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Essay 985:企画話(その5)〜退屈と迷走の水平飛行に純文学的な輝きを
〜やることがなくなった成熟社会における混迷とそこでの歩き方
〜考えてもわからないからこそ、考え続けるべき。
2021年04月11日
写真は、Glebe。夕方の買い出しにでかけた際に。
なんの企画だっけ?
ここんとこ「企画話」と銘打ってナンバリングしてますが、なんの企画?かわからない人もいるかもしれないので(第一回目に書いてるけど)、改めて。企画というのは2つあって、一つはAPLaCでこれまでやってきた一括パックのノウハウなどを動画にしてオンライン講座として販売しようという企画です。内容的には本家HPに書いてあることが多いのだけど、膨大な活字で稠密に書かれても、読むのがしんどいという人もいるだろうし、またやってみてわかったけど、地図や画像を動かしたりして解説したほうがわかりやすい場合も多いです。
なんでやるのか?といえば、遅かれ早かれ国境も開いてまた新人さんのサポートをするに際して、教科書のように渡すためというのが一つ。正規の一括パックの場合は、結局返金するから無料であげるのと同じことです。ただ、これまで20年かけてノウハウが積み重なり、膨大な量になってて、必ずしも全部説明できてないのですよね。全部一気に説明したら多分頭が爆発するから、ケースバイケースで「まずはコレ!」と優先順位をつけてやってます。後からおいおいやるのですけど、それでも教えきれてない部分もあります。特に、最近はシェアのアポ取りをSMSでやるので、全部電話かけてた頃に比べて、電話英語のノウハウを教える機会に事欠きます。そういった部分も含めて事前事後に見てくれたらということです。
さらに、別に僕に会わなくも、これさえあればある程度は出来るという意味もあります。シドニーに来なければダメってもんでもないと。WHや留学でなくても、出張だろうが、永住だろうが、旅行だろうが、普通のガイドブックよりはかなり実戦的に作ってますので(英語がほとんど聞き取れないという大前提で、じゃあどうする?という)役には立つと思います。
これらは目先のベネフィットですけど、将来的には、こういう感じで、単に文章だけではなくもう少し立体的なコンテンツを作って販売するという方法を開発するのもいいかと思ったからです。まあ、今の段階でも、お金払って会員にならないと、エッセイとかワーホリ講座とかが読めないという形にすればいいのにってアドバイスされたりするんですけど、「うーん、そうなんかなあ」って気もしてます。それやるなら、もうちょい商品でもあり作品でもあるような感じがいいのかなーと。このあたり説明しにくく、漠然とし過ぎているんだけど。ま、でも、根っこにあるのは「なんか、作ってると楽しいじゃん」ってことですね。うだうだ考えとらんと、やりゃーいいじゃんってことです。
でも、これ、他の人もやればいいのにって思います。
美味しい自家製カレー屋さんや、コーヒー専門店が、自分の店のカレーパックやブレンド豆を売るような感じですよ。塾講師やってる人だったら、自分の授業風景をそのまま撮って、売ってもいいんじゃないかとか(予備校とかやってるし)。もっと砕けて、自分のよく知ってるエリア(地元とか)で、彼女とロマンティックな風味のドライブをしたい場合のオススメ5コースの徹底解説とか。路地裏散歩コース十選とか、釣りでも、料理でも。まあ、プロじゃないので、そこまで完成度は高くないけど、プロじゃないほうが即戦力になるという部分もあるんですよね。
それを同人誌のように1時間か2時間ものの動画にして一本500円なり千円なりで売ったらどうか?と。多分、たいして売れないと思うんだけど(笑)、でも、売れるかも知れないなーと思いつつ作成するのが楽しいじゃないですか。いい趣味だよ。実益もあるかもしれない。
で、なんでそんなことするの?というのが、企画その2のオンラインサロンにつながっていくし、今週の話につながっていくんだけど、自分で人生楽しくしていかないとダメだし、またいろんなかたちで稼げるように、あるいは稼げないけど生きてはいけるように、あれこれトライし、試行錯誤し、先行投資していくのが大事んじゃないかと思うのですね。
でも、そういうことは一般論とか抽象論で語ってても仕方がないのですよ。「趣味があると生活が充実しますよね」「そうですね」とか百万遍繰り返してもどこにもいけない。やっぱ個別具体的に、「そんだけのコンテンツがあるなら、売れば?」「売るってどこで?」「一般的にYouTubeでやってても限界あるから、そういうの好きそうな人達が群れてそうなところ」「それってどこ?」「いや、しらんけど、そっちこそ推測できないの?例えば登山が好きな人は、山岳会の他に登山用品店とかいくじゃん、そこになんかパンフ置かせてもらうとかさー」とかね。
こういう話ってある程度具体的ではないと意味がない気がするのですよ。でも、それって同時にプライバシーも明かすことになるので(例えば、どこそこに相続しちゃった家があって全然使ってないんだけどとか)、クローズドの方がいい。参加者全員がちゃんと守秘義務を負い、誰が参加してるのかしっかりフォロー出来る体制の方がいい。そのためのハードルとして有料サロンにしようということです。
そして、そういう企画はなんで出てきたの?どういう方向に行くの?という原理原則として、「こういう時代だから」というのが大きいのですよ。前回、長々と世界の覇権移行の話をしたけど、こういうでっかい時代認識からはじめていかないと、今夏に向かってるのか、冬にむかってるかもわからないわけで、ヤバいんですよね。てか、そういう季節というのがあるんだ、物事は変動するのだというのを前提にしないと、いくら努力をして頑張っても成功したときには時代遅れでまるで無駄という悲しいことになる。そしてその変化なんだけど、それが規則的ならば〜厳しい冬もやがて春になりという具合に、一定の長さでこういう方向に行くと鉄板にわかるならば〜、将来予測も計画もわりと確かに出来るんだけど、今はその変化のパターン自体が本当によく見えない。なので、今までの10倍くらい頑張ってしっかり見ようとしないとあかんのじゃないかってことです。もうメディアやネット、政治の「騙し」も、今までに比べればはるかに激しくなってきたし。
その意味で全部つながっているので、来たるべき新企画の助走として、あれこれ書いてるわけです。
で、どうしたもんか
基本フォーマットがなくても考え続ける
生きていくことは大変だ。だから何かベースになるものがあると非常に助かる。例えば、頑張って勉強して、人が良いという学校を出て、皆が良いという会社に入って真面目にやってれば、そこそこ大変ではあるけど、まあ何とかやっていけるわけで、その間は食うに困らないくらいの給料は出るし、マイホームを買ったり、子供を育てて大学に行かせたり、老後のために資金を貯めたりするくらいのことは出来た。そして、ある程度老境になるとリタイアして、あとは国から年金もらって死ぬまでそこそこやっていける。というのがこれまでの「基本フォーマット」だったわけですよね。
だけどだんだん崩れてきた。終身雇用の崩壊というのはすでに1980年代から言われていて、「肩たたき」という言葉もその頃から出てきた。そのうち、「終身」という終期の問題ではなく、「そもそも始まらない」という話も出てきた。非正規である。毎月の給与以外のあれこれの保障がない。またブラックという、教育的シゴキではない単なる搾取も問題化した。
一方、会社上層部の報酬は桁外れに多くなった。その昔、Japan as NO.1と世界で言われていた頃は、平社員と社長の給与格差が十倍以内という欧米では信じられない上から下までの一体性が強さの秘密と言われた。僕がオーストラリアに来た頃、日本の商社マンで、仕事が出来る(先物相場の扱いがトップクラスに上手=シカゴのコッパー(銅)相場だったかな)世界的に有名な人がいたのだが、未だに京浜急行かなんかで満員電車に揺られて通勤していることが欧米で話題になったのを覚えています。彼らの感覚だったら、あのくらい実績をあげていたら年収数億取って当たり前だし、送り迎えの車があって当たり前、独立して自分の会社を作っても十分やっていけるのに、なんでこの人は満員電車に乗ってるんだ?もしかして、日本ではこの程度の人材なんか掃いて捨てるほどいるのか、日本、すげえという話です。
つまり昔の日本は、社会の上位層がわりと謙抑的であった。そういえば高級官僚といっても、その給与額は民間エリートに比べて驚くほど安いとも言われていた。あんなに安月給で、しかも賄賂をもらわないなら(世界レベルでみたら日本はわりと清潔な方)、天下りが唯一の楽しみになっても無理はないわなーとかいう感じだった。
だけどそんな風潮は廃れ、下はどんどん下になり、非正規はどんどん増え、しまいには外国人の実習生を使ったりするようになった。逆に、CEOの給与は、欧米程ではないにせよ普通に億単位になっていった。何がどうしてこうなったのか僕にはよくわからないのだが、多分、それまで発展途上国メンタリティのまま家族的にやっていたのが、「経営」「プロの金儲け」をやるようになったのかもしれない。そこでは、従業員は「仲間」ではなく、ましてや家族ではなく、ただのコストになる。無駄なコストを削減して当然になる。一方CEOの給与が上がるのは、おそらくは金融経済の隆盛と関係あるのかもしれない。世界の政府が慢性的に景気刺激やら金融緩和をするのでマネーがだぶつき、それを有利に運用するために、投資家が会社経営を細かくみるようになる。利益を増大させる経営者は称賛され、ご褒美に多額の報酬が払われ(取締役の給与額は株主(投資家)総会で決める)、先行投資や長期的視野に立って敢えて短期的な利益を求めない経営者は投資家からは疎んぜられるようになった。
ま、そこらへんは適当な推測だし、その真否や是非はどうでもいい。
問題は、僕らが「基本フォーマット」としてきたものが、だんだんおかしくなってきたということです。
ただし、全てが均一にダメになっているわけではない。まだまだ従来どおり機能しているところもあろうし、逆に機能する・しない以前のその領域(業界)そのものが消滅してしまったものもあります。その分新しく生まれる業界もある。その種の栄枯盛衰や流れはいつの時代にもあろうし、特に技術進歩が格段に速くなってきている状況からすれば、その傾向はいっそう強まるでしょう。
いずれにせよ「基本フォーマット」となるべきラインがわかりにくくなっていることに変わりはなく、その分だけ戸惑いや不安は強くなる。不安が強くなるとどうなるか?といえば、一つは無意識的にその現実を直視しないでシカトする方向。正常化バイアスの元になる心理なのかも知れないが、これまでそうだったから、これからも大丈夫だよね、そうだよね、そうに決まってるじゃないかと、不安を押し殺すように強くそう思う方向。もう一つは、その不安に押しつぶされて、さりとて新しい道も見えず、メンタル的につぶれていってしまう方向。あるいは、「これからは○○だ」というどっかの誰かの安い煽りに乗ってしまうこと。
いずれも宜しくないのですが、なにが良くないかといえば、結局どれも思考放棄してることだと思います。従来のパターンにしがみつくのも、ひたすら絶望して鬱になっていくのも、どっかの誰かのフォーマットに乗ってしまうのも、自分で考えてないことに変わりはないです。まあ、もともとベースに乗っかってればよかった時点で自分で考えてないんだから、そうしろと言われても難しいのはわかるんだけど、だからといってあなた任せにして良いわけでもない。
やはり、しんどかろうが何だろうが、起きてる現実はきちんと見るべきだろうし、その上でどうしたらいいのかを考え続けることでしょう。「続ける」というのがミソで、今日明日に「そうだ、○○だ」なんて分からなくても、それでも続けて考える。今日はわからなかったけど、いずれ分かるかもしれない。とりあえずここまでは考えた、そこから次のステップが迷うところで、、と、先が見えないまでも少しづつ考えることだと思います。
世界と政治の混迷は何故生じるのか〜やることがないから
以上は経済やビジネス面、就職面での話ですが、今度はこれに前回書いた世界・政治の流れがかぶさってきますし、これに金融バブルの破綻の要素も出てきます。世界レベルでいえば、これまでずっとやってきたベースになるフォーマット、僕が思うにそれは、「強大国が好きなように世界を支配する構造」だと思います。植民地時代から、世界大戦もそうだし、その後の米ソ冷戦もそうだし、冷戦後のアメリカ覇権時代もそうなんだけど、これも僕の私権でいえば、冷戦終わった時点で、もうそういうベースフォーマットは実は終わってたような気もしますね。
自然の流れとしては、いろんな国々がそれぞれの持ち味を生かして相互に結びついて全体で豊かになっていく方向でしょう。理念的にそうあるべきというのを超えて、現実的にもそうだと思いますよ。だって今どき他国を支配して搾取するとかいっても、限界ありますしね。そもそも植民地経営自体、トータルで言えば管理費のほうがかかって赤字だったと言われているくらいです。あんだけ組織的に人身売買(奴隷売買)をやり、労働法もクソもない極限搾取農場とかやり放題にやったとしても、でも赤字。ましてや今の時代、おおっぴらに奴隷売買なんか出来ないし、搾取をしたら叩かれるし、そもそもそんなに儲かる産業でもないです。今どき綿花なんか栽培しても利幅は少ないし、奴隷千人働かせるよりも、大規模農機具をリースで借りたほうが安い。千人搾取で給料ゼロだとしても、最低限の食事や寝場所の供給は必要ですから、それだけでコスト割れでしょう。
ソ連がコケてアメリカが世界の超大国になった90年代から30年経過しますけど、30年前に比べて普通のアメリカ人が飛躍的に幸福になったのか?というとそんな感じもしない。むしろ貧困大陸などと呼ばれて、平均的なアメリカ人の幸福水準は下がってるような気もする。大国のジャイアンパワーでゴリ押ししまくったあれこれ、例えば、日本車をいじめて、アメ車を買えとかいってたけど大して売れもしなかった。それどころかビッグ3のうち独立してまだやってるのはフォードだけで、クライスラーはダイムラーに買われ、また売られ、今はフィアット・クライスラー、GMは一回完全に破産して国有企業になり、そのあと再生。メッカであるデトロイトはずっと前から治外法権状態だというし。オレンジも牛肉も押し売りされたけど、さほど売れたようにも見えない。ねえ、超大国になったといっても、あんまりいいことないんじゃないの。
国というのは、戦後日本のように貧しい国が豊かな国になっていく一本道を進んでいるか、あるいは国内の人々の凸凹を均していく(貧富格差やら意見の調整をする)にはいいんですけど、一定レベルまでいってしまうと、あとはインフラのメンテ業務くらいしかないと思います。マンションの管理人のように。それだとカッコつかないから、国策的にいろいろ大プロジェクトをやったりするけど、どこの国もそんなに成功してるとは思えないんですよね。
んでも、信長の野望的に覇権ゲームというのは面白いし、個人史的にも燃えるものがあるのでしょう。それを志す人が後をたたない。だけど、本質的にそんなにやることが残されてないから、なんかやっちゃ失敗したり、セコいことをやっては私腹を肥やしたり、そこに寄生虫がびっしりたかったりという感じなんでしょうかね。
それが何か?というと、昨今のコロナやワクチン騒動を見てもわかるように、どこの国もあんまりうまく行ってない。なんというか、本来機能すべきものが機能していない。政治家でも、人気取りのためにカッコつけるツールにしてみたり、あるいは見苦しい責任逃れをしてみたり、官僚や学者レベルでも自分らの利権牙城を守ることが第一に来たり、メディアはもともとネットに押されて破綻寸前だから、強いもの(国家やら広告主やら)の奴隷化せざるえず、ますます馬鹿にされて権威を失う。
コロナの絶妙にイヤらしい点
コロナを見てて面白いのは、非常に人間心理のイヤらしいところを的確についていることです。中途半端に無害だから始末におえないのですよね。これがペスト並にガチ凶悪だったら、つまり罹患したらまず全員が半死半生の悲惨な目にあって、うち半分くらいは死ぬってくらい超恐ろしい病気だったら、政府も簡単だと思いますよ。やることは見えてるし、皆も恐いから緊急事態とか言わなくても出歩いたりしないでしょう。それで経済が破綻しようが何しようが真剣に生きるか死ぬかですから、誰も文句は言わんよ。価値判断が簡単。だけど、このくらい無害だったら、口先のタテマエ的な正義やポリコレ(生命は尊い的な)と本音(大したことないんじゃないの)が分離してきちゃいますよね。誰でも分離する。日本でも、ほぼ全員マスクをしている(ポリコレ)んだけど、GOTOでもなんでも、ちょっと緩めたらどっと大量の人出になる。あれだけ大量にマスクしてる人達が、あれだけ大量に出歩くというのは、人格の同一性という観点からしたらありえないんだろうけど、だからそこが嘘なのよね。そしてその嘘を的確につかせているところがイヤらしい。「ちょっとくらい死んでもいいじゃん」「しょうがないじゃん」とは口が裂けてもいえないから。かくして、右にも左にもいけないままタテマエに縛られつつ自死していく。コロナの本質は、医療でも経済でもなく、普通の人が普通にもっている本音と建前の保身矛盾をついてくるところだと思う。
これがもし誰かが仕組んだことだったとしたら、そして敢えてこの程度に無害なウィルスで騒ぎを起こしたのだとしたら(そうではないと思うが)、そのくらい頭が良かったら世界を制覇してもいいと思いますよ。その資格あるよ。もっとも、そこまで優秀だったら既存の体制で十分制覇できるだろうか、わざわざこんなことをする必要もないでしょう。そして、そこが矛盾するということは、そもそもそういう人間(黒幕みたいなもの)はいないってことでしょうね。
コロナやワクチンで世界人口を削減するんだとかいう説も出回ってるけど、結果として全然減ってないじゃん。これだけ大掛かりに意図してやったにしてはお粗末な結果だし、あまりにも無能。インフルが減った分、前年よりも死んでない。減ってるとしたら、日本では自殺者が増えたこと、先進国は出産を控えるので出生数が下がったことです。大体ワクチンで悪さしたかったら、こんなに世界の注目を浴びてる局面でやるよりも、毎年のインフルワクチンなどにこっそり変なのを入れておいたほうがよっぽど効率的でしょうに。そもそも支配層がいるとして、人口削減していいことあるのか?奴隷はいくらでも居たほうがいいだろうに。もし自分ら以外全部殺してしまって、貧乏人がいなくなったら金持ちはもはや金持ちではないし、誰も掃除も洗濯もやってくれなくなって、自分らでやる羽目になる。第一ほっといても、先進国はどこも少子化であと百年もしたら衰亡状態になるし、中国だってあと30年したらかなりヤバい感じになってるでしょう。
ともあれ、本質的にやることが少ない国家状況において、求められる人材は地味なこと地味に的確にやる(実はそれが一番賢いのだが)人なんだろうけど、思いっきりミスマッチな自己顕示欲や利権ボケした連中が仕切り、彼らの都合の良いように報道しなきゃいけないメディアが情報を流しているんだから、ダッチロールになって当然でしょう。
やることがなくなって迷走しているという文明論
もっと文明論的に突き詰めていくと、あらゆる局面、あらゆるレベルでおかしくなっている、手段の目的化というか、妙なねじれが起きている。ビジネスとか経営とかいう以前に、人類社会における職業は「生業」であり、なにか皆の役に立つことをして見返りとしてなにか(金銭とか)をもらい、生計を立てること。だから士農工商という職業分類はそのまま社会の身分カテゴリーにもなったし、カーストなんかも職業単位。個人と社会の接点と新陳代謝こそが分業社会の本質であった筈。金は潤滑油として機能したけど、潤滑油であって本質ではない。企業哲学も、松下幸之助の水道哲学じゃないけど、そのあたりの本質はまだ残存してたと思うし、今でも個々の局面では残ってるでしょう。それが潤滑油である金だけ取り出して最高価値にしてしまった、手段を目的にしてしまったから、助けるべき仲間(従業員)はただのコストに成り下がってしまった。そのあたりからおかしな話になってる。なんでか?というと、人類が人倫的に劣化したからとも言えるし、否定はせんけど、より本質的には(何度も言ってるけど)やることが尽きてきたからだと思います。皆が喉が乾いて苦しんでいる状況なら、水を売り歩くのは意味があるし充実感もあるけど、皆が満ち足りてきたら、そうそう売れない。だったらぼちぼちメンテレベルに留めておけばいいものを、どこの企業も阿呆みたいに「前年度比○%」と無限に成長することを前提にしている。多分、そうした方が面白いんだろうし、担当者も実績を出した方が出世しやすい。でも、基本皆さん満ち足りているから買ってくれない。そこでしょーもない付加価値を針小棒大に誇大に言うとか、コストカットの名のもとに弱いものを徹底的にイジメて利益を出すかです。そのあたりからなんか狂ってきたような気もする。金持ちだって、一生使い切れない金を持ってたら、もう別にそれ以上稼がないでもいいんだけど、餓鬼道に堕ちたみたいにまだまだ欲しがる。
政治や社会も同じことで、エラくなりたい、ちやほやされたい、ヒーローになりたいという欲求は、まあ分かるんだけど、ある程度のレベルまで社会が成熟しちゃったら、もうそんな「見せ場」はないよ。クラスの図書委員とか飼育係のように地味なことを地味にやってればいいけど、それだとチヤホヤされない。だから無理くり場面を作り出す感じ。でももとが無理だからすぐ破綻する。
これはエライさんだけではなく、一般市民レベルにも言えると思う。本来の地球環境からいって、その程度の生存努力でその水準の生活は維持できないんだけど、より楽をしてもっと上にいきたいという業みたいなのがある。美味しいところだけ欲しいという意識が強くなってる気がします。ちょっと前に誰かが言っててなるほどと思ったんだけど、昔のマンガは、ダメダメレベルからヒーローレベルになるまでの努力過程を執拗なまでに描いていた。巨人の星でもあしたのジョーでも。リングにかけろもそうかな。だけど、北斗の拳が出てくるあたりから、チート的に「最初から強い」、面倒な修行時代は回想録的にしか出てこなくなった。つまり読み手(一般人)の努力ストレス耐性が減っていって、大した努力もしないくせに、おいしい結果だけは欲しがるようになった。
全部ひっくるめていえば、世界の先進国はどこも二代目症候群というか、豊かな時代につきものの宿痾だけど、ひ弱なエゴが肥大化して、美味しいチヤホヤを求めるけど、打たれ弱くなっている。一言でいえばアホ化ですけど、商売でもなんでもアホ相手にするのが一番儲かるから、昔の雑誌裏の広告、今のネット広告ですけど、「ちょっとした努力でこんなに結果が」というフォーマットばっかじゃん。「寝る前のわずか1分で〜」とか、昔寝てる間に英語が喋れるようになるとかあったけど(笑)、そんな感じね。
水平飛行の成熟性
何というのか、飛行機の離陸でも、最初は一直線にぐんぐん上昇するけど、ある程度の高度までいったら水平飛行になる。ポーンとアナウンスが鳴って、ベルトを外しても良くなる。それをいつまで経っても延々と上昇しつづけようとするから無理も出るし、おかしくもなる。飛行機の高度は1万メートルの対流圏らしいけど、そこを延々上がり続けると成層圏になって、もう空気もほとんどないからエンジン燃焼に必要な酸素がないから推進力がなくなる。てかその前に空中分解してしまう。
でもって、そんな言うほど皆さんアホではないですよ。多くの人はすでに気づいているだろうし、実践もしていると思います。豊かな時代に正しく適応していって、それほど過度に欲しがらなくなるし、物質やら名誉やらに過度に意味付けをしなくなるだろうし、現にそうなっているでしょう。
水平飛行は、楽なようでいて、これはこれで結構難しいと思いますよ。ある意味上昇よりも難しい。上り一直線の方が燃えやすく、充実しやすいから簡単なんだけど、水平で変わり映えしない中で、それでも人生の喜びを見出すのは、かなり成熟したセンスが必要ですからね。派手にドンパチやってくれるハリウッド超大作は見ててとっつきやすいけど、微妙な人間心理を映像で暗喩的に描く純文学みたいな映画は、それなりに高い鑑賞能力が必要。
好きなんだけど、友達なんだか恋人なんだか微妙な感じの女の子と、近所の公園まで連れ立って歩くときに、手をつないでいいもんだか、いけないんだか決めかねて、あれこれ逡巡しているうちに公園に着いてしまった〜とかいう、その夕陽がキラキラと眩しい光景は、自分の人生の中でも珠玉の瞬間であるんだろうけど(死ぬ頃になったらわかるよ)、そういう淡いムニャムニャよりは、真っ赤なポルシェでぶっ飛ばす方がわかりやすいもんね。そして真っ赤なポルシェなんか買えないんだけど、別に買う必要なんか無いんだよって。
このあたりの文明論や文化論は面白いですね。多分そのあたりが通奏低音になっているような気がします。
あんまり期待できないなー
これを自分自身の将来予測に重ね合わせると、他者(国家、社会、他人)にあんまり多くは期待できないなーということです。皆さんストレス耐性なさそうだしね(自分もそうだが)、自分らのことで精一杯ぽいし、俺の分まで面倒みてくれそうな感じもしないなーって。もっとも、社会の仕組みが正常に稼働するようにやるべきことはやるべき(ちゃんと選挙にいくとか、機会があれば私見を述べるとか)。だけど、多くは期待せず、ダメダメな場合も想定しておくこと。てか、それよりも悪いのは、今以上にどこまで悪くなるか?本当にどっかで歯止めがかかるのか、かからなかったらどこまでいくか?です。
例えば今30代の人が将来年金が出るか?といえば、全く出ない、出たとしても月300円くらいで話にならないとか。今のレベルでも話にならないですけど、もっと。厚生年金、特に大企業の企業年金は大丈夫かというと、企業本体がワヤになったら企業年金基金だって余波を受ける。理屈の上では別法人だから大丈夫ですよとかいうけど、別法人だから、本体企業は潰れなくても、年金基金を解散して、雀の涙ほどの払戻金で終わってしまうケースも実は多いです。僕も知り合いもそれ。
でもさ、多少出るにせよ、出ないにせよ、話にならないんだったら同じことで、自分が70、80になったときにどうすんの?というのは考えておくべきでしょう。まあ、考えてもいい結論なんか思い浮かぶこともないだろうけど、それでも考え続けること。
考えていく過程である程度整理されていくとは思いますよ。例えば悠々自適の資金とかいうのは今の若い世代には、一般に非現実的でしょう。仮にそれだけ資産をもっていても、数十年後までそれを保全するのはかなり難しいと思います。幸運が重ならないと、どっかで溶けてしまう可能性もある。もし全然金がない状況で老齢になった場合、何がどう困るのか、最低限何を得るべきか、どうなりたいか、なりたくないか、ギリギリまで削ぎ落としていくべきじゃないかな。
ま、これも先にのべた話と同じで、一律均一にダメになっていくものではないでしょう。比較的まともに機能する領域もあれば、全然駄目な領域もあるでしょう。同じように比較的まともに機能している自治体もあれば、もう無法地帯みたいになってしまう自治体もあるかもしれない。問題はそれがどこか?です。そのへんは注意深く見ていかないといけないかなと思います。
周囲の人間環境という要素が実はでかいこと
その場合、政治家が良いとか悪いとかいうよりも、その地域の住民やら国民やらの成熟度、ひ弱度、実行力、胆力なども査定すべきかと思います。ある意味、政治家や企業なんか、いくらでも取り替えはきくのですよ。悪者らしき政治家を退治しても、もっと悪いのが出てきたりとか(笑)、キリないよ。それに僕が思うに、特に日本はそうだけど、社会全体としてみれば、政治や経済のエリートさんが仕切っているようで、実は大して仕切ってないと思います。エラそうにみえて実はそんなパワーもないし(だからこそコロナ対策で右往左往してるんだし)、笛吹けど踊らずで、皆もそんなに言うことを聞かない。
それよりも一般人の資質や性向が重要になってくると思います。それとてクラスターのように粗密があるんだけど。例えば、今の日本に住んでて(僕は住んでないけど)、多分日々の生活でリアルに影響をうけるのは、周囲の人間の態度でしょう。国や知事がなんちゃら宣言をするとかいうのは、実はそんなに関係ない。だけど、通勤車内や職場やらで皆マスクしてて、してない人がいたら即座にイジメられる雰囲気なのか、そのあたりは人それぞれって自由な雰囲気なのか、その差は大きいと思います。
あなたがマスク警察的な資質があるなら、同じような資質の人達のクラスターを拠点にしたほうがやりやすいでしょう。その逆も又然り。マスクは一例であって、実は大した問題ではない、問題はもっと一般的で、語り尽くされたようなことです。職場にしたって、30で独身だったら、なんで結婚しないの?とか毎日のように言われるところと、そういうことを全く気にしない人ばっかなのとでは居心地が違うでしょう?あなたが情報について多少なりとも吟味をしようという人ならば、周囲の人間がすべてテレビだけが情報源で、NHKやワイドショーの芸人の言うことをオウム返しにように繰り返すだけだったら、絶望的なくらい日々がつまらなく感じるでしょう。
それは業種によっても違うし、社風というか会社によっても違うだろうし、住んでるエリアによっても違うだろうし、自分自身の交友関係においても違う。成熟した社会で、誰もがエゴが肥大している状況では、ある程度の同質性というか、淡水魚が海水に入ると死んでしまう的な、そういうファクターは大きいと思いますよ。
つまりどの業界が将来性あるのかとか、資格はなにがいいのか、どのくらいお金は必要なのかとかいうのと同じくらい、いやそれ以上に重要なのは、自分が快適に生きられる周囲の人間資質の方向性やら濃度だと思います。ここがミスマッチしてると、か〜なり辛いです。結婚しても、相手の家の連中が全然肌合いが違ったら、これも地獄でしょうしね。
かといって、他人様のことなんで、俺が思うようにお前も思えなんて指示できないし、指示したところでウザがられるだけだし。だもんで、長いスパンをとりながら、自分が気持よく、楽に生きられる人的環境はどんななのかを常に考え、トライして、調整していくこと。それはやっておいて損はない。繰り返しになりますが、人的環境のミスマッチくらいしんどいものはないですからね。逆にそれが合ってたら、かなり楽だし、そこが楽だとストレスが少ないから、そんなにお金もいらない。つまんない接待で7万円のコース料理を食べてるよりも、気のあった仲間でゲラゲラ笑いながら、一人2000円の安い居酒屋で飲んでる方が百倍楽しいですもんね。つまり心理的価値としては、2000円>700万円(7万×100)という魔女算術が成立してしまうのであり、それが一つのヒントにもなる。
同じように国家社会を選ぶにせよ、どこの国の永住権を取るか(短期滞在をいくつか繰り返すか)にせよ、その国民や住民に資質と方向性、そして自分が住めるような余地があるのかどうかってのは大事な問題だと思います。
それもあって、今のコロナなんかでも、各国の反応というのは興味深いのですよ。ヨーロッパとか見てても、反ロックダウンのデモとかでも、意外とオランダが激しいんですよね。なんかもっとおっとりしてるのかと思いきや、すごい。でもって、軍のベテラン(退役軍人)が市民の側に立って警官隊と睨み合ってて、戦闘用のベレー帽かぶったおじいちゃんが両手を後ろに組んで無抵抗を示しつつ、警官の前にずいっと立って貫禄だけで威圧してたりしてカッコよかった(笑)。誰かが教えてくれたけど、アーチストとして生きていくには、今はオランダが一番やりやすいんですよって言ってて、ああ、そうなんかーと思ったけど、その気になって見ていくと、いろいろ見えてくるものはあると思います。
金融破綻はいつか
それがわかれば苦労しないけど、10年とか30年スパンで見ていくなら、どっかの時点でなんかあると措定しておいたほうがいいかな、とは思います。今日起こっても不思議ではないけど。ショートスパンで一番変化がわかりすいのは多分コレだと思います。
最悪の場合、リーマンショックどころではないでしょうし、皆そろって失業、皆そろって一文ナシのバンザイ状態になるかもしれない。ま、でも、いくならいっそそこまで行ってくれた方がいいですよね。そこまで全面破壊だったら究極の格差解消ですし、そうなると元から金持ってない方が強いですよね(落差が少ないし)。
それに、ワーホリでラウンドして、所持金百ドル以下までいってる「ウチの連中」にとっては、却って懐かしい感じがするかもしれませんね(笑)。おー、来たぜ、この感覚、懐かしいなあ、これだよ、これって。
ところで破綻したとしても、人間というのは「やること」がハッキリしてて、それが周囲の人々と共通しているなら、そんなにしんどくないです。皆で集まって、話し合って、分業して、弱いものを皆で守ってという人類の原点ですし、そんなのDNAに標準装備されてるでしょう。そうなってみたら自動的に起動すると思う。戦後の闇市からのし上がってきた日本人にとって「一番得意な分野」かもしれない。妙に小金持ちになってしまうと、どうしていいのか分からずに困惑する(バブルの頃がそうだったな)。これはオーストラリア人も同じで、開拓民時代に、年がら年中山火事で焼きだされては、皆で団結して生活を守ってきたし、その遺伝子は今でも消火活動に携わる人的パワーの圧倒的大多数はボランティアであるという点からも受け継がれているし。
問題は蛇の生殺し状態で、少しづつ櫛の歯が抜けるように破綻する人がちらほらいて、だけど大多数はまだ安全圏内だから、見てみないふりをしてという、要するに今の状況ですけど、それがしんどいですね。危機感を共有できてない状況。
その危機感を共有できるようになるならば、ある程度の金融崩壊は災い転じて福となす可能性もあります。もちろん、災いがさらに災いを呼んで無茶苦茶になる可能性もあるけど。その場合もまだら模様で、うまくいくエリア、人間集団もあれば、ぐちゃぐちゃになるところもあるだろうし。
そうなると、いかにそれまでに信頼できる、居心地のよさそうな場所なり、人とのつながりを構築するかってことにもなるでしょう。
オンラインサロンはその第一歩ですね。
いずれにせよ考え続けることですよ。今日も、明日も、あさっても、死ぬまで。そんな誰かが「こうすればいいんだよ」とすべて明快に教えてくれるわけないし、そんなの待ってても無駄だし、騙されるという意味では危険ですらある。考えてもそんなに簡単にわからないんだけど、わからないから考えないのではなく、わからないからこそ考え(続ける)ことだと。ま、本来の地球環境における生存ストレス基準からすれば、そのくらいは当たり前だろうとも思うし。
文責:田村
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