おまえ有名になったやん?すげーよな。でもさ、なんか家に石投げられたり、ペンキ撒かれたりしてるんやて?それってキッツイよなあ。俺さあ、そういうコソコソした奴めっちゃ嫌いやし、見張りでもしたろうか思って勝手に来たんやわ、そしたら案の定やろうとしてた奴らがおって、ここで会ったが百年目やって、説教かましてちょっとボコって。土下座してるところを撮ってネットに上げといたさけ、もうああいうことする奴らは滅多にけーへんと思うで。
あ、こいつらな、俺のツレ。なんとなく気が合うからつるんでるんだけど、俺がウサのところに行くわゆうたら、ウサに会いたいっていってついてきたんだわ。
あらためてケンジくんの後ろにたってる二人を見た。二人のうち一人は、パンツが見えそうな超ミニの色っぽいお姉さんで、もうひとりは見たこともない前衛華道のような髪型をして、そんな服どこで売ってるんだ?という服を着た超個性的な若い男性だった。その二人の後ろにはさらに数名のいかついお兄さん達が神妙な顔をして立っていた。
自宅の内外でワイワイやってるのも近所迷惑だし、また噂になるしで、どっか行こや、ウサ、時間あるやろ?ファミレスでもいこ、このへん、いいとこあるか?
珍妙な集団が、周囲の注目を一身に浴びながらぞろぞろとファミレスに入って、ひとしきり喋った。
ケンちゃんは、親の転勤で大阪に引っ越してしまったこともあって、すっかり大阪弁になっていて面食らったけど、話してみたら昔のままのケンちゃんだった。小学校の頃から妙に気が合った。俺は足が速いだけが取り柄で、あと何もできない、深いこと考えるのが苦手で、感情のままストレートに動くタイプ。ケンちゃんは、体が大きくて力が強いのだけが取り柄で、あとはまったく俺といっしょで、そんなところが合ったんだろう。喧嘩は一層強くなったみたいで、地元では結構な顔らしい。かといって反社的な組織にはいるわけでもなく、チームを組んでるわけでもないのだけど、人柄と腕っぷしが慕われて、結構な取り巻きもいるらしい。ファミレスにもその取り巻きである恐いお兄さんが何人か来てたが、一様に礼儀正しかった。それどころか俺を尊敬してるとか言うもんだから、びっくりした。
いや、ウサギさん、テレビで啖呵切ってはったでしょう?あれ、シビレましたわ。
え、啖呵?なんのこと?ああ、自宅にテレビのレポーターが押しかけて、ダメだって言ってんのに勝手にドアをこじ開けて、「今のお気持ちを一言でいって」とか、「この社会的問題の責任はどう取るつもりですか」とか好き勝手なこと言うから、だんだんブチ切れてきて、言い返したんだけど、興奮してたから自分では覚えていないぞ。なんか言ってた、俺?
言ってましたよー。「お前らに何の関係があるんだ」とか、「なんでお前、そんなエラそうなんだよ、意味わかんねー」とかとか。
そうそう、サイコーだったのが、「社会的問題?しらねーよ、そんなこと」「てめーらの存在の方がよっぽど社会的に問題だろうが」ってバーンと言って。
その次がもっとサイコーで、マイクを突きつけてくる一人ひとりに対して「お前さあ、こんなクソみたいな仕事してて恥ずかしいとか思わない?」「親が泣くよ」「お前が心を入れ替えて辞表出したら答えてやるよ」とかさんざんまくし立てて、あれでシーンとなっちゃいましたもんねえ。あれ、ライブだったから局もカットできなかったんですよね。
いやあ、俺らも似たようなこと言われとったんで、なんでおどれがエラそうに言うねん、このクソボケがあって思ってたから、ああやってバシッと言ってくれると、ほんま胸がスカーッとしましたわ。あんなクソメディア、どつきまわしたったらええねん。
いやいや、ほんまに、ウサ兄さん、サイコーやわって、皆で言ってて。
そ、そうなの?
そうそう、俺も見てたで、あー、ウサやー、なんやこいつ全然変わっとらんなー、小学生の時にクラスで先生につっかかっていったときとまんま同じやんかって思ったら、なんかめちゃくちゃ嬉しなってきてなー、テレビの前で大笑いしてたんよ。
あ、こいつらもあのテレビ見て感動した口やねん。こっちのエロいお姉ちゃんは、ショーコさんゆうて、まだ19やねんけど、すでに3歳の子供がおんねん。子育て金かかるわーって、それまでキャバやってたんやけど、今はもっと稼げる風俗で頑張ってはんねん。ウサもいっぺん行ったって。
ショーコでーす。うわあ、生ウサさん?感激だわー。うちの店でもウサさん大人気なんだよー。
え、なんで?俺、超ダサいじゃん?
そんなことないよー、ダサくないよー。それにあの傲慢レポーターにガーンと言えるのは凄いと思うし、でも、それ以上に、あのときウサちゃん、涙目だったんだよ。涙目うるうるさせながら、バッキャロー!とかいってる男子って、もうキュンキュンきちゃうんだよー。新鮮でとれたての、、なあに?心っていうか、そう、魂ね、魂を思いっきりぶつけてくれたみたいでさ、もうテレビの日はさ、店の中の女の子たちでウサちゃんサイコー話でキャーキャー盛り上がって。
あ、そんで、妹さん、ひきこもってるんだって?私も中学の時そうだったけど、今度つれておいでよー。女の子ばっかでお話しようよ。あなたのお兄さんは、めっちゃカッコよくて、めっちゃモテてるんだよって教えてあげるからさ。
そう、僕も、その涙目にやられちゃったんですよ、と、もうひとりの超個性的な青年が語りだした。
こいつバンドやってんねん。「魔太郎」くんゆうて、ワケわからんロックやって、ライブハウス出禁になったり、路上でやってポリに捕まったり。でもえらいガツンとくる音なのは確かやで。あと二人、負けず劣らずけったいなメンバーがおって三人編成で、それはもうおどろおどろしいステージで。
いや、ウサギさんの魂の叫びみたいなものが、すっごくて、ああ、これがロックだと思ったんですよ。音楽じゃないけど、全然ロックじゃんって。大体ですよ、後先考えないでゴール前に寝ちゃうなんて、めちゃくちゃロックしてるじゃないですか。計算なんかしないで、天然でそれってのがすごい。あまつさえ寝過ごすなんか最高すぎますよ。で、きわめつけは全世界を敵に廻しての涙目絶叫でしょう?もうロックそのものですよ。
ウチのバンド、入りませんか?ボーカルで。ウサさんの声質、冗談抜きでイケてますし。今僕がギターとボーカルなんですけど、僕ダメなんですよ、どっかしら頭でっかちで。やっぱボーカルって存在感なんですよ。上手い下手以上に存在感。ウサギさん、それがあるもん。だって僕、ゴール前に寝るとかできないもん。とりあえずゴールまでいって勝利確定しておいてとか、そういう保身に走るんですよ、僕は。ロックとか言ってるくせに、そんなちっちゃな人間で、そんな自分が大嫌いで、でも嫌いだからこそ好きになりたくて音楽やってるんだけど、、、
堰を切ったかのように熱く語りだす魔太郎くんの話は面白かったが、面食らいもした。
け、ケンちゃん、悪い、俺、混乱してる。いきなり夜にこんなにファンみたいな人がやってきてくれて、なんかすごいいいこと言ってくれて、涙出そう、でも、なんか消化しきれないよ。
あはは、そりゃそうやろ。別に理解とか消化とかどーでもええやん。俺にしたって、ウサの家大丈夫かって見に来ただけだし、運が良ければ会えるかなくらいの気持ちやってん。でも、会えてよかったで。また、遊びにくるし、どっか行こうや。こいつらだって、もとはバイト先で知り合ったり、同じビーチでバーベキューして知り合ったり、そんな感じでツルんでるだけやし。そんな深く考えることないで、どうせ、俺もウサも頭悪いんだしな、考えてなんとかなった試しなんか無いやろ?あはははは。
不思議な夜だった。想像の斜め上とか下とかではなく、異次元空間から降って湧いたようなケンジくん御一行様だったが、ひさしぶりに人心地ついた気分がしたし、なんかこれを機会に新しい扉が開いていくような気がした。
たしかに新しい扉は開いた。
気持ちのいい連中は最初のケンジくん達くらいで、あとは気色悪いのばっかりだった。
ウサギの立場で独占インタビューをして、逆張りで目立とうするとフリールポライターと称する奴とか、本を出せとか、知名度をいかしてYouTuberになろうとか、俺をネタにして一儲けしようと企んでる奴らばっかりだった。
そうでなければ、心が弱ってる俺がいいカモに見えるのか、新興宗教の勧誘やら、心の癒やしがどうしたこうしたとか、あと、なんでもかんでも世間の大勢に逆らうのが生き甲斐みたいなアンチな人達も仲間に入れと言わんばかりにやってきたりした。
あー、うざ。
たかがカメとの競争に負けたくらいで、ここまで人生変わるもんかね。てか、本当に変わってんのかな。でも、前よりもなんか見えるような気がする。金儲けとか、勢力拡張とか、なんらかの思惑で俺に接しようとする人達と、そのへん何もなくてストレートにきてくれるケンちゃんみたいな人達、そして腫れ物に触るように遠巻きにして見てるだけの大多数の人達。
ふーん、いろいろいるんだ。
「悪名は無名よりもマシ」っていうらしいけど、意味わかったわ。自分がバーンと出てしまうと、それで離れていく人、ディスる人、遠巻きにする人、そして寄ってくる人、きれいに分かれる。自分で頑張って選別しなくても、勝手に分離してくれる。ある意味、気の合った友達をみつけるのは一番簡単なのかもしれないな。
だけど、落ち着いてくると、肝心のことをやり忘れてるのに気がついた。
ああ、いけない、これだけはやっておかないと。
カメの後日譚
ウサギとは真逆に、カメは一躍時代の寵児にになった。メディアでは連日カメ特集を組み、感動のドラマを繰り返し繰り返し報道した。
あの日から、僕の周りに、見慣れない人達も沢山寄ってきた。
マネージャーやら、エージェントやら、プランナーやら、プロダクションやら、企画屋やら、ファイナンシャル・アドバイザーやら、何がどう違うのかすら僕にはよくわからなかった。しかし、一応に物腰は柔らかく、紳士的な人達だったんで、話は聞いてみた。
そのうち親の方がノリノリになってきた。「いや、これは冗談抜きで億単位の話になりますからね、法的なこととかきちっとしておかないと」などと言われ、「億単位」というところでピピッときたのかもしれないけど、なんかそわそわしはじめた。そんな親の姿を見るのは、ちょっと複雑な気持ちだった。
僕の「担当」とかいう人が決まった。物静かで知的で、図書館の司書でもやってそうな人だったけど、言うことの歯切れは良かったし、行動もテキパキしていた。その頃は、毎日のようにテレビ局の取材やら、出版社からの企画書やら、映画企画やら、テレビ出演やらきていて、素人にはとてもさばきれなかったから、担当の人がそれらをちゃっちゃと捌いているのは助かった。後になるほどカオスになってきて、寄付金のお願いだけでも数十件という単位で来てたし、なにを勘違いしたのかどっかの政党から公認候補になってくれって話すら来てたのだ。担当の人は、あくまでも物腰は柔らかいのだけど、およそ誤解の入り込む余地のない言い方で、ひとつひとつピシャって断ってくれていた。僕だったら、あうあう言ってる間にどんどん付け込まれていただろう。
担当の人は、僕のことを「先生」呼んだ。年長者から先生と呼ばれて目を白黒している僕に、「価値というものはね、目に見えないものでしょ?だから自分で演出していくしかないんですよ」「それに僕がそう呼ぶだけでの話で、カメ君は別に普通にしてくれてたらいいんですよ」ということで押し切られた。僕の担当の人が、僕のことを先生と呼ぶので、メディアの人や他の人も、自然と僕を先生と呼ぶようになった。なんか変なの。
たしかにインタビュー一つとっても、普通の事件の当事者へのインタビューだったら謝礼もゼロって感じがするけど、相手が「先生」だったら取材料を包まないといけない気分になるというのは、なんとなくわかってきた。なるほど、そういうもんか。「カンパ」というと出さなくてもいい感じがするけど、「会費」「香典」などの名前がつくと出さないわけにはいかない雰囲気になる。演出ってそういうこと?
「どんな取材も受ければいいってもんじゃないのですよ。ステイタスの高い雑誌やら場など、露出は選んで、自分の価値を高めていくんです」「ま、そんな面倒なことは僕の仕事で、カメくんは、普通にしててくれたらいいですから」ということで日々が流れていった。
知らないうちにテレビ出演が決まった。担当の人が決めた「コンセプト」=「努力するくらいしか取り柄がない野暮ったいダメ男君が、奇跡を起こした感動の物語」に沿ってすべてが決められた。担当の人は、スタイリストとも打ち合わせ、それらしい服を選び、番組のプロデユーサーとは綿密に打ち合わせ、想定問答集も作らせた。
カメ君、答え方ってすごい難しいんだよ。カメくんは賢いからすぐ覚えてもらえると思うけど、世間の人が求めているのは、ダメ・奇跡・感動だからね。「今回の勝利で自信はつきましたか?」とかよく聞かれると思うんだけど、そのときに「はい、もうバリバリですよー!」とか答えたらNGだから。世間の人は、「カメのくせに、チョーシこいてんじゃんねえよ」ってすぐに手のひら返しますから。だから自信がついたか?と聞かれたら、「いやあ、僕なんかまだまだですよ」とか「ほんのちょっとだけど、ついたような気がします」とか、押さえた表現をすることが大事です、いいですか?あと態度はあくまで「おどおど」が基本で、ちょっとキョドってるくらいでいいです。エラそうにふんぞり返ったらダメですよ。
何を言ってるんだ?と思った。あんなもんで自信なんかつくわけないじゃん。たまたまウサギ君が居眠りしたから勝っただけの話で、彼が普通にやってたら普通に負けてたわけだし。だから勝ったとすら思ってないんだけどな、自信もクソもないんだけどなーと思ったけど、うまくいえないから、「はい」「はい」と素直に繰り返してた。本心からそう思ってたから、本番でも危なげがなかった。
一過性のブームに終わるところを終わらせないで継続的にお金が儲かるシステムを作る、という点では担当の人は素晴らしく優秀だった。ゴーストライターに自伝を書かせ、印税収入が入ってくるようにもしたし、カメ系のブランドを立ち上げ、デザイナーにゆるキャラデザインを作らせ、ばっちり商標や意匠登録も済ませた。カメの名がつく社名を沢山商号登録もした。まだ出来てもいないのになんで十も二十も登録するのか?ときいたら、悪賢いのが先に登録して許可料払えとか因縁つけてくるのを防ぐためだ、防衛登録というのだと教えてくれた。そういうのは素直に勉強になるなと思った。
こうして核となる名前、ブランド、デザイン、キャラを作り、以降僕に関するものは、全てこれらを表示しなければならないというシステムにし、何もしなくてもブランド使用料が入ってくる仕組みを作った。
カメブランドはどんどん増殖していった。最近では幼児教育の方面にも進出しているらしい。そこそこ学問的業績もあり、研究分野や方向性も近い、だけどお金がなくて困ってるどっかの大学の教授を探し出し(どうやって探すんだろう?)、「幼児期におけるソフトな根性論の重要さ」などという分かったような分からないような本を出版させ、本の帯には僕が大絶賛してることになっていた。そのメソッドを体系化し、幼児教育のコースを設立し、かなり高額で売るようになった。高額にすればするほどよく売れるものらしい。
でもそんなメソッドやら考え方やら、僕はこれまで考えたこともないし、あらゆるカメブランドの内容は、僕とは全く無関係だった。ただ、最後に僕のカメブランドが王冠のように載るだけなんだけど、不思議なことにそれだけで売れた。
担当の人は、昔大手の広告代理店にいて、商社ともよく取引してるバリバリのビジネスマンだったらしい。若くして独立して野心満々といった感じだった。でも、僕には優しくて、噛んで含めるようにいろいろと教えてくれた。
カメ君がなぜ売れるかって?うん、良い質問だね。そこがポイントなんだ。消費者というのは自分が欲しい物を買うんだ。当たり前のことなんだけど、でも当たり前じゃないんだ。消費者は、本当に自分が欲しいものがわからないんだ。いやわかるんだけど、認めたくないんだ。だから別のものに置き換えて、自分で自分を騙せるようにしてあげるんだ。わかるかい?わからないかな。
カメブランドの良さは、皆に「希望」を与えることじゃないんだよ。本当は皆に「言い訳」を与えているんだ。カメくん、気を悪くしないでほしいんだけど、カメ君が人気なのは、君のドン臭いところなんだ。普通に考えたら、カメ君の歩みは遅い。歩いてるのか走ってるのかわからないくらいだ。努力だ根性だとかいっても、努力してるのか、ただ単に歩いてるだけなのかすら区別ができないくらいなんだ。そこが重要なんだよ。なぜって、努力とか根性とか本当は皆大嫌いだからだよ。だから真面目に努力が出来る人なんかごく少数さ。でもカメくんを見てると、大したことをしてなくても、すごく努力してるような気分になれるんだよ。本当は今の自分の行動くらいじゃどこにも行けないことは皆知っている。だけど認めたくない。そう思って毎日寝るのはつらい。だから、今日はちゃんと努力したぞ、前に進んでいるぞ、しばらくしたら成功だぞって思って、安らかに寝たいんだよ。
つまりさ、カメくんは、努力きらいの普通の人達が、何にもしてなくてもなんかやってるかのような気分にさせてくれるんだよね。だから人気があるんだよ。ネットのスラングで、最初の頃から、「カメる」って言葉が出てきて、最初は真面目に努力するって意味だったんだ。「俺、最近、ちょっとカメってるんだよね」とか言ってね。でも、だんだん意味が変わってきたんだよね。自室にひきこもってネットばっかやってる状態でも「カメってる」ことになっていったんだ。傍から見たらなんにもしてないように見えても、まあ実際何もしてないんだけど、いや、そうじゃないぞ、実はこれが努力になってるんだ、これでいいんだって意味になっていったんだ。だから最近では、ひきこもってるという意味で、「カメってる」という人が増えてるんだ。
だからカメブランドは、そういう言い訳を与えてくれる免罪符というか、お守りというか、そういう感じなんだよね。精神論とか根性とか本当は好きじゃないんだけど、実際にもやってないんだけど、あたかもやってるかのような錯覚にトリップさせてくれるもの、それがカメブランドの本質的な価値なんだ。そして、人間はみんな弱い可憐な生き物だから、カメブランドが廃れることは絶対にないといっていい。
担当さんの言ってることは、なんとなくだけど、わかった気がする。まあね、確かに、僕だって、こんな遅いんじゃ、ウサギくんに勝てるわけはないと思ったし、実際彼がチョンボをしなかったら普通に負けてたわけだし、だけど、他にどうする方法もないから、ただやってるだけだった。それしかないから、それでいいんだと思ってた。僕自身、なんかしら言い訳にしてた部分もあるよなって、それは分かった。
というわけでカメブランドは売れた。どのくらい売れているのか、担当の人が説明してくれるけど、すでに300億とか500億とか桁が違いすぎてピンとこなかった。するとお決まりの節税対策が急務になって、会社を沢山作って、取引があったことにしたり、しまいにはケイマン諸島がどうしたとかいう話にまでなったが、そこまでいくと僕には理解できなかった。
ある日、担当の人が真っ青な顔をして、僕のところにきて、いきなりこういった。カメ君、ごめん、これまで貯めてきたお金、ほとんど全部やられちゃったよ。デリバティブで。ヤバい奴にやられてしまったんだよ、くそお。詳しい話はまたするけど、カメ君とご家族には絶対に迷惑がかからないように処理はしたから、大丈夫だと思うし、カメくんには非常に少なくて申し訳ないけど、年間一千万くらいは入るようにしておいた。それで数百億ぶっとばした罪滅ぼしが出来るとは思わないから、いつか必ずこの埋め合わせはするよ。でも、今、僕は日本にいたら、生命の危険すらある状況で、情けないんだけど、しばらく海外に逃げるよ。ごめんね、カメ君、君とビジネスできてよかった。君の、なんというか、聡明でおっとりしたところに僕は随分救われたし、君は僕の最高の生徒だったのかもしれない。
そういうと担当の人は去っていった。あんな頭のいい担当の人を騙すくらいなんだから、世の中には上には上がいるもんだと感心した。お金に関しては、もともと現実感がなかったので、どうでもよかった。それになんか言い訳をみんなに売ってるというのは、なんか居心地の悪い感じもしたのだから。
ああ、それでも、とカメ君は思った。
子供の頃から足が遅くて、でもそれが劣等感にならないくらい、周りの人は温かかった。なんでも聞いてくれたし、受け入れてくれた。僕がいつかウサギ君みたいに走れるようなれたらいいなと言ったら、大丈夫だよ、頑張ればなれるよとか言ってくれた。
それには感謝してる。今でもおっとりした感じで育ってこれたのは、周りの人達の善意と優しさのおかげだと思ってる。でもね、こういうのは贅沢なのかもしれないけど、あまりにも受け入れられると、妙に心が浮いてしまうんだ。変な隙間が出来る。なんか、僕がこう言ったらこう答えるというマニュアルがあって、そのとおりに言ってるというか、対等のコミュニケーションというよりは、僕がトリートメントを受けているだけというか、、、物足りない部分もあったんだ。
そんな恵まれた僕だから、文句を言ったらバチが当たるし、言うつもり無い。優しくされている環境で文句を言ったらいけないよね。だけど、優しくされるってこと自体、僕は「優しく接しなければいけない対象」であり、暗黙の前提として僕はその人達よりは下にいるという言われているような気がした。すごく微妙な感覚だし、言葉にして自覚したこともないし、何度もいうけど、それに不満はないよ。
だけど、そんな僕の周りで、
「ばーか、てめーなんかが俺に勝てるわけねーじゃん」
って言ってくれるのはウサギ君だけだったんだ。
ウサギくんだけが全く優しくなくて、でもそれは、ウサギくんにとって僕は「優しくすべき対象」ではないということ、ウサギくんは僕を100%水平対等に思っているということでもあるんじゃないか。ウサギくんと話してると、いつもポンポン言われて、いじられてたけど、不思議となんか居心地が良かったんだよ。なんでこんなに言われているのに気持ちがいいのかなと思ってたけど、今ならわかる気がする。
だからこそ、僕が、
「そんなもん、やってみなくちゃわからないじゃないか?」
「おーし、じゃあいいぜ、今からでもやろうじゃん」
「やってみなくちゃ」というのは、僕が悔しまぎれに言い張って、意地っぱりになってるだけで、自分でもやるまでもなく分かるのは百も承知なんだ。でも、ウサギくんは、僕の意地につきあってくれた。「そうだね、いつかなれるよ」とか大人の表現をしておけば楽なのに、ウサギ君もムキになって反論して、言うだけじゃなくて走ってもくれた。何もあんなに全力疾走でビューっと走っていかなくても良さそうなもんなんだけど、ウサギ君、やるとなったら何の手加減もしないし。
ウサギ君は確かにちょっとストレート過ぎるというか、デリカシーがないというか、はっきり言って粗野だし、ときには調子にのっていじめられたりもしたけど、そんなに根が深いものは何も感じなかった。おそらくウサギくんはいじめてるって意識も何もなかったと思う。そう思ったからそう言ってるだけなのは分かる。それで僕が傷ついたってことは全然ない。子供の口喧嘩みたいにやってただけだ。お互い意地を張ってね。
そういえば、ウサギくんがなんでゴールしてから寝ないで、わざわざゴール直前で寝たのかということがいっとき話題になってた。だからウサギは馬鹿なんだよとか、舐め過ぎって意見が多かったけど、僕にはなんとなくわかる気がするんだ。
ウサギ君は、本当は、僕と一緒にゴールしたかったんだ。だからゴールの直前で僕を待っててくれて、でも僕があまりにも遅いから、待ちくたびれて寝てしまったんだ。もちろん一緒にゴールといっても、ウサギくんは僕の前にぴょんと飛んで、「はい、俺の勝ち〜!」って勝ち誇るに決まってるんだけど、そういうことを僕と共有したかったんだ。僕にはわかるよ。僕の馬鹿馬鹿しい意地っぱりに、わざわざ付き合ってくれて、ゴールまでそれを共有しようとしてくれたんだ、と思う。
騒ぎになってる頃、ウサギくんの為になんか言おうと試みたこともあったけど、多勢に無勢で押しつぶされてしまった。そんなの皆聞きたくないって感じで。だけど、僕は今でもそう思ってる。
僕は必死でウサギ君が寝てる横を先にゴールしてしまったけど、本当はあそこでウサギくんを起こしたら良かったんだ。ウサギ君、待たせてごめんね、やっぱ君の方が早かったよって。それをしないで一人だけさっさとゴールしたのは僕で、よく考えたら、僕のほうがよっぽどひどいよな。
ウサギとカメ再び
担当の人が小さく整理してくれていったカメブランド会社で、僕は少数のスタッフとともに今も働いている。一応社長ということになっているけど、やってることは版権管理の事務処理とか、お役所仕事のようなことばっかりだ。でも、そういう地味な仕事は僕には向いているらしく、一向に苦にならない。そんなある日、ひょっこりウサギ君が訪ねてきてくれた。
あれ、ウサギくん、、
よお、カメ、忙しいとこ、悪いな。なんか久しぶりだよな。変な感じで、、、
俺さ、大事なこと忘れてたんだ。だから寝覚めが悪くて。
大事なことって、なに?
俺、お前に謝ってなかっただろ?意地悪なこといってごめんなって。
え、別に、いいよ、そんなこと
いや、ダメ、こういうのはケジメだから、ごめんな!
いいって、別に、僕の方こそ、、
あとさー、やっぱお前の勝ちだって。
最初はさ、俺、単に自分がドジなだけだと思ってたんだよ、ちくしょーカメ、調子にのんなよ、お前が早かったわけでもなんでもないぞって強がってたんだよ。
だけどさ、世間のいうことなんかクソの役にも立たなかったけど、落ち着いて自分で考えてみて気づいたんだよ。俺さ、お前みたいにさ、あんだけ差をつけられたのに、それでもおっぽり出すことなく地味に続けられただろうか?って、いや、ぜってー無理って、俺にはそんなこと出来ねーよ。俺には絶対出来ないことを、お前はやったんだから、やっぱ、正真正銘お前の勝ちだわ。すげーよ、ほんとに。
ウサギ君、そんなこと考えてたんだ、、、、僕、そんな風に考えたことなかった。ああ、やっぱりウサギ君早いわーって。世間がどう言おうが、ウサギくんの方が早いもん。
でも、ウサギくん、あれから大丈夫だった?お家とか大変なことになってるみたいで、僕、心配で。だけど、なんか僕が動くと妙に注目されてるから、動きようもなくて。
あ、ウチ?もう大丈夫だよ。ケンちゃんって幼馴染が心配して来てくれたり、その仲間たちがまたヘンテコで面白い連中で、妹も仲間のなかのお姉さんたちと一緒に遊ぶようになって元気になったし、ケンジくんがいろいろ仕事紹介してくれたり、お母さんの病院探してくれたり、けっこうなんだかんだで前よりいい感じなってるんだ。
そっかー、良かったー
あ、それでさ、俺、一週間でも10日でもいいから雇ってくれない?やっぱ口で謝るだけでは足りない気がして、「ウサギはやっぱ口だけだ」とかいうのもイヤだし、もっとケジメつけたいんだわ。あ、もちろん無給でいいしさ。あのウサギがカメの軍門に降って屈辱の〜って感じで世間がまた俺を笑い者にするだろ?そういう目に合ったほうがいいんだよ、俺はさ。
あはは、ウサギ君、相変わらずだ。でも、もう僕らにメディア価値はないよ。人の噂も七十五日だもん、今更それを伝えたって誰も取材にもこないよ。
え、そうなの?俺ら忘れられてるの?
そうだよー、僕らは仲良く無価値だよ。だからもう気にすんなよ。
それよりさ、今回のことでちょっとお金が出来たから、ウサギくんさえよかったら、二人でなんか会社とかやらない?
お、会社?いいよー、俺ヒマだし、何でもやるよー。何すんの?
ウサギくんは、足が早いからさ、デリバリーの宅急便とか、どうかな。
ひとっ走り行くのは得意中だけど、しかしイメージ悪くない?俺だと。
だから、それを逆手に取るんだよ。前の担当の人にいろいろ教えてもらったんだ。
「ウサカメ宅急便」「今度は眠りません!」ってコピーで売るんだよ。
あはは、いいね、それ。
そんなこと言ってて、また寝たりして。
あ、ありうるかも。
あははは、それじゃダメじゃん
(了)
文責:田村
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