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Essay 970:医療崩壊について(予習、基礎編)
〜FB掲載記事の加筆整理
2021年01月10日
写真は、South Coogee
以下の4件は、医療崩壊を勉強している際の勉強ノートのようなものです。
医療崩壊(1)〜去年は一昨年よりも人が死んでいない
医療崩壊(2)〜国が頑張って医療設備を「減らして」いる
医療崩壊(3)〜長年にわたる国策としての医療削減
医療崩壊(4)〜感染指定の基礎知識
それを踏まえてエッセイを書こうとしたのですが、紹介してるだけ一本出来てしまうので、先の個別的にFacebookに載せたものです。次回971回で私見を書こうと思いますが、ここで、これまでFBの載せた4記事を新たにHTML用に編集し、図表や加筆をしたうえで掲載します。
去年は一昨年よりも人が死んでいない件
〜それでなぜ医療崩壊するのか(1)
日経新聞の記事で、
「国内の死亡1万4000人減 1〜10月、コロナ対策影響か」というのがありました。
「1〜10月の日本の死亡数は前年同期より1万4千人少ないことが厚生労働省の人口動態統計(速報)で分かった」ということで、これは統計上はFACTです。もっとも日本の統計がどれだけ信頼できるのか?という問題はありますが、とりあえず。
検証しました。
厚労省のサイトで人口動態統計速報(令和2年10月分)のページ
から「図表データのダウンロード」をエクセルファイルでダウンして、検証してみました。もととなる検証したエクセルファイルもあげておきますね。
確かに一昨年(令和元年=コロナ前)の1-10月の死者数合計は、エクセルで表計算を自分でやってみたところ114万7219人、令和2年の1-10月の合算数は113万2904人で、その差は1万4315人でした。つまりコロナ前の年よりも、コロナ年の方が1.4万人くらい死者が少ないことがわかります。
記事では、これに続いて
「新型コロナウイルス対策で他の感染症の死亡が激減した影響とみられるが」
と書かれているのですが、これは「事実」ではなく推測、意見です。実証されたわけではないでしょう。
というのは、ダウンロードしたエクセル表で各月を見ていくと、コロナが始まった3月は前年よりも少なく、4月がちょい多く、5、6,7月は少なく、8、9月がとんとん、10月にちょい多い感じです。
しかし、コロナが始まってない段階の去年の1月の前年比8670人減というのが突出して大きいのです。2月の死亡者数も前年比2029人減少。
該当部分をアップで掲示します。
1月は中国とか韓国、イランがどうのという対岸の火事モード、2月はクルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス号)で騒いでた頃で、まだ対岸の火事的。全員下船が完了したのは3月1日で、それから全国各地で感染者がみつかりはじめ、対岸ではなくなってきた。
つまり本格的にコロナが始まる前の2ヶ月で、死亡者数1万人以上の減少を叩き出してます。あとは5月に3878人減少、10月に3754人増加が主立つところで、だいたいボチボチ。
結局、去年の死亡者数の減少の最大の功績は1-2月分の1万強の減少が一番デカイんじゃないか。なんといっても1.4万中の1万以上ですから。
ということは、これらはコロナが始まる前の話ですから「コロナ対策が他の感染症を予防した」とは言い難いのではないか。
思うに、去年は、1-3月のインフルや季節風邪その他の疾患が例年よりも良かったという単なる偶然ないし年次変動でしかないんじゃないか?という気もするのですね。あるいは一昨年のインフルや風邪がきつかったともいえます。その前の年(平成30年は、去年と一昨年の間くらいですから)。
あと記事はこう続きます。
「新型コロナの死亡数は抑制できていない」
はい、それはそのとおりでしょう。抑制はされてないです。てか、「抑制」という言葉の意味にもかかわるんだけど、それが「完全ゼロ化」を意味するなら、他の数百数千ある病気だって「抑制」はされていないから(せいぜい天然痘くらい?)、あまり意味のある記述とは思えないです。
そうではなく、「抑制できてない=増加傾向に歯止めがかかってない」という意味なら直近数ヶ月についてはそうです。じゃあ、歯止めがかかればいいのか、大体毎月同じくらいの患者死者が出るんだったら丁度「ほど良い」感じで、それでOKなのか?といえば、そういうわけでもないでしょう。だから、やっぱ限りなくゼロ化を求めてるんじゃないですか。ならば、他の病気はどうなるんだ?ってことで、やっぱ、あんまり意味のある記述ではない。
「専門家は「さらなる警戒が必要だ」と強調する」
これも意地悪く言えば、全てのことに通じますよね。火事であれ、成人病であれ、消費者詐欺であれ、災害対策であれ、人生設計であれ、「さらなる警戒が必要」でしょう。備えあれば憂いなし。
なんでこんな意味不明な記述をするのかなー?と思うと、「なーんだ、そんなに死んでないじゃん」「大したことないんじゃない?」って思われたら良くないので、「いやいや油断はいけませんよ、シリアスなんですよ」と釘を指してるのでしょうね。
でもそのあたりに「愚かな大衆はすぐ調子にのるから、言って聞かせないと」という感覚がそこはかとなく見え隠れしてる、どことなく「鼻につく」と思うのは、僕の育ちが悪いからでしょうか。
ところで10月末の時点での日本のコロナ死者数は累積1769人でした。死者数113万〜114万という単位の数の話で、0.17万人がどれほどの意味をもつのか?
一方11月以降かなりコロナ死者数が増えてきてます。1月5日時点で累積3548人までのぼってます。それは要注意なんだろうけど、でも、一昨年は合計138万人死んでます。1380000÷3548=388.95で、別の言い方をすれば、コロナ死者の388倍の人が他の原因で死んでいる。
もし今年死ぬとしたら、コロナで死ぬ確率の388倍の確率で他の原因で死ぬわけで、ならば僕は他の方が388倍恐いです。特に高齢の親などの場合、ちゃんとメシ食ってるのかとか、ボケが進んでないのかとか、階段でコケて骨折とかしてないかとか、そっちの方が気になります。だってその方がリアルにヤバいんだもん。
以上、単なる紹介です。
エッセイで書こうと思ったけど、長々説明してるのも紙幅が勿体ないので、ここに参考文献のように置いておいて、あとでリンク引用すればいいやってことで置いておきます。
本論は、
なんで388分の1程度のコロナで医療崩壊するの?
前年よりも1.4万も死者が少ない=臨死線の医療業務がそれだけ楽になった=筈なのに、なんで医療崩壊するの?
そもそも1.2億人のための医療なんだから、1.2億人分の備えがあるべきで、それがなんで数千数万という0.01%くらいのオーダーで崩壊するの?
です。
それはまた書きますが、ここではとりあえず、理由や分析、偶然だろうが努力の成果だろうが、ともあれ1.4万の同胞が死なずに済んだという事実を寿(ことほ)ぐべきかと思います。なんせ、1.4万回のお別れをせずに済んだ、1.4万回の葬式をせずを済んだわけで、やっぱ単純にイイコトでしょう。
総括すれば、去年は、国民健康的には素敵な一年でありましたってことではないか。大局的に言えば、そんなに悲惨な年であったわけではないと。
なぜ医療崩壊が起きるか(2)
→国が頑張って医療設備を「減らして」いるから(「増やして」ではなく)
菅政権が医療逼迫するなか195億円かけて「病床削減」する狂気の沙汰! コロナ治療最前線の公立病院リストラ政策も続行
前回に引き続き(いずれ書く)エッセイの参考文献として先に出しておきます。
「病床削減支援給付金」というのがあって、日本中の病院が、「自分のところのベッド(病床)を減らすとお金がもらえる」制度です。この通知は11月26日に出され、「勝負の三週間」と言った11月25日の翌日です。「舌の根も乾かぬうち」という表現がありますが、すごい。
なぜそんなことをするか?ですが、医療費削減のためです。とにかく医療費が金食い虫なので減らしたい。せっせと病院の統廃合も進めて合理化したい。去年の段階で、「お前の病院も再編統合を考えろよ」という病院名を名指しリスト(400以上の公的病院)を公表し、同時に言うことを聞いて、病院を統廃合したり、病床を減らしたところにはご褒美(補助金)をあげ、その予算として20年度に84億円計上。25年までに20万病床の削減を目指していました。でもって去年の9月までに「統廃合の結論を出せ」と迫っていた。
ご褒美レートは、病院の稼働率が高いほど高く、稼働率90%以上のベッドを減らしたら228万円貰える。つまり出来るだけ空いてるベッドを減らし、どこもかしこも稼働率100%に近づけるという、トヨタのカンバン方式的な、極力無駄を避けるというもの。趣旨はわからんでもないが、常に100%稼働でやれということは、余裕やマージンが無いということで、なんかの拍子で患者が増えたらもうダメという状態にせよということでもある。
そして12月21日閣議決定された来年度の予算では、さらに病床削減のために195億円が計上されている。去年が84億円だからターボチャージャーつけてガンガン病院ベッドを減らそうということです。
先程の400病院のリストラリストに結論を出せ指示は、さすがに去年9月の刻限は延期されたものの、白紙になったわけではなく、まだ継続。そして400病院リストのうち、53施設は指定された「感染症指定医療機関」であり、実際に119施設がコロナ患者を受け入れている。要するにコロナ治療の最前線のところにも、病床を減らせとやっている。
医療崩壊の原因が不思議で調べてたのですが、複数の要因がありそうで、これはそのうちの一つです。要するに、コロナ中といえども、国は必死こいて病床を減らそうとしているわけで、むしろ「崩壊しない方が不思議」という流れがずっと前からあった、という点が一つ。
そういえば昔、食料自給率が問題になってる頃に、せっせとお金を払って全国の田んぼを減らしてましたよね。減反政策ってやつ。なんか似てるな。
この件はここまで。また別の視点で載せます。
それにこの記事は、いかにも国が発狂してるかのように非難してるけど、国は国でまた言い分、そうせざるを得ない差し迫った事情もあるのだと思うし、その点も含め。
なぜ医療崩壊するのか(3)
長年にわたる国策としての医療削減
FBのURL公的医療の立て直しが急務 経済効率優先で脆弱化 「病床過剰」のはずが医療崩壊の危機に
去年(2020年)12月21日の時点で医療9団体(医師会、看護協会、病院会など)が「医療緊急事態宣言」を出してます。「現場の悲鳴」というやつです。その内容を見てると、なぜ現場崩壊の当事者からの説明がある。
★日本は「医療大国」「過剰病床」と言われていた件
OECD諸国での人口あたりの病床数は日本が突出して多い。千人あたり13床は、2位群の韓独(8)、イタリア・イギリス(3)をぶっちぎってる。だからこそ政府はせっせと病床削減をしていた。しかしコロナ対応では、感染者200万人台の欧州が疲弊しながらもなんとか切り回しているのに対し、10分1程度の感染数で日本はもう崩壊している。つまり他国では日本よりも遥かに少ない病床を有効に活用しているが、日本はそれが十分に出来ていないとも言える。なぜできないのか?
★トータルデザイン
病院には公立と民間があるが、日本の場合は8割が民間病院で民間比率が高い。アメリカも似たような比率だが、イギリスはわずか1割(9割が公立)、独仏は7割が民間。イギリスは初期の頃から先陣を切ってドタバタやってるが、9割公立だから統合的に対応できる。各エリアの病床や人材の臨機応変なシフト、引退人材の免許特例での復帰促進、医看学生の繰り上げ卒業と現場投入、資源を最大限有効活用するためのトータルデザインと実行が出来る体制になってるし、やっている。
ドイツは、官民比率は日本と似たようなものだが、地域ごとに民間病院も含めてトータルデザインができるようなフレキシブルな体制になっている。
逆に中韓台など国家支配が強いところは、中国の「10日で1000病床新設」などが出来る。
日本の場合、そのあたりの統合的措置が取りにくく、また民間への補償も薄い。
★医療の新自由主義〜民間病院の経営
コロナなど感染病床は8月下旬から増えてない(2.7万のまま)、重症病床も0.36万のまま横ばい。しかしコロナに先立つ十数年前から、高齢化によって膨れ上がる医療費抑制のために、ずっと病院設備は減ってきている。診療報酬のマイナス改定はずっと行われているし、薬関係でも儲かるどころか赤字になって民間経営を圧迫している。
民間がコロナ患者を受け入れるのは経営的には自殺行為。
なぜなら、現在感染2類相当指定なので感染専門のスタッフ、感染用の病院内の動線導入などめちゃくちゃ費用と労力がかかる。物理的に無理な民間病院も多い。第二に、コロナ患者がいるということで、他の患者が大幅に減るから大赤字になる。
※2類か5類かの指定問題は次項で述べる。ちなみに1類はエボラやペストレベル、2類は結核、3類コレラ、4類狂犬病やマラリア、5類で梅毒レベル。
★公立病院の削減
公立でも同じで、「補助金に頼りすぎ」「医師や看護師の給与が高すぎる」「経営努力」と言われ(それをワイドショーなどで声高にいった橋下氏などを支持したのも又国民であるが)、その流れで独立行政法人との美名で民営化が諮られ、公的保障は削られ、自治体からの運営負担金も減らされている。大阪の場合は、この記事に書かれてます。 一部を抜粋すると、
橋下氏は大阪府知事、市長時代に、医療福祉を切り捨て。公立病院や保健所を削減したほか、医師・看護師などの病院職員、そして保健所など衛生行政にかかわる職員を大幅に削減してきた。もちろんこうした医療福祉の削減は(中略)日本全体で起きていることではあるが、それでも大阪の削減ぶりは突出している。
また、2018年4月には、関西最大の看護専門学校で、公立病院や公的病院に多くの人材を輩出してきた「大阪府医師会看護専門学校」が2019年度募集をもって閉校することが発表されているが、この専門学校を運営していた府医師会によればこれも〈大阪府・大阪市の財政再建を名目に、一方的に補助金が打ち切られた〉ことが主要因だったという(「府医ニュース」2018年4月4日)。
さらに、住吉市民病院を廃止し跡地に民間病院を誘致するとしていたが、誘致に失敗。医療空白を生み出してしまったのも有名な話だ。
2017年には府立病院機構の大阪母子医療センターが新生児を搬送する専用の保育器の購入資金をクラウドファンディングで募った問題など、維新政治による大阪の公的医療体制の脆弱化はこれまでも度々危惧されてきた。平時ですらギリギリの状態なのに、非常時に対応できるはずがない。
平成20年から30年の10年間で、日本全国で公立病院は943から865まで減り、病床は23万から21万まで減った。公務員ではなくなった医療従事者は、経営上のコストと見なされるようになり、少ない医師や看護師で膨大な業務をこなすことが常態化する。
そして前の記事でも書いたように、去年の9月公立病院と日本赤十字社などが運営する公的病院の4分の1を上回る424の病院について再編や統合が必要だとして個別の病院名を公表し、2025年までに急性期病床を13万床削減する計画を出している(これは前のリテラの記事とは微妙に数字が違うのだが、まあ大意は同じ)。
この記事のグラフをキャプったもの
★感染、ICUなど特殊設備の少なさ
さらに特殊設備は「そんな特殊なもん、別に要らんやろ」的に激しく削減されている。「的に」というのは僕の意訳ですけど、「滅多に使わないものを大量に用意しておくのは無駄」って感覚が強いように思われます。その結果、過去20年で、感染症病床は大幅に削減。1998年には9060床→2019年にはわずか1888床。80%も減らされた。
コロナ重篤者の治療に必要なICUも10万人あたりの病床数も日本は5・6床で、ドイツ(30床)やイタリア(12床)をはじめ欧米の7〜24床と比較して圧倒的に少ない。アメリカやドイツの5分の1以下であり、3月時点で医療が崩壊して感染爆発が起きたイタリアの半分以下。日本のICU病床は国公立が全体の54%を占めている。
冒頭に書いたように、日本は病床数はぶっちぎりに多いにも関わらず、特殊病床になると極端に少なくなる不思議な特徴がある。
ICUの日本集中治療学会は、既に4月時点で警鐘を鳴らしている。ICU治療は看護師2人が必要になり(4倍のマンパワー)、国内6500床あっても、他の重症患者の利用も考えれば、実際には1000床にも満たないと言っていた。
★赤字の嵐
全国の病院系三団体が去年6月に発表した調査によると、コロナの影響で、会員1307施設のうち約7割が赤字と回答した。特にコロナ受入れ病院(339施設)では78・2%が赤字、受け入れてない病院(864施設)でも62・3%が赤字、病棟一時閉鎖(180施設)は79・4%が赤字。地域でいえば、特に大阪が悲惨で、西日本唯一の特定感染症の指定医療機関「りんくう総合医療センター」(泉佐野市)が積極的に新型コロナの重症患者を受け入れたが、人手不足から救急医療の一部休止や手術の延期、外来患者の減少。その結果病院経営は4〜6月で大幅な減収(約7億円の赤字)、国の支援措置では赤字を補えないため、泉佐野市は7月からふるさと納税を活用したクラウドファンディングで病院支援の寄付を募っている。
また、コロナ専門病院に指定された大阪市立十三市民病院も、全病床約260床のうち90床を新型コロナ患者に確保したが、コロナ以外患者激減で毎月3億円以上の赤字。指定される5月までは月に4億円あった収入が、2〜3000万円程度にまで落ち込んだ。
東京都でも病院3団体の調査(6月時点)では、88病院の77%が赤字、特にコロナ受け入れ病院(37病院)の約9割が赤字転落。にもかかわらず、小池都知事はコロナ対応の拠点となっている都立病院(8病院)、公社病院(6病院)を2022年までに独立法人化する方針を変えておらず、「医療危機」といいながら依然として公的医療に大ナタをふるっていることが問題になっている。
結論でいえば、「公的医療機関が苦境に追い込まれているなかで、より経営が不安定な民間病院は手の出しようがないのが現実」であり、「ウィズコロナ」「新しい生活」といいながら、旧態依然とした現場丸投げが続いている。
長周新聞の記事ですが、ここは普通の記事は少なく、力の入った論文のような調査報道が多いので読み応えあります。
なぜ医療崩壊するのか(4)〜コロナ感染指定の問題
FBのURL最近とみにコロナを指定感性症の2類から5類に格下げすべきという声が強くなっている。実は、昨年の4月段階から医療現場の疲弊と合わせ指定変えはずっと主張されてきた。最近、本当に破綻してきたので、より真剣に指定問題を考える人が増えてきたとも言える。
最近のものとしては
保健所が厚労省に「2類指定を外して」 体制の見直しで医療逼迫は一気に解消へ(12/27)
医師、保健所から「コロナをインフルと同じ5類指定に」という悲鳴 声を大にして言えない理由(21/01/08)
★法的取扱の難解さ
コロナの法的扱いはものすごく難しい。てか感染病の法的措置が複雑多岐にわたるために、慣れている人でないと、読んでるうちに頭が爆発してしまう。今回のコロナの2類指定も厳密にいえば「二類相当としての指定感染症」であり、全体を正確に言えば「新型インフルエンザ等対策特別措置法(平成24年法律第31号)に基づき、令和2年3月13日に改正案が成立・公布され、さらにその施行における特例として「改正法の施行日(令和2年3月14日)から政令で定められた令和3年1月31日まで、今般の新型コロナウイルス感染症を新型インフルエンザ等対策特別措置法第2条第1号に規定する新型インフルエンザ等とみなして同法及び同法に基づく命令の規定を適用」という形になるが、弁護士の僕が読んですら「だー、面倒くせえ!」と思ってしまう。ちなみに、こういう行政法規は、プラグラミングと同じで、ぱっと見ても全く意味がわからないうえに、バグもあるし、ウィルスもある。ま、こんなマニアックなことは知らんでもいいです。
詳しくは
コロナ対応を知る その22 新型コロナ感染症の二類感染症相当対応の見直しへの意見書を出します
に親切に根拠法令の条文まで書いて解説してくれてます。
★2と5の違い
2か5か?の違いは、簡単に言えば、どれだけ重大な感染として見るかにかかっており、2はかなり重大なので、やるべきことがとにかく多い。無症状感染でそのまま快癒するような多くの場合でも、一旦陽性になれば入院せねばならず、その周囲の濃厚接触者も同じようになる。実際に病院でスタッフに濃厚接触者53人が出て、結局陽性は一人だったのにも関わらず、ほかの健康な52人も2週間働けず、結果として病院機能は重大なダメージを受け、病棟閉鎖、一般手術の延期、外来・救急の停止をしながら、単に2週間が虚しく過ぎていったこともあるらしい。
また2類にすると、感染の状況を完璧に近い形でトレースしなければならないから、クラスター検査やらなにやら、そこで膨大な人員が取られる。
それを5指定にすると、
・都道府県の感染症対策は調査だけで、費用負担もなくなる。
・感染が蔓延しても放置することが許される
・行政検査はなくなり、希望者が自費で検査を受ける(普通の医療と同じ)
・濃厚接触者の追跡・クラスターつぶしの作業もいらない
・隔離も宿泊療養施設も不要、自宅待機も不要
・入院勧告も不要、したい人が自らの費用で入院
要するに限りなく普通の病気と同じようにするということです。やばいなと思った人が病院に行って、必要があれば検査をし、しかるべき治療を受けると。手薄のようだが、望めばいつでも適切な医療が受けられる現実を構築する方が生産的だという発想。今は望んでもやってもらえないなんだから、それよりはよっぽどよい。
5にするかどうかはともかく、今の2は非現実的だという声は現場ほど強い。無駄に設備を使い、無駄に人材を浪費するから、限られた資源を効率的に配分できない。
最近の議論は、2か5かという択一ではなく、今回のコロナの特徴に合わせたものをカスタマイズで作るべきだというものが強くなってるようです。
★2から動かせない理由
一つはマスコミのエスカレートした危機煽りであり、また人命尊重の美名を唱えてそこで思考停止してしまう人が多いこと。2を5にするというだけで、「経済優先=金の亡者」「人殺し」呼ばわりされることもあるのでうかつに言えないというムードもある。しかし、真剣に人命を優先するなら、2のような無駄なことをやって疲弊して、みすみす救える人を救えない方がよっぽど危険。
今の状況で僕が日本に帰ったら、「迂闊に盲腸になれないなー」と思うのですよ。なぜってコロナ以外病気の対応が出来なくなっているわけで、救急車でたらい回しにされているうちに手遅れになったり、手術がなかなか出来ないので単なる虫垂炎が腹膜炎を併発してそれで死亡ということもありうるからです。つまり医療崩壊の本当の怖さは、医療全体が機能しなくなることであり、コロナのみならず、コロナの以外の全ての病気怪我で、急性で緊急措置を必要とするものは全て命の危険をはらんでくるということになる。
なので、「限られた資源の最適配分」こそが、人命を尊重することの内実ではなかろうか。
そんなことは専門家や関係者、ちょっと調べた人だったら誰でも知ってると思うのだけど、「変な世論」に押されて言いにくい。だけどもう、皆も賢くなってきてるし、そういう圧力も少なくなってる感じはする。
★感染国策と厚生省の起源
なるほど、面白なと思ったのは、いいことずくめの新型コロナ「指定感染症解除」に、厚労省が後ろ向きなワケ
2の対応の本質は、国策実行であって、個々人の医療ではない。国をあげてムキになってその病気を撲滅するような、なかば臨戦態勢のようなものです。非常に重大な感染症、かかったら最後死を覚悟するような超ヤバい病気の場合には、2が必要でしょう。
国家的措置だから、患者個々人の意思などどうでもよく、必要と認めたら強制的に入院させたり、さまざまな私権制限が出来る。国の施策でやるから個人の医療費は無料。またPCR検査は、現状を把握するという行政目的のための行政検査であり、医療検査ではない。だからPCR検査も全てを国(の機関である保健所)が管理しなくてはならず、委託するにも委託管理しうる程度にとどまらざるを得ない。つまり、委託丸投げしたとしても、管理監督事務はあるわ、データーの集計をしなければならないわ、保健所の人員は限られているわだから、PCR検査が少ないと最初から非難轟々なのだが、この構造になっている限り、それは不可能だといってもいい。
だから構造を変えるしかなく、ならば2指定を外して、どこでも誰でも検査を受けられるようにし、自費になるけど、それは健康保険の特例などで一回千円くらいにするとかやりようはあり、ゆえに、2か5かというよりも、コロナスペシャルのようなカスタム仕様のものをつくるべきという議論になる。
要するに2は国家的一大事であり、本質的に一人ひとりを救うためのものではなく、国家社会の安寧秩序のために非常権限であり、言うならば半分戦争をやってるような体制だと。
だけど、厚労省は基本2類から動かそうとしてないです。
なんでそんなに頑張るの?ということですが、僕が思うに、一つは官僚の本能じゃないかな。自分のところから権限がなくなるのはイヤだという。それは利権とか生臭い話ではなく、権限があると苦労ばかり、辛いばかりであったとしても、それでもやり甲斐や誇りを感じているから、「私達が頑張らねば!」でついついやってしまうという。これはもう「官僚が」というより、日本人一般の過剰な責任感の発露とも言えるかもしれない。
もう一つ、沿革があって、この記事の窪田氏が推測するのは、厚生省というのは陸軍の徴兵検査から始まったという点。その昔、結核が多くて、徴兵検査の失格者が高く、これはまずいということで、国家をあげて結核撲滅みたいにやってた。なんせ結核を「国辱病」と呼んでいたらしいから、その気合が凄いというか、キモいというか。つまり厚生省とは陸軍肝いりで結核撲滅のための組織という「出生の秘密」のDNAを持っているということです。
今は勿論そんなことないのだけど、組織的なミーム(社会的DNA)みたいな感じで、「私達が日本の健康を守る」みたいな気概がありすぎる(実は迷惑なんだけど)のではないかと。
確かに、その昔の「胸を病んで」「療養」「サナトリウムの美少女」は日本文学の定番であり、今でもそうかもしれないけど健康診断などでも「胸部疾患」は別格扱いのように必ずあるよね。オーストラリアのビザの検査でもある。いまどき死因として胸部をそこまで差別的に重視しなければならない理由もないとは思うが、なんとなく残存してる。結核トラウマみたいなもの?
以上が感染指定の問題。
思うに、コロナというのは従来の感染とはかなり違って、ダイナミックレンジが広すぎる。殆ど放置してても問題ないというエリアがやたら広いくせに、場合によってはすぐに死んでしまうヤバいケースもあり、これは一つの「病気」なのか?すら思うくらい、内容が広すぎる。
それを、ペストだの結核だのジフテリアだの、固定的な内容を持っている感染カテゴリに入れようとするのが、そもそものミスマッチであり、結果として膨大な人的物的無駄を引き起こしつつ、それに伴う医療機能の麻痺により、コロナはおろか、一般疾患の治療にも影響が出てきているというのが現状であろうと思われます。
参考記事はたくさんあって、上に紹介した以外でも
コロナ抑制と経済を両立する「第3の道」へ、このままでは日本がもたない
なども良いです(8月段階で結構ちゃんと論じられているし)
文責:田村
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