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Essay 976:オーストラリアの(国境)出口戦略を予想する

 〜言い方が慎重すぎて絶望的に聞こえるけど、案外とそうでもないかも
 〜おそらくは3月末が一つの目処になるのでは?


2021年02月06日
 写真はMarrickvilleの街角。
 こっちは樹木がデカいのでうれしいです。これなんか「街路樹」とかいうレベルじゃないもんね。


 


 「飛行機恋しや、ほうやれほ〜」と国境が開くのを一日千秋の思いで待っている今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 オーストラリアのスコット・モリソン首相の言動パターンがだんだん分かってきたような気がするところ、この人はあまり希望的なことをバーンとブチ上げるタイプではないと思う。良く言えば堅実、悪くいえばビビリで、皆を喜ばせるようなことをそんなに言わない。例えば「○月には解禁だぞ〜!」とドカーンとブチ上げて、皆から「うお〜!」と大喝采を浴びるようなことは言わない。なぜなら、いざそうならなかったら皆から「嘘つき〜」「ばっきゃろー」って罵倒されるわけで、それがすごくイヤなんじゃないか。

慎重すぎて絶望的に聞こえるけど、案外とそうでもない

 この人から前向きな言葉を聞くのは、完全に決まってからの話で、将来予測については絶望的なまでに地味、控えめである。もう一歩踏み込んで聞かれたらそれなりに答えるんだけど、聞かれなかったら最低限の間違いない線(夢も希望も感じられない最悪想定)で答える傾向がある。

 そう思ったのは、つい先日のことですが、


 という「思ったよりも国境早く開くかも!」という記事にあるように、

"Just last month, Professor Murphy dashed hopes of international travel returning in 2021, saying he thought both border closures and hotel quarantine would remain for some time.
 But on a Facebook Live segment hosted by News Limited, the Health Department Secretary said reopening the border could depend on whether a COVID-19 vaccine could stop the virus from spreading.”

 ほんの先月(てか先週のことだが)、マーフィー教授(厚生省)は「当分の間は無理でしょうね(国境閉鎖もホテル検疫も続く)」といい皆の希望を打ち砕いたばかりである。
 ところが、News Limitedがホストをして行ったFBのライブインタビューでは、「ワクチン次第」という言い方になった。なんか読んでいると、ワクチンが行き渡り、実際に効果が確認されるに連れ、どんどん話が進んでいく、どうかすればあとちょっとで国境も開くんじゃないかってニュアンスすら感じられる。


 つまり、公式見解では、「国境閉鎖もホテル検疫も当分つづく」「いつ解除かはわからない」という絶望的なニュアンスなんだけど、突っ込んで聞かれると「やっぱりワクチン次第でしょうねえ」「ワクチンが有効だとわかれば、早く解除になりますよ」とざっくばらんに言っている(もっぱらざっくばらんなのはマーフィー教授の方だけど)。

 だったら最初っから、「皆、しんどいけど、ワクチンによって国境が開くのももうすぐだ、あとちょっとの辛抱だ、がんばろー」とか言えばいいじゃんって思うけど、そうは言わない。同じことなんだけど、そういう言い方はしない。言質を取られるようなことは絶対言わない。そのへんが、ちょっと地味というか、ビビリというか(笑)。

 もっとも、考えてみればワクチンが有効ならば開く方向に進むのは間違いないところで、別にそんな目新しいことを言ってるわけでも何でもない。逆にワクチン有効が実証されても、それでもロックダウンは続けるわ国境は開けないわなら、何のためのワクチンなのよって話です。

 だから「年内は開けない」みたいなニュアンスで言ってるように聞こえたとしても(実際には”for some timeで「ここ当分は」という言い方)、それは「絶対開けないぞ」という強い意志があるわけでもなんでもなく、ただ慎重なだけだということでしょう。インタビューでも、まどろっこしいくらい慎重で、「我々には分かっていることと、分かっていないことがあるわけで、我々はわかっていることだけをベースに判断します」「”推測”は政治のすることではないし、我々は専門家の意見にしたがって物事をすすめるだけです」って感じで、別に言わなくてもわかるようなことばっか。

客観情勢

 しかし、首相の発言とは関係なく、客観的な状況で推測する方法があります。いくら本人がどう思っていようが、客観的な情勢からいってこうせざるを得ないだろうって推測です。

 僕が漠然と推測するに、JobKeeper(補償措置)が切れる3月末が一つの目安になるのではないか
 そう思うのは、やっぱりJobKeeperの効能は絶大だったからであり、それが切れたら本物の経済の痛みが襲ってくるだろうからです。

 以下の記事は、リーマンショックの頃のケビン・ラッド・レイバー政権での政府支出と、それ以後のリベラル歴代政権による政府支出の増大を記事にしていますが、部分的に参考になるくだりがあります。


 文章で引用するよりも、そこだけキャプって載せますが、
 

 去年の8月、コモンウェルス銀行は、第二四半期において企業利益が14.4ビリオンも上昇したのは、もっぱらJobkeeperのおかげであると発表した。
 「今日の力強い経済回復は、本当に経済が回復しているからではない。むしろJobkeeperなどの政府の支援策(経済刺激策)がその原因である」
 実際のところ、モリソン政権のJobKeeperは、あまりも巨額であり、また最終的には支援先が十分絞りこまれてなかったこともあって、実はこの第二四半期に総売上が77ビリオンも減少している事実(実は深刻に商売不振だった事実)を覆い隠してしまっているのである。


 つまり、Jobkeeperあってこその経済回復であり、ある意味では見せかけに過ぎない。これは第二四半期なんで、それからも順調に回復は続いているけど(VICのロックダウンでガーンと下がりつつも)、政府支出によってかなり嵩上げされていることは事実だと思います。

 しかし、だからこそ、オーストラリアにおいては国境閉鎖が続いていて、そこそこ不自由であったとしても、比較的皆の生活への影響が少なかったので(人によっては非常に厳しいことになっているが、なってない人も大勢いるので)、なんとか国内は平穏に過ぎてきたのでしょう。

 それが3月で切れるということは、1年間続いた麻酔薬、生命維持の点滴が切れるということであり、かなりの経済、そして政治課題になっていくものと予想されます。

 だからこそ、3月末までになんとか解決の道筋だけでもつけておきたい、というのは、為政者として当然考えていると思うのですよ。「よし、これでこれからどんどん良くなるぞ」と皆に思ってもらえるような状況に持っていきたいだろうと。

 それと、もう政府にカネがない問題もあります。同じ記事に載ってたグラフですが、


 赤がレイバー政権、青がリベラル政権で、ラッドのレイバーのリーマン・ショック支出を、リベラルは「税金の無駄遣い」と大合唱して責めていたのだけど、実際には、その後のアボット、ターンブル、モリソン政権時にもっともっと借金が増えている。

 ちょっとこれはヤバいんじゃない?ってくらい増えている。Jobkeeperの延長は「絶対にない」とそこだけやたら明確なんですけど、これを見てると、わからないでもないです。


WA州のロックダウンとホームレス問題

 しかし現在ですら、経済困窮のためにホームレスになる人が増えている。僕はシティの近くに住んでて、且つ夜中にUber Eatsで車を走らせたり、深夜の路上を歩く機会が多いので、よく"some small change?"って声をかけられますし、その際はありあわせのお金をお渡ししたりもします。ここんとこ、「え、この人が?」という「それっぽくない人」から声をかけられます。身なりも普通で、先日のとある若い白人女性の場合は、あれ、この人Uberタクシーとカンチガイしてるんじゃないかって最初思ったくらい普通の人で、まさか乞うているとは思わなかった。ご本人も「こんなことを言うのは断腸の思いなんだけど」って感じで。こういうのは現場で定点的に体験しないとわかりにくいと思うけど。

 先日、パースで珍しく感染者が出た(てか一人だけだが)、それでロックダウン〜!とかやってたけど、ホームレスは蚊帳の外におかれて、ほっておかれたという点が批判を浴びています。


 メディアが政府に対して、”It is heartless, criminal and brutally anti-humanist"(魂のない、犯罪的で、野蛮で、非人道的な)って、もう批判というよりは、罵倒というくらい厳しい言葉を投げかけていること、そして、”The street homeless are among our most vulnerable sisters and brothers”と書いてるあたりは、オーストラリアもまだまだマトモだとちょっとホッとしますけど。読んでても、カッコだけのキレイゴトではなく、真剣に怒ってるのがわかるし。

 

 いま時点で、感染なんか全くなくて、オーストラリアでも一人あたり一番豊かなWA州においてすら、パースに1000人規模のホームレスがいるということ、それに対して政治が十分にケアしていないという厳しい視線を浴びせられていること、これらの事実は何を意味するか?

 この3月末で莫大な政府補償(1月から減額されているがそれでも一人あたり月間2000ドル)が切れてしまうことは、嵩上げしていた企業利益もその分減ることだし、従業員の給与もそれによって賄われていたものが、今後は経営者が自腹で払うことになるわけで、少なからぬ失業を生むでしょう。

 なぜなら従業員が30人いたら、2000*30の6万ドル(500万円くらい)を政府から貰ってたのを、4月からは500万円自分で払わないといけなくなるのだから、ものすごい人件費負担になりますもん。経営帳尻を合わせようと思えば、経営規模を縮小して大量の首切りをするとか、何らかの対応を迫られるでしょう。それが部分的ではあるけど、全産業的にせーので始まれば、その波及効果は決して馬鹿にできないと思う。仮に自分の会社がJobkeeperを受けていないとしても、大口の取引先が受けていて、大幅な受注減になる可能性もあります。

 現在、求人がコロナ前まで持ち直したとか、不動産価格がまだ上がってるとかいっても給料分政府が払ってくれている状況下での傾向ですからね。問題はハシゴを外された4月以降です。

 ということでホームレスもますます増えるだろう。でもそういった手当は、連邦も州政府もあんまやってない。同じような痛烈な批判をまた浴びる。それはイヤだと思う。だったら3月末までになんとしてでも明るい展望を描かないと、、ということになると思うのですよ。連邦政府も、州政府も。

経済筋からの予想 


 Grattan Instituteというところのレポートによると、”the biggest mistake Australia can make is thinking the economy is back on track just because COVID-19 is under control."During the Great Depression, and in many advanced economies in the past decade, premature moves to austerity held back recoveries and, in some cases, created new recessions," the report cautions.”
 「今後オーストラリアが犯すかもしれない最大のミスは、コロナがコントロール下になったらすぐに経済が回復すると早合点することだ。さきの世界大恐慌のときも、過去の先進国の例をみても、政府の支援策を早く撤回すると回復を遅延させてしまい、ときには新たな不況を生みだしてしまう」

 つまり3月になりました、コロナが収束しましたで支援策をやめてしまうとハードランディングになって元も子もなくなるから、この際政府の借金が増えるのは仕方ないとして、もっと長いスパンで徐々にカットしていき、また前回対象にならなかった短期ビザの労働者なども含めて、ソフトランディングしていくべきだと意見しています。この意見には僕も賛成。

 また、それは天文学的な借金のようでいて、世界的にみれば、オーストラリアなんかまだまだ借り入れ余力はあるのだから、支給を厚くしつつ、ゆっくり軟着陸すべきと。

 で、このグラフは出てくるのですが、なるほど、オーストラリアはまだ余力はありそうです。しかし、同時に一番下の日本を見てると暗澹たる気持になります。



 同じように楽観は許されないという意見は、RBA(オーストラリアの中央銀行、日銀みたいなもん)からも出ています。もともとコロナが無かった段階で、オーストラリア経済、いや世界先進国経済は、「賃金があがらない病」にかかっていて、それが全体の経済を湿らせていたわけで、コロナが解決したとしても、また同じ問題にぶち当たるだけで、それがある以上、回復はより遅れてしまうだろうと。



 他にも日々のニュースで、航空会社がまた大量のリストラをするとか、大学セクターで膨大な失業が出ているとか、ここにきて特に関係もなさそうなテレストラ(NTTみたいなもん)がまた大きなリストラをやるとか出ています。

Universities facing $2 billion loss as job cuts total more than 17,000

Telstra to cut 1,425 jobs


コストカット(弱者イジメ)をして母屋が全焼〜世界、特にオーストラリアの問題

 これらはさらに構造的な問題に連なります。今週、はからずもわかりやすい形で露呈しましたが、モリソン首相とRBA総裁とで全く対象的な経済観に立っている。

 これは政府がコロナ用の生活保護ボーナスをますます下げようとするのに、中央銀行総裁がそれは違うだろ、上げた方がいいんだよと異論を挟んだことです。

 その対照が面白く、映画「ファイトクラブ」風に論評した記事がありました。


 要旨をキャプると、
 中央銀行(リザーブバンク)総裁のフィリップ・ロウ氏によれば、賃金(支給額)を上げるべきだというが、しかし、彼にはその権限はない。モリソン首相はその権限があるのだが、あいにく彼は福祉手当は上げると「中毒患者」が出てくるだけだという考えにとりつかれ、ことあるごとに抑制しようという癖から抜けきれていないのだ。
 かくして、両者の意見は全く対立するのだが、ファイトクラブの第一のルールは、ファイトクラブについて語ってはいけないことなのだ。

 これ読んで大笑いしましたけど。国をあげての大論争にしてもいいんだけど、あんまりそうならない。言っちゃいけないのかね(笑)。


 でも、総裁の意見は正しいと思うよ。


 という記事の中ほどのグラフを見たら一目瞭然だと思うのですが、そもそも福祉手当が低すぎるんですよね。オーストラリアですらも。


 過去30年近くの推移ですけど、上の青線は貧困ライン(平均的な世帯可処分所得額の2分の1,世間の半分くらい貧乏ライン)です。2000年過ぎてからどんどんあがっていく。だけど、生活保護(今はNewstartと、コロナ特注JobSeeker)の支給額はベッタと下にへばりついたまま上がらない。

 ともあれ2000年ころから生活費がやたらあがっている、特にリーマン・ショック後から一層そうなっているのは僕自身の長い生活実感からも感じます。どんどん生活しにくくなっている。理由はある意味はっきりしてて、2000年ころから不動産バブルになってきた。これは世界的にそうで、金融経済が暴走しはじめた頃です。リーマン・ショック後の各国の財政出動がさらなる金余りと投資流入になったことで、さらに悪化している。

 オーストラリアの経済、平均的なオーストラリアの給与や生活様式、住宅ローンは、その大部分がバブルによって水ぶくれしたものと思われます。あんな築40年のボロマンションが1億とかいってる時点で嘘でしょうに。それはともかく、それにつられて生活費も非常に高くなっている。

 だけど、生活手当は全然あがらない。その昔は貧困ラインの90%くらいは出ていたのに、今は6割くらいしか出ていない。これでやっていけというのが無理です。

 そして財界経営者もエコノミストもだんだん気づいてきたのは、ジョブカットをして、経費削減して、リストラしても長期的には経済は良くならない。当たり前だけど、客の数を(ひいては総需要)をへらすだけなんだから、落ち目になっていくだけ。必要なのは、低所得者層に仕事を与え、所得を増やし、もっとお金を使ってくれる消費者を増やすことであると。

 それに、頑張ったやつが高収入を得られて、怠けてる奴が貧困なのは公平なのだというのは、いつの時代の話じゃい?ってことも知れ渡ってきている。世代的に上だったら、昔二束三文だったら家が今は2−3億もするし、それを元手に売買を何回か繰り返したすぐに億単位に資産形成できる。また、誰でも就職できたころにキャリアを積めばそりゃあ有利です。あるいはスーパーリッチな移民がやってきて、本国相手に高額マンションやビジネス売買をして金持ちになるルートもある。だけど、今の若い層は、そもそも金がなくて大学にもいけない、いけたところでキャリアがないから雇われない、カジュアルの掛け持ちをしてその日暮らしを強いられていて、そこにもってきて初めて購入する家が億とかだったらノーフューチャーです。だから、これは単に貧富の格差ではなく、公平の見地からも問題だと。社会的な「底入れ」をしないと、トータルでダメになる。このあたりは日本も全く同じだと思います。また、こんなバブルいつまでつづくかわからんし、ドカンときたら、ドドドと押し流されてしまう。

 なんだけど、モリソン首相は、そのへんの手当を頑固なまでにしようとしない。頭古いんじゃないのか?って思うけど、多分、僕の推測では、JobKeeperやりすぎたと後悔してるんじゃないかな。積み上がる政府借金のあまりの大きさに青ざめて、支出を増やすことには生理的に拒否反応があるのではないかと。いいカッコしいなんだけど、本質はビビリだから、そういう反応になるのもわからないでもない。このあたりも日本と同じかな。

 ともあれ、コロナの問題とされているものを見ていくと、コロナ以前からあった問題だったというのは多いです。それを突き詰めていくと、「これまで何やってたんだ」という話になるから、どこの政府も困る。困るから、コロナレベルに押し留めておきたいのではないかって気がしますね。

まとめ

 以上のこと(他にもあるけど、きりがないので割愛)から考えるに、状況的にはここ1−2ヶ月なんとか経済を前向きに持ち直さないといけない、あるいは持ち直さなくても国民に明るい希望を与えないといけない政治状況だと思われます。

 一方、ワクチンは世界各地で徐々に広がりつつある。オーストラリアでも今月からやる。ただ、ワクチンで集団免疫とかいってると、随分先の話になってしまう。一応のタイムスケジュールとしては、今年の10月にはほぼ国民の大多数(射ちたくない人、アレルギーなどで射つべきではない人もいるので)に行き渡るようにやるらしいです。

 段取りとしては、ワクチンを国民に行き渡らせて、それから国境開放って感じの論調なのだけど、先週通観したように、世界の国々では自国のワクチン普及がまだ少なくても、ワクチンパスポートを使って入国を認める動きが広がっています。

 つまり国民大多数にワクチンを射つ話と、ワクチンを射った人の入国を緩めることは別の次元の話である。同時並行しうるし、後者はすぐにでもできる。ここに「希望」が出ます。帰国難民は帰って来やすくなるし、帰ってこれるということは海外旅行に行きやすくなるということでもある。また外からお客を呼べるということでもある。極論すれば、ワクチンの有効性がある程度認められたら、仮にオーストラリアでワクチンが全く広がってなくても、ワクチン証明のある人を入れることはできるし、ワクチンを射ったオーストラリア人を出入国させることはできる。時間的にはその方が先にくるし、即効性がある。

 問題はそれをするかどうか、そういうリスクを背負った決断を、この何事にもビビり政権ができるかどうかですね。

 さもなければ、3月末以降も何らかの支援策を延長するかですが、それも借金が積み上がるのが怖くてようやらん可能性が高い。

 ならば、何もしないまま(てかワクチン国内普及メインで)、4月以降にどんどんやばくなっていくけど知らんぷりするか、です。この可能性が高いんですけど、諸情勢がそれを許すか?ですよね。

 いろんな選択肢のなかで、もっともリスクが少ないのは「ワクチン・テコ入れ希望創造説」になるんじゃないかと思うのですよね。いきなり全面はないとしても、部分的な例外(外交使節やら軍事系や国際招聘など)で実験的にやってみるということはできるだろうし、そこに何らかの「前進感」があるなら、国民にもなんらかの「希望」が与えられるわけです。

 あるいは、国内的にも批判のつよい州のボーダー閉鎖です。これは各州知事のスタンドプレーに過ぎないと財界も連邦政府も批判的だし、州境近辺の住民にとっては大迷惑だし、なによりも保健的にもほとんど意味がないと言われてますが、まず州境においてワクチン特例を認めていって様子をみるとか。

 しかしそのあたりも政治色が強くなりそうです。なんせなまじ感染ゼロが続いてしまってるから、感覚が箱入り娘のお嬢様風で、ゴキブリ一匹出ただけでもう家全体にバルサンたいて、どうかしたら町内全部、いやいや市町村全部にバルサンたいてるかのような過剰反応メンタリティをどうするかです。

 このあたりがコロナの嫌らしい点で、妙に感染力も致死力もしょぼいだけに、心理的な恐怖感だけが先行している。トイレの花子さんみたいな都市伝説化する点です。これは初期の頃にデビルマンの例を用いて書きましたけど、ほんとそう。自らの恐怖感で自らを滅ぼす仕掛けになっている。恐怖心は、コロナが蔓延しまくってる(これだって絶対比率でいえば呆れるほど少ないレベルだが)国ほど逆に薄く、コロナを抑えきっているクリーンな国ほど強い。先週みたように、オーストラリアの数十数百倍の被害をだしているヨーロッパ諸国の方が、せっせとワクチンパスポートでテコ入れしてスキあらば国境を開こうとしている。

 "victim of own success(過去の成功体験によって身を滅ぼす)”という表現が盛んに言われるようになってますが、これはなんでもそうです。なまじ成績優秀、エリート風にやってきた人が、ちょっと進学して周囲が凄くて、自分が凡人に過ぎないと気づいただけでメンタル折れたり、ちょっとクビになっただけでもう人生終わってしまうのに対して、最初から劣等生ではじまって、なんかかんか乗り切って生きてる人の場合はタフですよね。ちょっとやそっとの事ではメゲない。「慣れっこ」になってますから。


 さて、おそらくモリソン首相や閣僚の頭の中はこういったことをあれこれ考えているはずだし、議論もしているでしょう。多分、毎日のようにあーでもない、こーでもないと考えているでしょう。だけど、言質を取られないようにと臆病なまでに慎重な言い方が、ともすれば絶望的なニュアンスを与えてるのではないか、という話でした。



デカい木があるというだけで、なんかしらん、落ち着いた感じがしますよね


文責:田村


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